10年前シリーズ:障害者とレジャー

1988年に、神奈川県児童医療福祉財団から発行されている「育つ」に
書いた原稿です。当時アメリカでレジャー関係の文献がいくつか出ていた
ものを適当に拝借して書き上げました。登山グループの実践紹介の文章が
削除されていますが、意図的ではなく、HDに保存されたいなかっただけです。


問題点

発達障害もつ子供が青年期・成人期を迎えた時、フリータイム(自由時間)をどのように過ごしているだろうか。これまでどちらかというと、障害児・者のフリータイムについてあまり注目されなかったが、以下の3人の事例をもとに、この時間を考え直してみたい。

地域社会に出掛けるようになった事例

今年22才になるトシオは、先月まで、地域の授産施設に通っていた。彼は、専門家から重度の精神遅滞をもつ自閉症と診断されている。彼の言語レパートリーは大変狭いものであり、人との会話やその他コミュニケーションを楽しむことは殆ど無いように見えたが、授産施設での作業能力は優秀であった。ちょうど半年前から、施設のケースワーカーは、彼の能力を十分発揮できる一般雇用先を捜していた。

その頃トシオは、授産施設から家へ帰って来ると、時々テレビを見たりレコードを聴いているが、殆どは部屋で何もしないで退屈そうにしていた。そういう時は、授産施設では決して見せない、体を前後に揺すり小声で独り言を言うといった、自己刺激行動に浸っている事が多い。両親は、担当のケースワーカーによく次のような話をした。「無口で、人と余りかかわりをもとうとはしないが、指示は良く聞いてくれるし、家庭では特に手がかかることもなく、年少の頃から考えると、うまく育ってくれたものだと感謝しています。しかし、与えられた仕事はこなすが、自分から意欲をもって活動しようとする事がなく、そのうえ友達も全くいない、何かトシオの人生はつまらないもののように思えてしょうがありません。」

1月前のある日、トシオはケースワーカーに連れられ新しい仕事先の面接を受けた後、家の近くの小さな喫茶店に入った。その店は、トシオの最寄りのバス停の前にあり、職場からの帰宅時間にはいつも近所の常連客が3人ほど居た。ケースワーカーはトシオがコーヒー好きであることを知っていたが、喫茶店でどのように振る舞えるか、皆目見当がつかなかった。トシオは、メニューを見て注文する、お金を支払うといった行動には介助を必要としたが、約30分間、雑誌を見ながら静かに過ごすことはできた。次の日、ケースワーカーがトシオに「今日もコーヒーを飲みに行くか?」と聞いたところ、珍しく嬉しそうな顔をして、「行く!」と答えた。

再び、その喫茶店にトシオと一緒に出掛けていったケースワーカーは、コーヒーを飲みながら店のマスターに話し掛けた。「昨日初めてこの店に来たけれど、コーヒーもおいしいし、店の感じも良いですね。ここにいるトシオも大変気に入ったみたいです。」その後彼は、トシオは店のすぐ近所に住んでおり、コーヒーが大変好きである事、今度△△印刷所に勤めることになり、仕事の帰りによくこの店に寄ることになるであろう事、トシオは知恵遅れであり、注文やレジでのお金の支払いが十分できないかもしれない事などをマスターに話した。もう2〜3度、トシオをその喫茶店へ連れていったケースワーカーは、これからはお金を持って一人でコーヒーを飲みに行けるよう、徐々に付き添う時間を減らしていった。今では、トシオは毎日のように仕事の帰り道、この喫茶店で1時間程過ごしている。店の中では、マスターや常連客と会話をするわけでもなく、ただ雑誌を眺め、コーヒーを飲んでいるだけであった。しかし、両親は次のように言っている。「トシオは、喫茶店に行くことを何よりも楽しみにしているようです。顔を見れば分かります。それに、私にとって最も嬉しいことは、一緒に外に出たとき、お店のマスターか多分常連客なのでしょうが、トシオに声を掛けてくれるんです。トシオも時には答えています。これまで、養護学校や授産施設以外の場所で、トシオが人から声を掛けられる事は殆ど無かったので、本当に感激しました。」

家族と一緒に楽しめる活動を見付けた事例

タダハルは、公立の養護学校高等部に通っている、中度の遅れをもつ17才の青年である。学校では、担任に次のような評価を受けている。「集団行動がとれない。必ず個別の指示を必要とするうえ、注意も散漫である。いったんある活動に興味を示しても、ほんの数分で別の活動に気が行ってしまい、持続性が非常に悪い。」また、手先の細かな動きが要求される課題は苦手で、学校でそのような作業学習時間が多いことも、注意散漫のもう一つの原因になっているようである。

家庭でのタダハルの様子は、機嫌の良いときは、母親にしつこいくらい同じ話題を話し掛けたり、幼時番組をニコニコしながら見ていた。しかし、2日に一度の割合で、思いどおりにいかないと、大声で泣き叫んだりあたり構わず物を投げ付けるといった“かんしゃく”を起こしていた。タダハルの“かんしゃく”は、小さい頃から一向に減らず、今では、このようなときVTRに録画したアニメーションを見せ、おさまるのを待つしか対応法が無くなっていた。

