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神経症・対人恐怖症・視線恐怖症で苦しんだマイプロフィール

神経症に至った人生のルーツ、親からの抑圧、学校でのマイナスの経験値の積み重ね、神経症のどん底と未来なき生活、奇跡の復活)


はじめに


ここでは僕の子供の頃からの人生を書いています。すべてを書くことは不可能ですが、だいたいの流れは提示したつもりです。
対人恐怖症、視線恐怖症といった神経症に至るまでのルーツです。
僕の神経症克服の恩師のもとで、ルーツ分析という自分の過去の人生の流れを分析整理する作業がありました。
それをより概要的にし、個人情報に触れるところは削って掲載しています。

なぜ、他の人間は、僕ほどに人に対して恐怖感・不安感を持たないのに、自分は神経が異常なくらい過敏になるほどもってしまったか……、それを僕がよくしてもらった先生の神経症克服プログラムにより、神経症のルーツを遡り、こうしてなったんだと納得でき、そして恐怖感がだんだん消滅していきました。

自分のルーツをたどることは、とても重要なことでした。見ている人も、それぞれ悩みとなったルーツを抱えています。ドラマになるような衝撃的なトラウマを持つ人もいれば、僕みたいに、じわじわと悪化したり、時にはがつんと悪くなる型もいるわけです。
いずれにしても、どこかに悩みの原因となった出来事と、それの積み重ねによってできあがった、その当時ごとの心境を遡ることは、神経症克服のためには、必須なことです。

皆さんも、まだ神経症のツール整理をしていない人がいれば、是非してください。
心の闇を覗き込むことは勇気が要るし、気分が悪くなってしまうものですが、 「恐怖」を減じるには、その経験が必要です。恐怖や不安の元が何なのか直面する勇気が必須です。きついですが頑張ってください。

もし原因が全くわからないで苦しんでいる人があれば、原因を無意識的に知りたくないことから生じているかもしれません。
そのためにも無意識からルーツと自分を分析することが必要だと思います。僕も最初から分析できたわけではありません。
無意識からぱっと気づけたことが、神経症が治るきっかけの一つになりました。

いわゆる催眠状態ではちょっとそれは難しいと思いますが、本当に深いトランス状態ならば可能でした。
無意識を覗ける状態であり、無意識の神経症の問題を洗浄してくれる特殊な意識の変容状態のことです。

心からわかると言うことは、頭の上で納得しているものとは明らかに違います。それがパワーになります。直感となります。
頭の上での理解ならば誰でもできます。
でも症状は相変わらず軽減しない。それは、わかっていないことと同じです。
神経症は、頭での理解で治るものではありません。
そんなことは百も承知、でも実際は治っていない。

じゃあ、どこに問題があり、何をやらなくてはいけないのか?
無意識のレベルから気づくこと、悟ることです。


親のこと、抑圧のこと

心の悩みを抱えている人にとって、親との絡みは何よりも大きな要素です。
母親は、プライドが異常に高い人だった。言葉の端々に見え隠れするそのプライドの高さを幼少時から、僕は感じ取っていた。
「人から良く思われなければ」「最低限人から嫌われるようなことは避けよう」「自分はもっとレベルの高い人間だ」ということが染みついてしまった。
それが対人恐怖症、視線恐怖症に結びついたのは、自分の人生を見れば見るほど重要であることがわかった。悩みのどん底にいたときはそんなこと考えもしなかったけれど、家庭環境が個々まで自分に影響しているとは、はじめて知覚したとき驚いた。

僕の場合、表面的な親の害は、他の人に比べて少ないと思う。
でも、しっかり抑圧がかかっていたみたいです。
そのベースがあるから、後の対人恐怖症・視線恐怖症になってしまったのは間違いありません。

父親は、枠がない、つまり遊び心がない、仕事人間で、融通がきかない、頑固な人だった。
だから、自分に伸び伸びと自由に、楽に考える余裕を与えられない大きな原因だった。
他の悩まない人は、例えば人から悪口を言われたときに、心に枠をもっていれば、聞き流して、その後普通にとらわれることなく生きられるのに、僕の場合は、どんどん考えて考えて考えすぎてしまって、どんどん悪循環に落ち込んでいった。
ここでもちゃんと抑圧がかかっていた。
ショックな事が起きたら、いつまでも引っ張り、人の顔色をうかがうようになって、僕の想像の世界の中で、「人に嫌われたらどうしよう、嫌われないようにしよう、うまくやらないとダメだ」と病的な怯えの思考が増幅していったのでした。

抑圧というものは、神経症の最大のキーワードと言っていいかもしれません。
抑圧は親などの環境とか学校、仕事場の雰囲気などありますが、悩める人は絶対抑圧のかかっている人生を送ってきた、送っているはずです。

