家族から見た資源:家族援助サービスへ向けて

1992年秋にまとめて、安田生命社会事業団発行のマインディックスに
掲載されたテキストです。自閉症の子を大人まで育てたふたりの
母親にインタビューしてまとめました。


学校の就学考査をハラハラして通り過ぎてからもう2学年目を終えられそうなところまで来ている。 たった1人の子どもなので彼の行動、過程、時々の悲哀のほとんどを記憶しているように思える。 背中に括り付け、切なる願いを込めて足繁く専門機関に通ったことも。 しかし最悪な病名に対し、療法はご自身でどうぞ、と言われたことにどうしても納得いかず結局身をおける療育機関と療育方法にたどり着くのに、4年の歳月をかけてしまった。[*1]

もしあなたが、自分のために誰か専門家が訪ねてきてくれると考えているなら、 いくら待っても、誰もやってきてやくれませんよ。 万が一、やって来たにしても、彼らはあなたの望んでいることを決してやってくれはしないはずよ。[*2]

家族援助サービスとは、 新しい障害児医療・教育・福祉の視点です。今現在この考えを大幅に取り入れ、組織的に実践しているところを私は知りません。 しかし、家族や現場で日頃障害をもつ人のケアに携わっている多くの人が、 「家族援助サービス」 の方向に少しづつ進む努力を行わなくてはならないと実感しはじめています。 そこで、今回は障害をもつ子を成人まで育ててきた2人の母親のインタビューを織り交ぜ、この新しい方向を探ってみたいと思います。


家族援助の視点

家族を援助するサービスとは、その字が表すとおり、何らかの障害をもつ子どもが家庭で豊かな生活を送っていけるように、その子とその家族に提供するサービスのことです。 この定義だけだと、従来からの早期療育、 通園・学校教育、医療ケア、障害年金、通所施設サービスなど、医療・教育・福祉のほとんどすべてが 「家族援助をすでに実施している」 ことになります。 しかし、近年叫ばれている家族援助サービスとは、従来のサービスから何歩か踏み出したものです。

個々のニーズから始まる

家族援助が強調されだした背景には、ノーマライゼーションの思潮の浸透、そしてそれと同時に高まってきた障害をもつ人とその家族の権利擁護の意識があります。 前者の思潮は、「障害をもつ人が家庭や地域から離れた特別な施設で手厚い保護を受ける」 ことを原則として否定したのです。 さらに、後者の意識は、地域で家族と一緒にあるいは家族のそばで障害をもつ人が生活できる条件の整備をサービス機関に要求してきます。 この2つのテーマの衝突が家族援助サービスの起源となります。

従来 (現在) のサービスは、サービス・専門あるいは行政機関が望ましいと判断したサービスメニューから家族が必要なものを選ぶといった形態です。 選ぶと言っても、現実に家族の方が選択できるサービスは非常限られています。 この形態では、個々全くもってユニークな存在である家族のニーズに対応し切れません。 結果として、家族に過剰な努力を強いることになったり (燃え尽きる危険性を高める)、サービスからの孤立を生み出してしまいました。 こうなると二次的な感情の対立さえ生じてきます。 「こんなに立派なサービスがあるのに利用しないのは家庭に問題がある。」 「私たちが利用できるサービスなんて一つもない。」

家族援助サービスとは、サービス・専門機関が 「その家族にとって必要としているサービスを見つけるところからスタートする」 ものなのです。

ストレスマネージメント

障害児の医療・教育・福祉分野では、家族の障害受容という言葉を大切にしてきました。 時には、「ショック期」 「回復への期待期」 「混乱期」「適応への努力期」 「適応期」 などといったように、障害受容へ向けての家族の心理状態を段階分けしています (障害受容の発達段階?)。 障害受容をキーワードにすることにより、サービスを提供する専門家は、家族についての多くの知識を得ることができました。 ところが、近年の 「ストレスマネージメント」 といった学際的な研究の発展は、家族援助にこれまでとは別の重要な示唆を与えてくれました。

