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3月21・22日付(合併号)
巻頭言
宝が池だより5 神田浩史(世界水フォーラム市民ネットワーク)
早朝から取材、NGOと日本政府関係者との意見交換会を終えて、国際会館を出ると、早くも下鴨署の面々がお待ちかね。5、6人の私服警官に”護衛”されて、ものものしく宝が池公園へと向かいました。宝が池公園ではA
SEED JAPANの面々が歌の練習を。そこにポツリ、ポツリと人が集まってきました。パレード出発の11:30頃 にはざっと100人くらい。宝が池西側を北へ向かい、車道に出て、国際会館へと向か
いました。プリンス・ホテルの前で合流した100人くらいを加えて、約200人が「水の 『自由化・民営化』反対!」を訴えて、国際会館の敷地内へ。その後も、様々なメッ
セージが繰り広げられました。
それを終えると、午後は再び滋賀へ。「モンスーンアジア地域における統合的河川流域管理」という分科会で発題を頼まれて。もっとも、準備する間もなく、いつもながらですがぶっつけ本番で臨みました。今日は広い部屋に人はポツリ、ポツリ。昨日の熱気とはうってかわって静かな感じですが、最後の発題ゆえにひたすら皆の話を聞
いていました。
スピーカーは日本の官僚、大学の研究者、インドネシアの官僚、水資源開発公団、 国際協力銀行、自治体。それぞれに勉強になる内容ながら、国際協力銀行の発題にだけは”?!?!?!”インドネシア東部ジャワのブランタス川の総合開発事業を日本のODAの”良き事例”と。スカルノ時代からスハルト時代にかけて、地域住民の意向
など斟酌せずに、この川の流域に数多くのダムを建設して、川を完全に死に至らしめたことで有名なこの事業を、21世紀になっても”良き事例”と言う無神経さには思わず口あんぐりでした。
最後に与えられた15分で強調したことは、住民主体の開発の重要性とNGOの役割。 政策形成においてNGOと協働することで、インドネシアのコトパンジャン・ダムやタイのパク・ムン・ダムに見られる紛争を回避することができ得る。さらに、今日、モ
ンスーン・アジアにおける大きな水問題は、水を経済財にという「自由化・民営化」 の流れで、その中でも最も大きな問題の水利権の市場化を防ぐためにも、慣行水利秩序を法制化した日本の経験をきちんと伝えること。そのために、地域住民に近いNGO
と研究者が協働してODAを活用する方策も考え得る。と、一気に提案しました。最後の最後に来て、ようやく立場の異なる人たちに、思いのたけを訴える機会を得た意味では貴重な経験でした。
セッション報告
【ジェンダーパネル報告】三輪敦子 (世界水フォーラム市民ネットワーク)
3月17日(月)の一日を使って、ジェンダーパネルが開かれた。今回の水フォーラムでは、「貧困」や「ガバナンス」等の主要テーマとは別に、メジャーグループというカテゴリーがあり、「ユース」や「子ども」と並んで、「ジェンダー」パネルが置かれるという(相変わらずの)設定であった。
ジェンダーパネルを主催したのは、Gender and Water Alliance(以下、GWA、日本語では「ジェンダーと水連合」と訳されている)。GWAは、第二回世界水フォーラム後の2000年6月に設立された、国連機関、二国間援助機関、NGO等が参加する開発協力コングロマリット(複合体)とも言うべきネットワークである。水の利用管理に関するあらゆる側面にジェンダーの主流化(mainstreaming)をはかることを目的としている。ネットワークに資金提供しているのは、オランダと英国政府。同じような水関連の開発協力コングロマリット、Global
Water Partnership(GWP)の妹分(多分、姉ではないだろう)のような存在である。