抑圧があるが故に、自分を押し殺して、周囲に無理にあわせようとして失敗してもがいて、それでも頑張って、さらにどん底に落ち込んでいって、にっちもさっちもいかなくなる……抑圧がなくて、のびのび枠のある気持ち、人生を歩んでいたならば、ある自分にとって不都合な出来事でも、聞き流すことができたはずです。
エゴを押し殺してきたために、どんどん心の底に何らかの鬱憤がたまっていって、身動きがとれなくなる。

その反面、自分はこんな人間じゃないというプライドの高さや、エゴを満たしたいが故に、エゴ、自己中心的になってしまう、それが症状を良くするのに大きな障害になってしまう。これはもう矛盾としか言いようがありませんね。
もはやここまでいったら、自分だけの力では解決しようがありません。

もがけばもがくほど、悪くなってしまうだけです。自分がまさにそうでした。

抑圧がかかったら、普通の人は何らかの形で発散します。
でも、それを十分にできない人は、落ち込む。
悩みにはまれば、よけい発散できなくて、抑圧をため続ける。
だからどんどん悪化していってしまいます。ほんとうにそう痛感しています。

抑圧は無意識にどんどん蓄積されていき、発散できないから、悪化し続けるしか無いわけで、無意識をどうにかしないと一生神経症を克服できることはないんだと僕は思っています。

☆ 小学校時代

もともと人見知りがあったが、友達とも普通に付き合い、遊んでいた。まあ、普通の子供だった。
サッカーが好きでずっとやっていたし、勉強、運動ともに割合、得意で劣等感もなかった。
人見知りの対象は、目上の人、例えば、先生、長らくあっていない親戚、他のクラスの生徒だった。

5年の時に塾に通い始めた。目的は中学受験で、その為に好きだったサッカーを6年最初にやめた。とはいえ、塾はすごく楽しく、そこでは先生に人見知りもせず、時折いやな気分を味わった小学校では経験できない開放感を満喫した。
だから、受験勉強が苦しいと感じたことはあまりなく、希望通りの中学に合格した。  

しかし、この小学校時代に自分の人生をずっと支配することがおこった。
それが自分の対人緊張、恐怖症を心の底で操り続けることになったのだ。
4年の時、幼い頃から一緒に遊んでいた仲の良いKに「いつも僕らが遊ぶ約束している中に、あとから入ってきて、みんなとても迷惑してるんだよ」と下校途中に言われた。

いつも集団で野球とかキックベースとかやっていたが、まさか、そいつにそう思われているとは知らなかった。
そして、みんなからもそう思われているのか!? みんな、自分に迷惑していたのか!? と急に怖くなった。
今では、そのKは友達でも陥れるところがあって、自分がその集団で優位に立とうと狙って言ったと思っている。
その後も、僕はその集団に入って遊んでいたし、疎外感も感じなかったので、絶対そうだ。

しかし、Kの言葉でこういう気持ちが起こった。「みんなから嫌われないようにしよう。人からよく思われよう」と。
それがどんどん病的な域にまで高まっていった。
母親から言われてきたことに反してしまったという思いがあった。
「ワガママを抑えて、みんなとうまくやらなくちゃいけない。そうしないと嫌われてしまう」と固く誓った。

一般の子供よりもずっと感じやすい人間だったことは確かだ。
他の子供なら、全然気にならないことを、病的までに気にするということが多くあった。
傷つきやすい子供だった。

 ☆ 中学校時代(対人恐怖症・視線恐怖症になるまで・中一)

Kのあの言葉が、心の底でずっと自分を支配していた。

中学受験をして、私立の中学校に入ったが、自意識が芽生える頃だし、Kの言葉もあって、人よりも、「嫌われないようにしよう」という気持ちがどんどん強くなっていった。
その妄想にとりつかれているときに、また自分にとって衝撃的な事件が起こった。

一つは、一年の時、友達の帽子が壊されていて、みんな、担任から放課後残されて、犯人探しをした。
犯人がでるまで帰さないという風に。
その友達と、その朝、一緒に登校していたことをいわなかったばっかりに、担任から、まるで、お前のせいでこんな遅くまで放課後残された、というような言われ方をされてショックを受けた。
自分のせいでこんな遅くなった、といわれたのも衝撃的だったが、よく喧嘩していたMという友達が、まるで、俺のせいだ、とばかりに自分を睨んでいたので、やっぱり自分の失敗でみんなに迷惑をかけてしまった、と思ってしまった。

「やばい、みんなに迷惑をかけた、嫌われてしまう」とすごく気が落ち込んだ。
その帰り道はどん底の精神状態だった。
そしてそれが、より「嫌われないように」という思いに拍車をかけた。  

もう一つは、そのころ一番仲の良かった友達に、「みんなから嫌われたらどうしよう」という妄想に病的にとりつかれていたときに、急によそよそしくされたことだった。
無視はされないが、何か自分を避けているので、自分の妄想が正しかったのか? とショックを受けた。

