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3月17日付

  • 巻頭言

    宝が池だより3
    神田 浩史(世界水フォーラム市民ネットワーク)

     とうとう戦争中毒者が事実上の戦争開始を宣告してしまいました。世界的に戦争反対の声が盛り上がる中で、一縷の望みを抱いていたのが打ち砕かれた思いです。生命の源・水についての大きな国際会議が開かれている最中に、生命を奪う戦火が切って落とされる恐 れが非常に高くなってきました。

     いてもたってもいられなくなって、事務所に戻り、キャンドル・チェーンを呼びかけました。連日、くたくたになりながらニュース を作り、ホームページを更新している事務局の皆も呼応してくれ、水フォーラム会場でもチラシで呼びかけることにしました。メールで呼びかけ始めたのが既に午後。チラシにして会場で配布し始めたのは、もう夕方になっていました。その間も、予定されて いた打ち合わせに加えて、新たに発生してくる打ち合わせなどに対処していると、あっという間に夕方になっていました。夕方からは会場からニュースに生出演。出演し終えて、会場を後にしたのが既にキャンドル・チェーン開始予定の5分前でした。

     会場を出てみて、多くの人が並んでいるのに、まず、びっくり。おまけに、次から次へとわき出すように人が増えていく。立つ位置を定めた人から、銘々が点火を始めると、国際会館前の専用道路がキャンドルで一杯になっていきました。子ども水フォーラム関係の中学生から、急遽かけつけてくださった年輩の方々まで年齢幅も広く、もちろん、国籍もまちまち。最終的には300名を超える数にまで膨れあがっていきました。

      にわか作りのちんどん屋も登場し、合唱を始めるグループありと、閑かな中ながら、銘々がそれぞれに反戦・非戦の思いを訴えた約1時間でした。この期に及んで、これほど強い、多くの人の想いが伝わる由はないのかも知れません。それでも、あらゆる平和的な手段を用いて、 生命を守る水について議論をする前に、また、議論をするためにも、生命を奪う戦争に対しNO!と訴え続けていく必要性を改めて痛感 した一日でした。
  • セッション報告

  • 「水は、人類にとって共有の文化的資産である」
    鈴木康久 (カッパ研究会)

     水と文化多様性の分科会は、京都国際会議場で16日、17日(月)の述べ2日間に渡り、延べ約1000名が参加し開催された。本分科会は、ユネスコ、フランス水アカデミー、国立民族学博物館(日本)3者のコーディネートのもと、「水と文化多様性・オープニング」、「水の文化・知識から行動へ」、「文化財を守る水の文化」、「世界の先住民族:水の精霊世界」、「水と地域:生活の中の水」、「失われた権利:水利用の伝統」の6つのセッションで構成されており、約30カ国から56の報告がなされた。

    「環境や水の分野には、世界に発信できるものが日本にまだ残っている」との安藤忠雄氏の基調講演で始まった分科会では、ニュージーランドの先住民族であるマオリ族の代表が「自己紹介をするときに名前を言わないで、川や湖の名前を伝えることがある。川や湖は部族の命であり、水とは精神的につながっている」との発言が会場の共感を呼んだ。また、ラマサール条約に関するスペインの報告者からは「水には、技術、神、食などに関わる文化があり、口から口へと伝えられている。これらの文化を失うことは、地域のアイデンティティーを失うことになる」との発言があった。同様の趣旨で「水が社会文化の主体であり、客体であり、表現の源になっている」との報告が、コンゴの先住民族や、日本、ベトナムなどからあり、人が生きる上での水文化(水の知恵)の重要性が確認された。

     これらの水文化をどのような行動につなげていくかについては、多くの国からコミュニティに応じた対応を行うことが重要であるとの発言があり、フランスから文化教育や環境教育として様々なプログラムが行われている事例について説明があった。私事だが個人に関わるカッパ研究会でも地域独自の水文化を知ってもらうことが重要と考え「もっと知りたい! 水の都 京都」(人文書院)を発刊している。

     最後のまとめとして「水資源の管理・開発の基本は文化である。決して貿易に関連する議論だけでは、すまされる問題ではない。また、持続可能な開発は経済・環境・社会の3つの要素から構成されているが、その地盤は文化であり、その土壌は倫理である」との言葉で締めくくられた。

     なお、本分科会は、先住民族をテーマにしたセッションを持つ唯一の分科会であり、各国の先住民族から多くの報告があり、参加者の共感を生んだことが次回につながる何かを期待させてくれたことも忘れてはならない。本分科会で議論された結果が、千年の文化の都であった京都で採択される閣僚宣言にどのような形で示されるのか楽しみなところである。

    「大型ダムについての議論」(主催:国際河川ネットワーク(IRN)、FoE Japan)
    大庭まり子(世界水フォーラム市民ネットワーク)

