以下の沖先生の論文は教学研究所紀要第9号に掲載された「『浄土にかえる』という表現をめぐって」という論文の草稿文です、紀要と合わせてお読み頂ければ幸いです。
掲載を許可していただきました沖先生の感謝いたします。

Is the Expression "Return to the Pure Land" a Kind of Heterodoxy?

by OKI, kazufumi

「浄土にかえる」という表現は

「宗義になきおもしろき名目」か?

種智院大学教授・大通寺住職  沖  和史

序論

一、教学研究所との折衝経過




『季刊せいてん no.44』(浄土真宗教学研究所、一九九八年九月)の「せいてん質問箱」において、深川は「浄土にかえる」という表現の出典は存在せず、この表現は「宗義になきおもしろき名目」であると断定した(1)。筆者は同年九月八日浄土真宗教学研究所(以下研究所)を訪れ、深川の所説を否定する典拠と筆者の理解を示し、四点にわたり著作責任と研究所の編集責任を質した(2)。同日午後研究所は「研究所会議の結果、この問題には賛否両論があり、それを公平に掲載する必要があるので、深川と沖とに誌面を提供して論じてもらうことを提案することに決定した。これが研究所の結論である」という内容の提案を示した。その後数回の協議を経て、『季刊せいてん』で簡単な議論を行い、詳論は『教学研究所紀要』で行うことで合意した。前者は『季刊せいてん no.47』(九九年六月)において実現した。
なお、深川は研究所を通じて筆者に二回「回答」を示した。この回答は研究所において宗学に基づく回答というお墨付きを得たものであるから、必要に応じて引用したい(3)

二、「せいてん質問箱」における回答の問題点

『季刊せいてん no.44』の「せいてん質問箱」では、「『お浄土にかえる』とは、どういうことですか?」という表題のもと、次の「質問」が研究所によって選ばれている。
最近、葬儀などで、「お浄土にかえる」という言葉をよく聞きます。 会葬の方がおっしゃることもありますが、ご遺族から「還浄しました」という知らせがあることもあります。「お浄土へ往く」とか、「お浄土へ参る」とはよく聞きましたが、「かえる」とはあまり使われていなかったように思います。いかがなものでしょうか。
これに対し深川[1998]は主として宗祖の言葉の使用法を問題とした結果、
やはりわれわれ凡夫衆生の往生を「お浄土にかえる」と言うのにふさわしい出典は見当らないように思います。
と結論づけるが、検討方法も結論も妥当とは言い難い(4)。これが第一の問題点である。彼はまた、
凡夫の往生を「浄土に還る」と言うのはふさわしくありません。/かえって「罪悪生死の凡夫、曠劫よりこのかたつねに没し、つねに流転して、出離の縁あることなしと信ず」(二一七頁)という「機の深信」は無いのかしらんといぶかしく思われますし、ひいては「願力に乗じて、さだめて往生を得と信ず」という「法の深信」も無いのかと疑われかねません。
と述べ、
あえて「宗義になきおもしろき名目」(「御文章」、一一七七頁)を使って、それを広めるほどのことはないと思います。/「お浄土へ往く」とか「参る」「往西方の本懐を遂げる」あるいは「往生成仏の素懐を遂げる」などという表現でおもしろくないのなら、もっとおしゃれで味わい深く、ご法義に適うような表現を探してみてください。
と「浄土にかえる」という表現を「異義」であり、「法義に適わないもの」であると断定する。これが第二の問題点である(5)
以上の二点を中心的課題として、宗祖の用例を検討することにより妥当な理解を導き出すことが拙論の目的である。もとより筆者は宗学者ではない。インド仏教学を専攻する学徒であり、住職である。したがって、宗学者にはより一層厳密な論議を期待している。
 

本論

一、宗祖の用例と類例




葬儀の席などで「故人が浄土におかえりになった」と表現するための教学的根拠は、まず宗祖の用例に求めなければならないだろう。その上で、宗祖の用例の根拠となったであろう用例を検討したい。
まず、「命終のとき『浄土にかえる』と使われる文脈で通ずる用例としては、『帰る』と『還る』、そして『来る(かへる)』とに集約できる」という深川[1998]の設定には妥当性がある。もちろん、深川が引用する「還来」「還帰」「帰去来」などの語も検討範囲に含まれる(6)
また、「法性のみやこへかへる」という表現はさまざまな表現に言い換えられている。したがって、それら言い換えられた表現を、類例として検討しなければならない。
 

二、用例の検討(7)

二一、「法性のみやこへかへる」




資料一(引文)  如来尊号甚分明  十方世界普流行  但有称名皆得往  観音勢至自来迎(五会法事讃)(唯信、原典版七九五、註釈版六九九)(8)

資料二(引文)  彼仏因中立弘誓  聞名念我総迎(五会法事讃)(唯信、原典版七九九、註釈版七〇四)(9)

資料三(引文)  極楽無為涅槃界  随縁雑善恐難生  故使如来選要法  教念弥陀専復専」(法事讃・下)(唯信、原典版八〇二、註釈版七〇九)(10)  

  資料一、二は「かへる」という「来」の字訓の根拠となる文である。資料三は類例の資料としてここに挙げた。

資料四  「来迎」といふは、

(A)「来」は浄土へきたらしむといふ、
これすなはち
(A1)若不生者のちかいをあらはす御のりなり。
(A2)穢土をすてて真実報土にきたらしめむとなり、すなはち
(A3)他力をあらはす御ことなり。

(B)また「来」はかへるといふ、かへるといふは、
願海にいりぬるによりて
(B1)かならず大涅槃にいたるを
(B2)法性のみやこへかへるとまふすなり。
法性のみやこといふは、
(B3)法身とまふす如来のさとりを自然にひらくときを、
みやこへかへるといふなり。これを
(B4)真如実相を証すともまふす、
(B5)無為法身ともいふ、
(B6)滅度に至るともいふ、
(B7)法性の常楽を証すともまふすなり。
このさとり(B1―7)をうれば、

(C)すなはち大慈大悲きはまりて生死海にかへり入りて(よろずの有情をたすくるを)普賢の徳に帰せしむとまふす。
(B8)この利益におもむくを「来」といふ、これを法性のみやこへかへるとまふすなり。(唯信、原典版七九七―八、註釈版七〇二、真蹟集成八 二七〇―四、真聖全二  六四一―二、六二四)(11)

資料四資料一の釈)で宗祖は「来」を二つにわけて釈している。第一釈は阿弥陀仏を主語として念仏者を浄土に「きたらしむ」と訓読している。阿弥陀仏が念仏者を浄土にこさせようとする働きは「若不生者(もし[念仏の衆生が浄土に]生まれなければ[私、法蔵は正覚を取らない])」という本願力(A1)、すなわち他力(A3)であることが示されている。したがって「きたらしむ(浄土にこさせる)」という表現は「生ぜしむ、往生せしむ(浄土に生まれさせる)」という表現と対応し、「生まる(浄土に生まれる)」という表現は「かへる(浄土にかえる)」という表現と対応していることが理解される(12)
第二釈は念仏者を主語として浄土(真実報土)に「かへる」と訓読している。「(若不生者の)願海にいりぬるによりて」念仏者は浄土にかえるのである。ここでも、念仏者が浄土に「生まれる」という表現と「かえる」という表現は同じ内容を表すことが明白である(13)。この表現は詳しくは(B2)「法性のみやこへかへる」と表現されている。したがって、浄土が「法性のみやこ」と表現されていることも明白である(14)
しかし、宗祖は「法性のみやこ」を土地として理解してはいない。浄土(真土)は「土」と象徴的に表現されているが、むしろ「無量の光明」という比喩により理解されている。それは、自利としては「入涅槃」「開悟」のあり方(B1―7)であり、利他としては菩薩行を行ずるあり方(B8)に他ならない(15)
以上のことは、次の資料五(資料二の釈)からも明らかである。

