日本文化の因習を考える(5)

「穢れ意識」を問う射程〈3〉

「忌中」から「還浄(ゲンジョウ)」へ

広島部落解放研究所・宗教部会事務局長

小武正教

◇「忌中」から「還浄」へ、運動の広がり

  今回は、私の所属する本願寺教団で「穢れ意識」をめぐつてどのような論議がなされているか紹介することを通して「穢れ意識」と社会秩序(この場合は教団の秩序)とのつながりを明らかとしたい。
  私が葬儀において、「服忌」という死への「穢れ意識」を反映した、『忌中』という紙をはることを止めて、真宗者として『還浄』という紙を貼ることを主張してすでに15年近くなろうか。今日まで二つの議論の段階があった。
  一度目は、「忌中」ということについて、1994年3月1日付の本願寺新報紙に掲載された「忌中」を「慎しむ(つつしむ)」の意味に解釈した本願寺中央相談員の文章に私が異論を提出し論議を展開し、「忌中」は「穢れ意識」の反映であるという私の文章がご門徒向けの教団の広報雑誌『大乗』誌に掲載されるということを頂点とした過程である。それに至るまでは、まず私の所属する三次組(そ)という地域の住職の集まりでの論議があった。「『忌中』を問題にすれば、『一周忌』などの『忌』も問題となるので止めるべきだ」とする反対意見、「自分の傷みを伴わない問題なら取り組むが、それ以上は出来ないというのは親鸞聖人の精神ではない」との私の意見を闘わしてきた経緯がある。また私の文章の『大乗』掲載後も、いくつか「忌中」肯定論がだされたが、「忌中」否定を押し返すまでにはいたらなかった。
  今この問題は第二ラウンドに入って論議が展開されている。それは、「なぜ『還浄』なのか」という「還浄」の是非をめぐつての論議が昨年から沸騰している。ただそこで運動の広がりを感じるのは、「忌中」を問題視した第一ラウンドでは「忌中」否定に論陣を張る者は私ひとりであったが、「還浄」を巡って、双方に立場や主張を異にした者が、賛成・反対の論陣をはるという展開になっている。そこには、ここ数年で、地方だけでなく、本山から出される文章にも、「還浄」という文字がいつのまにか使われるという実態への反対派の危機意識があったことは間違いない。また広島を中心とした中国地方で、1996年10月に、地元中国新聞の「洗心欄」に、「『忌中』やめ『還浄』に」というタイトルで大きく報道され、一気に「還浄」への流れが出来上がり、全国に飛び火しつつあるという現状へ「還浄」反対派の苛立ちもあったのだろう。
  ただし、「忌中」を止め「還浄」へという流れには、今日の部落解放運動を巡る、部落解放同盟中央本部の運動方針のブレも関係していることは見逃せない。「差別の本質を家意識・ケガレ意識とする」ことが、部落差別への取り組みを「穢れ意識」に焦点を合わせさせることともなり、「忌中」・「還浄」が取り上げられている要素もある。
  しかし、そのレベルでの論議は、「紙を貼るのがいいのか、悪いのか」の論議にとどまってしまい、「忌中」の紙を生み出した背景、なぜ、「往生」とか「悲中」の言葉ではなく、「還浄」を貼ろうとする意図は何か、問題となってこない。事実、教団内で交わされる議論は、自己保身とプライドのための論議となっており、何を護ろうとしているのか、何を変えようとしているのか見えない穴に落ち込もうとしている。人権擁護施策推進法の実施により、国権的な啓発がなされれば、同質の論議がなされることは用意に想像できる。すでに先取りしている人権学習会は多いのではないか。

◇論点は「死」の「排除」と「序列化」

  今交わされている「還浄」論争で何が直接問題になっているかというと、、それは「『還浄』という言葉は、私たちが自分の肉親の死に対して使うことが出来るものなのか」ということを、親鸞聖人の使われた言葉の意図として適切か不適切かを争っているといってもよい。正直私はそういう論議の土俵には一歩距離をおいていた。むろんそれが教団にとって全く無用とは言わないが、そのこと自体はご門徒さんとは無縁のものであり、私の「還浄」という言葉を使うのはそこに目的はない。
  「穢れとは、社会秩序から排除されたもの、それが穢れとして位置づけられていく」としてメアリー・ダグラは『汚穢と禁忌』で述べる。そして部落差別などの差別実体から、「排除されたものは、必ずもう一度社会秩序の低位に位置ずけられる」ということは今まで何回か繰り返し述べてきた。私は死穢とつながる「忌中」を問題とすることは、「死」ならびに「死」につながる事柄の社会秩序からの排除の意識・実体を課題とする出発としてとらえている。と同時に、本願寺教団は、排除された(穢れとされた)事柄に対して、どう「平等なる尊厳」を見いだし、確保しえたか、逆に再び縦の秩序の中に取り込んでいったのか、それを問い、改めていく出発として、私は「還浄」を据えている。
  「差別の実体を作り出す背景には、『お金』と『権威』が必ずある」、これが今日まで私が解放運動や同朋運動から学んだことである。もちろん絡み合っているので一慨には言えないが、「忌中」の紙の背景には、「穢れ意識」を取り込んだ「法事」「葬式」を勤めるという、経済に深くつながる問題である。そして「「還浄」という言葉で改めようとするものは、「穢れ意識」を、新たに権威として秩序の中に取り込んでいった問題とも言えよう。

