論究22号 以下の文は、(財)同和教育振興会発行・同和教育論究22号の各論文の抜粋です。
いずれも興味深い内容ですので是非御一読下さい。
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同和教育論究22号

目  次
(講演録)差別と裁判 森井(日+章)
同朋運動と「還浄」 小武正教
同朋運動と連研−課題の共有− 大畠信隆
宗教と社会−社会杜会における宗教的信念− 神戸修
(資料紹介)『願通寺文書』



【講演記録】差別と裁判
関西大学教授・森井(日+章)

  さて「差別と裁判」という今日の題でありますけれども、前のお話でも差別の問題を取り扱いましたが、差別の定義は社会学でも現在完全に定立した定義があるわけではありません。よくアルベール・メンミの定義などが引かれますけれども、一口で言えば、差別とは本来平等であるべきものを不平等に取り扱うことが差別であると、我々は通常理解しております。しかし、それ以外にもいろいろな定義がありまして、例えば「差別とは個人の実際の特性に基づくのではなく、人が属している集団や社会的カテゴリーに基づいて個人を異なって取り扱うことである」という言い方もされますし、あるいは「本人の努力によって如何ともし難い事柄を理由に不利益な取り扱いをすることを差別と言う」という定義もございます。
あるいは「差別とは合理的に考えて状況に無関係と判断される基準に基づいて、人を効果的に傷つける取り扱いである。」という定義を、アントロニスキーという人が一九六〇年頃にたてております。
  その他、先ほどちょっと例に出しましたアルベール・メソミの定義ですが、彼は「差別主義」という言葉を定義して、「現実上の、あるいは架空の際に、普遍的決定的な価値付けをすることであり、この価値付けは告発者が己の特権や攻撃を正当化するために被害者の犠牲をも省みず、己の利益を目的としておこなうものである」という定義を与えております。
  社会学ではいろいろな定義がその他にもたくさんございますけれども、まだ有権的な差別の解釈・定義は確立していないと言われています。私は社会学の専門家でありませんので、そういった定義を一々並べて皆さんにご紹介する能力もございませんが、一口で言えば、最初に申しましたように「本来平等であるべきものを不平等に扱うこと」を差別と言うと簡単に申して差し支えないだろうと思います。
  差別をこのように定義すると、本来は差別を解消し、差別をできるだけ無くレていくということが裁判の役割であると言うことがいえます。人間の平等を確保するということが裁判の一つの目的であるとするならば、差別をそこから排除し差別をなくすことこそが裁判の目的であるはずであります。ところが、実際には裁判そのものが差別を行うという問題があります。本来「疑わしきは被告人の利益に」とか、「インドゥビオ・プロ・レオとラテソ語では表現されますけれども、被告人の利益で全てを解釈しなければならないはずであるにも拘わらず、裁判の当初から被告人を罪人であるという先入観を持って扱うということはよくあることです。
(略)
  ですから裁判官は裁判官として何時も一段高い裁判官席から被告人を眺めていますと、そういう日常性に埋没してしまうわけです。被告人の多くは確かに犯罪を犯した人間であるかも分かりません。しかし千人に一人、一万人に一人でもその中に冤罪者、犯罪を犯してないにも拘わらず誤って逮捕され起訴されて、今法廷に立たされている人がいるかも分かりません。しかし本当にその被告人の立場で、被告人の目線で裁判をする裁判官は果して何人いるでありましょうか。やはり裁判官は、一段高い所から法の番人である、正義を正す存在であるという自負心から、往々にして独善主義的な事実認定をやりがちなのであります。
  これは裁判官に限らず我々もそうでありまして、我々も大学で学生を前にして講義をする時に、一段高い講壇から話をしていますと、何時の間にか「自分は教える人間であり、学生はその教えを受ける人間だ」と理解してしまいまして、本当に学生の立場で、講義を聞く人の目線でもって話をするということがなかなかできにくくなります。教える者としての優越感に浸ってしまって、その日常性に埋没して、学生の立場で物を考える、学生の目線で物を見るということをつい失念しがちであります。
  この点が差別問題を考えたり、その他弱者の権利・人権を考える際に一番大きな障害になる点ではないかと思います。私どもは常に相手の立場に立って、相手の側に立って物事を判断するという謙虚さを無くしてしまっては本当の教育もできませんし、本当の裁判もできないはずです。
(略)

