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以下は「旅行人」2000年5月号に掲載した水津さんインタビューです。当時、読者からかなりの反響がありました。

 

八〇歳の年金バックパッカー

水津英夫 おおいに語る!

聞き手/田中真知

 

 水津英夫、大正十年生まれの七九歳。初めて彼に会ったのはもう七年も前になる。五カ月かけて中国から陸路アジアを横断してカイロにたどりついた当時七一歳のバックパッカーの噂を聞いて、宿泊先の安宿サファリホテルへと会いに行った。淡々としながらも、大胆なその旅のスタイル、なにより年金バックパッカーという旅の方法があることに感心したものだ。

 その後も、水津さんの噂はときどき耳にした。しかしこの数年それも絶えていた。歳を考えれば、正直なところまだ旅をつづけておられるとは思わなかった。ところが今年になって、風の便りに水津さんがアフリカ行きを計画しているらしいと聞いた。なんということだ。年金バックパッカーはいまだ現役だったのだ!

 カイロでお会いしてから七年、八〇歳を目前にした水津さんに会いに行った。

 

●エジプト、その後

−−お久しぶりです! お元気そうですね。

 いやあ、そうでもないです。肝心な上と下のほうがもうダメでね。この前、病院に行ったら看護婦さんに、おや今朝いらっしゃったばかりじゃないですかといわれてしもうてね。ボケがすすんどりますわ(笑)。

−−でも、ぼくのことはちゃんと覚えててくれたじゃないですか(笑)。カイロでお会いしたのは一九九三年の正月でしたね。あのあとは、どこに行かれたんですか。

 それがね。トルコに入ったんですが、そこで睡眠薬強盗にやられたんです。

−−えっ! トルコのどこですか。

 パムッカレです。温泉で有名な観光地。睡眠薬強盗がイスタンブールであるのは知ってたんですが、まさかパムッカレでやられるとは思わなかったですわ(笑)。

−−どんなふうにやられたんですか。

 泊まっていた宿が高くてね、もっと安いところに移ろうと思ったんです。外に出たら、たまたま外国人旅行者がいて、いっしょに安いところに移ろうと声かけたんですわ。チュニジア系のフランス人いうてましたわ。いっしょに別のホテルに移って荷物置いて、一杯飲んだら、そいつがケーキをもってきたんです。それを食べたところまでは覚えているんですが、そのあとぜんぜんわからん。気づいたときには三日入院しとったそうです。

−−よくぞ、ごぶじで。と荷物はどうなりました。

 荷物やパスポートは前のホテルに置きっぱなしだったんで、たいしたもんはとられんかった。いちばん困ったのは手帳をとられたことですな。だから、一九九三年は空白ですわ(笑)。

−−気がついたとき怖くなかったですか。

 べつに怖くはないですよ。ケーキ食ったときにはあっという間になにもわからんなって、気づいたときはなんも覚えとらんのですから。

−−そりゃ、そうでしょうが……。

 そのあとね、エフェソスに行って遺跡を見物しとったんですが、そのとき「あれ、オレはなんでここにおるのだろう」と考えたんですな。それで、「そうだ、やられたんだから警察行かにゃ」と気づいて、またパムッカレに引きかえして警察で盗難証明もろうたんです。それをもってイスタンブールに行ったんですが、よく見るとその証明書にウイスキーという文字がある。ぼくはトルコ語読めんけど、アルファベットのウイスキーという文字はわかる。なんでウイスキーと書いとるのかなあと思って、それもって日本領事館に行って訊いたんですな。そしたら、証明書には「この男はウイスキーを飲みすぎて意識不明になった。被害はなにもない」と書いてあるというんです(笑)。

−−(爆笑)

 なんの証明や。恥の証明書やないか。パムッカレの警察はひどいやっちゃなあと思いましたわ(笑)。

 