ちょうど半年前、父親は2台のサイクリング車を購入した。週末に、タダハルと一緒にサイクリングを行うためである。家の近辺は起伏が多く、少しの距離でもかなりの運動量を必要とした。最初の1カ月は、20キロ程の距離を、次の月には、家から約10キロ離れたサイクリングロードまで出掛けていった。最初のうちは、“仕様がなく”付いてきたタダハルも、この頃になるとサイクリングに少し興味が出てきたようで、週末が近くなるにつれて、父親と自転車の話をするようになった。当初最も心配していた、安全確認も意外と問題なく、かなりスムーズな運転をタダハルは行っていた。しかし、何よりも変わったのは父親の方である。サイクリングに対する凝りようは物凄く、母親は次のように述べている。「サイクリングなんて、自転車を乗り回すだけかと思っていたのに、本当にお金がかかるんですよ。サイクリングの必需品だといって、本や地図はよく買って来るし、訳の分からない高価な自転車部品を捜し回ったり、暇があれば自転車を分解しているんですから、家の中は自転車屋のようだわ。それにこの間、年甲斐もなく、主人は派手なサイクリングパンツ・シャツ、それに帽子と靴まで揃えて、自転車を乗り回しているですから。」

このような父親に感化されたのか、タダハルもサイクリングにかなり凝り出して来た。週末に父親と一緒に出掛けるだけでは物足りないようで、学校から帰って来たら、すぐに着替えて、2時間程自転車で出掛けてしまう。それに、家の中でも、自転車を掃除したり、サイクリングの雑誌や地図を楽しそうに眺めている。もうテレビアニメなんて殆ど見なくなった。特に、雑誌に対する執着は驚くほどで、学校や病院に出掛けるときなど、必ずカバンに“月刊サイクルスポーツ”を入れ、電車やバスの中で見ている。

最近父親は、手先の不器用なタダハルに、自転車を分解して輪行袋に入れたり、それから出して組み立てる技術を教えている。父親の大きな夢は、“夏休みにタダハルと一緒に北海道一周すること”である。「いくらサイクリングが好きでも、この年になって一人で遠出はできませんよ。でも、幸い息子も自転車に興味があるようで、一緒に行けば北海道も夢ではありません。」とは、父親の言葉である。母親は半ば諦め顔で、「男の人は良いわね。でも、そういえばタダハルは最近めったに“かんしゃく”を起こさなくなったわ。」と述べている。

一から出直しの事例

ノリマサは、去年の4月から新しい地域作業所に参加している。これは、ノリマサの両親も役員である親の会が、“就労前段階の訓練機会を提供する”目的に開所した作業所である。月曜から金曜の、午前9時から午後1時半までが、ノリマサの出勤時間で、母親もボランティアとして、週に1〜2回作業所に出掛けている。

5月6日、ノリマサ20歳の誕生日に、母親は次のような文章を日記に書いている。

「次男のノリマサが2歳の時、医者から重度の遅れがあると診断されて以来、私達家族は色々な経験をしてきました。ノリマサが学校にあがるまでは、“どうすれば他の子と同じようになれるのか?”もうとにかく必死でした。何人もの著名な医師を訪ねましたし、訓練会や大学の障害児プログラムにも参加しました。ノリマサには、出来る限りの専門的治療を受けさせたつもりです。今になって思うと、その頃は、私自身がノリマサの障害を認めたくなかったのと、訳の分からない罪意識があったため、居ても立ってもいられなかったのでしょう。

小学校は特殊学級に、中学、高校は養護学校に通っているうちに、私もそして家族もすこしづつ変わってきました。障害児の親の会に入会し、色々な家族と接する機会を持ったことで、“ノリマサの障害は決して治るものではない”といった諦めと同時に、“障害のある子をもつことは、家族にとって不幸な事ではない"と確信出来るようになりました。ノリマサのおかげで、多くの経験を積んでこれたうえ、私達家族4人の今の生活も、ノリマサが居てこそ存在するように思えます。学校や親の会主催のハイキング、バザー、そしてバーベキュー大会といったレクレーション活動に参加し、ノリマサの楽しそうな顔を見るたびに、“結構幸せに生活しているんだな”と実感したものです。

作業所に通うようになってからは、ノリマサは彼なりに仕事に対する心構えが出来てきたようです。毎日、決まった時間に家を出ていく姿や、ほんの少しですが、お給料を持って帰るときの態度を見ると、何か頼もしさを感じることもあります。作業能力も少しづつ上達しているようですし、一般就労は無理にしても、ノリマサはきっと生きている実感を持てるようになったでしょう。

でも、少し寂しく感じる事もあります。それは、ノリマサがハイキングやバーベキュー大会に参加していた頃の楽しそうな顔を、最近はめったに見ることができなくなった事です。確かに、作業所に通うようになってからは、以前のように、頻繁にレクレーション活動に参加することはできなくなりました。でも、参加機会だけではありません、年に一度の、親の会が主催するバーベキュー大会に参加したときでも、最近はそれほど楽しそうではありません。ほんの3年くらい前には、凄く楽しみにしていたのに、もう飽きたのかもしれません。そう言えば、ここ2〜3年、昔から参加していた同年齢の障害者がめっきり少なくなり、年少の子供ばかりが目につくバーベキュー大会になってしまいました。養護学校で習った、ダンスやゲームについても全く生かす場所がありませんでした。ノリマサはもう子供ではないのだから、曲がりなりにも仕事に就けることが、最も大切な人生経験と考えてきましたが、最近、遊びや趣味を持つことも大切であると痛感しています。」

