八二歳の年金バックパッカー

水津英夫 ふたたび語る!

聞き手/田中真知

 

 本誌でもなんどか取り上げてきた年金バックパッカーの水津英夫さん(八二歳)から、この秋、突然葉書が来た。「いま会津にいます。近々東京に行きますので、ご都合がつけばお会いしましょう」。あれ、今年は南米を再訪するつもりだと聞いていたのだけれど? それから数日後、エチオピアの麦わら帽子をかぶって東京に現れた水津さんに二年ぶりに再会した。

 

●二〇年ぶりの日本旅行

−−お久しぶりです! 突然の葉書、びっくりしました。たしか春頃は南米に行くとおっしゃっていましたよね。

 南米から南極へ行くつもりでおったんですよ。ただ、去年手術してから足に自信がなくなってね、ほんならまたいっぺん日本を回ったろかと思って、軽のバンを買って、七月から東北を回っておったんです。

−−どうですか、久しぶりの日本は。

 おもろないですね。ぼくは二〇年以上前、五年かけて日本をクルマで回ったんやけど、昔よりみな悪うなって、つまらんようになってますわ。物価は高いし、クルマの運転で気はつかうで白髪は増える、頭は薄くなる、体重もこの前風呂屋で計ったら五キロ減ってました。ダイエットにはなりますな(笑)。

−−食事や泊まりはどうしているんですか。

 うどんとそばです。洗わんでいいから。でも、最近は無洗米ゆうのがあると聞いて、それ知っとったらよかった思いました。泊まりは、最近はいろんなところに「道の駅」いうのがあるんですわ。

−−道の駅?

 ぼくも教えてもろうたんです。無料の駐車場でトイレや食堂もあって便利なんですわ。そこの駐車場でクルマの中で寝とります。「道の駅」の場所は地図に書いてありますよといわれたんですが、ぼくの地図は三〇年前のなんで、載っていないんですわ。

−−三〇年前の地図で大丈夫なんですか。

 載っとらん道があったり、載っとる道が無かったりしますな。でも、そんなときは人に訊けばええからね。

 

●三日で三〇〇〇ドルのカイラス・ツアー

−−ところで前回はウランバートルで偶然お会いして、びっくりしました。二〇〇一年の夏でしたね。その後は、どこへ向かったんですか。 

 モンゴルから中国へ戻って、西夏の遺跡のある黒水城へ行きました。それから南下してラサに入ってね。そこでたまたま会うた若い日本人旅行者に、カイラス行きませんかと誘われたんです。

−−カイラス、たいへんじゃないんですか。

 体力的に無理かなと思っていたんです。一カ月くらいかかるし、その頃はトラブルがあってカイラスに行くツアーがストップしていたしね。でも、その日本人が闇のツアーを見つけてきたんです。途中からロバに乗れるとも聞いたんで、それならいいかなと思って参加したんです。ただ、ちょっと高かった。日本人四人で、三〇〇〇ドルくらいしました。

−−三〇〇〇ドルとは高いですね。

 ところが、出発して三日目に大水でクルマが川を渡れない。解放軍のトラックが救助していたんですが、そのトラックもしまいに川にはまり込んでしまって、どうしようもない。一カ月の予定が三日でおしまいですわ(笑)。

−−なんと! お金は返ってきたんですか。

 それがね、契約の中に、できんかったときの条件が書いてなかったんです。ぼくは契約するときに、その辺も決めといたらいいんちゃうかというたんですが、若い人が大丈夫だからというてね。まあ、仕方ないね。闇のツアーやし。

−−三日で三〇〇〇ドルですか……。で、そのあとは。

 チベットからネパールを抜けてインドに行くつもりだったんです。ところが、そのときネパールの国王が殺されたらしいと聞いて、これはやめたほうがいい思うて、カシュガルからパキスタンに入ってフンザに行った。中国とちがって一〇年前とほとんど変わらんかったね。

−−フンザ、よさそうですね。

 世界で九番目に高いというナンガパルバットにも行ってみました。ここはベースキャンプからの高度差が五〇〇〇メートルあるそうなんですわ。エベレストですら三〇〇〇メートルだというので、それなら見てみようとジープ雇って、それから馬を雇って一週間かけて行ってみました。