◇「逝去」と「崩御」

  1989年1月7日、「天皇陛下崩御」の言葉がテレビを駆けめぐり、新聞の号外で書き立てられた。前年の秋から容態が悪くなり、いつ天皇が死を迎えるかということが眼前にせまってきた段階で、私は新聞記者が如何に天皇の死を表現するか、記者の良心と新聞社・国家権力との板挟みの声を数多く聞いた。「崩御」それは歴史的に、天皇・皇后・太皇太后・皇太后に特別に限って使ってきた言葉である。つまり、天皇が「現人神」であった時代からの言葉であり、「崩御」という言葉を使うことが、「人間天皇」の死というよりも「現人神天皇」の死を指すということである。
  普通葬儀には、「ご逝去を悼み」というように、「逝去」という言葉が用いられるのが一般的である。『広辞苑』によれば、「逝去」とは、「他人の死の尊敬語」とある。天皇の死を「天皇逝去」と書いたマスメディアはほとんどなかったと記憶する。死の表記は、人間の秩序づけを反映するという卑近な実例である。

◇本願寺教団における死の表記

  では本願寺教団においては「死」はどのように表記されてきただろう。「往生」「成仏」というふうな言葉が思い浮かぶ。もちろん間違いではないが、本願寺教団の死の表記はそれだけではないのである。
  まず、真宗教団における死の表記がみごとにランクづけされた、江戸の後期・文化初年(1804)年頃に編集された『本願寺通記』という書物から拾いあげてみる。
 
源空上人 入滅
親鸞聖人 入滅 
小黒の女房 往生
信蓮房 往生
善鸞 死の記述なはし
覚信尼 往生
如信上人 遷化
覚恵法印 遷化
以後も歴代法主 遷化
覚如上人二男従覚
存覚
蓮如上人嫡男順如
興正寺歴代 往生
父有範卿 御逝去

  ここには死の表記として@「入滅」、A「遷化または遷」、B「寂 」、C「往生」、 D「逝去」という五通りの言葉をもって死を語っているが、そこには一定の秩序づけがみえる。「入滅」という表記は、法然上人と親鸞聖人に限る。次に、歴代の法主に対しては「遷化」を使う。さらに、法主にはなっていないが、教団発展に功績が大とされるという意味と推測するが、「従覚」「存覚」「順如」には寂。興正寺の門主にはすべて「往生」、ならびに親鸞の子どもは「往生」。親鸞聖人の父  有範などは「逝去」とする。
  ここには、死をどう表現するかということを宗教的自覚によって使い分けているというよりも、教団内の身分秩序・位置ずけ、教団相互間の位置ずけによって使い分けているということがあきらかである。法然上人、親鸞聖人をトップにすれば、おのずから序列化していったということである。

§「遷化(せんげ)」という、信仰を一般化した表現

ここに「遷化」というあまり馴染みのない言葉が出てくる。これはどういう意味かというと、「佛が此の世界において、衆生を導く縁が終わったから、別の世界に教化の場を移した」ということである。
  仏教の教えの上で、自己を導いてもらった師に対して、信仰の自覚の上から、師が「浄土に還られた」ということは使う言葉である。親鸞聖人も法然上人に対して、「浄土に還帰したまへり(教化の縁が終わって、浄土に還られた)」と語っておられる。しかし、この言葉は、法然上人に親鸞聖人が教えてもらったからとか、ましてや法然上人が世間から評価されたとかということとは関係ない。法然上人と出会うことにより、親鸞聖人自身の信心を導いてもらったという実感から初めて語ることの出来る言葉である。逆に信心を導いてもらったという実感のないものは、どんなに法然上人が立派であっても使えない言葉である。それを「自分にとっては」、という限定で初めて使える言葉(言葉の厳密な意味で宗教言語)という。
  しかし、「自分においては」という自覚をはずして一般化してしまうとき、その教えは一気に差別イデオロギーとして機能していく。真宗教団において、親鸞聖人の血統をひくものが、教団の「善知識(指導者)」であることを教団の法律で位置ずけることと、誰を自らの師として親鸞聖人の教えを生きるかということは一致しない。個人の信仰・自覚とは無関係に、導く師を決めていくなかに、「貴人崇拝」と「生き仏」信仰が重なって、教団の身分構造があっという間にできあがっていく。それこそまさに天皇制である。
  実は親鸞聖人は、その文章のどこを見ても「遷化」という言葉を使っておられない。当時「遷化」という言葉がなかったわけでない。但し、国家仏教体制の下で使われていた「遷化」はすでに、支配イデオロギーに利用されるものとなっており、あえて使われなかったのだと私は考えている。親鸞聖人以降、再び真宗教団が国家仏教に取り込まれて行く過程で、親鸞聖人の血筋を引く唯一の善知識(指導者)・法主に対してのみ「遷化」という言葉は使われる。したがつて「遷化という言葉は、法主(今で言う門主)を頂点とした、教団内の身分構造を作りあげていく、権威化の装置であったといえよう。

