(部落解放・1997−6・422号)

『同朋運動を全教団のものに』

浄土真宗本願寺派中央相談員・小笠原正仁


  「ぼくは仏教が嫌いです。障害を、前世の業だからあきらめろ、という仏教が嫌いです」
  身体に障害のある青年が、マイクを握り、業によるあきらめを説く仏教を糾弾したのでした。障害をもった人々に対して、「この世は業果たしだ」といって、みずからの人生を主体的に生きることを奪ってきた仏教の論理。彼は、その論理によって生きることを拒絶したのです。このとき、参加した僧侶は粛として声がありませんでした。これは、和歌山教区の「点検糾弾会」での一齣です。
  浄土真宗本願寺派は、一九九三年五月の「東海教区住職差別発言事件」、一九九四年一月の「関係学園理事長差別発言問題」、一九九四年七月の「札幌別院差別落書き事件」、一九九五年七月の「宗務庁舎内差別落書き事件」と連続して差別事件を起こし、一九九四年十月以来、昨年の八月一日まで五度の糾弾会を受けてきました。さらに、中央だけでなく、第一回糾弾会から指摘を受けていました、教区における基幹運動の点検について、一九九五年九月、第四回、糾弾会の席上、「点検糾弾会」開催への具体的な提起を受けました。一九九五年十二月六日の東京教区を皮切りに、各教区において順次行われ、一九九六年三月一日の長野教区で全三十一教区を一巡しました。各教区をあわせて、のべ四十三回、宗派側の参加者は約二千八百人であったことが報告されています。これらの「点検糾弾会」をふまえて一九九六年八月一日、宗務庁舎大会議室において第五回糾弾会がもたれました。
  現在の宗派の取り組みを考えるうえで、以下に、同朋運動のあゆみを、第U期基幹運動推進僧侶研修会テキ文トである宗派発行の『御同朋のねがい』(以下『ねがい』)よりひいてみます。紙面の制約もあるので、詳細は同書をご参照ください。

◎同朋運動のあゆみ

  同朋運動という名称が、宗派の歴史のうえに現れるのは、戦後になってからです。しかし、この運動は宗派にとっては水平社の問題提起以来の課題なのです。もちろん、水平社以前にも活動がありましたが、それは、融和主義的な運動でした。全国水平社の結成に対抗して、教団が一如会という融和主義団体を設立したことは有名ですが、そこでの運動は、水平社のめざす運動を「悪平等」とするものでした。
  一方で、教団の体制は必然的に国家目的の遂行に沿うように位置づけられていきました。戦争協力のための戦時体制となり、そしてそれを正当化する戦時教学を生み出し、僧侶や門信徒を戦争へ総動員していったのです。そこでは、親鸞聖人の「御同朋」の教えは歪曲され、国家や戦争への協力が第一であり、それらを批判するものでは決してありませんでした。
  その意味で、敗戦は重要な意味をもつものであったはずです。たしかに、戦後すぐに宗門刷新委員会が設けられ、さまざまな改革が行われました。水平社が一貫して批判していた堂班制(僧侶・寺院を序列づける制度)も廃止されたのです。ところが、このような改革は戦後の政治の流れに対応して行われた傾向があります。たとえば、堂班制にしても、朝鮮戦争を境にした政治の変化に敏感に対応して、財政悪化を理由に類聚制として復活させ、現在に至っています。
  これについて『ねがい』では次にようにのべています。
  「このように教団の民主化が不徹底であったことは、すでにみたように民主化の意義づけが、宗教的立場からあまりなされなかったことに原因があります」(四五頁)
  「宗教的立場」からの意義づけとは、まさに教学への反省です。宗派の今日の状況は、政治的イデオロギーに対して非常に敏感に、また無節操に対応してきたことへの「つけ」が現在に至っているのだといっていいのかもしれません。
  もちろん、そのことにまったく気づかずに運動が続けられてきたのではありません。矛盾に気づいた者たちが同朋運動にとりくみ、同朋運動によってその矛盾に気づかされた者たちがたがいに協力し合い、克服するための闘いが続けられてきたのです。
  そして、戦後の「同朋会」の設立から、「同朋運動本部」の設置にいたって、確実に、同朋運動の「教団化」という課題を実現してきました。その運動は現在、「基幹運動本部」と改組され十一年めになりますが、後にのべますように、さまざまな課題をかかえていることに変わりはありません。