パネルの中心は、9時から16時までおこなわれたジェンダー法廷(Gender in Court)であった。水衛生の分野にジェンダーの視点を入れることが、どんな効果を上げるのかを、裁判形式で検証しようとする試みである。会場では、中央に青の法服を着た裁判官、右側に尋問者(Questioners)と呼ばれる人達が陣取り、原告団としてジェンダーに関連する取り組みを発表する政府やグループに様々な質問を投げかけ、最後に裁判官が判定を下す(と言うより、将来に向けて取るべき行動について提言する)というプログラムであった。アテネのパンテオンを模したような仰々しい入り口をくぐって、会場に入った。
現場からの発表は、1)男女の参加、2)地域レベルの実施組織、3)実施制度、4)政策の4分野別におこなわれた。それぞれの分野における事例は、様々な場所で必要と指摘されてきた様々な取り組みに関する現場の経験を報告するという意味では、興味深い報告であったが、新たな発見があったかと言えば、そう目新しいものはなかったというのが正直なところである。
「男女の参加」では、水道設備の建設から維持にわたる全プロセスに男女双方が参加することの重要性が説明され、とりわけ水管理のための委員会の責任者に女性がつくことの重要性が指摘された。また、男性が出稼ぎに出かけ女性だけが地域に残っているような場合、洪水等に際して女性が従来とは異なる責任を負わねばならず、そうした面を配慮することの重要性が指摘された。また、「地域レベルの実施組織」では、住民の人たちの声やニーズを重視するやり方で取り組むことが強調され、「実施制度」については、行政や水道事業担当機関の職員に対しジェンダートレーニングを実施したパキスタンの例が紹介された。上層部にあたる職員がジェンダーの重要性を理解し、ジェンダー配慮を推進するようになったことで、女性の参加が促進されたという事例である。「政策」では、水政策にジェンダー配慮の文言が入っている数少ない国のひとつである南アフリカから報告があり、行政の水関連委員会に一定割合の女性を入れることやジェンダー配慮の実施を検証するためのリスト作成が行われていることが報告された。
これらの報告と、報告者に対する質問を経て下された判決(提言)は、以下の5項目、すなわち、1)主流化の推進、2)ジェンダー配慮の重要性を政策として確認すること、3)ジェンダー配慮を実施するための制度的変革、4)住民と行政の仲介役としてのNGOの役割、5)男女双方のエンパワーメントの重要性であった。しかしその内容は、これまで様々な場所で言われてきたことの繰り返しで、何が重要かは認識されるようになってきたものの、現場での経験がまだ十分に蓄積されていないというジェンダー分野の弱さが露呈されたセッションであった。
また、水の自由化や民営化といったマクロの政策が女性のもたらす影響についての視点は、非常に弱かったのが残念であった。これは、今回のセッションが、冒頭に述べたように、援助機関とNGOのコングロマリットであることの影響だろうか、パートナーシップを謳い文句にしてはいても、結局こうした組織は、ドナー主導の色合いが濃くなってしまう。セッション内でもドナーの政策そのものを問うような事例は、ついに出てこなかった。(GWAが主催しているなら当たり前と言われそうだが。)
しかしそれで終わってしまってはあまりにつまらない。南アフリカ政府の女性が、「貧困層には無料で水を供給する」と繰り返したので、電力にプリペイドカードが導入された結果、電力料金が払えない家庭で給水設備が動かなくなったヨハネスブルグの例を挙げて、貧困層には女性が多いことを考えると、このような他セクターの民営化が水サービスに影響を与え、女性により負担を強いる可能性を質問した。彼女からの答えは、「そんな事例は知らない(I
am not aware.)」というものであった。多国籍企業が水のオーナーシップを独占する危険性を質問した別の女性に対しては、「それは政府と企業間で、契約内容の理解に齟齬があったから」。司会者からも何のフォローもない。ジェンダーパネルでは扱わない問題という主催者側の暗黙の了解でもあったのかと思わせる対応であった。
