日本文化の因習を考える(7)

「神道・文化・習俗論」を問う射程〈2〉

戦後、国が神道を文化・習俗として位置づけようとしてきた戦略は今

小武正教

◇神の国発言の露わにしたもの

    五月十五日、森首相が「神道政治連盟国会議員懇談会結成三十周年記念祝賀会」で発言した、「日本は天皇を中心とした神の国」という発言は、首相の「時代錯誤的発言」としてマスコミにも大きくとりあげられ、6月の衆議院選挙は「神の国選挙」などとも評された。衆議院選挙期間中、森首相は相次ぐ「国体」発言もあって、総理大臣来訪の応援演説の予定がキャンセルされる、総理と一緒に写っている選挙ポスターを張り替えるというドタバタぶりが展開された。
  問題は、首相の「神の国」発言に、「国民」がいかに「NO!」という意思表示を示したかである。確かに選挙は自民党など与党の議席減、民主党など野党の議席増になったが、選挙後に「神の国」発言で自民党が負けたと論じた新聞はなかった。森首相の発言以前に「景気の低迷」のために自民党の敗北は既に語られていたのである。「『神の国』発言は、何の変化ももたらさなかった」と言えば言い過ぎだろうか。
  民主党などの野党にしても、自民党を攻撃する選挙用のかっこうの材料が手に入ったぐらいにしか思っていないことぐらいは、「国民」の誰もに見え見えであった。一時大きく取り上げたマスコミも、選挙が終われば、「水に流した」かのごとくとり上げようとしていない。森首相の失言によってかいま見えた本音に対しての、危機感と問題意識の欠如がマスコミにも、そして「国民」にも充満していると言ってしまえばそれまでなのだが。
  ただそんな中で、朝日新聞の大阪支局の記者が、「はたして日本は本当に神の国ではないといえるのか?」といって、全国を取材し「神のいる国」として連載した記事は、貴重なものである。
    「修学旅行で毎年伊勢神宮に行くことへの変更を求めてもいっこうに変わらない学校の姿」、「村の公立保育所が、「神楽を文化」として、神楽の発表に全員に参加を求める様子」、「町内会費に神社の氏子費が入っていることへ異議申し立てをして、『村八分』の目にあう」等々である。(この中で報告された二例は、備後・靖国問題を考える会のメンバーの報告であり、会として課題としてきたものでもある)
    この連載は、「神の国」はけっして、OO大社やOO神宮というような、大神社にあるのではなく、地域の神社・氏神様という中にこそ、私たちを縛っているものがあることを報告している。
  なぜ、「神の国」発言が「信教の自由」「政教分離」という意味で問題とならないのか?、
それは、日常生活のレベルにおいて、問題がないのではなく、問題を問題と感じないほどに、「神」に縛られているからである。

◇神道は個人の自覚を問わない、「共同体」の宗教である。

  今、「あなたは(神道の)神様を信じていますか?」、と聞けばどれ程の人が、「はい」と答えるだろうか。神社本庁が一九九六年からおこなった「神社に関する意識調査」の結果が『中外日報』(一九九七年二月四日)に掲載されている。その調査の中で、「神道を信仰している」と答えた人は3.8%であったと報告されている。しかし、「神棚のある家」は51.3%、「氏神さまに年に数回程度お参りしている人」は、70.4%、逆に「氏神さまにお参りしない」と答えた人は16.4%しかない。
  この結果を神社本庁の教学研究所はこう分析している。「(信仰が3.8%というのは)同種の調査から予想していた。個人的な面もあるが、基本的には神社神道は、共同体での祭祀」であると。
  この数字とコメントは、神社神道の姿をよくあらわしている。「私が神さまを信じるか信じないか」が問題なのではなく、「地域社会の一員として、神様の氏子として共同体の意志に従う」ことこそが、神社神道の本質なのである。「こころの内」では全く信じていなくても、地域社会の慣例・伝統という名の決定に従って神社の寄付をし、祭りの役をこなしていれば、問題になることはない。しかし一旦、その慣例に異議をとなえれば、「理屈なし」の排除(「村八分」)が待っている。地域社会に「同化」するか、「排除」されることを選ぶか、神道の行事はそれを一人ひとりにせまってくるものである。
  福岡で中曽根靖国神社公式参拝訴訟を闘ってきた先輩僧侶の言葉を思い出す。「毎年五月は『博多どんたく』で山車(だし)が各町ごとに出る。毎年三百万人近くの人が参加して、一大観光行事にもなっているが、元は祇園神社の祭りにすぎない。山車は各町ごとに出し、祭りとなるとみんな命がけで、とてもそれに反対できるものでない」という。中曽根訴訟を闘ってきた先輩にとって、国相手の訴訟より、町内会の山車の方が超えるハードルは高いのである。
  規模の大小はあれ、これと同じようなことは、日本全国無いところがないといっていいくないではなかろうか。そして、この先輩住職も反対を言わない限り、祇園神社の氏子として実質みなされているのである。「教えを信じているものはいない、しかし、みんな氏子である」ここにこそ、問題の本質がある。
  また、先ほどの意識調査に対して神道時事問題研究会の世話人代表の宮司はこうコメントしている。
「日本人にとって神道は宗教というより、生活習俗。信仰しているという意識はなくても、生活そのものが神道なのである。だいいち自分が神道の信者であると自覚している人は殆どいない。(中略)従来の氏子依存型から脱皮して地域社会とのつながりの強化を図りつつ、『各家庭に神棚を』のスローガンを、掛け声運動だけではなく、鳥居の外に出て汗をかきながら主張することが必要である。また神社を地域の広場にするよう、地域社会に対し積極的にチャレンジしていかなくてはならない」
    こうした「神社を地域の広場に」というような神社神道の戦略は、すでに30年以上前から取られてきたのである。それまでは、都市周辺部に新しく引っ越してきた人たちを、氏子として入れることのなかった神社側が、逆に地域ごと神社の氏子としていく方針がとられるようになる。高度経済成長の中で、都会に人口が集中し、従来型の氏子制度が通用しなくなった中での神社本庁の方針転換であった。

