今 なぜ蓮如論

目次蓮如論表紙

巻頭言・広島部落解放研究所宗教部会部会長………………………………小森龍邦

◆特集 蓮如を巡る対談

稲城選恵・小森龍邦対談………………………………………………………蓮如の果たした役割
玉光順正・小森龍邦対談………………………………………………………蓮如をどこから視るのか
福嶋寛隆・小森龍邦対談………………………………………………………蓮如の評価を巡って

◆論文
(蓮如論1わたしの視点)

「蓮如論」抄……………………………………………………………………小森龍邦
蓮如、その信心の歩み−御文章2−U管見−………………………………円日成道
親鸞・蓮如論……………………………………………………………………城山大賢
蓮如の「如」を問う……………………………………………………………長坂公一
「拝啓 蓮如上人様-御文章への返信」`……………………………………杵築宏典

(蓮如を巡る問題点)

蓮如上人に向き合うための予備的考察………………………………………沖和史
蓮如における女人往生論と性差別……………………………………………岩崎智寧
蓮如の女性観に端を発して……………………………………………………平田美智子
平井清隆氏の蓮如生母説の批判的検証………………………………………藤井秀城

(蓮如に学ぷ現代の課題)

真宗信心の実体化とその問題点−職業的宗教家としての蓮如像…………毛利勝典毛
現代における「王法・世法」考………………………………………………坂原英見
蓮如五百年法要を考えるー「如来より賜わりたる信心」への誤解−……山名孝彰
東西本願寺の「蓮如上人五百回遠忌法要」を蓮如の視座で問う −「平座」と「講」と「一向一揆」………………小武正教
世俗化と国家信仰−プレスナーの理論にそって−…………………………神戸修

編集後記



編集後記ヨリ
 広島の部落解放研究所では一九九八年の蓮如没後五百年の区切りの年を前に、二年程前から部会の研究例会のテーマを「蓮如論」に絞り討論を重ねてきました。
 そのねらいは、単なる五百年前に没した歴史上の蓮如を論じるというのではなく、その視点は、今日の教団に属する私たち僧侶や門徒の意識の根を明らかにするということでもあります。東西本願寺では三月から「蓮如上人五百回遠忌法要」がつとまりますが、その法要に象徴される教団の現状を問うことでもあります。
 「本願寺の再興」と「真宗の再興」という二つの課題を背負って出発した蓮如は、その生涯においてどのような問題に出会い、どう解決しようとしたのでしょうか。 教団が大きくなるにつれて抜き差しならなくなる時の権力との問題、また大きくなった教団という組織の中に起こってくる矛盾、それらさまざまに生起する問題を蓮如はどう克服していこうとしたのか、どこまで克服出来たのか出来なかったのか。
 蓮如を肯定的か否定的かどう評価するにしろ、蓮如が抱えた具体的な問題点は間違いなく現在の東西本願寺教団に繋がる源流であることは間違いありません。
 その意味で蓮如をただ讃仰してことたれりということにもなりませんし、批判してすむというわけにもいきません。
 蓮如が担った課題は、私自身の課題として、今の教団の課題としてどう受け止めるのか、そして私ならその課題をどう解決すべく行動するめか、教団としての課題の克服に向けてはどうすることがその道を開くことになるめか、それが明らかになることが「蓮如に学ぶ」ということであるように思います。そして、その学びこそが私たちにとって蓮如没後五百年の節目を真に意味あるものにすると考えます。
 本当の学びは必ず新たな行動を生み出します。蓮如の五百年がすぎても何も変わらなかった、変わりはじめなかったというのでは、にぎやかなお祭りをしたことにしかなりません。何よりそんな法要では、蓮如がいかにあったにしろ、ダシにされた蓮如に対して失礼でありましょう。
 この本に載せられた論文が一方的に蓮如讃仰する人の論文だけでもありません、さりとて蓮如批判をする人だけの論文でもないという意図は、「何を学び、生み出すか」ということに視点をあてたためであります。対談もあえて全く蓮如への評価の違う、稲城先生、玉光先生、福嶋先生、それぞれと小森部長が行うという形にさせて頂いたのもそこを狙ってであります。
 それぞれの論稿・対談にその意図を読みとって頂ければと思います。

 今回の広島部落解放研究所の宗教部会で紀要の第四号の特集号として出版するにあたり、広島から全国へという願いも込めて、研究会員以外の人たちにも、それぞれの「今、なぜ蓮如を論ずるのか」という視点で論稿をお願いし、沢山の論文をおよせいただきました。深くお礼申しあげます。
 この一冊が、一人ひとりの真宗に生きる歩みの中で、蓮如没後五百年が意味あるものとなる機縁になることを願ってやみません。

(広島部落解放研究所 宗教部会事務局長 小武正教)