  本日は「差別と裁判」ということで、差別とは本来平等であるべきものを不平等に扱うことですから、この点からすると、被告人は確かに犯罪の嫌疑をきせられ裁判にかけられているわけでありますから、それだけで一つの弱者であることは間違いありません。しかし弱者であればあるからこそ、「疑わしぎは被告人の利益に」という形で、被告人は全て平等にその権利を保障する形で、裁判が行わなければならないのは当然です。しかし、特定の被告人については始めから「こいつは有罪だろう。こいつは嘘を言っているんだろう」という扱い方をする裁判は、これはまさに広い意味で言う差別裁判です。その典型的な例が狭山事件であり、甲山事件であり、あるいは野田事件です。これら個々の事件を詳細にご紹介することは、時間の関係上できませんでしたので、非常に大雑把な話になって恐縮ですが、時間も参りました。
  裁判一般のことについても、民事も含めてお話ができれば良かったのですが、また機会がありましたら、何らかの形でもう少し別の角度からも詳しく裁判の話をさせていただきたいと思います。
どうもご静聴有り難うございました。
 


同朋運動と「還浄」
小武正教

  葬儀の時、わざわざ玄関に「還浄」という紙を貼る必要はないという意見は当然あるであろう。そのこと対して答えねばならないだろう。それは、儀式ということをどう捉え、どう作っていくかという問題である。儀式は「形をもって宗教心をあらわす」、「形が宗教心を象徴する」といってもよい。そして儀式を仏式でおこなう場合、そして真宗の形で行うときは、その表現のあり方で、いかに参加者の宗教心を開き育てる縁となっていくかということである。
「お経」がそうであるように、儀式は自らの自覚を促す手がかりであり、譬えてみれば、どのように儀式を作り上げてみても浄土という家に対しては入り口の門である。しかし門が閉ざされていれば入る道は閉ざされてしまうし、門が歪んでいれば、中の浄土も同じく歪むということであろう。宗教心が儀式を作りあけ、作りあげられた儀式が宗教心を開いていくきっかけとなる、そうするには、どう葬儀という儀式をつくってていくか。しかしそのためにはきまりきったものの押しつけではなく、住職と遺族の日常の営みの結巣として試行錯誤・葛藤の中からこそ宗教心が表現され、次々と創造的な形も生まれてくると考える。つまり何を削るべきなのか議論する、それも宗教心のあらわれである。奪われてきた何を取り戻すめか、それを表現するのも宗教心である。そして、その営みこそが、宗教心を歪めずに表現していくための歩みであると思う。
(略)
  「化身」という実体化を批判し、一人ひとりのところに率直な宗教心を表現する言葉を取り戻すということを意図して文章をすすめてきたが、儀式とは形にすることであるという意味では、形式化・実体化に転落しやすいものだということをへ私自身も思う。釈尊や親鸞聖人が儀式に関わらなかったということからいえば、本来実体化を批判していくのに、儀式をもってすることの矛盾があるということはその通りである。「還浄」の張り紙が、新たな習俗に陥るという危倶は妥当なものである。しかし、娑婆を除いては阿弥陀さまの働きが表現されることがないことを考えると、葬儀そのものが神聖で侵すべからざる、変えることの出来ないものというより、間違いだらけの娑婆の行いの一つであると位置付け、試行錯誤の中から生み出Lた一つの形、それが「還浄」の張り紙である。
  ただし、「葬儀の時に『還浄』という紙を貼れば、誰もが『仏』になったことになって、聞法ということがおろそかになるのではないか」という意見があることを聞いて、正直笑ってしまった。現場がそんな柔なものでないことは住職なら誰でも知っているはずである。それなら「往生」という紙を貼ろうが変わらない。それは「還浄」を否定のためのへ理屈であろう。
  いうまでもないことだが、江戸時代の檀家制度の下での葬儀の役割が「国法に背かずに生きたかどうか」を確かめる検死であり、そのことが葬儀と結ぴついた証拠が「死ねば仏」という葬儀の習俗化である。幕藩体制の補完作用を果たしてきたことが、どこまで深く浸透しているのか。人間に上下をつけていくことを正統化するイデオロギーとして展開された制度・教学、そして儀式にどのように眼を向け問い返してきたか。問い返しは、とりわけ儀式においては全く稀薄ではなかったか。「還浄」の紙は譬えてみれば「蟻の一穴」、私に言わせれば、形にまで表現した問い返しの意志表明である。
  亡くなった人が法名を生前もらっていたい時・住職が葬式の前につけることが慣例となっているが、これは政治的には、先に述べた検死の証明であり、門徒の心情よりすると宗教的には往生の「印可を与える」と受け止められていた。私が四歳の頃「ぼっちゃん、わしらをええところにおくってくれる、ええ坊さんになってくださいよ」といわれた言葉を今思い起こす。それから約四十年、私は今、「亡くなった人を仏さまと頂けるのかどうかは、みなさんの信心の問題です」と語ってきた。しかしそれは言葉で語っても、葬儀の形はどうであるのかという疑問から様々な試みがはじまった。法名は、例えば、○○幸子さんなら、「釈幸子」か、お経からとった漢字二字の「釈○○」にするか、それは本人・遺族の選択にしている。一見宗務規定に触れそうだが、帰敬式の慣例をうまく使っているわけである。そのこととも一連のこととして、玄関の「還浄」が、一人ひとりの亡くなった人をどう受け止めていくかという自覚の言葉だと、私は葬儀の時に遺族・親戚・関係者の人たちに語ってきた。
  紙を貼って事足れりとする一般化への転落をどう防ぎながら儀式を営んでいくか、「還浄」の紙はそのスタートである。
  「還浄」の紙が、教団組織の維持と秩序付けに歪めてきた一人ひとりの宗教体験の表現を解放していくスタートである考えると、その頂上ははるか遠くである。また「忌中」をとることにより、「忌中」に表される「穢れ意識」を社会秩序の維持にどのように反映してきたのか、その克服の取組から言えば、その頂上もはるかかなたである。
  しかし、千里の道も一歩からというが、この一歩の上に、浄土への往相回向と浄土からの還相回向め利益を獲ることの確かさがあることもまた間違いないことと実感するがゆえに、歩むことができるのである。