ここに記述された事例は、以前あるいは今も、フリータイムの過ごし方に問題があった3人である。この問題にいち速く気付いたのは、最も身近に居る家族であった。それも、トシオやタダハルのように目に見える具体的な行動ゆえに気付いた場合や、ノリマサのようにただ漠然と“問題あり”と感じた場合がある。そして、この問題についての表現方法も、家族毎に様々である。トシオの母親は「何かトシオの人生はつまらないもののように思える」と、ノリマサの母親は「楽しそうな顔を、最近はめったに見ることが出来なくなった」と表現している。より年少の子供をもつ両親が訴える、「友達がいないし、何人か家に来てもらっても遊べない」、「ごっこ遊びが出来ない」、「いつも一緒に付いていないと危険」といった表現もまた、大部分はこのフリータイムの問題であると思われる。

この問題に対して、これまで教師やケースワーカー、心理相談員など、障害児・者にかかわる専門家はどのように取り組んでいたであろうか。一般に、それほど重要視して来なかったのではなかろうか。「フリータイム以前に、このような子供達は、指導者が計画した活動(例えば授業)に参加出来なかったり、あるいは参加しようとしない点が、より大きな問題である」とは、フリータイム軽視の最も大きな理由であろう。あるいは、我が国ではこのような障害児・者は、障害をもつ仲間のみを集めたグループで治療・教育を受ける可能性が高いため、障害をもたない子供や成人がごく自然にフリータイムを楽しみながら過ごしている事実を、専門家は忘れてしまう傾向にあるのかもしれない。確かに、「決められた作業をこなす」あるいは「教師が計画した授業に参加する」といった、言わば、構造的な時間の過ごし方は重要な問題である。しかし、障害の有る無しに拘わらず、すべての人はフリータイムを持つことも事実である。これから先で述べる内容は、“フリータイムの過ごし方を障害児・者が学習することは、構造的な時間の過ごし方と同様に重要である”という立場から、レジャー教育の最近の方向性と、その主な指導手続きを概観するものである。


レジャー教育の理論と実際

レジャーとは、“責任のある活動の終結や中断により生ずる、個人の自由意志で好みの活動を選択し実行する時間”と定義する。

レジャー教育の必要性

フリータイムの過ごし方あるいはレジャー学習について、最近、多方面から注目を浴びるようになってきている。このようにレジャー/レクレーションに対する関心の高まりは、次のような理由が大きいと考えられる。まず第一に、労働時間の短縮、あるいは高齢化社会が進む中、個人のフリータイムが増大している点が挙げられよう。また、高度に情報化され、細分化された社会では、職業により個人の充足感が満たされることは希になってきている。好みの活動を選択し、実行するフリータイムが正にレジャーであり、そしてこれにより、私達は十分な充足感を得られるのである。更に、昭和61年2月実施の“レジャー享受能力実態調査”(経済企画庁国民生活局編, 1987)では、殆どの国民はより積極的で創造的なレジャー活動に興味をもっており、これが実現できない要因の一つとして、レジャー学習機会の不足を挙げている。

このように、我が国では最近になりレジャー教育の重要性が強調されるようになってきた(残念ながら、生涯学習の概念内、あるいは老齢化社会対策の一環としての傾向が強い:余暇開発センター、1984;経済企画庁国民生活局編、1986)。しかし、自閉症を含む発達障害をもつ青年あるいは成人に対する、レジャー教育の重要性とその実践については、殆ど報告されていないか、たとえレジャー/レクレーションといった名称を用いたにしても、大方は、学校・施設の行事運営を中心課題としたものであり、障害をもつ人個々のレジャーライフスタイルの確立を意図したものではない(日本レクリェーシヨン協会編、1986;年長心身障害児・者福祉対策委員会、1986)。一方、長年彼らに対して行われてきた、いわゆる“遊び”の形態をとる療育と、ここで述べるレジャー教育とも大きく異なる。前者は、「個人的に楽しむ機会を提供するだけでなく、楽しみながらその遊びの中に存在する象徴的で社会的な反応を学習したり、自然な発達を助長する効果を持つ」といった立場から、伝統的に実施されてきたものである。しかし、この“遊び”のみで、現実にどの程度発達を助長できるのか不明瞭であり、更にこの形態では、年令相応のスキルを指導することは困難なうえ、障害者のみを集めた、あるいは治療者と子供が一対一といった、制限された集団を作らなければならず、インテグレーションの考えと相反する結果を生み出している。レジャー教育とは、以下のような理論・思想的背景を持つものである。