そして、このことが、自分が対人恐怖症になった、ほとんどすべて理由だと、僕が通ってよくなった先生に(間接的に)諭されるまで思いこんでいた。
いまでは、それは大きなことだが、すべてではない、と思っている。
よくある成長とともに合わなくなっただけのことだったのだが、ひどい妄想にとりつかれていた状態だったから、仲が良い友だちからよそよそしくされたことは、対人恐怖症になるに大きな要因となった。
☆ 中学校時代(対人恐怖症・視線恐怖症になるまで 中二、中三)

中2になっても「よく思われよう、嫌われないようにしよう」という気持ちはどんどん強化されていった。
病的で神経が鋭敏になっていったが、まだまだ普通の生活はできていた。のちのち来る対人恐怖症、視線恐怖症の最悪の地獄の日々に比べたら、なんと天国だったことだろう。
このころ、僕はまだまだ未来に明るい希望を持っていて、自分の能力や可能性に対して、大きな大きな期待をかけていた。

とはいっても、「この人達から嫌われているんじゃないか」、という妄想も強くなっていった。雪だるま式だったと言ってよい。
しかし、「この人達」はあとでわかったが、自分を嫌っているわけでもなく、後に一緒に帰るようになった人もいたので、やはり妄想だったのだ。

そして、それにとりつかれていた自分にとって、また大きな衝撃的な出来事が起こった。
臨海学校のとき、浜辺で自分の悪口を言っているのを聞いたことだ。

Sという人間が自分の悪口を言っていたのだが、人生で初めて、そして唯一(軽いのをのぞく)、人が自分の悪口を言っているのを直接耳にした。
「嫌われているんじゃないか」という妄想が、こうして現実のものになってしまった。
そして悪口を聞いている人間が、(そのことがあったあとでも、仲がよかった)仲の良かった友達で、そいつも相づちを打っていたことに、よりショックを受けた。

こうして対人恐怖症になる下地は完全にできあがったといってよい。
これでよけい「人からよく思われよう、嫌われないようにしよう」という考えが病的なまでになってしまった。
あとは、日常生活に支障をきたすようになったのは、それから一年ちょっと経った席替えの時だった。

どんどん破滅的学校生活へのタイムリミットが迫ってきた。
地獄だった。
今思い返しても、よく学校に通い続けられたと思う。
それぐらい、僕の対人恐怖症と自己視線恐怖症と脇見恐怖症と他者視線恐怖症はひどかった。
何度も死にたいと思った。
いつか治っていてほしい、治まっていてほしいと何万回願ったことだろう。

小学校時代からの延長で、人とは違う捉え方を病的にしていたのがこの時期だ。
今から思えば、まさに坂道を転がりこむような悪化の仕方だったが、全然日常生活は普通にできていたし、当時は気がつかなかったのはいうまでもない。
しかし、無意識の底では着実に悪化していたのだ!
思えば、自分の視線の状態がおかしいなと思うことは度々あった。
相手に異様に引っ張られたり。
しかし、次の日は起きないこともあり、恒常的な視線恐怖は起きていなかったから、気のせいぐらいのものだった。

部活に精を出していれば、こんなことにならなかったのに、と今でも後悔している。
多感な時期の病的な思索を少しでも逃れることができたからだ。
思えば、燃えるものが全くなかった。

友だちと遊ぶのが楽しくて部活動を疎かにしてしまったのを後々後悔した。
(とはいえ、部活動に打ち込んでも、視線恐怖症になるのを避けられたかはわからない)


☆ 中学時代・高校時代(対人恐怖症・視線恐怖症になってから)

席替えがあった。それまでは端っこの席に座っていた。
その席替えは自分で好きなところを選べるものだった。
僕は仲の良かった友達に両サイドを挟まれたところにした。
そのことを僕は呪った。
実際に席を移った時、両隣に人に挟まれてしまったことに「しまった!」と直感で思った。
その時、急激に脇見恐怖症が完全に発動した。

両脇が異様に気になる。
異常に引っ張られて、外せない。
神経が暴走し、目の前が真っ暗になった。
それから僕は常に視界に入る景色が薄暗闇か灰色になった。
特にその日は、もう憂鬱で、どうしよう、どうしよう、やばいと思いながら帰宅していった。
その見える景色は、夕方だったから薄暗かったのもあるが、精神的風景は人類が破滅したあとの地球でも、地獄のどまんなかでもかなわないくらい、やばい灰色の景色だった。

この日から、僕はどんどん悪化し続けた。
脇見恐怖症から始まり、正視恐怖症、対面恐怖症、自己視線恐怖症、他者視線恐怖症と広がっていき、対人恐怖症、社会不安障害といったあらゆるマイナスの症状を僕は引き寄せ始めた。
黒板を完全に見ることができなくなり、視界に入った対象に異常に視線が引っ張られてしまう。
人に囲まれると、脇見恐怖症が絶対外せなくなり、相手も嫌な感覚を感じるのか、迷惑がる。
舌打ちみたいな音が聞こえると、僕に対し舌打ちしているんだろうと怯えたし、ずっとその可能性を考え、クヨクヨ落ち込んでいた。

