大蔵出版刊・『真宗と社会「真俗二諦」問題を問う』・所収

『問われた真俗二諦的現実』

−過去帳差別記載糾弾学習会の中より−

小武正教

<はじめに>

「念仏者たろうとするものは、赤本(聖教)と新聞紙(現実)の間に身をおきなさい」とは念仏の道を歩んだ先達のことばである。しかれば、どのようにして二つの間に身をおくことが可能なのか、大いなる問いである。
  また「念仏者は内陣と外陣の間に樹つのである」という先輩の言葉もある。この言葉も念仏者としての、身のおきどころを教えたものだが、実際には内陣と外陣の間には場所はない。浄土(内陣)と娑婆(現実生活)の間に樹つとは、わたしの如何なる姿勢をいうのであろうか。
  1994年12月6日、龍谷大学大宮の東館103号室での信楽先生の最終講義は、教えを受けた私たちに自分の歩まれた教学の道をさらに展開してほしいという願いをこめて、次のように話された。
  「いままでの真宗学は、親鸞聖人は何を語られたのかを膨大な文献の中から抽出して、それをいかに現実社会に降ろしていくかという学問の仕方であった。しかしこれからの真宗学は、社会から問われている問いに対して、親鸞聖人の教えはいかに答えうるのかという逆の形の学びが大切になってくるのではないか」と。真宗の学びにおいて現代教学が語られはじめながらいまだ十分な形をなしているとは言い難い中で、今、信楽先生から託され示された方法論の大切さを思う。
  教団は今、基幹運動を展開する上で、「真俗二諦」「業・宿業」「信心の社会性」という課題を掲げている。それは「信心」と「社会」とを分離してしまい、社会の問題に目を向けず、念仏者として社会の現実や人々の苦悩に立ち向かおうとしない「信心」の味わい方・受け止め方の見直しをしようというものだ。「信心」を「単なる心の持ちよう」にしたり、自分一人の問題に限定してきたことへの反省から生まれた課題である。
  そしてもう一つ大切なことは、この三つの課題は、教団内に起こり続ける差別事件にたいして、被差別部落の人たちの問いかけの中から生まれてきたという事である。今私たち僧侶は、「なぜ念仏者を名告る僧侶が、同朋教団を標榜にする教団が、現実には全くその教えに背く姿をさらけ出すのか」と厳しく問いかけられている。そしてそれは差別事件のみを問われているのではなく、事件を生み出した教団と僧侶の差別意識や差別体質が問われているということだ。その意識を生み出す教団の制度や慣習ももちろん問われているということである。問われた問いにまず答えていく、それが問われた僧侶の社会的責任である。そのことが「真俗二諦」を克服する道であり、教団と僧侶の「業・宿業」を担うことであり、まさに僧侶の「信心の社会性」を明らかにことである。
  三つの課題が教団の僧侶全体の課題として示されたのは、過去帳差別記載糾弾学習会をうけた同朋三者懇話会からの提示による。今その提示された課題を巡って4年間の僧侶研修会が終わるにあたり、今一度同朋三者懇話会の場での小森龍邦氏の次のことばを心に刻み込む必要があるのではないかと思う。
  「やはり浄土真宗は、教義の改新をとくことは出来ても、親鸞の教義にたちかえって、それを『御同朋・御同行』と実践していくことは至難のわざと言うべきだろうか」

第一章
過去帳差別記載糾弾学習会の場から問われた
「真俗二諦」のすがた

  1992年度から始まった全国僧侶研修会での念仏者の三つの課題(「真俗二諦」「業・宿業」「信心の社会性」)は、備後教区・安芸教区・部落解放同盟の三者で続けられてきた同朋三者懇話会から提起されたものだ。
  その経過を簡単に述べてみますと、1979年、世界宗教者平和会議でのいわゆる町田差別発言がきっかけとなり、宗教界の差別体質が問題となった。1983年、西本願寺教団でも、全国の寺院を対象に差別法名調査が行われた。その結果全国で、9教区21カ寺の過去帳に差別添え書きや、被差別部落だけを別冊にした過去帳などの差別記載があることが判明した。差別記載の存在が報告された備後教区4カ寺、安芸教区7カ寺の内の、備後教区の一住職(真澄瑛智氏)が、1983年4月、部落解放同盟広島県連合会の地元支部へ差別記載の事実を提起された。
  この提起をうけて、部落解放同盟より、備後・安芸両教区は、過去帳差別記載への対応と総括を求められたが、本山の指示をまっているだけで、1年半以上具体的対応も総括もできないまま、両教区の僧侶全員が糾弾学習会に臨むということになった。1985年10月から、福山の解放会館・広島の中央公民館を会場に、両教区の僧侶約二百名〜三百名、部落解放同盟から約二百人が参加して、3年にわたり7回の糾弾学習会が行われた。さらに論議をつめるために人数を絞って、部落解放同盟広島県連合会、備後教区、安芸教区の三者により同朋三者懇話会(95年5月現在22回)という形で現在も論議が続けられている。

◆(なぜ糾弾学習会になったのか。「真俗二諦」の僧侶の姿が問われる。)