◇町内会と神社をめぐる「自治会神社費拒否訴訟」

  町内会と神社を巡って訴訟になることは大変まれである。一九九九年十二月、佐賀の地方裁判所に、「神社の崇敬者(氏子)団体ではない地域の自治会が、会員個人の宗教に関係なく、あるいは無視してその会費から神社関係費などを支出するのは、個人の『信教の自由』を侵し違憲だ」とする「自治会神社費拒否訴訟」が始まり、現在裁判が進行している。
  かつて、町内会と神社に関しては、浜松で神社の再建費を巡って訴訟となり、和解がなされたということがある程度で自治会と氏子費をめぐっての訴訟は前例かない。しかし同種の問題はないのではなく、全国のいたるところに今ある問題といっても過言ではない。備後・靖国問題を考える念仏者の会(略称  靖念会)の取り組みが十五年になるが、この種の問題が渦巻いている状況が情報として入ってくる。
  ではなぜ今日まで訴訟にならなかったのか。靖念会に集うメンバーの何人もが、町内会と神社の繋がりの問題を問う行動を起こしている。中でも、備後護国神社と福山市の町内会との繋がり(初穂料として町内会が一軒100円ずつ集める)など、裁判へという意見も起こったことがある。しかし、訴訟というまでにはいかなかった。
  一つには、国を相手の訴訟とは違って、訴える相手が、「町内会」という日常的に顔を合わせる相手であることが訴訟になりにくい最大の原因である。そして二つ目には、町内会の法的位置ずけ(どこまで公的機関として認知されるか)という問題から、勝訴という見込みが何処まで立つかという問題がネックとなってきたのである。
  その意味で、今回の佐賀で起こされた裁判は、「町内会と神社費」の問題を巡っては初めてといってよく、従ってその判決の持つ意味も大変大きい。私は、この問題が全国の隅々にある問題であることを思うとき、今まで国や県を相手にした政教分離訴訟に勝るとも劣らない影響力を持つと考えている。だからこそ、そのことを知っている神社側は、一神社が対応するというのではなく、神社本庁が力を入れて町内会の尻を叩いているということが、裁判が進む中で原告側から報告されているのである。

