サマンサと私

2001年6月ごろのサマンサのシルエット
1.いただき★サマンサとは何ぞや
2.マイネサマンサと私
3.オフサイドトラップ熱
4.日本一詳しい第34回七夕賞
5.運命の日
6.ワールドカップイヤー
7.競馬場に初めて行った日
8.いろんな競馬場
9.障害馬列伝
10.単勝馬券の鬼



1.いただき★サマンサとは何ぞや

 私はマイネサマンサに出資しております。(その理由は「マイネサマンサと私」参照)

 出資した当時はアオエトウショウの00という名前。出資を考えているとき名前をいろいろ考えていました。でも、出資した頃にはとっくに締め切られてました。(その名前は恥ずかしいので永遠に封印しておきます。)で、馬名「マイネサマンサ」が決まった第一印象。「ごちそうサマンサ」でした。

 その昔、酒井法子さんはのりピー語なる独自の言語形態を用いて、その名を日本に轟かせいていました。(別に私は酒井法子さんのファンでもなんでもないんですが。)のりピー語の代表作というと「いただきマンモス」が挙げられます。しかしながら、一大ムーブメントを巻き起こしたものの、いつしかのりピーは、のりピー語を封印します。のりピー語はのりピーが自ら開発して言っていたのか、それとも誰かに言わされたのか、真相は闇の中ですが、人々の心にはのりピー語の記憶だけが残り、いまや、使う人は数少なくなっています。というか、当時から実際に使っているシチュエーションを見たことはないのです。さて、東の横綱が「いただきマンモス」ならば、西の小結は「ごちそうサマンサ」。対となる語として確実に存在していたはずなのですが、どうも印象が薄いです。

 さて、その「サマンサ」、女性名だとは知っていたのですが、それがアメリカの人気ドラマ「奥様は魔女」のヒロインの名前であり、父「ディアブロ」からの連想だと知ったとき、おおお、と思わず声をあげました。凝ってる。私は「奥様は魔女」自体を知らないのですが(そういうアメリカのドラマがあったという知識はありますが)、そのときから、「サマンサ」=「マイネサマンサ」になりました。

 出資してからずっと応援サイトを立ち上げようと思っていて、内容はサマンサ中心でも他のコンテンツもあるだろうし、次年度は別の馬に出資するだろうし、いつかはサマンサも引退する日が来てしまうんだろうけど、タイトルにはやはり「サマンサ」の名前を入れたい。ってことで、のりピー様にあやかり「いただき★サマンサ」が出来上がりました。「ごちそう★サマンサ」にしなかったのは、ちょっとした工夫です。葦毛馬に「クロフネ」と名付けたように。もっと卑近な例で言えば、五月みどりと小松みどりは姉妹なのに姓が違って名が同じであるように。

 このサイト、初出走の直前に立ち上げようと当初から考えていました。2002年の5月に入厩してからゲート試験になかなか受からず、その反動からか、疲れが出て一旦牧場に返されるなど、伸び伸びになっていましたが、サマンサもようやくデビューです。共にこのサイトもデビューです。
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2.マイネサマンサと私

 サマンサへが私のとって初めての一口クラブへの出資です。実は他の馬に出資しようとラフィアンに入会しました。その馬はミスマルゼンスキーの00(マイネルトラッパー)です。なぜなら、この馬、オフサイドトラップ産駒だからです。何を隠そう、私はオフサイドトラップの大ファン。(→「オフサイドトラップ熱」参照)結局、マイネルトラッパーの出資は見送りました。入厩が関東というのが越えられなかった唯一の壁。2月末の締め切りを逆算して、ギリギリまで迷いました。

 以前から一口クラブには興味があって、調べてみるとクラブ会費というのが結構かさむとのこと。月3000円というラフィアンの会費を払うのだから出資馬が多い方が相対的に負担が小さくなると思っており、2頭は行く腹積もりでした。本当に申し訳ないんですが入会前は会費なんて全くの無駄だと思っていたんですよ。(会員になった今は、出資馬1頭でも3000円の価値は十分あると感じています。)ということで、ミスマルゼンスキーの00に悩むのと並行して、もう1頭候補を探しました。