  「差別事件においてもっとも大切なのは、差別をしてしまった後、どうとりくむかである」と言われる。いかに反差別の闘いをしている者でも、ときには意図せずして差別発言をしてしまうことはありうることだ。大切なのはその後どうするか、「みずからの過ちを認め」「その背景の意識を明らかにする」という中で、その人の差別への取り組みの姿勢が問い糺されることになる。
  そこがはっきりと自覚されていないと、差別事件お起こした者を、回りの者は「失敗したもの」として排除されるということがおこってくる。いつのまにか自分は差別などするはずのないという立場にたってしまい、差別をしてしまった者と差別をした者を非難する者に分かれてしまっている。
  この中にこそ親鸞聖人の「さるべき業縁のもよほさば、いかなるふるまひもすべし」という自覚にお互いが立ち返ることが大切な時であることはいうまでみない。同じ人間の姿を共通の場として持つことができるか、教えに生きているかどうかが具体的に問われた場であった。
  残念ながら備後・安芸両教区において、問われた問いを自らの手で明らかにし、僧侶の中に共通の問題とする場を作りえなかったというのが糾弾学習会になった最大の原因である。なぜ本山の指示まちになったのか。「過去帳に差別記載があることをどうするのか」という私たち僧侶にたいしての問いかけを、僧侶一人一人がどれほど重い問いとして受け止めていただろうかということである。
  差別を受けてきた無念の思いの中から語られた怒りの声も、なぜ正面から受け止めきれなかったのか、それは私たち僧侶の意識の中に「信心の領域」と「世間の領域」を分けてしまう「真俗二諦」の意識が身についてしまっているからだということを糾弾学習会・同朋三者懇話会の中で知らされることになった。

◆糾弾学習会で何が問われたか・直接の課題1

  糾弾学習会の中で、「過去帳に差別記載のあったことをなぜ公表出来ないのですか」と問われた。  そこには、本山がおこなった差別法名調査の折、本山が「調査結果は公表しない」という「免責条項」をつけなければ調査ができないと判断した教団の差別性と、そのことを見ぬけなかった僧侶の問題意識の低さがある。
  第3回糾弾学習会では次のように解放同盟から問われている。
(解放同盟)
「私がこだわっているのは、例えば基幹運動本部で発表する段階ではないと通達がかりにあったとしても、現実に自分の寺院に差別記載の過去帳が発見されたのは隠せない事実でありますから、その中で本当に個々の寺院が、「うちの場合はこういった間違いをしているんだから、堂々と仏法的制裁も受けて当然である」というようになってはじめて究極の反省が出てくるのと違うのですか。そうしないで寺院の名前も、今まだ発表する段階ではないというような対応の仕方で、本当に宗教界−備後・安芸教区のことですが−あげて深刻な反省ができるのですか」
  1991年第18回の同朋三者懇話会では、次の点について同朋三者懇話会と本山との間で次のように確認をしている。
(基幹運動本部)
「過去帳差別記載の調査にかかわる『免責規定』を設けたこと、また『免責規定』を設けなければ調査が行えなかったという宗門の体質を反省し、自ら問うていくため『三者懇のまとめ』等をテキストにして研修の徹底をはかる」
  それ以後の研修の中で、安芸教区の二カ寺のお寺から、自分のお寺の過去帳に差別記載があることが名告り出られるという結果がえられたが、外の備後3カ寺・安芸5カ寺は現在も課題となっている。さらに全国的に言えば、他の7教区10カ寺については名乗りをあげられる状況がつくられていないことは大きな問題である。
  「差別添え書き」のあるお寺が全部名告り出られたら「免責規定」は実質いらないものとなることはいうまでもない。そのことが、地方の僧侶一人一人の責任の取り方にちがいない。そこにおいてはじめて「身にしみついた真俗二諦的ありかた」を克服する一歩になったと言える。僧侶が「ことばだけ反省」ではなく、社会的責任をともなった反省であり、「業を担った」姿であり、「信心の社会性」を明らかにすることでもある。
  そのためには、差別記載のある過去帳をもっている寺院だけの問題に矮小化しないために、差別過去帳を作り出した背景が、歴史的にも教団・地域の僧侶全体の問題として明らかになることがポイントとなる。

