《第五号発刊にあたって》
かなり間隔があいてしまい、申し訳ありませんでした。書かなければならないこと
が山のように溜まってしまいました。前回の「プリウス論」の続きと「狂牛病九頭目」
についてはお休みし、今回と次回は単発でお届けします。
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■地図にない道
▼「信じたらダメだよ」
取材で人の家や建物を訪ね歩くことは多いが、なかなか目指す場所が見付からない
ときがある。そんなとき、クリーニング屋さんが頼りになる。たいていゼンリンの詳
細な住宅地図を見せてもらえるからだ。今はあまり「配達」のイメージは強くないが、
それでも配達をしていた頃の名残なのだろう、必ずと言っていいくらいゼンリンの地
図を備えている。ありがたいことに、来意を告げるとすぐに住宅地図を拡げてくれ、
あるいは親切に探してくれたりする。これには何回も助けられた。同じ理由で、酒屋
さん、米屋さん、最近ではコンビニも頼りになる。
三年ほど前のことだ。介護保険をテーマにしたテレビ番組の取材のため、ある一帯
を動き回ることがあった。市販の道路地図を頼りに、移動の手段にはレンタカーを借
りていた。昼過ぎまでに何カ所かの取材を終え、時間が余っていたのだと思う。一ヶ
所、行ってみたいところが残っていた。地図上に記された一つの名称が気になってい
たのだ。いかにも「福祉施設」風の名前だが、なんの施設なのだろう。ひょっとした
ら企業の保養所かもしれないなあ、などと考えをめぐらせもしたが、とりあえず、行
ってみることにした。しかし、何故か、持っていた地図には町からその施設に向かう
道が記されていない。あいにく、近くにはクリーニング店もコンビニも見あたらず、
代わりに目に入ってきたのは地元のタクシー会社だった。当然、周辺の地理には滅法
詳しいはず。地図上に記されたその名前を出して、道を尋ねた。応対してくれたドラ
イバーらしき中年男性は、その名前を聞くなりちょっと怪訝そうな顔をして、しかし、
丁寧に道順を教えてくれた。丁重に礼を言い、クルマに戻ろうとしたそのとき、男性
がこんなことを言った。
「信じたらダメだよ」。
えっ?と聞き返したが、男性はニヤニヤしながらそのまま事務所の奥に戻ってしま
った。道順を教えておいて「信じるな」というのはどういうことなのか。迷いやすい
道だということなのか、いや、それにしても「信じ」なければ道を走ることなどでき
ない。これではまるで禅問答だ。それこそ狐に摘まれたような気持ちでクルマに戻り、
「まあいいや、この地方のお国言葉を聞きとれなかったのだろう」と自分を納得させ、
その言葉は忘却の淵に沈めることにした。
道は決して険しくはなかった。細い農道をたどって小さな山をいくつか回り込み、
やがて山の中に入った。しばらく行くと、突然、目の前が開けた。どこか懐かしい雰
囲気を湛えた小さな村のようだった。だが、「村」には静けさが漂っていた。まだ陽も
高い時間帯だというのに人通りがない。どんどん中に進んでいくと、中央に診療所の
ような建物があり、周りに「県営住宅」風の長屋が建ち並んでいる。グルッと一周し
てみると、この小さな「村」の中に寺と教会が一つずつあった。営業車らしいクルマ
が一台動いていたのでここがどこなのか尋ねようとしたが、サッと横をすり抜けられ、
声を掛けそびれてしまった。他には人の往来もない。再び診療所のような建物の前ま
でやってきてクルマを降りると、何かが壁に書き付けてある。そして、そこに掲げら
れた文章の中に、「村」の由来がやや抽象的な文言で書かれていた。私は不明を恥じた。
この「村」こそ、ハンセン病の患者さんたちが長年閉じこめられてきた国立ハンセン
病療養所の一つだった。
▼警句の意味
レンタカーでの闖入者に対して、「村人」たちは意図を計りかね、息を潜めるよう
にしていたのだろうか。いや、そんな解釈は勝手な思いこみではないか。たまたま誰
も出ていなかっただけかもしれないのだ。だが、とにかく、私が「村」の中にいた3
0分くらいの間、誰とも出会うことはなかった。いずれにせよ、そのときの私はハン
セン病を取材しに来たわけでもなく、また、元患者さんたちの住まいでもある療養所
にいきなりの訪問というのも憚られたから、やがて引き揚げることにした。
「村」を離れ、再びタクシー会社の前を通って町に戻る途中だった。町と「村」を
往復し、その距離感をぼんやり頭に浮かべたとき、道を教えてくれた人が最後に放っ
た、あの「信じるな」という警句の意味が、突如として胸に迫ってきた。「なんていう
ことだ!」という言葉が思わず口をついて出た。彼が「信じるな」と言ったのは、「ハ
ンセン病の元患者からは感染しない」ということについてだったのではないか。彼は
「ハンセン病に気を付けろ」「危ないぞ」と言いたかったのではないか。既に「らい予
防法」は廃止されていたし、「ハンセン病は感染力が極めて弱い」ことや「元患者さん
たちは完治している」ことなどが様々な機会に報じられていたのに、彼はそれを「信
じるな」と言っていたのではないか。いや、そこがどんな人たちが住む村なのか知り
もせず訪問しようとしている目の前の男に対して、軽い冗談を言うつもりだったのか
もしれない。だが、その残酷な「冗談」の奥底には、ハンセン病とその患者・元患者
の人々を恐れる感情がとぐろを巻いている。大勢の人が今もハンセン病とその元患者
さんたちを恐れていて、患者の隔離を正当化してきた「らい予防法」は否定されてい
ても、「隔離」そのものは続いているのではないか。私は暗澹たる気持ちになった。
▼控訴断念
構造改革を掲げ、「自民党をぶっ潰す」と言って小泉内閣が誕生した二〇〇一年春、
小泉の人気を一段と高める役割を果たしたのが、「ハンセン病国賠熊本訴訟」の控訴断