◎部落寺院のいたみ

  ところで、宗派の歴史のなかで、部落の寺院も差別を受けてきたことは、『ねがい』のなかでも明らかにされています。ですから、同朋運動は宗派のなかでの、僧侶や門信徒に対する差別を解消しようという運動としても理解されています。しかし、そのような理解は、同朋運動を一面的にしかとらえていませんし、倭小化するものでもあります。といいますのも、部落の門徒と同じように差別されている部落の僧侶が、同朋運動を主張するとき、そこで彼らが非難する宗派の教学構造(「業論」「真俗二諦」)は、じつは、彼らの属する部落において、それら部落の僧侶たちも同じように教化してきたものなのです。部落の門徒が差別される身の上を嘆く前に、「畜生」に生まれず、「本願」に出遇えたことを「慶べ」と説いてきたのは、部落の僧侶たちでした。ここに、同朋運動のきわめて重要な本質があります。
  宗派に部落寺院や部落の門徒を差別した責任があるのなら、部落寺院には、部落の信仰を作ってきた責任があります。教化の現場で、差別を前世の業にすり替えてきた責任があります。つまり、同朋運動が教団の差別構造を問題にするとき、部落の寺院もそれから免れることはないのです。この困難な構造をかかえているからこそ同朋運動の有効性があるといえます。教団の矛盾を矛盾として受け止め告発していく健全さが同朋運動の本質でもあります。それは、自浄作用として、教団の差別構造への問題提起がなされるということです。だからこそ、同朋運動が部落の寺院だけではなく、全教団人の運動として位置づけられるのです。それは、同朋運動が教団の批判原理として存在する所以です。

◎宗派の姿勢

  それらの運動の成果として、今回の「浄土真宗本願寺派連続差別事件糾弾総括書」(以下「総括書」)に示された宗派の姿勢が現れています。
  今回の差別事件について、「単に個人の意識の問題ではなく、基本的には教団が内包している差別構造と差別意識が、そのまま個人の差別行為となって表面化したものととらえて」(「総括書」六頁)います。つまり、「個人の責任に問題を矯小化するのではなく、教団全体の体質の問題」(「総括書」六頁)として、その改善にとりくんでいるのです。
  とくに、今回の連続する差別事件は、そのような取り組みである基幹運動推進僧侶研修会や各種の教化組織で基幹運動研修を行っているさなかの事件でした。このことは、教団のこれら取り組みに対する反動としてとらえることもできますが、「総括書」でものべていますように、教団として、運動への取り組みや研修そのものへの反省と点検として真撃に受け止めています。
  そのような「教団が内包している差別構造と差別意識」について「東海教区住職差別発言事件」に見てみましょう。

◎「栴陀羅という自覚」

  東海教区における差別発言事件は、以前から指摘されています僧侶の特権意識と傲慢さが浮き彫りにされたものです。差別問題を抽象的・精神論的にしかとらえられない僧侶の側面が明らかにされました。
  たとえば、法事の席上で行った差別発言(門徒を名指しして「あいつはエッタ以下の人間のクズや」と発言)を追及されると、当該住職は、「私には施陀羅という自覚がある」とか「精神的に被差別者であると思っている」という発言を繰り返していますが、それらは、単なる言い訳ではなく、彼自身の僧侶としての自覚に支えられたものでもあるのです。なぜなら、その住職は、門信徒に対して、神棚を降ろすこともみずからの宗教活動として同時に主張しているのです。
  浄土真宗における神祇不拝は、「門徒もの知らず」といったことからも有名ですが、このような形で差別意識と浄土真宗の信仰活動が本人の意識のなかで矛盾しないということは、きわめて深刻な問題を提起します。
  じつは、このことは、その住職だけの問題ではありません。たとえば、ある勧学の法話では、戦時中、その村では、出征兵士はすべて神社など参詣せずに、お寺から送り出したということを得意げに話しています。つまり、浄土真宗の信仰が篤かったということをいいたいのです。しかし、そこには、この住職の落ち込んでいる構造とまったく同じものがあります。すなわち、住職の「神棚降ろし」から、差別の現実が見えないのと同じように、この「神杜批判」からは、戦争に対する真宗の責任がどこにも見えてこないのです。
  つまり、教団の歴史においては、このような差別や戦争を容認する教学のほうを構築してきたのです。その住職のいる閉ざされた教学構造のほうが伝統的なものなのだといわざるをえません。個人の問題にとどまらないというのは、こういうことを意味しています。この閉ざされた教学からの解放のために、同朋運動・基幹運動の取り組みが行われているのです。
  現在、東海教区において、この事件への取り組みが継続されています。発言の責任は、もちろん、発言した本人が引き受けるべきです。ところが、この発言への弾劾は、その住職と同時に、同じ教学構造のなかに安住してきたわれわれにも向けられているのです。教区の僧侶らによって、そのように困難な、しかし宗教者としてやらなければならない作業が続けられています。