障害受容へ向けての心理状態は、よく 「ストレス」 という言葉に置き換えられます。 しかし、この単純な置き換えでは、私たちが入手しなくてはいけない大切な情報を失ってしまうのです。 まず、障害をもつ子が生まれた時点をすべてのストレスの源とは考えません。 と言うより、基本的には 「それを原因にしない」 のです。 その上、ストレスとは人の内的な、心の中を中心とした事象ではありません。 この前提の上で、障害児を持つ家族のストレスとそれが生じる因子を研究したところ、 「家庭経済の負担」 「毎日の生活するうえでの奮闘」 「生活スタイルの変更」「育児やケアに費やす労働力」 「慢性的なケア」 「人生の節目となる移行期」 「子どもからの感情的な励ましの少なさ」 「子どもの逸脱した行動」「家族固有の特性」 「家庭内の対人関係」 「血縁との対人関係」 「近隣とのネットワーク」 など環境上の問題がたくさん浮かび上がってきました。どれも外的な問題である以上、理論的には、直接援助できることになります。 さらに、どれも現在の問題として扱うことができます (過去にさかのぼる必要がない)。


家族から見た援助とは

サービスの流れは、この新しい家族援助の方向へと向かいはじめました。 しかし、専門家がこのサービスを提供する上でまだまだ知識不足な領域はたくさんあります。 その一つが、「障害をもつ家族はこれまでどういう資源を使って子どもを育ててきたのか」 です。 私たちは、自分のサービスを常に中心に置き、障害をもつ子どもとその家族を見る習性を身につけているようです。 ところが、その家族にとっては、一人の専門家から得るサービスとは、毎日の生活資源のほんの一部にしか過ぎないはずです。 それぞれの家族は、専門家、非専門家、有形、無形の無数に近い資源をうまく使いながら生活しているのです。

ここでは、成人になるまで障害をもつ子を育ててきた2人の母親の回想を、「家族が利用した資源」 といった視点からまとめます。

話し合いの方法

これは、 1992 年秋の某日、神奈川県内のとある親の会運営の地域作業所で、著者と今回の話題提供者である2人の母親 (子どもは会場となった作業所に通っている)、 それに作業所の職員1名、ボランティア2名を交えて話し合った時の記録をまとめたものです。 この記録をとったときは、同様なセッティングの話し合いを2回行った後であり (テーマは別、 今の問題中心)、お子さんの障害の状態、これまでの経過 (大まかな生育暦) については著者はすでに知っていました。 お互いに気心が知れ、リラックスした雰囲気で話し合いが行われています。

話し合いは、事前に著者が設定したテーマに沿ってフリートーク形式で進めました。 ただし、著者ならびに職員、ボランティアは、「テーマについての具体的な説明」 「状況を詳細に聞き出すための質問や相の手」以外は、発言を解釈して別の言葉に置き換えたり、反論を提出してはいません (テーマは表1参照)。 記録用具は、テープレコーダーを用い、後で再生・タイプしました。 話し合いの時間は、約1時間 20 分です。

表1 話し合いのテーマ

  • 今回の話し合いの主旨説明と同意

  1. マインディックスの原稿に使う
  2. プライバシーの保護 (記録の扱い・原稿は仮名)
  3. テーマは 「家族援助サービス」
  4. 家族の立場として率直な意見が聞きたい
  • お子さんとこれまで生活してきておかあさんが一番充実していた時期は
  • お子さんとこれまで生活してきておかあさんが一番大変だった時期は
  • これまで関ってきた人の中で助けになった人・印象に残っている人は
  1. また、そのときの様子を具体的に
  • 専門家が家族を援助する際に望むこと、これまで失望したこと

2人の生活史

2人の子どもの概要については表2にまとめてあります。 同じ診断名でありながら、これまでの歴史に類似点がほとんどない2人です。

表2 子どもについての概要

 

Aさん (女性:24 才)

Bさん (男性:19 才)
幼児期 自閉症と診断された後大学病院と普通幼稚園に1年間通う
入園後はスムーズ・おとなしい子
自閉症と診断された後地域の幼稚園保育園に通わせるために悪戦苦闘
入園拒否に反発し多様な戦術・支援を駆使し保育園に受け入れてもらう
小学校 地域の小学校の特殊学級に入学
大きな問題もなく、障害のない子と一緒の行事等を楽しく過ごす
途中父親死去
地域の普通学級に入学
多動・周囲とのトラブル多発
積極的に障害の理解を得ようと奮闘
途中転居
中学校 特殊学級進学
家庭で破壊行動が頻発
特殊学級進学
行動的にはかなり落ち着いてきいる
高校 養護学校高等部進学
破壊的な行動が収まる
市内の定時制高校に進学
昼間は作業所の仕事をこなし、夜に学校へ通っている
昼間は文具店で単独アルバイト・来年の就職内定 (至る現在)
卒業後 市内授産所に3年ほど通う
職員・環境との適応が難しく問題行動 (こだわり、破壊) が多くなり今の作業所に移る
作業所・家庭で落ち着き始めたが破壊行動は完全に消えてはいない

.

