北欧から学ぶもの:ジェンダー    しぶとく、賢く、柔軟に
 
三井マリ子  
デンマーク初の女性のシェルター         
 冬の月が冴える寒い夜だった。どこからともなく現れた4人が鉄の門を開け敷地に入っていった。屋敷のドアが開いた。女たちは無言で中に忍び込んだ。真っ暗だった。足元を懐中電灯で照らしながら崩れ落ちそうな階段を一歩一歩上っていった。
 10分経過。鉄門の横に今度は10人の女たちが現れた。先発隊と同様そっと中に入り、懐中電灯で照らしながら階段を上った。10分経過したのちまた10人、そしてまた10人。
 最初の4人が中に入ったのは午後9時。それからどのくらい時間がたっただろう。全員がホールまでたどり着いたことを確認し、いっせいに懐中電灯をつけた。真っ暗なホールがパアーッと明るくなった。
"The house is ours!"
広間から廊下まで見渡す限り女、女、女。その数300人。1979年11月2日金曜日深夜。「ダナーの家」占拠の瞬間だった。

 「ダナーの家」は、暴力を受けた女性のためのカウンセリングと宿泊を提供する「女性のシェルター」である。住所はデンマーク、コペンハーゲン市ナンセン通り1番地。チボリ公園のある中央駅から歩いて10分の中心街にある。19世紀に建てられた大邸宅のクラシックなファサードはモダンなビルの立ち並ぶ界隈で、ひときわ目を引く。
 女たちが占拠した1970年代当時、「ダナーの家」が、「大昔、ダナーという名の伯爵夫人が建てた女性の救貧施設」であることを知る人はあまりいなかった。しかし、ナンセン通り町内会の女たちは、夜になっても明りのともらない空き家同然のこの「幽霊屋敷」を何とか活用できないかと思っていた。その中に、1970年代デンマークで最も影響力をもっていた女性解放運動団体「レッド・ストッキング」のメンバーがいた。

 レッド・ストッキングは、「女の闘いなくして階級の闘いなし」をスローガンに、女性による新しいシステムをつくろうと意気軒昂だった。意表をつく斬新なアイデアでメディアをひきつけ、その活発な存在は他の女性団体をよせつけなかった。例えば、濃い化粧に水着姿の格好をし、目抜き通りでミスコン反対のデモをする。目に黒いあざをつけた女性がスティルト(高足)に乗って「暴力反対パレード」をする。男性より20%低い差別賃金を知らせるため、バス運賃の80%しか払わない「運賃不払い運動」をする。女だけのホイスコーレ創設運動を展開する。島で男性抜きの世界を体験するサマーキャンプを催す……。
 レッド・ストッキングは、「ダナーの家」を暴力を受けた女たちの駆け込むシェルターにしたかった。この希望を所有者「ダナーの家財団」に申し出、何度も話し合いをもった。しかし、財団は建物の維持管理にかかる経費捻出で借金まみれ。不動産会社に売却を決めており、彼女たちの希望に応じる様子はなかった。不動産会社との交渉も不発に終わった。
 「もう、スクォター(Squatter)しかない!」

 その頃のコペンハーゲンの事情といえば、中心はどんどん商業ビルに変貌し、人が住み働き憩う場所でなくなりつつあった。その結果、市内には住めない学生や貧しい人が多数出た。一方で、空き家同然の邸宅や建物があちこちにあり、学生の間には、「スクォター(Squatter)」と呼ばれる空き家を不法占拠し住み込むというアクションがはやっていた。
 こういう状況のもと、「ダナーの家」の占拠計画はレッド・ストッキングを中心に用意周到に進められた。決行の日時はもちろん、懐中電灯、食料、水、寝袋などの必需品を誰がどのくらい持参するか。誰が誰に連絡をするか。何時にどこに集合するか。先発隊は誰か。屋敷のドアを誰に開けてもらうか。1グループの人数や順番をどうするか。中に入ったらどのように行動するか。どこに集まるか。警察が来たら、どう答え、どう行動するか。「敵地に赴く兵士のように」組織的だった。
「あと1ヶ月」「あと1週間」「あと3日」「あと2日」……。カウントダウンは、密かに、正確に伝わっていった。そして、1979年11月2日深夜、「ダナーの家」が占拠された。

 この月夜の不法占拠は、女たちの挑戦物語の第1章にすぎなかった。第2章は、買収を決めていた不動産会社が「それほど女性のみなさんが欲しいなら売ってあげてもいいですョ」と応じた時から始まった。
 物語は、不法占拠→募金活動→屋敷の買収→改造工事→女性シェルター創設へと劇的展開を遂げ、全国民をまきこんだ一大社会運動となっていく。そして、「ダナーの家」はデンマーク初の「女性のためのシェルター」として生まれ変わり、この国のシェルター運動の先駆けとなった。

