「還浄」運動と教学論争
 
 
浄土真宗本願寺派大通寺住職
沖和史 氏
一九四六年、広島県生まれ。
京都大学大学院文学研究科博士課程単位取得。宗教学専攻。
現在種智院大学教授、
浄土真宗本願寺派基幹運動本部専門委員、同安芸教区基椎委教学部会長。
主な論文に「無相唯識と有相唯識」(春秋社「講座 大乗仏教八」)、「唯識」(岩波書店「岩波講座 東洋思想 第八巻」)、「「差別の現実」批判について」(永田文昌堂「山崎奉廣教授古希記念論集 密教と諸文化の交流」)など。
 
「浄土に還る」のは異義か
 
 葬儀における張り札を、「忌中」から「還浄lに変更する動きが、浄土真宗内で広がっている。それに対し、主として教学的な面から問題にする人々もいる。
 個人的な見解の表明ばかりではなく、昨年九月には、浄土真宗教学研究所の「季刊せいてんbS4」に、死亡時に「(故人が)浄土にかえる」と言い表すための出典は存在せず、この表用は異義である、という主張まで現われた。教学機関の雑誌に掲載されたものであり、単に個人的見解の問題ではなくなったので、以下「還浄」運動と「往生」に関する教学論義の一端を示し、読者のご批判を仰ぎたい。
 
 なお、現在広島県における同朋三者懇談会の席では、差別・被差別からの解放を願う生の営みを、本願の中に位置づけることによって、往生の本来的意味を解き明かそうとする方向で、往生の問題が論じられている。安芸教区は、本願他力に徒ってこの差別世界(私と社会)を批判して生きる主体性・首尾一貫性をいかにして獲得するのか、という課題として「往生と本願」を論じ、「反差別の教学」を再構築したいとしている。
 このような視点から明らかになる親鸞聖人の実践的立場は、たとえば「皇太子聖徳奉讃」(七十五首和讃)に見られるように、社会の歪みを糺す働きをもつ「三宝」を根幹とした政治と、貧しな人々の訴えが正当に評価される社会とを目指す立場である。すなわちそれは、御同朋の社会(皆がともに敬い合う「非暴力」社会)を目指す念仏の立場である。
 しかし従来の教学では、江戸時代という時代背景のもと、実践的な親鸞聖人の言葉は無視されてきた。実生活の中では、「門徒もの知らず」という言葉に示されるように、一部では祈祷や物忌みを排し、諸神諸仏を拝まないことが、「一心一向」の具体的実践であるという生き方が、ある程度貫かれていた。
 けれども一方で、それはあくまで仲間うちの内面的な信仰の問題であって、社会的にはその時代の道徳や法律、慣習に徒順に徒うことこそ理想的な生き方であるという「真俗二諦」の教えが強調されたのである。たとえば、地域の神社を支え、参拝することは、地域の「和」を乱さないために行なうぺきであるが、真宗信仰としては、神に祈ることなく、浄土に生まれることだけを求める、という態度が勧められた。
 
「差別を内包する教学を説いた」
 
 内面に閉じ込められた信仰の帰結として、〈来世の浄土(この世から超絶した別時間・別世界)においては完全平等が実現するが、穢土であるこの世と教団においては、身分差別が存在するのは当然だ〉とする、身分差別を内包する「真宗」教義が説かれていく。
そこには、三宝には社会(穢土)の歪みを糺す働きが内在しているという仏法観も、念仏は御同朋の社会を目指す営みに他ならないという実践観も、窺うことができない。
 蓮如上人にその根拠を求める「真宗」は、親鸞聖人の仏法観、実践観を見失い、内面と来世に限定された個人救済を目指す宗教に矮小化されてしまったのである。現実の社会的諸矛盾を直視することを回避した、また、直視することを妨げる「宗学」がそれを支えた。この自己矛盾、すなわち、現世における社会的矛盾を語らず、身分差別を「教学」によって諦めさせることで、その時々の権力を合理化し、補完していった非真宗性を自己批判し、親鸞聖人の真宗に立ち戻ることこそ、今問われている「信心の社会性」の課題である。
 また、「往生」を改めて論ずる意味もここにあると言えるだろう。
 