●年金バックパッカー誕生

−−初めて海外に出られたのが定年後でしたね。

 ええ。でも戦前、ぼくは満鉄の兄弟会社の華北交通という会社に入って、天津におったことがあります。華北交通入ったのは旅行がしたかったからなんですが、ちっとも旅行できなくてね、欲求不満でした。戦争が始まると召集されて包頭(パオトウ)いうところで、輸送計画をやってたんです。戦後、日本に帰ってからは、電気メーカーとかいろいろ仕事したんですが、いちども転勤がなかった。ずっと大阪。だから定年になったら、よし旅行しようと思うたんです。でも外国に行くなんて発想はまったくなかったですわ。

−−ご家族はどうされていたんですか。

 定年の半年くらい前に妻と離婚しましてね。まあ、いろいろあって……。で、ひとりになって定年になってから失業保険とかもろうて、年金の手続きをして、六一のときに軽のバンに布団や自炊道具、水タンクやら一切合切積んで、ひとりで日本を回ることにしたんですわ。クルマに寝泊まりしながらです。冷蔵庫も積んどりましたよ。

−−冷蔵庫まで!

 ええ、最初は全部自給自足のつもりやったからね。でも、そうやって回っとると、旅しとるのか、飯つくっとるのかわからん。材料買わにゃいかんでしょ、つくらにゃいかん、食わにゃいかん、洗わにゃいかん、オレはいったいなにをやっとるのか(笑)。そのうち、飯はホカ弁にしました。そうやって四年くらいかけて日本中まわったら、もう行くところがなくなってしまった。それで、ようやく、じゃあ台湾でも行ってみようかと思って、リュックを背負ってひとりでふらりと出かけたんです。六五歳で、初めての海外旅行でした。英語もなんも知らんでしたよ。いまも知らんけど(笑)。

*

 この二カ月の台湾の旅が水津さんの人生を変える。水津さんは台湾の南で日本語をいまでも流暢に話す老人たちと知り合いになったり、市場を歩き回ったりする楽しさを知る。

*

 これなら大丈夫だと思いましたね。言葉なんかできなくてもちっとも問題ない。しかもカネはかからない。年金生活なんて日本じゃ細々したもんじゃけど、台湾みたいな物価の安い国なら月五万とか六万しか使わんから貯金もまでできてしまう。それに、なにより面白いしね。

−−年金バックパッカーの誕生ですね。それでつぎに中国に渡ったんですね。

 中国は合計二年半くらいまわったと思います。十回以上は行っておるね。最初の数年は中国ばかり。ぼくはいまでも中国がいちばん好きです。あそこにはなんでもある。日本とも関係深いから、日本の歴史と関係づけて考えられるんですな。それに歴史が動いとるのがわかるんですよ。ヨーロッパなんていつ行っても変わらんけど、中国では十年前といまとでは、ぜんぜんちごうとります。

*

 水津さんの部屋には中国の大きな地図が貼ってある。そこに記された町や村の名の多くにマーカーでしるしがついているのだが、どれも一晩以上泊まったことのある場所だという。しるしは中国全土、津々浦々に及び、一〇〇カ所を下らない。

*

−−中国以外の国にも行ってみようというきっかけは、あったんですか。

 カシュガルに行ったんですわ。そしたら国境が目の前で、ああ、これを越したらパキスタンなんだなあと思うと、急に行きたくなってね。カシュガルにはパキスタン人がやってきて、酒飲んだりしていたしね。もし旅行できそうもなかったら帰ろうと思って入ったんですが、入ってみたらなんてことない。そこからイランに行ったら、また問題ない。それなら、もっと西へと思ったんですが、次回にとっておこうと思うて引きかえして、いったん帰国して、その二カ月後あらためて西に向かったんですわ。そのとき初めてアジアを横断した。田中さんと会うたのはそのときですな。

 

●ヨーロッパ

−−水津さんの旅のルートをうかがっていると、アジアなどの物価の安い国だけじゃなくて、ヨーロッパのような高い国も入ってますよね。イギリスやフランスなどだと予算的にたいへんじゃないですか。

 そりゃ、中国などに比べれば高いですけど、それでも安く旅行することはできますよ。イギリスにはね、ユースからユースへと回る安いバスがあるんです。

−−そんなのがあるんですか!

