ショートショート  「夏に涼しくなるお話」シリーズT  98.7.19作




 にらむ首


これは、4・5年前、私が一人で川釣りに出かけた時のお話です。

東京から約2時間、富士川の支流のある川にヤマメ釣りに行くことにしました。
初めての場所でしたので、早朝でかけるより、前日から行って下見をしておこう、ということになり車中泊することにしました。こうすれば、ベストポジションで夜明けとともに釣りが始められます。

一人で行くので、重装備は止め、食事は簡便なパンやおにぎりにしました。
我が家を土曜日の午後に立ち、一路現地へ。
車は、ワンボックスタイプの軽自動車。
まだ、購入してから1ヶ月の新車です。
シートを全部倒せば、大人一人なら十分手足を伸ばして寝ることができます。

夕方、5時頃現地に着きました。あいにく、小雨模様です。天気予報では、明日は持ち直してくれるようなので取り敢えず安心です。ゆったり駐車できそうな場所を探して川にそった道をさかのぼっていきました。

この川は、アルプスの雪解け水を湛え、山から白い砂を運んできます。河原はこの白い砂で覆われ、透き通った水とともに、とても綺麗です。そのまま飲んでも大丈夫でしょう。汚れた靴で水の中に入るのがためらわれるほど、澄んだ水の流れです。

かなり川幅は広いのですが、山の中ということもあり、砂防ダムが点在します。
そんな砂防ダムの少し下流のところにちょうどキャンプにうってつけの場所がありました。
川沿いの整地された場所で、とても広い空間が広がっています。しかも、誰もいません。

「よし、ここにしよう!」と、直ぐに車を乗り入れました。
傘を差して、すぐとなりの河原を覗くと、魚のいそうな流れの瀬がそこここに見えます。なんだか、体がうずうずしてきます。
でも、もう6時過ぎ。雨が降っているせいか、辺りはかなり薄暗くなっていました。
直ぐに竿を出すわけにも行きません。明日の朝、晴れることを祈りながら車に戻りました。

取り敢えず、夕食にすることにしました。ポットに入れてきたお茶を飲みながらにぎりめしをほおばります。澄んだ空気と周りの草木の香り、こんなところでする食事はとてもおいしい。大きなにぎりめし3つがあっというまに無くなりました。
食後は、ポットに入れてきたまだ熱いコーヒーを味わいます。
ワンボックスカーの後ろのドアを開け放ち、あぐらをかいてコーピーカップを片手に河原や山々と対面するひとときは、「ああ、幸せだなあ」と感じる瞬間です。

やがて、辺りはすっかり夜の闇に覆われてきました。車の中でつけている電池式のランタンの明かりに河原特有のムシが寄ってきます。仕方ないので、ドアを閉め、窓を少しだけ開けておきました。
時刻はそろそろ8時になります。

周りには街灯もなく、周りを見回しても全く明かりが見えません。すっかり日が落ちると、空がうっすらと明るいことに気が付きました。もっと厚い雨雲だったら、本当に真っ暗闇になってしまったことでしょう。

静けさが耳を圧迫してきます。
先ほどまで、うるさいほど鳴いていた蝉の声も、今は全く聞こえません。

余りの静けさに、ラジオをつけました。
値切ったせいか、この車にはAMラジオしかついていません。FM放送も、カセットも、まして、CDなどありません。
夜のAMラジオは、外国放送の混信がひどく、しばらく我慢して聞いていましたが、かえって疲れるのでスイッチを切ってしまいました。

すると、前にも増して、静けさが体中を覆ってきます。
普段、あまり感じたことのない、ひとりぼっちの寂しさが、なぜか心をかすめます。
「あれっ?」自分でも不思議な気持ちです。
たまには一人になりたい、と常々考えていたのですから。

特にすることもないので、お菓子でもつまみながらぼんやりしていましたが、9時頃になると、なんとも手持ちぶさたになってきました。
車の窓ガラスに目隠し用にガムテープで張り付けたタオル。
このタオルをたくしあげて懐中電灯で外を照らすと、まだ、霧のような雨が降っています。

10時ころまで、なんとかヒマをつぶしていましたが、朝も早いので早々寝ることにしました。
歯磨きをして、持ってきた水筒の水で口をすすぎます。
トイレが無いので、近くの草むらで用を足します。まあ、自然の中に飛び込んだ時は、普通のことですよね。

さて、荷物を片づけて、持ってきたシートを床に敷き、寝袋にくるまります。
とは言っても、夏。狭い車の中はかなり熱気で、直ぐに寝袋から出て、その上に寝ることになりました。
横になっても、なかなか寝付かれません。30分くらいごろごろ寝返りをうっていました。

