=昼席(途中入場)=
桂 南喬「風呂敷」
噺のメインストーリーから外れた部分だが、兄ィの二面性が可笑しい。周囲の人から頼られ、風呂敷一枚で窮地を脱する機転を持つ兄ィが、女房には鼻であしらわれ、飼いならされている。このギャップが兄ィのキャラクターをふくらませているのだが、女房のふてぶてしさを極限までデフォルメし、怪物のごとく演じたことが最大の効果を生んでいる。笑えた〜。
太田家 元九郎(津軽三味線)
柳家 権太楼「幾代餅」
まるで舞台の上の登場人物が飛び跳ねているような演じ方で、くすぐりを随所に織りまぜながらノンストップで突き進んでいくようなスピード感が新鮮だった。さん喬をはじめとして、じっくりと語る仕方になれていた為に、度胆を抜かれたような気持ちで聞いていたが、吉原で一夜を共にしての明くる朝、全てを打ち明けられた太夫がすっと涙をこぼすという下りはとても綺麗な演出で、素直に感動した。吉原から戻ってきた主人公があだ名になってしまうほど「来年3月」をくり返すというのも可笑しかった。権太楼の高座は数える程しか聞いたことがないが、その度に驚きがあって楽しい。
マクラとして「噺家は誉められるとそこがダメになるので、楽屋ではさん喬兄さんの『女』をほめている」と話していた。
=夜席=
前座 柳家 さん市「道具屋」
体調が悪いのか、トチリが多かった。
柳家 喬之助「小町」
柳貴家 小雪(太神楽)
柳家 さん光「手紙無筆」
三遊亭 歌る多「町内の若い衆」
立て板に水で悪口雑言をまくしたてる女房が凄い。
大瀬 ゆめじうたじ(漫才)
入船亭 扇遊「たらちね」
主人公が新婚家庭を想像する『ばーりばりーのざーくざく』や、本来の落げである『依って件のごとし』など、通常の寄席興行では省略されてしまう部分までじっくり演じてくれた。この噺としては久々に満足した。
古今亭 志ん輔「野ざらし」
テンポの良さとくすぐりを入れるタイミングが絶妙で、最後まで笑いっぱなしの高座だった。
アサダ二世(奇術)
五街道 雲助「ずっこけ」
落語で重要なものの一つに、『風景を想像させるテクニック』があると思う。この話しの中では落とした男を捜しにいった友だちが呟く『あんなところで人だかりがしているよ』がそれで、短い台詞だけれども、この仕込みにより、人の輪の中をかきわけて男を発見したときの可笑しさを増幅する。
仲入り
柳亭 市馬「堪忍袋」
スケールの大きな演じっぷりが、聞いていて気持ちよい。
ふじ ゆきえはなこ(漫才)
柳家 さん喬「鼠穴」
私がさん喬にはまるきっかけとなった題目。
3文と知らずに喜んで金を持ち帰ろうとする弟に、声をかけようとして止める兄の描写や、兄への恨みを胸に抱いて働く弟を演じる際に披露する売り声の数々、夢の中で借金を断られた時の『おぼえてろ』という台詞など、多くの仕掛けが効果を発揮していた。
聞くのが2回目にして気付いたことがある。
弟が悪夢を見た本当の理由は、行き場の無くなった恨みの発散だったのではないか。弟は10年間、兄への反骨心だけをたよりに働き続け、この日も恨みを抱いたまま、3文を返しに来た(この辺の心理描写については、さん喬は台詞以上にその表情で語っている。感情を押し殺しての無表情だ)。心の中には怒りが渦巻いていたはずだ。それなのに、兄はとびきりの善人で、自分はその手のひらで踊らされていただけだったなんて。仲直りはしたものの、無意識の部分では遣り場の無い怒りがとぐろを巻いていたのではないか。その怒りを昇華させる行為、自我の防衛本能があの夢見だったのではないだろうか。だからこそ夢の中での兄は、ことさら非常にふるまっていたと思うのだが。
林家正雀の高座も聞いたことがあるが、ここまで悪人には演じていなかった。火事の後の借金を巡る喧嘩も売り言葉に買い言葉といった様子。ひょっとしたら弟が首を括った後に、50両持って様子を見に行くなんて展開を予想させるものだった。これは兄と弟の信頼関係に対する解釈の違いに起因するのだろう。
=昼席=
前座 桂 才ころ「狸札」