資料五  「総迎来」といふは、「総」はふさねてといふ、すべてみなといふこころなり。「迎」はむかふるといふ、まつといふ、他力をあらはすこころなり。
「来」は
(B)かへるといふ、
(A)きたらしむといふ、
(A4)法性のみやこへむかへ井てきたらしめ、
(A5)法性のみやこへかへらしむといふ。
(C)法性のみやこより衆生利益のために(この)娑婆界にきたるゆゑに、「来」といふ。これをきたるといふなり。(16)
(B2、B3)法性のさとりをひらくゆゑに、「来」をかへるといふなり。)(中略)
(B9)真実信心をうれば実報土に生るとをしへたまへるを、浄土真宗の正意とすとしるべしとなり。
「総迎来」は、すべてみな浄土へむかへて、かへらしむといへるなり。(唯信、原典版七九九―八〇〇、註釈版七〇五―七、真蹟集成第八巻二八六―九六、真聖全二  六四四―六、 六二六―八)
以上の資料から、「法性のみやこ」は「浄土」「真実報土」「大涅槃」「法身」「如来」「さとり」「真如」「実相」「無為」「滅度」「法性」「常楽」と言い換えることができる境地(「界」資料三)を指すこと、「かへる」は「いたる」「至る」「ひらく」「証す」「う」「おもむく」と言い換えることができる作用を示すことが判明する。また、「法性のみやこ」に対することばは「穢土」「娑婆界」であり、捨てられるべき境地であることも判明する(17)
さらに、「浄土」「真実報土」は場所的表現であり、それは「生る」場(B9)でもある。この点から、「かへる」という表現は「生まれる」「往生する」と同じ価値をもつことが判る。浄土はまたさとりの境地そのものでもある。その場合には「かへる」は「いたる(至、到、致)」「ひらく(開)」「証す」「う(得)」(18)という表現につながる。
これらの類例を検討するために、『唯信鈔文意』における、仏(仏願)を主語とする表現と念仏者を主語とする表現とを見てみよう。
仏(仏願)を主語とする表現は次の通りである。

資料六  この如来の尊号は、不可称不可説不可思議にましまして、一切衆生をして無上大般涅槃にいたらしめたまふ大慈大悲のちかひの御ななり。(原典版七九五―六、註釈版七〇〇)

資料七  「不簡貧窮将富貴」といふは、(中略)これらをまさにもつてえらばず、きらはず、浄土へゐてゆくとなり。(原典版八〇〇、註釈版七〇五)

資料八  すべてよきひと、あしきひと、たふときひと、いやしきひとを、無碍光仏の御ちかひにはきらはずえらばれずこれをみちびきたまふをさきとしむねとするなり。(原典版八〇一、註釈版七〇六―七)

資料九  如来の御ちかひをふたごころなく信楽すれば、摂取のひかりのなかにをさめとられまゐらせて、かならず大涅槃のさとりをひらかしめたまふは、すなはちれふし・あき人などは、いし・かはら・つぶてなんどを、よくこがねとなさしめんがごとしとたとへたまへるなり。(原典版八〇二、註釈版七〇八)(19)
如来の他力を示すこれらの資料の中では、資料七「浄土へ率てゆく」と資料八「これをみちびきたまふ」とが、基本動詞形(20)の用例である。したがって、この如来の他力に対応する念仏者の行為は受動形で示されるべきであろう。一方念仏者のさとりに関連する用例(資料六、九)は、資料四、五と同じく使役形が使われる。したがって、この如来の他力に対応する念仏者の行為は基本動詞形で表されることになる。
凡夫念仏者を主語とする表現は以下の通りである。すべて基本動詞形で示され、受動形の例は示されない。

資料一0  しかれば大小の聖人・善悪の凡夫、みなともに自力の智慧をもつては大涅槃にいたることなければ、(原典版七九六、註釈版七〇〇)

資料一一  かやうのさまざまの戒品をたもてるいみじきひとびとも、他力真実の信心をえてのちに真実報土には往生をとぐるなり。みづからの、おのおのの戒善、おのおのの自力の信、自力の善にては実報土には生れずとなり。(原典版八〇〇、註釈版七〇六)

資料一二  「但使回心多念仏」といふは、「但使回心」はひとへに回心せしめよといふことばなり。「回心」といふは自力の心をひるがへし、すつるをいふなり。実報土に生るるひとはかならず金剛の信心のおこるを「多念仏」と申すなり。(中略)自力のこころをすつといふは、やうやうさまざまの大小の聖人・善悪の凡夫の、みづからが身をよしとおもふこころをすて、身をたのまず、あしきこころをかへりみず、ひとすぢに具縛の凡愚・屠沽の下類、無碍光仏の不可思議の本願、広大智慧の名号を信楽すれば、煩悩を具足しながら無上大涅槃にいたるなり。(原典版八〇一、註釈版七〇七)

資料一三  「涅槃界」といふは無明のまどひをひるがへして、無上涅槃のさとりをひらくなり。(原典版八〇二―三、註釈版七〇九)

資料一四  「随縁雑善恐難生」といふは、(中略)実報土には生れずときらはるるゆゑに「恐難生」といへり。「恐」はおそるといふ、真の報土に雑善・自力の善生るといふことをおそるるなり。「難生」は生れがたしとなり。(原典版八〇三―四、註釈版七一〇―一一)

資料一五  横はよこさまといふ、超はこえてといふ、よろづの法にすぐれて、すみやかに疾く生死海をこえて仏果にいたるがゆゑに超と申すなり。これすなはち大悲誓願力なるがゆゑなり。(原典版八〇四、註釈版七一一―二)(21)

以上の用例検討から、「きたらしむ・かへる」「かへらしむ・かへる」という使役形・基本動詞形のセットを、「いたらしむ・いたる」というモデルの変形として取り上げることができると考えられる(22)
 

二二、「法性のみやこ」




つぎに「法性のみやこ」の用例を検討する。「法性」の同義異語はすでに資料四に示されている。これと同類のリストは『唯信鈔文意』にあり、また「証巻」に見られる。
資料一六
  「極楽無為涅槃界」といふは、「極楽」と申すはかの安楽浄土なり、よろづのたのしみつねにして、くるしみまじはらざるなり。かのくにをば安養といへり、曇鸞和尚は、「ほめたてまつりて安養と申す」とこそのたまへり。また『論』(浄土論)には「蓮華蔵世界」ともいへり、「無為」ともいへり。「涅槃界」といふは無明のまどひをひるがへして、無上涅槃のさとりをひらくなり。「界」はさかひといふ、さとりをひらくさかひなり。大涅槃と申すにその名無量なり、くはしく申すにあたはず、おろおろその名をあらはすべし。「涅槃」をば滅度といふ、無為といふ、安楽といふ、常楽といふ、実相といふ、法身といふ、法性といふ、真如といふ、一如といふ、仏性といふ。仏性すなはち如来なり。この如来、微塵世界にみちみちたまへり。すなはち一切群生海の心なり。この心に誓願を信楽するがゆゑに、この信心すなはち仏性なり、仏性すなはち法性なり、法性すなはち法身なり(唯信、原典版八〇二―三、註釈版七〇九)
  この資料(資料三の釈)では「無為」ということばを媒介にして、「極楽」という浄土世界と「涅槃」という証果とが同義異語として並べられていることを知ることができる。
「極楽」の異名は「安楽浄土」「安養」「蓮華蔵世界」「無為」である。「涅槃界」は明示されていないが、極楽の異名として理解すべきである(23)
「涅槃」の異名は「滅度」「無為」「安楽」「常楽」「実相」「法身」「法性」「真如」「一如」「仏性」が挙げられ、ついで「仏性すなはち如来なり」という釈に始まり、「信心すなはち仏性なり、仏性すなはち法性なり、法性すなはち法身なり」という釈に続く(24)。仏土と仏果と仏身とが並列されているのが宗祖の涅槃観であると言えるだろう。
しかし「証巻」における「涅槃」の異名では、仏果のみが挙げられ、それが「如来」の活動(報身)の源泉と位置づけられる。