 それではなぜマイネサマンサなのか?そういうギリギリな時期で残っている馬が少なく、また、関西馬となるとなおさら。まあ、残っている馬を上から見ていこうか、とした一番最初です。うーん、悪くない。っていうか、いい。かなりいいぞ、アオエトウショウの00。兄弟の成績を見ると、ふむふむ、いいじゃないですか。マイネルエアメール。おお、すごい勝っている。父・ディアブロには大活躍した産駒がいませんが、まあ、今までは外国にいて、日本に来たばかりだし気にしないことに。むしろ未知の魅力に賭けたい気分。中村均厩舎。ラフィアンに詳しくない私もマイネルマックスが中村均厩舎だったことは知ってました。(昔、たまたま立ち読みした競馬雑誌にインタビューが載ってたんですよ。記者を日本酒で出迎えてくれた、という内容だったような。)牝馬であることは、さほど気になりませんでした。「血統が繋がる」という意味では牡馬よりも確率が高いですしね。

 にしても、サマンサのコード「100101」。2進数じゃないですか。うーむ、デジタル。千葉麗子はいまいずこ。
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3.オフサイドトラップ熱

 私のパソコンの壁紙、1台は「マイネサマンサ」。 もう1台は「オフサイドトラップ」です。 私の競馬歴はオフサイドトラップの歴史と言っても 過言で無いほど。

 1996年の11月10日、東京競馬場でした。 私は子供時代から競馬が好きだったのですが そのときが最初。(→「競馬場に初めて行った日」参照)その日のメインは富士S。 現在はG3ですが、当時はOP戦でした。 芝1800m。 勝ったのは後にG1ホースなるシンコウキング

 この日の話は以上で終わりです。 なぜなら、私のその日の記憶にオフサイドトラップは残っていないから。 (とは言え、馬券は買っていました。)

 次に競馬場に行ったのは 同年の12月14日。 中山大障害・秋の日です。 何を隠そう、私は障害ファンでもあったのです。 この日のメインは中山大障害・秋と言ったらいいのか ディセンバーSと言ったらいいのか。 いずれにせよ、11レースにOP戦が組まれていました。 芝2000mのこのレース。 馬柱である馬に目が止まりました。 あれ?なんか記憶ある。 そう、オフサイドトラップでした。 これが、まさにオフサイドトラップのファンになった瞬間です。 単勝馬券を持っているぐらいですから、当時からのイレ込みようがわかります。

 

 考えると、不思議なことにオフサイドトラップは 競馬を始める前から名前聞いたことがあったんですよ。 ナリタブライアンが勝った皐月賞(7着)・ダービー(8着)にも出ているんで、 そのときの記憶なのかもしれないのですが、 ナリタブライアンのときは、競馬にあまり興味を持っていなかったんだよなあ。うーむ。

 ちなみに、このディセンバーSで馬連の相手に選んだのはマイネルブリッジ

回る〜回る〜よ、時代は回る〜

 マイネルブリッジはこの翌年の 七夕賞で私の初重賞的中をもたらしてくれる記念すべき馬。 そして、さらにその翌年、オフサイドトラップが初重賞制覇したのは七夕賞。 数年後、私はマイネルの傘下に。 縁と言いますか因縁は本当にあるんですね。

 なお、結果はオフサイドトラップ2着マイネルブリッジ3着。 ちなみに、勝ったのは当時、1800m日本最強(と私が勝手に認定)、キングオブダイヤ。 この馬、このレース以降、4レース連続オフサイドトラップと激突。 成績は以下のとおり。


キングオブダイヤオフサイドトラップ
96・ディセンバーS12
97・AJCC34
97・中山記念12
97・エプソムC36

と立ちはだかること岩の如し。 勝手にライバル視したおかげで、 キングオブダイヤも大好きです。 オフサイドトラップより1歳若い彼は 2000年に種牡馬入りしました。

 私がオフサイドトラップに出会った富士Sからチャンスがある毎に競馬場に見に行っていたのですが 98年ののエプソムCまで12戦して 2着6回・3着3回・4着2回・6着1回。 勝てません、とにかく勝てません。 ゲートの出は抜群に うまく、先行するのですが ゴール前で測ったように差されるのが何度も。 しかし、転機が訪れます。

「日本一詳しい第34回七夕賞 」に続く

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4.日本一詳しい第34回七夕賞

1998年7月11日。

   私は東京競馬場にいました。 夏ですので、もちろん、東京競馬場ではレースは行われていません。 翌日の宝塚記念の馬券を買いに来た。というのはオマケ。 福島競馬場で行われる第34回七夕賞のオフサイドトラップの馬券を買いに行きました。