自分の存在が人に迷惑を与えている、僕はもう生きてはいけない、生きられないと思った。
僕の視線の威力が、何か人と違う。
人を非常に不快にさせる光線を発している、そう思ったし、そう思わざるをえないまわりの人の反応だった。

正視恐怖症にもなった。
それまでは何にも考えずに、人と目を合わせて話すことができていた。
神経なんか使わないし、ただ話すときに自然に人の目を見て話せていたのに、急に自分の視線の威力が、目を合わせた相手に不快感か威圧感を与えている病的な恐れに襲われた。
相手の顔が歪んだように見えた。
苦痛に感じているような不快に思っているような……

それからはもう誰とでも正視恐怖症が発動した。
もはや僕にはまともに人とコミュニケーションを取ることすら許されなくなった。
最悪だった。どこまでも悪化し続けた。
死にたい、これを逃れるには死ぬことしか無いと思い続けた。

試験もカンニングを指摘されたらどうしようと言う恐怖があった。
脇見恐怖だから、カンニングだと誤認されたら、人生が終わったと思う。
もしかしたら、自殺していたかもしれない。
視線(脇見)を手で隠して、必死に試験を受けていた。

そんなふうだから、黒板も見られず、先生の話も聞く余裕もなく、授業中は寝たふりをしたり、視線を手でブロックしたりしたり、地獄だった。
それ以上に生き地獄はないと思う。
勉強も成績もどんどんダメになっていったし、得意だったスポーツも、次第に視線恐怖が出るようになり、人に見られていると思うと、動きが鈍くなった。
目立たないようにもした。

どんどん僕の夢も能力もやりたいことも楽しめていたはずのことも、当たり前にやっていた日常生活のあらゆることが、視線恐怖症のせいですべておかしくなった。
僕は呪った。でも何を呪えばいいんだ。

これさえなければいいのに!!!!!! 視線恐怖さえなくなれば、元通りになるのに。
でも、どんどん視線への執着がひどくなっていって、どうにもならなくなっていった。
元通りになることは、ずっとなかった。
もし視線恐怖、対人恐怖が良くなることがなかったら、僕は絶対に自殺していただろう。
こんな生き地獄を一生続けることを考えたら、死ぬことなんて簡単だと思った。

でも、親は悲しむと思った。
だからできなかったし、なんとかして克服しないといけない。
だから、僕は精神科に行った。

薬をもらったが異常に眠くなり、頭がボーっとするだけで、何の効き目もなかった。
薬を飲めば、視線恐怖が治ると思っていた僕は、その後、神経症の克服の大変さを身を持って知ることになる。
その後、本を読みまくったり、催眠療法を受けたりしたが、催眠療法のレベルの低さから、無意識の問題を解決できなかった。
自律訓練法もしたが、何年もやり続けても効果が上がった試しはなかった。

不安と恐怖、そればかりに僕の学生生活は支配されていた。
社会にでるまでに治さないと、僕は終わる。
学校から帰ったら、もう疲労困憊ですぐ寝ていた。
朝起きるのも憂鬱だった。

だけど我慢して通い続けた。
ここでドロップアウトしたら、完全に僕は社会にでる前にも終わっていたからだ。
不登校が許されない環境だったのもあったが、よく通い続けたと思う。

人からは変人だと思われていただろう。
ぼろぼろのおかしな人間に僕はならざるを得なかった。
視線恐怖症のせいで、プライドもあった僕は、散々に精神的に踏みにじられた。
しかも、神経症が治る見込みも全く無い。

時間が解決してくれると思っていたが、今思うとそんなことはない。
実際に時間が神経症を良くしてくれたことはなかった。
逆に、後天的な神経症の症状に、僕の思考から脳内の原始的レベルまで、のっとられたかのように、僕は神経症以前だった楽しき頃の思考や感覚をすっかり忘れていった。

僕はどうやって落ち着いて席に座って授業を受けていたのか?
人と自然に何にも考えずに目を見て話せていたのか?
人から見られたい気持ちをたくさん持っていたのか?
自分の視線に異常な負荷がかかることなく、色々な対象を見やっていたのか?
友達と心の底から楽しみ、笑ったり、話ししたり、よくできていたなと思うぐらい、その普通の感覚を忘れていった。

とりあえず僕はプライドがあったから、そしてこのままボロボロに惨めに終わっていくのも悔しかったから、受験勉強だけは頑張ろうと思った。
しかし、脇見恐怖や他者視線恐怖のせいで、テストが落ち着かず、普段の実力が発揮できなかった。
大きなハンデを背負って、それでもいい大学に行こうと思った。