充実していた時期・大変だった時期

Aさんの母親は小学校時代が一番充実していたようです。

充実していたかどうかわかりませんが、その頃子どもは右向けと言えば右を向き、左向けと言えば左を向いていた時期ですから・・・マラソンや遠足、修学旅行などの行事や休み時間に普通学級の子と一緒に楽しく過ごし、よく面倒を見てもらっていました。

Bさんの母親は、高校に入ってから現在に至るまでが一番充実していると答えています。 逆に、幼児期から小学校の間が最も大変だったようです。

小さい頃は本当に5秒と目が話せなかったのに、今は朝9時に家を出ると夜 10 時に帰ってくるんです。 今はなんて楽なんでしょう。とにかく家は多動でしたから、全く目が離せませんでした。 近所のいろんなものを壊ししょっちゅう謝って回り、子どものことを理解してもらおうと歩き回りました・・・でも、確かに私は大変でしたが、クラスメートと一緒にいろんなことを体験し、その頃の写真を見ると子どもにとっては一番充実していた時期ではないかしら。

Aさんの母親が一番大変なのは、中学時代と今現在です。2人とも自閉症という、行動上の問題が表面化しやすい子どもを育てています。 そして、この設問に対する反応は、まさに、この行動上の問題が顕在する時期と母親が心理的に負担に感じている時期とが重なります。 ある程度予想された答えです。 しかし、この2人の反応には、もう一つ重大なテーマが見えます。 それは 「障害のない同年代の子どもとの関りを非常に大切に考えている」 ことです。 Aさんは固定式特殊学級に在籍し、 行事以外に積極的な交流時間をもっていなかったにも関らず、現在の母親のよき思い出としてまず上がるのは 「子ども同士の触れ合い」についてです。 Bさんの母親は、小学校に子どもが通っている間、精神的にも肉体的にも大変な労力を強いられたにも関らず、その苦労と引き換えても 「子ども同士の触れ合い」 は十分にお釣りが戻ってくるものだと考えています。 2人とも、会話を楽しんだり、友達を積極的に欲することのない典型的な自閉症なのにです。

統合教育か特殊教育か?  子ども同士のぶつかり合いか専門的な指導か?  障害をもつ子の両親が必ず2者択一を迫られる難題です。教育効果はどうなのか? 権利擁護の視点からすると? なかなか解決の糸口を見つけられません。 そこに、2人の母親の発言は、もう一つ大きなテーマを投げかけています。 同年代の子どもと一緒に同じ様に育っていく姿を見ることは、母親にとって大変な勇気づけ・励ましになるのです。 つまり、障害をもたない子どもと接触する機会が家族を支える大きな資源の一つになり得るようです。


支えとなる人資源

大変だった時期はどんな人が家族を支えていたのでしょうか?

Aさんの母親は:

兄がいますので、家の子は兄と話したり、一緒にいるのが本当にいい様なんです。 私が勤めている会社の人、 社長やその奥さんと関っていましたから、何かあると本当に真っ先に、困ったことがあったり、夏休みに連れていったり、本当によくしてもらいました。

Bさんの母親は:

死のうかと思い詰めたとき助けてくれたのはIさんです。 その時“あなた1人で死んでいいわよ、Bくんは私が育ててあげるから”と言ってくれた友人です。 それと、弟が両親とは違う冷静な目でBを見てくれるのに助けられたわ。 本当に普通の男の子の目で見てくれたのね。 もちろん夫も、忙しくしている時でも文句も言わず、 (学校の先生との交渉など) 外には必ず出てもらったし・・・

そして2人とも、子どもの祖父母が精神的あるいは経済的な大きな支えになっていたと話しており、その外にも本当にたくさんの人に支えられたようです。

家族、それも障害をもつ子の兄弟の役割の大きさ、そして友人あるいは職場を通しての知人といった、障害に関する専門知識とは無縁の人的資源が家族にとっていかに大きな支えになってきたかがこの短い発言の中からも読み取れます。

同じ障害をもった親同士のつながりについても聞いてみました。 2人とも、幼児期から地域あるいは専門機関中心の親同士のサークルに参加しています。 そして、このネットワークの重要性も強調しています。 しかし、少しドライな、明確な目標に向けての支え合いと割り切っているようです。 例えば、1) 通い先確保の運動として、2) 先輩を将来のモデルとして (良くも悪くも)、と発言しています。 「障害による状況をいちいち説明しなくてもわかり合える反面、障害のタイプが違うためなかなか理解されないこともあった」 という言葉が印象的です。

教師、ワーカー、医師などの専門家の支えはどうだったのでしょうか?

