東 京 の 島 々


 東京の島々は、東京港から南方の洋上2,000qの先まで点在して続き、大小200余りの島からなっています。大別すると、明治11年に静岡県から東京府に編入された伊豆諸島と、明治13年に東京府となり、戦後の米軍統治時代をへて、昭和43年6月に変換された小笠原諸島からなっています。
 

 小笠原諸島の沖ノ鳥島は、北緯20°25′にあって、我が国の最南端になり、また東経153°58′にある南鳥島が最東端になっています。これは東京都が都道府県のなかで一番南で、また一番東にあたることにもなります。
 両諸島200余りの島全体の面積は約405kuで、東京都全体(2183ku)のおよそ18%に当たります。なお、島々が有する領海は、我が国領海の11.5%、漁業水域では45%を占める広大な海域を擁しているといいます。

 島々には、およそ1万人の人々が住む大島町と八丈町、2〜3百人規模の青ヶ島村や利島村、それに小笠原諸島で唯一の小笠原村など、全体で2町7村あり、今は11の島々に約3万人の人々が暮らしています。
 温暖な気候で自然豊かな島々には、動植物の貴重種も多く、昭和39年には伊豆諸島が「富士箱根伊豆国立公園」に編入され、また昭和47年には小笠原も「小笠原国立公園」に指定されています。 

 火山島である島々は急峻な地形が多く、海岸線に沿った傾斜地や谷間を縫って造られた道路には、難工事を克服して架けられた橋が各所に見られます。
 島の道路は、点在する集落と集落を結び、また集落と飛行場や港を結んで設けられ、迂回路のないこれらの道路が日常生活はもとより、災害時に備える重要な施設となっています。そのためか、道路への住民の深い思いが感じとれます。

 その伊豆諸島では、2000年6月に起こった大規模災害により、「三宅島」の全島民が島外避難を余儀なくされました。4年以上の避難生活に耐え、2005年2月、やっと帰島が始まりました。災害に見舞われた島々の住民が、かっての安らぎと潤いのある島の暮らしに、一日も早く戻れることを願ってやみません。


島の道路と橋景色へ 

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