資料一七
  つつしんで真実の証を顕さば、すなはちこれ利他円満の妙位、無上涅槃の極果なり。すなはちこれ必至滅度の願(第十一願)より出でたり。また証大涅槃の願と名づくるなり。しかるに煩悩成就の凡夫、生死罪濁の群萌、往相回向の心行を獲れば、即のときに大乗正定聚の数に入るなり。正定聚に住するがゆゑに、かならず滅度に至る。かならず滅度に至るはすなはちこれ常楽なり。常楽はすなはちこれ畢竟寂滅なり。寂滅はすなはちこれ無上涅槃なり。無上涅槃はすなはちこれ無為法身なり。無為法身はすなはちこれ実相なり。実相はすなはちこれ法性なり。法性はすなはちこれ真如なり。真如はすなはちこれ一如なり。しかれば弥陀如来は如より来生して、報・応・化、種々の身を現じたまふなり。(原典版三八七、註釈版三〇七)
「真実の証」は「利他円満の妙位」「無上涅槃の極果」であり、「かならず滅度に至る」以下順に「常楽」「畢竟寂滅」「無上涅槃」「無為法身」「実相」「法性」「真如」「一如」と言い換えられる。これは資料四、一六に示される単語のリストと基本的に一致する。
つぎに「法性のみやこへかへる」と同じ価値をもつ文において「法性」が複合語の要素になっている用例を挙げよう。

資料一八  蓮華蔵世界に至ることを得れば、すなはち真如法性の身を証せしむ(「行巻」原典版二五七、註釈版二〇五)

資料一九  行者まさしく金剛心を受けしめ、慶喜の一念相応してのち、韋提と等しく三忍を獲、すなはち法性の常楽を証せしむ(「行巻」原典版二五八、註釈版二〇六)

資料二〇  煩悩を具足せる凡夫人、仏願力によりて信を獲得す。(中略)安楽土に到れば、かならず自然に、すなはち法性の常楽を証せしむとのたまへり(『入出二門偈』原典版六八八、註釈版五五〇)

資料二一(引文)  一切善悪の凡夫、生ずることを得るは、みな阿弥陀仏の大願業力に乗じて増上縁とせざることなしとなり。(中略)仰いでおもんみれば、釈迦はこの方より発遣し、弥陀はすなはちかの国より来迎す。かしこに喚びここに遣はす。あに去かざるべけんや。ただねんごろに法に奉へて、畢命を期として、この穢身を捨てて、すなはちかの法性の常楽を証すべし(「証巻」原典版三九三、註釈版三一二)

資料二二(引文)  仏に随ひて逍遥して自然に帰す。自然はすなはちこれ弥陀の国なり。無漏無生、還りてすなはち真なり。行来進止につねに仏に随ひて、無為法性身を証得す(「真仏土巻」原典版四六七―八、註釈版三六九)
以上の資料においては動詞はすべて「証(得)す」となっている(25)。これらの用例は資料四における(B4)真如実相を証す、(B5)無為法身、(B7)法性の常楽を証すの用例と対応している。したがって「法性のみやこ」は、「真如法性の身」「無為法性身」「法性の常楽」と同義である。そして仏身を表す「身」を除けば「法性のみやこ」という「土」を表す象徴表現の根拠は「法性の常楽」に絞られる。宗祖が「みやこ」と訓読する漢字は「城」と「楽」とである。

資料二三  速やかに寂静無為の楽(みやこ)に入ることは  必ず信心を以て能入とすといへり(「行巻」原典版二五九、註釈版二〇七、真蹟集成第一巻 一五二)

資料二四(引文)  西方寂静無為の楽(みやこ)には、畢竟逍遙(せうえう)して有無を離れたり(「証巻」原典版三九三、註釈版三一二、真蹟集成第一巻 三四八)

資料二五(引文)  西方寂静無為の楽(みやこ)は、畢竟逍遙して有無を離たり(「真仏土巻」原典版四六七、註釈版三六九、真蹟集成第二巻 四六二)

資料二六(引文)当知生死之家  以疑為所止  涅槃之城  以信為能入(原典版七六八、註釈版六六五)  

資料二七  涅槃之城とまふすは、安養浄刹をいふ也。これを涅槃のみやことはまふすなり。以信為能入といふは、真実信心をえたる人の如来の本願の実報土によくいるとしるべしとのたまへるみことなり。信心は菩提のたねなり。無上涅槃をさとるたねなりとしるべしとなり(原典版七六九、註釈版六六六―七)

資料二八  猶正道の如し、諸の群生をして智城(左訓、みやこ)に入らしむるが故に」(「行巻」原典版二五一、註釈版二〇〇、真蹟集成第一巻 一四〇)  
したがって、次の文中の「城」も「みやこ」と読まれるのが常である。

資料二九(引文)  帰去来(いざいなむ)、魔郷には停まるべからず。曠劫よりこのかた六道に流転して、盡ごとく皆経たり。到る処に余の楽なし。ただ愁歎の声を聞く。此の生平を畢へて後、かの涅槃の城に入らん、と。(「証巻」原典版三九四、註釈版三一二。「真仏土巻」原典版四六七、註釈版三六九)
  また、資料二三の基となっているのが資料二六(選択集八五参照)という源空の文であることにより、宗祖はこの二字を同じ意味で使用したことが明らかである。
 

二三、「かへる」と「帰去来」と二河喩




したがって、次に「みやこに入る」(資料二三、二七、二八、二九)  から「みやこへかへる」(資料四、五)へと表現を変更する根拠を明らかにしなければならない。
結論から言えば、善導の表現が根拠となったと言うことができる。仏果を明らかにする「証巻」と仏身仏土を明らかにする「真仏土巻」とに引用される資料二九がその直接の明証である。この文には、獲信のときの決意が「帰去来(いざいなむ)、魔郷には停まるべからず」「此の生平を畢へて後、かの涅槃の城に入らん」と並べて述べられている。そして穢土を停留すべきでない「魔郷」ととらえ、浄土を入るべき「涅槃のみやこ」すなわち帰るべき故郷と捉えているこの構図は、「(A2)穢土をすてて真実報土にきたらしめむ」という本願他力に呼応して、念仏者が「願海にいりぬるによりて(B1)かならず大涅槃にいたる」すなわち「(B2)法性のみやこへかへる」という資料四の構図にみごとに対応している。違いは、前者が獲信のときの意志を述べたものであるのに対し、後者は「真実の証」の実現を描写している点である。いわば、原因の描写と結果の描写の違いと言えようか。

しかし、宗祖は資料二九を「信巻」では引用せず、「証巻」と「真仏土巻」でしか引用していない。このことは、資料四において宗祖が「かへる」ということばを専ら「証大涅槃」の意味で使用したことと対応する。
  「帰去来」の用例は「行巻」「化身土巻」にも見られる。

資料三〇(引文)  あまねく道場の同行のひとを勧む。努力(ゆめゆめ)回心して帰去来(いざいなむ)。借問(と)ふ、家(か)郷は何の処にか在る。極楽池のうち七宝の台なり。彼の仏の因中に弘誓を立てたまへり。み名を聞きてわれを念ぜば総(すべ)て迎へ来へらしめん。(中略)借問(と)ふ、何の処を相ひ尋(たづ)ねて去(ゆ)かんと。報(こた)へて(いは)く、弥陀浄土の中(うち)へ(「行巻」原典版二一六―七、註釈版 一七三―四、真蹟第一巻  九一―二、真聖全二  二五)
  ここでは明確に浄土が「家郷」(故郷)として捉えられている。

資料三一(引文)  帰去来(いざいなむ)、他郷には停まるべからず。仏に従ひて本家に帰せよ。本国に還りぬれば、一切の行願、自然に成ず(「化身土巻」原典版五二〇、註釈版四一一、真蹟第二巻  五四七、真聖全二  一六五。参照、七祖五八五)
  ここでも停留すべきではない(26)「他郷」(すなわち厭い捨てられるべき穢土)に対比して浄土は「本家」「本国」と表現され、帰還すべき故郷として認識されている。
したがって、宗祖の「法性のみやこへかへる」という表現の根拠となっている、善導の浄土思想において示される「故郷」観が検討されねばならない(27)

参考資料一  帰去来、極楽安身実是精(帰去来、極楽は身を安んずるに実にこれ精なり)(「定善義」七祖原典五一〇、七祖四五〇)

参考資料二  慶得希聞自家国諸仏証判得還帰(慶ばしきかな、希に自家国を聞くことを得たり。諸仏還帰することを得と証判したまふ)(『法事讃』下  七祖原典六四六、七祖五七〇)