−−どうでした。

 それが、標高差五〇〇〇にひかれて行ったものの、なんちゅうことのない山なんですな。ちょっと離れてみると平凡な山ですわ。ナンガパルバットの絵葉書というのはなぜか見当たらないんですが、そういうわけだったんです。

−−へえー。

 

●インドで入院する

−−ところで今回、旅行保険はどうしたんですか。八〇歳以上だと入れないとおっしゃってましたよね。

 そうなんです。旅行代理店でダメだと断られたんで、大阪の保険会社の支社に行ってね、「オレ元気や、入れてくれ」といったら、今回だけ特別に入れてあげます、ただし死亡保険はつきませんよといわれて、それでもかまわんといって入れてもらいました。

−−役に立ちましたか?

 パキスタンからインドに入ってラダックのレーの安宿にいたときに、皮膚がちょっとかぶれたんです。それでデリー郊外のいい病院に行ってね、このかぶれでも入院できますかといったら、どうぞといわれましてね。飯はうまいし、久しぶりにゆっくりしました。それで入院して数日後、病室で備え付けのテレビを観ていたら、ニューヨークのビルが燃えているんです。

−−同時多発テロのときですか。

 朝から晩までニュースでそのことばかりやっている。ところが、英語なので、なにが起こっとるのかちっともわからんのです。インドのニュースでは飛行機の突っ込んだ場面は映らなかったんです。

−−へえ、そうだったんですか。

 まあ、その入院の間に尿管結石も見つかって、その手術もついでにしてもらいましたわ。入院はええですな。

 

●初めてのアフリカ

−−そのあとインドからアフリカに飛んだんですよね。

 ボンベイからナイロビに行く安い切符を紹介してもらったんです。初めはナイロビまで行ってちょっと回ったら、またインドに戻るつもりだったんですが、行ってみたらアフリカが面白いんですな。いちばんよかった。

−−ナイロビはどうでしたか。

 ええ町ですな。気候はええし、飯もうまいし。サファリ行こう思うて下町を歩いていたら、あるツアー会社がサファリに予約したら、ただで屋上のテントに泊めてくれるいうんです。サファリのあとも一泊一ドルで泊まれるという。これはよかったですわ。

−−サファリはどこに行ったんですか。

 名前は思い出せんけど、キリマンジェロの見えるとこと、フラミンゴのいるとこと、あともう一箇所どこやったかな。

−−アンボセリとナクル湖かな。

 サファリもよかったですが、文化センターで新聞読んでいると、こっちが年寄りなんで声をかけられるんです。ナイロビにマンション買うて住んでる人とか、農場をもっている人とか紹介されて、あちこちでご馳走してもらいました。

−−水津さんて、そういうこと多いですね。

 自分からは声かけたりせんのですけど、年寄りなんで声かけてもらえるのはありがたいですわ。

−−そのあとエチオピアに行ったんですよね、それも陸路で。陸路でケニアからエチオピアなんて、若いバックパッカーだって尻込みするルートですよ。なぜ、飛行機を使わなかったんですか。

 旅行人ノートの『アフリカ』に、イシオロまで乗り合いタクシー、そこからトラックと書いてあったんですわ。飛行機を使ったほうがいいとは、どこにも書いておらんかったです(笑)。

−−改訂の要がありそうですね(笑)。たいへんだったでしょ。

 イシオロから国境のモヤレまでのトラックがたいへんでした。荷台にウシがようけ乗っていてね。その荷台の上に幌のかかる鉄パイプがあって、そこに人が坐るんです。幌はついていないんですが。

−−ジャングルジムの上に坐るようなもんですか。

 そんな感じです。鉄パイプの格子の十字になっているところに坐る。

−−エチオピアの国境まではひどい悪路のはずですよね。

 地面が洗濯板みたいにギザギザなんですわ。そこを一〇〇キロ近いスピードで走るでしょ、振動で脳味噌と頭蓋骨が分離するような感じがするんですわ。しかも、落っこちんようにパイプをしっかり握っとらなあかん。しんどかったです。