なんで僕はこんなにもハンデを背負って、苦しみ続けて、しかも治るかどうかわからないのに、今もこうして生きているのかと思うと、本当に惨めでたまらなかった。
死にたい、死にたい、何万回そう思っただろう。

「人は人! オレはオレ!」「人にどう思われても関係ない」と何万回自己暗示をかけただろう。
でも、まったく効果がなかった。
神経症は無意識で生じているものであって、所詮そんな自己暗示は意識の上っ面をなぞるだけ。
でも、そうでもしないと僕は精神的に持たなかった。
催眠療法でも自律訓練法でも本でも何でも、すがっていきることで、少しでも希望を持ちたかった。

塾に通ったが、学校と同じで授業を落ち着いて受けられずサボるようになった。
しかし、さぼっていると親に知られる。そして怒られる。
でも、塾に通えない。
だから、僕はサボって家に帰った時、精神的ストレスから猛烈に吐くようになった。
もう心も体もボロボロになっていた。

現役で一流大学に行くことはやめたし、社会にでるまでに時間的猶予を得るためもあり、浪人をしようと思った。
そうすれば、時間を稼げる。それに勉強時間が増えるから、僕のハンデを何とかカバーできるぐらいの学力を得られると思ったからだ。


☆ 浪人時代

周囲の眼もあったので、とにかく予備校に通うことにした。最初は無理にでも通っていたが、緊張のあまり、下痢は日常茶飯事だった。
また一番後ろに(出来れば端に)座りたかったため、始まるギリギリに教室に入っていたが、入る場所は前にあるので、入室の際、百人ぐらいいる人間の視線を浴びて通らなければならなかった。
見ていない奴の方が多いだろうが、こっちはどうしても皆見ている、と感じてしまうので、(たとえ百人のうち一人しか自分が入ってくるのを見ていなくても、その一人のために緊張してしまうのだ)どっちにしろ、かなり心の負担になってしまっていた。

そして一回さぼった。
そのときの心がホッとした気持ちは、もうこれ以上あの場所に行きたくない願望を、強固にした。
だから、ずっと予備校をさぼることになった。
親は毎日通っていると思っていたらしいが。

暇つぶしは、本屋やゲームセンターにかよったり(50円で何時間も粘るゲームを見つけたからよかった。ちなみに予備校をさぼっている人間がそこには大勢いた)、近隣センターや図書館で勉強などをやっていた。
受験はまあまあ満足いったが、試験においても僕の対人恐怖症は適用されてしまうので、普通の人よりのかなりのハンデを背負っていた。
例えばカンニングだと、思われたらどうしようとか、なによりつらかったのは集中できないことだった。

ちなみに中学3年の時の席替えの時、隣に座った友達とはずっと友達関係が続いていて、浪人時代は本当に世話になった。
彼が一人いただけでも、幸せと考えなければならないと思う。
浪人という社会からも、学校からも解放されていたこの時期、まあまあよかった時代だった。
が、症状は以前つらいし、待ちかまえているのは、このままいったら、自殺しなくちゃいけないな、という暗い雲行きだった。
死までのタイムリミットは、大学4年が終わる時期まで(社会に出る時期)だった。

4年でどうにかよくならせなくちゃいけない。さもなくば、自殺。


☆ 大学時代前半 大学はまあまあのところに受かった。
一人暮らしは孤独だったが、家族と暮らすよりもよっぽどよかった。
が、やる気が全く起きなかった。

当然サークルにも入らずに、とにかく英語など出なくちゃいけない授業をのぞいて、休むようにしていた。ここで問題が起こる。

隣の壁が薄いのだ。物音恐怖症がひどくなった。
最初は隣の音など、素通りできていたが、いったん気になったら最後、とことん病的にまで気になってしょうがなかった。
ドアを閉める音のうるささ、部屋を歩く音、テレビの音、茶碗を洗う音……これらすべてが、僕へのあてつけでやっているようにしか思えなくなった。
気にする前は、まったく音を素通りしていたのに、一度物音に敏感になると、敏感さが消えることはなくなった。
気にしないようにしようと努力すると、もっと気になって、心臓がドキドキし始め、ちょっとした物音にも、やばいくらいにビクッとなる。

これは視線恐怖症とまったく同じ構図だった。
僕はその頃なんでも気に病み、不安になることばかり探し、そして気になり、神経症レベルにまで高めていった、ますます生きにくくさせていた。
神経症のままでいたら、こんなふうにどんどん症状が広がっていく。
僕がずっと願っていた、いつのまにか神経過敏、視線恐怖が治っていくというものは幻想だった。
時間は解決してくれない。神経症の人間には、悪化する方向にしか絶対に行かない。