 ええ。バックパッカー宿を回るバスもある。それに乗っていれば安く、イギリス中移動できる。荷物も宿の前まで運んでもらえるから、ぼくはエジンバラで米を二〇キロ買って、それをユースのバスに載せて三食自炊しながら回りましたわ。高い国では自炊がいいんです。イギリスは飯もまずいしね。

−−でも、ビールとか飲まないんですか。

 飲みますよ。アイルランドのダブリンにギネスの工場があって見学できるんです。そこは二〇〇円くらい出すと、その倍以上のビールが飲める券がもらえるんですわ。グループで回るんですが、中には飲まんやつもおるので、それをくれいうて、一回で二人前飲む。ぼくはギネスわりと好きやからね。アイルランドも、イギリスと同じようなユースを回るバスがあるんで、それで回って帰りにまたダブリンでギネスの工場に寄りましたわ。

−−そうですかあ。パリとかはどこに泊まったんですか。

 パリでは一泊三〇〇円のところに泊まりました。

−−一泊三〇〇円! そんなとこあるんですか。

 地下鉄の駅から四、五分の便利なところに日本の寺があるんです。

−−日本山妙法寺ですね。

 ああ、そうです。

−−でも、泊めてもらうとなると、なにかお勤めがあるんじゃないですか。

 いや、とくに義務はないんですわ。ただ、最近の若い人だと泊めてもらっている観念がないんですな。トイレに入ってドアを閉めんとか、布団をたたまないとか、そうやったら出て行けといわれる。あたりまえですな。ぼくはそのへんはちゃんとするので問題ない。たまに坊さんの托鉢に連れていってもらいました。いっしょに団扇太鼓たたいてね。

−−パリの町なかでですか。

 そうです。でもね、カネくれるフランス人はいないですな。くれるのは東洋人。中国人の店とか回ってね。いっしょに行った坊さんが遠慮深いのか太鼓叩く音が小さくてね。あれじゃ、だめだと思うたから、ぼくは大きな音で叩いてね。そしたら、けっこう恵んでもらえたんで、坊さんのところ行ったら、ひとつももろうてない。じゃ、これでいっしょにコーヒーを飲みましょうということになって、通りの喫茶店で坊さんとコーヒー飲みましたわ。

−−観光もしたんですか。

 ルーブルにもエッフェル塔にも行きました。二週間もおったからね。でも、博物館とか行っても、なにがなんだかよくわからんわけです。ロンドンでロゼッタストーンとか見ても、ほお、これがナポレオンがとってきて、そのあとイギリスにとられてしまったあの石かくらいのことしかわからん。なにが書いてあるのか、まるで読めんわけです。

−−象形文字なんて読めなくてあたりまえです(笑)。

 要はね、時間をのんびり過ごせたらいい。いいところがあっても、なくても問題じゃない。昼寝して、たまに起きて見物する。それが楽しいんです。

 

●南米

−−一九九八年から一年間南米に行かれたんですね。

 ええ。言葉もまったくわからんかったね。

−−でも、本棚にNHKのスペイン語講座のテキストやテープがありますけれど。

 あれは、帰ってから録ったんです。もういちど行くつもりやからね。

−−聴いてます?

 ぜんぜん聴いとらん(笑)。

−−はは。南米では面白いことありましたか。

 いろいろ面白かったですけど、ペルーで首締め強盗に遭うたですわ。

−−どこが面白いんですか(笑)。どこでやられたんですか。

 プーノという町やったですね。チチカカ湖に行く基地にあたる町です。いきなり後ろから締められてね。気持ちええなあと思うていたら、そのままパタッと倒れて意識不明ですわ。気がついたとき、漏らしとりましたね。

−−被害はどうでした。

 パスポートは別のところにあったので大丈夫でしたけど、ウエストバッグに一四、五万のカネを入れといてね、それを盗られたのは痛かったですなあ。旅程を変更せざるをえなくなった。

−−怖かったでしょう。

 怖いとは思わなかったですな。やられるまでなにもなくて、やられてるときは瞬間的だし。ぼくは、どこで終わってもいっしょやないかと思うんです。十年やそこら長く生きたって同じじゃないですか。