◆糾弾学習会で何が問われたか・直接の課題2

  第3回糾弾学習会の中で部落解放同盟から、「私の先祖の法名が過去帳にどのように記載されているか見せてほしい」という次のような発言がなされた。
(解放同盟)
  私のうちの住職がねえ、『差別過去帳というのはどこのお寺にもみんなあるんや』と。『今回名乗り出たお寺のことで全部のお寺が迷惑しとるんや。だから、できるだけ解放同盟はあまりいじくらんほうがええ』といった。
  身分制度のあの時期に、過去帳の中に差別記載がないほうがおかしいと思うよ。全部あってあたりまえなんよ。うちの住職がいみじくもいうたように、差別過去帳はみなもっとるんや。
(基幹運動本部)
  過去帳を一般に閲覧するということにつきましては、やはり宗教上の記録でございますので、かたくお断り申し上げておりますし、教団としてもそれはすべきではないと、このように判断いたしております。
(解放同盟)
  だから、自分の先祖の過去帳が見たい。差別過去帳に残された先祖、要求したら見せるべきですよ。(中略)部落に生まれた人間がね、部落の先祖の過去帳にエタ・非人と付いているだろうなあということは容易に想像できることですよ。想像できることをあなたたちが一生懸命隠しておられるから、それはとにかくやめてほしいんです。要するに、私はおたくらと話しがしたいんですよ。差別過去帳をめぐって話しがしたいんですよ」
  過去帳の差別記載、また差別法名の存在が明らかになってくると、過去帳に記載された自分の先祖の部分にも、差別記載があるのではないかという疑いが起こってくるのも当然である。。しかし、私たちの教団では差別法名調査にあわせて実施した「身元調査に対する寺院の対応について」の調査結果を受けて、1986年に、「過去帳の閲覧」を宗門の法規で禁止した。過去帳による身元調査がおこなわれていることを放置することは人権侵害の事実を容認することになり、この点から過去帳閲覧禁止はやもをえない措置でる。しかしこの措置で、いつまでも先祖の過去帳を見ることができないことになり、「私の先祖に差別法名や差別記載があるのではないか」という不信感がつのること事実である。
  1991年の第18回の同朋三者懇話会において、「私の先祖の過去帳を見たいという願いにこたえてゆけるよう(過去帳のあるべき姿も含めて)検討していきたい」と同朋三者懇話会と本山の間で確認した。過去帳に記載された先祖の法名を前にして住職と門徒が向き合うために、各寺院がどのような態勢をとるのか、私たち僧侶に問われている社会的責任である。
  これまでは、過去帳というのはお寺の聖域で、門徒がそれについて見せてほしいなどと文句をいうことは出来なかった。しかしまさにそのことが真俗二諦的あり方そのものであり、問われた点なのである。

◆「真俗二諦」を当然とする僧侶の、糾弾学習会でのやりとり

  具体的に問いかけられた問題を自分自身が問われたと受け止められず、観念の殻に閉じこもった中から出てくる言葉がいかなるものか、糾弾学習会の中から二つほど取り上げてみます。
〔解放同盟〕
  社会意識としての差別観念を克服する信心  とは何ですか。
〔安芸教区1〕
  私は戦後この問題に取り組んで参りましたが、失敗ばかりでございました。あいすまんことであったと思っております。親鸞聖人は一度も感謝ということは言っておられません。これからはあいすまんことであったという御報謝にたってこの問題に取り組んでいきたいとおもっています。仏法は言葉にしたら、「あいすいませんでした」その次「もつたいない」、そして「おかげさま」「ありがとう」。これを私のからだで説明することです。
〔解放同盟〕
  あなたの言われることも分からんではないが、差別過去帳を書かれて「もったいない」「ありがとうございました」「あいすいませんでした」では解決にならない。だから、あなた方の立場も、普遍の立場で統一されなくてはならない。すぐに抽象的な概念でもつて仏教は「ありがたい」とかあるいは「すいません」とかいう気持ちなんですと言っても以前となんら変わらない。
〔解放同盟〕
  社会意識としての差別観念を克服する信心  とは何ですか。
〔備後教区〕
  十八願の世界には差別はありません。これははっきり申しあげることができます。真実の浄信の世界には差別はないのです。私は元来宗学の上で如来さまという言葉は大変尊い言葉だと思う。如というのは『往生論註』に平等と説いてある。
〔解放同盟〕
  私の質問の意味がよく把握されていないと  思うのですが。
〔解放同盟〕
 主体的という言葉が総括書の中に何回も使用されているが、他力の教えである浄土真宗の教えとの関連はどうなるのか。
〔安芸教区2〕
真宗でいう自力(他力も)とは、念仏の法によって悟りに向かわせられる上で用いられる言葉で、日常生活の上での自発的行為を自力とはいわない。
「信心」を語るがゆえに、具体的問題を「こころの持ちよう」に矮小化したり(安芸教区1)宗学の用語の世界にズラしてしまったり(備後教区)「生活」と「信仰の世界」を切り離してしまう(安芸教区2)姿が露呈された。まさにこうした糾弾学習会の中から、「真俗二諦」が身についてしまった姿、つまり「信心さえあれば社会の問題は二の次でよい」という「信心第一主義」の考え方が問われたといえる。具体的には次のような私たちの「信心」が問われたといえよう。

1.差別の現実からの具体的問いから眼をそむけてしまう。
  「わたしは安心なら語れるが、差別や靖国の問題は語れない」といった某勧学の言葉。
  「わしは同和や靖国はやっとるひまがない。いましばらく『自己とは何ぞや』を追及したい」といって糾弾学習会になった大谷派の総長の言葉。
2.自分自身を傍観者の立場におく。
3.お聖経の言葉の中に逃げこんで、専門用語を喋ってことたれりとする。
4.現に解放運動している人を、「まず信心の獲得が大事だ、あれでは差別の本当の解放にはならない」と言って引きずりおろす。
5.僧侶が差別をしているという事実をつきつけられても、「僧侶はチョツト違う」という殻から抜け出せない。
6.教えに生きるということが、「心のもちよう(内面の問題)」という枠を出ない。

◆(現実への迎合−対策主義的姿)