 1番人気はランニングゲイル。前年の弥生賞以来勝ち星からは遠ざかっていますが、前走2着。鞍上・武豊。元々、人気のある馬でしたから当然の評価と言えるでしょう。(本音ではないですけど。)

 オフサイドトラップは2番人気。10ヶ月の休養明け後、2着・2着・2着・3着。ハンデ57キロは今思うと恵まれていましたし。8歳(当時。現在の7歳)というのを考慮してかもしれませんが。

 このレースから、この馬の運命が変わります。それまでは2戦を除いて鞍上が安田富男騎手だったのですが、蛯名正義騎手にバトンタッチされました。当時は、なんとも複雑な心境。当時、好きな騎手というのはとくにいなかったのですが、ここまで惜しいレースが続くと、何とか安田騎手で重賞1つ獲って欲しいもの。と同時に、実は手が合っていないのではないか?と思わなかったことがなかったとは言いません。(何とも複雑な表現。)

 さて、この七夕賞、8歳馬が強い、という有名なレースです。このレース前年までにも4頭の勝ち馬を出しています。また、この年でも、8歳のオフサイドトラップ・タイキフラッシュなんて、若い若い。9歳・クラウンシチー、さらには10歳・アラタマワンダー

 話を戻します。以下は、レースのVTRを見直しながら書きます。各馬の位置取りの図まで付けちゃいます。印がオフサイドトラップ。(リクエストがあったら全馬馬番入りにします。ってそんな人いないよなあ。)


 レースはオフサイドトラップと同じ8歳の騙馬・タイキフラッシュ(16番人気)が軽量を活かして逃げを打ちます。(タイキフラッシュは決して逃げ馬ではないのですが。)と言ってもそれほど、大きな逃げではありません。オフサイドトラップは、中団。それまでは、好スタートから2・3番手というレースが多かったので私の目には新鮮に映りました。1000mの通過タイムは59.3。まあ、ペースは標準でしょう。

 4コーナーでもタイキフラッシュ先頭。何度かホーセズネックに並ばれるものの譲ることなく直線へ。オフサイドトラップは徐々に進出して5番手。図の4コーナーでは内に入っていますが少し外に出しています。直線ではタイキフラッシュが抜け出します。

 残り100mでほとんどの馬の脚色が同じながらオフサイドトラップが一歩一歩差を詰めます。
 
 ただ、私は正直、届かないだろうと思ってみてました。
 しかーし、ゴール前でグインと伸びました。
 

第34回七夕賞 福島競馬場芝2000m(良)


馬 名馬齢騎手
タイム
19オフサイドトラップ牡8蛯名――1.59.2
21タイキフラッシュ騙8小林久クビ1.59.2
35セイントリファール牡6橋本広1 1/41.59.4
47ジェラスガイ牡7江田照クビ1.59.5
52エイシンビンセンス牡53/41.59.6
68ホーセズネック牡5後藤ハナ1.59.6
73マリアジュダムール牡5柴田善3/41.59.7
813マイネルブリッジ牡7岡部1 3/42.00.0
96ニシノダイオー牡7熊沢ハナ2.00.0
1010インターフラッグ牡6南井クビ2.00.0
1111シグナスヒーロー牡7大西3 1/22.00.6
124アラタマワンダー牡10中舘1 1/22.00.8
1316メジロスティード牡6吉田クビ2.00.8
1412ランニングゲイル牡5武豊1 3/42.01.1
1514クラウンシチー牡9高山3 1/22.01.7
1615ワイエムテイオー牡5柴田大1 1/22.01.9

 オフサイドトラップの差し切り。ゴールした瞬間は差しているのはわかりましたが、写真判定が解けるまでドキドキ。写真でもわかるとおり、クビ差というよりは差が無かったような。今まで測ったように負けていたので、測ったように差し切ったその様にただただ「おおお、蛯名ってすげー」。それ以来、蛯名騎手のプチファンになってます。
 
 これがそのときの馬券です。生活は苦しかったものの、単勝5.0倍だったんで、迷わず換金しませんでした。しばらく、お守りとして財布に入れて持ち歩いていたのですが、現在は保存状態を考えて家に置いてあります。

 晴れて重賞馬の仲間入り。勝利自体は95年のバレンタインS以来、なんと3年5ヶ月ぶりの5勝目。オフサイドトラップの不思議な勝ち方については、「ワールドカップイヤー」をご参照ください。