くすぐりや間の取り方は上手だなと思わせる。
柳家 小権太「牛ほめ」
上手だし、なによりこの人が持つ、ほのぼのした外見のなかに無邪気な悪を隠しているキャラクターは卑怯だ。落語界の花田勝と呼びたい。
柳家 さん光「弥次郎」
「あまり偏差値の高そうでない高校の学校寄せで大受けした噺」と前置きしての高座。猪の子は何匹?の問いの答えは笑えた。そう来るか。この人得意のまくしたてる演出がホラ話と上手くシンクロしていた。
林家 正楽(紙切り)
春風亭 正朝「桃太郎」
今日は小噺は無し。マクラ話として寄席の団体客の話しをしていた。
桂 南喬「風呂敷」
アサダ二世(奇術)
仲入り
古今亭 志ん駒「幇間腹」
さすがにヨイショの神様だけあって、幇間を演じると上手い。というよりこの人の持つ文脈自体が幇間なのかもしれない。志ん五もそうだけど、古今亭の「幇間腹」は人物のデフォルメが極端で可笑しい。
柳家 さん福「短命」
女房が御飯を茶わんでよそるのが可笑しかった。ただ、それ以外はあっさりし過ぎていて不満。
川柳 川柳「テレビ草創期(とでも呼ぶか?)」
前日がテレビ50周年とのことで、街頭テレビの力道山や近所の金持ちの家での視聴体験など、テレビ放送開始時の思い出話を披露した。
柳家 紫文(粋曲)
古今亭 志ん五「寝床」
志ん五は「素人義太夫」と言っていた。ノンストップの語り口は「幇間腹」と同様で、妄想に近いくすぐりが可笑しい。有無を言わさず笑わせる。
=夜席=
前座 柳家 さん市「子ほめ」
昨年に浦和市民寄席で「道具屋」を聞いたときはこんなにとちりの多い人では無く、テンポも良かった。風でもひいているのか。
柳家 喬之助「骨皮」
すず風 にゃんこ金魚(漫才)
柳家 小太郎「普段の袴」
めくりを間違えたさん角を見ていたのか、自分の名前を確認していた。小太郎と柳家小権太、五街道喜助の3人を『トリオ・ザ・バカボン』と、私は密かに呼んでいる。
古今亭 志ん輔「相撲風景」
ノンストップの語り口は志ん五と似ている。古今亭の芸風なんでしょうか。好きですよ。
ペペ桜井(ギター漫談)
入船亭 扇遊「初天神」
三遊亭 歌る多「初天神」
扇遊に続いて、凧上げのシーンから落げまで。『前の仕事で途中までになってしまったので、演りたくて仕方が無かった』と言っていた。リレー落語の様で面白かった。さん喬に教わったとのこと。
アサダ二世(奇術)
五街道 雲助「浮世床」
仲入り
柳亭 市馬「厄払い」
林家 正楽(紙切り)
柳家 さん喬「按摩の炬燵」
さん喬がやると、なぜか人情噺になってしまう。炬燵になった按摩がすやすや眠るお店の従業員たちを見て「疲れてるんだろうな〜」「こうして大人になっていくんだな〜」と呟く場面には、孤独な按摩の寂しさもちょっぴり垣間見える。ほろっとさせて寝小便で笑わせるわけだ。
=夜席(途中入場)=
五街道 雲助「手紙無筆」
仲入り(節分のため、豆まきが行われた)
柳亭 市馬「二人癖」
私がこの噺で一番好きな台詞「生涯の知恵ぇ、一ぺんに使ったな」を、さらりと言ってしまっていたので、ちょっとがっかり。
柳家 紫文(粋曲)
柳家 さん喬「井戸の茶腕」
この噺に関しては、春風亭昇太の方が好きだ。ストーリーが茶腕のやり取りに至った際の「今度は私の分け前は無いのね」という一言に、支配階級同士の意地っ張りに巻き込まれた被支配階級の悲哀が凝縮されていて面白かった。
さん喬で印象に残ったのは若侍の爽やかさ。実際に見てもらうしかないが、このさっそうとした雰囲気はそうそう出せるものではない。
=夜席(途中入場)=
古今亭 志ん輔「風呂敷」
初日・2日にこのネタをかけた南喬は極端なキャラクター造型で笑わせ、志ん輔はオーバーなくすぐりで笑わせてくれた。
アサダ二世(奇術)
五街道 雲助「権助魚」
かなりの短縮バージョン。
仲入り
林家 こぶ平「鹿政談」
この噺は、誰のを、何度聞いても面白いと思えない。