     250名収容の会場は、立ち見がでるほど熱気があふれていた。ダム反対派としてIRNのパトリック氏、サンロケダム問題に地元で取り組むジョアン氏が、推進派として2名がプレゼンテーションを行ったあと、ブラックジョークを交えながらの質疑応答。時間を延長せざるを得ないほど多くの人が主張を展開した。

      大型ダムに反対するNGOの主催する分科会でありながら、聴衆の過半数がダム建設に関わってきた各国の水関連の省庁や公団、研究者などであることは、質問や異議がパトリック氏に集中したことや、会場内でしばしばわき起こる推進派への拍手の大きさなどから明らかだった。 移転住民の数や水質悪化などデータの根拠が不明といった意見や、地球温暖化効果ガスの算定方法についてなど技術的な議論もあった。大型ダム建設による環境や社会への負荷についても、受益地などを含めて流域全体でコストをみれば、プラスであると推進派。また、移転者は数ではなく、どれだけ十分な補償が行われたかで考えるべきであるとの意見もあった。

     これに対し、ダム反対派からの一度失った環境、社会は二度と取り戻せないというコストはどう考えるのか、という主張にも拍手がわいた。特に難しい問題だとされたのは、「説明責任(accountability)」「参加(participation)」という点についてであった。パトリック氏はトルコのアルトヴィン・ダム建設に際して、トルコ語の話せないクルド人は計画に際して黙殺され、そもそも紛争地帯であったために主張することもできずに土地から追いだされた、と主張。それに対し、「次はトルコの方でない人を」と言ってファシリテーターが笑いをとるほど多く参加していたトルコのダム建設の関係者からは、クルド人などそもそもいない、あなたは実際に現場に行ったことがあるのか、その地域は水力発電のおかげで経済発展することができたのだと口調をあわせた。

     パトリック氏は、住民は日常苦しめられていてダムで利益を得た人々のように国際会議に集まることはできないから、代わりに参加して代弁するのがNGOなのだと彼らに反駁した。 世界ダム委員会(WCD)の報告書にあるような、住民の合意の必要性や大型ダムの環境や社会へのインパクトについては、皆が合意しているようであった。また、人口増加の中で水資源、電力の需要が伸びていることも事実として認識されている。「No Dam, No Cost」ではなく、「Some Dam, Some Cost」つまり、ダムの全てが良いとか悪いという議論ではない、ということである。しかし、環境負荷の少ないダム建設については議論がほとんどかわされず、これからの課題として残った。

      推進派は、「ダムで自分達は恩恵を受けているではないか?ダムの代わりに何をするのか?ダムを造らなければ貧困をどうやって解決するのか」と主張する。それに対し「ダムでなくても解決可能である」とパトリック氏。例として紹介されたインドのマイクロ電力プロジェクトでは、雨水を利用しての電力、潅漑用水の供給に成功しており、そのコストはダム建設の360分の1のコストであるという。コミュニティレベルでの小規模・分散型での成功例には、だれも文句が言えないだろう。実際にプロジェクトに関わる民族衣装を纏ったインドの方が紹介されて立たれたときの誇らしい笑顔は、大型ダムの賛否を巡る議論の中でもとりわけ印象的であった。世界を飛び回る会議参加者の机上とも言える議論の中で、ローカルで代替技術を実践している方の力強さをあらためて感じた。

    先住民の水に対するビジョンと権利:より良い水管理への新しい手法
    (3月17日14:00−17:00 京都国際会館 Room B1)/ 森川まり

     「水と文化多様性」の分科会第6セッションとして行なわれたこのセッションでは、水に関する問題に対し持続的な解決策を見つけるため、さまざまな民族が育んできた多様な水との関わり、また水と人との文化的、感情的、精神的相互関係を理解することが不可欠であると言う前提に基づき、世界各地の先住民の人々、各分野の専門家からそれぞれの経験をもとにした発表、ディスカッションが行われた。
     参加者間の対話、意見交換を通じて、今後の水資源管理・開発の戦略、またアクションプランに文化的側面を反映させ、水問題における文化多様性際の大切さ、そしてそれぞれの文化で歴史的に培われてきた水資源管理の手法に対する理解を深めることが、この一連の分科会の目標である。