ノーマライゼーション;発達障害をもつ人が、レジャーのみならず社会的活動に参加することは、地域社会にとっても重要である。これまで障害をもつ子供達に発達段階に合った“遊び”を指導してきた(遊びの指導自体をあまり重要視しない場合もあるが)教師や心理治療士の努力は、結果的に、1)障害をもつ者は年令相応のレジャースキル(レジャーを享受する技能)に興味がなく、その学習もできない、2)障害をもつ者は職業や自立生活など多様な社会的スキルを学習する能力に劣り、彼らの人生の大部分は遊びとして費やされるフリータイムである、といった誤解を生み出している。これは障害者のノーマライゼーションへ向けての大きな障壁となる。私達は、「総ての障害者は、たとえ部分参加であっても、年令相応のレジャースキルを学習したいと望んでおり、またその潜在能力を十分持っている」、「職業や自立生活など他の領域の指導を犠牲にして、レジャー学習の機会を優先するものではない」といった考えに立っている。レジャー教育とは、ノーマライゼーションの実現へ向けた様々な運動の一環をなすものであり、具体的には、障害をもつ人が、長期的に地域社会の最小限に制限された環境で生活するうえで、不可欠となるであろうフリータイムの過ごしかたを、個々の障害の特性や周囲の環境を調整することで指導するものである。

フリータイムの問題;発達障害をもつ人がフリータイムをいかにして費やしているか、調査した報告がいくつかある(年長心身障害児・者福祉対策委員会、1985;Schalock, Harper & Carver, 1981 etc.)。典型的には、彼らはその時間、うたた寝やテレビを見るといった、非常に消極的な活動を行っている。また、より重度の障害をもつ者は、このフリータイム中に、奇声やロッキングといった多様な自己刺激行動(時には、自傷行動や攻撃行動)を最も頻発する。この不適応行動は、家族が常に彼らを監視しなければならないことを意味し、消極的なレジャー活動と併せて、家族は彼らのフリータイムの使い方には大きな不満をもっている。一般に、障害をもたない若者は、このようなフリータイムを、同年代の友人との社会的対人関係やその他個人の好みと関連したレジャー活動で費やしている。つまり、非構造的なフリータイムに、消極的な活動や不適応行動に取って代わるより建設的なレジャー活動を指導することは、障害者の当面の問題解決といった観点からも重要である。

選択による好みの表現;レジャー領域の教育が、他の職業や自立生活領域と本質的に異なる点は、他人や周囲から要求される事柄を実行するのではなく、個人の好みを基本とした選択の権利が十分に保証されていることである。これまで発達障害をもつ人が、レジャースキルの未熟な発達しか示せなかった理由の一つは、選択する機会がごく限られたものであったり、あるいは全く与えられていなかった点が挙げられよう(Guess, Benson, & Siegel-Causey, 1985; Shevin & Klein, 1984)。勿論、活動を選択するにも、それに必要なスキルがなかったり不適切なものであるなら、その選択自体の意味はなくなってしまう。レジャー教育における具体的な指導目標は、障害者に選択可能な事柄を持ってもらうことである。つまり、障害者に有益な活動機会を提供することで、彼らが意味ある選択を行い、その選択した活動を楽しむために必要なスキルを獲得させることが、指導目標である。

充足感と持続性;レジャーとは、教育・発達過程の一期間のみ学習・実行すればよいものではない。どのようなレジャー活動でも、かなり長期的に(できれば一生)実行し、学習し続けることを、楽しめる必要がある。レジャーとは、他の領域では難しい、個人の充足感を得る最も良い機会である。そして、この長期的で充足感が得られるレジャー活動の有無が、生活の質(quality oflife)と大きく関与していると考えられている。障害をもつ人にとって、このレジャースキルの有無と職業や自立生活の長期的な安定と関連性があると報告している文献は少なくない(Peterson & Gunn, 1984 etc.)。

要約すると、レジャーとは、選択自由な時間に個人の好みが試される機会であり、この機会を最大限機能的にし、個人が充足感を得られるように援助することが、レジャー教育である。更に、発達障害をもつ子供や大人にとって、このレジャー教育は、より自立的な生活を保証し、ノーマライゼーションを実現するうえでも重要な要因となる。

レジャー教育の指導手続き

障害者個々のレジャーライフスタイルの確立を意図した、教育プログラムは幾つか報告されている(Wuerch & Voeltz, 1982; Wehman, 1983; Ford, et al., 1984; Putnam, Werder, & Scheien, 1985)。ここでは、総てのプログラムで共通する指導手続きについて概観する。これらのレジャー教育の指導手続きは、大きく次の3つの期間に分けられる。

【適切なレジャー活動の選択】

レジャー活動を選択する際、次の2点は基本的前提条件となる。まず第1に、適切なレジャー活動とは全く個別的なものである。同年齢で、同じ障害をもつからといって、同一のレジャー活動が最も適切であるとは限らない。そして第2に、レジャー活動やレジャータイムについては細心の注意を払う必要がある。レジャーとは、個人の好みの変数であり、ある者は大部分の人がレジャー活動であると見なす活動を選択するかもしれないが(スポーツ、旅行、音楽鑑賞etc.)、別の者は買い物や調理、自動車の修理といった家事あるいは職業的な活動を選択するかもしれない。また、レジャータイムについても、休日、アフターファイブ、職場の休憩時間といった定型的時間以外にも、電車乗車中や病院での待合い時間もまたレジャー活動を実行できる時間である。この前提条件を考慮したうえで、レジャー活動の優先性を決定する要因として、以下の9項目が挙げられる。

  1. 年令相応であるか?
  2. 誰もが魅力を感じるものか?
  3. 一人でもあるいは大勢でも実行できるものか?
  4. 部分参加が可能であるか?
  5. 長期的展望がもてるものか?
  6. 許容されるスキルのレベルに柔軟性があるか?
  7. 様々な場面に応用可能か?
  8. 低コストであるか?
  9. 安全であるか?