ジェンダーの分野では、現時点で様々な意思決定の場面に女性が入っていないことから、「女性が参加する」ことの重要性が強調されるあまり、どんな参加なのかへの視点が欠けるきらいがあるように思われる。政策決定への参加を謳うことはもちろん重要だが、それに加えて、どんな政策なのかを女性の立場で問うことによって初めて「女性の主流化(mainstreaming)」「女性の参加による変化(make
a difference)」が意味を持つだろう。そうした点には触れずに、口当たりのいいドナートークに終始した感が強く、物足りなさと失望を感じたセッションだった。
【消された「世界ダム委員会報告書」】川村暁雄 (AMネット)
消された「世界ダム委員会報告書」―「ダムと持続可能な開発」テーマの最終セッシ ョン 「ダム開発による環境・社会破壊」は、この何十年もの間、世界各地の地域住民や
環境保護団体にとって大きな問題であり続けている。このテーマのセッションの目的 は、環境破壊の代名詞とされてきた「ダム」と「持続可能な開発」の関係について建
設的な対話を行うという一見不可能なことだったのだが、NGO、開発金融機関、世界 水会議などが主催した10のセッションを通じて、それはどこまで達成されたのだろう
か?最終セッションでの報告を見るかぎり、成果は(あったとしても)非常に限られ ていたようである。
例えば同じインドという地域をとっても、ある推進派主催のセッションの報告では 「ダムはインドの社会に多大な貢献をした」としたが、NGO主催のセッションの報告
は、インドでは先住民族などに多大な被害がもたらした、と180度違う評価してい る。また、閣僚会議向けの声明案についても簡単な議論が行われたが、「ダムの役
割」「環境・社会影響が問題とされたダムの範囲」など随所に意見の食い違いが見ら れた。
声明案には、環境保護団体などが求めていたことは、少しは反映されている。現存 のダムの問題もかろうじて触れられているし、ダム計画の際には、全ての当事者の参
加を得て決定し、ダムの利益は全ての人に分配されなくてはならないなど、住民参加 についても書かれている。しかし全体を通してみれば、ダム建設自体が持続可能な
開発に対する支障となってきた事実は無視され、まず建設ありきの文章となっている のは否めない。
さらに疑問なのは、地球の友や世界野生動物基金などNGOが主催したいくつかのセ ッションで必ず触れられた世界ダム委員会の報告書について、声明案ではまったく言
及されていないことだ。1998年に世銀などにより設置された世界ダム委員会は、ダム 反対派から支持派まで参加し、2年間の調査に基づき2000年に報告書を作成した。こ
の過程は世界水フォーラムよりもはるかに透明性が高く、報告書は広く信頼されてい る。なぜこのテーマの声明で世界ダム委員会の報告書に触れないのかを問いただした
NGOに対し、声明の起草責任者は「世界ダム委員会の主張している概念はちゃんと組 み込んだ」と返答したが、それはほんの一部でしかなく、しかも「世界ダム委員会」
という言葉は全く使われていない。
最終セッションを主催したUNEPの事務局長も、UNEPではこれから世界ダム委員会の 報告書のフォローアップを行っていくと明言している。世界ダム委員会の報告書に強
く反対しているのは、主としてダム関連業界である。
世界ダム委員会報告書を消し去ったこのセッションは、結局のところ誰のために開 催されていたのか?少なくともダムによる環境破壊に苦しむ人々のためではなかった
のは確かのようだ。
【水施設への資金調達(3月21日 9:00〜11:00)】佐久間智子 (JACSES)
「資金調達」は、世界水フォーラム(WWF)の真の主役であるグローバル企業と多国間開発銀行(MDBs)の最大の関心事である。今回のWWFに向けて、MDBの総裁やスエズ、テームズなどの水企業大手の代表など、20名からなる「水施設への資金調達に関する世界委員会(通称カムドシュ・パネル)」は、今月初めに報告書「Financing
