島の道路と橋景色


 〔伊豆諸島ー大島〕  泉津橋・岡田橋 

 大島は、伊豆・小笠原両諸島で最も大きく、かつ東京に近い島で、大まかに言えば、伊豆半島と房総半島の突端を結んだ線上くらいに位置しています。泉津橋と岡田橋は、大島の主要道路である大島循環線に最近完成した橋です。

 昭和61年、島の主峰三原山の噴火で、1万人の全島民が一挙に島外避難するという事態は、記憶に新しいところです。その災害での教訓の一つは、港の避難船に向う避難住民や救援の通行が、落石や崩落などで遮断されない安全な道路の重要性でした。
 大島循環道路のうち、泉津地区と岡田地区を結ぶ区間は急峻な崖地沿いを縫っていて、急な勾配やカーブが多いことから、最も優先度が高い要整備区間として、災害の翌62年から調査等が始まりました。そして、通称岡田・泉津道路と呼ぶ約 2.0 q のバイパス工事が平成4年から始っています。
 このうち,秋の浜トンネルや泉津橋を含む第T期区間約 1.1 q が平成9年に、続いて平成11年には岡田橋など第U期区間の一部が開通しており、平成14年には最後のトンネル工事も完成し、全区間の供用が開始されました。

 泉津橋は通称岡田・泉津道路のうちでは最も深い谷に架かる橋で、架設はケーブルエレクションと言う工法で行われています。橋長は140mあり、有効幅員10m の中路式鋼ローゼ橋形式になっています。また、岡田橋は3径間連続の桁橋で、橋長は 175m、有効幅員は同じ10m の橋です。
 海がわに張り出した尾根と尾根を結ぶ両橋は、山側からも海側からも美しい橋景色を見せています。

 



泉 津 橋 Senzu−bashi
 




岡 田 橋 Okada−bashi




〔伊豆諸島ー三宅島〕  友地橋

 東京の南南西およそ180 q に位置する三宅島は、周囲35qのほぼ円形の島で、約4千人の人々が暮らしています。  温暖で降雨量の多い(年間約3,000o)この島は、豊かな植物やそこに集まる鳥類が多いことでも知られています。 一方で自然が起こす噴火災害も何度か繰り返されており、昭和58年に起こった雄山(oyama)の大噴火では一つの集落の殆どが溶岩に覆われるなど、まだ各所に災害の爪跡を残しています。

 島には海岸に面して五つの集落(地区)があり、これらの集落を結ぶように島の幹線道路の三宅循環線が周回しており、友地橋は島の北側にあたる伊豆地区内の循環線に架かる橋です。
 この付近は、山側に入り込む谷間に沿って通っていたため、見通しの悪い急カーブが続き、崩落や落石の心配もあることから、谷を直接またぐ形でこの橋が架けら、通行の安全性を高めています。

 平成9年に着工し、地形の制約からケーブルクレーン工法で架設工事が行われ、平成11年3月に完成しています。
 橋長は85mで中路の鋼ローゼ形式となっており、決して大規模ではありがせんが、海に向かって見上げる風景は、見栄えのする橋景色となっています。また道路がカーブし
ているため、直線のアーチ部材の中で補剛桁に曲線を入れたのが特徴と言えます。


友地橋 Tomouji-bashi




〔伊豆諸島ー八丈島〕 逢坂橋

 八丈島は東京からおよそ290q、ひょうたん型をした島で、片方の頂が三原山、もう一方が八丈富士という双頭の地形になっています。
 二つの山の間に広がる平坦地が八丈町の中心地となっており、伊豆諸島で大島に次いで2番目に大きな島に、約1万人の人々が暮らしています。島は、黒潮の影響もあって常夏の島らしく街路樹にはヤシの並木があるなど、南国の風情を感じさせます。

 ひょうたん型の島の外周を8の字状に八丈循環線という道路が島内交通を担っており、逢坂橋もその一部となっています。逢坂橋が架かる三原山側の周囲は、急峻な地形が多いのですが、古くからの集落や景勝地があり、交通需要もあることから道路の改良が進められています。
 その代表的工事が、通称横間道路の改良で、島の中心地域である坂下地区と坂上地区を結ぶ要衝部分約1.3q です。

 従来の道路は急峻な山腹に沿っており、風化した岩石の崩落などで通行の難所となっていたため、橋梁構造のほか、桟道、洞門、擁壁盛土などの構造を組み合わせ、海岸側に離したルートにして道路の安全性を高めています。

横間道路の整備は第一期工事の740mが昭和56年10月に着工し、昭和63年4月に完成・開通しています。
引き続いて同年5月からは、逢坂橋を中心とした第二期分585mの工事が始まり、平成6年3月に完成しています。
 大規模工事であったことと険しい地形での施工になったことから、全長1,325mの工事に13年間を要しています。

 逢坂橋は、PC連続箱桁構造、RC連続箱桁、RC連続中空床版などの径間から成る全長515mの橋になっています。その橋景色は対峙する八丈富士山麓や遠く海上からも望めます。


逢坂橋  Oosaka-bash

  




〔小笠原諸島−父島〕 浜江橋 
小笠原諸島で人の住んでいる島は、東京から南方海上984kmの位置ある父島と、1,033kmの位置の位置にある2島で、小笠原村の人々2,300人ほどが暮らしています。
 島を訪れるのには、週一便(月に5or6便)の船便利用です。近年、所要時間が短縮されたとは言え、東京竹芝桟橋から26時間(母島は更に2時間)を要するので、時間距離で言えば希にみる遠方です。 所要時間が16時間前後となる高速艇の就航も予定されていましたが、実現されていません
 それだけに、コバルトブルーの海に珊瑚礁、満天の星空、至近でのホエールウオッチングなど、豊かな自然が満喫出来る環境がたっぷり残されています。
 小笠原諸島で最も大きい父島(24ku)は、二見港という自然の良港に恵まれており、港の周辺に街並が形成され、年間2万人以上の観光客が訪れるとのことです。

 昭和43年6月に米軍統治から日本に返還されて以来、振興特別法に則り基盤となる道路の整備も積極的に進められ、骨格となる父島循環線を始め洲崎道路、小港道路など、主要な港や景勝地とを結ぶ道路ネットワークがほぼ完成しています。
 浜江橋が架けられた場所は、父島循環線の海岸通りと呼ぶ主要区間にあり、従来のルートが境浦海岸背後の急峻な山裾に沿っていたため、常に崩落などの危険を抱えていました。 そのため、海岸側へ離れた位置にルート変更し、橋梁でショートカットしたのが浜江橋です。
 橋長は140mで、3径間連続鋼箱桁構造になっています。橋名は太平洋戦争中に魚雷を受けて座礁し、沈船状態で今も眼下に見える輸送船「濱江丸」に由来しています。



浜江橋  Hinkou-bashi


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