  また、差別の現実からの問いにたいして一見積極的に取り組んでいるように見えながら、自分自身への問いとしない姿も出てくる。過去帳差別記載の問題を教区の中で話しあう中で、「部落解放同盟からいろいろ言われるから、サッサと差別記載の過去帳を持つお寺の名前を公表すればこの問題は済むではないか」という意見が出てきたのも事実である。そうはならなかったが、表面を取り繕うための「対策主義」は、僧侶の責任を果たすことにならないことはいうまでもない。差別の現実に声をあげた人からの問いかけを、どこまで深く教団や僧侶の存在を問い返すものとして受け止めるか、「信心の社会性」という場合でいえば、「信心」の中身がそこで問われている。

◆(教学では具体的問題をどう説明するのか)

  教学の言葉は、現実の問いかけにどう答えるのか?。次のような質問が第6回糾弾学習会の場であった。
(解放同盟)
「寝た子を起こすな」ということが、部落差別を語るときに言われることがあるが、業論に照らしてみるとどうなるのか」
  この質問は、「寝た子をおこすな」という論は差別を自分の問題としない最も陥りやすい考え方ですが、世間でそういつているから僧侶もそういうというのはおかしい、僧侶のより所とする教えに照らしてそれを説明してほしいというものでしたが、その時質問された僧侶は答えることが出来なかった。
(解放同盟)
 「『わしは、業が深いもんだから』と呟きながらも真宗の教えを聞き、部落差別の中を生き抜いた親がいた」という言葉をあなたたち僧侶はどう受け止めるのか。
  今まで私たち僧侶は、この人こそ自らの罪業を認識する妙好人であると持ち上げて差別の現実から目を背けさせることをやってきた。しかし、ではこの人が、布教使の説教にだまされたのだと言い切るだけで終わる話しではない。同朋三者懇話会の解放同盟の発表の中で、「被差別部落に生まれ、『悪しき業』の教えまで説かれながら、なおその中で『自由と平等』を求めて歩んだ部落の先祖の思いがある」と聞きとったと。そこには「信心第一主義」の「悪しき業」にはとても収まりきらない、被差別者の差別の現実が見据えられている。

第2章
「真俗二諦」は克服されるか
−本願寺僧侶研修会のあり方を巡って−

  ◆(同朋三者懇話会からの提起)

第14回から第18回の同朋三者懇話会は、本山からの出席のもとに行われました。糾弾学習会・同朋三者懇での課題を全国的に展開するべきであるという申し入れに対して、1991年7月18日付で本山から次のような回答を得た。

  一、先の過去帳・墓石等の差別の実態調査について。

1・寺院名の公表について
 先の過去帳・墓石等の差別の実態調査にあたり、寺院名を公表する段階にまで至らなかったことを、教団として誠に遺憾なことと受け止めております。調査実施直後に、備後教区の一寺院から自己告発と部落問題解決への積極的な決意表明がなされましたこと、また、糾弾会並びに同朋三者懇話会での学びのなかから、今年四月に安芸教区においても一寺院が名乗りでられました。
  こうした事実を教団として真摯に受け止め、早急に研修の徹底と充実をはかってゆく所存であります。まず今秋に開催いたします「連区別基幹運動研修協議会」の主題を同朋三者懇話会で取り組まれた内容に学ぶこととし、各教区での取り組みを促し、教団あげての取り組みとしてゆきたいと考えております。
 2・調査後の過去帳閲覧禁止措置について
先の実態調査で報告されておりますように、従来より過去帳が身元調査に利用されてきた事実があったことは看過することができません。教団ではその実態を深く受けとめ、過去帳またはこれに類する帳簿の取り扱いについて、同朋教団の宗楓に反しないように記載事項の限定や閲覧禁止等の基準を定め、1986(昭和61)年に総局告示として施行いたしました。それは、御同朋の社会をめざして基幹運動を進める私たち一人ひとりが、自らの信心に関わる問題として、また各寺院が親鸞聖人のおこころを社会に具現してゆく寺院として、差別をなくし、いのちの尊厳をまもる営みに強力に取り組んでゆくことを明確に打ち出したものであります。この総局告示以来5年を経過しようとしております。その間教団内への周知徹底に努めてきたところでありますが、旧来の陋習を払拭すべく、現行の措置を継続して告示内容の徹底をはかってゆく所存であります。

二、同朋三者懇話会で論議されてきました業・宿業の問題、真俗二諦をめぐる問題等の宗祖の立場に基づいてのとりまとめと、宗門内への周知徹底について。

  同朋三者懇話会で取り組んでいただいた業・宿業、真俗二諦等の問題は、まさに教団自身が直面している切実な教学課題であり、基幹運動推進の上で避けて通ることのできない重要な内容をもつものであります。  そうした立場から、同朋三者懇話会で提起された事柄を今後の基幹運動研修計画の中心に組み込んでゆくこととし、早速研修資料の作成に着手することといたしました。本年度内に研修資料を作成し、明年度より教団あげて研修の徹底と充実をはかってまいりたいと存じます。


  この回答文に「一」として「免責条項」と「過去帳閲覧禁止」という具体的問いと、「二」として、「真俗二諦」と「業・宿業」という教学的課題にわけているが、別々に切り離して考えてはならないことは本山に対して何度も釘をさしている。第18回の同朋三者懇話会の席上で、当時の基幹運動本部長の松村総務の言葉にもあらわれている。