参考資料三  寄言有縁同行者  努力翻迷還本家(言を有縁の同行者に寄す。つとめて迷ひを翻して本家に還れ)(『往生礼讃』七祖原典七九一、七祖七〇〇)

参考資料四  慶得人身聞要法  願往生  頓捨他郷帰本国  無量楽(慶ばしきかな人身を得て要法を聞き たちまちに他郷を捨てて本国に帰ること)(『般舟讃』七祖原典八三四、 七祖篇七三八)

参考資料五  十方如来舒舌証  願往生  定判九品得還帰  無量楽(十方の如来舌を舒べて証して  九品還帰することを得と定判したまふ)(『般舟讃』七祖原典八四〇、七祖七四六)

参考資料六  去来他郷不可停従仏帰家還本国一切行願自然成(去来他郷には停まるべからず。仏の帰家に従ひて本国に還りぬれば、一切の行願自然に成ず)(『法事讃』下  七祖原典六六三、七祖五八五)

参考資料七  行者見仏光明喜  願往生  即坐七宝蓮華上  無量楽  従仏須臾還宝国 願往生  到即直入宝池中  無量楽(行者仏の光明を見て喜び  即ち七宝蓮華上に坐し  仏に従ひて須臾に宝国に還り  到りて即ち直ちに宝池の中に入る)(『般舟讃』七祖原典 八七九―八〇、七祖七八五)
齋藤[1994]は「往生浄土」の代わりに「還本国」「帰本国」などと善導が表現した理由を、善導の体験(親縁という仏との親密さ)と詩人としての資質に見出している。「法性のみやこへかへる」という表現にかかわる宗祖の引文が資料三〇を除いて(28)善導の文であることは決して偶然ではなく、善導の故郷観を受け継いだからだと推定することができる。
「帰去来」ということばが陶淵明の詩に由来することは、大方の指摘するとおりである。この詩は官吏の職を辞したときの心境を吐露したものであるが、その序文には自発的な意志で職を去った事情が示されている。そして本篇では「帰去来」という帰郷の決意にしたがって本来の道に立ち戻り、船旅の末帰宅して安らいだ模様が描かれている。この雰囲気は参考資料一、二、四、六に窺うことができる。したがって「帰去来」という比喩表現は、帰郷の決意と回心(帰るべき故郷の発見と確定)、船旅と現生正定聚(故郷への確実なあゆみ)、帰宅と入涅槃(帰郷)という対応を通じて理解することができる(29)。この確定(信)・あゆみ・帰郷の構造は二河喩においても見ることができる。宗祖は二河喩を「いたる」という語の説明に用いている。

資料三二
  これはすなはち無上大涅槃にいたるを申すなり。信心のひとは正定聚にいたりて、かならず滅度に至ると誓ひたまへるなり。これを「致」とすといふ。むねとすと申すは涅槃のさとりをひらくをむねとすとなり。「凡夫」といふは、無明煩悩われらが身にみちみちて、欲もおほく、いかり、はらだち、そねみ、ねたむこころおほくひまなくして、臨終の一念にいたるまでとどまらず、きえず、たえずと、水火二河のたとへにあらはれたり。かかるあさましきわれら、願力の白道を一分二分やうやうづつあゆみゆけば、無碍光仏のひかりの御こころにをさめとりたまふがゆゑに、かならず安楽浄土へいたれば、弥陀如来とおなじく、かの正覚の華に化生して大般涅槃のさとりをひらかしむるをむねとせしむべしとなり。これを「致使凡夫念即生」と申すなり。二河のたとへに、「一分二分ゆく」といふは、一年二年すぎゆくにたとへたるなり。(一多、原典版七九一、註釈版六九三)
同じく二河喩に関連する重要な資料が『愚禿鈔』に見える。

資料三三  来言対去対往也又欲令還来報土也(「来」の言は、去に対し往に対するなり。また報土に還来せしめんと欲してなり)(原典版六七三、註釈版五三九)
(意訳)「[わが国に]きたれ」ということばは、[語義上、わが国より]「去れ」「往け」という語の反対語です。また、[阿弥陀仏が「きたれ」と呼ばれるのは、念仏の行者をして]浄土に還らせようと[阿弥陀仏が]望まれてのことです。
  資料四の「来」の字訓「かへる」を「還来の義」と解釈する根拠はこの文にあると思える。資料三三は「汝一心に正念にして直ちに来たれ、我能く汝を護らむ」(「信巻」原典版二八〇、註釈版二二四)と行者を喚ぶ阿弥陀仏の誓願にかんする釈である。第一釈は語義を示す釈であり、第二釈は発言の意図を明かす釈であるから、これを混同してはならない。そしてこの第二釈は本願他力の働きを示す「かへらしむ」という「来」の字訓(資料五)につながることに留意すべきである(30)
したがって、行者を主語とする場合には「かへる」となり、その漢字は「還」「来」どちらも使われることが明白である。この漢字「還」の使用も善導に基づいていることは、資料三一(還本国)の引用とその用法を支持する参考資料二(還帰)、(還本家)、(還帰)、(還本国)、(還宝国)から推定することができる。
 

三、結論




以上、宗祖が「法性のみやこへかへる」と表現した用例とその典拠を示した。
宗祖は善導の浄土思想に見られる故郷観を受容して、「来」の字訓を仏願を主語とする「かへらしむ(きたらしむ)」と念仏者を主語とする「かへる」に分け、本願他力により行者が涅槃にいたり(悟りを得て)菩薩行を行ずることを「法性のみやこへかへる」と表現したのである。
したがって、念仏者の死を「浄土にかえる」と表現する根拠は「法性のみやこへかへる」という表現とそれに関連する種々の表現であることが確定した。「還浄」「還帰」の語は「化身」「還相の菩薩」にのみ使うことができるという憶測も、資料の採用の偏向に基づくものであることが明らかになった。
 

三一、「浄土に居す」

しかし、なぜ宗祖が浄土を故郷と見なしたのかという宗祖の内奥は、文献学的解釈法によっては知ることができない。だからこの問題に対する一資料を提供し若干の解釈を試みる。
資料三四
  浄土の真実信心の人は、この身こそあさましき不浄造悪の身なれども、心はすでに如来とひとしければ、如来とひとしと申すこともあるべしとしらせたまへ。(中略)光明寺の和尚(善導)の『般舟讃』には、「信心のひとは、その心すでにつねに浄土に居す」(意)と釈したまへり。「居す」といふは、浄土に、信心のひとのこころつねにゐたり、といふこころなり。これは弥勒とおなじといふことを申すなり。これは等正覚を弥勒とおなじと申すによりて、信心のひとは如来とひとしと申すこころなり(原典版八四五―六、註釈版七五八―九)
信心の人の心はすでに浄土につねに存在しているという理由で、その人を「如来とひとし」と言うこともあると宗祖は語る。もちろん、「身」の事実は「煩悩具足」でありこの穢土に留まるが「心」のみは「身」から離れて浄土という他界に行ってしまっている、という意味ではない。「願力の白道を一分二分やうやうづつあゆみゆけば」(資料三四)という生き方を選び、煩悩の水火を怖れず本願力をよりどころとして生き抜く念仏者が「如来とひとし」いのである(資料一二参照)。このように「心すでにつねに浄土に居す」信心の人にとって、浄土は心(信心)の故郷と感じられるであろう(31)
 

三二、「さきだちて滅度にいたる」

また、歴史的に「還浄」という表現があまり使われなかった事実についても、文献学は無力である(32)。ただ、宗祖在世当時の同朋の死を表記した資料は存在する。「法性のみやこへかへる」と同類の表現である「滅度にいたる」も使われていたことを知ることができる。宗祖にしたがって宗教的象徴的表現を自由に使った当時のありさまを窺うことができる。