物音恐怖で言うと、僕が住んでいたアパートは大学から近いため、よけい隣の奴がどんちゃん騒ぎをみなとやっていた。
部屋にいるのが苦痛になった。かといって、外に出ているのも苦痛だ。
くつろげるのは、隣の奴がいないときだけ、寝ているときだけだった。
しまいには、寝ていても、ちょっとした物音で、ビクッとなって目覚めてしまうようになった。
だから、耳栓をしたり、ヘッドフォンで音楽を聞いたり、換気扇の音を大きくして、物音を消そうとした。

ともかく催眠療法にもう一度頼ってみようと思った。
しかしお金が必要だったので、食費をとことん切りつめた。そして通った。まったく効果なかった。
今から考えれば、なおりっこないのだ。

実力のない奴がやっていたって、ほんの少し催眠に自信がある奴がやったって、悩んでいる=催眠にかかりにくい(自意識が高く、雑念が多い)自分がかかりっこない。
かかったところで、所詮は気休め程度の暗示だけだっただろう。
そんなものが無意識深くまで訴えかけられるだろうか。不可能だ。
しかし、だらだらとそこに通ってしまった。
神経症は本当に治すことは難しい。
東大に入ることのほうがどれだけ簡単だろう。

バイトはまったくしてこなかった。
しかし、お金がなくちゃなんにもならない。
しょうがなく、勇気を出してやってみた。
しかし、みんなと溶け込むことなど不可能だった。あまりに重かった。死んだ時間はまだ続いていた。

自殺をしなくちゃいけないタイムリミットは迫っていたが、なるべく考えないようにしていた。
やる気が全く起こらず、自律訓練のテープで必死に奮い立たせていたが、何の役にも立たない。
部屋にいるとよけい気が沈み、頭が重くなったり、つらくなるため、なるべく外に出た。
スクーターに乗って、いろいろと廻った。が、症状はいつだって、自分にまとわりついてくる。

他に治す方法はないかと模索した。図書館を徹底的に調べたのだ。
しかし、それらが直接治してくれることなどない。しかし、それしか救いはなかった。
が、インターネットが、自分の人生に大きな転機となった。
何をやっても神経症が改善する見込みがなかった僕が、本当の治療法、克服法とそれを可能にしてくれた超凄腕の先生と出会えたのだ。

もしこの先生に出会えず、無駄な苦しみの時間を過ごしていたのなら、僕は100%治っていなかっただろう。
そして、こうして体験記をかくことなんてなかった。
自殺する勇気はなかったが、自殺せざるを得ない状況に追い込まれ、もしかしたら『やっていた』かもしれない。


☆ 大学時代後半その1 (対人恐怖、視線恐怖発症後)

大学校舎が変わったため、引っ越した。部屋探しは大変だった。そして隣の部屋の物音が不安だった(物音恐怖)。
前住んでいた壁が薄い部屋では、心を落ち着ける唯一の場所であるべきはずの居場所がなくなった。

今度また同じ目にあってしまったら、自分の居場所がまたあと2年間なくなる。自分にとって、安息の地は部屋以外ないのだ。
それが隣人や上の人間の騒音で邪魔されてしまう。
つまり、24時間ホッとできるところがないことになる。
壁の厚さなど、実際住んでみなくちゃわからなかったが、なるべく家賃の高いところにした。
騒音効果もあるだろうと思って。

結果はよかったといってよいだろう。ホッとできた。
しかし、物音恐怖症はずっと残ったままだった。ついでに言えば電話恐怖症でもあった。
これは中学生の頃からそうだったが、電話がなると、異常にビクッとなってどうしようもなかったが、これも対人恐怖症の一種らしい。

例の如く、大学だし、あまり出なくていい学部だったので、その分は楽だった。単位も順調だった。
しかし友達は作らなかった。
あまりに自分にとって、重いのだ、つらいのだ、めんどくさいのだ。

バイトはちょくちょくしていた。が、短期バイト、日雇い限定に限っていた。自分を周囲にさらしたくないのがその理由だ。
ともかくお金を貯めて、神経症を治してくれるところがあれば、通おうと思っていた。
そして資料集めに精を出していた。しかしどこもダメだった。治してくれるところなどどこにもない! 
そういう考えが日に日に深まっていた。
能力がない心理セラピストだらけなのか、僕の症状があまりにひどくて、治りようがないのか……先が見えなかった。

就職活動が迫っていた。非常に不安だった。
社会に出ることは、つまり生きていけないことを身をもって知らされる。

自殺しなくちゃいけないタイムリミットはどんどん短くなっていった。
視線恐怖、対人恐怖の症状は一向に良くなっていないのだ。
しかも、同世代の人間は普通になんら神経症にわずらわされることなく、青春を謳歌している。
焦りもどんどん出てきた。自分の境遇を嘆いた。
何をやっても症状は好転していかない。
ただ逃避していただけの日々を過ごしていた。
外に出ることも非常に億劫になっていき、ほとんど引きこもりになっていた。
こんなに外出することがきついものなのか、他の人は何にも考えずに出かけられるに、あらゆることにハンデを背負っている自分がどうしようもなく思えた。

