読書ノート
私の読書量は、月に2〜3冊程度なので、かなりペースはゆっくりだと思う。
ネタバレするので、既読またはバレても問題ない人だけどうぞ。
ハリーポッターシリーズの第4作目。 堂々の上下2冊のハードカバーは、車中で読むには重くて苦労した。 多分に、ご都合主義であるが、ファンタジー物であるから、そこら辺は目を瞑る。 瞑っても、十分に面白いし、読み応えがあった。 巻頭で、いつも酷い目に会うハリーの養い親といとこのダドリーは、今回は舌が大きくなるトフィーを食べさせられて、えらい事になって笑えた。 そして今回は、とうとう悪の魔法使いヴォルデモード卿が復活し、その魔の手からハリーは無事に逃れられるか。 また、年齢制限があるにも拘らず、3校対抗戦に何故か参加する羽目になったハリーはどうなるかが、物語の主幹である。 個人的には、魔法学校3校対抗試合で、誰が優勝するかよりも、クリスマスパーティーで誰と誰がダンスのパートナーになるかが、面白かった。 ハリーもロンも、手近な娘であっさり手を打って、取り合えず参加するものの、やっぱり逃した魚の大きさに愕然とするのがなんとも。 幼い恋の行方というか、駆け引きというか、あぁもう何やってるんだよと、苦笑させられた。 本書では、1〜3で、疑問に思いながら、解決されていなかった問題のいくつかに解答が出ている。 例えば、なんでハグリッドは普通人の2倍の身長で3倍の横幅なのかとか、逃げおおせたワームテールは何をしていたか、 ドラコ・マルフォイ一派の親は、本当に死喰い人(闇の魔法使いの総称)なのか等だ。 今回は禁止された呪文が3つ出てくる。 磔の呪文・服従の呪文・死の呪文である。 この禁呪は、3つとなっているが、4つにも思える。 本編にも出ているが、苦痛の呪文(クルーシオ)は多分に、この類の筈なんだが。 もしかして、磔の呪文と重なっているような印象もあり、はっきりしない。
ただ、今回新しい「闇の魔法への対抗術」講座の先生マッドアイ・ムーディが偽者で黒幕であったというのは、正直いただけない。 あれほど熱心に教えていて、闇の魔法への対抗策に精通しているのに、ヴォルデモートの信奉者であり、 校内での出来事の黒幕だったというのは、一寸ないだろうと思う。 何より、ハリーに対して服従の呪文への対抗方法を講義しているのだ。 死喰い人であるなら、それをハリーに教えるのは、戦略的に不味い。 また、マッドアイに化ける為に、ポリジュースを呑み続けていたという設定は、無理があり過ぎる。 これならむしろ、クィディッチの元ヒーローであり、審査員の1人であったルード・バグマンが実は死喰い人であったという方が、まだしもと思う。 これだと、無理は無いが、意外性も薄いし、ただの堕ちたヒーローを描くだけになってしまう。 それ以外は、きわめて面白く、次巻が楽しみになる良品だった。
2004/4/1〜2004/4/20 ゴブリン娘と魔法の杖(魔法の国ザンスN) ピアズ・アンソニー(山田 順子訳)
久しぶり読書ノートは、これまた久しぶりのザンスである。 今回は、主人公はゴブリン娘のグェンディー。 そして、他に主人公級の登場人物が5人いて、翼のあるセントールのチェを除き、 皆女の子である。 このグェンディー、雄ゴブリンと違ってゴブリン娘は、魅力的でかわいいんだそうだ。 しかし、ゴブリンと言うと、どうしてもMtgカードに描かれているゴブリンを思い出してしまい、 不細工な子鬼のイメージを払拭できず、違和感が抜けなかった。 加えて、女人喰い鬼のオクラは、人喰い鬼らしからぬ、小柄(人喰い鬼の基準での)で 賢い(同じく人喰い鬼の基準)、心優しいと言う、非常に恥ずべき特性を持っている。 既にそれは、人喰い鬼では、無いんじゃないかと言う突っ込みを入れたくなる。 それでも、オクラは、主人公であるグェンディー以上の活躍をみせる。 最初に、オクラ・人魚のメラ・ドラゴンに捕らえられていたアイダの3人が出会い、 それぞれの願いの解答を得る為に、良き魔法使いハンフリーの城を訪れる。 オクラの願いは、ザンスで主要登場人物になることだが、そう語られている時点で、主要登場人物になっていると言う、 ピアズ・アンソニー得意の判りきった罠である。 まぁ、山のように突っ込みやらご都合主義が心地よいくらいのファンタジーは、ザンスだから許される的代物である。 巻末の解説は、懐かしや谷山浩子であった。 そこでも述べられてるように、初期のザンスは、もっと重厚であったのは事実であるし、俺の好みもその頃のザンスである。 あんまり軽い話は、飽きてしまうんだな。
前回の極大射程以来の読書ノートだが、またしても狙撃物である。 アメリカ人はこの手の狙撃物がすきである。 主人公は、かなりタフだが、絵に描いたようにボロボロになっていく。 ダイハードのブルース・ウィルスを想像すると大体当っていると思うが、 職業は、検事補であり、ブルース・ウィルスのイメージと乖離が有る。 甘いマスクのハリウッドスターは、どうもしっくりこないから、例えるのは辞めておこう。 対する敵役は、冷徹な狙撃者であり、シュワルツネッガーに近いタフな大男である。 しかし、正直これもしっくりこない。 「ターミネーター」のシュワルツネッガーをもっと鋭角にした感じだろうか。 もっと、狂猛な偏執狂的な戦闘マシンである。2002/6/1(?)〜8/9 デューンへの道@〜B ブライアン・ハーバート&ケヴィン・J・アンダーソン(ハヤカワSF文庫 矢野 徹 訳)