業を糺す

浄土真宗本願寺派備後教区三次組
「過去帳再調査からの課題を明らかにする調査委員会」報告書業を糺す表紙

目次

はじめに
第一章  「過去帳再調査からの課題を明らかにする調査委員会」にいたる経過
第二章  聞き取り調査の結果
第三章  過去帳再調査からの課題ー被差別寺院・被差別部落の信仰から学ぶ
第四章  西蓮寺の廃寺をめぐって
第五章  過去帳差別記載の背景ー1873(明治6)年からの火葬埋葬状に「死因記載」を書いて提出する件について
第六章  過去帳の「新民」「新平民」記載
第七章  三次組における「新民」という部落差別の添え書きの事実から
第八章  三次組における『巻末」に被差別部落の門徒を纏めた『差別過去帳』の事実から
第九章  教団における序列構造
第十章  三次の城下町と被差別部落をめぐる支配政策
第十一章 「過去帳再調査からの課題」に取り組んで見えてきたこと
おわりに
資料
あとがき


「業を糺す」はじめに より
はじめに
 「なぜ自分の家が今の寺の門徒になったんじゃろうか、目の前に寺があるのに?」こんな疑問を胸に持ち続けている被差別部落の門徒は多い。そして、「自分の家は目の前の寺の門徒にしてもらえなかった」とか、「自分の先祖がお寺から様々に差別的に扱われてきた」という伝承が今も語り伝えられている。
 1983年の「過去帳調査」において、私たち備後教区は4ヶ寺から部落差別の添え書きと別冊過去帳があることを報告され、被差別部落の門徒からその背景を明らかにする課題を提起された。それを受けて備後教区は、文献の上で、現在の比婆郡・庄原市・三次市の全体と、双三郡(三和町は除く)・高田郡の一部の被差別部落の人たち全体を門徒とする「西蓮寺]の1872(明治5)年の廃寺問題があることを明らかにしてきた。そして、その廃寺をめぐって、「被差別部落の門徒の受け入れ拒否」の状況がおこったことも文献的に明らかとなった。
 しかし、それから約130年間。具体的に寺院の側でどのような「受け入れ拒否」をしたのか、現在まで明らかにしてこなかったのが実際である。しかも「受け入れ拒否」は過去のことではない。「なぜ今の寺の門徒なのか?」という問いのあることが、受け入れ拒否の問題が現在まで連続していることを如実に示している。
「まあ、この問題(「西蓮寺廃寺」と「受け入れ拒否」と「差別的扱い」〉をはっきりさせないことには、お寺の同朋運動は何も始らないですね」とは被差別部落の門徒からの厳しい指摘である。
 1997年の過去帳再調査で、三次組内にも「部落差別につながる添え書き」があることが報告され、より一層西蓮寺の廃寺をめぐって、寺院のとった行動を明らかにすることが課題となってきたのである。  さらに言えば、1665西蓮寺(当時は明福寺)が広島藩より三次郡・恵蘇郡などの被差別部落の門徒を一手に門徒とするように位置づけられ、さらには本願寺においても「穢寺」とされた。それにより、近隣の寺院・僧侶は西蓮寺に対して200年にわたる差別的対応を行ってきた。
 今回、三次組の「過去帳再調査からの課題を明らかにする調査委員会」の取り組みは、歴史的に言えば、江戸時代の1665(寛文5)年、江戸幕府により宗門改制度が作られて以来の、私たちの地元の被差別部落の寺院・門徒と周りの寺院`門徒との歴史を明らかにしていく営みである。
 確かに、西蓮寺廃寺でも130年前の出来事であり、本当に見えにくくなっている。わからない部分は数知れない。しかし、被差別部落の門徒に対して、その所属の問題はいまだ一度も寺院から納得のいく形で明らかにされたことも説明されたこともない。ましてや謝罪したことはもちろんない。被差別部落の門徒において現在進行形の寺院への所属の問題は当然のことながら寺院・僧侶においても現在進行形の問題であるはずである。
 今こそ、被差別部落の寺院と門徒を差別してきた300年を越える歴史の『業』を明らかにしなくてはならない。そして、被差別部落の門徒に対して、差別を行ってきた寺院の実態を明らかにし、謝罪していかなくてはならない。

 「すでに道あり」と親鶯聖人はおっしゃる。聞き取り調査の中で、被差別部落の寺院には、門徒と共に差別に対して闘った、差別の中を生き抜いた、浄土真宗の信仰があることを私たちは知った。そして、それと対照的に、差別の現実を問うことなく、差別構造の中で差別を再生産して利益を得、差別の痛みにも、差別の醜さにも無関心なままに生きてきた僧侶の姿も知らされた。
 今私たち僧侶が、自ら抱える差別の事象に、一つずつ具体的に取り組み、宗祖の明らかにされた信心を回復していくため、私たちも歩みをはじめることを決意するものである。

 最後に、このたびの三次組の僧侶研修テキストの作成のため、「聞き取り調査」において全面的なご協力を頂いた部落解放同盟北部地区協議会の皆さま、並びに貴重な資料の提供を頂いた西蓮寺の関係遺族の方々、そしてご指導頂きました多くの皆さまに深く感謝いたします。

◇『業を糺す』の本の文章の中には、「差別されてきた歴史持つ言葉」(「穢寺」「新民」「新平民」)を使用していますが、差別の実態を明らかにし、その背景を改めていくためのものでありますことをご理解いただきますようお願いいたします。


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