神楽と神道と公教育

中国山地の過疎の村で一人の僧侶が、一九九八年に「神楽と公教育」を巡って問題 を提起し、今に至った。その取り組みに到った状況

はじめに


  一九九九年八月、当時の野中官房長官による「靖国神社特殊法人化」発言、そして二〇〇〇年四月の森首相の「神の自」発言と、「教育基本法の『改正』」への動きと「靖国・神道」問題を巡って、政府・保守勢力の動きはいよいよ表面化してきた。
  それは戦後、着々と準備してきた「(国家)神道」を再ぴ「公的」に位置づけ、利用するために、別々に見えていた動きがついに一つになって、焦点がはっきりしてきたともいえる。私たちが政府・保守勢力のその動きを撃ち返すためには、「靖国神社国家護持法案」等の法律として示してくるハード面を問うだけではなく、その土壌作りのために、「神道」を「文化・伝統・習俗」として位置づけようとしてきたソフト面を問い直すことが、極めて重要なことが明らかとなってきた。
  政府・保守勢力は、「地域社会」を利用し、「伝統文化」という甘い言葉で、「地域の活性化」を謳い文句に、そして「祭り」「神楽」などを手段として、「個人の思想・信条の自由」を押しつぶしてゆく、その総仕上げをいま行おうとしている。
  私たちの「内心の自由」を奪われないために、「伝統文化」でマインドコントロールしようとする意図を見抜かなければならない。
「むかし国体(護持)、いま(伝統)文化」、これこそくせ者である。


神楽と神道と公教育

−目次−

◇はじめに

◇神楽が公教育の場で行われることへの問題提起

◇神楽と公教育の問題

◇神楽の勧善懲悪に子どもが抗議をしたエピソード

◇政府の政策との関連について(下段)




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