演じ方の問題として、主人公を与太郎っぽく、もしくは頑固者に演じてはどうか。何とかして助けてやろうとする気持ちが通じず、困り果てていらいらする奉行の様を見せた方が、ストーリーの輪郭がハッキリするのではないだろうか。その場合の問題は、奉行のキャラクターがあまりにも軽くなってしまうことと、落ちが今のままでは弱すぎるということ。そして何より、鹿の守役の不正を問いただす奉行を演じるこぶ平の、鬼気迫る表情が見られなくなることが最大の問題だ。こぶ平いいなあ。
ふじ ゆきえはなこ(漫才)
持ち時間が全く無く、手話を披露していた。手話による漫才ネタもあるらしい。見てみたい。
柳家 さん喬「幾代餠」
ひたむきな思いを表現する為に、抜き身の様な善人を演じる噺。花魁・幾代には決して会うことができないと言われた主人公の絶望の深さが、演者であるさん喬の表情に乗り移っていた。「どんなに会いたいと思っても会えない人がいるんだと思うと、胸が苦しくなって…」の台詞がたまらなく切ないのは、この絶望が実感として伝わってくるからだ。この絶望感の共有があればこそ、ハッピーエンドの感動にどっぷり浸れるのだ。
=夜席(途中入場)=
柳亭 市馬「りん廻し(雑俳)」
「初雪や ひときわ目立つ インド人」など、荒唐無稽なくすぐりが噴出する中盤から、格段に面白くなった。最後は競輪をお題にして、「家に帰えりん」で落げ。たくさん笑わせてもらった。
林家 正楽(紙切り)
柳家 さん喬「雪の瀬川」
理性の枠から一歩踏み出した人間の心理描写が、さん喬は上手い。 「負の感情を押し殺した無表情」だ。
雨の日に会いに来るとの返事をもらった若旦那の表情は、死を覚悟したと言うよりも、越えてはいけない一線を乗り越えてしまった瞬間のそれに見えた。
自分の行為に対する無自覚な罪悪感を、さん喬は表情で表現しようとしたのではないだろうか。
勘当の身となった自分が吉原に行くことはできないから、瀬川に会いに来てほしい。しかしそれは瀬川の死を意味することであるから、言い出したくても言い出せない。この欲望と理性の危うい均衡を打ち破ったのは「金の無心」という口実の発生。手紙には「会いに来い」などとは一言も書いていなかったはずだが、読んだ瀬川がどのような行動に出るかは、予想の範囲内であったはず。(少なくとも、若旦那が信じているままの瀬川であれば)。だからこそ今まで我慢していたのだが、「金の無心」という言い訳に背中を押されてしまったのだ。悪事と知って禁断の果実をもぎ取ってしまう人間の弱さ。これこそが、若旦那の表情に込められたさん喬のメッセージだったのではないか。ほんとのところはさん喬本人に聞いてみないとわからないけど…。
=夜席(途中入場)=
林家 正楽(紙切り)
柳家 さん喬「宿屋の仇討ち」
とにかく旅の三人の騒ぎっぷりが可笑しかった。頭からっぽにして笑えた。
嘘を逆手に取って安眠を確保するという侍の横暴さも、翌朝の「あれは嘘だ」という高笑いでかき消されてしまう。これはさん喬が演じる侍の爽やかさが為せるわざか。
=夜席(途中入場)=
五街道 雲助「身投げ屋」
中トリでよくかけるネタで、上野の夜席でも何度も聞いた。だけども笑っちゃう。盲の父親の豹変ぶりが、雲助が持つややデフォルメの強い演じっぷりとぴったり合っているんだなあ。
仲入り
柳亭 市馬「天災」
林家 正楽(紙切り)
柳家 さん喬「二番煎じ」
噺のヤマは見回りに来た同心とのやりとりということになるのだが、私が好きなのは、辰っつぁんが吉原の番をしていた頃の思い出話しをしながら夜回りをする場面。「湯屋番」や「ぞめき」の醍醐味にも通じる妄想系ひとり語りが楽しい。また、賑やかな辰っつぁんを先導役にして、にこにこ笑いながらついていく旦那連中の様子も目に浮かぶようだ。
=昼席(途中入場)=
太田家 元九郎(津軽三味線)
柳家 権太楼「芝浜」
「今日は『井戸の茶腕』をやろうと思っていたけど、やめましょう」と言って客席からリクエストを募り、その中から選んだのが「芝浜」。