−−そりゃあ、まあ。

 それにあのときは、やられそうなところに行っとったんです。あとから考えれば、やられて当然ですわ。

−−そのあとは旅はつづけられたんですか。

 アンデス山脈に沿って南米の突端まで行きましたわ。そこでたまたま会うた人が、南極がよかったいうんですな。それ聞いて、そうか南極ええやろなあと思うたんやけど、カネ盗られたから予算がない。それでもういちど来よう思うたんです。ほんとうは南米を全部回るつもりやったんですが、ブラジルなど東側のほうは、南極に行くときのためにとっとくことにしたんです。それでもういちどアンデス沿いに帰ってきたんです。

−−それで一年ですか。

 そうです。ちょうど一年ですな。帰国してみたら、妹が死んでよったです。

−−はあ……妹さん旅行中に亡くなられたんですか。

 五月に出て八月に死んだんです。帰ってきたのは翌年の四月だったんで、半年以上知らんかった。電話もいっぺんもせんかったしね。

−−ショックだったでしょう。

 いや、よかったと思いました(笑)。

−−よかったって……。

 妹の娘夫婦が葬式とかぜんぶやってくれとったしね。前の日まで隣の人と話していたというから、もしそのときぼくがいたら、なんぼ鈍感だいうても、やはりショックだったでしょうけれどね。弟も、その数年前に、やはりぼくの旅行中に死にましたけど、それも帰国まで知らんかったですわ。だれが先に死のうと問題ではないと思いますよ。いつかは死ぬんだから。たまたま、あとに残ったのが自分だというだけやから、なんてことないですわ。

 *

 水津さんの部屋の壁には「死んだときの連絡先」と書かれた大きな紙が貼ってある。そこには唯一の身内であるいちばん下の弟さんや親しい友人の名前、手続きする先の住所や電話番号がマジックで書かれている。

 *

 南米に出かけるときは、どうなるかまるでわからんかったし、もしかしたらうまいこと旅先で死ねるかもしれん思うて、初めて息子に保険証券を送りましたわ。

−−息子さんと行き来はないんですか。

 二〇年も会っとらん。住所だけは知っとるけど、なにしとるのか、孫がいるかどうかも知らん。むこうも連絡せんし、こっちもせんしね。でも、保険が下りるのなら、もらっとかなきゃ損やから、一応受取人を息子にしといた。でも、実際には快適やった(笑)。

−−でも、首締めにあったんでしょう。

 ああ、あれはしかたない。スリとかにも会ったけれど、あんなのは問題じゃないしね。

−−旅先で死ぬことに不安とかないですか。

 ぼくはね、ここ(自宅)でだけは死にたくないと思うとるんです。ここで死んだら犬死にですな。できれば旅先で死にたいですなあ。

−−でも、だれかに看取ってほしいとか、そういう気持ちってないですか。

 まったくない。なんで看取ってもらわなあかんの?

−−なんでっていわれても……。でも、だれか親しい人にそばにいてほしいとか。

 ない。まったくない。

−−うーむ。じゃあ、野垂れ死もいいのですか。

 かまわんけど、いちばんいいのは、腹上死やねえ。まあ、それは無理やけど(笑)。

 

●入院は旅の愉しみ

−−カイロでお会いしたとき、旅先の入院が楽しみだとおっしゃってたのが印象的だったんですが。

 入院は愉しみやね。疲れると入院させてもらうんですわ。バンコクにいい病院があるんですよ。二回入院したことあるんですが、個室でテレビやシャワールームもあって、三食とも日本食なんですわ。海外で日本食を食べたのは、このときが初めてでしたわ。ドクターが京大出た女医さんで、日本語ぺらぺらなんです。なかなか、きれいな人でね。

−−それより肝心な入院の原因はなんだったんですか。

 ええと、あれは……そう、デング熱やった。タイの北部で発熱して、ぜんぜん熱が下がらない。地元の医者に行ったら、できんといわれてバンコクに戻ってきたんです。あそこはいい病院でした。死ぬときはここがいいなと思いましたわ。でも、あとになって、もっといい病院があるのを知ったんです。そこも三食日本食なんですが、ぼくの入ったところは自分のところでつくっているのに対して、そっちは日本食レストランから取り寄せるんです。こんどは、ぜひそっちに入ろうと思うとります。