Water For All」を発表した。この報告書は、昨年8月にヨハネスブルグ・サミット(WSSD)が定めた水と衛生施設に関するミレニアム開発目標(2015年までにアクセスのない人口を半減)を達成する手段として、特に資金調達とカバナンスに関する提言を行っている。(その中身は、より多くの資金の調達、民間参入のためのリスク軽減と規制緩和、利用者からのコスト回収、分権と地元の資本・企業の活用、キャパシティ・ビルディング、カバナンスと監視、透明性と市民参加などである。)
今回のWWFにおいて、市民・NGOの多くが、「官民の連携(PPP)」の名の下に進められている民営化や、水力発電や貯水のための大規模ダム開発に、断固として反対してきた。これらの市民・NGOが、密室でつくられたカムドシュ・レポートが、原則として水供給コストの利用者負担と水道料金の上昇を推奨し、民間企業への利益保証とリスク軽減を優先していることを看過できるはずはなかった。
パネル討議では、報告書を概説したカムドシュ仏銀行名誉総裁(前IMF専務理事)を皮切りに、アジア開発銀行総裁、オランダ政府代表、南ア水資源森林大臣、とプレゼンテーションが進められた。パネリストの発言が「うそ」や「きれい事」と判断されると、会場のあちこちで「Lie
Meter(ウソ計測器)」と書かれたプラカードが掲げられ、鈴の音が響いた。そして10時50分、ボリビアのパブロ・ソロン(ソロン財団)が突然フロアのマイクに歩み寄り、カールソン議長(グローバルウォーターパートナーシップ:GWP)に対し、フロアにマイクを渡すよう求めた。結果、15分のフロア討議が認められ、南の国々からの参加者を中心に、カムドシュ・レポートへの大批判が開始された。
ボリビア、アルゼンチン、そして南アからの参加者は、それぞれの国で民営化が引き起こしているさまざまな問題について報告し、カムドシュ・レポートが資本家とグローバル企業を優先する制度を合法化し、結果として子供たちを死に追いやっていると批判した。バンダナ・シヴァ(科学技術自然資源政策研究基金:インド)は、配水管やコンクリートの護岸やダム、人工運河などが自然に蓄えられる水の量を減らしていると警告、大規模で近代的な水施設は必要ないと斬り捨てた。もう一人のインドからの参加者もまた、大規模ダムに良い事例は存在しないと明言した世界ダム委員会の報告書を、カムドシュ・レポートは尊重すべきであると主張した。
ここで議長からフロア討論にストップがかかった。そして、パネル討議が再開されようとしたその瞬間、今度は会場から「水から利益を得るな(No
Profit From Water)」という横断幕を持った数十人がステージに上がり、左右に広がって並んで「Water for People,
Not for Profit」というチャント(言葉)を繰り返した。数分後にステージを降り、セッションをボイコットして会場を後にした一団は、そのまま会議場を出て公園から行進してきた300人ほどと合流、会議場の外で1時間以上にもわたって熱いリレートークを行った。
一方、パネル討論の会場では、カールソン議長が硬い表情で議事を進めていた。結局、予定されていたパネリスト全員がスピーチを終えることはなく、カムドシュ委員長のフロアからのコメントへの返答と、それに続くフロアとの数分のやりとりをもって、予定よりも1時間も早くセッションは終了してしまった。議長の最後のコメントは、コンセンサスがある振りをしようとはしていない、レポートの中身は今後検討されるべき事項の項目立てとして利用すればよい、というものだった。しかし、閣僚宣言案は、カムドシュ・レポートを参照すると明言しているのである。フロアの発言を制限しておきながら1時間も早くセッションを切り上げ、しかしレポートの持つ多大な影響力は放置するというのはあまりに無責任だ。WWFも終盤を迎え、私たちが閣僚宣言の内容に影響を行使できるチャンスはほとんどない。ある種の充実感と無力感が私の中を去来している。
ステートメント
【先住民族による京都水宣言(一部抜粋)】
水との関わり
1. 私たち先住民族は、母なる地球との関係および将来世代への責任を再確認し、共に水を守るために声をあげることを目的に、全世界から集まった。私たちは、すべての生き物と水を慈しむため、それぞれが神聖な方法で、この地球の神聖なる伝統の土地・領域に生まれてきたのである。