同朋運動と連研−課題の共有−
大畠信隆

  門信徒会運動の目標として、一九七二(昭和四七)年には「同朋教団の確立と実践」、翌年には「同朋教団の自覚と実践」が掲げられます。
  この運動を、僧侶とともに推進する中核となる門徒推進員の養成である連研は、それ自体が「同朋教団の自覚」に基づいた内容であることは当然のはずです。連研そのものが「同朋教団としての実践」たる研修会であるはずです。
  また、本来の教団を「伝道教団」とする時、その「伝道」とは具体的にどんな内容・方法によるものなのか。
「お寺は聞法の道場である」という時、その「聞法」とは一体何なのか。「同朋教団における聞法・伝道は、当然、全員聞法・全員伝道」というだけではなく、その内実が明らかにされないままでは、本当に教団と私が本来化への道を歩む事は不可能なはずです。
  連研が、果たしてそうした「本来化」への内実をともなったものとしてスタートしたのかどうか。
  開始当初の連研そのものを知らない私は、あくまでも推測しかできませんが、連研ノートの問いや、その資料を見る限りにおいては、疑問符を打たざるをえないと言えます。
  仏教、ましてや浄土真宗のすくいは、衆生の苦悩が出発点であります。
  ならば、聞法の出発点は、わたしの苦悩であり、あなたの苦悩であり、その総体としての社会の苦悩の現実でありましょう。
また、伝道も現実の苦悩を抜きにして「伝える」「伝わる」中身も術もないはずです。
  「同朋教団の自覚と実践」としての聞法・伝道において、僧侶と門信徒に上下関係があろうはずもありません。
しかし、徒来め僧侶と門徒の関係は、上下関係ともいえる「僧侶=教化者・門徒=被教化者」という関係になっていました。そうした関係での聞法・伝道から、同朋教団本来の聞法・伝道をめざして連研は開始されたはずです。
  つまり、僧侶・門信徒がともに「現実のわたしと社会の問題を法に問い・聞き・語り合う(伝え合う)」という水平(平座)の関係においての聞法・伝道が、同朋教団における聞法・伝道でありましょう。
  しかし、開始当初の連研は、必ずしもそうとは言えないと感じます。その具体的内容(連研ノートA)は、先に「答」があり、ともすれば、教化者としての門徒幹部、従来の僧侶・門徒の関係で言えば「僧侶化した(教化者としての)門徒」を育てるものといえます。
  「僧侶が話し、門徒は黙って聞くだけ」という、ワンパターン化し、硬直化してしまった法座形式に、真宗本来であり仏教の原点とも言える「話し合い法座」を教団化しようとしたということでは、連研は画期的・歴史的であったと評価されるべきです。しかし、その内実は、門信徒会運動が抱えていた問題点をそのまま反映したものであったと感じます。
(略)
(1)連研の目的の曖昧化

