Catholic Shodoshima Church カトリック小豆島教会

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奇跡の島・平和の島~小豆島へのキリスト教伝来・隠れキリシタン遺跡

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キリスト教伝来記念碑
小豆島宣教400年を記念して、教会内敷地に建立された記念碑です。
主イエズス・キリストの福音が小豆島に初めて伝来したのは1586(天正14)年7月23日であった。島の領主アゴステノ小西行長の熱願によりイエズス会士グレゴリオ・デ・セスペデス神父と同会修道士ジアン森が来島して、宣教を行い約1か月のうちに1400名が洗礼を受けた。
間もなく豊臣秀吉がキリスト教禁制を発令するや、都のオルガンチノ神父および明石城主ユスト高山右近はこの地に難をさけ数か月隠棲した。打ち続く迫害時代に信徒達が忍んだ苦難は神のみがよく知りたもう。本日小豆島宣教400年を神に感謝しつつ、先人達の苦難の追憶、偉徳の顕彰をはかり信仰の遺産を継承する決意を表明するためここに祈念碑を建立する。
  1987年9月23日
 カトリック小豆島教会 主任神父 岩永千一  信者一同

平和の十字架
1987年5月31日、小豆島でのキリスト教布教400年を記念して西村(小豆島町)のオリーブ園に十字架塔が建てられました。当日は、ローマ法王庁の駐日大使、ウイリアム・アクイン・カルー大司教が来島して、十字架塔を祝福し、小豆島の繁栄と世界平和を祈願しました。



キリシタン遺物の可能性がある石造物
  
小豆島町の中山地区にある「キリシタン灯籠」です。全体の形状が十字架を象徴している八面体の石灯籠です。火袋(ひぶくろ)には、1か所だけ三角形の明かり取りがあり、一般の灯籠にはない形で、カトリックの教えの中にある三位一体(さんみいったい)<父なる神、子なるイエス・キリスト、聖霊の三者>を象徴した形であると言われています。

石像(左は手を組んでいる?右は赤子を抱いている?ようにも見えます)

ベライテン様を祭っている祠

ハート形の手水鉢
上記の「キリシタン灯籠」が元々あった西中山地区の岡田家近くには、石像、蘭塔、手水鉢などが多数残っています。祠の中央にある石は、毎日西の方角に向け直されていたそうです。「昔、うちの家には九州から来た御殿様が住んでいたことがある。でも、すぐに九州に帰って行った。その方は慕われていたので、毎日この石を殿様の方へ向けている。この祠は、ベライテン様を祭っている。」という伝承が残っています。ベライテンは「弁財天」かと思われますが、「伴天連」とも解釈できそうです。秀吉に棄教を迫られた右近は、それを拒否し、領地の明石には帰らずに博多の能古島を離れた後、小西行長の領地であった小豆島に来て潜伏しました。その後、行長が熊本・宇土に転封になったことにより、右近も九州へと行きました。この伝承は、史実と符合しています。

風穴庵の石造物

浜ノ庵石室内の像

浜ノ庵の家型石室
<風穴庵> 小豆島霊場第29番札所、富士の風穴庵には、真夏でも冷気が吹き出てくる風穴があります。風穴の横に石洞があり、一石に三像を刻した凝灰岩の石造物が置かれています。中央の像は縁のある帽子をかぶっており、南蛮人宣教師を模したものであると言われています。
<浜ノ庵> 小豆島霊場第34番札所、室生の保寿寺庵(浜ノ庵)の石室(写真左側)内に、2体の石像が陽刻されています。この像は頭部が平ら、顔は面長で異人風、眉・目と鼻の線で十字になっており、神父がお祈りするポーズのように両手を左右に挙げていると言われています。

<松風庵> 小豆島霊場第39番札所、池田の松風庵には丁頭の石像が安置されています。この像は頭部が平らで両手を胸の前で組んでいます。

<湯舟山> 小豆島霊場第44番札所、中山の湯舟山蓮華寺では、錫杖に十字架の刻印のある石像、背面に十字が刻まれた石像やキリスト教の象徴でもあるハートの形をした手水鉢を見ることができます。
 
錫杖を持った石像
 
背面に十字が刻まれた石像

ハート型の手水鉢 

<西村・原の「荒神社(山王神社)」> 
小豆島西村オリーブ園に建てられた「平和の十字架」からさらに山に入った原集落にある荒神社の境内にハート型手水鉢が置かれています。この荒神社は、江戸中期以前の創建といわれています。