さて、この本だが、描写が異常なまで細かい。 というか、無駄な描写が多すぎて、本筋がぼやける事がしばしばあった。 ガレージで殺されるだけの人間の人や成り、そいつの雇い主の詳細まで遡り語るのは、やりすぎである。 また、作家の拘りだろうか、主人公は未婚ながら(正確には離婚歴あり)、養子が3人もいる。 養子は、韓国人の双子の娘と一人はベトナム人の男の子である。 こんなところに、こんな無駄な暗喩を入れる精神が理解できない。 韓国人は、明らかに朝鮮戦争を意味していて、しかも双子とは皮肉というかなんと言うか。 ベトナム人の男の子は、不発弾を悪戯した結果、隻腕となり義手として、鉄の鉤爪をしている。 韓国はやんわりと、米国と融和しつつも、翻弄しつづけ、 ベトナムは、一つになりながらも、傷ついた手で米国を脅かしている、 と言う印象を与えないだろうか。
物語自体は、余計な登場人物の掘り下げを無視すれば、かなり面白く、楽しめる。 ただ、いかんせん、この掘り下げのせいで、テンポが大きく損なわれているのは、否めないだろう。 アクション物として、これはかなり致命的なものだ。 もう一つ気に入らない点は、ニコライ・トルソフ側の調査を担当する女性は、 美人で、格闘家で、頭が切れてと素晴らしい女性のように書かれている割に、 主人公と深くなる事も無く、サラリと流してしまっていて、非常に物足りない。 彼女の見せ場は、ニコライ・トルソフとの乱闘シーンなのだが、叩きのめされただけで終わっている。 敵役の行動として、これはあまりに理不尽であり、彼女を強姦しないのは、失礼と言っても過言ではないだろう。 辱められた彼女をみて、怒りに我を忘れた主人公は、間違いを犯して、より窮地に陥らねばならないはずだ。 そうでない彼女は、ただの打ちのめされたメッセンジャーボーイでしかない。 端役となんら変わらない存在ではないか。 この小説の主要なキャラクターは、 主人公・敵役・主人公の相棒・ヒロインそして、主人公の家族だ。 しかし、インパクトの順に並べると、敵役・主人公・主人公の相棒・子供達のベビーシッター・ヒロインとなる。 ちなみに、子供達のベビーシッターは、不正入国しているハイチ人のおばさんで、 ニコライ・トルソフの罠により、主人公の手で撃ち殺される。 また、子供たちは、誰も殺されないし傷つかない。 この作品中で、象徴的な意味以外に、存在価値が何もないではないか。
ラストシーンは、原野での狙撃手同士の決闘になるが、これも納得がいかない。 いくら、肉の焼ける臭い誘われたとはいえ、ヤマアラシの死体と草で擬装した死体に、 歴戦の勇士が騙されるとは、思えない。 この終わり方だけは、全く納得できない。 そう言った意味で、ラストは非常に驚かされた。 こんな芸の無い陳腐な終わり方があるだろうか。 方や半死半生(むしろ半死半焼)、方や蜂に刺されただけと言うダメージ差は、大変なハンディである。 そこに驕りや油断が生まれたと作者は言いたいのかもしれないが、冷静さが売りのスナイパーにあるまじき行動である。 と言うか、にわかに信じ難い結末であった。
後書きにもある通り、砂の惑星デューンシリーズは、デューン本編(以下本編と言ったらフランクハーバート著のデューンシリーズを指す)を読む前に、この本を読むべきである。 あのデューンシリーズのとっつきに難くさに比べると、なんと判り易い事か。 しかも、本編に比しても負けないくらいに面白い。 本編では1巻目にチラリとしか出てこないレト・アトレイデが主人公に据えられている。 そして、本編の各章の冒頭を飾る引用句は、デューンへの道の登場人物の言葉である。 アラキスへ派遣された惑星学者パードット・カインズ、シャッダム皇帝の乳兄弟ハシミール・フェンリング伯爵(Bでやっと伯爵に叙される)等が出てくる。2002/7/1〜7/30 最果ての銀河船団 ヴァーナー・ヴィンジ(創元SF文庫 中原 尚哉 訳)
本書の内容はスターウォーズのもっとドロドロした感じと言えば、ニュアンスが伝わり易いか。 政治や宗教との絡みや、舞台裏の暗闘、巧妙な駆け引きと腹の探り合い、はったりと裏工作がメインのスターウォーズである。 派手な戦闘シーンは極小だが、絶対飽きないように書かれている。 登場人物でも白眉は、ウラディミール・ハルコンネン男爵である。 もう、完璧な悪役だが、性的にはナルシストで少年趣味と言う王道っぷり。 本編では、このおっさん、身体中吹き出物だらけで、スパイス中毒で、 デブデブに太り、サスティンフィールドベルト(空中浮遊ベルト)が無ければ動けなくなっていた。 ところがこの本書では、痩せていて筋肉質の引き締まった身体をしている。 何でそんな風に変わり果てたかが、Aであきらかにされていたりして、本編の補遺的な部分が多数見られる。
3部作のこれからの展開予想
デューンへの道を読んでいて、本編と明らかに食い違っている部分が多々ある。 今回の第1部公家アトレイデの後、公家ハルコンネン、公家コリノと続く。 そして、その差異は、本編に繋がっていく為、大変動があると思われる。 以下は、必ず解決されるだろう部分の予想である。1.イックスの興亡