−−そういう病院て、かなり高いでしょ。

 まともに払ったら二、三〇万円はするでしょうな。もちろん保険に入っとります。カード出すだけでいいから、かんたんですわ。年とってからの旅行がいいのはね、保険のこともあるんです。この歳になると、もう生命保険は掛け金が高くて入れない。けれども、旅行保険だけは年齢は関係ないんです。安心して入院できる。

−−でも、病院のないところはどうするんですか。

 世界に病院のないところなんてないですよ。まあ、困ったことはありますけどね。インドで尿が紅茶みたいになったんで肝炎かと思うて入院させてくれいうたんですわ。その病院が山の上でね。同じ部屋にインド人がマラリアで寝ていて、うんうんうなっとるです、それはかまわんのですが、食事がつかんのですよ。家族が持ってくるシステムでね。仕方ないから、毎日二回山を下りて、町まで飯を食いに行った。

−−入院して山登りしてどうするんですか(笑)。で、肝炎だったんですか。

 それが結局わからんのですよ。医者はちがうというとりましたが、言葉がわからんからね。でも、そのうちよくなりましたわ。

 

●水津流旅行術

−−水津さん、荷物はいつも何キロくらいですか。

 二〇キロくらいやねえ。

−−二〇キロってかなり重くないですか。

 重いんです。膝が悪いんで十キロくらいにしたいんですがね。最近カメラも買うたし、三脚とか交換レンズとかもつと、けっこう重いんですわ。前に、タイで荷物を全部盗まれたことがあったんです。あのあとは中国を三カ月くらい回ったんですが楽でしたなあ。なにしろ荷物がないんですから。

−−これはかならず持っていくというものはありますか。

 磁石。方向音痴やからね。

−−ガイドブックは。

 いちおう持ってきます。「歩き方」とかね。あれの欠点は厚いことですわ。まあ、ガイドブックなんて、ひとから見せてもらえばいいし、たいてい同じバスに外国人のバックパッカーとか乗っとるでしょ。そうするとバスが目的地についたら、そいつのあとをついていけばいいんです。言葉できんから話しかけられんけど、白人は安いとこに行くから、ついていけば安宿にたどりつけます。宿さえ見つかれば、あとはなんとかなる。若いひととちごうて、何もかも見る気はないしね。

−−けっこう見落としてますか。

 ようやりますわ。でも、旅のおもしろさは観光名所の見物じゃないんです。バラナシ行ったとき、ホテルを出て、あの有名なガート見に行ったんですわ。よく話に聞いとったから、ああ、こんなもんかと思って帰ろうとしたんですわ。そしたら、自分のホテルが思いだせんのですよ。名前も場所もまったく思いだせん。仕方ないから、近くの大きなホテルへ行って、「自分はどこに泊まっとるのかわからんのですが」と訊いたんです。

−−(爆笑)

 そしたら親切な人で、片っ端からバラナシ中のホテルに電話してくれたんですわ。ボーイが迎えにきてくれました(笑)。そんなことのほうが、よう覚えている。まあ、適当にボケるのは楽ですわ。あんまり心配せんからね。

−−でも、ボケてなくても、水津さんて心配性じゃないでしょ。

 まあ、そうやね。心配性じゃないけど、くよくよしたり……せんか(笑)。まあ、せっかく生きとんやからいろんなことはしたいですからね。だから、この前オーストラリア行ったときはスカイダイビングしましたわ。

−−スカイダイビングですか!