では、具体的にどのような方法でレジャー活動を探せるであろうか。まず、同年代の障害をもたない若者から話を聞く方法が考えられる。彼ら若者が、1日全体をどのような活動で費やしているか。そのうち、レジャータイムの活動は何か。1週間あるいは1年間単位で彼らはどのようなレジャー活動を行っているか。例えば、「家では毎日1〜2時間くらい好きなロックアーチストのレコードを聴いたり、テープにダビングしている。このレコードは週にだいたい2回くらい、高校からの帰宅途中、レンタルショップから借りて来ている。」、「月に1〜2回、気の合う友達と映画を見に行ったり、ショッピングに出掛ける。友達同士は、殆ど毎日電話で連絡を取り合っている。」あるいは「海やスキー、テニスに学校や職場の友人と、泊まりがけで年に3回ほど出掛ける。」といった有益な情報は、数限りなく得られるであろう。また、学校や職場の休憩時間にみんなはどのような活動を行っているか、あるいは退社・放課後や週末には若者はどのような場所に集まって来るか観察することも重要な方法である。さらに、地域の様々なサークルや趣味のクラブ・教室を調査することも、レジャー活動を探すための有益な情報となる。これにより捜し出されたレジャー活動を、先の9項目と照らし合わせ、比較的“yes”の多いものは、多くの障害者が享受できる可能性の高い活動である。

次に、個々の障害者に具体的に指導するレジャー活動を決定する。あるレジャー活動が先の9項目総て“yes”であっても、以下の条件が満たされなければ、指導目標として適切なものではない。

  1. 障害をもつ本人が好むものか?
  2. 家族がその活動を好むか、あるいはその指導を了承するか?
  3. その人のタイムスケジュールにうまく組み込めるか?

このうち、“障害をもつ本人の好み”については、十分配慮する必要がある。なぜなら、彼らは色々なレジャー活動の経験が乏しく、「好みであるかどうか」判断するほどの知識を持ち合わせていないかもしれない。また、より重度の遅れをもつ者は、好みを表現する方法を知らないかもしれない。このような場合、何度か実際にそのレジャー活動に参加した後、好みの判断を行うこととなろう。

【レジャー機会の確保と詳細な修正】

適切なレジャー活動をいくつか選択したなら、それを実行する自然な機会を確保することとなる。レジャー活動が、スイミングやエアロビクス、生け花など特定のグループに参加するものであれば、そのグループの代表者あるいは個々のメンバーに、受け入れについて“話し合い”あるいは“調整”を行う必要があるかもしれない。個人で行う活動(音楽鑑賞、写真撮影、ジョキングなど)にしても、その材料(あるいはコスト)や時間をどのような方法で保障するか、検討が必要となろう。例えば、“レコードを聴く”活動を選択したなら、「その活動で費やすのはどの時間か」、「レコードを購入(レンタル)する金額は誰がどの程度負担するか」考慮することとなる。

次に検討すべき点は、部分参加の原理を導入することである。障害をもつ人が、あるレジャー活動すべてを全く特別な援助や修正なしに実行できるとは限らない。しかし、「人による援助」や「活動そのものの修正」、「物理・社会的環境の修正」といった部分参加の3つのタイプ(Brown et al., 1979)により、彼らは、自然なレジャー活動に参加できる可能性が増えるだけでなく、その援助や修正を小さくしていくことで、より自立的な参加へ一歩ずつ近付くこととなる。例えば、“鉄道写真を撮る”活動を例に考えてみる。この活動を大まかに課題分析すると次のようになる。

  1. フィルムをカメラ店で購入する。
  2. 撮影ポイントへ出掛ける。
  3. フィルムをカメラに入れる。
  4. 被写体にアングル、ピントを合わせる。 シャッターを押す。
  5. フィルムを巻き、*に戻る。
  6. フィルムを1本撮り終えたら、巻き戻しフィルムを取り出す
  7. さらに撮影するなら*に戻る。
  8. 撮り終えたら、フィルムをカメラ店へもって行く。
  9. 現像できあがり日時に、カルラ店へフィルムとプリントを取りに行く。
  10. フィルムを整理し保管する。

このレジャー活動を行う障害者の現在の能力から、“フィルムをカメラに入れる”ことが困難であると予想された場合、次のような援助・修正が考えられる。フイルムを誰か別の人が入れてあげる場合、「人による援助」となる。このフィルムを入れる人がカメラ店の店員であるなら、この活動の流れも修正される。それは、店員にカメラを渡し、フィルムを入れて貰う、撮影ポイントへ出掛ける、となり「活動そのものの修正」が必要となる。さらに、障害をもつ人が言葉によるコミュニケーションを苦手としている場合、彼がフィルムを購入しカメラを手渡したなら、“フィルムをカメラに入れてください”という意志表示であることを事前に店員に伝えておき、理解してもらう必要があろう。これは「物理・社会的環境の修正」にあたる。