施設に入れることを考えていたとき、その時の特殊学級の担任の先生が、“おかあさんも同じ年齢の頃どうでしたか”と言ってくれ・・・子どもの良いところをいろいろと考えさせれ、 なるほどと (施設入所を)思いとどまらせてくれたんです。・・・ (その先生が転職してから) 一度も訪ねたことは無いのですけど、何か困ったことがあると手紙を書いたりしていました。 なかなかそういう先生は少ないんですよ。

これはAさんの母親の発言です。 親身になってくれ、家族や子どもとの相性の良い先生にめぐり合えて本当に良かったと回想しています。 会う機会がなくても母親の大きな支えになっているようです。 見方を考えれば、頼れる専門家をうまく選んでいることになります。 Bさんの母親はもっとストレートに話しています。

私は専門家に非常に恵まれたと言うか、こちらがBの成長に合わせて専門家を選んできました。 学校から追い出されそうになったときS医師に学校へ来ていただきましたし・・・ (いろんな専門家と出会ったが)変な専門家にはこちらが会わないようにしました。


専門家との衝突 (疲労の蓄積)

専門家と意向が合ったときは本当に大きな力となるのですが、逆に反対意見をもたれると親のエネルギーが完璧に削がれてしまいます。

2人は、幾度も専門家との話し合いで、気分を害し、意気消沈し、いらだち、憤慨し、そして衝突した経験をもっています。 そして、この衝突は入園、入学、進学、卒業といった節目となる時期に多く経験しています。 この時の専門家の発言は、決して忘れることはできないようです。

この子をちゃんと母乳で育てましたか? こんな大変な子は親には育てられません。 専門家に任せなさい (専門の施設に入れなさい)・・・こんな親は見たことがない。 普通学級に入れるなんて、それは親のエゴですよ。 この子は不幸です。 せっかく特殊学級ができたのだから、そこに入れなくてはだめですよ。 (福祉事務所で進路の相談をしたとき) Aさんは授産所に入るのは絶対無理ですよ。

最近の調査では、 親がストレスを感じる因子として、「専門家との話し合い」 が最有力であると報告されています [*3]。 専門家とは、これほどまでに 「親を支える存在にも、親の生きる力を削ぐ存在」にもなるものなのです。

Bさんの母親は次のように話しています。

理論 (仮説?) や自分の考えに照らし合わせて親を責めたり、ハード面の発展が子どもや親の幸せに結び付くと思い込んでいる専門家は本当に困ります。 子どもと共に生活している親と一緒に考えてくれ、多様で柔軟な発想をもった専門家が欲しいですね。


おわりに

障害をもつ人、特にいわゆる重度の知的な遅れをもつ人が地域で生活できる社会を実現するには、 まだまだ数多くの課題があります。 でも、今、家族と一緒に地域で生活している人はたくさんいます。 成人し、職場で収入を得、そのお金を自分の楽しみのために使っている人も、決して多くはないですが、 存在します。 このような人とその家族は、現在、過去 (そして将来) において無数の資源を利用しているはずです。

今回の話し合いから得た情報は、特定の障害、特定に地域、特定の年代といった、非常に限られた範囲の援助資源しか示唆できませんでした。また、過去の回想には、どうしても今の価値観といったバイアスがかかってしまいます。 この話題を一般化して考えるには、確かに、慎重にあらねばなりません。 しかし、どんなにネガティブな因子が存在しようとも、子どもと一緒に生きてきた家族の経験から得られる、サービス改善の手がかりはたくさんあるはずです。


[*1] 安田生命社会事業団子ども療育相談室編集 (1985): わかたけ第7号, 安田生命社会事業団子ども療育相談室発行. より引用

[*2] Ferguson,P.M., Ferguson,D.L., & Jones,D. (1988): Generations of hope; Parental perspectives on the transitions of their children with severe retardation from school to adult life. Journal of the Association for Persons with Severe Handicaps, 13, 177-187. より引用

[*3] Todis,B. & Singer,G. (1991): Stress and stress management in families with adopted children who have severe disabilities. Journal of the Association for Persons with Severe Handicaps, 16, 3-13.

(志賀 利一)


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