 |
 |
|
|
3月23日付
水のはなし
「上総掘りで井戸を掘ろう!」
私たちIWPは、飲み水に困っている国々に日本オリジナルの人力深井戸掘削技術「上総掘り」を移転する活動をしているNGOです。 「水」はあらゆる生命の源です。開発途上国では水は死活問題であり、まさに「命の水」を意味します。
21世紀最大のテーマ:水問題を解決することは、貧困、人権、環境、教育、健康、女性の地位向上などあらゆる問題の解決に繋がります。
IWP行動と提言
IWPは、この「第3回水フォーラム」では、プレゼンテーション・分科会(21日12:30〜C-1)・水行動コンテストに参加しております。そして21世紀は提言だけではなく行動が大切とキーワード考え「TDo!京都」を水フォーラム京都実行委員会及び市民ネットワークのご協力を得て、下鴨小学校(京都市左京区)で京都市民のみなさんと一緒に上総掘りで井戸掘り実施して、水の大切さを考えています。3月8日から22日の予定です。
1.深刻な水問題と適正技術としての上総掘り 開発途上国では水道普及は都市に限られており、大多数の人々は数キロ離れた川や井戸の水を飲料や生活水として利用しています。そのため、水質よりも、毎日如何に水を確保するかが優先されます。また、水に起因する風土病や伝染病を含む衛生問題も重要な課題です。
こうした水問題の解決策のひとつとして「上総掘り」が挙げられます。上総掘りは日本の伝統的な深井戸掘削技術で、途上国で入手可能な資材と人力、単純な技術だけで深井戸の掘削が可能です。乾期に入るとすぐに枯渇する(開口掘り)浅井戸の水は地表水ですが、枯渇しない深井戸は帯水層(地下水の層)からの地下水です。
しかも、何年もかけて地中で自然ろ過されているため衛生的な水と言えます。 こうした適正技術こそが開発途上国における国際協力活動に最も必要とされています。
■ 上総掘りとは
上総掘りは機械を使用せずに、竹や鉄管などの簡単な道具と人力のみで、100m以上の深井戸を掘削できる突き抜き井戸掘り技術です。その特徴は@掘削時に注入する孔壁保護の為の粘土水 A掘削鉄管内の弁の開閉で掘り屑を吸い上げる B掘削時の鉄管引上げ作業軽減に竹の反力を利用する等です。技術の習得が容易で経費もかからない為、昭和初期には油田や温泉の掘削、鉱石調査にも用いられました。
2.IWPの国際協力活動
IWPの国際協力活動は水を起点とした地域開発です。そのキーワードは「人的開発」つまり「コミュニティ開発」と「女性」です。
コミュニティは人と人の繋がりです。実施するプロジェクトは「持続可能な住民参加型プロジェクト」でなければなりません。一方的な押し付けではなく、住民の自助努力を促すのです。単に一本幾らで井戸を掘って水を供給するということではなく、井戸掘り技術の移転とその井戸から衛生教育・労働問題・栄養改善の地域開発へ波及させることを目的とします。
用いる技術も現地に合った“適正技術” でなければなりません。“先進国の技術ほど複雑ではなく、途上国の伝統技術よりも生産性が高く、多くの人々が簡単に使用できるかどうか“そこが適正技術の見極めポイントです。
もうひとつは女性を如何に啓発し教育するかが課題となります。女性の意識改革と地域開発の成否が途上国の社会を大きく発展させる原動力と成り得るのです。
参加した人々が直接の受益者となる援助は、住民の自助努力を促し積極的な参加が期待できる持続可能な援助となります。これがIWPの目指す国際協力活動です。
「水と食料・農業」 池上甲一(CASA, 近畿大学)
水と食料・農業の関係は、視点が一様ではないけれども、今回の水フォーラムで主要なテーマに位置づけられている。17日と18日には「水と食料・環境」のセッションが13の分科会で議論され、19日と20日には「農業、食料と水」のセッションが18の分科会で議論される予定になっている。もちろんそのすべてに顔を出すことはできず、「つまみ食い」的な参加にとどまっているけれども、この二つのセッションに共通して見られるひとつの論理がたいへん気にかかるので報告しておきたい。
