ショートショート  「緑の思い出」  ('98.4.29作)



新緑の爽やかな1日。
助手席に彼女を乗せて、中央フリーウエイを飛ばしていた。
覆い被さるような若い木々の葉が、波のように降り注いでくるような錯覚に襲われる。
都会の喧噪からあっと言う間に逃れ出た私は、さっき知り合ったばかりの彼女を助手席に浮き浮きした気持ちで車を走らせていた。

*****

相模湖でぼんやりしていたとき、突然彼女に話しかけられた。
「すみません。諏訪湖まで行きたいのですが・・・送っていただけませんか。」
「えっ、諏訪湖?」
突然、そんな遠くまで送ってくれと言われても・・・と思いながら、彼女を見た。
緑のワンピースがよく似合うとてもかわいらしい女性だった。
ちょっと言いにくそうにしながら、思い切って声をかけてきたらしい。
よほど私はヒマに見えたのかな。
でも、確かに今日は何の目的もないドライブだった。
新車の試し運転に来ていたのだ。
「よ〜し、いいですよ。お送りしましょう。」
やはり美人には弱い。諏訪湖まで送っていくことにした。
「あ、ありがとうございます。助かりました。」
「いいえ、どうせ目的のないドライブですから・・」
「本当にありがとうございます。沢山の人にお願いしたのですが、うんと言っていただける人がいなくて・・・。」
ちょっと、涙ぐみながら彼女は私を見つめた。
「い、いや・・・」
どうも、美人の涙には弱い。
ますます、浮き浮きしながら、言った。
「じゃ、直ぐに行きましょう。どうぞこちらへ。」

*****

そんな訳で、今、彼女とドライブ。
中央高速は、ますます緑のトンネルを深くしていく。
彼女との会話は楽しかった。
途中、パーキングエリアで休んだが、彼女と歩くと、みんな振り向く。
ちょっと気分が良かった。

でも、こんな楽しいドライブももうじき終着点。
諏訪湖インターを降りてから、湖畔にきた。

「ここでいいんですか。」
「ええ、ありがとうございました。」
インターを降りてから、彼女の言うまま湖畔に来たが、そこは全くひとけのない深閑とした不思議な場所だった。
ここから諏訪湖がすっかり見渡せる。

「写真撮っていいですか。」と、彼女に言ってみた。
「ごめんなさい。ダメなんです。」
「えっ?」
何がダメなんだろう?住所を教えるのがダメなのかな?
「でも、1枚でいいですから、撮らせてください。」
「そうですか。本当にダメなんですが・・・」
全くいやでもなさそうなので、私は彼女にカメラを向けた。
にこっと笑った彼女は、レンズを通じて私の胸をどきどきさせるほどの魅力を伝えてきた。
カシャ。
「ありがとう。いい記念になります。」
「・・・・ごめんなさい。」
どうして、あやまるんだろう?
そう思いながら私はちょっと彼女から視線をはずした。

その時、パシャンという音がした。
あれっ?と振り返った。
すると、いままでそこにいた彼女の姿がない。
どうして、どうして?
どこへ行ってしまったのだろう?
まるで、彼女は湖に消え入るようにいなくなってしまった。

私は、しばらく、ポカンとして湖畔にたたずんでいた。
なんだか気が抜けてしまった。
でも、そのうち、日が傾いてきたので、仕方なく帰ることにした。
辺りは薄闇につつまれ、一層、深閑とした空間になった。
帰り際、湖で大きな魚がパシャと跳ねた。
夕日を受け、きれいな緑色した魚だった。
一瞬、ドキッとしたが、なぜドキッとしたのか、その時は分からなかった。

*****

あれから、もう5年が経つ。
あの時の湖畔が、どこだったか、今でも分からない。
何回か訪れたが、見つからない。
それから、あの時の写真に彼女は写っていなかった。
ただ、風景の森と湖、そして、何故か湖畔に美しい緑色のユリの花が写っていた。

そう言えば、当時、諏訪湖から山女の稚魚を相模湖に放流していたという話を聞いた。
このとき、ちらっと彼女のことが心をよぎったことを記憶している。
でも、まさかね。

そう・・・これが、私のとても不思議な緑の思い出。


(tol)



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