「従来の教学、内面と来世の救済に矮小化」
「「基礎教学」再構築を」
「教学機関の雑誌・極端な見解を示す」
 
 「真俗二諦」的教義は、明治時代には徹底した二元論教義、すなわち、この世にあっては天皇のために生き(滅私奉公)、あの世では宗教的理想を完成する(往生成仏)という、この世とあの世、現人神(支配権力)と阿弥陀仏とに完全に分裂した近代的「真俗二諦教義」に収斂し、「門徒もの知らず」「一心一向」の伝統のみならす、「護法一揆」の伝統さえも破戒してしまう。
 つまり「国家神道本願寺派」と評される事態に陥ったのである。親鸞聖人の真宗とは似ても似つかない「真宗」が捏造され、親鸞聖人の「粟散片州」という冷静な日本観は、完全に無視されたわけである。
 この「真俗二諦教義」は敗戦によって喜んで捨てられたわけではない。逆に、現在の本願寺派教団に受け継がれている。すでに指摘されている通り、「浄土真宗の教章」に示される「信者はつねに言行をつつしみ、人道世法を守り」という社会における生き方が、「まことのみ法をひろめるように勤める」という信仰上の生き方と、どのように必然的に関わっているのか。それが依然として不明なまま、二元論的に述ぺられているのである。
 私違が「反差別の教学」を目指す上で最も障碍となったのは、「徒来の教学では語られていない」「龍大で聞いた宗学と異なる」という僧侶の反応であった。
「現世における平等」はすでに示した通り、来世の浄土においてのみ平等を語る伝統「教学」にとって、語ることができない課題である。安芸教区においては、この点に対する危機感は、中央より鋭いようである。伝統教学の中から、封建制を補完する教学を注意深く取り除いて、真に普遍的な要素を取り出し、「基礎教学」として再構築しようという努力が始められている。このような努力が実を結ぶかどうか、私達は注意深く見守らなければならない。
 さて、浄土真宗教学研究所は、「常に世相の推移と思想の動向を把握して、必要な浄土真宗の教学研鑽を行ない、浄土真宗聖典の編纂業務に徒い、現代社会に応える教学振興の体制を樹立する」という設置目的を持つ。その業務の中に、「季刊せいてん」の編集も含まれている。それゆえ、「往生成仏」についても「現代社会に応える教学」を目指す立場からの編集が期待されるのであるが、残念ながらそうも言えないことが、昨年九月発行の「季刊せいてんbS4」で明らかになった。
 
 同誌「せいてん質問箱」によると、「お浄土にかえる」という表現について、質問があったという。それに対し、葬儀などの席で、「故人がお浄土におかえりになった」「還浄なさった」と表現することは「宗義になきおもしろさ名目」(異義)であり、特に「浄土に還る」と言う者には「機の深信は無いのかしらん」と思われるし、「法の深信も無いのかと疑われかね」ない、という極端な見解を、回答として掲載したのである。
 
「実践的課題にふれぬ」
「還浄」反対論者の共通点
 
 従来、「還浄」については様々な異論があった。多くは、なぜ「還浄」が現場で使用され始めたのかという実践的課題には触れず、その教義的問題点を挙げる点が共通している。
 たとえばある布教使は、あらゆる葬犠で「還浄」が使われると、「往生」の誤用と同じく、信心が無くとも浄土に参ることができるという考え、すなわち信心無用論に帰着するのではないか、と心配された。この心配はゆえあるものであろう。しかし大半は、「往生」や「帰る」なら良いが「還る」はふさわしくないという論理の立て方である。
 某勧学は広島県高田郡における法要の席で「還浄」という表現を批判したと聞く。また某龍大元学長が、昨年安去教区寺族婦人研修会で、「帰」は「本来あるべき所に帰る」の意味だから使っても良いが、「還」は「元の所に帰る」ことを意味するから、使うべきではない、という趣旨の講演を行なったと聞く。
 活字になった例では、白川晴顕氏が「大乗」通巻五六二号において、同じく、浄土に「帰る」という表現は認めながら、「還浄」は教義的に問題があると指摘している。
 また、門主夫人の「浄土にかえる」という言葉に対し、某氏が「浄土にかえるとは言いません」とピシャッと決めつけたという、古い「美談」もあるようだ。
 