◇親鸞聖人の絶対化・権威化のうみだすこと

  「還浄」の紙を使うことに批判的な人の大きな理由に、「法然上人・親鸞聖人の二祖のみは、特別な方で『淨土から現れた方』ということをあたりまえのこととして、実体化してしまうという過ちに陥っておられるのではないかと思う。たとえ法然上人・親鸞聖人といえど、自らの信仰と結びついたものでなければ、偉人ではあっても、宗粗(自らの信仰の源となった人)ではない。つまり私たちの普遍的な信仰構造の中で、「浄土から現れた方」ということを語る意味を押さえていかないと、法然上人・親鸞聖人を絶対化し、その権威にただぶら下がっていくことになりかねない。たとえ私自身が本願教団に所属していようと、本願寺はいうにおよばす、たとえ法然上人・親鸞聖人であれ絶対的権威となったとたんに語っていることの普遍性が失われ、そこから実体化がはじまる。すると、「人間にはその行為によって、浄土から生まれてきた人間と、迷いの世界から生まれてきた人間の二通りが存在することになる」という「還浄」批判の人が語る頓珍漢な人間観が生まれてくる。まさに、前世を実体化した「悪しき業論」と同じ所に落ち込んでいくのである。言うまでもないことだが、「このお方は浄土から誕生した」という言葉も、「無始よりこのかた迷いを続けてきた」という表現も、自己の信心・「自覚」から出てきた表現で、固定化してはならない。こうした言葉を固定化するところに、魂の実体化が生まれ、人間の上に差別を作るイデオロギーが生まれてきたのである。眼を現代に移せば、現代の宗教も「お釈迦さまやキリストさまの生まれ変わり」のオンパレードで、きわめて新しい問題でもある。

◇親鸞聖人の「還浄」という言葉を、私の信仰の表現として取り戻す。

この人は私の「善知識だ」、または「御同朋」だといっても、あくまでそれは私がそう受け取っているという話で、まさに自らの上に頂く「ひそかにおもんみるという内容のものである。大胆を畏れずにいうなら、法然上人と親鸞聖人の出会いの質が、まさに形は十人十色であろうが、その出会いが一人ひとりに成立するところに教えの普遍性があり、大経に説かれる、世自在王仏と法蔵菩薩の真実性が証明されると考える。法蔵菩薩の説話の真実性を証明するものは、自己の宗教体験をのぞいてはあり得ない。つまり、善知識は他者や教団によって強制されるものではなく、みずからの信心の自覚の表現である。そして、仏説阿弥陀経にもあるように、その阿弥陀の御教えを自らに勧める諸仏も、空中にイメージされた来迎仏のような仏ではなく、娑婆のただ中を生きる生身の諸仏と私は受け止める。ただし生身の人間を諸仏と実体視するのでなく、その人の姿・言葉の背後に如来の働きを見るということであることはいうまでもない。

◇おわりに

  「忌中」を止めて、「還浄」の紙を貼ることの彼方に、「穢れ意識」を取り込み、さらに秩序づけて作りあげてきた教団の差別構造をどう打ち破っていくかということを考える。そのことを今まで公にしたことはなかった。しかし「忌中」の時の議論も、今回の「還浄」の議論も、議論するものすべてが、主観的意図はどうあれ、紙一枚ですまない問題だということは直感的に分かっているのだと思う。、門主の権威を護ることが、自己の立場を護るということで、「還浄」批判を展開する自称教学者の何と多いことか。まさに、この姿こそ、身分構造による秩序維持を第一目的とし、「言葉」による差別イデオロギーによって統制せんとする本願寺教団の証しである。「還浄」論争は、そこに触れる論議にならなければ意味がない。本願寺教団が解放同盟中央本部と連れになって、「差別の本質は穢れ意識」という方向に流れても、末端のレベルでそれを許さない闘いをここから仕掛けていく素地の第一段階はできあがった。地方の体制はととのいつつあるのである。  これから「還浄」をめぐる第二ラウンドをどう闘っていくか、今考えている。

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