 その後、新潟記念にも勝ち、余裕のあるローテーションでいよいよ4年ぶりのG1に向かいます。

「運命の日 」に続く
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5.運命の日

1998年11月1日。

 私が資料を見なくても打てる珍しい日です。私は、東京競馬場にいました。その頃になると、府中に行くときは自転車で行くことが当たり前になっていました。目黒からひたすら多摩川を上っていきます。ママチャリで2時間弱走りっぱなし。電車代を浮かす、というのが主目的でしたが、結構、楽しんで自転車乗ってました。

 さすが、天皇賞・秋が行われる日ということで人が多い。私は生でG1を見るのはこれが3回目。(その前は、メジロドーベルが勝ったオークスとピルサドスキーが勝ったJC。)また、この日は全レース終了後に「ファンと騎手との集い」なるイベントがありまして、お得感満点です。大レースの競馬場にはゲストが付き物なのですが、この日ばかりはどうも出てこない。しばらく、記憶の底をほじくり返して出てきた答えが「さとう珠緒」さん。競馬場のゲストの芸能人って大概忘れないんですけど、記憶の呼び出しに相当時間がかかってしまったのは何故なんでしょうか?(→「いろんな競馬場」参照)

 それはさておき、天皇賞・秋の前にミラクルが。1000円札拾ったんですよ。馬券を買いに行こうと歩いていると目の前に落ちている1000円。すばやい回転レシーブで1000円札、ゲットだぜ。というわけでもなく、冷静に拾っちゃいました。一瞬考えたんですが、届けたって生の1000円札ですからね、落とし主が現れるはずもない。私のとった行動はネコババでした。(時効は成立しています。)それを競馬に注ぎ込めばいいものの、私のとった次の行動は、オフサイドトラップの複勝を買う。しかも100円。あまりの器の小ささに泣けてきます。

 午後に入りまして第8レースは900万下の南武特別。そこには、オフサイドトラップの半弟、ワールドカップが出ていました。1番人気に応えて勝利。兄の露払いを見事務めました。これが、私が目の前で見るオフサイドトラップ・ワールドカップ兄弟の初勝利でした。(→「ワールドカップイヤー」参照。)

 午後のレースはお昼休みに馬券を買って、ゴールに程近い2階スタンドの手すりのところでじーっと待っていました。天皇賞・秋が近付き、オフサイドトラップ返し馬を見て、「おお、良さそうだ」と感じたことを覚えています。

 ゴール板を最初に駆け抜けたのはオフサイドトラップでした。

 全レースが終わって、人のいないパドックに行くとオフサイドトラップの横断幕が出ていることに気付きました。数年ぶりの横断幕だったそうです。

 オフサイドトラップのラストランとなった次走は第43回・有馬記念。結果10着と全戦績で最も悪い着順でしたが、4コーナーで先頭に並ぶなど見せ場十分。煮え切らなさの欠片も残らない最高の幕切れでした。

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6.ワールドカップイヤー

 2002年、ワールドカップがありましたね。もう遠い、遠い記憶になってしまっていますが。私が競馬で一番熱かった年。それは1998年。さらに1つ前のワールドカップの年でした。

 と、無理矢理な書き出しですが、オフサイドトラップの半弟にワールドカップという馬がいます。オフサイドトラップを除くと、兄弟の中では最も活躍しました。兄と比較するとゴロッとした体型。詰めが甘いのも兄似。とにかく、ツキがない、というのが私のワールドカップに対する印象です。

 重馬場は苦手なのですが、デビューから良・稍重・良・重・不良・稍重・稍重・稍重・良・稍重・重・不良。泣けてきます。しかも、青葉賞は良だったのにも関わらず、1コーナーで躓いてしまい5着。完全に旬を逃してしまいました。

 ここでオフサイドトラップとワールドカップの勝利を表にします。

レース名勝馬
940116未勝利オフサイドトラップ
940131セントポーリア賞オフサイドトラップ
940319若葉Sオフサイドトラップ
950211バレンタインSオフサイドトラップ
980322未勝利ワールドカップ
980425新緑賞ワールドカップ
980711七夕賞オフサイドトラップ
980830新潟記念オフサイドトラップ
981101南武特別ワールドカップ
981101天皇賞・秋オフサイドトラップ

 サッカー兄弟だけに、2頭で10勝中、ワールドカップイヤーに9勝。まさにミラクル。ワールドカップには2002年にも勝利を挙げて欲しかったんですが、2001年の秋に引退しました。