「門主法話への諫言も」
一部の宗学者
宗祖の用語法に無頓着
 
 このような流れの中で、今回の「せいてん質問箱」に掲載された教学研究所の記事を見ると、次の三点に気付く。
 一つは 一昨年秋の法要において「主としてこの一年間に亡くなられたご門徒の方々、お浄土に還られたご門徒の方々を偲び、仏法を聴聞するご法要でございます」(本願寺新報第二六○八号)と、門主が法話なさったことに対する諫言の意味を込めた記事であること。教学研究所がこの法話を知っていながら、あえて記事にしたことから、そう推測されるのである。
 二つは、「還浄」の拡大に対する教学上の危機感。とは言っても、「還相回向」と紛らわしいとか、凡夫と還相の菩薩とを混同するおそれがあるという感情的反発である。この結果、「本国に還りぬれば一切の行願自然に成ず」(真聖全二、一六五)という引用文、およぴそれに関連する善導大師の用語法を無視してしまう。
 また「季刊せいてんbS7」では「(近年よく見られるようになった「還浄」の表示は)本願寺教団における統一見解に基づくものでありましょうか」という意見(質問)を紹介している。
 考えてみると「忌中」という習俗については、今まで統一見解の有無は問われなかった。ところが今、こういった内容の意見をあえて掲載し、新しい表現である「還浄」について統一見解を求めていこうとする態度は、感情的姿勢としか言いようがない。
 なぜなら統一見解を求めるならば、習俗である「忌中」についての教学的見解が、貢っ先に求められなければならないはずではないか。「還浄」を「新造語」という理由で排斥しようとする保守性の問題も同質である(しかし、もし「新造語」であるという理由で排除するのであれば、親鸞聖人の用語法と異なる蓮如上人の用語のかなり、たとえば「後生の一大事」などは排除されなければならないし、「信心正因、称名報恩」を含む安心論題のほとんどは使えなくなってしまうであろう)。
 そして三つ目は、教学研究所の記事が「浄土にかえる」という表現すべてを、出典がない表現であり、異義だとしている点である。
 
「還浄」札は過渡的形態
「死穢」の思想への対決
 
 だが、そもそも「還浄」運動は、「忌中」に代表されるよう非仏教的、非真宗的俗信や慣行を廃止するため、真宗にふさわしい葬儀のありようを模索した上で、実践的に採用された運動である。
 「還浄」という表現の採用は、宗学者が批判する如く、真宗に対する無知(門主を含む「還」の「誤用」)に基づくものではない。むしろ、「かえる」とは言わないとか、「還」は還相の菩薩にしか使えないとか、「帰る」は現生における「帰する」(信一念)のみを意味するとかを主張する宗学者が、親鸞聖人の用語法に無頓着過ぎるのである。
 一九九六年十月、広島の地元紙「中国新聞」に、「『忌中』やめ『遺浄』に」というリポート記事が掲載された。それによれば「忌中」「清め塩」などの俗信・習俗は、死および死者を穢れと見る思想の具体的現われだから、仏教思想とは相容れないし、死者を冒涜することにもなる。
 ゆえに「忌中」も「清め塩」も止めよう、そして「還浄」を梃子にして、真宗本来の死生観を伝えていこう、というのが「還浄」運動である。ほとんどがここ十二、三年前から新しく始められた運動であるが、島根県石見東部地方のように「還浄」「帰寂」「帰真」などと記した「門牌」を立てる習慣が続いている所もある、という。
 
 この記事が出て以来、葬犠社も、住職との話し合い五月二十三日の「中国新聞」の記事「定着する「還浄」の習俗」によれば、広鳥市向で行なわれる浄土真宗の葬犠では、ほとんどの場合「忌中」に代わり「還浄」が使用されている。筆者の住む町(佐伯郡湯来町)でも同様である。
 また、本願寺広島別院の境内地には、「還浄」と彫られた被爆墓碑が今も残っている。
 
