ショートショート      「台風に好かれた女」



ポーン
「只今、乱気流に突入しました。しばらく揺れが続くと思われますので、シートベルトを再度ご確認ください。」
 爽やかなスチュワーデスのアナウンスがあった。しかし、先程から飛行機は小刻みな揺れを続け、機内にはちょっと重苦しい緊張感が漂っていた。

 尚子は8時ちょうどの羽田発岡山行きのJAL定期便に乗っていた。仕事の関係で急に岡山まで資料を受け取りに行くことになったが、今日中に東京に戻らなくてはならない忙しない道行である。

 林尚子、27才。今、FM放送局のパーソナリティとして大活躍している。
 尚子は、学生時代、生まれ育った長野県で「ミスアップル」に選ばれたこともあり、道を歩いていても誰もが振り返るような整った顔立ちをしている。しかも甘くささやくような声に魅了される者が多く、最近「尚子ファンクラブ(NFC)」も結成された売れっ子パーソナリティである。

 それにしても、6月というのに、季節外れの台風が九州に近づいて来たため、その影響で飛行機はこの揺れである。
 ── 空港閉鎖にならなければいいけど・・・と尚子は気掛かりだった。
 羽田での見通しでは、何とか着陸できそうだった。しかし、いざ飛行機に乗ってみると、予想以上の揺れである。細かい揺れの合間に、突然大きな揺れが混ざると不安感は一層膨れ上がってくる。
 今、飛行機はちょうど台風に向かって飛んでいる。
 奄美大島沖を北上している台風の暴風雨圏が岡山空港にかかる前に着陸してしまえば何とかなるだろう、帰りは新幹線でもいいと考えていた。祈るような気持ちで眼下に広がる厚い雲を見つめていた。

 ポーン、今度は機長のアナウンスが始まった。
 「間もなく、岡山空港への着陸体制に入ります。現地は、多少雨が降っておりますが、現在のところ着陸に支障はありません。予定通り到着する見込みです。」
 ── よかったわ
 尚子は何とかこの強行な仕事の見通しが付いたのでホットした。

 そして、飛行機は予定通り岡山空港に着陸した。

 タクシーで市内に向かい、仕事先に着くと、直ぐに資料を受け取ることができた。後は、東京に戻るだけだ。
 尚子が時計を見ると、午前11時30分であった。まだ、余裕があったので、何処かで食事をしてから東京に戻ろうと思った。帰りの飛行機は予約していない。新幹線ならいつでも乗れるから・・・。

 果たして、食事を終わるころになると、外の風景は一変していた。
 食堂を出ようとすると、大粒の雨が入口のガラスドアを叩き、外では街路樹の葉が強い風に引きちぎられそうに唸っていた。
 時間は12時50分である。

 急に進行速度を増した台風は、この1時間程の食事の間に、岡山地方をその暴風雨圈に巻き込もうとしていた。この風雨はどんどん強くなってくる。
 尚子は呆然とした。これほど急に台風が近づいてくるとは思ってもいなかった。こんなことなら、食事は後にして、とんぼ返りで新幹線に向かっていればよかった、と思ったがすでに後の祭りである。
 まるで、台風に狙われているようである。

 その時、レストランの入口にタクシーがそっと横付けした。運転手は女性だった。尚子が見つめていると、その運転手と目があった。軽く会釈する彼女。
 ── そうだわ、とにかく、駅まで行ってみよう。
と、尚子は気を取り直した。誰が呼んだでもなさそうなので、そのタクシーに駆け寄った。

 すると、まるで尚子を待っていたようにドアが開いた。
「岡山駅まででよろしいですね。まだ、きっと間に合います。」とその運転手が言った。
 尚子は一瞬、どういうことかな、と思ったが、きっと新幹線を利用する普通の旅行者に見えたのだろう、と考えた。

 運転手は、穏やかな口ぶりであった。外は激しい雨や風だったが、その声を聞くと何だかとても落ち付けるような気持ちになった。
 「東京まで帰りたいのですが、うまく新幹線に乗れるでしょうか。」
 「大丈夫です。今ならまだ間に合います。」
 やけに自信ありげな、その運転手の声に、尚子はまたちょっととまどったが、今は藁をもつかむ思いである。
 「それでは、駅まで急いでお願いします。」
 「はい、かしこまりました。」

 車は、静かに発進した。外の街路樹は強風で激しく揺さぶられている。道路には跳ねた雨が白く渦巻いている。
 しかし、何故かこのタクシーの周りだけ静かに思えるのは気のせいだろうか。
 確かにワイパーが激しく動いている。そして辛うじて視界を確保している。でも、ワイパーは何となく軽やかに動いているように思える。
 そして、車の天井を激しく叩く雨粒の音がする。でも、道路や町並みを叩く雨粒より遠慮がちに聞こえる。
 騒がしく梢がゴーゴーと叫ぶ音も、車の中では囁きにも聞こえる。
 尚子は、ちょっと不思議な気分がした。