 記念に、兄弟が同日に勝った日の馬券を載せておきます。
 

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7.競馬場に初めて行った日

 1996年の11月10日、東京競馬場。 私が競馬場に初めて行った日です。

 この日は、同時開催の京都でエリザベス女王杯がありました。 初めてだから、人がいないときに行こう。 でも、せっかくだからG1があるときに行こう、という選択でこの日に。 初めての東京競馬場は一言、駅っぽい作りだなあ。(→「いろんな競馬場」参照)

混雑する南武線。
府中本町からの渡り廊下。(と言っていいんだろうか?)
同じ方向に向かう人の波。

 家からそんなに遠くないし、実際、ものすごく現実的なのになぜかわからぬ現実感のなさが 心地よかった記憶があります。

 いろんなところを見るため、とにかく歩き回りました。競馬場における放浪癖は今も変わってません。競馬場にはいろんな人がいます。お子様連れもいらっしゃいますし、ちょっとしたレジャー施設。が、芝生でバーベキューをしているのはいかがなものか?と思ったもんです。匂いに馬が興奮しないものかと。でも、よくよく考えると草食動物が「焼肉のタレ」の匂いに興奮するわけがないですね。

 初的中は8R。 そのレース、審議になったんですがそのまま確定。 近くにいた人の「(審議対象だけど)岡部だから降着にはならんだろ」 というコメントはなぜか印象的でした。 枠連2-8、3.8倍。 しめしめ、と思ったら思いの外配当が低かったです。 でも、今は、そんな馬券を買える自分に戻りたい。

 さて、エリザベス女王杯。 記念すべき古馬開放第1回目でして ダンスパートナー・ヒシアマゾン・ホクトベガらのG1馬を はじめ、後のG1馬、エリモシックら多士済済。 かなりの豪華メンバーでした。

 私は枠連の6-8という馬券を買いました。 6枠にはヒシアマゾン、G2を2勝しているサイレントハピネス。 8枠にはダンスパートナー、同年のクラシック戦線を賑わせたロゼカラー。 これで、10倍近くついてたと思います。

1位入線 ダンスパートナー。 2位入線 ヒシアマゾン。

 喜びましたよ、ほんとに。 初競馬場、初G1、初的中ですもん・・・・・

 と、当時の競馬を知っている人ならもちろん、 知らない人でも何となく察しがつくでしょうが、 ヒシアマゾンが降着。 陰鬱な気持ちで帰路についたことを覚えています。

 この日、出会ったおじさんが2人。 1人は、レースを立って見てると 何故か「座らせてあげるよ」と言って スタンドの1番前に座らせてくれたおじさん。 もちろん、お金を要求される、ってこともなかったんですが、 その好意に甘えきることができず、 1レース見た後、そこには戻りませんでした。 すいません。

 もう1人は、エリザベス女王杯のパトロールビデオを見ていたときに 話し掛けてきたおじさん。 「これで降着はねーよなあ。」 答える私。「そうですよね。」 モニターを見上げるおじさん。「おかしいよな、納得いかないな。」 うなずくく私。「そうですよね。」

 まあ、どう考えても降着なんですけどね。

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8.いろんな競馬場

 初めて東京競馬場に行ってから、中山・阪神・中京・京都と行きました。各競馬場の感想を書いてみたいと思います。阪神と中京はそれぞれ1度しか行ったことないんですけどね。

 まずは、東京競馬場。イメージは「駅」。一番好きです。改装後はどうなるかわかりませんが、スタンドが見やすい。メインスタンドとメモリアル60の繋ぎ目の微妙な空間が好きです。メモリアル60は観戦にはあまり向いていないと思いますが。吉野家があるというのは非常にありがたい。映像ホールに篭っていると気持ちが沈んでくるのでご注意を。
 競馬博物館は毎回のように暇つぶしに行ってました。(私はレースとレースの間は非常に暇にしてます。その間、もっと死ぬ気で予想すれば回収率が上がるのかもしれませんが、優柔不断な私は後悔も増えそうなのでサラッと予想するようにしてます。)レーシングシミュレーションをやらずに関西に引っ越したことが未だに心残りです。