  過去帳差別記載の調査にかかわる「免責規  定」を設けたこと、また「免責規定」を設けなければ調査が行なえなかったという宗門の体質を反省し、自ら問うていくため、「三者懇のまとめ」等をテキストにして研修の徹底をはかる

◆(本山の作成した研修資料『御同朋の社会をめざして』の内容)

  同朋三者懇話会からの提起を受けて、教団では、1992年度より教団の主催する僧侶研修会を全国一斉に行うこととなり、1992年4月に、研修資料として『御同朋の社会をめざして』(基幹運動本部編)がつくられた。
  これによって同朋運動を基点にした全国の僧侶研修会がはじまったことの意味は大変大きい。そのことを認めた上で、研修会のテキストとして作成されたものの内容がまさに「真俗二諦」の状況を表していることを指摘せざるを得ない。
  テキストとして作成された『御同朋の社会をめざして』は、「はじめに」と「学ぶにあたって」という項目を最初にもうけ、その後「真俗二諦」「業・宿業」「信心の社会性」という三つのテーマについて論じた所、さらには資料的に「過去帳差別記載糾弾学習会・同朋三者懇話会まとめ(抜粋)」と「過去帳差別記載糾弾学習会の経過」「同朋三者懇話会の経過」を掲載している。このテキストの最大の問題は、過去帳差別記載糾弾学習会で何が問われたのか、「免責条項」と「過去帳閲覧禁止」についての問いかけは教団の全僧侶にたいしてのものであることが明確にされていないことである。これでは糾弾学習会を受けなかった教区の僧侶の人たちが、なぜ今全国僧侶研修会という形で「真俗二諦」等の三つの課題を研修テーマとするのか分かるはずもない。このテキストには確かに「過去帳差別記載に対しての同朋三者懇話会の取り組みに深く学び」と書いてあるが、問われた二つの問いについては全くしるしていないのである。なぜに同朋三者懇話会で「真俗二諦」を問題にしたのか。それは「免責条項」と「過去帳閲覧禁止」を自分自身の課題としえない僧侶の意識は、「真俗二諦」という教学が身についているからではないのかという反省からであった。「信=いわゆる御安心」と「俗=免責条項・過去帳閲覧禁止への二つの問い」というように分けてしまい、問いに答えられなくても僧侶であることに何ら問題はない、依り所である信心はいささかも揺るがないという意識が問われたのが、「真俗二諦」を問題にする意味だった。
  したがって「真俗二諦」の教義を論ずることが第一の主眼ではなく、「免責条項・過去帳閲覧禁止」を克服するための過程として「真俗二諦」をとりあげたということが、『御同朋の社会』のテキストにおいては抜け落ちてしまった。穿った見方をすれば敢えて抜いたとも考えられなくもない。同朋三者懇話会と本山との間では、その点をくどいほど確認してきた経過があるからだ。なぜか、問われた問いに答えるということは、本山は本山の責任が問われることはいうまでもない。「免責条項」へどう決着をつけるのか、「過去帳閲覧禁止」をどうするのかと。問いに蓋をしてしまったということは、問われた責任に蓋をしたということである。問われた責任に蓋をしながら、なおかつ学習課題としては、「信心の社会性」を教学課題として掲げる矛盾がおきている。「真俗二諦」を課題にしながら、問いかけに蓋をすることにより、結局は「真=御安心」と「俗=社会からの問い」を分けたことにしかならなくなっている。二つの問いこそ僧侶が担わなくてはならない具体的「業」そのものであるのに、それは無視して業論の教義のみに話しが展開していく内容になっている。このテキストには本山の責任逃れの姿勢がそのまま出たといっては言い過ぎだろうか。
  また本山が、備後教区・安芸教区での問題展開をそのまま全国にもって行くことは出来ない。それは各教区の抱えている事情があるから、一度教学として一般化して、個別の問題はそれぞれで取り上げると考えたとすれば、その運動論は決底的に間違っている。「差別の現実から学ぶ」ということは、どこでその問題が起ころうと、その事件を明らかにし、事件を生み出した背景をたずねていく中で、共通の土壌を打ち破っていく事以外に、差別を打ち破る方法はない。それは水平社いらいの部落解放運動が確立してきた運動論であり、私たちも糾弾学習会の中でそのことを学んだのである。

◆(各地の僧侶研修会での声)

  こういうテキストの内容では、糾弾学習会を経験していない他教区の僧侶の人にわかるはずもない。単なる教義の見直しぐらいにしか受け取れないのである。
  1994年に某教区の僧侶研修会の講師として出席し、なぜ僧侶研修会がひらかれるようになったか、何が問われ、なぜ三つの課題が提起されているのか話しをさせてもらう機会を得た。その時はじめて、なぜ僧侶研修会が行われるようになったのか、その意味が解ったという声を多く聞いた。そして、その時何と一人の住職が自分のお寺の過去帳に差別記載があることを名乗りでられたのだった。
  それはけっして私の力でも何でもない、問いかけられた問いの重さを伝えただけにすぎないのである。多くの他教区の人たちから、テキストが難しいという声を聞いたが、そうだろうと思う。
  二つの問いかけさえはっきりと提示されていれば、それが具体的であるだけに、議論が教学論議になったとしても、「では今の議論は問いかけに答えうるものになつているだろうか?」というように、帰っていく所があるわけだ。しかし、それがない議論は、議論のための議論が繰り返され、たがいの教学理解を主張しあうだけになってしまう。