【指導・評価】

レジャー教育の指導・評価手続きについては、<表1>に示す。これは、レジャーのみに拘わらず、職業や自立生活といったあらゆる領域でも用いられている指導・評価パッケージである。各手続きの詳細な内容については、ここでは省略する。詳しくは、中根、太田訳(1987)や新井(1986,1987)を参照されたい。しかし、実際にレジャー活動を指導するうえで、このパッケージを超えた留意点についてと、レジャー教育特有の付帯的指導手続きについて、以下に示す。

表1.指導・評価手続きの概要

  • 個別の指導目標を決定する
  1. 修正された詳細な課題分析に沿って、指導前の生徒の課題遂行レベルを評定する
  2. 1年あるいはそれ以上の長期的目標を決定する
  3. 短期的な指導目標(あるいは具体的スキル)を決定する
  • 指導プログラムをデザインし実施する
  1. 運用上の決定
  2. 指導プログラムの作成と実施
  • 指導の有効性を判断する

レジャー活動に参加するうえで必要となるスキルの学習を助長することは、レジャー教育にとって最も重要な事柄である。しかし、このレジャースキルの指導面ばかりが強調されると、結果的に、参加を阻害する事にもなりかねない。例えば、しばしば専門家の中にも、「障害をもつ人に対する指導は、特別な訓練を受けた専門家によってのみなされるものである」とか「ある活動に参加するには、事前に良好なスキルを学習しておかねばならない」といった盲目的確信をもっている者がいる。これは、フリータイム中、自然なレジャー活動への参加(そこで指導を受け、楽しめる)を制限することとなる。多分この誤解は、「障害のあるなしに拘わらず、人がレジャー活動に参加するのは、自分自身の為だけでなくそれが社会的出来事(それが好きで、楽しめ、喜びあえる人同志が仲間となれる、つまり所属感がもてる)である」という事実を忘れてしまったために生じたのであろう(Schoultz,1987)。

レジャー教育とは、最終的に実行することとなる現実場面で指導することが、原則である。勿論、レジャー以外の領域においても、この現実場面での指導は重要であるが、レジャー教育では特に強調される。また、レジャー教育では原則的に、外部からの付加的な動機づけ手続きを用いない。


レジャー教育の方向性

なぜレジャー教育を取り上げたか

既に、第2章でレジャー教育の重要性について述べてきたが、再度ここで、私達は何故レジャー教育について問題意識を持ち、それが必要であることを強調するのか、別の角度から検討してみる。それというのも、我が国では障害者だけでなくそれ以外でも、レジャー・レクレーション教育について取り上げられるようになった歴史は短いうえ、その理念や実際が余り根付いていないように思えるからである(経済企画長国民生活局編、1987)。

【フリータイムの増大】

確かに我が国では、西欧の国々と比較して、レジャー・レクレーションに関連した文献が少なく、“生活の質”(quality of life)やレジャーに関する意識が低いと言われている。これには国民性や歴史、文化的な違いが関与するのかも知れない。そして、労働時間の長さゆえフリータイムが少ないことも、この意識の低さを助長していると考えられる。

しかし、我が国の労働時間は様々な要因(労組の活動方針、経済問題としての外圧、長期的な雇用機会の確保、etc.)から短縮方向に進みだしており、いやがおうにも国民の関心はフリータイムの過ごし方に集まってくる。さらに、在宅勤務、フレキシブルタイムの導入、パートタイムの比重増加といった雇用形態の変化は、労働時間は勿論のことフリータイムも自己管理する、個人としての能力が要求されるようになる。このような傾向をもとに、レジャー産業や施設の増加、レジャー教育あるいはその機会の充実が計られている。そして多分、多くの人がこのような場を利用して、より満足度の高いレジャーライフを過ごすこととなろう。

障害をもつ人も、このレジャー重視のライフスタイルの変化に合わせ、レジャー教育を受ける必要性が高まってくる。ましてや、障害をもたない人と比較して、自閉症や他の発達障害をもつ人達は、社会的注意や関心、対人関係の乏しさ、自然な日常場面だけでの学習能力の低さなどが指摘されている(Snell,1987)。つまり、彼らは日常偶然に好みのレジャー活動を見付け、自発的にそのレジャーを享受する集団に参加・学習する確率は低い。それぞれの障害をもつ個人に合ったレジャー活動を捜し出す段階からの、広範でより慎重なレジャー教育サービスがこれからぜひとも必要になってくる。