 なお私個人は「還浄」の張り札は、過渡的な形式であると考えている。もともと真宗門徒は、家内に死者が出ても何も張り出さなかったのだ。しかし、「忌中」の習俗が真宗にも入り込んできたのである。だから、それを改めるために、方法として「還浄」の張り札を選んでいるのが実際である。「死穢」を伝染させない目的を持つ「忌中」の張り札が、死者を穢れたものと見なす自己の恐怖心の現われであることが分かれば、張り札自体の無意味さは明らかになる。
 
「単なる「死亡通知」ではなく」
 
 「還浄」の張り札の積極的意昧は、真宗門徒の誇りとしての死生観の表現である点に求められる。故人を偲ぷ上で、「忌中」「喪中」「清め塩」という形式に心と行ないを縛られて、故人を「穢れ」としてしか見ることができないならば、基本的に私たちは、故人とのつながりを自ら断絶した生き方しかできない。それでは本当に故人を弔い、偲ぷことにはならないのである。死後も生前にも増して大切な同朋であり、掛け替えのない関わりのうちにあるという「いのち」のとらえ方が、「還浄」(共に真実の世界をふるさととする)の表現で明らかになる。このことを私たちは伝えてい
かなければならない。
 単なる死亡通知の張り札に終わらせてはならないのである。
 以上のように、「還浄」運動は、「忌中」という形で顕わになる「死穢」の思想に対決するという、極めて実際的な要求から起こされた運動であって、「「往生する」という言葉が世間の手垢のついたものになってしまったから」(『季刊せいてんbS4』)という、観念的で情緒的な動機によるものではない。だから、「往生」なら浄土真宗にふかさわしい表現だが、「還浄」は無信心者の異義であり、ふさわしくない、などと観念的にあるいは教条的に批判することが、いかに的外れであるかがわかる。ここに、伝統「教学」優先思想の非現実性、すなわち「現代社会に応える教学振興」とい看板に反する姿(反社会性)が顕著に顕われている。
 
「善導大師の用例を無視」
 宗学者、漢字の原意だけ考察
 
 まず確認しておきたいのは、「浄土にかえる」という表現は、「法性のみやこへかへる」(真聖全二、六二四、六四二)という親鸞聖人の用例で明らかなように、基本的には念仏者が悟りを開くこと(伝統教学における「当益」)を意味しているという点である。
 この点の概要は「季刊せいてんbS7」の拙稿を参照されたいが、この表視によって示される「成仏」「涅槃」などが、現代を生きる信仰者にとっていかなる意味を持つのかを答えることこそ、本来的な課題であると私は考えている。親鸞聖人によれば、法性の世界とは、この世と切り離された実体的別世界ではなく、真実に従うようにと、すぺての有情世界に働き続ける法則だからである。(唯信鈔文意」真聖全二、六四七〜八)
 「還浄」を問題視す宗学者は、漢字の原意を考察すること常としている。
「還」の語義は「往に対する言葉で、往きて再びかえること」であるから、「還浄」という言葉遺いでは、亡くなった人が還相の菩薩であったということになると主張し、「浄土に還帰せしめけり」(「源空讃」真聖全二、五一五)典拠とする。そして「機の深信」に示される通り、あらゆる衆生はもともと浄土に存在していたとは考えられないから、私しちが臨終を迎えて浄土に生まれていく場合には「還浄」という表現を使用するぺきではない、と結論付ける。これは実体的浄土観に基づく主張であることが明らかである。また、「機の深信」を示した善導大師自身の「還」「還帰」の用例については口を閉ざしており、私たちはこれは不公平で不誠実な態度と考える。
 