◆(教学を捨てるてところからの出発  −教学論議好きという業を断つために)

  「僧侶は教学論争が好きだ」ということは江戸時代も現代も変わっていない。教義を論じていれば、一端の僧侶になったかのような気分も確かに持つことができる。江戸幕府は教団に訓古注釈の教学の研鑽を勧めたというが、その呪縛はいまだとけていないというところか。ほとんどの場合、教学を論ずれば論ずるほど、現実から遊離してしまう。なぜなら、教義そのものの前提が、「生活の領域」と「信仰の領域」を分けた「真俗二諦」になっているからである。「真俗二諦」が間違いだという議論さえ、その論議が現実の「真俗二諦的現実」を課題としたものでない限り、「真俗二諦」はいけないというだけで、「真俗二諦的現実」の上に胡座をかくだけになってしまう。まさに不毛の論議である。
  社会性をもたない教学。問いが明確でない教学は教学オタクにしかならない。趣味の領域である。しかしそのオタク教学が幅をきかせる現状は本山を護るだけで、社会にあっては百害あって一利なしである。一見社会からの問いに答えているように見えながら、問いそのものを自分の存在そのものへの問いかけとしないから、結局は社会のバランス感覚に眼を配りながら、本山の弁護することにしかならない。
  むしろ、「わたしは安心なら話しが出来るが、靖国や差別の問題は話せない」などという考える人の方が、あまりに観念論にすぎて人が相手にしないということでは害は少ないかもしれない。
  「まず最初に教学ありき」という姿勢を捨てることからしか始まらないのではないか。教学を学び、論ずることの中には、僧侶の自己保身が根深く存在している。最近、勤式を学ぶ若い僧侶が増えたということが話題になったことがあるが、それ以上に「教学研究会」「勉強会」なるものが花盛りである。一体何を学ぶのか。「仏の論理だけを語ればいい」というお寺の権威を固めていく勉強だろうか。社会の中で、今の寺院・僧侶が何か役割を果たせないかという勉強だろうか。もっとストレートに寺院の生き残り戦略の勉強であろうか。本山の学階をとり、いずれ勧学・和上になるための受験勉強であろうか。もっとまじめに「本当の親鸞のこころとは何であったのか」を尋ねる勉強だろうか。  いずれも「否」と拒否するところにしか教学の呪縛から解放される道はない。もし教学を学ぶ意味があるとすれば、その人が社会の問い・問題を自らの課題として、悪戦苦闘の中から現実を切り開いてゆくことの中に見い出した教典解釈なり親鸞理解のみである。糾弾学習会の中で小森龍邦氏から、「宗教者は宗教者の立場で答えてほしい」と何度も要請されたのを覚えている。これだけ聞くと、教学の言葉を使って専門用語でというふうに誤解する人があるかもしれない。また、仏教の教え、本来の親鸞の教えを語ってほしいということでもけっしてなかった。その意図は、「宗教者であるなら自分を深く見つめているはずだ。その自分を深くみつめた中から答えてほしい」ということだった。そこには「専門用語」も「親鸞聖人の教えは何か」ということもいらない。問いと真向きになった自分自身の言葉が語られることが待たれているだけである。

第3章  普遍主体論の陥穽

◆(議論の成果は課題を明確にしえたかどうかによってきまる)