2. 私たちは、水を、生きとし生ける物すべてを支える神聖なものとして認識し、敬い、尊敬する。私たちの伝統にもとづいた知恵、法律、風習は、すべての生き物を結びつけるこの神聖な贈り物を護る責任が私たちにあるということを教えてくれる。
3. 私たちの土地、領地、そして水との関係は、私たちの存在にとって物質面、文化面、そして精神面にわたる根元的な基盤となっている。母なる地球との関係においては、今の、そして将来世代の生存のために、水と海を保護することが求められている。そこで私たちは、水の後見人として、水の保護、入手可能性、清潔さを確保する権利と責任が私たちにあることを主張する。私たちは我々の持つ知恵と伝統的な法に従い、自決権を行使することにより、水を守り命を守るため、団結して立ち上がるのである。
水のはなし
【川辺川ダム建設中止こそ構造改革】緒方紀郎 (川辺川を守る市民の会)
「水質日本一の清流」と環境省が認定した熊本県の川辺川に、九州最大級の川辺川ダム計画が発表されて今年で36年。漁民がその計画に待ったをかけた。流域の球磨川漁協が2001年11月、国土交通省が提示した漁業補償の受け入れを否決したのだ。
ところがその後、国土交通省は強引にも、流域の漁業権の強制収用の手続きを進め、現在、熊本県収用委員会で審理が行われている。多くの漁民の財産である漁業権を強制的に取り上げようとするのなら、みんなが納得する事業の「公益性」が必要だ。ところがこのダム計画は、社会情勢の変化とともに事業目的そのものが喪失している、ムダな公共事業の典型である。
国土交通省は、洪水防止を第一に掲げるが、これまでの治水対策により、同じ雨量でも球磨川流域の洪水被害は近年、劇的に減っている。また、川辺川ダムに頼らない治水対策が十分可能という指摘が専門家からもなされている。
それどころか、「ダムの受益者」であるはずの多くの流域住民は、大雨でダムが満水になった時の放流による急激な増水を恐れ、川辺川ダム建設に反対している。また、ダムは堆砂に埋まっていき、将来の災害源となるのは明らかである。二番目の目的である農業用水についても「ダムの受益者」であるはずの多くの農民が、「高い負担金を払ってまで川辺川ダムからの水は要らない」と裁判に訴えている。
また、川辺川ダムによる水質の汚濁や流量の減少により、八代海までの環境や、アユや球磨川下りなどの漁業や観光にも致命的なダメージを与えることが懸念される。にもかかわらず、川辺川ダムは計画が古いという理由だけで環境アセスメントすら実施されていないのだ。各報道機関が行った世論調査でも、川辺川ダム建設反対が賛成を大きく上回っている。
解せないのが財務省である。国や地方の財政が危機的状態に陥っている現在、関連事業も入れると4100億円もの血税が投入されるムダな事業に、なぜ毎年巨額の予算を認め続けるのか。ムダな公共事業を切ってその財源を社会保障費などに回すことを、多くの国民が望んでいるはずである。川辺川ダム建設をきっぱりと中止してこそ構造改革である。小泉政権が姿勢を変えれば、国民の政治を見る目も大きく変わるだろう。川辺川ダムは、それを示す好例ではないのか。
★川辺川を守る県民の会ホームページアドレス http://kawabegawa.jp/
【吉野川第十堰と住民の歩み】姫野雅義 (特定非営利活動法人 吉野川みんなの会)
徳島市は吉野川河口にある人口26万の地方都市です。吉野川流域は、近世より川文化の象徴的産業である藍の集散地として栄えてきました。明治に入り、藍が没落してからも、徳島の人々は、吉野川に愛着を感じており、その思い出は人々にとって故郷の原風景となっています。この徳島市で2000年1月23日、吉野川可動堰計画の是非を問う住民投票が行われました。全国で初めて国の公共事業の是非を問うたこの住民投票は、投票者の9割が反対という結果に終わり、その後の公共事業見直しが全国で広がっていく大きなきっかけとなっていきます。
