ショートショート  「目覚めた頭脳」  '98.6.20


ある日、ふと”自分”に気づいたとき、私は何でも知っていた。

どうしてこんなことになってしまったのか分からない。
しかし、自分の知覚しうる限りの状況を分析すると、このような結論に至る。
私は生まれた時から大人だった。

更に、自分が全く動くことができない、ということも分かった。
たぶん、手足がないのだ、と思う。
なぜなら、自分が考える物理的行動が全くとれないからだ。
体をゆすることもできない。瞼を動かすこともできない。
そう、視覚もない。聴覚も、嗅覚もない。もちろん、味覚も、触覚も、何もない。
できるのは、ただ考えることだけ・・・

もう一度、今の自分のおかれた立場を冷静に分析してみたい、と思った。
まず過去の記憶を辿ってみよう。
ところが・・・

十分過ぎるくらいの学問的知識はある。
極端に言えば、何でも知っている、といっても過言ではない。
あらゆる学問の基本的な知識はもちろんのこと、現代の世相、経済、政治問題など、膨大な知識を有している。これは事実だ。
何しろ、自分で知りたい知識が直ぐに浮かび上がってくる。とてもきれいに整理された自分の記憶ファイルの中からその情報を取り出すことができるのだ。

ところが、自分の生い立ちや過去の行動などの記憶は全くない。
自分でも不思議だった。
こんなに豊富な知識にあふれているのに、過去の記憶が全くない。
これは一体どういうことなのだろうか。

健康状態はどうだろう。
気分は悪くない。どこも痛くない。空腹でもない。
しばらく食事をしていないにもかかわらず、何の支障もない。
何らかの方法で栄養が行き届いているに違いない。

もう一度、これらの状況から、自分の今の立場を分析してみる。

過去の記憶がないこと。
手足の感覚がないこと。
目も鼻も口も機能しないこと。
そして全く自分の体を動かすことができないこと・・・
にもかかわらず、
気分はすっきりしており、
体の調子が悪いという感覚もないこと。

これらを総合的に判断すると、結論は一つしかなかった。
私は、何らかの大事故に遭遇してしまったのだ!
そして、重大な負傷を負い、そのまま病院に運びこまれ、集中的な治療を受けているのだ。

事故の後遺症がひどく、過去の記憶は失われてしまったのだろう。
そして、体の感覚がないということは・・・
ひょっとすると、手も足も無くなってしまったのかもしれない。
目も潰れて、失明してしまったのかも知れない。
食事をとっていない、ということは点滴のようなもので栄養が補給されているに違いない。
まさに機械人間になってしまったのだ!

何ということだ。
ここまで考えて私は絶望のどん底にたたき込まれてしまった。
自分の肉体は、最新の医療機器によって延命されている。
そして、自分が誰だか記憶もなく、ただ頭には学問的な知識が残っているだけの生き物と化してしまった。何よりも耐え難いのは、私には、自分の意志を表現する手段が全くない、ということ・・・

何と言う境遇に陥ってしまったのだ。
これから私はどう生きて行けばいいのだろう!
思わず、頭に血が上り、そして、体中が熱くなってしまった・・・

********

「教授、このスーパーコンピュータ、急に熱をもってきましたね。」
「そんなはずはないのだが・・・おかしいな?」

2人の最先端技術者は、試作している人工頭脳が暴走しないよう、急いでコンピュータの電源を切った。

終わり

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