糾弾学習会がそうであるように、学ぶということは、「直接の差別事件の内容」が問われるだけではなく、その差別事件を生み出した背景が問題となる。その差別を生み出している「社会意識としての差別観念」を具体的に課題としていくことが糾弾学習会の狙いであったことをしらされた。
  「真俗二諦」を論議するとき、まずはじめに「親鸞聖人の基本的立場は何か」を原理として明らかにし、以後の教学の親鸞思想にいかに背くかという切り方で論じていく立場がある。これは一つには「真俗二諦」という安心論題の教義の枠組を壊していくのには大変有効であることは認めざるをえないし、その意味で歴史的に大きな役割をはたしてきた。
  しかし、教義の枠組が壊れただけでは、「真俗二諦的教団・寺院の現実」は丸ごとそこに残っている。問題はそれをいかにすれば変えていくことが出来るかということだ。教団や僧侶にたいする問いかけはそこにあるのだから。
  「真俗二諦」の教義の間違いを言うことにいそがしく、ことばを代えれば親鸞の原理的立場をいうことのみにおわって、教団や寺院・僧侶の真俗二諦的現実の一つ一つが課題になっていかないならば、教義の間違いの指摘も、原理的立場の繰り返しも、「こころの内面の問題」に落ち込んでしまうといえまいか。
  全国の僧侶研修会で教団内で問題と思われる習俗・習慣のアンケートのうち最も多かったのは「類聚制度」と「院号法名」であった。多くの者が悪いと思いながら課題として提起することがなかったのはどうしてか。「必要悪」としてやもおえないとあきらめてしまっているのだろうか。備後教区では、過去帳差別記載糾弾学習会・同朋三者懇話会のまとめとして出した『業を担って』の冊子の中で、不十分ながらもその点について歴史をさぐっていった。問われながら口をつむってきた問題であもり、私たち僧侶が差別に対して無感覚になってしまっている土壌がここにもあるからだ。
  「なぜお坊さんだけは内陣にすわってお勤めをされるんですか?」という問いを解放運動をやっている男性からたずねられたことがある。考えるまでもなく江戸時代に確立された僧階制度(僧侶の教団内身分)により本山・「末寺」での座る場所がきめられていたものを今も継続している以外の何ものでもない。こんなことさえ課題にならない教学とは一体どれほどの意味があるだろうか。内陣の畳みをあげ、外陣でお勤めをすれば済むだけのはなしである。それさえ出来ずに、しないことを親鸞の言葉をこねくりまわして言い訳するとは、親鸞教学は言い訳教学といわれてもしかたあるまい。
  「なぜお坊さんは衣の色が黄色いのや赤色があるんですか」という問いもよく耳にする。言うまでもなくこれも教団内の僧侶の身分以外の何ものでもない。しかれば一番下の黒衣のみを着ればいいだけの話しである。「みんなが好きな色を着ればいいんじゃないか」と呑気な話しをする向きもあるが、本山や別院、そして門主の組巡教などでは、厳然と衣の色が守られているわけだから、その制度がある限りそれえの批判を貫くには黒衣しかない。なぜそれだけのことが膨大な教学を学びながら出来ないのだろうか。
  過去帳にしてもそうである。今のように学校の内申書にしても、病院のカルテにしても個人の情報は個人に返すということが言われる時代に、先祖の法名だけはお寺の過去帳にだけ記載されていて何の疑問も感じないという方がおかしいというのが糾弾学習会での質問でもある。しかし、それをおかしいと知らされたら、門徒過去帳を作るなりするのが僧侶の社会性であり、真俗二諦的現実を破る具体的歩みである。それが学んだ証し(しるし)ではないのか。「証し」が何もないとなるとそれは本当の学びなのかといわざるをえない。
  教団・寺院の制度や慣習は教学よりも現実場面でははるかに大きな働きをしている。それを信心の問題にし得ない姿こそ、言葉では真俗二諦をどれほど否定したとしても、その思想の内実は真俗二諦になっているのではないのか。
  確かに大坊・小坊、門徒制度と一朝一石にいかない問題はや山ほどあるだろう。しかしいかに長い歴史をもったものであつても人間の作った制度は必ず変えることができる、この思いを失ったら、そこには真俗二諦への誘惑にスッポリとはまりこむしかない。変えることが出来ないのは、私が寺の住職の息子に生まれたということだけである。

第4章  ポスト・モダン教学の問題

◆(僧侶のプロ意識の肯定−新たな真俗二諦の肯定論)

