旅の幸福術

 

 水津英夫さんは今年八一歳になる現役バックパッカーだ。「旅行人」誌でもインタビューを載せたので(二〇〇〇年五月号)、覚えている人も多いだろう。その水津さんから今年の早春、年賀状が届いた。

「ナイロビでぶらぶらして、今アジスアベバに着きました。小学生の頃、皇帝の一族アベバと黒田侯爵の雅子姫との婚約の話があり、アフリカに興味を持っていたが、やっと実現しました……」

 黒田侯爵のことは知らないが、とにかく無事でエチオピアまでたどりつけてよかった。水津さんが今回、日本を出たのは昨年の春だが、その後、中国、インド、パキスタンなどをまわって、ムンバイからナイロビに飛んだ。これまで六〇カ国以上をまわってきた水津さんだが、アフリカ行きは今回が初めてである。

 水津さんが旅を始めたのは、六〇歳の定年をすぎてからだ。やることもないので、ひとつ台湾でも行ってみるかとリュックを背負って出かけたのがきっかけだった。

 外国に出てみて発見したのは、貧乏旅行をしていると日本にいるより金がかからないことだった。旅費は年金でまかなえる。ドミトリーでは若い人と話ができて楽しい。英語などできなくても支障はない。歩くのでボケ防止になる。疲れたら旅行保険を利用して、「入院」して休養もできる。そんな貧乏旅行の楽しさにはまった水津さんは、以来、今日まで、ほぼ毎年一〇カ月以上、旅三昧の日々を送っている。

 水津さんは会うたびに、「年をとっても、なにも知らんでも旅はできるということを、年寄りに知ってほしい」という。しかし彼を見ていると、やはり年をとってからの旅には、ある種の資質が必要なのだという気もしてくる。その資質とはなんなのか、彼の話をもとに考えてみた。

 

1 好奇心

 堺市の水津さんの自宅を訪ねたとき、部屋に入ってまず気になったのは、やけに大きな等身大の姿見だった。それも三枚もある。

「なんですか、この大きな鏡?」

「ああ、最近ダンスを始めましてね。でも、これがなかなかうまくならんのですわ。ダンスは音楽がわからんとダメなんですな。だけど、ぼくは音楽がまるでわからんのです。音楽とダンスが関係あるなんて知らんかったです」

 棚に目をやると、ダンスの独習ビデオやダンスの教則本が二〇冊ほども並んでいた。その隣にはスペイン語講座のテキストやテープがずらりと並んでいる。早起きしてラジカセで録ったものだという。

「勉強熱心ですね」と感心すると、「並べとるだけやけどね」という。ダンスが巧くなるかどうか、言葉ができるようになるかどうかは、どうでもいいのだという。やりたいことがあるのが楽しい。

「旅でもそうですな。ぼくはね、行けても行けなくてもいいんです。ただ、行きたいところがあるというのが幸福だと思う。ただ、不思議でね、アフリカええなあ、行きたいなあと思うとると、そのうちにほんとうに行けるようになるんです」

 その言葉どおり、水津さんはアフリカに行けてしまった。

 

2 バチ当たり

 水津さんに「宗教とか入ってないんですか」と訊いたことがある。すると、「入ってますよ、ぼくはね、三つ入ってる」という。

「三つ?」

「S学会とK福の科学とあとなんだっけな、あのキリスト教のやつ、そうMモン教やった」

「むちゃくちゃじゃないですか」

「近所の人に入れいわれたから入ったんですわ。でも、ほとんど旅行しとるから集まりとかにも出られんしね」

「えっ? じゃあ、信じてないんですか」

「あんなもん、信じるかいな(笑)。まあ、誘ってくれる人にとっては、ひとりでも信者がふえればよいようだから、人助けと思うて入ったんです。ぼくは宗教が悪いとは思わんですし、信じることで自分の力を発揮できるというのもわかるけど、ぼく自身は死んだら自然に還るんだと単純に考えているんでね。バチ当たりといえばバチ当たりやけど、まだバチが当たっとらん」