「現代信仰者にいかなる意味を持もつのか」
 
「宗祖が用いた「還」の字」
「源空讃」考察対象にならぬ
 
 親鸞聖人の「還」の用例は、「源空讃」に「還帰」の一例、「化身土巻」に「還」の一例、「愚禿抄」に「還来」の一例が認められる。
 このうち「源空讃」(真聖全二、五一五)における用例は、「化身(還相の菩薩)」に関する使用例である。したがって、「凡夫が浄土に還る」という表現の是非を論するための直接の考景対象になり得ない。また、「還浄」運動の中で、凡夫がもともと浄土で「生まれ育った」ので「還る」と使うのだという見解は聞かれない。これは宗学者が「還」の字義を云々する時に、否定的に語るだけである。
 しかし考えてみれば、故人は聞法の縁を与え続けた方、これからちもずっと聞法の縁を与え続けて下さる方であるから、故人の中に、阿弥陀仏の回向の働きを見いだすことはごく自然である。
 その意味では、特定の方のみに「還る」が使えると考えるのは、権威主義的と見られても仕方ないであろう。
 それは、たとえば「往生の素懐を遂げる」「遷化する」という表現が門徒においては全く使われす、僧侶とその家族の場合にのみ使われる現実と、微妙に関連していると思われる。
 また「又報土に還来せ令(し)めんと欲してなり」(「愚禿抄」真聖全二、四七七)という用例は、紙幅の関係で、今は考祭の対象から外したい。ただ「来」(きたれ)という阿弥陀仏の勅命を、わざわざ「還」の字を付加して親鸞聖人が示したことは注意すぺきである。「還」を凡夫には使うぺきでないと主張する方々に、是俳とも説明していただきたい点である。使うべきでない漢字をわざわざ親鸞聖人が使用したのであるとすれぱ、私にはその理由が見いだせないのである。
 
「凡夫に『還』を使うなの主張」
 
 残る用例の「帰去来、他郷には停まるぺからず。仏に従ひて本家に帰せよ。本国に還りぬれば、一切の行願、自然に成ず」(「化身土巻」真聖全二、一六五)は、凡夫が帰るべき故郷である浄土に帰ること、即ち成仏することを、「本国に還る」と明言する用例である。ここでも、「還」の字が使用されている文を、親鸞聖人が引用した事実がある。凡夫には「還」を使うべきでないと主張する方々は、このことをどのように説明するのだろうか。
 
「還」「帰」自由に使用
その善導に従った宗祖
 
ごく単純で比喩的意味
 
 私たちの理解では「法性のみやこへかへる」と同様に、浄土が凡夫の「本国」(真実の故郷)であるから、異郷である穢土に留まらず「(浄土に)還る」と言うことができるわけである。真実の故郷の発見と「還」の字の使用については、善導大師の用例にある「慶しいかな、希に自の家国を聞くことを得。諸仏証判して還帰することを得」(真聖全一、六○一)「言を有縁の同行者に寄す。努力(つと)めて迷いを翻して本家に還れ」(真聖全一、六七六)に見られる。比喩的な意味で、「自家国」と「還帰」、「本家」と「還」とが対応している。この場合の「還」が、「もといた所へ再ぴかえる」という文字通りの意味では使われていないことは明らかである。 また、ほかにも、「十方の如来舌を舒べて証して、九品還帰することを得と定判したまふ」(真聖全一、七○一)「行者(下品上生の凡夫等)仏の光明を見て喜ぷ。すなはち七宝蓮華の上に坐し、仏に従ひて須臾に宝国に還り、到りてすなはちただちに宝池のなかに入る」(真聖全一、七二二)という用例も見られる。
 凡夫が帰るぺき浄土に帰るという、単純で比喩的な意味で「還」が使われているのであって、凡夫がもともと浄土の住人であったという理解から「還」が使われたのではないことは、いずれの用例からも明らかである。
 以上の通り、親鸞聖人の「還る」の用例は、善導大師の用語法に従っていることが明白であり、善導大師は、自由に「帰」「還」を使っていることも明らかになった。このように用例を具体的に検討すれば、「源空讃」の一例から安易に結論を出すことが、いかに無謀であるかが分かるのである。
 
中外日報・1999・7−1     7−3      7−6


この論文は、沖先生と中外日報社の御厚意により掲載させて頂きました。
沖先生ならびに中外日報社様深く感謝致します。
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