念劇だった。ずっと明言を避けてきた小泉は、「なんとか控訴を断念してくれないだろ
うか」という国民の気持ちが頂点に達したそのとき、絶妙のタイミングで口を開いた。
「今回の判決を重く受け止め、極めて異例の判断ですが、政府声明を出して控訴を行
わないことに決定しました。ハンセン病問題の早期かつ全面的な解決を図りたいと思
いました。控訴を断念します」と述べ、国による隔離政策と社会的差別・偏見につい
ては、「患者・元患者が強いられてきた苦痛と苦難に対し、政府として深く反省し、率
直におわび申し上げるとともに、多くの苦しみと無念の中で亡くなられた方々に哀悼
の念をささげる」とまで述べた。そして、差別や偏見と果敢に闘ってきた元患者さん
たちが官邸で総理に面会し、カメラの前で握手した。元患者さんたちの涙は、非人道
的な隔離政策と非科学的な差別があまりに長く続いてきたことへの無念の涙であり、
同時に、政府の最高責任者の口から謝罪の言葉が伝えられたことに象徴された勝利の
涙だった。しかし、あの控訴断念から二年半、社会的な差別がなくなったわけではな
かった。
▼「ハンセン病元患者宿泊拒否の宿」
熊本県が予約していたハンセン病元患者さんたちの宿泊を、「ほかの宿泊客に迷惑
がかかる」として県内のホテルが拒否したことは、社会的な偏見・差別が未だに解消
されていないことをあらためて示したものだろう。
今回、宿泊を拒否した「アイレディース宮殿黒川温泉ホテル」は、化粧品販売を中
心としたアイスターが経営するホテルだった。アイスターは、化粧品販売や旅行代理
店、警備会社などの他、学校経営にも手を出している。しかも政党(女性党)や宗教
団体(和豊帯の会)の事実上のバックにもなっているようで、かなり特異な会社だ。
私もアイレディースという名については「どこかで見たような」気がしていたが、当
のアイスターのホームページを見て、記憶とつながった。マルチ商法まがいの化粧品
販売や、グループの中心にいる西山栄一氏の「教祖」的なポジションなど、単なる企
業集団とは異なるグループの姿からは、今も怪しい匂いがぷんぷんしてくる。
しかし、アイスターグループのこの怪しさが、今回の「宿泊拒否」に直結したと考
えることはできないような気がする。「アイレディース宮殿黒川温泉ホテル」の総支配
人で、刑事告発を受けた前田篤子氏は当初、「社会一般でですね、(元患者を)100%
の人が受け入れ体制になっていない時点で、私どものホテルとしては、受け入れるこ
とはできませんというふうな経緯になったわけです」などと発言していた。「宿泊拒否」
を撤回するよう熊本県から再三の説得を受けた後でも、「本音を公の場にした時に『た
いへんな問題になりますよ』とか、そういう脅しのような圧力をかけられるそういう
世の中というのは、私は間違っていると思いますし、現段階で圧力に屈して、考え方
をかえて、(元患者を)即受け入れるかというと、そういうことはしません」と開き直
っていた。もちろん、前田氏をここまで頑なにさせたのは、「教祖」である西山栄一氏
であったかもしれないが、自分の発言が公表されることを前提に語っているこの中身
は、前田氏自身が信じていることに他ならないだろう。前田氏は、ハンセン病患者を
受け入れたときに生じかねない、他の客の拒否反応を恐れたのだろうと思う。
前田氏とホテルが元患者さんたちを差別したことは間違いないが、その背景にある
のはアイスターの「怪しさ」だけでなく、おそらくはもっと広範な差別の感情だろう
と思われる。県と地方法務局が刑事告発を行ったことが、差別解消の方向に作用する
よう、期待したい。
その意味では、熊本県が「飲食や理容、美容、旅館、公衆浴場など十一業種の生活
衛生同業組合に対し、ハンセン病を正しく理解し、人権侵害問題が繰り返されないよ
う組合員へ周知徹底することを要請した」(熊本日日新聞より)のは適切な対応だった。
やはり国立ハンセン病療養所を持つ広島県などで、同様の対応が拡がっている。
▼ハンセン病を知るために。
差別の最大の原因は、ハンセン病についての無知に他ならない。その無知を啓くの
は私の任ではないので、以下のサイトを参考に。(他にもたくさんある)
モグネット http://www.mognet.org/hansen/index.html
yahoo「ハンセン病人権問題」http://dailynews.yahoo.co.jp/fc/domestic/leprosy/
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■
編集後記
正直な話、ハンセン病については私自身、知らないことだらけです。世界的には、
ビルマ(ミャンマー)などで今も新規の患者が増えている病気のようですが、日本で
は年間10例ほど。それも、遙か過去に感染していた高齢者が、免疫が落ちた結果発
病しているだけで、軽快した患者さんから新たに感染することはありません。病原体
は感染力の著しく弱い菌で、日常的に患者さんと接していた療養所の職員の中でも、
感染した人は一人もいないのです。「隔離」が如何に馬鹿げたことであったか、明らか
です。
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『狂牛病は終わらない』(旬報社) 2003/10/1刊
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*三つ目のbk1では、表紙カバーの映像を見ることができます。背広を着た牛のキ
ャラクターが描かれていますが、これは気鋭の若手デザイナー、坂野公一氏に委嘱
して創ってもらったものです。是非、ご覧になって下さい。
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