資料三五
  信心たがはずしてをはられて候ふ。(中略)「死するほどのことならば、帰るとも死し、とどまるとも死し候はんず、また病はやみ候はば、帰るともやみ、とどまるともやみ候はんず。おなじくは、みもとにてこそをはり候はば、をはり候はめと存じてまゐりて候ふなり」と、御ものがたり候ひしなり。この御信心まことにめでたくおぼえ候ふ。善導和尚の釈(散善義)の二河の比喩におもひあはせられて、よにめでたく存じ、うらやましく候ふなり。をはりのとき、南無阿弥陀仏、南無無碍光如来、南無不可思議光如来ととなへられて、手をくみてしづかにをはられて候ひしなり。またおくれさきだつためしは、あはれになげかしくおぼしめされ候ふとも、さきだちて滅度にいたり候ひぬれば、かならず最初引接のちかひをおこして、結縁・眷属・朋友をみちびくことにて候ふなれば、しかるべくおなじ法文の門に入りて候へば、蓮位もたのもしくおぼえ候ふ。(原典版八五〇―一、註釈版七六六―七)

資料及び略号表




一多      『一念多念文意』
『愚迷発心集』(『鎌倉旧仏教』日本思想体系15、岩波書店、1971)
原典版    『浄土真宗聖典』本願寺出版部、1985.
七祖      『浄土真宗聖典七祖篇(註釈版)』本願寺出版社、1996.
七祖原典  『浄土真宗聖典七祖篇』本願寺出版社、1992.
真聖全二  『真宗聖教全書  二  宗祖部』興教書院、1949.
真蹟      『親鸞聖人真蹟集成』法蔵館、1973-4.
選択集    『選択本願念仏集(浄土真宗聖典―原典版―)』本願寺出版部、1985.
註釈版    『浄土真宗聖典(註釈版)』本願寺出版部、1988.
唯信      『唯信鈔文意』
 

参考文献

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1999「親鸞聖人のおことばにしたがって浄土にかえろう」『季刊せいてんno.47』浄土真宗教学研究所.
1999a「『還浄』運動と教学論争」上中下、中外日報、1999.7.1,  7.3,  7.6.
2000  「『還浄』考  親鸞聖人の象徴的表現」中外日報、2000.3.7.
小武正教
1998『真宗と葬儀―同朋運動の視点から―』本願寺出版社
2000「『還浄』で何を問うのか 第二ラウンド『還浄』論争」上下、中外日報、2000.3.30,  4.1.
小山一行
2000「高僧和讃に聞く〈35〉」『大乗』通巻597号
齋藤隆信
1994「善導の還帰往生」印度学仏教学研究  42−2.
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1997「『浄土和讃』に聞く〈最終回〉」『大乗』通巻562号
『中外日報』2000.2.3.  「読者の広場」(櫻部建、入井義樹、城山大賢)

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深川宣暢
1998「『お浄土にかえる』とは、どういうことですか?」『季刊せいてんno.44』浄土真宗教学研究所
1999「ふたたび、『浄土にかえる(還浄)』について  ご意見ご質問への答え」『季刊せいてんno.47』浄土真宗教学研究所
普賢晃寿
2000「聖典読本  唯信鈔文意(9)」『宗報』2000.1.
2000a「聖典読本  唯信鈔文意(10)」『宗報』2000.2.  
2000b「聖典読本  唯信鈔文意(12)」『宗報』2000.4.  
2000c「聖典読本  唯信鈔文意(15)」『宗報』2000.7.  
2000d「聖典読本  唯信鈔文意(16)」『宗報』2000.8.
霊山勝海
2000「正信偈を味わう(24)」『大乗』通巻598号
森田真円
2000「お浄土にかえる?  還相回向」『ひらがな真宗』本願寺出版社



  深川[1999]は、この考えを訂正していないが、「法義」  として「浄土にかえる」という表現は可能であることを次の通り認めている。「現生(平生)において『浄土にかえる』とする宗祖の用例はかなり多くありますし、平生と臨終、現生と来生、現・当の二益は因果関係にありますから、法義として通じていくのは当然ですが、今の問題は平生業成を宗義とする当流の、人の臨終(命終)に際して使われる言葉づかいの問題です。」(傍線筆者、以下同じ)「法義として通じていくのは当然」なのであれば、「もっとおしゃれで味わい深く、ご法義に適うような表現を探してみてください」という見解(深川[1998])は訂正されるべきである。

  また、「現生(平生)において『浄土にかえる』とする宗祖の用例」は、筆者の見たところ存在しない。これは、深川が「(浄土に)かえる」という念仏者のあゆみ・帰着と「(本願に)帰する」という信一念とを混同した結果である(註29参照)。したがって、「平生と臨終、現生と来生、現・当の二益は因果関係にありますから、法義として通じていくのは当然です」という文は、むしろ臨終の表現が平生の表現に転用されるという意味で書かれるべきである。その実例は以下の通りである。
わがちからもさとりもいらぬ他力の願行をひさしく身にたもちながら、よしなき自力の執心にほだされて、むなしく流転の故郷にかへらんこと、かへすがへすもかなしかるべきことなり。(中略)自力のひがおもひをあらためて、他力を信ずるところを、「ゆめゆめ、迷ひをひるがへして本家に還れ(礼讃、七祖七〇〇)ともいひ、「帰去来、魔郷には停まるべからず」(定善義)とも釈するなり。(『安心決定鈔』末、原典版一三三五―六、註釈版一三九九―一四〇〇)
  この資料は、「むなしく流転の故郷にかへる」という表現もあり興味深い。自力(能力主義)に陥っている限り穢土が「故郷」と観念されるという考え方であろう(だから回心すなわち信一念における故郷観の転換が重視されるのである)。この「むなしく流転の故郷にかへる」の用例は宗祖の「還来生死輪転家  決以疑情為所止」(正信偈)を典拠とすると思える。その自力の間違った信念を改めて他力の信を得ること、すなわち「本願に帰する」ことを「本家に還る」「帰去来」と善導が釈しているというのである。齋藤[1994]が示しているように、善導は臨終時の「往生」を「還帰」などと言い換えているのであるから、この例は臨終の表現が平生の表現に転用された実例である。(あるいは、宗祖の釈と同じく、信を得たときにが「本家に還れ」という呼びかけをし、また「さあ穢土を捨てて故郷・浄土に帰ろう」と自ら決意するのだと示しているともとれる。)
次に、「平生業成を宗義とする当流の、人の臨終(命終)に際して使われる言葉づかいの問題」という表現は意味が明確ではないが、法義として通じる表現も、「平生業成の宗義」という観点から見ると、不適切であるということらしい。深川[1999]は次のように主張する。「妙好人・浅原才市同行が、ご法義をよろこんでお称名することを『念仏の咳が出る』と表したことが、出典はなくてもおもしろい表現だとされるとしても、それを単純に一般化し広めて、『お称名いたしましょう』という場面で、『念仏の咳をしましよう』と表現することがふさわしいとは思えないのと同様に、『浄土にかえる』『還浄』という表現を単純に一般化することは、適切でないという結論を示したのが、私の前回の答えでした」
「出典はなくても」という説は深川独自のものであり、最近の還浄反対論者も「浄土にかえる」という表現は宗祖の表現を根拠としていることを認めている(彼らは「還」の字の使用に反対しているのみである)。平生業成を宗義とする(他にも「正定滅度」などを宗義とするのであろうが)本願寺派において、人の死を表現するのに「還浄」「帰浄」が不適切であるという論拠は深川[1998][1999]には示されていない。つまり「法義」として通じる表現が「宗義」としては不適切であるということは、深川の文では判らないのである。

2  筆者が研究所の編集責任を質したのは、この記事が読者の質問に対する雑誌側からの回答だからである。筆者は、「往生成仏」とはどのような事態を指すのかということこそ、現代において答えられねばならない主題だと考えている。その意味では、臨終に際して念仏者が浄土に「往く」のか、それとも「かえる」のか、という教学問題の立て方それ自体は筆者の興味を引くものではない(どちらも同じ事態を指す宗教的象徴的表現である)。しかし、このような見解が宗学者により研究所編集の雑誌に掲載されることは見過ごしがたいと考え、あえて以下の四点にわたる問題を提起したのである。以下、研究所と深川に対する筆者の要望を転載する。
 
1. 以下の通り、典拠と私の理解(筆者註、典拠と筆者の理解は省略)をお示しいたします。これらの典拠と私の理解について私の扱いと理解の仕方が間違っている理由、およびこれらの文が「(念仏の衆生が)浄土(真実の故郷)にかえる」という意味をもたない根拠を、編集者および深川氏がご返答くださるようお願い申し上げます。