     この第6セッションでは、7人の先住民族の代表者が、それぞれの地域で抱える問題とそれに対する取り組みについて発表を行い、それに続いて参加者との質疑応答が行われた。まずエクアドルのイザ氏は、アンデス文化が水に対して抱いている畏敬の念、そしてそれに基づく持続的水資源管理の手法を紹介した後、森林伐採等により先住民族の土地に対する権利が剥奪された結果、たくさんの先住民が汚染されていない飲み水のアクセスを失ってしまった現状に言及した。
     続いてボリビアからのソロン氏が、現時点ではこの水フォーラムの閣僚宣言の草稿に「先住民」と言う言葉が入っていないことに触れ、先住民がこれまで水に関するさまざまな決定に際して、常に事後報告しか受けてこなかったことを指摘した。それを受けてボリビアのブタマンテ氏は、このような現状に立ち向かうため発足させたWALIR (Water Laws, Water Policy、Indigenous Water Rights) という団体の取り組みについての説明を行い、先住民のシステムを見直し、立法府に働きかけると言う前向きな取り組みの事例を挙げ、先住民のエンパワーメントを呼びかけた。 エクアドルのパウリネール氏により、先住民にも「平等」な権利が認められるべきであるが、また同時に、先住民の文化感の「違い」をもまた認められるべきであると言う指摘がなされた。ニジェールのアグカト氏は、先進諸国が水の無駄遣いを続ける中で、先住民である遊牧民は深刻な水不足・飢餓に直面していると言う発表を行った。クムバネ氏は、先住民の権利、民主主義の復活と、法的には先住民の立場が認められるようになったにもかかわらず、長期間の搾取による住民の無気力感、無力感により、先住民がその権利を施行できていない南アフリカの現状を報告した。最後にグアテマラからのノラト氏は、マヤの人々の知恵により、西欧文明流入後500年にわたり、グアテマラの森林が守られてきたこと、そして先住民の声が、徐々に自然資源管理に反映されてきていると言うポジティブなコメントで、最後の発表をまとめた。

     何人もの先住民代表が、水の民営化への危惧をあらわにした。民族、そして文化の多様性と、民営化という多国籍企業による画一的な管理方法は、まったく相容れないものであると言うのが、会場の一致した意見であった。また、全体として、先住民主体のアプローチの成功例よりも、先住民の抱える問題点の指摘が大部分を占めていたように感じられる。先住民の知恵を生かすべきであるということ、もしくはどう生かせるかと言うことまでわかっていても、実現に至っていない、また実行できる基盤が無いというフラストレーションが顕著になったセッションであった。

    分科会:水と気候変動 クロージングに参加して

    〜気候変動問題・先進国の責任は重い〜
    平岡俊一(気候ネットワーク・地域温暖化防止研究会コーディネーター)

     17日夕、分科会「水と気候変動」のクロージングが行われた。ここでは、2日間にわたる分科会での議論が報告され、それらを総括する形で閣僚級会合に対する声明が採択された。各分科会からは主に「気候変動が要因になって、ここ数年、嵐、洪水、渇水など水に関する異常現象を頻発していることは間違いない、その影響を真っ先に受けているのは途上国である」といった報告がなされた。

     この問題に対処するために、国や専門分野を超えた幅広い横断的な協力体制、観測システム、水資源需要管理システムの構築の必要性が指摘された。また、気候変動によって起こる災害に対して、復旧に力を入れることも大事だが、災害自体を予防する取り組みの重要性も非常に大きい、といった報告もなされた。
     気候変動による被害を受けつつある現場の声として、小島嶼国の分科会からは、既に渇水、高潮、洪水等の被害を受けていること、それらの問題が国際的にまだ十分理解されていないこと、などが述べられ、小島嶼国にとっては非常に緊急性の高い問題であるとして、昨日の分科会において太平洋・カリブ海地域の小島嶼国の合同行動計画に関する覚書が交わされたことが報告された。さらに今後、この計画にもとづいた取り組みを進めていくためには、先進国をはじめとする国際的な支援が不可欠であることが指摘された。

      今回数多くの分科会が設けられ報告の数も非常に多かったが、それらを聞くと、各分科会で議論された内容、出された結論には、共通する部分が非常に多いという印象を受けた。具体的には、前述したような事項以外にも、地域レベルでのコミュニティによる取り組みの重要性、地域の取り組みを国レベルでの取り組みに反映させていくための市民、NGO、企業等の多様な主体の参加と、参加を確保するための教育、普及啓発の重要性、といったものである。
      そういった一連の報告の中で印象的だったのは、「気候変動問題は先進国にとって、過去の植民地や奴隷制の問題をも超えうるほどの大きな課題、未来への問いかけとなっている。今だこの問題に取り組むのを拒否しようとしている先進国の指導者もいるが、それは決して許されうるものではない」という指摘である。その他の報告者からも、何よりも気候変動自体を防止するための取り組みを今すぐ始めることが大事である、気候変動問題は市民一人ひとりの問題として捉えなければならない、など気候変動を防止するための取り組みの重要性を指摘する声が多く挙げられた。
      一連の報告の後、分科会の総括が行われ、今回の議論が水と気候変動に関する取り組みの第一歩であり、今後、水と気候変動を結びつけながら、大規模な資源を投入しつつ取り組んでいく必要性がある、と締めくくられ分科会は幕を閉じた。