機械惑星イックスは、トライラックスに侵略され、イックスを支配するヴェルニウス家は滅亡の危機に瀕する。 イックスは一時的に消滅していたのだ。 が、本編では失地を回復している!! 公家アトレイデBで、逃亡したイックスの総督ヴェルニウス伯爵は、対トライラックス・レジスタンスを組織しようと 行動開始した。トライラックスから、どうやってイックスを取り返すのだろう。
2.ハシミール・フェンリング伯爵のアラキス派遣
新皇帝の片腕であったフェンリング伯爵は、新皇帝の不興を買い、アラキスへ送られる。 その目的は表向きはスパイスの安定供給であるが、どうも裏の目的があるらしい。
3.合成スパイスの開発
本編で実現していないので、絶対に完成しない。 が、トライラックスのバイオテクノロジーで、何らかの結論がでるはずだ。
4.ハルコンネンのヌル船
アトレイデ家を陥れる為に、作られたヌル船は、テクノロジーを公開されるか。 残念ながら、本編でこの船の扱いがあったかどうかの、良く覚えていない。 しかし、その強力無比なスティルス性能は、今後、度々活躍することであろう。
5.カイレアとレトの恋愛
破局が訪れるのは、必定である。 クイサッツ・ハデラッハ路線を目指すベネ・ゲセリット教会は、アトレイデの血筋を必要としている。 その鍵となるジェシカ(ハルコンネン男爵と教母の間に生まれ、後にポウルの母となる)は、いつレトと会うのだろう。 つまり、この二人の破局は、裏か表かはわからないがベネ・ゲセリットが必ず糸を引く事になる。 ただ、レトとジェシカは実年齢で16歳の開きがあるので、一度カイレアと結ばれて何かが起きて引き裂かれる。 そこに突け込むベネ・ゲセリット、横綱相撲ですな。
6.イックスの隠者ピルルー
彼はトライラックスによるイックス侵略時、辛くも生き残り、惑星の隠された部屋で、研究を続けている。 彼が、ヴェルニウス伯爵の反撃に寄与するのは確実である。さて、どんな発見や発明をしてくれるだろう。
7.パードット・カインズの存在
本編では、既に存命していないらしい。さて彼は、いつ、どうやって、死ぬのだろう。
8.イルーラン姫の誕生
新皇帝シャッダムは結婚したばかりだから、まだ生まれてもいない。 しかも、本編でも禄に顔を見せていないのだ。 だが、彼女は引用文にやたらと出てくるのである。 このデューンへの道に登場しなかったら、どこに出る場所があるのか。 彼女の活躍を期待する(多分、公家コリノ編だと思う)。
面白かったが、これを他人に勧めるのは、少々躊躇われる。 理由は、そのとっつきにくさと大量に出てくるキャラクター達である。 (なんか、毎度同じ事書いてるな。 巻頭の登場人物紹介には異星人も含め34人、その中で主要な人物だけでも16名はいるだろう。) もう、他人に本を薦めるのは懲りているので、興味がある人はどうぞ。読んで損はないです。
舞台は現在の数千年後になるのだろう、遥か未来であるようだ。 この話では、まだ恒星間旅行にラムスクープロケットと冷凍睡眠が使われている。 一応、現在の科学水準が順調に推移したら可能かと言った感じで、未知の技術は多くなさそうである。 しかし、序章で、語られる人類の生活は現在の我々と大きく乖離しており、同じ人類とは思えず、 なかなか、話に入っていけない。 笑ってしまうのが、これだけ現在とかけ離れている人類社会と、対比されるように語られる、異星人文化。 こちらは、技術レベルで見ると19世紀末か20世紀初頭のようである。 内燃機関が実用化され、飛行機械が飛びはじめ、大量破壊兵器が見え隠れしている。 そう、まさに現在の我々のレベルと大差ないのである。 するとどうであろう、この異種族が妙に身近にみえるではないか。 なんともおかしな話である。 物語は、この発展途上のアラクナ星人(蜘蛛型の知的種族、外骨格なのに体長は人間並み)と、 そのアラクナ星から有意電波信号を受取り、商売になるものを探しに来た商船団(チェンホー)と 異星人征服に来たエマージェント(人類)が、絡み合う。 巻頭で、いきなりチェンホーとエマージェントが戦争を開始する。 その戦闘の真下では、アラクナ星の暗期の冷暗状態の下、アコード国の秘密部隊が破壊工作をしていた。 宇宙戦争の結果、双方の恒星間航行可能な船が多数破壊されて、エマージェントが勝利する。 こいつ等どうやって、帰るのかと思っていたら、なんとエマージェントの指導者は、アラクナ星を征服して船を作らせて帰還するつもりであった。 今まで、異星人が地球を攻めにくる話は多々あったが、これはその逆。 どう考えても人類の方が悪人である。 注目すべきは、このインベーダーのエマージェントがもたらした技術(集中化)であろう。 この技術、元々は精神腐敗病という、人間を廃人にするウィルスを健常人に感染させ、 その人間の得意分野を究極まで高めると言う、とんでもないものであった。 結果、集中化された人間は、愚人と呼ばれる奴隷となり果て、得意分野以外の興味を一切なくす。 人が鬼となり他を畜生と為す、真の鬼畜の技術であった。 本編でも語られているが、この集中化は、解除可能であるが、 それが、この技術の極悪な部分でもあった。 集中化解除すると言うことは、高めた得意分野を消去するのであり、その人間を否定するに等しい事になる。 なんとも救いの無い技術であった。 最終的に、人類とアラクナ星人は和解し、新技術を使ったラムスクープロケットを新造。 この話の中心人物であるファム・ヌウェン(チェンホー)とアン・レナルト(エマージェントの愚人)は、 船団を仕立て、エマージェントの奴隷文明を破壊に赴くところで終わる。 しかし、エマージェントの星域に達するまで、17年くらい掛かりそうである(5光年の距離で光速の30%)。 ちなみに、このアラクナ星に到着してから、アラクナ星人と直に接触するのに、100年くらいかかっているようだ。 と言う事は、ファム・ヌウェンがエマージェントの星系に達した時には、主観時間で130年経過している。 何とも気の長い話である。
