「校歌と小景異情(その二)」考
| 皆さんは、突然 「あなたの卒業した学校の校歌を歌って下さい」 と言われて即座に歌えますか。 私は、
・ 小学校の校歌は、歌詞もメロディも思い出せないので歌えません。 小学校の校歌が思い出せないのは、少し言い訳ができます。五年生のときに他校との合併があり、学校名が変わりました。その時に校歌も新たに制定されたのです。(合併前の校歌も忘れましたが・・・) 中学・高校では、各種クラブが出場する大会の前に、生徒全員参加の壮行会があり、その時に校歌を斉唱しました。小学校に比べて校歌を歌う機会が多かったのです。今でも口ずさむことができるのはそのためです。 先日、久しぶりに高校時代の気の合った仲間が集まり、三年間クラス担任だった恩師の家にお邪魔しました。 恩師の奥さんと弟さんを交えて、庭先でバーベキューパーティをしていただき、懐かしく、楽しい一時を過ごしました。 その中で、「校歌が良かった」という話題があり、「みんなもそう思っていたんだ」 と嬉しくなりました。私も高校の校歌はとても気に入っていて、他に誇れるものの一つだと思っていたからです。 加えて、高校の校歌には私なりの思い入れがありました。 そこで、私の思いを込めて、校歌の考察をしてみました。 歌詞は下に記載のとおり、語呂がよく味わい深い。さすが「室生犀星」だと思います。曲は二番目後半からメロディが変わり、三番目終盤ですごく盛り上がって終わります。 歌詞には学校名が入っていないのですが、そこがまた良いと思う。 |
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富山県立有磯高等学校校歌 (昭和28年12月8日制定) 山脈(やまなみ)なみをかさね
海なりなりをこめて
母校よいましとある日 |
作詞 室生犀星 石川県出身の文人 代表詩:小景異情 「その二」が特に有名。冒頭の一節が桃屋のCMでテレビ放送された。(下に詩を記載) |
| 作曲 平井康三郎 高知県出身の音楽家 代表作:スキー、とんぼのめがね、ひなまつり、 平城山(ならやま)、etc |
※わだつみ→ |
海、大海 |
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作曲者の平井康三郎は、全国で約500校の校歌を作曲していますが、富山県では、有磯高校と高岡第一高校の二校だけしか確認できませんでした。
高岡第一の校歌の作詞は「土岐善麿」という、明治後期に若山牧水や石川啄木と肩を並べた人物ですが、歌詞に学校名が明記されているのが残念です。(・・・と思うのは私だけかも知れませんが・・・) 室生犀星作詞の校歌は20校余しかなく、その約半数が石川県の学校です。富山県では、有磯高校と砺波高校(作曲者は異なります)とこちらも二校のみです。 ちなみに、室生犀星作詞、平井康三郎作曲の校歌をネット検索したところ、 ・金沢市立野町小学校(犀星の母校)・金沢市立金石町小学校 ・大田区立馬込第三小学校(犀星の居住地近所) ・北区立田端中学校(犀星の居住地近所) ・金沢美術工芸大学 の5校を見つけました。いずれの学校も校歌の作詞が犀星であることに誇りを持っているようです。 上記に加えて、犀星の作詞であると確認された金沢大学、鹿島町立久江小学校、軽井沢高校、日方小学校(和歌山県)を加えた計11校の校歌の歌詞を検証したところ、学校名が明記されていたのは、田端中学校の校歌だけでした。 地名や固有名詞は約半数が入っていました。 これは想像ですが、犀星は私と同じように「校歌には学校名を入れないほうが好ましい」と思っていたのではないだろうか。田端中学校は「学校名を入れるように」という注文があったのかもしれません。(しつこいようですみません) 次に、作詞者である室生犀星の代表する詩であり、また、私の思い入れが深い「小景異情(その二)」について考察します。 |
| 小景異情(その二) ふるさとは遠きにありて思ふもの そして悲しくうたふもの よしや うらぶれて異土の乞食となるとても 帰るところにあるまじや ひとり都のゆふぐれに ふるさとおもひ涙ぐむ そのこころもて 遠きみやこにかへらばや 遠きみやこにかへらばや |
←これが桃屋のCMに使われた一節(商品名は忘れた。知っている方教えて下さい) 桃屋のCMは、三木のり平の似顔絵キャラクター(声は本人)によるアニメで、歴史・小説上の人物などになって登場するのが印象的でした。(このCMは「東京で浪人生活をしている若者」だったと思う) |
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この詩には気になる点が二つあります。一点目は、詩中の人が「ふるさとにいるのか」、「都にいるのか」ということ。二点目は、中段の「帰る」「都」と下段の「みやこ」「かへらばや」となぜか漢字と仮名になっていることです。
一点目に関しては、「都」と答える人が多いという、それは多分冒頭に「ふるさとは遠きにありて思ふもの・・・」とあることと「ひとり都のゆふぐれに ふるさとおもひ涙ぐむ」の部分に妙にリアリティを感じるからだろう。 しかし、冒頭は「ふるさとに来て後悔している」、次の部分は「ふるさとを思うこころを持って、遠いみやこにかえろう、と言っている」と反論できる。
私の結論は、詩中の言葉を忠実に解釈すれば「ふるさとにいる」となります。 二点目については、次のようにいくつかの憶測ができる。この選択によって、一点目も決まります。
・漢字は現実で、仮名は心の中 小景異情は「その一」から「その六」まであるが、「その二」が最も題名にふさわしい詩だと感じます。(だから上記のような気になる点もあるのだろう) なお、私感ですが「その二」以外の詩からは、「詩中の人がふるさとにいる」という情景が自然に浮かんでくるので、全編を通読したあとで上記の1点目の質問をした場合は、逆にほとんどの人が、詩中の人は「ふるさとにいる」と答えるかもしれません。 一連の詩は、犀星の青春時代の象徴的な情景が共通テーマとなっているようですが、「その一」から「その六」とはっきり区分されているので、それぞれが独立した詩と見ても良いのではないかと考えます。 その見地に立ち、私流(思い込み)の解釈をしてみました。 この詩を詠んで私の頭の中に浮かんでくるのは、「ふるさとから都に戻った詩中の人が、心身共に疲れて、誰もいない夕暮れの公園のベンチにぼんやりと腰掛ている。」という情景です。 ふるさとへ帰ってみたが自分の居場所は無く、落ち着くこともできなかった。さりとて、都へ戻った今、ふるさとへの思いを捨てようとしても心にあふれてくる。 という詩中の人の心情が、詩から伝わってくる。 従って、私の妄想により「詩中の人は都にいる」となります。
二点目については「現実」と「こころ」の使い分けであると推理しました。 そして、最後に「遠きみやこにかへらばや」を繰り返します。これは、「ふるさとの思いを心の奥にしまって、この都で生きて行こう」と強く自分に言い聞かせているのではないだろうか。 |