<肥土山・多聞寺境内の灯籠>
三角形の明かり取りから火袋(ひぶくろ)の中をのぞくと十字架が見えます。
 

<北山・宝生院裏の蘭塔>
石扉の上下左右4面に彫られている絵は、下部は蓮の花。上部には祇園クルスを見ることができます。

 <中山・八木家の灯籠>
火袋に三角形の明り取りが見られ、十字の紋様が刻まれており、最下段の石扉にも十字が見られます。この八木家は島原の乱後、兄弟が島原半島の北有馬町西田平に移住しており、移住先の八木家の鬼瓦には祇園クルスの紋様が見られます。
 
 
八木家の灯籠

八木家灯籠の十字紋様

島原・八木家の祇園クルス鬼瓦 

 <草壁・菅家の蘭塔>
草加部村の大庄屋であった菅家の墓地中央ににある蘭塔は、横から見ると教会の塔のように屋根の先端が十字架のように見えます。塔の中央には卍紋が刻まれています。

 <島内各地に見られる蘭塔>
島内各地には家型の蘭塔が数多く見られ、石室の扉は観音開きで上段には丸に十字と糸巻き状十字が組み込まれた文様が刻まれています。
 

 石扉に十字が刻まれた蘭塔
(池田平木)

<十字が刻まれた墓石>
苗羽墓地には、墓石の頭に十字(漢数字の十)が刻まれた墓が発見されています。苗羽地区は、小豆島の中でもキリシタン類族が多かったところで、「切支丹宗徒人名録」にも記録されています。墓石には、「妙休信女享保十八年 八月廿四日」(1733)、「善休信士寛延元年六月廿二日」(1748)、「當休信士享保元申天十月十二日」(1716)、「慧勝信士延享元年六月二日」(1744)と刻まれていますが、休の文字には右横にすべてヽ(点)が刻まれています。この点(ヽ)は「主」であり、イエス・キリストを象徴しているという説や帰天(木ヽ)だという説もあります。
 
 
延享元年の墓石
 
享保元年の墓石

寛延元年・享保十八年の墓石

<肥土山・石原のラントウ>
島内では完全な形で残存している代表的な大型家型石室です。石扉上段には、丸に十字と糸巻き状十字が組み込まれています。内部には、右に蓮華台上に光背をもつ像、左に五輪塔が刻まれています。正面左側柱に寛永二十一年(1644)と刻まれています。

大型家型石室
 

石室内の陽刻

<黒岩のラントウ>
土庄町黒岩にある石室の扉には、菊紋十字と諸刃の剣パステル十字が刻まれています。石室内の二体の座像は、独特な手を合わせた姿をしています。顔は面長で、眉毛と眼の二本の横線と鼻筋とが結ばれT十字になっていると言われています。

石室

石室内の座像

諸刃の剣パステル十字文様

 <肥土山・石原墓地の灯籠>
三角形の明かり取りが1か所あり、火袋(ひぶくろ)の中をのぞくと十字架が見えます。最上部側面には十字の紋様が刻まれています。

<豊島のキリシタン墓石>
豊島・甲生墓地のキリシタン墓石です。豊島石で作られた10基ほどの墓石の正面に大きく十字架が刻まれています。漢数字の十ではなく、明らかに縦の方が長い十字架です。前面部分には他に字が刻まれているかは不明です。
草壁・菅家の屏風
草加部村の大庄屋であった菅家の屏風には、キリシタンの記述のある触れ書きが貼られています。(右側下から三枚目)小堀遠州の取締りに関し、その家老小堀権左衛門から小豆島に与えた触れ書きです。島内のキリシタン熱はほとんど終息し、他国から舟で渡島して来るキリシタンに鋭い眼を向けていたと推測され、キリシタンが乗った舟および不審船の入港禁止・取締りに関するもので、キリシタン布教が禁止されている江戸初期(寛永から慶安頃・1630~1650年頃)の史料ではないかと推測されます。 
キリシタン関連資料の展示(小豆島町立図書館)

切支丹類族

キリスト教伝来の展示コーナー

島原一揆の際の「矢文」

きりしたん制札
定 安田制札写
きりしたん宗門は累年
御制禁たり自然不審
成りもの有之は出へし御ほう
ひとして
 ばてれんの訴人銀五百枚
 いるまんの訴人銀三百枚
 立かへりしの訴人同罪
 同宿並宗門の訴人銀百枚
右の通可被下之たとひ
御宗門の内たりといふ共
訴人に出る品により銀五百枚
可被下之かくし候所他所より
阿らはるるにおいては
所の名主並五人組迄一
類共に可被処厳科者也
仍下知如件
  天和二年五月 日
      奉行
裏書
  御預所  小豆嶋
    草加部村
      八枚の内