しかし、ここでインターネット自分の人生を変えるきっかけを作ってくれた。
自分の悩みを、悩み関連のHPのBBSにのせたのだ。
そしたら、いい先生を紹介してくれるという親切な人がいた。
自分と同じ悩み(視線恐怖症や対人恐怖症)で、とても能力の有る先生のもとで克服したという人だ。

これがあったからこそ、今の自分がある。
これがなければ……考えることすら怖ろしい。いまの自分はどうなっていただろうか。
いずれ通えていたのだろうか? 
どちらにしても、僕の視線恐怖症、対人恐怖症が治るタイムリミットはギリギリだったと思う。


☆ 大学時代後半その2(視線恐怖症・対人恐怖症克服征服期)

人生が一変したと言ってよい。希望が急速に芽生えてきた。
本当の実力のある先生(岩波先生といいます)に出会えたのだ。
インターネットで教えてもらったのだが、そこで治った人とのやりとりでは、かなり実力がある先生で、格が違う、自分もいろいろな心理療法をやっていたが、これにより治った、と書いてあった。
詳しく聞くと僕と本当に似ていた症状だった。

その人が治って、社会生活を送っている、ならば! とおもって電話した。
電話での感想は、かなり自分の能力に自信を持っている人だと感じた。
ともかく会ってみよう決心し、お金を必死に貯めた。とてもじゃないけれど、僕にすぐ払える料金ではなかったし、一括払いだったからだ。
だが、本当に実力のある人ならば、僕は覚悟を持って受けてやろうと思った。
僕は必死だった。
そして、命をかけて、実力が非常に高くて、神経症を克服させる技を持った存在を探していたから、迷いなんて全く無かった。
不安もなかった、ただやるしかない、そのことだけだった。
そして、その覚悟と勇気は、120%報われることになる。

対人恐怖と視線恐怖だったから、とてもつらかったが、バイトを一生懸命やり、やっとお金が貯まった。
早く通いたいため、親にもお金を借りた。
通ったら、大ホームランだった。奇跡が起こった! 岩波先生の技術を目の当たりにして、希望がぐんぐん芽ばえて来たのだ。
これぞ僕が求めていた人だ!
これで自分は大丈夫だと思った。それくらい能力のある先生だった。

またそこの先生を知った経緯から言っても、運が良かったと言わざるを得ない。あの時、たまたまBBSに悩みを書き込んでいなければ……(そもそも書く柄ではない)。
そしてたまたま親切な人が、本当にいい先生を教えてくれなければ……(ただの凡人を紹介してくれる人などいくらでもいる)

最後の最後で自殺しなくてすんだ。
ほんとうに人生は綱渡りだといってよい。
そして出会いの大切さ!  もっと早く知りたかった、通いたかった。

でも、僕の二倍年をとっていても、巡り会えない人に比べれば、どんなに幸せなことか。
本当に良かった。助かった。
ぎりぎりのセーフだった。
運命の分岐点だった。

悩みの解決だけじゃなくて、一度生をうけた以上、どう生きればいいのかまで大事なことを学ばせてくれた。
悩んでよかったと素直に思えた。遠回りだったけれど、近道だったかもしれない。
そういう心境に至るまでになったきっかけだった。
素晴らしい出会いは、人生を変えてくれる。

僕はやっとほっと一息つけた。
中学3年生に急激に落ちいった地獄の日々、真っ暗闇で先の見えない時間、つねに怯え不安で神経過敏でボロボロに自分でかってになっていた日々、絶対に治してやるという強い決意さえもまったく意味をなさなかった神経症克服の対策と失敗……それが一気に救われた。
本当に良かった、本当に救われた。


☆ エピローグ 天才的なカリスマ心理脳内コンサルタントとの出会い そして、神経症克服プログラムを受けて

岩波先生という天才的な超一流の技術と直感を持つ心理脳内コンサルタントの治療を受ける。
独自のあり得ない手法とノウハウを駆使する人で、毎回毎回が驚きと喜びの連続だった。
無意識の世界や脳内の世界に興味を持って取り組んできた人ならば、いい意味でショックを受けるし、前知識が無い人なら、信じられないことばかりだろう。
僕は多くのことをやってきたから、岩波先生という存在の破格さと凄さがよくわかった。
とんでもない人だし、世界でただ一人の尊大だ。

はじめて強烈で深い意識の変容状態に導いてくれたときの感激は、言葉で表しようがない。何をやっても効果がない心理療法を受け続けてきた自分にとって、その状態になれたことは衝撃的だった。人生が一変したと言っていい。
これで治るのだ! ぱっと光が心に差し込んだ。
俺がずっと求めてきたことに、俺はまさに体感している! 
これはすごい、本当に良かった!
やっと出会えた。これ以上の直接的な感動はない。