 中山競馬場。イメージは「デパート」。ここはわかりにくかったなあ。船橋法典駅からの道「ナッキーモール」歩いていると気持ちが昂ぶります。その昂ぶった気持ちのまま外に出ると、内馬場に出てしまいます。内馬場の充実ぶりはここが一番でしょう。伊達に大障害の舞台だけあります。大障害のときは、早い時間から内馬場にジャンプレースファンが集まります。年にたった2回しか使われない大竹柵と赤レンガの側で見るジャンプは迫力があります。私は一発でその魅力にはまりました。(ただ、ゴールは見辛い。ジャンプレースファンは内馬場で見終わった後は、ウイナーズサークルまでダッシュします。)
 パドックはとても見やすいと思います。スタンドは何階なのかいつもわからなくなってました。メディアホールはUFOのような作りで、FM局があったりします。直線が短いだけに手狭な感じは否めません。
 私は船橋法典を使ったのは2回ぐらいで、他は西船橋から歩いていました。20分ぐらいかなあ、確か。ただし、初めての人が西船橋から歩くのは難しいです。(人の流れがまばらなので。)帰りは、中央門から出て人の流れに乗っていくと着きます。と思って、歩いていったら、京成の駅に着いちゃったことがあるので注意しましょう。

 続いては、阪神競馬場。イメージは「ドーム球場」。行ったのは97年のキョウエイマーチが勝ったローズSの前日のみ。1回だけ。大阪に遊びに行ったついでに行きました。やはり、パドックが印象的。下から見上げる感じで馬が見れます。場内で新聞を売ってあるのに少し驚きました。今は専用地下道があるらしいですね。

 中京競馬場。イメージは水族館。このイメージは、パドックの座席(階段と言ったほうが正確か)が水色だからだと思います。メディアホールが立派。ただし、食べ物を持ち込んではいけないという規則が。知らずにアンパンを食べようと思ったら係員が飛んできました。よく見てますね。駅から遠いってのはちょっと難点。と思ったら、駅から10分ですか。なんか、もっと歩いたように思ってました。ここも行ったのは1回だけ。サイレンススズカが勝った金鯱賞の日でした。

 京都競馬場。近いのに全然行ってないです。近くて遠い競馬場。って自転車で行くからですね。1時間半ぐらいかかります。(府中にも自転車で2時間かけて通ってましたが、疲労度は淀のほうが上。自転車道と一般道の差か。)ちなみに、家からだと電車で1本で行けてしかも20分ぐらいなんですけどね。ビッグスワン完成直後に初めて行ったんだと思います。感想は、正直、味気ないなあ。まあ、それが味なんでしょうけど。京都競馬場で馬券を当てた記憶がないです。また、ジャンプ重賞にはビッグスワンなる障害物があるのですが、重要なポイントの割には何とも地味です。

 せっかくだから、公営も。大井と川崎に行ったことがあります。大井はイメージは市役所。内馬場が完全に異空間。川崎のイメージは市場。にしても、ナイター競馬は素人の私にはどの馬もピカピカで毛ヅヤがよく見えるなあ。

 さて、競馬場にはたまにゲストが来ます。順不同で思い出した順に書きますが、

爆笑問題(いつだったか。ボキャブラ開始後・うまなりクン開始前だから97オークスかなあ。)

海砂利水魚(98年有馬記念)
  「爆笑ボキャブラパドック」なるタイトルで。
  そんなもん出来るか、と言ってました。

アントニオ猪木・ボクサー畑山・梅宮アンナ(98 JC)

松岡修造・プロレスラー安生・巨人の柏田(97JC)
  世界を又にかけて活躍するスポーツ選手という国際レースらしい企画。
  ちなみに安生さんはオセアニア代表だそうです。
  子供の頃、NZで生活していたとか。

見栄晴(随時)

 特に印象に残っているのはアントニオ猪木さん。イベント広場の予想会で「えー、競馬はやらないので、好きな数字を」のぶっちゃけに始まり、「えー、○番と○番。」(画面に予想の印が打たれる。会場は、おー、そういう予想かあ、どれどれ。と一瞬考える。)「を枠で。」オペレータ慌ててました。つーか、そんな欄無いし。レース終了後にはウイナーズサークルで「1・2・3・ダーーーーー」をやってご満悦の表情で帰っていかれました。(しかも、「そろそろあれをやっていただけますか?」と振ったのは競馬評論家の井崎さん。主催者に頼まれてたとは言え、すごい司会ぶりだ。)猪木のために見に行った甲斐がありました。

 競馬場大好きな私ですが、ここ2年半ぐらい行ってません。大きな理由は、PATに入ったこと。サマンサデビューには久しぶりに競馬場に出掛けようと思います。

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9.障害馬列伝

 上でも書いているんですが、私はジャンプレースファンでした。(ちょっと今はご無沙汰してますが。)