いわゆる、if物SFだが、そのifがふるっている。 もし、「全ての火薬を無効化できる機械が発明されたら」と言うものである。 内容は、上巻では、トリガーの発見、及び製品としてのトリガーができるまでの話、 つまり、発明者であるホートン博士チームのあれやこれやが書かれている。 下巻では、それを米国内で、普及させようとする大統領の苦悩が中心であり、明らかに下巻の方が面白い。 読み進むにつれ、これが日本で普及させようとしたら、小説ならんだろうと思えてくる。 裏を返せば、これだけすったもんだする米国の病巣が赤裸々に書かれている。 日本にこのトリガー装置があって、心配なのは、前大戦の遺物である不発弾が、 実は国内にかなりの数が存在し、起動したとたんにドカンと行くことだろう。 まぁ、事前に住民通知の上で、加えて被害が建物に及んだら、国が面倒見ると言えば、 何も問題ないかもしれない。下巻には初期トリガーの爆発を対策した、マーク2トリガーが出てくる。 こちらは、ニトロ基を無効にする効果があり、爆発物を無反応な物質(何に変わるのかは書かれていない)に変化させる。2002/4/10〜4/20 フリーウェア ルーディ・ラッカー(ハヤカワSF 大森 望 訳)
下巻の後半で、発明者のホートン博士が、銃器信奉者に拉致監禁され、殺されかけるのだが、 寸での所で救出されるのは、お約束である。しかし、この銃器信奉者どもは、スティンガーミサイル等の重火器やらCB兵器まで隠匿している辺り、 病巣の深さと筆者が切実にこの装置を望んでいる事が伺える。
ただ、1点気に入らない部分がある。 上巻で、トリガー効果が確認されるとき、ラボに隣接する駐車場で、積んでいた花火で車が燃え上がった事件が書かれている。 これは、この車だけ燃えるのはおかしい。 何故なら、エアバッグ装着車は、全て燃える、もしくはエアバッグが膨張して、車窓が開いてしまうはずである。 あまり知られていないが、エアバッグの起動は、
1.車がぶつかる。
2.ぶつかった部分のセンサーが信管(インフレーター)を起動。
3.インフレーターの火薬の力でエアバッグ膨張。
4.また、別回路からの信号で火薬が爆発し、後部ウィンドウが開く(エアバッグ膨張により車室の気圧が上がり搭乗者の鼓膜が破裂するのを防ぐ)。
となる。エアバッグの起動に火薬が介在しているのである。 つまり、車積のトリガーは普通の火薬では実現不可能であり、これを何とかしなければ、トリガーの普及などありえない。
また、本編でも語られている通り、ニトロ基を使わない火薬にはマーク2トリガーは効果が無いのだが、 最終章では、進化を遂げたトリガーは、あらゆる火薬を無効にしてくれた事になっている。 しかし、現実にはどんなに対策しても、テロを行おうと本気で思っている人間には実は裏道が残っていたりする。 そして、それは絶対に防げないし、避ける手立ては存在しない。 ある手段をとればビル一つくらい吹き飛ばす事ができる。 ただ、手近に火薬類が無ければ、きっとアメリカの犯罪率は激減するだろうから、 トリガーの存在は、無駄では無いに違いない。
本編には、頻繁にアインシュタインとノーベルが引き合いに出される。 言わずと知れた火薬の生みの親と原爆の生みの親である。 この二人とも、それらが生まれたことによって、戦争は無くなると信じていたそうだ。 なんと言う皮肉であろうか。
こう書くとこの本の最後のオチが判ってしまう。 トリガーもまた、同じ運命の罠に陥るのだ。 最後のページで、トリガーは究極の暗殺装置とし動作可能だとホートン博士は知り絶望して閉幕していた。
こちらも3部作、前作は「ソフトウェア」「ウェットウェア」であるが、ルーディー・ラッカーのキ印ぶりが、 思いっきり発揮されていて、心地良い。 後書きにもあるとおり、SFのくせに文化的背景やこの時点までの歴史が、 見えそうで見えないのが、少々不満であるが、ラッカーなので仕方が無い。 大体、巻頭にある家系図なんて、前作2本とも読んでないと全く意味をなさないのだが、 この家系図を無視しても、別に何も困らないところもラッカーである。 複数の人物の視点を章代えの度に入れ替え、しかも、時系列を微妙に並べ替えている。 それでいて、混乱することが少ないのは、1人称で語られているからだろうか(1部3人称のところもある)。 内容は、エロあり、人工生命体あり、無敵の宇宙人ありで、テンコ盛りであるが、何でこんなに読後感が良いのかしら。 でも、後にはラッカーに対する、渇えのみが残り、他は何も無い。 まだ読みたい・もっと読みたいという要求を無理に抑えて、本を閉じた。2002/4/1〜4/30 グリーン・マース キム・スタンリー・ロビンソン(創元SF文庫 大島 豊 訳)