そして実際に神経症の症状がどんどん改善していき、昔できなかったこと、どうしようもなく気になっていたものがどんどんできるようになり、気にならなくなっていった。つまり劇的に良くなっていった。
劇的によくなると書いたが、その途中ではもがき苦しんだこともあった。うまくいかないこともあった。
でも、結果的に劇的に改善したいったのは間違いない。
神経症はどうやっても治らない、治しようがないものだが、岩波先生ただ一人だけ、神経症を克服できる世界にぼくらを導いてくれる腕と技術を持っている。

今までの自分はなんだったんだろう? そう思った。
加速度的に人生を快調に暮らせるようになった。
どんどん友達もでき、人の目を見て話すことができ、正視恐怖症を克服できた。人と楽しく話せ、それまで不可能だったことが可能になっていた。
自信も当然ついてきた(自信は考えたって生まれない。覚悟と行動が必要!)。傷つかなくもなった。
逆に多くのリスクがあることでも、行動すれば必ず栄養になって、経験一つ一つが自信となって積み重なっていった。
良くなって強くなって自分が好きになった。

人がどんどん小さく思えるようになった。
なんで僕はこの人は、こんなに大きく見えていたのか? ただのちっぽけな存在だったのに……と思うことばかりになった。ということは、自分が大きくなっていたということでもある。
恐怖と不安は自分で作り出していたに過ぎず、それがわかってからは、不安も恐怖感も無くなっていった。
つまり、毎日快適に暮らせるようになった。しかも、どんどん快適方面に進化していく。

同時に過去の自分のあまりの人生の地獄絵図が余計恐ろしくなった。
でもいまはもう過去なんて、トラウマなんてどうでもいい。
とことんまで走ってやる、という心境だ。

そして神経症、視線恐怖症、対人恐怖症から脱却した。
悩む思考回路の怖さを同時に思い知り、神経症は時間が解決してくれないことを知った。
昔の自分の甘さがなさけなくなった。悩んで当たり前だったし、神経症を一人で悪化させていた自分を笑ってしまう。
なんでこんなことにくだらなく悩んでいたんだ? 馬鹿らしい、アホだ。
そんな過去の自分を反面教師にして、どんどん行動していく。人に振り回される人生にピリオドが打たれた。
ほんとうにのびのびできるし、自由だ!

これらは徹底的に悩みの原因、神経が過敏にどうしてもなってしまう根本を無意識から(言い換えれば本能か)克服していったからだ。
岩波先生の技術以外はまずここまでやることは不可能だ。
プラス暗示がダイレクトに脳にはりついて離れない威力はすさまじかった。
感情が理性ではとどめられないほど、一方的に発散された時の気持ちよさとすっきりした心の状態もすごかった。

それを可能にする先生の能力は段違いだった。もちろん岩波先生の能力だけに寄りかかっていてはいけない。ちゃんと先生から言われたこと以上に努力した。
呼吸法や自分でも対人恐怖症を克服するための行動をたくさんしていった。

岩波先生から教わったことを武器にして、実践で行動していった。考えていただけじゃ何にも変わらないから。
それら含めて本当にラッキーだった。
だからこのHPをつくった。

ほんとうに凄すぎる体験ができる(こちらも必要以上に行えばもっと凄い)。
自分の中にものすごい抑圧と抑えきれないほどの感情の渦、そして何よりも変わりたい! 夢を叶えてやるという気持にも改めて気づかせてもらった。

自分を普通のゼロベースにしてはいけない。
もっと高みを目指してはじめて「地球にうまれて良かった!」状態になる。
そのための秘訣もたくさん教えてくれた。その感激はお金に変えられなかった。

ネット上ではほぼ100パーセント!神経症や心の悩みで苦しんでいる人ばかり。そういえばそうだ。
よくなった人、治った人は悩みのホームページをのぞく必要がないのだから。
だから、そういう人間ばかりじゃないことを知らせたくて、希望を持ってもらいたくてホームページを立ち上げたし、すこしでも励みにしてもらいたかった。その感動があるってことを知らしめたかった。


僕自身、かなり重い症状だったという自信があり、なにをやっても効果が出なかった人間で、なんらみんなと変わらないし、もしかすると僕の方がはるかにきつかったかもしれない。
でも、こういう結果が出た。
だから今、こうして駄文を読んでもらい、少しでも何か変化が芽生えれば、と願っています。


神経症(対人恐怖症・あがり症・抑うつなど)は、征服可能だし、克服できます。
そうじゃなければ、人生は闇だ。
そうだから、生きていて良かったと思える。
巡りあい、すべてはこれだと思う。

巡りあい、これがなければ、神経症は一生治らない。
この症状は一生続いてしまうものだから、根本的な克服方法は絶対に必要だと思います。

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