【インテグレーションの現状】

発達障害をもつ人のインテグレーションの現状は、我が国ではどのようなものであろうか。インテグレーションと一口に言っても、幼稚園や学校のインテグレーション、職場、地域社会へのインテグレーションといったように、色々な形態や内容を示すときに用いられている。そのため、現状のインテグレーションの評価については、立場により意見が分かれることも少なくない。しかし、“年少の障害児の方が、年長者よりずっとインテグレートされた環境に居る”といった評価は誰もが納得するであろう。学令前あるいは小学校低学年の間、障害をもつ子供は、そうでない子供と同じ学区の学校や同じスイミングスクールに通っていることは珍しくない。さらにこの時期、障害児の家庭へ同年令の友達が遊びに来たり、また逆に彼が友達の家へ遊びに出掛けたりするとは、よく聞く話である。しかし、小学校高学年、中学、高校と進むうち、次第に教育サービスは養護学校で受ける率が高くなり、それ以外でも、障害者だけの集まりから抜け出し、同年令の仲間と過ごす機会は非常に少なくなる。ましてや、学校を卒業後、障害をもたない人の中に混ざった職場に勤務している人はさらに少なく、幸運に一般就労できたにしても、それ以外は家庭で孤立している事例が数多い。

インテグレーションを、年令相応の人々となるべく物理的に近い環境に居ることだけでなく、可能な限り障害をもたない人と相互関係をもてるといった、その質まで問うものとする。そして、現状では最も制限された環境にいる年長、特に青年期・成人期の障害者を地域社会にインテグレートするには、レジャー教育を足掛かりにその可能性を広げていくことが、現実的で有益な方法と思える。その根拠として、まず第1に、レジャー活動とは障害者本人が好むものであり、その活動に従事している間彼らは、周囲の人々を不快にさせる、拒否的な態度や不適応行動を比較的見せないであろうと予想される点である。第2に、周囲の人々も楽しみながらその活動に参加していることが挙げられる。つまり、その場では障害者と共有する楽しみを持つこととなり、彼らに対する不当な偏見や恐怖心が薄れ、さらには援助も積極的に行ってくれる期待がもてる。そして最後の根拠は、レジャー活動は職業や自立生活スキルと比較して、絶対的な能力・能率が要求されない点である。これは、集団内の対人関係を比較的良好に保てることと、集団からその未熟な能力故に追い出される可能性は少ない事を意味する。勿論、「インテグレーションはレジャーだけで」あるいは「まずレジャーからインテグレーションを」といった考えを助長するつもりはなく、職業や生活の場所のインテグレーションも同等に重要な問題である。そして、インテグレーションを阻害している学校教育の慣例や障害者に対する社会的資源の不十分な提供を容認する訳でもない。しかし現実的には、レジャー活動が年長者のインテグレーションを前進させる可能性が高いと推測される。

【在宅ケアの側面】

発達障害児・者に対する専門的教育、医療、リハビリテーションが日増しに進歩し、彼らは地域社会でごく普通の生活を送るべきだとする、ノーマライゼーション(中園・清水編訳、1984)の理念が浸透し始めることにより、新たに解決すべき問題点が生じている。それは、障害児・者の家族に、彼らに対する療育、教育、そして養育責任を過剰に押し付ける可能性が出てくることである。この問題を解決する方法として、慎重かつ充実した在宅援助サービスがある。さらに、このサービスが強調された背景に、核家族化、地域社会の変質、要援助者の増加、福祉サービスが権利主体として変化、非貨幣的サービスの需要増などが考えられている(東京都社会福祉協議会、1985)。しかし一方で、在宅援助の広がりにブレーキをかける要因も多く存在する。これには、充実したサービスを行うだけの基金不足や、行政機関が行っている実質の伴わない名目だけのサービス、サービスを提供する人材の教育(例えば、プライバシーの問題について)の不備などが挙げられる。さらには、障害者と共に暮らしている家族がすべて、必ずしもこのサービスを必要としている訳ではないことも、大きな負の要因であろう。

家族に障害児・者が居ることは、その家族が精神的にも物理的にもより多くの負担を背負う決定的要因ではない。「障害をもつ家族が居ることで、そして彼と共に色々な出来事を乗り越えて来たことで、家族の絆が強まった」とする報告は、親の会の会報などでよく見掛ける。また、両親の子供に対する愛情や養育責任から、「ある程度の苦労は自分達の手で何とか解決していきたいし、それが当然と思われる」とした考えや、「むやみに家庭の中に立ち入られたくない」とする感情も根強い。ここでは、レジャー教育を、このような家族の心情面を否定することなく、家族にとっても障害者本人にとっても有益な在宅援助サービスの一形態として考察する。