女房の告白を受けた亭主が先ず発する「男が自分のことをダメだと思った時の心持ち、分かるだろう」という叫びが切ない。この後女房の本心を聞いて「この金を使っていれば、人足寄せ場に送られて、他人様の軒先きで雨露をしのぐ身になっていたろう」と語るが、こちらは理性が話す台詞で、本心は先の怒りのはず。ただ、怒りは口から発すれば消えてしまうのが江戸っ子というもの。「口先ばかりで『はらわた』は無し」ってのは本当だと思う。「この噺については迷っている」と言っていた。この先、どう変化していくのか愉しみ。
=夜席=
前座 柳家 さん角「高砂や」
柳家 喬四郎「真田小僧」
柳貴家 小雪(大神楽)
柳家 小太郎「狸賽」
賽子に化けた狸の動きを視線で追うことにより、空間の広さを上手に表現している。
三遊亭 歌る多「宗論」
耶蘇教に凝る息子の性別を、娘に置き換えている。単に女性というだけでなく、これをバカっぽいキャラクターにしたことが最高の効果を生んでいる。イエスの奇蹟を「だから〜」という語尾上げ口調で語られると、信仰心がいかにも中身の無いものに思えて笑えるのだ。「お前は大学出してるはずだぞ」という父親のセリフは、
オウム心理教などのカルト教団に、理系の大学卒が多く入信していたという事実とも重なる。
大瀬 ゆめじうたじ(漫才)
金原亭 馬の助「位牌屋」
古今亭 志ん輔「三枚起請」
アサダ二世(奇術)
五街道 雲助「粗忽の釘」
仲入り
柳亭 市馬「あくび指南」
「眠そうに言うのがコツだ」とした後のセリフが、あまり眠そうに聞こえなかった。
林家 正楽(紙切り)
柳家 さん喬「文七元結」
マクラから察するに、今日は「芝浜」を演るつもりだったようだ。
50両をくれてしまう父親の「わかっちゃいるけどやめられねえ」という江戸っ子気質が、嬉しくもあり、悲しくもある噺。娘を借金のかたに預けるはめになったり、他人の命を助けたり、善悪の判断が激しい性格ではある。「とんでもない悪人でなければとんでもない善行はできない」という主旨のビートたけしの言葉を思い出した。
前座 柳家 さん角「高砂や」
寄席定席とは違い、途中で切らずに落げまで演じていた。
この人はさん喬一門のまくら話しにも頻繁に登場する有名なうっかり者。今日も志ん駒一席目に出囃子のテープを止め忘れたり、噺の後に海上自衛隊仕込みの手旗信号を披露しようとする志ん駒を志ん駒に気付かず、めくりを返しに出てきてしまうなど、しくじりを披露していた。あんまり面白かったので、つい書いてしまいました。
古今亭 志ん駒「遠山桜」(漫談)
志ん生の思い出話しから始まって、時代劇出演時のエピソードへ。
柳家 さん喬「そば清」
「どーもー」という、そば清のかん高い声から入るという演出が面白かった。
そば清の食いっぷりを遠巻きにしながら見ている若い衆も、江戸っ子の物見高さを賑やかに描いていて楽しい。寄席定席のトリではどうしても人情噺の大ネタということになってしまうが、この「そば清」や「短命」など、滑稽噺のさん喬も楽しい。端役まできっちりキャラクターを振り分ける細かさが、軽い噺にも深みを与えているのかも。
仲入り
柳家 さん喬「初天神」
古今亭 志ん駒「つるつる」
キャラクターの造型はさすがに上手で、キャラクターと実年齢のギャップもあまり感じさせない。ただ、今日に限っては省略の仕方が上手くなく、初めてこの噺を聞いた人には分かりにくかったのではないだろうか。
※浦和市民寄席に来たのは2回目。前回の会場は大きなホールだったので、少し大きめの会議室程度という今回の会場の小ささには少々驚かされたし、地元の住民ばかりの客席には、正直言って居心地の悪さも感じた。
しかし、埼玉大学の落研の学生が配るお茶をすすりながら、寄席くじ(地元のお店が提供した商品をが当たる。入場の際に配られるプログラムに書かれた番号による富くじ方式で決定)の抽選を眺めつつ考えた。こういう会が我が家の近所にもあればなあ〜と。大ネタは聞けないだろうし、噺家のモチベーションも決して高いとは言えないだろう。しかしここには声高に蘊蓄を語り、噺家との交際を自慢する常連達はいないし、最前列の絶好の席に1時間以上も荷物を起きっぱなしにするような席取り行為も存在しない。