その論理とは「水の生産性」を向上させなければならないとか、あるいは世界中に「効率的灌漑」を広げる必要があるというような一種の「効率信仰」である。この「効率性」という論理は、民営化や商品化(料金制や水の価格づけ)とタッグを組みながら、水を画一的な世界に閉じ込めようとしている。それは、多様性や固有性といった考え方の対極にある。呪文のように「水の効率性」を唱えると、水と食料を巡るさまざまの問題が氷解してしまうかのような雰囲気さえ漂っている。
ところが、「水の効率性」は必ずしも明確に定義されていないし、どのように把握できるのかという議論も行われていない。効率といえばみんなが同じように理解するといえるのだろうか。確かに、欧米的な狭い意味の効率性、すなわち単位水使用量あたりの食料生産量といった指標は単純で分かりやすい評価基準であるかのように見える。だから、世界の水事情は押しなべて、この一元的な指標で評価することが可能である。しかし、それはひとつの特定目的だけに水を使うことを前提とした考え方である。
灌漑用水なら穀物生産量のみが目的変数で、配水の途中で蒸発したり地中に浸透したり、あるいは人が生活用にくみ出したり家畜が水を飲んだりすることは「無駄」な損失である。だから水路をパイプラインに変え、取水した水をすべて目的の農地まで運び、できるだけ少ない水でできるだけ多くの収量を手に入れることが望ましい。地下水補給は別の手段を考えればいいし、生活用水や牛の飲料水は専用の水道でまかなう。生態系保全にも専用の水量を確保する。それを別の用途と兼用することはけしからんことである。このように、特定の目的に特定の水を割り当てることが水の効率性を高めるための前提となる。
だが、川を流れる水に農業用だとか生態系保全用だとかの色をつけて区別することはできない。水は何度も使いまわすことで、いくつもの目的を果たすことができる。穀物生産のみに限定するのであれば、1立方メートルの水はその穀物の分しか意味を持たないが、生活用水に使い、川に戻って水田に入り、さらに田越し灌漑で下の水田を潤すというような使い回しをすれば、同じ1立方メートルの水が3倍にも4倍にも使われたことになる。水の使いまわしは、穀物生産から見れば迂回的な利用だから「効率的」ではないかもしれないが、トータルにみればたいへん「効果的」に水を使っていることになるだろう。この問題は、水フォーラムでよく耳にする1人あたり水量という数字のマジックとも共通しているといえよう。
「水の効率性」に潜むもうひとつの問題は、農産物1単位あたりの水使用量を比較し、水を「無駄使い」する作物から水使用量の少ない作物へ転換すべきだというような単純な発想が生まれてくることである。水を農地に溜めるような灌漑スタイルは蒸発や地下浸透の損失が大きいので、必要水量だけを作物の根元に灌漑するチューブ灌漑やドリップ灌漑に転換するべきである。こうした「近代的」灌漑は、使用水量が測定し易いので料金制にもなじむ。そうすれば、農民たちはもっと節水的な活動をとるだろう、というのが論理のあらすじである。
ここで、料金制や民営化と議論が交差してくることになるが、それは各地域の農業と食料のあり方を根底から覆すように作用する。チューブ灌漑やドリップ灌漑はとくに、モンスーン・アジアの風土に合うように形成されてきた水田稲作を否定するという乱暴な議論に結びついていく。ナマズやめだかの生息・産卵空間が失われるという問題はさておくとしても、チューブ灌漑やドリップ灌漑による塩類集積の危険性や土壌侵食(風食)の促進といった問題も起こりうる。それにそもそも、近代的灌漑のための投資を負担できる農民がどれほどいるのだろうか。
ヴァーチャル・ウォーター(仮想水)という考え方が新しく提示されているが、そこにも「水の効率性」と動揺の論理が透けて見える。仮想水とは、あるモノの生産に必要とされた「隠れた水」のことで、とくに輸入品の場合には、輸出国で生産のために実際に使った水(リアル・ウォーター)と輸入国で仮に生産するとすれば必要となる水(仮想水)の差がマイナスであれば、水の収支的には輸入が正当化される。この考えは農産物貿易自由化の正当化理論として利用される危険が高い。実際、仮想水の分科会では、仮想水の相対優位を貿易利益に結び付けていく可能性が語られた。他にもたとえば、輸入国でヴァーチャル・ウォーターを使わずに節約した水は輸出国の水不足傾向に手を貸すことになるだろうし、農産物輸入(仮想水の輸入)が輸入国の水節約にどう貢献しているのか、といった問題も検討しなければならない。