やっと読み終わった。面白いんだが、登場人物がやたらと多い上、語りの視点が代わっても誰の視点かわからず、 2〜3ぺージ戻し読みがしょっちゅうあって文章的には失敗作。 訳者の書き方が悪いのか、元の文章がそうなのか、イライラさせられるた。 結果、読むのに時間が無闇にかかるしで、あまり良い本とは言い難い。 前作の「レッド・マース」を読んでいなければ、読まなかったろう(これも、読みづらかったが)。 15年くらい前のSF大会の席上で、当時のSFマガジン編集長(名前を失念)が、悪い文章の典型として 「誰が語っているか判らない文章が一番駄目」と断じていたが、この本はそれに当たる。 ただ、これに限らず世には、こういった小説が蔓延っている。 基本的に日本の小説は、登場人物が少なく、1人称で綴られる物が多いので、あまり目立たないのだが、 俺が主に読むのは海外の長編である。 訳の上で主語が省略されている為に、訳のわからない文章になるのを判って欲しい。 「グリーン・マース」の主たる登場人物にナディアとマヤ・トイトブナがいる。 この二人は、ともにロシア人の女性で、性格はまるで違うのだが、後半、この二人の語りが交錯する。 しかし、誰の視点か判らない、結果、眉根を寄せながら、悩みながら読む羽目に陥ったのだ。 また、同様な事が、スペンサー、サックス、ニルガル、アート、コヨーテといった男性陣にも言えたのだが、 彼らは、この女性二人に比べると判別が付けやすかった。 美しい文章を心がけるよりは、判りやすい文章を。 テンポの良い文章よりは、視点の明確な文章を書いて欲しい。 この「グリーン・マース」を読む前に読んだのは「フリーウェア」(ルーディ・ラッカー)だったのだが、 こちらは、複数の人物が、章別に1人称で語られている。 「グリーン・マース」とは全くの逆であったのは、面白い対比である。 「グリーン・マース」は、章別に中心人物を変えて、3人称で語られている。 何より不味いのは、章が代わったときに、誰の視点に代わったかが、判別できないのである。2001/2/1〜2/21 聖騎士 スパーホーク[タムール記@] デビッド・エディングス
内容は、前作で失敗した火星革命を再度ということなのだが、「レッド・マース」の頃に比べて 格段にテラフォーミングが進んでおり、最終章では、簡単なマスクだけで皆地表を歩いている(というか脱出行をしている)。 登場人物には、日系人が多いのも特徴。アメリカの作者なのに、ロシア人も多数出てくる。 主要メンバーの一人で、火星丞福(アレオファニィ)を説く女性がヒロコである。 日本人の目には、その独特なアニミズムを含んでいる火星丞福とヒロコは、母系社会である古代日本を思わせずにいられない。 ヒロコは99%の確率で、ヒミコのアナグラムであろう。 彼女は、「最初の100人」の一人であり、多数いる息子・娘を冷凍精子で作っている。 その子供たちは、火星社会のあらゆる面に浸透している。 特にジャッキー(英雄ジョン・ブーンの子)とニルガルは、独特なカリスマを持ち、あらゆる火星の政治勢力に影響を与えている。 とここまで、書くと非常に面白そうな感じがするのだが、訳を完全に失敗している。
次の「ブルー・マース」で完結なのだが、読むかどうか微妙。 訳者の交代を強く望む。
駄作である。表紙の絵からして読む気を削ぐような絵だ。こんなむさくるしい親父が英雄スパーホークである。行動もなんともはや、ただのおっさんのような振る舞いで、何処が聖騎士なんだか。こんな魅力に乏しい奴が主人公であるから、周りの登場人物が逆に目立ってしまうのだが、他の奴らも誰も彼も似たような性格に読む気を失くさせてくれる。お陰で、何度も巻頭の登場人物表を確認するはめに陥り、物語は途切れ途切れとなってしまった。
巻頭にタムール記の前提となる物語(エレニア記)が延々と書かれていて、それを読まないことには、本編が繋がらず、ワヤクチャになるような代物である。正直、先にこれを本にしてくれよと言いたくなってしまう(エレニア記は、訳本が出ていない)。
エレニア記には、このシリーズの中核となる思想、古い神と新しい神の代理戦争が書かれている。古い神=邪悪なもの、新しい神=聖なるものだそうだが、この決め方は全く気に入らない。特にトロールの神は、悪のようにかかれているが、全く同意できない。エレニア記を読んだ限りでは、トロールが見つけた宝石ベーリオンを奪ったのはスパーホーク達である。目的はどうあれ、スパーホークの方が強盗であり、ベーリオンを追ってきたトロールを殺したのであるから、普通に考えたら同情されるのはトロールであろう。
また、スパーホークの奥方エラナ女王は、かなり鼻持ちならない女である。女王だから許される的な書き方をされているが、主人公がなんでこんな女を我慢できるのか不思議でならない。きっと、女王様趣味のM男なのだろう。
全編を覆う不快な宗教臭は、かなりのもので、デビッド・エディングスは、とことん異教徒(多分キリスト教以外)が嫌いなんだなと思ってしまった。大体、ヒーローがちっとも危うくならないような冒険談なんぞ何が面白いものか。嫁さんが女王、娘が神様だなんて話しが面白いわけがない。どう転んでも、主人公が死なないのが判っている。そりゃ主人公は死なないものだろうが、ちっともドキドキしないのである。A以降は多分買わない。嫌いな奴に勧めるとよいかも知れない。そのくらいしか、この本の使い道は無いと思う。