心から落語を楽しめる本当の寄席だ。
志ん駒の「つるつる」が終わり、会場を後にする。「○○のおばあちゃん、また来てね」という声を背中で聞きながら、寄席くじの当たり番号が一番違いだったことが、ちょっぴり悔しく思えてきた。
=昼席=
前座 桂 才ころ「穴子でからぬけ」
上手いな〜、上手いな〜と思っていたら、5月に二ツ目昇進だそうですね。
桂 文ぶん「やかん」
「愚者!」という見下し方が、三太楼のそれに似ている。毒があって良い。
柳家 さん光「つる」
言えば言う程しくじって、パニックに陥る様が可笑しい。まくしたてるさん光の口調がストーリーにぴったりはまった。
すず風 にゃん子金魚(漫才)
金魚大暴れ。客席におりてきてはしりまくっていた。
春風亭 正朝「町内の若い衆」
「星大名」などのかなりベタな小噺を少し恥ずかしそうに披露した後、「こういう受けない小噺を演るのが好き」と言い訳する。正朝の持つ、御隠居風の穏やかな知性とも言うべきキャラクターと、「この家はまるでファーブル昆虫記だね」というくすぐりが妙にマッチしていて、つい笑ってしまった。テレビの取材が入っていたが、いつ放送するのだろうか。
桂 南喬「七段目」
翁家和楽社中(太神楽)
三遊亭 圓歌
漫談。林家三平の思い出話など。
仲入り
柳家 一九「花見小僧」
おせつ徳三郎の上編。
川柳 川柳「ガーコン(新作)」
夜席の小太郎曰く「投げて無い」高座。本人も「今日は歌うよ〜」と宣言して、軍歌をたっぷり。私はあまり軍歌を好きではないのだが、高齢の客が懐かしそうにリズムを取りながら聞いているのを見ると、これも必要なのかなと思う。
太田家 元九郎(津軽三味線)
柳家 権太楼「死神」
終了後、ロビーで常連らしき人に「今席で2回目の死神でしたね」と声をかけられた権太楼は「ちょっと思うことがあって…」と答えていた。
最前列で聴いたのだが、鬼気迫るというか、人間の発する気というものを息苦しくなるほどに感じた。寄席でこんな体験は初めてだ。「どうだっ」という権太楼の思いが前に前にと発散されている高座だ。細かいくすぐりや演技論などふっとんでしまう。圧倒された。
=夜席=
前座 柳家 さん市「道灌」
初日、2日目は体調不良だったのか、トチりが目立った。それが無ければ安心して聞ける人。
柳貴家 小雪(太神楽)
柳家 喬四郎「金明竹」
マクラでさん市のことを話した。とつとつと喋る中にもけっこうとぼけた味を垣間見させる。面白そうな人。
柳家 小太郎「浮世床」
三遊亭 歌る多「桃太郎」
大瀬 ゆめじうたじ(漫才)
入船亭 扇遊「一目上がり」
古今亭 志ん輔「宮戸川」
今席での収穫の一つに、この人と出会えたことを挙げたい。御祝儀の一つもあげたい。古今亭一門が持つサービス精神には感服させられる。とにかく聴いていて楽しくなる。でも「宮戸川」は花緑の女性が主導権を握る演出の方が好きだな。
アサダ二世(奇術)
五街道 雲助「素人鰻」
鰻の逃げる様など、仕種でたっぷり笑わせてくれる。芝居がかった表情も可笑しい。
仲入り
柳亭 市馬「だくだく」
「○○のつもりぃ」の応酬は最高だった。こういうホラっぽい噺になると、市馬が持つスケールの大きさが活きる。
林家 正楽「紙切り」
柳家 さん喬「芝浜」
特筆すべきは女房の生い立ちを語ったこと。「子供ものころ、大晦日が大嫌いだった、親が必死にあやまって…」との記憶があるからこそ、女房の訴えが愛しく思えるし、嘘を許すことができるのだ。
さん喬の「芝浜」はCDで聴いたことがあったのだが、表情による演技が多いため、生の高座を見て改めて気付いたことも多かった。財布を拾った亭主の「運が向いてきたな」とつぶやいた時の、負の感情を含んだ笑みもその一つ。さん喬落語の真骨頂だと勝手に思う。
でも一番のお気に入りは「ウチ、魚屋よ」。大金を拾ってしまったことに起因した狂気を端的に表現した名セリフで、腹抱えて笑った。