地震が直接原因と思われる死者は2000人ほどで、残りは火災によるものであった。被災者数150万人。ほぼ全区(牛込区を除く)が火災に遭い、江戸以来の下町は殆どが消滅した。火災は2日2夜にわたって猛威を振るい、多くの文化遺産も灰燼に帰した。
東京帝国大学理学部の記録,1923
 

 

前日、九州・関西を通過した台風の余波で、東京は早朝に、いささかの風雨があった。それも上がり、入道雲の脇から陽射しがさしかかる昼前である。
震源は相模湾北西部。地震の大きさは、現在の表示単位ではマグニチュード7.9と推定される。震動による影響は神奈川県が東京より大きかった。
皇居堀端にあった中央気象台の大時計はこの時刻を指して停止。1923

当サイトの写真はすべて旧内務省資料によるものです
on web by Yusuke Sekiya since 1997