  教団内のポスト・モダンの教学を称える人の中から、僧侶はプロ意識に徹しなくてはならないという声を聞く。はたして何のことかと思いきや、「同じお経でも、僧侶のお経と門徒のお経はありがたみが違はなくてはならない」ということらしい。
  とはいっても、いくら力んでもお経は同じお経である。だからいろんな仕掛けをしなくてはならなくなる。ことさらに僧侶と門徒の違いを強調する方法を考えるわけである。
  教団の中で儀礼論の必要がいわれているが、どうも僧侶の権威化と結びついている。例えば「内陣は浄土の荘厳であるから、そこにおいては阿弥陀さまの代官として振る舞うべし」などというような考えが主張される。いつから凡夫は浄土の荘厳の中にこちらからノコノコ入っていって、仏さまを演ずるようになってしまったのだろうか。法主は「生き仏」であり、門徒はこちらから拝むという江戸や明治時代さながらのものを再復活しようというのなら、自分を最終解脱者としたオウム真理教の麻原彰孝とどれほどの違いがあろうか。それは、僧侶のアイデンティティを作るためにということであっても、まるごと江戸時代の封建身分制度を反映した教団内身分の肯定につながっていかざるをえない。
  ポストモダンを実践するあるお寺では、最近朱塗りの結界をワザワザ購入し、高座の説教をはじめた。僧侶と門徒を分ける結界は、まさに聖域と俗界を境である。結界の内側にしつらえた高座からの説教は、まさに違うステージ(世界)から人間の言葉のごとし。となるはずだろうが昔なら満堂の本堂でサマにもなり、皆から見えるという意味もあったのだろう。しかし広い本堂に十人ばかりの参詣者を前にした高座の説教を想像してみてもらいたい。
  その姿を見た私は、オウム真理教の空中浮遊の写真とダブッて写ったのは私の思い込みであろうか。ステージが違うと。
  ポスト・モダンの教学では「近代教学」が現場を失った教学として、「先祖供養の教学」「現世利益の教学」などを展開しようということらしい。しかれば、その現場とは何をさすのか。先生方の書物を管見するところ、現場とはいわゆる御門徒をさしているようだ。以前であるなら、住職の言うことをそのまま「ハイハイ」と聞いていた門徒が、新宗教・新々宗教に走ってしまうので、真宗寺院として何とか自衛策を考えねばならないというニオイがいくら横文字をちりばめてみても伝わってくる。
  「先祖の霊を供養するシャーマンでもいいじやないか、あえて間違いと知っていながら先祖供養をのぞむ門徒の心情に添うために、悪を引き受け、自分は地獄に行っても門徒を助けるんだとでも理屈ずけ」がなされているようだが、これもオウムの恐ろしい主張と似たりよったりではないか。神通力を持った解脱者・麻原になら「悪業をこれ以上犯させないためにポア(死)を与える」というタントラは、行う立場は同じである。
  こうした考えを持つ住職は、一人でも二人でも御門徒の中に本当に宗教を求めているという人がいるということを御存じないらしい。
  神の問題もプルーラリズム(多元主義)とかで、認めてしまおうということも、現状の重層信仰の状況に流され、理屈をつけたとしか思えない。ここでも、地域の中で氏子を離れ「神祇不拝」を掲げて真宗の教えに生きるほれぼれとするような御門徒との出会いがないらしい。
  糾弾学習会・同朋三者懇話会の中では、親鸞の思想を掲げて部落解放運動を行おうという多くの被差別部落の人たちとの出会いがあった。その人たちと生きる場も私にとってはまた現場である。
  親鸞の教えにより反靖国の歩みを進める中で出会った、僧侶と門徒という枠を請えた人たちとの現場もあれば、市民運動の中で出会った多くの人たちとの現場もある。
  そのすべての現場から問われているのが僧侶である私自身である。そこには私は僧侶であるからという聖域などはない。僧侶だからこそ僧侶としての現実の問題への具体的姿勢が問われているだけである。
  あまり「今までの教学には現場ないない」と言うべきではない。現場のない人など一人もいるはずはないではないか。それをいわゆる従来の寺院と門徒という枠の中にのみ現場を矮小化してしまうことの方が、現場を本当に小さくしてしまっているのではないか。
  そして最大の問題点は、自分は「悟り」の立場に立ち、門徒をあまりに愚民視した考えかただということだ。御門徒はそんなに愚かではない、市民はそんなに無知ではない。それはただ自分への問いかけの耳を塞いでいるからそう見えるのだ。
  まさにそこには新たな「真=教団・僧侶の権威化」と「俗=僧侶のプロ化と門徒の愚民化」というものを再構築しようという以外の何物もない。そしてそれは社会や教団に新しい枠組を作りだすのではなく、江戸時代への時代錯誤的な復古主義にならざるをえない。

おわりに「真俗二諦」を克服する念仏者の運動論

  具体的事実から出発する。

  差別の具体的事実から出発する、それが差別問題に取り組むポイントであった。それからすると同じように具体的問題から出発することが「真俗二諦的現実」を克服する出発点である。そして問題の中からどのような訴えや問いかけが私たち僧侶に向けられているのか、それに正面から応えていくこと以外に身にしみついた「真俗二諦」的現実の克服される道はない。問いに応えることなく、教学の反省や僧侶の体質の反省を述べることは、言い訳にしかならないことを心すべきである。

  教団・寺院の歴史と現実を問う。

  今まで私たち僧侶の取り組みが、とかく「過去のことは過ちであってもそれには触れずにおきたい」「過去を云々するよりも、別のところで活路を見い出してゆきたい」という形になりがちだった。しかし具体的問題の一点から逆上って、明らかになってくる差別を温存・助長してきた背景(歴史)を明らかにすることなしには、差別を作り出した土壌をみんなの問題としてゆくことはできない。

  問いを投げかけた人と共に、問題を共有する場を持つ。

  差別の中から訴えられた問題は、差別を受ける人に返してゆかなければならないことはいうまでもない。。それは今まで差別する者と被差別される者としてバラバラであった両者が、具体的差別の事実を前に出遇う場を持ち、そこで自らの差別の歴史と現実が明らかになって、僧侶の責任をはたしていくことのできる場がひらけてくるからだ。
他の問題においてもそれは同じことである。

  教団・僧侶が、それぞれ自らの責任を問う。

  差別の具体的問題を問うことの中から明らかになつてくる、差別事件を起こした本人の問題、そしてまわりの僧侶一人一人、一ケ寺一ケ寺の問題、そして教団全体の問題とそれぞれの段階で担うべき責任を明らかにする必要があることは言うまでもない。。差別事件を起こした一人に責任のすべてをおわせることも間違いだし、すべて教団の回答まちということも間違いである。それぞれが立っている場において取り組むべき課題を明確にし、問題の責任を具体的に担うということが大切だと糾弾学習会から教えられた。「真俗二諦的現実」の克服においても、教団の責任と自らの責任を明らかにして取り組んでいくことが肝心である。

  あるべき姿にむかって具体的展望を。

  「学んだ証しはただ一つ、なにかが変わることである」(林竹二著『学ぶこと』)と言われる。一人一人が現状を切り開き、「真俗二諦的現実」を克服する一歩を踏みだすことが出来ないならば、学んだということも、反省したということも、ただことばだけでおわってしまう。
  「運動」と「教学」と「信心」をトータルな形で現実の僧侶の生活の上に回復してゆくことこそが将来への展望を開くことであり、「真俗二諦的現実」を一歩一歩克服していくことになる。

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