 ええ、それからラフティングもしました。両方ともビデオもあります。

−−スカイダイビング、面白かったですか。

 面白いことないね。すぐ終わってしまったから。ラフティングはおもしろかったですよ。スキューバもやるつもりだったんですが、昔結核をやったというたら、だめだと断られました。バンジーもやろう思うたんですが、スカイダイビングのあと左耳が聞こえんのですよ。それでやめたんですが、日本に帰ってから耳鼻科にいったら、こんな大きな耳くそがつまっとって、それとったら元に戻りましたわ(笑)。

 

●アフリカ

−−南米以来、この一年くらい長期旅行には出てないんですか。

 ええ、こんなに長く日本におったのは初めてですわ。膝が悪いんで、毎日医者通いか昼寝しかしとらん。でも、膝は完治せんからね。そろそろ出るつもりです。

−−今年はいよいよアフリカをめざすと聞いたんですが。

 南米でアフリカに行ってたひとに会ったんですが、そのひとが「南米は楽です」というのを聞いたんです。アフリカは危ないとか、悪いとかいろいろいうんですが、そんなに悪いとこやったら、かえっておもしろいにちがいないと思うたんです。なにか盗られるのは仕方ないしね。盗られると旅が楽になるくらいやし。盗られて困るもんもないし。

−−出発はいつですか。

 五月二日に船で上海に向かおうと思ってます。

−−上海って……。アフリカじゃなかったんですか(笑)。

 ぼくの旅はいつもまず中国からなんです。そこから西に向かう。ボンベイかバンコクからナイロビに入ろうと考えとるんですがね。まあ、そこまでたどりつけるかどうかわからんですがね。それに、ほんとうは行けても行けんでもいいんです。行きたいところがあるのが、ぼくは幸福だと思う。もちろん行ってみるのも幸福だけど、実現するかどうかは別問題なんです。

−−計画を立てるのが楽しい……。

 いや、ぼくは計画はなにも立てない。でも、行きたいと思うんです。何年か前、南米に行きたいといつも思っていた。そう思っとると、それだけで楽しくなる。夜でも目が覚めると、ああ、南米に行きたいなあと堂々めぐりして考えている。ここも行きたい、あそこも行きたい。妄想ですな。具体的な行き方はわからないのだけど、そう考えていると、わくわくして夜も寝られん。マチュピチュ行きたいなあ、南米のいちばん南に行きたいなあとか。すると、そのうちほんとに行けるんです。だから、アフリカに行きたいと思うとると、そのうち行ける。

 

●老人よ、荒野を目指せ!

−−ひとりで旅立てないお年寄りの方へ、なにかメッセージを。

 ぼくはね、年とっても旅行できるということを、一般のひとに知ってもらいたいんです。言葉ができんから行きたくても行かれんという年寄りもいっぱいおると思うんです。でも、ぼくのように、なにも知らんでも旅ができるということを年寄りに知ってほしい。

−−でも、やはり言葉が不安だという方は多いと思いますけど。

 英語は三つだけで十分です。「どこですか」「いくらですか」それに「トイレ」、これだけ知っておれば大丈夫。こっちが努力してわかってもらおうとする必要はないんです。努力は相手にさせればいい(笑)。こっちは年寄りなんやからね。それに英語なんか通じない国のほうが、互いにわかりあおうとするから、かえって心がふれあう。濃厚な場合になることだってありますよ(笑)。

−−なにか、あったんですか。

 いや、そりゃまあ、いろいろと(笑)……。まあ、世の中にはいろんな趣味があるし、それぞれに楽しい。けれども、いちばん能力のないひとが楽しめるのが旅行なんです。年寄りの趣味というと、盆栽とか俳句とか詩吟とかいうけど、ああいうのは若いときからやって初めてものになる。年とってから盆栽やったって、ろくなものにならん。でも、旅行はそうじゃない。行きたいときに行けば、だれでもできるんです。

 

 

 

 

 

水津さんてだれ?

水津さん、エジプトにあらわる 1993年

ロング・インタビュー2000年

水津さん 旅の履歴 2000年当時まで

旅の幸福術 2002年

ロング・インタビュー2003年

散りやまぬ桜の下で 2005年

旅の翁に会いに行った 2006年(リンク)

旅の仙人写真館(リンク)棋士・森信雄さんのサイト内

王様の耳そうじ(管理者ブログ)

シナイ山頂にて(エジプト 2002)

バラナシにて