  連研の実施組は徐々に増加中であり、未開・休止組においても「やらなければならない」という意識が深まってきています。
  しかし、連研の実施そのものが目的化してしまい、門徒推進員の養成という目的が暖昧になってきています。
一九九九年度、奈良教区の「連研のための研究会」において「連研はご法義繁盛が目的」と主張する僧侶に、講師(連研中央講師)が同意し「連研の目的は門徒推進員養成」と説明する門徒(門徒推進員)を孤立させてしまった事例は、その象徴的なものであります。
  また、中央教修参加者の基幹運動についての認識度は「高い」とは言えません。これは組連研において「門徒推進員とは」「基幹運動とは」ということが明かにされていないためです。ここにも連研実施が目的化してしまっている現状が窺えます。

(2)話し合い法座の現状に見える僧侶の「消極性」

  未だに「講義形式」で連研を実施している組があります。「話し合いでは研修が深まらない」「基本的な真宗理解を求める参加者の要望に応じるため」「参加者が話し合いに不慣れで嫌う傾向が強い」等の理由によるものです。こうした「実施が目的化」し「知識詰め込み型」の連研は、むしろ運動推進を阻害しかねません。「話し合いでは世間の雑談ばかりになりご法義の話にならない」という、連研開始当時のままの「一段高いところ」にいる僧侶の意識すら払拭しえていたい現状を考えると、実施組の拡大「偏重」にたっていないかを点検する必要があると思われます。
  また、「話し合い法座」ではあっても、全ての開催にあたって組外から講師を招いている組も相当数あります。
あるいは「僧侶が同座すると、質疑応答や僧侶の独演になる」「僧侶がいない方が参加者が本音で話し合える」との理由から、僧侶が話し合いには加わっていない組が大半を占めています。僧侶が門徒の現実の悩みや悲しみ苦しみに直接しようとせず、公式化した教学で現実の苦悩を「切り捨て」「忍従させ」「あきらめさせてきた」事実が、運動の出発点であり課題であったはずです。
「僧侶は聞き下手」だと気付けたことは、話し合い法座の成果です。「聞き上手な僧侶になる」を課題とし、「僧侶の前では門信徒が本音を話せない」を克服していく中に、豊かで温かな信頼関係に結ばれた、内実ある御同朋御同行が実現するはずです。「信心の社会性」という課題をうみだした僧侶の体質、門信徒との関係のありよう等を、連研の場を通しても学ぶ必要があると言えます。
(略)
  連研は、話し合い法座であるからこそ連研であり、一人ひとりの問い、現実の苦悩を出発点とするからこそ連研です。同朋運動の出発点は、差別と言う現実でありました。それは、差別を受ける者一人ひとりめ苦しみであり怒りです。同時に差別をするという生き方の悲しみであることも同朋運動は明かにしてきました。さらに教団の内外に差別が存在することは、教団にとっての痛み苦しみでもあるはずです。そうした苦・怒・悲・痛という現実が同朋運動の出発点であり、いつのときも「現実に学ぶ」のが同朋運動です。
  連研も同朋運動も、いつの時も、どの場にあっても「現実からの出発」でなければ異質なものとなり、それはもはや運動ではありません。そうした意味で連研は、同朋運動の一つの実践となり得るものです。ただし連研での話し合いが「真宗教義を教えるための手段」として行われていたのでは、むしろ同朋運動を阻害する要因となりかねません。今、連研の中心となっているノートDを用いていたとしても、教条的・観念的な話し合いやまとめの法話に終始するものであれば同様です。連研に関わる僧侶が「何故連研なのか」「何故運動なのか」をたえず自問し、真摯に話し合い法座に参加することが重要です。また、差別やヤスクニといった具体的な問い(テーマ)と、その他の問い、特に「浄土」や「み教え」についての問いとが関連した連研となっているかの点検が必要です。
  「現実問題」と「教え」あるいは「社会の問題」と「私の問題」といった二元論をどれほど話し合っても、運動としての成果は期待できたいでしょう。こうしたことが連研の今後の課題と言えます。
  問題を連研においての差別についての学ぴ、特に部落差別について見てみると、「差別・被差別からの解放」に向けて前進しつづあると言えます。
  連研に参加するご門徒の中で、地域や職場などで同和研修を経験している方が占める割合が年々増えてきています。話し合いの中で、差別論(「ねたみ差別」「寝た子起こすな」等)が出されたとき、参加者の中からその間違いを糾すような場面が増えています。僧侶より「人権意識」「同朋精神」の高い方が多くなってきているとさえ言えます。こうしたご門徒が推進員となり、運動の中核を占めつつある現状を考えると、連研・門徒推進員は同朋運動にとっての成果であり、今後の運動の展望を大きくひらいていく可能性と言えましょう。
  「僧侶のみ」となりがちであった運動を「門徒とともに」、さらには「門徒がリードする」運動への転換まで視野に入れて、同朋運動としての連研を模索していきたいと思います。
 