やがて、ウトウトとしたと思った時です。
突然、それは始まりました。

寝苦しいな、と思っていたのに、急に涼しくなってきたのです。
途端に、私は動けなくなってしまいました。
仰向けになったまま、手を動かそうとしても、全く動きません。
足を動かそうとしても、全く動きません。
起きあがろうとしても、体が全く言うことを利かないのです。

急に、体中がゾクゾク感じました。気持ちはますます焦って来ます。
でも、自分の意志で体を動かすことが全くできないのです。
かろうじて、目を開けることができそうです。重い瞼を、懸命な意思で開きました。

そこで、私は思わず絶句してしまいました。
私の目に映ったモノは、まさに人間の首でした。
天井に浮いた男の首が私をにらみつけているのです。

体中の血が凝縮してしまうような寒さと恐怖が襲ってきました。
逃げようとして、懸命に体を動かそうとしました。
でも、でも、何としても動かないのです。
指1本動きません!
体をねじろうとしてもビクともしません。

そうこうする内に、車が揺れはじめました。
誰かが車の屋根に手をかけ、揺らしているのでしょうか。
グラグラ、ガタガタと車が上下左右に揺れるのです。
この時のことを思い出すと、今でも冷や汗が出てきます。

私はパニックに陥ってしまったのでしょう。
数秒の話だったのか、それとも数分だったのでしょうか。
やがて、私はすっかり力が抜けてしまい、ぐったりしてしまいました。
まるで、一気に10キロほど体重が減ったような感じです。

その時、急に体が動き始めました。
私は急いで、半身、起きあがりました。
体中が、汗でひんやりしました。
車の中は真っ暗で、何も見えません。
車はもう揺れていません。
周りに誰かいる気配もしません・・・

一体、何があったのか。
私はゾクゾクしながら考えました。
これが、いわゆる金縛りというものなのだろうか。
ウトウトとした時の、単なる夢なのだろうか。
でも、今までの恐怖感は、まだ、私を離れません。
急いで懐中電灯で、窓越しに外を照らして見ました。
やはり、何もありません。誰もいません。

でも、私はいたたまれなくなり、運転席に飛び乗るとふるえる手で、キーを入れ、エンジンをかけました。
ブルルンという心地よいエンジン音が聞こえ始めました。

するとどうでしょう。
急に、冷静さが戻ってきました。
一体、私は何をおびえているのだろう、今のは、夢に違いないのだ、と。

落ち着いて考え始めると、慌てて逃げ出そうとした自分がかえって滑稽に思えて来ます。
大分、正気が戻ってきました。
フーと、思わず大きなため息が出てきました。
エンジンを止め、元の寝袋に戻りました。
ランタンを点けるとると、一層平静さが訪れました。
まだ、心臓の音がドキドキ聞こえそうでしたが・・・

誰もいない、こんな場所で、誰かがいたずらするはずもない。
やはり、今のは夢に違いない。
ということで、私の心は決着しました。

でも、もう一度車の鍵がしまっている事を確認してから、私は寝ることにしました。
今度はランタンを点けたまま・・・
そろそろ、時計は12時を回ろうとしていました。


・・・・・
気が付くと、もう4時半を過ぎようとしています。
辺りは薄明るくなっていました。
窓のタオルを上げてみると、南の山の方が明るくなっています。
雨も止み、雲の合間から青い空も覗いています。

窓を開けて、深呼吸。
ヒンヤリとした空気が、私の肺の中に染み込んできます。
車を降りて、南の山々を見ながらシャー。
ああ、気分最高!

夕べの恐怖体験もどこかにすっ飛んでしまいました。
まあ、久しぶりに一人で、それも車の中で寝たから、あんな夢を見たのだ、ということで納得していました。

さっそく、パンをかじりながら、釣りの準備です。
川の流れを見ていると、気持ちがはずんできます。
竿に仕掛けをつけて、長靴をはいて、道具1式をリュックに詰め込みます。
さめてしまったけど、昨日の残りのコーヒーを飲んで、出発。

釣りの成果は、秘密にすることにして、取り敢えず昼頃まで粘りました。
そして、すっかり、釣りを堪能して、無事、自宅に戻りました。

*******

2・3日して、勤めから帰って来たときです。

「あなた、車を擦ってきたでしょう?!」と言われました。
「まさか」、と疑いながら、直ぐに大切な新車を見に行こうとしました。
「そっちじゃなくて、こっちに来て」といいながら、二階につれて行かれました。
二階の窓から下を見ると、車が見えます。

「ほら、あそこ」と、指をさされたとき、ゾッとしました。
車の屋根には、巨大な手形のような擦り傷が残っていたのです。


終わり  tol


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