  訴訟にいたる経緯を少し年表的に追って、その問題の根の深さをみる。(今、原告の男性には、無言電話や様々な圧力がかかっている。したがって町名を敢えて記載せず、Aさんとする。)   原告のAさんが指摘している自治会費の中の宗教関係費目は四種で、書証として提出されている九六年度予算書の場合は次のようになっている。
  1. 氏子社格割  六万一五00円  内訳は「氏子費」五万八五00円、「社格費」三000円
  2. 仏教婦人会費  二万円
  3. 諸手当  六万円  内訳は伝統行事実行当番手当、割方給各三万円
  4. 村行事費  一二万円
  原告のAさんは、(1)は氏子がはらうべきもの、(3・4)についても、天満神社の行事を伝統行事として、それを執行した神職と働いた人への手当と考えられるし、(2)も当然特定宗教の関係費であり削除の必要を訴えたのである。
  氏子の費用は、氏子が払うべきものであり、現在の「信教の自由」が完全に謳われた憲法下においては、神社の氏子と町内会や自治会の構成員は同一ではない以上、自治会費に氏子費などの項目があるのは当然問題となる。
  しかし訴えられた自治会側の姿勢は、「気にいらなければ、出ていけ」ということで一貫している。そして訴訟での論点を、被告自治会側の準備書面で、天満神社の地域社会における「公共性」を強調するものである。自治会側の準備書面を引用してみる。
「(天満神社の)境内の主要部はゲートボール場となっている。よく手入れされていて、鳥栖市の大会の時は会場として使用される。余地部分のうち北東部には相撲場、中央部に近くにシーソー二基がある。相撲場はお祭りの時の子ども相撲用に区費で作られ、シーソーもまた子どもたちのために区費で作られた。休日などは、他に広がりのある空間がないため、この境内は恰好のコミュニケーション広場としての機能を果たしている。
  このように天満神社は、神社というより地区の人々の公園化しており、演芸、スポーツ、盆踊り、子どもの遊び場などの共通の使用目的に供されることが多く、同神社固有の宗教的儀式が行われることはまずない」
  さらに、天満神社の祭礼についても、「農耕社会に根付いている『伝統的風俗や習慣』
で、そこにあつまる人は、「特に神道に帰依しているというわけではなく、きわめて宗教書が薄い」と徹底して、地域社会における「公共性」と「文化」を強調する戦術である。
  こうした神社の位置ずけは、先の神社本庁のアンケートのコメントにもあったように「神社を地域の広場」にという全国の神社の方針とピタッと一致したものであることは注目しなければならない。そして「神社の公共性、習俗性」を打ち出して、「宗教色を薄める」というやりかたは、町内会と神社を巡って論議が沸騰しているところでは、まさに中心的問題の一つである、。そして、このことこそが国家神道体制下で強調された、「神社非宗教論(神道は宗教以上の国民道徳である)」の申し子であり、それを現代的にリニューアルして用いようとするものであることも、決して見逃してはならない点である。
  再び被告の準備書面を引用してみる。
「被告の心情を土着的に表現すると、それら社寺仏閣は地域を守る氏神である」
「それら社寺仏閣が社寺名としては特定宗教を名乗るものであっても、その他の氏神として住民に受け入れられるときは、特定の宗教宗派を代表するものではなく、没個性的な地区住民の一人ひとりを分け隔てなく守る産土の神としての尊崇を受ける存在なのである」
「日本人の氏神に対する宗教観に基づく住民の心情は決して宗教心にのみ根ざすものではなく、宗教・宗派を超えた、その地域に居住する者ひとりの素朴で純真な住民感情なのであるから、それは信教の自由の問題ではない」
  「純朴」「住民感情」「心情」という言葉で、被告側の「宗教色」を隠す戦略は見え見えである。
    原告のAさんの計算によれば、宗教関係費は月額五00円の自治会費の中で二三円にあたる。金額の多寡でいえば、「わずか二三円」であるが、「自分が信仰していない宗教に強制的に協力させられる」ことは「苦痛でたまらない、二三円」なのである。
  今まで、神道と国や県をめぐって争われてきた政教分離訴訟は、金額でいえば決して多くはい。最高裁で原告勝訴となった愛媛玉串料訴訟でも、知事が出した玉串料は年一回五千円であった。「なぜわずかのお金を問題とするのか?」という声が現在も日本においては圧倒的多数であろう。
  戦争中軍国少年であったという原告のAさんの言葉がこう語っている。
「戦争中、神である天皇陛下のために死ぬべきだ、と思わされてきた精神的支柱の一つが国家神道だと戦後になってわかりました。それ以後、国家神道、神社神道を信じたり、協力も一切したくないと思ってきました」。
    明治憲法下においては、「思想・良心の自由」や「信教の自由」は、完全には補償されておらず、「国民」は「神社は宗教以上の国民道徳である」とする国家神道を実践する義務が国から強制されました。そのため、多くの思想弾圧・宗教弾圧が行われ、植民地支配や侵略戦争の遂行に大きな役割を果たしたわけである。
  町内会と神社の関係を、金額の多寡の問題でなく、わたしたちの「内心の自由」の問題として考えることが出来るか、はたして戦後ははじまったのかどうか問われている。