 きっかけは、2回目に競馬場に行ったときの96年の中山大障害・秋。有馬記念の前の週。中山大障害・冬ですよ、もはや。6頭立て。今はジャンプレースも頭数が多くなってますが、この当時は少なかったですねえ。1番人気はポレール。勝ったのもポレール。大差も大差。2着に3秒2。インパクトという意味ではこのレースを超えるものを経験したことがありません。

 ポレールという馬は新馬を勝った以降、平地では振るわず、4歳夏に早々と障害入りします。しかし、障害でもそれほど振るわず、初勝利を挙げたのは9戦目。そっから、上級で健闘するもののの壁に悩まされました。(当時は障害にも400万下というクラスがありました。)96年の東京障害特別・春に勝ってから一変しました。そっから中山大障害3連覇。その間、阪神障害Sも制します。京都で勝てばグランドスラムでしたが出走することはなく(斤量の関係もあったでしょう。65キロとかで走ってましたから。)もう一歩で逃しました。岩元市三厩舎でして、和田騎手を乗せて天皇賞・春に出るなど、テイエムオペラオーの礎となりました。(というのは結果論。)97年の京都大賞典では、後にJG1となった記念すべき初回の中山グランドJを制したメジロファラオを完封するなど平地での足も見せました。(といっても、ポレール6着、メジロファラオ8着です。)現在は阪神競馬場で誘導馬をしております。

 そのポレールの中山大障害4連覇を阻んだのがケイティタイガー。この馬も忘れられない1頭です。その中山大障害を制したときは9歳。ウイナーズサークルで見たときのケイティタイガーは疲れ切ってました。目の前で見る疲れた馬、というのは初めてでした。冬だったので湯気が霧のように立ち込めていたのを覚えています。翌年の東京障害特別は10歳で制します。その後も、長く走り続け、11歳となったとき、第1回中山グランドジャンプで2着に入ったときは私は関西に来ていたためテレビ観戦でしたが古豪の維持をひしひしと感じました。

 アワパラゴンはポレールの次代を飾った障害馬です。小倉の芝2600mのレコードホルダーであった同馬は障害デビューから6連勝。同一年度、しかも秋だけでグランドスラム達成か?と期待されたが6レース目の京都大障害のレース後に骨折が判明。中山大障害への出走は叶いませんでした。

 ニケスピリットは非常に変わった経歴の持ち主。4歳(現3歳)の6月に障害デビュー。しかも、平地では成績が悪かった、というわけでもなく2勝も挙げています。障害未勝利、400万下を勝利してここからがすごい。東京障害特別・秋を叩き台にして菊花賞へ向かいます。(平地2勝、障害2勝で賞金は十分。)大舞台では、終始後方を走り、そのままシンガリでゴールしました。障害に復帰した後は、同じ歳のゴッドスピードと2戦連続死闘を繰り広げます。

 以上が、20世紀の最後の5年間を彩った障害の名馬たち。と、もう1頭、ご紹介します。ノーザンで障害馬と言えばレインボー。ではなく、ノーザンテリトリー。成績自体はそれほど取り上げるところもないのですが、一部のジャンプレースファンの中では伝説となっている1998年5月9日の東京競馬場で行われたOP戦。3番人気のノーザンテリトリーが逃げる逃げる。障害1個分ぐらい先走ってました。直線に入ったところでもかなりの差があります。歩いても勝てるな。と思ったら、なんと、歩いてました。いや、歩いてはいないのですが、ヨレて4コーナーで曲がりきらず外ラチまで、コースに垂直に走っているではないですか。はるか後方にいた馬たちに次々に抜かれていきます。笑ってはいけないと思いますが、思い出すだけで頬の筋肉が緩んでしまうレースというのはこれしかないです。なお、レースはニケスピリットが36秒の脚で大差をつけて勝ち、ノーザンテリトリーは5着を死守しました。
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10.単勝馬券の鬼

 私の馬券の買い方にはポリシーがあります。「当たらない馬券を買う」ではなく、 (単に当たらないってだけ。)「矛盾した馬券を買わない」です。

 「矛盾した馬券」とは非常に簡単。例えば、単勝を2点買った場合、どっちかが当たっても もう片方は外れる。(同着ってこともありますが。)それは嫌だ、ってことです。 馬連や枠連も同様、また、単勝と馬連・枠連・ワイドの組み合わせも同じ。

