「還浄」で何を問うているのか
小武正教
◇運動の広がり

葬儀に「忌中」を止めて「還浄」へと云う波は、提起者の一人である私自身か驚くほどの早さて広がっている。それにはマスメディアの影響もあろうが、本質的には人々の宗教的欲求に応えるものがあったということだと思っている。  私が「『忌中』を止めて『還浄』へ」ということを主張してすでに15年近くなろうか。私は一度、 「忌中」を止めるということについて、1994年3月1日付の本願寺新報紙に掲載された「忌中」を「つつしむ」の意味に解釈した、本願寺の文章に異論を提出した。そしてその結果私の文章が『大乗』誌に掲載されるという過程を経験したことががある。 それが第一ラウンドなら、この度、「還浄」を使うことに対し、『季刊せいてん』『中外日報』で異論が出され、「還浄」をめぐる論議は第二ラウンドである。ただ「忌中」を問題視した第一ラウンドの論陣を張ったのがが私ひとりであつたことを思えば、「還浄」を巡る第二ラウンドは、「還浄」肯定派、否定派それぞれ複数となり、ここにも運動の広がりを実感する。 

◇論点
−「排除」と「序列化」の克服 今交わされている「還浄」論争で何が問題になっているか、それは「『還浄』という言葉は、私たちが自分の身近な者の死に対して使ってもいいのか」ということを、親鸞の言葉の解釈の上で行っているといっても過言ではない。むろんそれが無用とは言わないが、私が「還浄」という言葉を提起した意図はそれが目的ではない。
 「穢れとは、社会秩序から排除されたもの、それが穢れとして位置づけられていく」としてメアリー・ダグラは『汚穢と禁忌』で述べる。そして部落差別などの実体から、「排除されたものは、必ずもう一度社会秩序の低位に位置ずけられる」と私は考えている。              私は死穢とつながる「忌中」を問題とすることは、「死」ならびに「死」につながる事柄の社会秩序からの排除の意識・実体を課題とするための出発としてとらえている。と同時に、本願寺教団は、排除された(穢れとされた)事柄に対して、どう「平等なる尊厳」を見いだし、確保しえたか、逆に再び縦の秩序の中に取り込んでいったのか、それを問い返していく出発として、私は「還浄」を考えている。
 今、部落解放運動では、「『穢れ意識』 と部落差別」について、論議が展開されている。そこにおいても、「穢れ意識と社会秩序」の問題は政治起源説の肯定・否定とも絡み、最も根本的な問題となっている。事柄は、「忌中」「還浄」で論議をしながらも、問題意識の視点は社会秩序との関係におきたい。でなければ、「還浄」を使うことも、こうした論議も何も変えることにならないという畏れを抱くのである。            

◇本願寺教団における死の表記
§『本願寺通記』にみる表現  もう12年で宗祖750回「忌」を迎える私たち本頑寺教団において、「還浄」という言葉、それに類する言葉はそんなに使われてきた言葉ではない。確かに特定の人に対してしか使ってこなかった、もっと正確に言えば使うことを許さなかった言葉である。しかし『中外日報』で信楽先生の文章に、「法然、親鸞両師は『還浄』 もともと浄土におられた身」とリードがつけられているような形で、二祖に限って使われてきたということでは全くなかった。
 まず、真宗教団における死の表記がみごとにランクづけされた、江戸の後期・文化初年(1804)年頃に編集された『本願寺通記』(千葉乗隆著『真宗教団の組織と制度』)から死の表記のしかたを拾いあげてみる。

父有範卿・御逝去 源空上人・入滅 親鸞聖人・入滅
法名範意・逝去 小黒の女房・往生 信蓮房・往生
善鸞死の記述なはし 覚信尼・往生 覚如上人・遷化 以後も歴代法主はすべて「遷化」
覚如上人二男従覚・寂 存覚・寂 蓮如上人嫡男順如・寂
裏方歴代すべて「遷化」または「遷」
興正寺歴代すべて「往生」