2. もし私の理解に妥当性があるとすれば、なぜ、私が示した理解を阻むように深川氏が引用文を選択したのか、また、編集者がなぜこの意図的な引用と説明、すなわち歪曲をチェックすることができなかったのか、納得ゆくようにご回答くださいませ。

3. さらに、教学研究所の編集責任および深川氏の著述責任を明らかにする訂正文の掲載(公表)をお願いいたしたいと存じます。その時には、以下に掲げる典拠を公平に掲載していただくようお願いします。深川氏と教学研究所の責任あるご返答をお待ちいたします。とくに、「『機の深信』は無いのかしらんといぶかしく思われますし」「『法の深信』も無いのかと疑われかねません」「あえて『宗義になきおもしろき名目』を使って、それを広めるほどのことはないと思います」という深川氏の暴言は、まさしく自分勝手で傲慢な謗言・妄言だと存じます。

4. 現在広島県、山口県、島根県などで、真宗に物忌みなしという信心運動として「忌中」「喪中」廃止運動が自発的に行われております。その中に、清め塩の廃止とともに、当面「忌中」の張り札・提灯などを「還浄」の張り札・提灯などに変更することにより、死穢という迷信をおそれぬ信心のありようを広める活動も含まれています。この運動は張り札不要まで進めるのが必要だと私は思っておりますが、この記事はこのような運動を阻害するものであると存じます。深川氏は山口教区のお方と存じます。信心回復運動の視点から、教学研究所ともども「還浄」運動推進を支援する仲間に加わっていただきたいと念じます。



同じ時期、小武正教は研究所と深川に対して公開質問状を送っている。その内容と深川の回答は現在インターネットホームページ「坊さんの小箱」で公開されているので、興味のある方は参照されたい。深川の小武に対する回答は筆者に対する回答とほとんど同一である。

深川[1998]に対する基本的批判は沖[1999]を参照されたい。深川[1999]はそれに対する反論を含むはずであるが、論点がかみ合っていない。たとえば、深川は「また大師は陶淵明の言葉を借りて『浄土』を『故郷(ふるさと)』になぞらえて表現されますが、それはわれわれが通常に使う『生まれ、育った土地』という意味ではありません。われわれは『曠劫よりこのかた六道に流転して』きたわけですから、われわれ凡夫の『ふるさと』とは、むしろ『歎異抄』に『久遠劫よりいままで流転せる苦悩の旧里(ふるさと)』とある表現の方がふさわしいと考えて、本文にはそれを引用したわけです」と答え、宗祖・善導のことばの使い方を無視した恣意的引用であることを無自覚的に告白している。宗祖は浄土も穢土も「故郷」になぞらえていることを前提として議論すべきであるからである。
また、テーマは「親鸞聖人が使われた『かえる』という字」(深川[1998])であるはずなのに、ここでは「われわれが通常に使う『生まれ、育った土地』という意味」と述べ、宗祖が使ったことばの問題に「われわれが通常に使う」ことばの問題を絡めている。これは方法としても誤りであることは明白であるが、テーマを恣意的に変更する誤りでもある。このような恣意性は実りある議論を不可能にする要因である。
また、「われわれが通常に使う『生まれ、育った土地』という意味」は、あくまで深川の理解に過ぎない。実際には、われわれはもっと豊富なことばの使用法を知っている。例えば、中国で生まれ育った「中国残留日本人孤児」とその子孫たちは、日本に「一時帰国」「永住帰国」することができ、外国で生まれた日本国籍の子供も日本に帰ると「帰国子女」と呼ばれる。「国籍」「民族」の観点から彼らの「故郷」は日本なのだから、これらは当然に使うことができる「帰」の表現である。さらに、故国を失った者の「故郷」に関する現代人の考察の一例として、井上靖の『孔子』(新潮社、一九八九)を挙げることができる。

最近では、信楽[2000]が同じ問題点を抱えている。すなわち、第一点に関しては、宗祖の用例を検討するのに、漢字の「原義」を設定して用例を解釈するという過ち(実際には、用例の検討に基づいて字義を決定するべきである)を犯し、第二点に関しては、「還浄」という表現を使用するものを「異安心」として取り締まれという主張を展開している。このことは、用例検討の方法が宗学において確立していないことを暗示し、また、安易に「異安心」「異義」に言及する権威主義を暗示している。
それに対し、石田慶和前所長によれば、研究所は宗学を宗教学でいう「神学」に分類し、複数の解釈妥当性を許容する立場に立つ。その成果の一つが沖[1999]の『季刊せいてん』への採用であると筆者は理解している。

信楽[2000]は「かえる」を漢字で表すのに「還」「帰」の二字のみに限定するが、「来」を除外する妥当性はない。なぜなら、「来」に「かへらしむ」「かへる」の字訓があるからである。「帰」は「帰去来」の字訓として「いざいなむ」と読まれるほか、「きす」とも訓読されている。原則的には、「いぬ(帰、去)」が成仏を意味し、「きす」が帰依・信順(信心獲得)を意味すると言いうるであろうが、検討を要する。拙論ではこの「きす」という字訓の問題は扱わない。

以下、用例検討に用いる資料は原則として『原典版』『註釈版』とする。必要に応じて『真蹟』『真聖全二』などを利用する。なお、「還浄」反対論にたいする筆者の文献学にもとづく批判は、『日本仏教学会年報』第六六号に掲載される予定である。本稿は、解釈の問題に踏み込んで論じている。

この文は「行巻」に引用され、「如来の尊号は甚だ分明なり  十方世界に普く流行せしむ  但み名を称するのみ有[り]て皆往[く]ことを得(う)  観音勢至自(おのづから)来り迎へたまふ」(原典版二一三、註釈版一七一、真蹟第一巻八七)という宗祖の読み方が知られる。これは観音勢至の来迎を認めるごく自然な読み方である。『唯信鈔文意』においては、次に来る資料二の「来」の読みにかかわって、この文が臨終来迎ではなく現生護念を示していることを徹底した釈を示されたと思える。普賢[2000]は「臨終来迎の意ではなく、上記の如く常随影護の義で釈されている」(三三上)と説明し「かの仏すなはち無数の化仏、無数の化観音・勢至菩薩を遣はして、行者を護念せしめたまふ」(三六下―三七上)などを引用している。

「彼の仏の因中に弘誓を立てたまへり  み名を聞きて我を念ぜば総(すべ)て迎へ来へらしめむ」(原典版二一七、註釈版一七三、真蹟第一巻九一)

10「極楽は無為涅槃の界なり  随縁の雑善恐(おそらくは)生[じ]難し(以下略)」「真仏土巻」(原典版四六七、註釈版三六九)「化身土巻」(原典版五〇九、註釈版四〇四)

11 筆者が資料四に付けた記号のうち、(A)は仏を主語とする使役形の用例、(B)は念仏者を主語とする基本動詞形の用例であり、(C)は還相回向の利益を示す個所である。普賢[2000a]は、(A)を「来生の義(他力摂生の義)」(次註12参照)、(B)を「還来の義(往生即成仏の己証)」(資料三三参照)、(C)「還相摂化の妙用(還相利他の悲用)」と示している。特に(B8)について「この往相の証果たる大涅槃には還相利他の悲用が具せられているのである。この生死海に還来して還相摂化の衆生済度におもむくことまで統括して『これを法性のみやこへかへると申すなり』と結ばれている」(三五上)という説明は、筆者の理解と一致する。普賢[2000b]は「すでに二月号で述べた如く、前章の釈では二訓ともに往相の意で釈し、そしてさらに『法性のみやこへかへる』と、往相の証果には還相の悲用が具せられている義意を開きあらわして(中略)還来度生の還相摂化の悲用も往相の証果に統括して釈されていた」(二三下)と再度この点を確認している。