 「少し、雨足が弱まったのかしら。」
 「いいえ、本番はこれからですよ。ほら、あそこで街路樹が倒れています。」
 前の方を、目をこらしてみると生々しい傷痕を残して、ポプラ並木の1本が中程からボキリと折れているのが見えた。
 「本当、すごいわ。新幹線が動いているといいのだけど。」
 「ちゃんとお送りしますから、大丈夫です。」
運転手は優しく答えた。

 20分も走ると、駅に着いた。尚子は車を下りると、駅の入口に飛び込んだ。そして、何気なく後ろを振り返えった。先程のタクシーが発進するところだった。タクシーについているマークを見ると「NFC」と読めた。タクシーは、そのまま客を乗せず、遠ざかっていった。そして、まるで消えるように、豪雨の中にかすれていった。

 新幹線は遅れはしているが、動いていた。まだ、台風の影響はそれほど出ていないらしい。
急いでホームに進むと、ちょうど電車が入ってくるところだった。
 いいタイミングでひかり号に乗ることができた。おまけに禁煙の自由席は誰も乗っていなかった。
 「よかった。あとはただ座っていれば東京に着くわ。」
尚子はほっとして、席に着いた。

 しかし、それも束の間、車内アナウンスがあった。
「先程、台風が九州に上陸しました。今後、日本列島を縦断する最悪のコースを辿るかもしれません。只今入った連絡によると、後続の列車が強風のため、広島駅を発車できないでいます。そのため、この電車もしばらくこの岡山駅で停車いたしますので、ご了承ください。」
 ── あーあ、長くならないといいわ・・・
尚子は、また、心配になった。
 ── 今日中に無事東京に着ければいいのだけれど・・・

 それから、1時間ほど経過した。一時は壮絶な風雨が、停車している車両を揺るがすようであったが、5分ほど前から、静かになった。
 たった一人で広い新幹線1両を占領しているせいか心細くなっていた。他に乗客があれば気が紛れるのだけれど、と尚子は思った。
 その時、また、アナウンスがあった。
「お知らせします。予想以上の速度で台風は九州縦断後、本州に再上陸し、現在、中国地方を通過中です。先程の情報によりますと、5分程前、岡山市は台風の目に入った模様です。」

 その時、1人の乗客が乗ってきた。ひょろっとした男性だった。
 ちょっと変わった服装をしている。この季節にアロハシャツを着、半ズボンである。足には派手なサンダルを引っかけていた。でも、不快な感じはしなかった。まるで南国から来たばかりの青年のように尚子の目には写った。そして少し興味が湧いてきた。
 その男は、車内がガラガラにも関わらず、尚子の隣の席にまで来た。そして、声をかけてきた。
 「こんにちは。さっきまで、待合室にいたんですが、間もなく発車するらしいので乗ってきました。どうも、台風に慣れないもので・・・隣に座ってもよろしいですか。」
 こんなに空いているのに、どうして、とは思ったが、ちょうど話し相手がほしいな、とも思っていたので、尚子は「どうぞ」と言ってしまった。
 「ありがとう」と言いながら、その男は隣の席に腰掛けた。

 この男性から漂ってくるのか、ほのかな塩の香りがした。全体の感じからして、どうも日本人のようではないようだ。だが、日本語をとても上手にしゃべる。
 「東京までいらっしゃるのですか。」と尚子は聞いてみた。
 「そうなんです。僕は日本に来たばかりなんです。」
 「あら、そうですか。どちらの国からお越しになったのですか。」
 「ご存じないかもしれませんね。OTA島という島です。ミンダナオ島はご存じかもしれませんが、その沖合の小さな島なんです。」
 尚子は聞いたこともない島だったが、発音が何となく日本語に似ているので親しみを覚えた。
 「それにしても、折角日本にいらしたのに、丁度台風でお困りでしょう。」
 「ええ、でもまあ、なんとか大丈夫です。」
とその青年は答えた。
 「それより、こんな美しい方と相席できるなんてついていますよ。」
 「まあ」尚子はちょっと照れくさかったが、悪い気分はしなかった。
 「でも、とっても日本語がお上手ですね。日本にいらしたこと、あるんですか。」
 「いいえ、初めてです。日本のラジオ放送を聞いて覚えたんです。」
 「えっ、そうなんですか。あまりにお上手なのでびっくりしました。」
 「ちょうど僕が生まれたとき、日本のFM放送が聞こえたんです。僕はその放送を子守歌代わりにして育ったんです。あっ、申し遅れましたが僕、オタといいます。」