ここには死の表記として@「入滅」、A「遷化または遷」、B「寂 」、C「往生」、 D「逝去」という五通りの言葉をもって死を語っているが、そこには一定の秩序づけがみえる。「入滅」という表記は、法然と親鸞に限る。次に、歴代の法主に対しては「遷化」を使う。さらに、法主にはなっていないが、教団発展に功績が大とするということであろう、「従覚」「存覚」「順如」には寂。興正寺の門主にはすべて「往生」、ならびに親鸞の子どもは「往生」。親鸞聖人の父 有範などは「逝去」とする。 ここには、死をどう表現するかということを、宗教的自覚によって使い分けているというよりも、教団内の身分秩序、位置ずけ、教団相互間の位置ずけによって使い分けているということがあきらかである。法然、親鸞を教団内身分のトップにすることで、後はおのずから序列化していったということであろう。 §「遷化」という表現 「遷化」という表現は、宋の道誠の表した『釈氏要覧』(一O一九)にも登場し、他宗では現代もよく使われている言葉である。『龍谷大辞彙』によれば「遷化」は次の様に記してある。   高徳の僧侶の死するを云う。遷移化滅の意とするときは、出家のみならず在家にも通  ずべし。或いは義を設けて、尊宿出世の能事既におわり、化度の事を他方世界に移すこととせり。佛の此土における化縁つきて他土に向かうがこどとき、唐の慧持、臨終  に際し吾他方に往くきて教化せんと云える如き是なりとせり。
  真宗教団において、「遷化」という言葉は、まず三代目の覚如の『改邪抄』の最後に、「曾祖聖人(源空)遷化の聖日に当たれり。」とあるのを見ることができる。  では親鸞に対してはどうか。『報恩講式』では、親鸞の死に対して、「入滅」という言葉で語り、「祖師聖人(親鸞)は直人にましまさず、すなわちこれ権化の再誕なり。すでに弥陀如来の応現と称し、また曇鸞和尚の後身とも号す」とあるように、遷化という言葉こそ用いていないが、法然と同じ位置に置いていることがわかる。
  いつから親鸞聖人に対して「遷化」といったか、今確認出来ているのは、江戸期であるが第十二代准如以降の歴代の法主の「葬礼記」には「遷化」と記してあることは確かめることができる。しかし親鸞の場合は当然法主以前と考えられ、もっと早い段階と考えられる。 では、「遷化」をいつの時代から歴代の法主に対して使いはじめたかということである。覚如の生涯を記した『慕帰繪』にその臨終の姿は描かれているが、『御伝抄』にしるされた親鸞の臨終とは異なり、「さても不思議を現ぜしは発病の日より終焉の時に至るまで、始終中三が日ほど蒼天を望に紫雲を拝するよし所々に告しめす」とあるように、既に阿弥陀の「化身」として受け止める傾向があらわれているといってもよい。しかれば、第八代の蓮如はどうであったか。蓮如自身の言葉としても「遷化」という言葉はみることはできない。しかし、その蓮如の言行を記したものには、「蓮如上人権化の再誕ということその証是多し、(中略)弥陀の化身としられ候こと歴然なり」 と『実悟旧記』にあるよう、親鸞と同じ位置づけがなされている。  それがさらに、第12代の准如から明確に法主の「遷化」とあるわけである。そ以降は、『本願寺通記』で見たごとく、親鸞は別格、法主は全て「遷化」、それ以外の者は法主との遠近関係で、死の表記が使いわけられている。
 明治三十六年一月二十五日発行の『教海一潤』に掲載された、第21代明如の葬儀の記録を窺うこととする。「御遷化」の項として次のように述べる一文がある。 「徳望高く宇内に輝き給へる人天の大導師は淨土に還帰し給へり(後略)」 この明如に対する遷化の記述は、明確に、親鸞と同じく、「浄土に還帰し給へり」という言葉を使っていることに注目しなければならない。しかしこれは二つのことを教える。遷化という言葉が、「浄土に還る」という意味を含んでいる内容であること。しかし、この『教海一潤』の「遷化」=「浄土に還る」ということは、法主に対し教団内身分の反映として使われているということからして、親鸞が使った「浄土に還る」という言葉とは異質なものになっていることという点である。遷化という言葉を柱として、本願寺教団における死の表記をみるとき、親鸞自身が遷化という言葉を使っていないということの意味から学ぶべきであると思う。
 「遷化」という言葉が、真宗教団の教団内身分を維持する言葉として使われていたことから、「遷化 」という言葉は、信心の自覚内容を表現する言葉というよりも、特定の者を個人の信心体験とは関係なく、阿弥陀の化身=「生き仏」と位置づけていくための言葉でもあったといえよう。いうまでもなく阿弥陀如来の働きは人間の側で決められないものである。だから、誰を善知識とするかは人間の恣意で決めようがない。しかし、教団という組織のために、善知識を固定化することが゛形づくられてきた。そして「代々善知識は御開山の御名代にて御座候」と述べることが第八代の蓮如の時期には成立したわけである。そしてそのことは現在も生きている。