 2002年夏、私は、チボリ公園から10分ほど歩いて「ダナーの家」の前に立った。暑い日だった。汗をふきふき、道路を挟んだ向こう側から茶色のクラシカルな屋敷を見上げた。その中央の窓ガラスには怒りのメスマークが四つ、真っ赤なペンキで描かれていた。このメスマークこそ歴史的占拠の証だった。
 すぐ近くを河がゆったりと流れていた。汗ばんだ体を休めようと橋の横にあるベンチに座った。満々と水をたたえた河面を渡った涼しい風が私の髪に吹いてきた。30年前、「ダナーの家」を不法占拠した女たちもこうして休んだかもしれない。もしかしたら、120年前ここに駆け込んだ女たちも……。 
 私は、河辺のベンチに腰を降ろし、この途方もない計画が成功に至ったわけを考えてみた。一つはタイミング。1970年代のデンマークは、女たちによる男性社会への異議申し立てがさかんだった。特に、「夫や恋人による女性への暴力」が世間の話題に上り、何らか対策を講ずべきだという声が大きくなり始めていた。しかし、その当時、デンマークにシェルターは一つもなかった。
 もう一つの鍵は、女たちの要求やその背景を丁寧に取材し、真面目に報道を続けたマスコミの姿勢にある。マスコミは、終始一貫、占拠した女たちに好意的な姿勢をくずさなかった。こうした報道は、占拠を単なる不法行為とさせない世論づくりのための強い味方となった。日本で女性解放運動家として生きてきた私や仲間たちが受けた悪意に満ちた報道を思い起こすと、デンマークのジャーナリストたちの態度に感動すら覚える。
 さらにもう一つは、女性が女性の力を信じたことだ。280万クローネ、今の日本円にして1億2000万円にあたるという大金を短期間に集め、屋敷を買収し、その改造工事も女性だけでやってのけた、そのエネルギー! 当時、地球をおおっていた反体制の嵐もプラスに作用したのだろう。しかし、「女たちの力でやれないことはない」という自信がなかったらなしえなかったはずだ。

 デンマーク全土を揺るがした「ダナーの家」運動があった1970年代、ノルウェーでも「女のクーデター」と呼ばれる大運動が起きていた。事の起こりは、地方新聞の論説委員をしていたジャーナリストの怒りだった。彼女の名はビルギット・ウィッグ。新聞記者として地方の暮しと政治を見つめていた彼女は、男性だらけの地方議会で物事が決まっていくことに我慢がならなかった。


ノルウェーを変えた女のクーデター
1960年代のノルウェーは、地方議会に占める女性議員がわずかに6%。この数字は、第2次世界大戦後20年間ほとんど動かなかった。ビルギット・ウィッグは「女性議員の少なさは、ソー・パーマネント(永久的)」であり、これまでとは違う劇的方法をとらなければ変わらないと考えるようになった。そこで、選挙前に女性議員を増やそうということに的を絞った特別の選挙キャンペーンをすることを思いついた。

 彼女は仲間と「女性の選挙キャンペーン委員会」を設置し、その委員会には全政党から代表に出席してもらった。委員たちは、「いかに女性議員が少ないか」を国民にアピールするため頭をひねった。委員長には政権与党の党首、副委員長には野党第1党の党首がついた。党首2人が委員会の代表になってくれるまで説得につぐ説得を重ねた結果だった。
しばらくして、メディアというメディアに毎日洪水のように「女性を当選させよう」という印刷物が届いた。差出人は、「女性の選挙キャンペーン委員会」。時の首相と前首相の名前が印刷されていた。メディアも腰を上げた。当時の政党は右から左まで、この「女性の選挙キャンペーン」運動に助力を惜しまなかった。党首たちはみな、自分の政党の地方支部に対して候補者名簿の上位に女性をできるだけ増やすように提案した。さらに、選挙が近づくと「女の候補を落とさないように」と有権者に直接訴えた。
 選挙の結果は、期待したほどでなかった。しかし、それでへこたれる女たちではなかった。4年後、再び「女性の選挙キャンペーン」が仕掛けられた。今度は党首たちに全員断られ、女たちだけの運動となった。

 ノルウェーに限らずヨーロッパ諸国は国も地方も比例代表制選挙が多く、有権者は政党の決めた候補者名簿を変更できる。ノルウェーの女たちはこの変更できる権利を利用し、名簿の上位にいる男性候補をすべて消し、女性を当選させようという戦略を練ったのである。「女性を当選させよう」という掛け声だけでは、女性議員を爆発的に増やせないと知ったからだ。
 各地で、女たちは夜な夜なある家に集まり、「男性候補を消すための秘密会議」を開いた。集まった中には政党党員も多く、党を除名になる危険もはらんでいた。しかし、女たちは党派を超えて団結した。この「女のクーデター」は大成功! 首都オスロを含む3市に女性議員のほうが男性議員より多い議会が誕生した。女性議員が40%を超える市は9市、女性ゼロの議会は78市から22市に減り、何十という自治体が「初の女性議員誕生!」に湧きたった。
 女が女を信じ、超党派で全国運動をした成果だった。

 2003年現在、日本の地方議会に占める女性の割合は6%にすぎない。町村だけを見ると約半数の議会に女性が1人もいないという有様。日本でこそ、今、「女性の選挙キャンペーン」が必要だ。一方、夫からの暴力に苦しむ妻が4〜5人に1人いるにも関わらず、そうした女性が安心して駆け込むシェルターはあまりに少ない。日本にこそ数多くの「ダナーの家」が望まれる。


『ベクサ』 Vol.5 (2003.4.15 スカンジナビア政府観光局)原稿

注1)「ダナーの家」の占拠の様子は、2002年夏「ダナーの家」を訪問して職員から受けた説明、「ダナーの家」財団資料、ドキュメンタリー映画「ダナーとその娘たち」(監督ミッテ・クヌートセン、2001年)、実際に占拠した
当事者インガー・スタウニング(環境問題専門家)、同エリセ・クリステンセン(心理学者)、フェミニスト映画監督ミッテ・クヌートセン、オーフス大学女性史資料館代表エヴァ・ルースからの直接取材による

注2)ノルウェーの女性の選挙キャンペーンについては、拙著『男を消せ!ノルウェーを変えた女のクーデター』(毎日新聞社、1999年)に詳述されている。そのもとはビルギット・ウィッグからの取材と、Women in Local Politics:The Norwegian Experience (by Ingunn Means)による。