◎「信心の社会性」の提起

  以上のように、閉ざされた教学からの解放のために、同朋運動がとりくまれてきました。そこでは、基幹運動の研修課題の一つでもある「信心の社会性」が重要な意義をもっています。
  「信心の社会性」が提起されてきた背景は、もちろん、教団が差別事件をおこしてきたことです。とくに、一九八三年の差別法名調査を契機とする、安芸教区と備後教区に
おける,「同朋三者懇」からの提起が重要でした。そこでは、「同朋教団」を標榜しながら、教団内に歴然とした差別を温存してきたわれわれの差別的体質が問われためです。
  そこで問われたように、わが教団において差別を是認し、差別を見抜く力がなかったということは、信心が、社会的問題に対してまったく無効であるということになり、ひいては、われわれの主張する「同朋」とは幻想であるといわざるをえないということになるわけです。
  そして、このことは、逆説的ですが、伝統教学によって、信心は社会問題と無関係であるとのべられ、平等は来世のことだと説かれるとき、かえって、信心はきわめて社会的性格を帯びてくるということになります。すなわち、「信心は至純である」から社会とは無関係であるというのは、念仏をいただく者が社会における秩序や価値判断への従属を表明したことになるわけです。
  つまり、「信心の社会性」は、たんに社会的実践を引き出すためだけの論理ではありません。信心に社会性などないという伝統的な考えこそが、たいへん政治的な態度の表明であったことを明らかにしていく論理でもあるのです。

◎これからの取り組み

  第五回糾弾会で約束された法要については、三月二十日に執り行われました。その際、「基幹運動推進  御同朋の社会をめざす法要に際しての消息」が出されました。基幹運動を推進するにあたっては、すでに「教書」(一九八0年四月一日)が出されていますが、この消息によって、同朋運動を進めていく環境がさらに整備されたといえます。
  この環境のなかで、われわれ一人ひとりが具体的にとりくんでいかねばならない課題があります。それは、差別法名・過去帳の再調査であり、「差別の現実に学ぶ」研修の充実です。

◎差別法名・過去帳再調査

  結果的に、現在の基幹運動を方向づけたことになる、一九八三年の差別法名調査はさまざまな問題点をかかえていました。三年の歳月をかけての報告は、寺院名については「免責条項」を主張して公表せず、さらに、発見されたのは添え書きだけということでしたが、その後に、差別法名が発見されるという具合でした。そして、なによりも、調査そのものが当時の社会的状況という外的要因によるものでした。
  しかし、仏教が江戸時代に果たした民衆支配の役割を考えれば、身分秩序が過去帳に反映されるぐらいはたやすく想像できたはずです。にもかかわらず、浄土真宗にはそのような差別はありえないという頑迷な意識のもとに、過去帳をよく見もせずに報告したというのが約四分の一あったということが、後の「『同和問題』に関する住職意識調査」で明らかになっています。
  これでは、何のために法名調査を行ったのかと問われても仕方がありません。本質的なことを課題となしえなかったのです。その大きな原因は「免責条項」でしょう。寺院名が公表されないことには、報告された添え書きはその意義を失います。少なくとも、主体的に問題にとりくむ姿勢は否定されます。実際、「同朋三者懇」に参加した安芸・備後以外、報告のあった教区や組において、ほとんど問題が共有されなかったのです。
  今回の再調査においては、当然「免責条項」は一切つけません。なぜなら、この調査は、いったん失った門信徒との信頼関係を回復するための作業だからです。宗派では、法名や過去帳を通じて、教団のもつ差別性や、またそれを生み出す構造を学んでいく作業としても、今回の調査を位置づけています。