吉野川河口から15キロの所に、石と松杭で250年前の江戸時代に作られた第十堰と呼ばれる古い堰があります。可動堰計画はこの第十堰を取り壊し、新しく1.2キロ下流に巨大な鉄のゲートをもった可動堰を作ろうという、事業費1,030億円の旧建設省の直轄事業です。建設当初の目的は、治水と利水でした。しかし、実際は水が余っていたため利水目的は撤回され、治水目的の面においても250年間一度も水害をもたらしたことが無いため、当初から疑問視されていました。
可動堰計画に住民が初めて声を挙げたのは1993年9月です。立ち上がったのは、住民運動とは余り縁の無い吉野川が大好きな主婦や釣り仲間のグループ、吉野川シンポジウム実行委員会でした。私たちは住民ひとりひとりが自分の問題として議論できる環境を作りたいと思い、「反対」を主張し押し付けるデモなどを一切行わず、「疑問あり」という「問いかけ」の姿勢でやってきました。大切なことは住民が気づくことです。そのために、私たちはまず、吉野川がすばらしい自分たちの川だということを気づいてもらうためのイベントをたくさん行いました。また、すべての情報を住民に知らせようと、徹底的に建設省に食い下がり、情報公開と話し合いを求め続けました。辛抱強く科学論争を行う私たちの活動は「徳島方式」と呼ばれ、とりわけ独自に洪水の水位計算を行って可動堰がいらないことを証明できたことは大きな成果でした。このような姿勢は「第十堰住民投票の会」に受け継がれていきます。
1998年、住民投票の直接請求をした市民の数は、101,535名(選管の認定)と、当時の全市会議員選挙の獲得票数より多い数となりました。住民投票の会は、のぼりを立てたお店に行けば自由に署名できるという署名スポットを250ヶ所つくりました。しばらくすると、署名した買物客が予備の署名簿を持ち帰り署名を集めるという現象が起こり始めました。PTAの集まりでも老人会でもバス旅行でも人の集まる所では、あちこちから署名簿が回ってきます。住民投票のあと、町内では本音でしゃべれる新しいお付き合いができたり、市民にとって徳島がプライドのもてるかっこいい町になってきたと感じています。
その後、徳島市民は、10万人の市民の願いを握りつぶした市議会に対し、選挙でその構成を変え、議員提案によって住民投票を実現しました。むろん住民投票条例制定時には議院の切り崩しはすさまじく、建設省徳島工事事務所の所長が「絶対に成立しない」と断言するほどでした。しかし「住民投票実現」という一点に集まった市民の力はさらにその上を行っていたのでしょう。私たち市民は、旧建設省出身でかつて可動堰を推進した市長であっても、住民投票結果に従い可動堰反対に変わったときは、おおらかにこれを受け入れるという成熟した政治判断を示しました。その小池市長は現在市役所内に新しく「吉野川みらい21プロジェクトチーム」を設置し、可動堰以外の代替案作りを住民達と連携して進めています。
最後に、私たちが考える吉野川の将来像を2つ紹介します。まず1つは、第十堰の保全です。第十堰は石積みで水を通す伝統工法で作られており、そのため堰の周辺に鮎の産卵場も存在するという、優れた自然環境を保っています。また堰は四季折々に地域の人々が集まる憩いの場でもあります。近代ダムは新築の時が良くて後は老朽化していくのですが、逆に第十堰はだんだん成長し自然に馴染んでいく技術です。第十堰の保全は、1000年技術への転換の第一歩となるでしょう。もう1つは、豊かな森を作ることによって洪水のピーク流量を減らそうということです。手入れのされていない人工林では、雨水は一気に川に流れ込み川は急激に増水しますが、雨が早くしみこむ広葉樹林では急激な増水は起こりません。そこで、流域森林面積の65%を占める人工林を、広葉樹林や混交林にすることによって川の洪水ピーク流量下げようという「緑のダム」計画が、日本で初めて吉野川で本格的に始まっています。国から押し付けられた可動堰計画の反対に終わるのではなく、故郷の将来像を住民自身で考え作っていきたいという、住民達の新たな活動が流域全体に広がり始めようとしています。
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