 したがって、ほとんどの場合、私は1レースにつき1点しか買いません。2点買う場合は、
   単勝+馬連or枠連orワイド(単勝の馬を含めて)
になります。

 この買い方が的中率を下げているというのはわかるんですけどね。ちなみに、昨年は年間750点の馬券を買って的中したのは30。25点に1回、ほとんど1レースに1点しか馬券を買わないので、ほぼ25レースに1回しか当たっていない計算になります。去年は初的中が、京都記念でした。今年は京都記念を過ぎて未だに当たっていません。まあ、今年は馬券を買うペースが遅く、まだ25回まで到達してないので、確率的にはこんなもんかと思います。

 「単勝回収率」なるコーナーをやっている通り、私は単勝馬券が好きで、また、よく買います。単勝しか買ってなかった時期、というのが1年間ぐらいありました。何故、そんな窮屈なことをしてたかと言いますと、ポリシー云々以前の問題でした。数年前、PATに入っていなかったため、WINS京都に毎週行っていました。そこは、枠連・馬連は何と1000円単位。貧乏人は来るな、と言わんばかり。(実際、そうなんでしょうが。)しかし、救済措置もありました。それが、単勝・複勝は100円単位。つまり、お金のない私は単勝・複勝しか買えなかったのです。その窓口は2箇所だけ。(1箇所かも。)1階の入口に一番近い場所にありました。そんな窓口を使う人はあまりいないため、入口の混雑の緩和領域として設けられていたようです。3階が禁煙だったもので、タバコを吸わない私は3階に常駐しておりレースのたびに階段の昇り降り運動をしておまりした。

 しかも、WINS京都は自動発券機がありません。つまり、全部オペレーターのお姉さま方にマークシートを渡す必要があります。毎レース100円の単勝馬券を買いにどっからともなくやってくる来る謎の男。私は客であるのに、恐縮しきりでした。また、その窓口は単勝・複勝専用にも関わらず、知らずに枠連か馬連を買い来る人が少なからずいるのですが、その人達が舌打ちしながら去っていくたびに「申し訳ございません」と高嶋政伸ばりに深々と頭を下げていました。(心の中で。)

 払い戻しは自動だったんですが、馬連・枠連は1000円単位ですので「札が必ず出てくる・10円玉なんて出てこない」のが普通。に対して私は単勝ですから配当が大きいわけでもなく、札が出てこないことも多々ある。そこで、あたかも札が出てきたようなパントマイムをしながら払い戻しを受けてました。って誰が見てるわけでもないんですけどね。そういう生活をしていくうちに、単勝10倍以下であるものはイッツオートマティクに馬券の対象から外すことになりました。今では、目に赤いフィルターがかかっており、PAT画面のオッズの中の赤い数字は全く目に入らないようになっています。

 当時の回収率はと言いますと、そんなに悪くなかったです。回収率を高くするためには「とにかく当てる」以外にも「不当に低いオッズを拾っていく」という方法があると思うのですが、単勝はたかだか18通りしかないわけですから、それが見極めやすいと言えます。もちろん、控除率が低い、というのもありますし。

 じゃあ、複勝は?と言いますと、これは難しいですね。穴党を自負する私には複勝は買いづらい。「穴党向けの馬券は穴党にはつらい」これは鉄則。複勝しかり、ワイドしかり。みんなが穴っぽいところを狙っていけば相対的に本命のオッズが上がるわけで、これでは本命党の思う壺。(かと言って、複勝コロガシをする人が儲かっているか?というとそうでもなさそうですけど。オッズが低いだけに、みんなが均等にJRAに貯金するって感じなんでしょう。)

 と、まあ、いろいろ書きましたが、馬券の買い方のスタンスは人それぞれ。私は長い目で回収率が100%を超えることは普通はない、と思ってますので投資額を1レース100円にすることで、ダメージを減らしてるつもりです。とか言っておきながら、一口に出資したりする矛盾。一口は儲からない、しかも、少なくないマイナスの額は相当大きい。というのは重々承知。馬券は儲からないと知っていながら大金を賭ける人の気持ちが最近わかってきました。

  金銭的な見返りよりも、夢と楽しみを求める方におすすめします。
    (ラフィアンのサイトより)

 競馬はまぎれもなくギャンブルですが、馬券も一口出資もお金の損得だけじゃないってことですね。

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