12 「生まれさせる」という表現はこの文中には見出せないが、普賢[2000a]は「衆生をして穢土をすてて浄土に往生せしめたもう他力摂生の義を示す意である」(三三下)と説明する。この見解を支持する用例は多数存在する。数例を挙げる。「歓喜踊躍せんもの、みなわが国に来生せしめ、この願を得ていまし作仏せん」(原典版一七六、註釈版一四三)「わが名字を聞きてみなことごとく踊躍せんもの、わが国に来生せしめん」(原典版一七六、註釈版一四三)「易行道とは、いはく、ただ信仏の因縁をもって浄土に生ぜんと願ず。仏願力に乗じてすなはちかの清浄の土に往生を得しむ」(原典版一九二、註釈版一五五)「往相といふは、おのれが功徳をもって一切衆生に回施して、作願してともに阿弥陀如来の安楽浄土に往生せしめたまへるなり」(原典版一九八、註釈版一五九)「いま弥陀の本弘誓願は、名号を称すること下至十声聞等に及ぶまで、さだめて往生を得しむと信知して」(原典版二三五、註釈版一八八)(原典版二八五、註釈版二二八)「往相とは、おのれが功徳をもって一切衆生に回施したまひて、作願してともにかの阿弥陀如来の安楽浄土に往生せしめたまふなり」(原典版三〇四、註釈版二四二)

13 普賢[2000a]は第二釈を「本願を信じ、浄土に往生して、大涅槃の仏果を証することを『法性のみやこへかへる』と釈されている」(三四上)「迷妄の存在である凡夫が、弥陀の本願にめざめ、浄土に往生して真如法性のまことをさとり、大涅槃の仏果を証することを『法性のみやこへかへる』と還来の義で『来』の字を釈されている」(三四下)と説明する。深川[1998]は「如来さまから言えば、もといた所につれて『かえる』なのですが、われわれ凡夫衆生から言えば、やはり如来さまにつれられて『往く』、あるいは『参る』ことになるわけです」と、宗祖が主語を区別して「かえる」と「往く」(「生ずる」「往生する」)とを論じているかの如く解釈するが、妥当性をもたない。宗祖が第一釈(阿弥陀仏を主語とした使役形)と区別して第二釈(念仏者を主語とした基本動詞形)を提出していることを無視するから、このような無理な解釈が行われたと考えられる。沖[1999]の批判に対して深川[1999]は「『法性のみやこへかへる』と使われるが、それは仏の側からの(約仏の)表現であり、仏が『むかえ率てかえらしむ』こと、つまり仏がもとの浄土およびさとりに『つれてかえる』『かえらしめる』のであって、衆生の立場からの(約生の)表現ではない」と言うが、「往生」についても同じことを言うことができるので、説得力を持たない。すなわち、宗祖は「浄土に生まれる(往生する)」とともに「往生せしむ」など、仏を主語とする使役形を多用しているのである(前註12参照)。したがって、深川の論理からすれば、われわれは「往生する」と言ってはならず、「仏が生まれしめる」「仏が往生せしめる」「仏がつれて生まれる」などと言わねばならなくなる。深川の論理が彼自身の表現法とも整合していないのは明らかである。深川の言う「仏の側からの(約仏の)表現」という宗学用語が、本当にこのように表現までを制約するのか、宗学内で吟味される必要がある。使役形と基本動詞形の区別は「いたらしむ」「いたる」という表現においても見られる。
齋藤[1994]によれば、「問始生浄土何云帰耶」(浄土に初めて生まれるのになぜそのことを「帰る」と言うのか)という問いに関して「約仏」という考え方がすでに浄土宗の伝統に存在する。すなわち、良忠の「先師(聖光)」は「能化に約す」(来迎せる弥陀または垂迹である善導を中心に考えていたからである)と解釈しているという。「つれてかえる」という解釈は「臨終来迎」に接近する表現であり、宗祖が「きたらしむ」を「他力」と明確に示された点を曖昧にしかねない。
良忠自身の解釈(「悟従本自、迷是常他。故従穢土他国還帰浄土本国也」齋藤[1994])は「本覚法門」を土台としているようである。この解釈を採る宗学者も存在するようであり、一連の「還浄」批判の土台となっているようである。松井順嗣、尺一顕正の所説(『中外日報』2000.5.4)を参照せよ。
しかし、宗祖はこのどちらの解釈も行っていない。  

14  普賢[2000a]は「宇宙万有の根源的真理である真如法性のまことにかない、真如の真実を全顕した世界が阿弥陀仏の浄土であるから『法性のみやこ』という」(三四上)と解釈している。「法性のみやこ」という表現は宗祖在世当時ごく普通の表現だったようである。「彼仏菩薩(中略)出従彼法性之都中、忝雑穢悪充満之此土」(かの仏菩薩は、かの法性の都の中より出で、忝くも穢悪充満の此の土に雑る)(『愚迷発心集』三一一上)

15  「念仏成仏これ真宗」(原典版七〇〇、註釈版五六九)とあるように、このあり方は、「成仏」とも表現される。後出資料一五では「生死海をこえて仏果にいたる」と表現されている。

16 (C)は還相回向の利益を述べたものと捉えたいが、「如来」の「来」と同じ意味に解釈された可能性がある。「娑婆界にきたりたまふゆへに」と読み「経には従如来生とのたまへり」云々を付加した異本があるからである。「しかれば弥陀如来は如より来生して報応化種々の身を示現したまふ」(「証巻」原典版三八七−八、註釈版三〇七)参照。この場合、(A4)は還相回向を示すことになる。
  なお、深川[1999]は資料四について「私はこの部分を法性法身と方便法身との関係において解釈すべきではないかと考えておりますが、ここはやや研究の余地がある部分です」と解説する。「法性のみやこへかへる」と明示してある文を「方便法身との関係において解釈すべき」であるという解説は首肯しがたい。むしろ、往相の利益を得れば還相の利益も必ず得ることを示していると理解するべきであろう。
   宗祖は資料四では「来」を他力と釈しているのに対し、資料五では「迎」を他力と釈している。文が錯綜しているように見える資料五を、普賢[2000b]は次の通り説明している。「唯今は『かへる』を往相、『きたる』を還相に約して釈されている。即ち『法性のみやこへむかへ率てきたらしめ、かへらしむといふ』といい、往相の意で「かへる」を釈し、『法性のみやこより衆生利益のためにこの娑婆界にきたるゆゑに、来をきたるといふなり』といい、還相の還来度生の意で『きたる』を釈されている。浄土の往生人が、仏果を証して後、浄土より娑婆に衆生済度のために還ることを『きたる』と釈されているのである。/最後に『法性のさとりをひらくゆゑに、来をかへるといふなり』と結ばれている。浄土の往生は即成仏の仏果を証する己証をしめすとともに、真如法性のみやこにかえり(往相)、証する無上涅槃は衆生済度の還相の悲用を起こす根源であることを、釈顕せんとする思召とうかがうのである」(二三下―二四上)

17  深川[1998][1999]が言及する「久遠劫よりいままで流転せる苦悩の旧里はすてがたく」(原典版九〇九、註釈版八三七)という表現は、穢土は捨てられるべき境地であるという前提で読むべきであろう。そうすれば「まことによくよく煩悩の興盛に候ふにこそ」(同上)という認識が真に迫ったものとなる。ここには、「帰るべき故郷」という未来への認識は存在せず、自力では捨てることのできない過去の経験の総体としての「旧里」という認識が示されている。この「旧里」を善導は「魔郷」「他郷」と捉え、宗祖もその文を引用している。後出資料二九、三一参照。ここに故郷観の転換が認められることは明白であろう。

18 「いたる」「ひらく」「う」の例を『一念多念文意』から挙げる。
「かならず無上大涅槃にいたるべき身となる」(原典版七八一、註釈版六八〇)
「弥勒は大涅槃にいたりたまふべきひとなり。(中略)念仏信心の人も大涅槃にちかづくとなり」(原典版七八二、註釈版六八〇―一)
「念仏の人は無上涅槃にいたること、弥勒におなじきひとと申すなり。(原典版七八二、註釈版六八二)
「いた(致)るといふ、いたるといふは実報土にいたるとなり(原典版七九〇、註釈版六九二)
「かならず大般涅槃のさとりをひらかんこと、弥勒のごとしとなり」(原典版七八二、註釈版六八一)
無上涅槃をさとるゆゑに、則是具足無上功徳とものたまへるなり(原典版七八五、註釈版六八五)
「如来の本願を信じて一念するに、かならずもとめざるに無上の功徳を得しめ、しらざるに広大の利益を得るなり。自然にさまざまのさとりをすなはちひらく@則なり(原典版七八五、註釈版六八五)