@でなくて、いきなりAなのは理由がある。このシリーズは中編集であり、私のお目当ては、アン・マキャフリーだけであった。パーンの竜騎士シリーズの内の一編が納められていたからに他ならない。
<パーンの竜騎士> パーンの走り屋 アン・マキャフリー
しかし、この「パーンの走り屋」は、正直、失望させられた。サイドストーリーであるのは判っていたが、あまりぱっとしない唯のシンデレラストーリーであったからだ。普通のファンタジーと考えたとき、それなりの水準であるのは事実であるが、私はパーンの竜騎士には特別な思い入れがある為、辛目の評価をしてしまった。というよりは、他の2編が面白すぎると言うべきであろう。他の2編も、それぞれがサイドストーリーであるにも関わらず、完全に独立した物語であり、完成度が高い。バックボーンの説明を読んでいなくても、多分楽しめてしまうくらい良いできである。勿論、元になる世界観を読んだほうが、世界に入って行き易いのは事実である。<真実の剣>骨の負債 テリー・グッドカインド
魔術師ゼッドの物語であるが、主人公はアビゲイルという女性である。自分の夫が殺され娘が人質に取られているので、ゼッドに助けてもらおうと母親の骨を持ってゼッドを訪ねる話しである。魔術師の不可思議な力が振るわれてめでたしめでたしでは有るのだが、アビゲイルの心の葛藤が見所である。派手な魔法合戦もなくは無いが、たいした事は無い。話しの全面を覆う、絶望的な雰囲気は、いかにもファンタジーっぽく、剣と魔法の世界が素晴らしく描かれていて快い。<氷と炎の歌>放浪の騎士 ジョージ・R・R・マーチン
騎士の従者であったダンクが騎士となり、無法な騎士を倒す物語。この本に納められている3編のうち、これが一番面白かった。物語は、従者のダンクが、年老いた騎士を埋葬するところから始まる。死ぬ前にその騎士は、ダンクを騎士に叙するのだが、立会人がいなかった為、王に騎士と認めてもらえない。それでも、馬上槍試合に出るところまで漕ぎ着けるが、成り行きで従者にしたエッグ少年のごたごたに巻き込まれて、命を賭けた果し合いをするハメになる。粗筋は、こんなものだが、騎士の生活や市井の佇まいが細かく書かれていて、興味深い。主人公以外の登場人物は、ファンタジー物にしては少ないほうであろう。途中で読み直して、これ誰だっけ的な事をしなくても良い。はっきり言って、主人公以外の3〜4人を覚えておけば、全く問題ない。放浪の騎士は、城付きの騎士とは全く異なった生活をせねばならないが、これは日本の戦国時代の(宮本武蔵のような)武者に近いものである。繊細な人物描写もさることながら、ラストの決闘シーンでは、スカッとさせてもらった。久々に時間を忘れさせてくれるくらい、熱中する本であった。あぁ、本編がスゴく読みたい。ともあれ、フリーボトム・ダンクに栄光あれ!!
これは、前作「重い飛行機雲」の続編である。太平洋戦争末期の試製で作られた飛行機が中心である。その他は初期の零戦と零観(零式艦上観測機)、二式大艇、ユングマン練習機が話に出てくる。零戦以外は、馴染みが無いかもしれないが、いずれも普通の戦史では脇役ばかりである。特に零観は、零式からもわかる通り零戦とほぼ同時期に作られているにも関わらず複葉機である。零観の運用方法から敢えて複葉にしたと言う点で全く異端な存在であった。試製も特に異端と言える「秋水」ロケット局地戦闘機、「震電」局地戦闘機、「研三」高速度研究機が取り上げられている。
試製では、「秋水」が面白い。ドイツのMe163のデッドコピーと言われているが、実は、ドイツからもたらされた情報がA4版20枚ほどの機体設計書と機体組み立て3面図の写真1枚、B5版20枚ほどの薬液の生成資料だけで作ったと言うから驚きである。試製の段階でも設計書は3000枚くらいになるから、如何に何も無かったかということだ。この状態から1年未満で試験飛行まで持っていったというのにもまた、驚かされる。知らない人のために元の機体であるMe163について簡単に説明する。Me163は実用化された最初のロケット推進式の局地戦闘機(迎撃専門の戦闘機)である。形状はブーメランのような主翼に垂直尾翼を付けたもの思えば一番わかりやすいか。ちなみに水平尾翼は付いていない、いわゆる無尾翼機である。作戦時間は、わずか5分、要するにエンジンに点火して空中に上がると5分飛んだら降りなければならない。当然、エンジンは止まるので、滑空して帰ってくる。但し9000mまでわずか3分(同時期に局地戦の雷電は6000mまで15分近くかかる)で到達する。しかも、離陸すると車輪を捨てるので、着地はソリ式である。初めて聞いた人はこれでも十分に驚きなのだが、もっと驚くのは燃料で、ヒドラジンとメタノールを使用する。この2液は扱いが難しく、ヒドラジンは劇薬である。飛行中にヒドラジンの燃料漏れを起こすと、操縦席にいる人間を溶かしてしまう事故もあった。