「忘れられた流域 -「つながる水」考えよう世界の水、見つめよう日本の水-」
高橋憲人(世界水フォーラム市民ネットワーク)  
命の源「水」、を運ぶ河。河は人々の暮らしを織り成し、支え続けてきました。しかし近代、河岸の開発、水道の敷設が進む中、人々の心は川から離れてしまったのではないでしょうか。河辺で紡がれてきた暮らしの風景の記憶が失われてゆく中で、河は目に見えないところで少しずつ蝕まれはじめています。
水の供給源の上流域では、林業の後退が森林荒廃を招き、洪水や水質悪化を引き起こすようになりました。さらに産業の不振や生活スタイルの変化があいまり、今まで生活や生業を通して培われてきた水源管理の存続が困難になっています。このような自分たちの足元の水環境が崩壊の危機に陥っている現状について、多くの人々―特に下流域に住む人々が気づくことができなくなっています。しかしこれからの地域の水環境について考える時、流域の住民が自分たちの水環境の現状に目を向け、行動を起こすことはとても重要です。このような認識の下、世界水フォーラム市民ネットワークは、水フォーラムを契機として流域問題を考えようと、京都府を流れる桂川の流域で活動してきました。
「これまでの活動」 現場に足を運び現地の方と交流し、様々な活動を通じて、良好な水環境を保つために私たちには何ができるのか考えてきました。桂川を知るため『公開講座』や、『流域見聞』を開催し、また源流域の現状や課題について現地に学び、上下流住民の交流を通じて流域間の相互理解を深めるために『桂川上下流交流会』を、上流域の京北町と日吉町を会場とし実施してきました。今回のイベントではそうした活動の延長として、今まで考え、議論してきたことを具体的な活動に移していけるような話し合いをしようと考えています。
「世界と日本」 海外では大規模な森林伐採が問題となっています。伐採を行い外国から大量の材木を輸入している日本。しかし一方で国内では、手入れされずに真っ黒になった人工林の山が存在しています。東南アジアを中心に海外の森林を伐採して、輸入し続けてきた結果、東南アジアの水環境だけでなく、足下の水環境にも影響が出ています。遠くのことのようで、実は密接に関わっているこの問題は、国内の流域問題を考える際にも無視できないことです。
「3月23日」 水フォーラム最終日、23日に行われるイベント『つながる水−考えよう世界の水、見つめよう日本の水』は、忘れらようとしている流域に目を向け、いかに健全な水環境を保っていけば良いのかを考えることが目的です。そこで、世界水フォーラム市民ネットワークがこれまでの活動を報告し、これからの活動へと繋げる機会として、また活動の中で感じた世界との繋がりを水を通して考えるきっかけになればと企画しています。
今回のイベントではゲストとしてタイで流域問題に関わる活動家(チャヤパン・プラパサワットさん)の方をお招きし、実際に桂川流域を回っていただき、そこで感じられた事についてお話していただきます。日本の流域の現状を見てどのように感じられるのでしょうか。日頃目を向ける事の少ない、しかし深い繋がりのある海外との関係について水を通して知ることで、身近な水環境を考えていくきっかけとなればと考えています。
「つながりはここから」 私たちが行っている活動はまだまだ小さなものですが、このイベントを機会に流域問題に目を向けてくれた方々がつながり、実際の行動へと移していけるようなイベントになればと思います。流域の抱える問題に関わり今まで活動されてきた方、関心はあるけれどどのようにかかわっていけばいいのか分からなかった方、はじめてこうした問題があることを知った方、いろんな立場、世代の人々が関わって、この小さな活動が大きなうねりとなっていくことを期待しています。
|
|
 |
 |