 そこまでしゃべると、水津さんは「いや」といって、「あるいは、バチが当たって、こうなっとるのかもしれんな。まあ、わしはそれをバチと思うとらんけど(笑)」といった。

 背筋がぞくりとした。バチがあたっていたとしても、それをバチだと思ったことがない。かなりすごい言葉だ。

 

4 脱力と忘却

 初めてカイロの安宿サファリホテルに水津さんを訪ねたとき、かくしゃくとした元気いっぱいの老人をイメージしていた。七一歳(当時)にもなってアジアを陸路で横断してくるなんて、よほど体力のある人にちがいない。そう思っていた。

 しかし、会ってみるとまるでちがった。小柄で、一見すると弱々しいほどの、よけいな力がすっかり抜けたような人だった。力が抜けているせいか、旅先で会った人の名前も顔もどんどん忘れてしまうらしい。よけいな荷物も少ないが、よけいな記憶も少ないのだ。

「まあ忘れてしまっても、あまり困らんからね。自分の泊まっているホテルの場所なんかも、よう忘れますわ」

「どうするんですか」

「たいてい、だれかに訊くと連れてってくれます。こっちは年寄りやからね。覚えようという努力もせんからね。いちど、バラナシでガート見に行ったあと、帰ろうとしたら、自分のホテルが思い出せんのです。仕方ないから、近くの大きなホテルに行って、自分はどこに泊まっとるのかわからんのですが、と訊いたんです。そしたら、親切な人で、片っ端からバラナシ中のホテルに電話してくれてね。ボーイが迎えに来てくれました。そんなことはよう、覚えとります」

 

5 楽観主義

 なんといっても水津さんの本質はこれにつきる。その楽観主義にはポジティブシンキングといわれるものにつきものの、妙な不自然さがない。根っから身についた人生肯定主義なのである。

 年をとってからの旅でなにか不安かというと、やはり病気や事故ではないかと思う。ことによると生きて日本に帰れないかもしれない。そんな不安が長期旅行する気持ちを挫くこともあるだろう。

 だが水津さんを見ていると、そんな悲壮感がまるでない。旅先で入院したときの話を訊いても、バンコクの○○病院の女医さんはきれいやった、また入院して会いに行きたいなあとか、どこそこの病院の飯が美味かったとか、そんな話しか出ない。八〇にもなって、もうちょっと人生の孤独や死について考えたらどうだ、とこっちのほうで突っ込みたくなる。

 もっとも水津さんはこれまでなんどか旅先で強盗に襲われている。トルコでは睡眠薬を盛られて意識不明になり、ペルーでも首締め強盗に襲われた。もちろん貴重品はすっかり取られてしまった。

「怖くなかったですか」と訊くと、

「べつに、怖いことないよ。気づいたときはなんにも覚えとらんのですから。どこで終わってもいっしょやないですか」といって笑う。

 水津さんには家族もない。奥さんとは退職の半年前に離婚し、息子とは二〇年も連絡をとっていない。べつに確執があったわけでもないが、とくに会いたいとも思わない。住所だけは知っているので、死んだら一応保険の受取人にしているという。

 旅先で人知れず死んでしまうことへの不安とかないですか、と訊くと、

「ぜんぜんないですな。ぼくはできれば旅先で死にたいですわ。自宅でだけは死にたくないですなあ」という。

「だれかに看取ってもらいたいとか……」

「ない、まったくない」

「野垂れ死にでもいいのですか」

「かまわんけど、いちばんいいのは腹上死やねえ(笑)」

 楽観主義というより快楽主義者なのである。そういうと、

「そりゃあ、そうです。だって、人間、なんのために生まれてきたと思いますか。人間に目的はなにもないんですよ。生きとるだけ。生きとるんだから、楽しまなくちゃダメですよ。それが生きとることの目的です。なんのためというのはない。だから、ぼくは何一つ努力せんのです。できても、できんでも、したいことをする。最小の努力で最高に楽しむ。それが幸福というものじゃないですか」

(「旅行人」2002年掲載)

 

 

 

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