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■■ 内田誠のニュース&コラム「遠きより」
■■ 2005/08/13【024号】
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《第二十四号発行にあたって》
日付が変わって13日になってしまいましたが、8月12日に書いておかなけ
ればならない記事を配信します。少し長いので、とりあえず(上)として前半を
今日配信し、(下)は少し後にお届けとなります。
日航ジャンボ機御巣鷹山墜落事故の事故原因を巡る議論は、87年6月に提出
された運輸省(当時)の事故調査委員会による報告書以降、公式には進展があり
ませんでしたが、最近、画期的な書物が上梓されました。米田憲司『御巣鷹の謎
を追う』(宝島社)です。20年間の取材の蓄積を示す本文の内容もさることなが
ら、ボイスレコーダーの音声などを収めたDVDだけでも価値のある出版物です。
とりわけ事故原因について疑いを持つことの無かった多くの人々にとって、この
本を読めば、問題の重要さに戦慄を覚えることでしょう。私はこの本の宣伝も営
業も担当してはいませんが(笑)、絶対にお薦めできる一冊です。
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《御巣鷹二十年目の夏に(上)》
520人の犠牲者を出した日航ジャンボ機御巣鷹山墜落事故からちょうど20
年。その間、1985年8月12日という日付は、ずっと私の脳裏から離れなか
った。この日に日本の空で起こった禍々しい出来事の正体はなんだったのか。私
には未だに納得のいく答えが得られていない。
■ニュース速報
羽田から大阪に向かう日航123便がレーダーから消えたという第一報に接し
たのは、その日の午後7時半くらいだったか。アルバイトから帰宅してテレビを
つけると、既にその速報が繰り返し伝えられていたと記憶している。当時私は、
大学院に籍を置きながら、10月から始まるテレビ朝日の新しい報道番組(「ニュ
ース・ステーション」)の公募リポーターの一人として採用が決まる直前だった。
その私が「日航ジャンボ機行方不明」と知って最初にしたことは、当時日本航空
でB747の副操縦士として勤務していた兄が事故機に乗務していないか、確認
することだった。電話をかけると、兄は不在だったが義姉が無事を知らせてくれ
た。私が「遺族」となる可能性は無くなったが、やがて取材者として向き合うこ
とになるこの事故の被害規模の大きさにたじろぎ、一晩中テレビにかじりついて
いた。(事故機の高濱機長は、兄が副操縦士に昇格するにあたって訓練を担当した
教官であり、先輩パイロットだったとあとで聞かされた。)
■事故原因を巡って
ニュースステーションの第一回放送は85年10月7日に予定され、御巣鷹事
故の段階ではまだ二ヶ月という時間があった。しかし、やがてリポーターとして
採用が決まった私には、最初の仕事として別のテーマが与えられたこともあり、
当初の取材は担当していない。番組がスタートした後、10月末頃から慰霊祭な
ど、遺族に対する取材が始まった。そして、事故の実相に触れて行くにつれ、ど
うしても取材したいと思うことが浮き上がってきた。事故原因に関する取材が始
まったのは、87年になってからだった。
当時も今も、御巣鷹事故の原因は「修理ミスによる圧力隔壁の破断」だと信じ
ている人が多いだろう。事故機体は墜落の9年前に「しりもち事故」を起こし、
隔壁の修理が必要な状態となった。ところが、ボーイングのチームが規定に反し
た方法で修理を行ったために強度不足となり、事故当日、飛行中に上空で破断。
機体客室内の空気が一気に圧力隔壁後方に吹き出し、そのために垂直尾翼の一部
と油圧系統の総てを破壊し、操縦不能に陥って墜落したというストーリーだ。最
終的に事故調査委員会が採用することになったこの「隔壁説」の原型は、かなり
早い時期からマスコミを通じて匂わされていたのだ。
■パイロットたちの異論
しかし、私の兄を含むほとんどのパイロットたちは、この考え方を信用してい
なかった。その理由は、操縦室内の会話を記録したコクピット・ボイス・リコー
ダー(CVR)や生存者の証言など、あらゆるデータを総合したとき、機内に「急
減圧」が起こっていないと考えられたからだった。「隔壁説」が正しければ、その
とき、機内は「急減圧」の状態となり、客室内には後方に向けて凄まじい突風が
吹き抜けていなければならないのだが、そのような証拠はデータのなかには存在
せず、逆に、突風を否定する生存者の証言があるほどだ。事故機のクルーも最後
まで酸素マスクをつけずに必死の操縦を試みており、急減圧はあり得ない、つま
り隔壁の破断が原因ではないというのが同僚パイロットたちの共通見解だった。
■「突っ込み」
しかし、こうした「現場の声」に当時の「運輸省事故調査委員会」には一切耳
を傾けず、無視した格好だった。黙っていられなくなった現役の操縦士たちは事
故原因の追及を自分たちで始めようとしていた。私はそうした動向を報道すべき
だと考え、取材が実現することになった。パイロットたちに対する取材は順調に
進んだが、運輸省事故調査委員会に対する取材は完全に拒否され、やむなく、武
田峻委員長の自宅を早朝に訪ねることとなった。迎えのハイヤーに乗り込むとこ
ろにマイクを向けようということだった。この、いわゆる「突っ込み」とか「ぶ
ら下がり」といわれるインタビューは成功したのだが、この取材とその後の放送
に対してどのような反応が返ってくるのか、そのときには想像もついていなかっ
た。そして、「隔壁説に異議あり!」と題した特集を放送した直後、私たちはリー
クというものの本質と威力を見せつけられることとなる。(続く)
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■編集後記
二十三号に含まれていた間違いを昨日配信した「訂正号」で訂正しました
がホームページに掲載するバックナンバーについては、誤解が拡がるのを防
ぐために、二十三号の文言そのものを修正することにしました。「間違い」の
跡をトレースしたい方は、恐縮ですが、発行元の「まぐまぐ」の紹介欄から
「遠きより」のバックナンバーを開いてみてください。
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