     分科会の中で報告者からは、議論の時間が少なすぎた、参加者が少ない、などといった分科会自体に関する課題が指摘された。確かに、会場の参加者はそれほど多くなく、また一般の市民、NGO関係者と思われる参加者がほとんどいなかったことが非常に気になった。このクロージング分科会に参加して、一刻も早く実効性のある対策を行う必要性を痛感した。そして、その取り組みにおいては、報告でも多く指摘されていたが、地域・コミュニティ主導による取り組み、市民・NGOをはじめとする幅広い主体の参加、が不可欠であることを再確認することができた。分科会でのこれらの報告と「水と気候変動」声明(案)にある「予防原則」の必要性に照らしてみると、気候変動問題と水問題の解決にむけた政策の統合や、「京都議定書」を一層強化した温暖化対策の促進が不可欠であると言える。

  • NGOからのメッセージ

    洪水と干ばつを生きる人々〜私たちとの関わりを考える〜
    船田クラーセンさやか (モザンビーク支援ネットワーク)


  •  モザンビークはアフリカ南東部にある縦に長い国です。人口は約1800万人で、そのうち安全な水にアクセスできるのは人口の約30%と言われています。地域によって異なりますが、農村では70 %〜96%の人が安全な水にアクセスできていないというのが現状です。 モザンビークでは、生活に必要な水は女性が汲みにいきます。水を得るために、2日間歩くことも あります。女性たちは、干ばつについて次のように語っています。「雨が降らなければ、土地は耕せません。土地を耕せないと食べるものがなくなります。あなたなら食べずにどうやって眠ります か?食べさせることができないと子供たちは飢えるしかないのです。」そして、残された子供たちは、木の幹に溜まった水を吸ったりしながら水分を補給します。男性たちも、埋めた木を掘り起こ し、その下に蓄えた水を飲んで一時の渇きを癒します。そして、ようやく女性が家にバケツいっぱいの水を持って帰り、家族の渇きは癒されます。 私がモザンビークに行った94年の頃は、内戦の傷跡もあって人々はみんな本当に硬い表情でした。しかし99年に行ってみると、人々の表情は大きく変わっていました。お母さんたちも「子供たちを 学校に行かせるのだ」という話をイキイキとするようになっていました。
    しかしその数ヵ月後、翌年の2000年にモザンビークでは史上最悪の大洪水が発生し、200万人近くの人々が被災しました。 サイクロン「エリーン」が南部アフリカ全体(つまり、モザンビークに流れ込む河川の上流域)に集中豪雨をもたらし、その結果河川があふれ、川はまるで海のような状態になってしまいました。 ふつう、雨季の次は乾季がくるのですが、この年は一年中しめっぽくて農作業も出来ない状態が続きました。 この大洪水はどうして発生したのか、いつも起こることではないのか?単なる「自然災害」で、そ の地域の特徴ではないのか?という質問をよく受けます。確かにモザンビークは、歴史的に見ても、洪水や干ばつに遭遇してきました。しかし、今までは何十年に1度の割合でしか起きませんでした。しかし、ここ30年は別です。頻繁にしかも、大規模に起きるようになりました。

     この洪水が大洪水となった原因には、北に住む私たち自身の生活、特に地球温暖化が関係しています。 その大きな要因のひとつがエル・ニーニョとラ・ニーニャという現象です。エル・ニーニョとは、太平洋赤道直下で異様に海面が暖かくなる現象です。これが起きるとアフリカでは干ばつが起きます。 もう一つはラ・ニーニャです。ラ・ニーニャは反対に海面が冷たくなる現象の影響で、雨が降ります。
     1997年半ばから1998年半ば、強いエル・ニーニョ現象がおきましたが、98年半ばには逆に強いラ・ニーニャ現象に突然変わり、2000年の通常以上の降雨量につながったのでは、といわれています。次にサイクロンがあります。サイクロンはインド洋で発生し、マダガスカルに向け西に移動します。 通常は、海を北上することで次第に勢力が弱まり消滅するのですが、2000年はラ・ニーニャの影響で 西に直進しました。その結果、南部アフリカに直撃したのです。また、通常は弱まるサイクロンの勢力は、このときはどんどん強くなっていきました。近年モザンビークでは開発がどんどん進んでいます。人々はてっとり早く現金を手にいれることの できる木材の伐採を始めました。その結果、原生林がどんどん切られ、禿地が目立つようになりました。

     木材の伐採によって、大地に保水力がなくなっていたこと、温暖化など環境破壊がもたらしたさ まざまな悪条件が重なっておきたのがモザンビークの2000年の大洪水だったのです。それはまた同じような規模の洪水が起こる可能性が低くないということも現しています。