◎点検糾弾会の課題

  今回の一連の糾弾会のなかで、やはり重要な意味をもつのは、各教区で行われた点検糾弾会であると思われます。
  各教区ともに、回答書において、基幹運動への取り組みが、いかに上滑りなものであったかを書いています。一九九二年から始められた第T期基幹運動推進僧侶研修会は、「私と教団の差別の現実」を認識し、改めていくものでした。
しかし、参加者の固定化や、行事消化型研修などの反省に見られるように、僧侶の関心が高まるまでにはなかなかなりませんでした。
  そのなかで、点検糾弾会という手続きによって、各教区がそれらの問題点を主体的にとらえ、何のための研修会なのかということを教区のレベルで再認識する機会をもてたのは重要なことでした。
  各教区では、その課題への取り組みが、点検糾弾会直後から始まりました。「点検糾弾会での課題を教区において全体化する」ということから、教区の回答書が、教区基幹運動計画書に載せられたり、資料として研修に活用されていることが報告されています。また、兵庫教区において、今回の糾弾会をふまえ、教区独自の同朋講座テキスト『同朋講座Q&A』が編集されています。
  さらに、今年度の課題である「差別法名・過去帳調査」は、研修としての位置づけももっていますので、教区において点検糾弾会の二年目の研修会として、さらに深めていくことが期待されています。

◎第U期基幹運動推進僧侶研修会

昨年より、すでに第U期基幹運動推進僧侶研修会が始まっています。そこでは、部落問題の基礎的学習を行うことが新しい課題として加えられました。そのために、『御同朋のねがい』がテキストとして編集されたのです。
  差別問題の解決には、啓発と教育が不可欠とされます。
さらに、啓発や教育において、科学的知識の学習が必要不可欠のものであることはいうまでもありません。また、現在、人権問題はさまざまな学問領域を超えて、多岐にわたる研究がなされています。これらの成果をふまえつつ、そこでは、知識の学習に終わるのではなく、感性への高まりが要求されます。つまり、差別を見抜き、そのままに放っておけない僧侶や門信徒の主体性が形成されなければならないのです。
  また、浄土真宗をはじめとする仏教が、日本の文化形成に重要な役割を担ってきたことを考えれば、基幹運動研修において、日本文化の問題性を差別問題の学習から切り開く方法も可能となるはずです。つまり、研修は、いかに豊かな想像力を働かせて、人々の痛みや悩みに共感できる学びを持つことができるか、ということであると思います。

◎豊かさを社会に還元する営みを

  冒頭に引いた和歌山教区の点検糾弾会に、当時、私は教区相談員として参加していました。糾弾会終了後、参加した僧侶のみなさんからは、いままでどうしてこういう学びができなかったのだろうかという声が多く聞かれました。
もちろん、点検糾弾会へいきなり参加したわけではなく、教区の回答書作りの段階から、事前に数回の学習会にも参加し、そこでも熱心な議論が行われていました。
  感動を共有することをめざしてさまざまな研修会が行われていたなかで、もっともアレルギーをもっていたと思われる糾弾会において、まれに見る爽やかな感動が持てたという皮肉が、私たちの教団の悲しむべき現実であり、また豊かな可能性でもあると、いまは思っています。
  ところで、前にものべたように、私たちは、「同朋運動は教団における批判原理である」という姿勢をもっています。それは、同朋運動が教団の差別性を指摘し、変革してきた歴史的事実を意味しますが、同時に運動の本質をいい当てた言葉です。しかし、宗教の歴史的意義、すなわち、宗教が旧社会の秩序を乗り越え、新しい社会の歴史を開いてきたということを考えれば、「宗教は社会の批判原理である」といえるはずです。づまり、同朋運動は、教団が忘れていたものを取り戻す運動でもあるのです。それこそが「信心の社会性」を明らかにする意義だといえるでしょう。
  同朋運勲・基幹運動から気づかされた豊かさを社会に還元していく営みを、われわれの教団の新たな課題としつつ、今後の歩みを続けていきたいと考えています。

*基幹運動入門テキスト「御同朋のねがい」の申し込みは、本願寺出版社(京都市下京区堀川通花屋町下ル  電話075−371−4171)へ。本体389円(税・送料別)。

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