もう一つの異端は震電である。いわゆるカナード翼を付けた機体は、一種異様な雰囲気がある。エンジンを操縦席の後ろにつけ、プロペラも後ろについている。翼は、零戦のような翼ではなく、三角翼に近い。この主翼に、2枚の垂直尾翼(正確には尾翼ではないが)を付けている。この機体、隠れたファンが多数いるらしいが、正確に記録を取られていないようだ。実は私もふぁんであり、中学生の頃、キャンバスバッグに震電の絵をラッカー塗料で描いて、粋がっていた時期もあったりする。これのプラモを作った時、その脚の長さと全幅の小ささに驚かされたものだ。レシプロエンジンではなく、ジェットエンジンで飛ばしてみたかったと思う。本編でも、試飛行中、強力なエンジントルクのせいで右傾して飛ぶ様が書かれており、小さい翼と大馬力レシプロエンジンに苦労していた事が窺える。また、震電の垂直尾翼には、補助輪が付いている。プラモを作った時なんでこんな不細工なものをつけているのか不思議に思ったが、本書を読んで判明した。離陸時、強く機首上げすると、プロペラが地面を叩いてしまうのである。それを防ぐためにつけたものであった(先に補助輪が接地する)。
太平洋戦争後半というよりは、末期のドキュメンタリー。昭和20年8月15日に終戦で、すっぱり終わったと思っている人が多いだろうが、とんでもない。そういうイメージの映像が、毎年8月15日に流されるので、皆そう思っているだけで、実際はこの後10日間くらい、色々な事があった。天皇からの勅旨を受け入れかねる人達が継戦しようとして反乱寸前までいったり、神風特攻を指揮した将官が、零戦に載って特攻に飛びだったりしている。読んでいて、そりゃそうだよなぁ、急に止めと言われても、どうもならんよと思ってしまった。
この当時には、日本空軍は存在しないのだから、副題の「太平洋戦争日本空軍秘話」に引っかかりを持つ人もいるだろう。巻末に、著者自身の説明があり、敢えて空軍と言う表現を使ったとあるので、私自身はあまり気にしない事にした。
感想は、かなり面白いと言ってよいだろう。冒頭の「四十五年目の真実」と最後の「三〇二空の最後」が特に良い。あとがきも含めて全て読み切るべき本である。「三〇二空の最後」は映画化(アニメでも良い)してくれないかなぁ等とおもってしまう。宮崎駿あたりでやってくれると凄く良いのだが、実名がバンバンでるので、関係者が生きてるうちは無理だろうな。
2000/1/11〜1/13 激闘 東太平洋海戦1(覇者の戦塵シリーズ)谷甲州
2000/1/4〜1/10 侵攻作戦 パシフィックストーム 外伝1 佐藤大輔
1999/12/10〜1999/12/15 お師匠様は魔物(マジカルランドシリーズ)ロバート・アスプリン
1999/11/16〜1999/12/2 プラネット・ハザード 惑星探査要員帰還せず ジェームズ・アラン・ガードナー
1999/8/?〜11/11 グローリー・シーズン上下ディヴィッドブリン
1999/11/1〜5 激突シベリア戦線上下(覇者の戦塵シリーズ)谷甲州
1999/10/22〜1999/10/26 反攻 ミッドウェー占領上・下(覇者の戦塵シリーズ)谷甲州
真珠湾の蹉跌の続きである。開戦からミッドウェーを責めあぐねている第1機動部隊に真珠湾から引き返してくる第2機動部隊が合流してミッドウェーを占領する筋書きなのだが、海兵隊が(かなり勝手に、いや自主的に)本格投入され膠着状態が打開され始める。
新兵器として、95式中戦車のシャーシに20mm機関砲×4を搭載した対空兵器が登場する。開発に関して無理の無い設定兵器で好感が持てるが、上陸作戦で海に漬かったりと無茶な使われ方をしているのが気になる。下巻の表紙にそれが載っているが、ドイツのヴィルベルヴィンド(4号戦車のシャーシに20mm4門を搭載した対空自走砲)に良く似た形状となったようだ。ただ、こちらの方シャーシが小ぶりである為、携行弾数が少ないだろう事は容易に想像できる。加えて、砲旋回が手動と言う設定は一寸悲しいところである。この自走対空砲は、小さい車体に運転手・砲手・砲助手(旋回担当)の3人が必要と言う事になる。これなら、人間を一人おろして、旋回モーターを載せた方が良いと思うのだが。運転手と砲助手を一人でやるのは不可である。機動力を犠牲にしたら、自走対空砲なぞ脆い物だ。増して、前面装甲が12mmと言うのだから、当たり方によってはライフル弾でさえ貫通するそうだ。装甲板の避弾傾斜くらい研究しろよ、日本軍部。
空中電探は相変わらず大活躍なのだが、97式艦上攻撃機に搭載されていて、脆弱さは変わらない。結局、電探の運用方法を確立させるには、機載電話をちゃんとしなければ意味が無いと言う事か。本編でも繰り返し述べられているが、史実では零式艦上戦闘機(いわゆる零戦)の機載電話は、使い物にならなかった。原因はいくつかあるのだが、電話の性能ではなく、アンテナの絶縁不良でエンジンプラグのスパークノイズが乗ってしまい、聞き取れないと言う事だったらしい。これについては、坂井三郎氏の「大空のサムライ」にも言及がある。地上でテストすると使えるのに、何故か空中に上がると使えない等と言った記述があった。結局坂井氏は重量増加を嫌って、アンテナごと機載電話を降ろしてしまうのだが、別に困らなかったそうだ。しかしこれは明らかに、高い所にある葡萄は酸っぱいと言う奴である。この巻でも、相変わらず米軍の空母の打たれ強さは際立っている。航空魚雷1、250kg爆弾3を食らって、まだ21ノットを出す空母って何?って感じである。1〜2日後には戦力として復帰してくるのだから、嫌になる。日本軍の空母も史実より打たれ強くなってはいるが、ダメージコントロールという思想を確立した米軍とは根本的な部分で差が出るようだ。とは言え、飛竜は小破、瑞鶴は大破するも辛くも逃げ切った。終話では、ミッドウェーをもう放棄するようだ。何の為の占領か良く判らない作戦であった。
