10年前シリーズ:統合教育と特殊教育

1987年に、当時担当したケースが、通っていた学校(普通学級)の校長・
教頭・担任の先生とミーティングをもつ機会ができ、その際に作成した
資料です。今、読み直してみると、何と堅い内容だこと! 反省!


統合教育と特殊教育について

統合教育

これは、私たちの社会では障害をもつ子どもが、自然にそして一定の割合で生まれるものであり、このような子どもあるいは大人と一緒に生活していくことがごく正常なものであるとする、ノーマライゼーションの理念から生まれたものである。そして、その後あらゆる実践や研究により、その優位性が論じられるようになったものである。

この統合教育を実施する上での基本的な手続きは;

自宅から一番近い(学区の)学校へ通うこと。そこでは、障害をもつ子どもともたない子どもの比率が、一般社会のそれと同じであること同年令の友達と相互に関係がもてる十分な機会が保障されていること。障害をもつ子どもはその学校集団により主体的に参加するために必要な行動を、その他の生徒は、障害をもつ子どもについての偏見のない正確な知識と彼らとの適切なかかわり方を身につけること。

統合教育に対する反論点;

  1. 障害をもつ子どもは通常の授業には全くついていけず、時には授業を妨害し、他の生徒に迷惑をかけることさえある。
  2. その子の発達に合った、専門的な教育を受ける機会がほとんど無い。
  3. 他の生徒から一方的に援助を受けることが多く、依存的となり自立心が育たない。
  4. いじめや中傷の対象となりやすい。
  5. 予期できない行動を示すことから、障害をもつ子ども自身あるいは他の生徒の安全性が保ち切れない。
  6. 特殊学級や養護学校といった立派な施設があるのに何故。
  7. 現時点では、学校、学級、職員の受け入れ体制が整っていない。

特殊教育

特殊教育とは、心身に障害があるため、小学校や中学校等の通常の学級における教育では十分な教育効果を期待することが困難な子ども達に対して、その心身の障害の状態や発達段階、特性等に応じ、よりよい環境を整え、その可能性を最大限に伸ばし、可能な限り積極的に社会に参加する人間にさだてるために、特別に用意された学校教育の一部の事である。

これを施行する基本的手続きは;

各障害の状況や特性に応じて、専門的訓練を受けた教師のいる学校、学級へと通うこと障害をもつ子どもと発達的(あるいは対人能力、運動感覚機能)に似通った子どもがおおぜいいる集団へ入ること。 一人の教師が受け持つ子どもの人数は通常学級のそれよりずっと少ない割合であること 通常学級の教科学習のように、標準的なカリキュラムは無く、担当の教師が決めた発達 的にあるいは療育的に有効と思われる活動に子どもは参加し、無理なく学習を促進させる。

特殊教育に対する反論点;

  1. 養護学校や特殊学級へ通うことを望んでいる障害をもつ子ども自身あるいはその両親ははたしてどれほどいるのか。
  2. なぜ家から遠く離れた学校へ、近所の友達と別れてまで通うのか。
  3. 幼稚園、保育園では比較的多く統合保育が行われているのに、どうして学齢に達したその日から選別されなければならないのか。
  4. 就学相談等で、ただ“あなたの子どもにはここが一番いいですよ”と言われるだけで、選択できる学校はどれだけあり、それぞれの特徴はどうで、選択に際し親の権利はどうなるのか等の説明はまったくなされない(後からだまされたような気分になる)。
  5. 特殊教育を受けないと、“将来の社会参加が困難になる”と誰が照明できるのか。あるいは養護学校、特殊学級で卒業後の(学校教育期間よりも実際には遥かに長い)処遇まで十分なケアをおこなってくれるのか。
  6. 特殊教育を行っている教師は、はたして本当に専門的訓練を受けてきているのか。あるいは特殊教育に情熱をもっている人材を登用しているのか。
  7. 特殊教育で指導している内容が、現実の社会で生活していく事と余りに掛け離れている。そのうえ、障害をもたない同年令の友達とかかわる時間は、極端に少なくなる。

1998年のマチートのコメント

普通学級に通っていた、比較的障害が重い(話ことばが無かった)お子さんが、私の以前の職場に通っていました。母親は、家のすぐ前(徒歩2分)の学校に子どもを入学させることに決めました。理由は、

という、通学にかかる負担が、就学相談で強く普通学級を希望する根拠だったそうです。一方、受け入れた学校は、「なぜそのような選択をしたか」についての情報が正確に伝わっていませんでした。確か、「親の障害認識の甘さ」「本人のためではなく自分の見栄で学校を選択している」などと判断していたようです。 そして、母親がここまで普通学級に固執するのは、子どもが定期的に通っている相談室が「そう仕向けているに違いない」と勘違いしてもらったおかげで、めでたく、学校でミーティングをもつことができました。

そのときの反省は、次の通りです。

上の資料は、特殊教育に対して興味関心の無いと想定される先生に、なるべく中立的で最新の情報を提供しようと考え作成したものです。ところが、この資料の説明にはそれほど興味を示しませんでした。やはり、個別の話をするときは、その個人に関連した情報をまとめた方が良かったと反省した次第です(普通学級を選択した根拠など)。

学校と連絡して、ミーティングを行った際、そこに参加するメンバーを決めるのを忘れてしまいました。未熟でした。結果的に、校長先生、教頭先生、担任の先生と外部機関の私の4名で1時間弱ミーティングを行いました。先生たちは、ご両親がいたら絶対に発言ができないような「批判的」で「偏見に満ちた」発言を時々行います。私は、本題とは関係ないのに、このような発言にひとつひとつ「ご両親の立場」と「誤解が起きた理由」を説明しなくてはならない立場になってしまい、相当無駄な時間を使ってしまった。

学校との交渉で、双方の主張がたとえば10離れていたとするなら、中間の5や3、あるいは8といった着地点を想定しても、努力のわりに何ら成果が得られません。交渉という概念は、学校の組織の中では非常に難しいのです。自分の信じる「正しい」考えを「受け入れる」か「受け入れない」かどちらかしか議論はありません。当時、私は、自分なりに妥協できる着地点として「普通学級の先生の誰かと一緒に母親そして私が養護学校・特殊学級を見学し、それから次年度以降の在籍問題を決める」というものでした(結局、両親とこの点の話し合いをすることも無かった)。妥協する着地点を無理矢理求めるのではなく、双方の考え方の「一致する部分」「相反する部分」を明確にすることと、次のミーティングの日程を決めてそれまでに双方で課題をこなす形式の、粘り強い持久戦で少しずつ交渉を有利に進める方法が良さそうです(なぜなら、学校はこちらのように熱心に課題をこなさない)。

このケースの場合、次の一年間は普通学級にそのまま在籍し、その後、養護学校をご両親が選択されました。

(志賀 利一)


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