−−八〇歳のする旅ではないですよ(笑)。で、エチオピアはどうでした。

 よかったですよ。前から行きたかった国やからね。アジスアベバはイタリア料理が安くて、サービスもいいので気に入りました。ガラスのコップがこうピカーッと光っとるんですな。官庁街に温泉があって、毎日入りに行きましたわ。

−−地方も行ったんですか。

 教会のあるとこや、城みたいなのがあるとこに行きました。

−−たぶんラリベラとゴンダールですね(笑)。

 そこからもっと北の町へ行く途中、乗っていたバスのタイヤが破れて、チューブがむきだしになったんですわ。どうするんじゃろうと思うて見ていたら、ほかのタイヤを削って、それを貼りつけているんですわ。

−−んなアホな(笑)。そんなんで走れたんですか。

 はあ、のろのろ走って、なんとか着きました。

−−いろいろ回ったんですね。そこからまたナイロビまで戻ったんですよね。飛行機で戻ったんですか。

 いいえ、行きと同じルートです。脳味噌が頭蓋骨から分離しそうで……。

 

●ビクトリア滝で溺れる

−−そのあとジンバブウェに行かれたんですよね。

 石の積み重なっているところとかね。あとビクトリア滝でラフティングをやりました。

−−無茶な八〇歳だなあ。

 ぼくはオーストラリアでやったこともあるから、ビクトリア滝でも若い人を見つけてラフティングしませんかと誘うたんです。川に行くと、ちょうど雨季で水量が多くて、オーストラリアより流れもずっと激しい。でも、なんとかなるじゃろうとたかをくくっていた。昔ヨットに乗っていたしね。

−−ヨット? 水津さん、ヨットに乗ってたんですか。

 働いていた頃ですがね。ドイツ製の組立式のヨットを持っていたんです。ふつうのヨットは係留しておかなくちゃいけないので費用がかかるんですが、これだと分解して運べる。それをもって琵琶湖や和歌山に行っていたんです。

−−モダンボーイですね。

 ところがね、うまく乗りこなせんのです。あれは指導者がおらんと身につかんですわ。

−−習わなかったんですか。

 自分で教則本を読んでね、それで操縦してたんです。

−−……。

 でも、技術がないから風がつよいと出られない。逆に風がないとつまらんわけです。いちど琵琶湖でつよい風が吹いてワイヤーが切れてしまって、死ぬかと思いました。それでヨットも乗らなくなってしまいました。

−−その貴重なキャリアはラフティングに役立ったんですか。

 ラフティングの途中で、インストラクターの合図でいっせいに川に飛び込むんですわ。みんなが飛び込んだので、よしオレもと飛び込んだんですが、これが勘違いだったんですな。事前の説明では、ボートについているロープを握って飛び込めということだったそうですが、説明が英語だからわからんのです。それでそのまま飛び込んだ。もみくちゃですわ。しかも、救命胴衣のひもをちゃんと締めておかなかったから、救命胴衣が顔のところに上がってしまって苦しいんですわ。もがいていたら、助けてもらえましたけど。

−−はあ、よくぞご無事で。それでジンバブウェのあとはナミビアですか。

 いっしょにラフティングした日本人旅行者たちとレンタカーを借りたんです。

−−ナミブ砂漠にも行ったんですか。

 あそこはきれいやね。あの砂漠の稜線の上を、ぼくは素っ裸になってパンツ持って走ったんです。それを写真に撮ってもろうた。あまりちゃんと写っとらんかったけどね。あとキソウテンガイいう変わった植物も、その近くで見ました。

−−千年も生きるという不思議な植物ですね。

 あれは形が、まるで×××そっくりですな(笑)。

 

●そして五感の旅へ?

−−帰国は、ケープタウンからでしたね。

 二〇〇二年の三月に帰ってきました。ほんとうは九月にはまた南米に飛ぶつもりでいたんですが、七月頃から少し歩くと足が痺れるようになってね。病院行ったら脊椎管狭窄症という病気だといわれて手術したんです。そんなことがあったんで、じゃあ沖縄でも行ってみよう思って、今年の三月にフェリーで石垣島に行ったんです。片道二万三千円で、あとで訊いたら飛行機の方が安いんですな。

