グループの母体が誕生したのはハワイでした。1962年頃、ハワイでサイラス・ファーヤー、チップ・ダグラス、ヘンリー・ディルツの3人によりレキシントン・スリーが結成され、ロサンゼルスに活動拠点を移すと共にジェリー・イェスターを加え、モダン・フォーク・カルテット(MFQ)と改名しました。
フォーク・グループのコーラスというのは普通は2声か3声なのですが、MFQはジャズ・コーラスの影響を受けた4声コーラスを導入し、フォーク・コーラスの可能性を大いに広げました。東海岸で同じことを試みていたのがカート・ベッチャーです。カートはインタビューなどで自分の業績を誇張する性癖があるのですが、そんな彼も4声コーラスのフォークへの導入という業績を自慢する時には、「当時そんなことをやる人はいなかった。MFQだけは別だけどね」と彼らの存在の大きさを認めています。
スペクター作品の最高傑作とも呼ばれる「This Could Be The Night」でしたが、当時スペクターは精神的に非常に不安定であり、「もしも1位にならなかっらどうしよう」という強迫観念から、このシングルの発売を中止してしまいます。この出来事によって商業的成功の可能性を断たれたMFQは間もなく解散してしまいます。
まず、チップ・ダグラスはベーシストとしてジーン・クラークのグループを経て、タートルズに参加。その後はプロデューサーとしてモンキーズ、タートルズ、ラヴィン・スプーンフル、リンダ・ロンシュタットなどの作品を担当しています。中でも印象に残るのは、モンキーズの「Daydream Believer」の大ヒットです。この曲はフォーク時代の仲間であるジョン・ステュワートの作曲であり、フォーク人脈のプロデューサーと作曲家によるポップス界制覇を果たしたことになります。また、タートルズを担当した時にもハリー・ニルソンの作品を取り上げており、「This Could Be The Night」の怨念(?)を晴らしています。
ジェリー・イェスターもプロデューサーとして大きな仕事を残しました。まずは実兄のジム・イェスターが在籍するアソシエイションのセカンド・アルバムを皮切りに、タートルズ、ティム・バックリーなどを手がけます。その後、ラヴィン・スプーンフルへのメンバーとしての参加や、クレイグ・ダーギらとのローズバッドの結成を経て、トム・ウェイツのデビュー・アルバムをプロデュースしています。
このように、チップ・ダグラスとジェリー・イェスターを軸にして、ラヴィン・スプーンフル、アソシエイション、タートルズといったフォーク・ロック系のグループ間には密接な関係がありました。
ヘンリー・ディルツは写真家に転身し、ロック・ミュージシャンのポートレイト撮影の第一人者となります。彼の撮った写真は、モンキーズ、ドアーズ、CS&N、ジェイムズ・テイラー、イーグルスなど、数多くのミュージシャンの作品のジャケットを飾っています。
また、MFQがフォーク・ロックに転身した時期にドラマーとして加入したエディ・ホーは、グループ解散後はスタジオ・ミュージシャンとして活動し、モンキーズの多くの楽曲で彼のドラミングを聴くことができます。
(佐々木実)
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