まず、障害者をもつ家族が養育として拘束される時間を、ノーマライゼーションの理念に沿って検討する。例えば、一般に16才の高校生をもつ両親は、その質は別として時間的にどの程度子供とかかわって(言葉は悪いが、拘束されて)いるだろうか。一日単位で考えると、家庭に彼らが居る時間は、学校の帰宅時間の遅さ(時には、クラブ活動や塾へ通う為)、友達付き合いや趣味の多さなどから、かなり短いものである。そしてその間も、朝起きてから学校へ出掛けるまでの短い時間にいくつか言葉を交わすか、帰宅後、夕食や家族だんらんの時間にもいくらかの会話があろう。その内容も、勉強、身なり、家庭のルールのことなど、叱ったり、口げんかしたりが多いかもしれない。同じ年の養護学校に通っている青年の両親はどうであろうか。彼らは、学校から早い時間に帰宅し、その後友達と買い物や遊びに出掛ける事もなく、家でかなり長い時間過ごす場合が多いであろう。両親はその間、様々な指示や介助を行い、そしてたくさんの要求に応えてあげることとなろう。この単純な比較は、決して特別な事例にのみ当てはまるものではなく、かなり一般化できるものである。つまり、障害をもつ青年や成人が送っている家庭生活の形態は、決して普通の、ノーマライズされたものではない。確かに、両親の子供に対するかかわり方までも含めた、すべてをノーマライズすることは現実的に不可能である。また、ノーマライゼーションの理念はそこまで要求するものでもない。しかし、少なくとも“かかわる時間”を、障害のあるなしで差が出ないようにする必要はある。それというのも、家庭で何十年ものより長い期間、息切れせずに、家族の一員として障害者と生活していくには、家族個々の時間や人生がごく普通に保障されているべきであろう。また、社会へ一人の人間として自立する前段階では、家庭ではなく、それ以外の様々な場面で色々な体験から学ぶことが重要になる。家庭に長時間居続ける障害者では、この大切な機会が少ないといった点も、家族がかかわる時間を短縮する根拠となろう。

この“かかわる時間”を短くすることで、余った時間はどうするか。何度も説明するまでもなく、家庭から出てレジャー活動に従事する時間である(勿論、本人が家の中での趣味をどうしても嗜好するなら話は別である)。このレジャー教育に、家族が担える役割は少なく、まさにその機能は、“むやみに家庭に立ち入らない”、“親の養育責任を超えた”在宅援助サービスである。

レジャー教育の様々な利点

レジャー教育は、その教育を受けた障害者のレジャーライフの充実を実現するだけでなく、様々な付帯的効果を生み出すものとして期待される。この効果は、便宜上、障害者本人の社会的発達面と障害者が生活する周囲の変化とに分けて考えられる。そのうち後者の“周囲の変化”については、先のインテグレーション問題で十分触れている。ここでは、前者の“社会・心理的発達”に焦点を当て検討する。

レジャー教育による付帯的効果としてまず最初に挙げられるのが、障害をもつ人が家庭から出る習慣を身につけることである。そして、家庭から地域社会へと出掛けることは、リスクへの挑戦でもあるが、同時に様々な地域社会資源を利用するスキルを学習することにもなる。市街地の歩行、バスや電車といった交通機関の利用、市民センターや図書館といった公共施設の利用など、多様なスキルの自然な学習機会がレジヤー教育により確保される。

次に、社会的あるいは対人関係スキルの発達も期待される。 Certo と Kohl (1984)は、重度な障害をもつ生徒に対人関係(interpersonal interaction)スキルを指導する条件として、次の4つを挙げている。それは、インテグレートされた環境内の、年令相応で機能的な活動の文脈上で、その活動にはなくてはならない人物と関係をもつことで、必要な情報や援助を得たり、提供することを目的とすることである。レジャー教育では、この4つの条件が十分満たされるものであり、そのうえ、障害者の好みとする活動での対人関係スキルの指導は、良い効果が期待されるだけの動機づけがある。また、実際のレジャー場面と平行して、ロールプレイやモデリング、セルフマネージメントといった行動論的技法を用いることで様々な社会的スキル(表情や視線、身体接触、挨拶行動、人に対するポジティブな表現etc.)の学習が可能となり(Gaylord-Ross et al.,1986; Agran et al.,1987 ; Storey & Gaylord-Ross, 1987)、さらには、障害をもたない仲間との友情関係の成立も可能となろう(Stainback & Stainback,1987)。このような、レジャーを手掛かりとした社会的対人関係の発達は、それ以外の職業的あるいは居住場面での適応を助長することは、容易に推測できよう。


終わりに

これまで、青年期・成人期の発達障害をもつ人の抱える問題としては、「どうしたら職業に就けるか」、「親が高齢になっても自立した生活を送れるようにするにはどうすべきか」、「どのような形態の施設が彼らの有意義な生活を保障するか」などが中心テーマであった。これらは現在でも変わりなく重要な問題である。しかし、フリータイムの過ごし方を含めた、障害をもつ人の生活の質についても、これからは議論すべきであろう。フリータイムの問題は、以前から多くの人が直面して来た点ではあるが、いくつかの試行錯誤的実践も行われていたものの、一般にはその思想・理論的背景の乏しさからも、手の打ちようがない問題であった。。しかし、社会的風潮としてレジャーに対する関心が高まり、そのうえノーマライゼーションやインテグレーションの考えが承認されつつある今では、レジャー教育の重要性を誰も否定できないと思われる。

レジャー教育の重要性は理解できても、その実施に際し、乗り越えなければならない障害は幾つもある。その最も大きなものに、我が国の現在の福祉・教育システムでは、個々のニーズに合ったレジャー教育を広範囲に支援して行くことができない点である。その理由として、財源や人員、そして障害者の受け入れ姿勢が不足しているなどが考えられる。しかし、ともかく今は可能な所から、障害者が自然に参加できるレジャーグループを一つでも多く作り上げて行く段階であろう。残念ながら、レジャー教育の分野では、現行システムの変更を迫るほどの個々の実践や手本が存在しないのである。

(志賀 利一)


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