1999/10/20〜1999/10/22 真珠湾の蹉跌(覇者の戦塵シリーズ)谷甲州
とうとう大東亜戦争が始まってしまった。昭和16年12月ではなく、こちらは昭和17年4月である。なかなか開戦に踏み切らない日本に対しアメリカは勇み足で日本に最後通告を出してしまい、開戦口実を自分で作ってしまった。開戦劈頭になんと日本海軍は真珠湾作戦とミッドウェー作戦を同時に行うという暴挙にでた。結果は奇襲自体は失敗に終わる。日本は蒼竜と龍譲の2隻の正規空母を失い、赤城と加賀を中破してしまう。この時期すでに、飛行機搭載型の電探が開発されているのだが、電探の運用自体のノウハウが無く、そのために2隻が沈没という結果となって現れる。日本軍もレキシントン級の正規空母「サラトガ」を屠ったり、旧式軍艦を真珠湾に沈めたりするのだが、派手なトラトラトラとはならなかった。開戦時から大量の熟練搭乗員を失った海軍は、どうなってしまうのか。これを戦訓として、日本軍は巻き返しを図るようだ。
この前の本の「北太平洋航空戦 上・下」で、大分読み応えが出てきた。読んでいて楽しい。巻末のあとがきで、著者も述べている。この手のシミュレーション小説は魔味があるらしい。書いていてドンドンエスカレートしていくそうだ。
1999/10/17〜1999/10/20 急進 黒竜江陸戦隊(覇者の戦塵シリーズ)谷甲州
謀略熱河戦線の続きである。実際の歴史では、海軍陸戦隊は、ほとんど活躍らしい活躍が無く、本当に海軍はアメリカを仮想的と考えていたのかと疑問が出てくる。冷静に考えれば、島嶼戦は日本のお家芸になっても良かったはずなのだ。どこをどう間違ったのかを検証する意味でもこの本は価値があるかも知れない。ただ、やはり日本は悪役なのだな。こりゃ角川書店も困った事だろう。商売としては、成り立たない類の本だ。
筋は中国(満州)とソ連の国境である黒龍江(アムール川)で国境紛争がおきる。シリーズ2巻目で発見された満州油田(史実では大慶油田1950年発見)の極近くである。ここに1000t級の海防艦を導入して、紛争を解決するのだが、アムール川の入り口はソ連側にあるため大変といった感じ。寒々とした満州の景色の中、馬賊のような遊撃隊を率いるはみ出し者の将校が活躍する場面が見所である。技術者の方は、駆逐艦の簡易版である汎用海防艦を計画する中尉が第4艦隊事件(台風に演習中の艦隊が突っ込み大被害をだした事件。本当にあった)を契機に思い通りのものを作れるようになるという話。これのせいで、駆逐艦 雪風は作られないかも知れない。
1999/10/13〜1999/10/17 謀略熱河戦線(覇者の戦塵シリーズ)谷甲州
覇者の戦塵シリーズの第5作目である。あるHPでこの覇者の戦塵シリーズが紹介されていたのを見て、読み始めたのだが、何処の本屋にも角川書店発行の本が無く往生していた。仕方なく図書館のリクエストカードを書いて取り寄せてもらった。このシリーズは、初版の頃、谷 甲州氏と谷 恒生氏を勘違いしたため、読み逃していた。谷 恒生氏の戦争物は酷い物で、史実を全く無視した御都合主義の権化のような物だった。零戦の戦闘描写で「アクセルを思いっきり踏み込んだ」と書いていたのには、驚くを通り越して笑ってしまった。零戦にアクセルはない、スロットルである。さらに足で操作するのではなく、手で操作する。足元にはフットバーがあるのだが、こんなに何も調べないで執筆する作家がいるのかと幻滅した覚えがある。それを先に読んでいたのと、2人を同一人物と勘違いしたせいで、読む気になれなかったのだ。
内容だが、関東軍を押さえ切れない陸軍と、技術と軍内政治の責めぎ合いで苦悩する技術者の物語である。複数の主人公が入り乱れる為、誰が誰だか判らなくなるのが難点だが、十分に面白い。ただ、6巻目までは、中国・満州を中心に遷移する為、読んでいて辛い。何がって、この頃の日本軍(関東軍)は完全に悪役であり、主人公達はどうあれこれを支援する立場だからだ。悪者が主役ならば、ピカレスクロマンみたいな読み方ができるのだが、関東軍の独善ぶりには救いがない。これが、現在の陸上自衛隊の前身だとはとても思えないのだ。本の大部分は、関東軍の暴走と謀略、それを収めようとする軍部、さらに翻弄される技術者達の行動である。華々しい戦闘場面は後半に少し出てくる程度で、それを期待して読むべき本ではない。読み物としてはなかなか面白いのだが、如何せん時系列が判らなくなる事が多く苦労させられた。各章に昭和?年?月くらいのキャプションは付けて欲しい、なんたって谷氏は技術者なんだから、日付をおろそかにしちゃいかんよ。もう一つ、巻頭に地図があるのだが、物語に出てくる地名が書いていない。何度か読み返して、北京の北って書いてあるからこのあたりかとか想像しながら、読んだ。これも、差し支えない範囲で記載すべきだと思う。しかし、陸軍の将校達は、自分達の事以外を全く考慮しないで行動するのにはびっくりする。戦争は始めるのが簡単だが、終わるのが凄まじく難しい事が判っていない。加えて、相手が自分の都合の良いように行動すると考えて作戦を立てている。中国軍がすぐに逃げ出すのは弱いからとしか考えられないというブロックヘッドぶりである。