◇町内会と神社結びつくようになった歴史

  もともと神道という宗教は、個人の信仰の中味を問わない、共同体・地域社会の宗教である。したがって、常に支配イデオロギーにりようされてきたのが神道のいつわらさせる姿でもあり、神道行事や文化が「民衆の純朴な心情を反映」というフレーズで語られることは、間違いであると言わざるをえない。
  ただし、「国民」全員が一人の例外もなく氏子になることを強制されてきたのは、明治の国家神道体制からであることはいうまでもない。一八七一(明治四)年に「国民総氏子制度」がしかれ、日本「国民」を一人残らず国家神道の氏子にし、神棚の設置の強制や神社参拝の強制、また伊勢神宮のお札を受けることが義務づけられるなど、日本の侵略戦争の拡大とともに徹底されていきました。
  しかし、日本の敗戦により一九四五年十二月、国家神道体制は解体され、それぞれの神社は一宗教法人となり「国民総氏子」ということはなくなりました。そして国家神道体制の復活を断つために、公共団体と宗教に関する厳しい規制がしかれました。
一九四六年十一月、町内会と神社の結びつきに対し、文部次官通牒を通じて厳しい禁止令が出ています。

一、神社の寄付金、祭礼費等の募集や、神符等の頒布に町内会、部落会、隣組等よりの援助、又これらの機関を利用することは、昨年『国家神道、神社神道に対する政府の保証、支援、保全、監督並びに弘布の廃止に関する件』の第一条第一項に反する。
二、市区、町、町内会、部落会等が種々の祝祭行事を行う場合は、如何なる場合でも、神社等の祭礼と厳密に分離し、誤解を生じないようにすること。なおその費用を神社等の名義によりて居住者に対して募集しないこと。

しかしこの通達は「国民」の上に徹底されたかといえば、そうではありませんでした。
一九九七年の『宗教年鑑』によれば、神社神道系の信徒統計には、約一億二百万人の氏子の数が記載されており、この数字は、神社の側で明らかに「国民総氏子制」を保持しているといえる。
  この禁止令そのものはサンフランシスコ講話条約で失効となるが、その精神を受け継いだのが一九四七年に施行された現憲法である。すなわち直接には第二十条の「信教の自由」、並びに第八十九条の「政教分離」の原則である。
  憲法がいかに、空洞化しているか、解釈改憲がなされているかは、政教分離の面においても危機的である。しかし、それは政治家の独断専行のみが、この状況を推進しているのではなく、それを問題視する人権感覚を私たち民衆が取り戻し得ていないということも見逃すことはできないのである。ただし政府の側から言えば、気づかないように上手にマインドコントロールしてきたとも言えるのである。

◇おわりに

    佐賀県は西本願寺系の佐賀龍谷大学もある、真宗信仰の厚いと言われてきた所である。訴訟を起こした原告Aさんの地域も真宗門徒の圧倒的に多いところで、自治会費の中にある、「仏教婦人会費  二万円」は地域で法座を開くための費用だそうである。この訴訟がおこって、真宗僧侶は真宗門徒は支援にたちあがったか?。答えは「否」である。今、訴訟の支援団体として「信教の自由と自治会を考える会」ができ、事務局を本願寺派の先輩僧侶がになっているが、彼は一人で孤軍奮闘しているのが実際である。訴訟の支援を兼ねて真宗遺族会の集会が、佐賀のこの訴訟をテーマに今年五月三十日に佐賀教区教務所で開かれた。参加者三十人あまりだったろうか。しかし、地元佐賀出身の僧侶や門徒は十人いたであろうか、後は遠来の支援者という様子であった。
  それどころか、Aさんの自治会の地域の住職から、教務所が裁判を支援することにブレーキをかける働きかけがあったという話しも聞いた。教務所長の挨拶もない。この佐賀の訴訟は、地域社会と神道の問題のみならず、寺院と地域、そして神社の構造が見事に重なっていることも明らかにすることとなった。真宗信仰が厚いとは、地域社会や、ひいては国家にズブズブにつかってしまって、「信教の自由」とか「内心の自由」という信仰の生命をまるで失っていることをはからずも天下にさらけ出したのである。それは地域に「神社」という「氏神」を祀る場所と、「寺院」という「氏仏」を祀る寺があるにすぎず、真宗寺院の看板を降ろさねばならない行為である。自らの信仰を貫き、真宗門徒であろうとするA氏を最も苦しめている地域の人たちが、「信仰の厚い真宗門徒」を自負していることに、やりようのない悲しみを持つ。しかし本当に悲しいことであるが、ズブズブの膿は一度出さないと、新しいものは寺院にも門徒にも生まれてはこようがないのである。

(この文章をかくにあたつて、佐賀の「自治会神社費拒否訴訟」については、雑誌『世界』6月号の「自治会神社拒否訴訟」田中伸昌尚のルポ、『寺門興隆』7月号の「鳥栖自治会費訴訟」に詳しく報道されているものを参考にした。)


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