19他力信心を主語とする表現例は次の通りである。
この度衆生心と申すは、すなはち衆生をして生死の大海をわたすこころなり。この信楽は衆生をして無上涅槃にいたらしむる心なり。この心すなはち大菩提心なり、大慈大悲心なり。この信心すなはち仏性なり。すなはち如来なり。(原典版八〇五、註釈版七一二)
  このように、信心を悟りの境地である仏性と同じとするのが宗祖の成仏観の特徴である。資料一六、三四参照。

20  「基本動詞形」という語によって、主語の変更をもたらす使役・受動の助動詞が動詞に添接していない形を意味することにする。

21  『末燈鈔』二一(原典版八六〇―一、註釈版七七九、真聖全二 六九三)にも凡夫を主語とする同類表現の列挙が見られる。往生即成仏の考えを示す好例である。「(B9)安楽浄土にいりはつれば、すなはち(B1)大涅槃をさとるとも、また(B3)無上覚をさとるとも、(B6)滅度にいたるともまふすは、御名こそかはりたるやうなれども、これみな(B3)法身とまふす仏のさとりをひらくべき正因に、弥陀仏の御ちかひを、法蔵菩薩われらに回向したまへるを、往相の回向とまふすなり。この回向せさせたまへる願を、念仏往生の願とはまふすなり」
同じく『末燈鈔』二(原典版八三八、註釈版七四九)にも往生即成仏の考えを示す個所がある。「いかにいはんや、(B9)真実の報土へ往生して(B1)大涅槃のさとりをひらかむこと、仏恩よくよく御案ども候べし」

22  「証巻」の引文から例に採ると以下の通りである。
(1)「いたる」とその類例
(1a)国のうちの人天、定聚に住し、かならず滅度に至らずは、正覚を取らじ(原典版三八八、註釈版三〇八)
(1b)国のうちの有情、もし決定して等正覚を成り大涅槃を証せずは、菩提を取らじ(原典版三八八、註釈版三〇八)
(1c)もし人、ひとたび安楽浄土に生ずれば(原典版三九〇、註釈版三〇九)
(1d)凡夫人の煩悩成就せるありて、またかの浄土に生ずることを得れば(原典版三九二、註釈版三一一)
(1e)一切善悪の凡夫、生ずることを得るは、みな阿弥陀仏の大願業力に乗じて増上縁とせざることなしとなり(原典版三九三、註釈版三一一)
(1f)かしこに喚びここに遣はす。あに去かざるべけんや。ただねんごろに法に奉へて、畢命を期として、この穢身を捨てて、すなはちかの法性の常楽を証すべし(原典版三九三、註釈版三一二)
(1g)帰去来、魔郷には停まるべからず(原典版三九四、註釈版三一二)
(1h)この生平を畢へてのち、かの涅槃の城に入らん(原典版三九四、註釈版三一二)
(2)「いたらしむ」
(2a)かの国の衆生、もしまさに生れんもの、みなことごとく無上菩提を究竟し、涅槃のところに到らしめん。(原典版三八九、註釈版三〇八)



23  普賢[2000c]は「偈本来の意味は、極楽の証果として無為涅槃界が説示されていたのであるが、宗祖は無為と涅槃界とを極楽の異名としてあげられている」(三六下)と述べる。

24  個々の異名の説明は、普賢[2000c](三七上―三八下)参照。また、「信心」以下の釈については、普賢[2000d](三四上―三七下)参照。

25  資料一八、一九、二〇では「証せしむ」と読まれているが、これは尊敬を表す助動詞が添えられたものである。このことは、引文の字訓(資料二一「証すべし」、資料二二「証得す」)から明白である。

26  参照「むなしくすぐるひとなしといふは、信心あらんひと、むなしく生死にとどまることなしとなり」(一多、原典版七九〇、註釈版六九一)

27  齋藤[1994]は善導の「帰る」の用例は十一(観経疏2、往生礼讃1、般舟讃4、法事讃4)あると報告している。

28  資料二八は『唯信鈔文意』に引用された文(資料二)を含んでいるので、その重要性が知られる。慈愍も善導の故郷観を受け継いでいると言えよう。

29  船旅の譬えも宗祖に見出すことができる。「これは仏の大願業力の船に乗じぬれば、生死の大海をよこさまにこえて真実報土の岸につくなり」(一多、原典版七八一―二、註釈版六八〇)。横超に関係する海の譬えは資料一五も参照されたい。
研究所は一九九八(平成十)年一二月七日付の深川宣暢「『せいてん質問箱』(『季刊せいてん』no.44)の小生の回答に対する沖氏の批判への再回答」を筆者に回付した。このなかに「現生に『帰去来』と決意し、『生平を畢へてのち』、つまり生涯を終えて(命終して)涅槃の城に『入らん』という使い方ですので、『帰』の語は現生のところに、そして『命終』には『入る』と使われている」という解釈が示されているが、間違いである。第一に、本論で述べたとおり、「涅槃にいたる」と「法性のみやこへかへる」とは同じことがらを指示している。第二に、「帰去来(いざいなむ)」も「涅槃の城に入らむ」も将来のことがらに言及する「む」という助動詞が添接されているから、ともに今決意した内容を示している。第三に、「いざいなむ」が回心(本願に帰依)したときの決意内容である以上「さあ浄土という故郷へかえろう」という意味であって、「さあこれから本願に帰依しよう」という意味ではないことは明らかである。第四に「畢命を期として、この穢身を捨てて、すなはちかの法性の常楽を証すべし」(資料二一)にあるように、命終時の表現は「入涅槃」に限られなず、「法性のみやこ」と同じ用語法である「法性の常楽」も使われている。したがって、深川が「帰」をすべて「きす」と理解するのは誤りである。
信楽[2000]は「帰」の「原義」を「はじめてゆく、かえる」と設定し、宗祖がこの原義に忠実に「帰」を使用したと論じているが、「帰去来」の語を宗祖が受容したことを説明することができない。「浄土にかえる」の文脈で宗祖が「帰」を「かへる」と訓読していないことも注意されるべきであろう。

30  信楽[2000]はこの両釈を混同して論じている(この還来の語は、もう一か所、『愚禿鈔』において、念仏者の浄土往生について、「報土に還来」という表現をされていますが、これは善導の『散善義』の二河白道の文の中の、「直来」の来の字を説明するについて、「来の言は去に対し、往に対するなり」という文を受けていったもので、その「往」の字に対応して、帰の字を用いずに、あえて「還」の字を用いられたものと考えられます。最後の還帰とは、『高僧和讃』の中にあるもので、すでに上に見た如くであります。かくして、この還とは、この『愚禿鈔』の一例を除いては、すべてその字義の如く、「ぐるりとまわってもとのところにかえる」という意味において、使用されているといいうるでありましょう)。もし「還」が「異安心」を証明する不適切な字であるならば、宗祖は決して使用しなかったはずである。ゆえに「来」の字は「還」が示す意味「かえる」を指示していると理解するべきである。その意味で、「かへる」を「還来の義」とする普賢[2000a]の説明に妥当性がある。

31  小山[2000]  (五〇下―五三下)はこのような感情を肯定する。「また、私自身にとってのお浄土は、この生を終えて初めて生まれる世界ではありますが、初めて訪れる場所に対して『還る』と感じることも有り得るのではないかと思います」(五二下)

32  小武は「浄土にかえる」という表現はかつてよく使用されていたことを指摘している。「なぜなら『浄土へかえる』という表現は、聖典の中にあるかないかという論議の前に、布教の場面で最もポピュラーに使われていた常套句であるということです。『親の待つ所(浄土)にかえるんだよ』という言い方です。むしろ近年になってこうした表現で布教することがなくなったというのがほんとうでしょう」(インターネットホームページ「坊さんの小箱」 )また、小武[2000]は「還帰」という語が法主にのみ使用された近代の歴史を明らかにしている。霊山[2000]はこの状況を「しかし私どもの周辺に浄土から還ってきて、衆生救済活動をしている人が具体的にあるのでしょうか。もしそういう具体的なものがまったく見られないならば、教義として還相回向が説かれていても、空論でしかないのではないでしょうか」と的確に批判している。

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