−−石垣島、どうでした。

 それが学生の春休みのせいか、宿がどこも満員なんですわ。仕方なく山の上のキャンプ場に行って、そこで一カ月おりました。

−−一カ月、なにしてたんですか。

 なにもせん。町に買い出しに行くくらいで、泡盛飲んでボーッとしておりました。家にいても同じやしね。でも、そのときに思ったねえ、持ち時間は少ないけどその持ち時間を無駄に使えるのは最高やなと。

−−水津さんがいうと説得力ある言葉だな。それで、そのあと東北に向かったんですね。

 ほんとうは紅葉の季節まで東北にいるつもりだったんですが、今年の夏は雨が多くてね。これでは紅葉もたいしたことなかろうと思って引き上げてきたんです。

−−雨降っている間は、なにしてるんですか。

 駐車場のクルマの中でボーッとしとります。することもないしね。そんなときに考えたんです。オレはなんで旅行しとるんだろうと。さんざん考えて出た結論は、旅行は視覚、つまり目の愉しみだということでした。けれども、視覚のほかにも感覚はある。だとすれば五感を全部愉しませるのが、ほんとうの愉しみというものではないか。するとそれは男女の関係しかない。でも、これまでそっちのほうはあまり興味がなかったんですわ。そこで、「ははあ、オレの人生はまちごうとったかな」と思ったわけです。

−−いまさら、なにをおっしゃる(笑)

 でも、ぼくはおおぜいの女の人に手を出すというのは興味がない。相手は一人でいいんです。浮気もせんかったしね。

−−だけど、水津さん、奥さんと離婚されてますよね。

 それがね。去年やったけど、ある日帰宅したら、部屋におったんです。

−−おったって、だれがですか。

 別れた家内です。でも、二〇数年前に別れて以来、一度も会うてない家内が部屋におるはずがない。きっとこれは年寄りをだます手口かなと思うてね、「あんただれ?」と訊いたら「家内ですよ」という。ますます怪しい思うて「ほんなら名刺もっとるか?」と訊いたんです。

−−(爆笑)

 そしたら運転免許証を出したんです。たしかに別れた家内でした。管理人に鍵借りたんですな。お金を貸してくれといわれました。たいした金額じゃないから貸してやりましたがね。その日はうちに泊まっていってね、それっきり連絡もないですわ。まあ、そういうわけですから、これからは五感を働かす必要がありますな。

−−どういうわけですか(笑)。でも水津さん、もてるでしょ。

 ギリシャで会うた女性がおるんですが、なかなかべっぴんでね。ときどき電話かかってきて、ハイキングとか行くんですわ。いつだったか年末に神戸でいっしょに飲んだんです。もともと好きな人やったんで、「好きや」というたら「酔うとるでしょう」といわれて、そこでへこんでしまった。いま思えば、そこで「酔うとるから好きやといえるんや」と、こういわなくてはいけなかったんですな。

−−ご健闘を祈ってます。ところで今後の旅の予定は。

 日本の西へ向かいます。じつはちょっと行商をするつもりなんです。

−−行商?

 秋田の「道の駅」で知らない人から声かけられましてね。あちこち回るんならうちの商品を売ってくれんかといわれたんです。私もその商品は知らんのですけど。これが、その人の名刺です。

−−怪しいなあ。この名刺に書いてあるメンドラチェンジャーってなんですか。

 さあ、わからんのですけど自動車整備と関係あるそうです。それを売ってほしいんだそうです。ぼくが商品を知らんでも、相手は知っとるから大丈夫なんだそうですわ。これで小遣い稼ぎができたらそれにこしたことないし、稼げんでもかまわんしね。

−−日本をひととおり回ったら、また海外に出るんですか。

 つぎの車検が終わって、元気やったら、ぜひ南極に行きたいですな。実際に行けるかどうかはわからんけど、思うとるだけで気持ちは変わる。気持ちが変われば、人生は変わるんです。八〇歳からだってね。

 

水津英夫●大正十年生まれ。六五歳(一九八六)のときに出かけた台湾個人旅行がきっかけで、海外ひとり旅の魅力にはまる。以後、年金を資金とし低予算で毎年十カ月余りを旅に費やす。病気や強盗もものともせず、五大陸を漫遊。現在は日本を旅行中。独身。

(「旅行人」2003年掲載)

 

 

 

 

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