宗教と社会−−社会における宗教的信念−−
神戸修

  信心を議論している当の自分の理解において語る場合が当然にあるだろう。社会性の有無や社会性の内容は、結局は「私の信心理解」において語られる(というよりも、前の立場はすべて”私”の理解であるといえるのだが)。信心の社会性の問題と信心とは何であるかという問題は、ある意味では同一の問題である。その人がどのような信心理解をしているか(信心だけでなく、例えば往生でも念仏でも本願でも要するに、教学全体をどのようにとらえているかということ)を明確にすることと、信心の社会性を議論することとは密接につたがっている。
  いずれにしても、信心の社会性が問われることと信心の内容が問われることは一つである。この当然のことを強調しなければならないのは、この前提に立たずに、社会性が議論されることによって、結局「信心の社会性などない」という結論が主張される場合があるからである。
  かつて訓覇信雄は、「自己とは何かを問うことに忙しく、同和や靖国などやっているひまがない」と発言して非難を浴びた。しかしこの類いの考え方というのは、案外根強いかもしれない。例えばこの発言のかわりに、「私は信心とは何かを追求するのに忙しくて社会の問題など考えているひまはない」と言い換えてみるとしよう。すると案外多くの”賛同者”が現れるかもしれないのである。  しかし訓覇発言の問題点は、まさに「同和や靖国」から「自己とは何か」が問われているという視点の欠落にあるのであって、都合のいい言葉を引き合いにだして「信心に社会性などない」と主張する多くの人に欠落しているのはまさにこの視点なのである。この意味で「社会性が問われることと内容が問われることは一つ」という前提は常に強調されるべきことである。特にその問いが発せられた場所が差別という社会の現実であり、そこから差別を肯定するという社会性を帯ぴた僧侶という存在への厳しい問いかけがあって、信心の社会性が問われたという事実は、絶えず確認されてよいことである。
(略)
  社会が自分の「外部」に存在する客観的現象であるということは、当前のことかもしれない。しかし以下のことに留意する必要がある。
  差別発言を批判された場合、ほとんどの僧侶の決まり文句が、そんな「つもり」ではなかったというものであることは、周知の通りである。また北海道のある布教使の「北海道に差別などない」発言のように、差別を受けていない自分の「実感」をそのまま社会に投影してみたりする発言が宗教家に多いこともまた事実である。
この状況を考えてみると、特に日本の宗教家にとっては、社会は常に「実感」や「つもり」という自分の内部の出来事でしかないのである。
  社会性が問われるということは、もちろん宗教的信念の中身が問われるということには違いないが、重要なのはむしろその問いかけの方法である。それは社会に対して信念を一方的に主張するのではなく、信念と結果との齟齬(たとえば平等の救いを説きつつ差別を肯定し推進している)を「つもりではなかった」と安易に解消せず、むしろその事実から出発し、その齟齬の由来と構造を明らかにすることから、逆に宗教的信念の内容を問いかける、という方法である。信心に社会性があるという意味は、信心がこの社会「から」の問いかけに応答できる、ということにほかならない。
  逆に信心がその応答の力を欠き、むしろその応答をかえって阻害するものであるなら、まさにそのことによって、信心はそういう否定的な社会性を帯びていることを意味しているのである。
  信心の社会性は、信心の内容の社会性であることはもちろん、さらにその内容に対する社会からの問いかけに応答することを可能にする構造を保持しているということなのである。


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