女性議員率日本一、長野の秘密

 
2007年4月13日
三井マリ子(全国フェミニスト議員連盟世話人)

 8日の44道府県議選で、190人の女性が当選した。過去最多記録だ。全議員に占める割合は7.47%にすぎないものの、男の牙城は少しずつだが確実に崩れてきた。

 女性議員の割合が日本一高くなったのは長野県で、19.0%。それは「女性議員を増やすネットワーク『しなの』」の長年の運動の成果だった。長野県議会の定数は58で、15人の女性が挑戦した。結果、現職7、元職1、新人3の計11人が当選した。改選前は8人だった。今回、改選がなかった東京都議会は補選で女性が当選して127人中22人となったものの17.3%で、長野県には及ばなかった。

 女性県議の躍進を促した「女性議員を増やすネットワーク『しなの』」、略して「ネットワークしなの」は、1996年創立された市民組織だ。目的はひとつ、女性議員を増やすこと。会長は下諏訪町議を4期務めた樽川通子さん(77歳)だった。組織は会員800人にまで成長したが、昨年、10年の節目迎えて解散してしまった。

 その後の動向が気になった。「女性議員率、日本一」と新聞が報道したその日、下諏訪町に樽川通子さんを訪ねてみた。

 樽川さんは、やはり、眠ってはいなかった。地域に密着した新しい運動の拠点として、だれもが気軽に集える場所『サロンしもすわ』を4月15日にオープンさせるべく、準備中だった。JR下諏訪駅にほど近い古びた空き店舗を安く借りて改装し、昼間は軽食堂兼お惣菜屋、夜は居酒屋となる。しかし、2階には大きな和室もあって、誰もが気軽に集まれる場所にするという。店を守るのは、主に「ネットワークしなの」の残党の女性たちで、手弁当ないし準・手弁当で働くことになる。こうして、多少とも利潤のあがる店にして、改装費用の償却も目論んでいる。

 樽川さんは言う。「女性議員率日本一にすることができました。やっとです。ここまでには、10年間の『ネットワークしなの』の運動、いや、その前からの運動があったからです」。女性県議当選者11人中9人までが、「ネットワークしなの」の会員だった。

 「ネットワークしなの」は、「女性が議員になりやすい土壌と支援体制づくり」を目指して1996年、産声をあげた。女性の地位の向上を掲げた学習組織「長野婦人問題研究会」が土台だった。樽川さんのような現職議員、元議員、立候補したが落選した人、立候補擁立に苦労してきた人など30人の女性たちが呼びかけ人になった。

 樽川さん自身、1983年に初めて立候補し、「おぞましい選挙の掟を味わった」。地域推薦を受けた候補に対する応援の強要、応援しない場合の制裁。そうした土地の因習とは異なった手法を選んだ樽川さんは、嫌がらせや誹謗中傷を浴びた。女性だけの選対をつくり、下諏訪の女衆(おんなんしゅう)中心の応援を受け、嫌がらせなどものともせず闘いぬいて、上位当選を果たした。

 そして議会。巨額の予算が男性だけの話し合いで決まり、執行されていくのを目の当たりにしてショックだった。わが町の女性たちは、自分も含めて「なぜ、この不条理に気づかなかったのか」と慙愧の気持ちが体中を走った。

 「質の高い女性を大勢議会に送りだせば、政治を変えることができるのでは……」と考えるようになった。そんな思いが、「ネットワークしなの」誕生への誘い水となった。

 当時の長野県の女性議員数は、県議2、市町村議員82の3.9%で、全国12位。トップの東京の4分の1にすぎなかった(市川房枝記念会調査)。樽川さんは「もう学習の時ではない。行動の時だ」、と考えた。女性議員を増やし、長野県選出の女性国会議員を出し、長野から初の女性首相を出す……そのためには、女性たちが実践力をつける組織が必要、と仲間を叱咤激励した。

 具体的には、(1)選挙体験者による選挙ノウハウを提供する(2)候補者を擁立支援する(3)選挙を支援する(4)政治について学習する(5)「女性と政治キャンペーン」を張る(6)情報誌を発行する、などの行動にうってでた。

 こうした運動の成果は目に見えて現れた。1999年の統一地方選挙で、女性の県議が2人から4人に増えた。女性の市町村議員が29人増の79人当選した。さらに4年後の2003年の統一地方選挙では、県議が8人、市町村議員は186人に増えた。

 日本一の長野に到るまでには、日本一の女衆の運動があったのだ。

出典

市民メディア・インターネット新聞JANJAN
    (この記事は2007年4月編集委員選賞受賞)