◇善知識の実体化を排す
 「還浄」の紙を使うことに批判的な方の意見は、法然・親鸞の二祖のみを特別に『淨土から現れた方』とし、そのことを無前提に自明のこととしているのではないかと思う。そのため、善知識の実体化、逆に善知識の観念化という陥穽に陥っているのではないか。わたしたち一人ひとりの普遍的な信心構造の中で、「浄土から現れた方」ということを語る意味を押さえていかないと、法然・親鸞の権威にただぶら下がっていくことになりかねない。本願寺の権威化は善知識の実体化を生み、法然・親鸞のみの絶対化・権威化は善知識の観念化を生み出す。それは私自身が今本願寺教団に所属していようと、誤魔化してはならない信心の問題であろう。
  法然・親鸞に限らず、個人の絶対化・権威化は、「浄土から生まれてきた人間と、迷いの世界から生まれてきた人間の二通りが存在することになる」という矛盾を引き起こす。まさに、前世を実体化した「悪しき業論」と同じ所に落ち込んでいくのである。いううまでもないことだが、「このお方は浄土から誕生した」という言葉も、「無始よりこのかた迷いを続けてきた」という表現も、自己の信心から語られる表現で、決して固定化してはならない。こうした言葉を固定化するところに、「魂」の実体化が生まれ、人間の上に差別を作るイデオロギーとして利用されてきたのである。眼を現代に移せば、現代の宗教も「お釈迦さまやキリストさまの生まれ変わり」のオンパレードで、きわめて新しい問題でもある。   

◇宗祖の「還浄」という言葉を、自らの宗教 心の表現として取り戻す。
 この人は私の「善知識」だ、または「御同朋」だといっても、あくまでそれは私がそう受け止っているという話で、まさに自らの上に頂く「ひそかにおもんみれば」という内容のものである。大胆を畏れずにいうなら、法然上人と親鸞聖人の出会いの質が、まさに形は十人十色でありながら、その出会いが一人ひとりに成立するところに教えの普遍性があり、大経に説かれる、世自在王仏と法蔵菩薩の真実性が証明されると私は考える。法蔵菩薩の説話の真実性を証明するものは、自己の信心体験をのぞいてはあり得ない。つまり、善知識ということも他者によって強制されるものではなく、みずからの信心の自覚の表現なのである。そして、仏説阿弥陀経にもあるように、その阿弥陀の御教えを自らに勧める諸仏も、空中にイメージされた来迎仏のような仏ではなく、娑婆のただ中を生きる生身(ショウシン)の諸仏と私は受け止める。ただし生身(ナマミ)の人間を諸仏と実体視するのでなく、その人の行為・言葉の背後に如来の働きを仰ぐということであることはいうまでもない。◇おわりに−ななぜ「還浄」を貼るのか 葬儀の時、わざわざ玄関に「還淨」という紙をはる必要はないという意見は当然ある。そのこと対して私は儀式ということをどう捉え、どう作っていくかという問題として考えている。
 儀式は形を以て宗教心をあらわす、形が宗教心を象徴するといってもよい。「お経」がそうであるように、儀式は自らの自覚を促す手がかりである。日常の聞法の営みの結果として試行錯誤・葛藤の中から宗教心が表現され、次々と創造的な形も生まれてくる。つまり何を削るべきなのか議論する、それも宗教心のあらわれである。奪われてきた何を取り戻すのか、それを表現するのも宗教心である。そして、その営みこそが、宗教心を歪めずに表現していくための歩みであると思う。
「葬儀の時に『還浄』という紙をはれば、誰もが『仏』になったことになって、聞法ということがおろそかになるのではないか」という意見があることを聞いた。それなら「往生」という紙をはろうが変わらない。私にとっては、「還浄」の紙を貼ることは、「死」を排除し、さらには「死」を身分として秩序づけてきた歴史を問い返し、自己の信心を表現していく言葉として取り戻す課題が込められたシンボルである。しかし「還浄」の紙が歪められてきた一人一人の信心の表現を取り戻してゆく一歩であると考えると、その頂上ははるか遠くである。しかし、千里の道も一歩からというが、この一歩の中にこそ、すでにこの道を歩んだ先達親鸞を見る。


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