 尚子は、その青年の年からして、20年以上も前にそんな島で日本のFM放送が聞こえたなんて、ちょっと信じられなかった。
 戸惑いながらも聞いた。
 「それで、オタさんは、今回ご旅行ですか。」
 急にその青年は、もじもじしはじめた。とても言いにくそうにしていたが、
 「実は、ある女性に会いに来たのです。」
 「あら、貴方の彼女ですか。羨ましいわ。じゃ、その方、東京にいらっしゃるのですね。」
 ちょっと初対面にしては、深入りしすぎかなと、尚子は思ったが、聞かずにいられなかった。
 「ええ、まあ・・・」
 その青年は言葉を濁した。
 「ごめんなさい。立ち入った質問をしてしまって。」
 「いいえ、そんなことないですよ。」
 「・・・・」

 「でも、もういいんです。」と言いながら、青年は尚子を見つめた。
 濃い青い目をしたその青年に見つめられると、尚子はちょっと緊張した。その親しげな視線に思わず引き込まれそうになるのだ。なんだか、初めてあったような気がしなかった。どこか遠く記憶の糸を引き寄せると、その記憶の中で、彼と出会えそうな気がした。

 しばらくの間、催眠にかかったような気分だったが、我に返って、尚子は、
 「もういいって、彼女にお会いしないのですか。」
 「・・・いいえ・・・、実はもう会っているんです・・・。」
その青年は、口ごもりながら言った。

 そこへ、突然、車内のアナウンスが入った。
 「大変お待たせしました。ひかり号は、間もなく、岡山駅を発車します。」
 尚子は、この青年との話に気を取られていたので、列車が止まっていたことをすっかり忘れていた。
 「よかったわ。これで、何とか今日中に東京に着けそう。」
 「ごめんなさい。ご迷惑をかけてしまって・・・」
 「えっ、何をですか?」
 尚子は、彼が何を誤っているのか分からなかった。そして、彼はそれに答えず、微笑んで
いるだけだった。

 その後、新幹線は時速70キロ程度の徐行運転だったが、これと言った事故もなく無事駅々を通過して行った。外は、風も弱く、雨も降っていなかった。
 この間、尚子はこの青年とずっと話をしていた。会話をしていると、とても気持ちが穏やかになるのがわかった。
 ── どうして、こう親しく感じられるのだろう?
 尚子は不思議だった。初対面の、それも日本人でない青年と、こう短時間で親密な気分になったのが、不思議でならなかった。そして、とても楽しかった。

 そうこうしているうちに、新幹線は東京駅に到着した。しかし、青年は東京に到着する直前に席を立って、戻って来なかった。
 尚子は、ちょっと気になって到着後もしばらく待っていたが、彼はついに戻って来なかった。
 ── さよならも言えなかった・・・
 そして、降りようとしたとき、彼の座っていた席に真っ青な貝が置いてあるのに気づいた。彼の目の色のようだった。
 ── まあ、綺麗な貝!彼が置いていってくれたのかしら?
 尚子は、その貝を拾って新幹線を降りた。でも、何となく、別れの挨拶ができなかったことが、心残りだった。

 駅を降りると、また、風雨が激しくなった。そのため、尚子はタクシーで家まで帰ってきた。家に着くと、直ぐにテレビをつけた。
 ちょうど、台風の解説をしていた。

 「今日、昼頃、中国地方に再上陸した台風は、本州を縦断し、先程東京上空を通過しました。しばらくの間、吹き返しが予想されますので、引き続きご注意ください。」
 ここで、別のアナウンサーが伝えた。
 「今回上陸した台風は、丁度山陽・東海道新幹線沿いを縦断した模様です。先程、東京上空を通過したため、昼ごろから不通となっていた新幹線は、午後5時過ぎやっと運転を再開ました。」

 尚子は聞き違いかと、思った。
 ── だって、私、さっき新幹線でちゃんと帰ってきたもの・・・
 尚子は、さっき乗ってきたタクシーに、岡山で乗ったタクシーと同じ「NFC」というマークが付いていたことを見落としていた。
 そして、この「NFC」が秘密の部屋のキーワードになっているのにも気が付かなかった。

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 翌朝、こんな記事が新聞の片隅に載っていた。
 −−ミンダナオ島で日本のFM放送が聞こえる−−
 「ミンダナオ島のローカル新聞が伝えるところによると、6月1日深夜(日本時間5月30日(土)夜10:00頃)ミンダナオ島周辺で、日本のFM放送を受信することができたらしい。この現象は、電離層のいたずらと考えられるが、1時間ほどの間、79.1MHzの周波数で日本のFM放送がよく聞こえたという。島内ではいまちょっとした話題になっている。
 また、ちょうどこの頃、ミンダナオ島沖30キロ地点(OTA島付近)で台風が発生、ミンダナオ気象庁はこの台風に「オタ」と命名している。因みに、同国では、台風には女性名称ではなく、男性名称をつける習わしになっている、とのことである。」

(おわり)
tol


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