教学研究紀要第5号・1997年3月

解放の主体となる「業」理解とは

小武正教
はじめに
第一章  今まで、「業」が、差別に苦しむ人々から問われてきた
・第一節  「悪しき業論」が問われて来た
・第二節  具体的課題が僧侶の「業」ではないかと問われた。
・第三節  解放の主体となる業理解の仕方は?
第二章  被差別部落の人たちに本願寺教団が答えてきた業の解釈
・第一節  悪しき業論の否定
第三章  「業」の再生のための視点
・第一項  実体的輪廻観ではなく、象徴的輪廻観の受け止めを
・第二項  実体的輪廻観のもたらしたもの
第四章  業を象徴的輪廻の表現として受け止める。
・第一節  「業」は歴史的・社会的集積を表す
・第二節   小森龍邦氏の「業・宿業論」
・第三節  「西光万吉の業論」と「小森龍邦氏の業論」
・第四節  被差別部落における業の受けとめ
第五章  人間の存在の根源的矛盾としての宿業
・第一節  人間の存在の根源的矛盾
・第二節  「業を担う」上での落とし穴−「驕慢」と「懈怠」−
・第三節「変えられること」と「変えられないこと
第六章  差別と「煩悩」と「業」
・第一節  「煩悩具足の凡夫」の自覚とは
・第二節  「業・宿業」という水平の自己認識と、「煩悩具足」という垂直の自己認識
・第三節  「差別の現実」から問い返された真宗の「すくい」とは
おわりに


はじめに

  現在私たちの教団の僧侶研修会・僧侶研修会などで僧侶や布教使の最も強い要望の一つに「業をどうかたればよいのかわかりやすく教えてほしい」ということがある。水平社より、真宗教団の業理解が差別を温存助長するものになっているのではないかという指摘かせなされて七十数年、私たちの教団はその指摘の意味がわかっているかといえば、はるかに遠いいと言わざるをえないが、「あなたの今の境遇は前世の業だ」という昔ながらの業理解は「マズイ」ということはある程度徹底したようである。ただしこの「まずい」というのは、たいていの場合が「差別されている人に不利益をもたらす」という意味ではなく、運動団体などから「追及されるからマズイ」ということである場合がほとんどで、主体的な判断ではない。したがって今の段階では「業には触れるな」という暗黙の了解事項のような雰囲気が出来あがっている。
  しかし、「業」という言葉に象徴されるような、人間存在の全体性や深さを言いあてた言葉を放棄してゆくとき、真宗の教えは非常に浅薄なものにならざるをえない。そのことは当然として法話が単に道徳的訓話となったり、また人権などの真宗以外の概念をそのまま持ってきて真宗と重ね合わせてしまうということも起こってくる。
  そこでやはりその反作用のような形で、「仏教としての業理解がなされなくてはならない」という声が再び出てくることにもなる。ではその「仏教独自の業理解とは何か?」と聞いてみると、「輪廻観を否定すると仏教にならない」という意見にすぎないことが多い。輪廻観を軸にしてこの世と人間を切ってきた人は根底においては容易に変わっていない実態がしられる。まるで今の教団の力なさを見るにつけ、「昔の栄光?」を復活させるためにはそれしか方法がないと言わんばかりである。 またそこまでストレートに復古主義の姿をとらないで装いだけは「近代的知性」の批判という姿をとる立場も現れている。つまり現代起きている様々な問題は近代的理性を尊重するあまり起きた問題であり、その近代の超克こそが宗教に課せられた課題なのだという考え方である。その考え方は基本的には正しいと私も思う。近代の理性主義がつきあたっている困難さは、原発・環境問題・資源の枯渇から資本主義経済による貧富の格差・南北問題に至るまで現在の閉塞状況を作り出していることは言うまでもない。しかしいくら未来への展望が開かれないからといって、江戸時代を「それぞれの分を守って生きた」「分限社会」などと言って持ち上げていくならば何をか言わんやである。それはまた封建身分制度という絶対悪をあえて覆い隠してしまう、新たな復古主義だと言えるのではないか。
  そして、目を教団の外に転じて見る時世間で洪水の如く流される情報は「悪しき業」の垂れ流しである。今時代は新々宗教ブームと言われて久しいが、様々な教団が生まれては消え消えては生まれてしているが、その実体を一言で言えば「霊魂」と「輪廻」がベースである。5年程前の新聞に、少女三人が自分の前世に出会うため睡眠薬を飲んだ所をあやうく助けられたというような事件も報道されるなど、子供たちの世界にも大きな影響を及ぼしている。その頂点に立つのが様々な事件を起こしたオウム真理教であろうが、マスコミはオウムの犯罪を極悪と批判し糾弾しても、霊ブームを作り出しオウムに至る土壌を耕した自身の姿を自己批判したということはついぞ聞いたことがない。
  また反対に、そうした世間の状況があるからかもしれないが、復古的考え方をする人の対極として、もう「業」を言わない方がいいんではないかという考え方をする僧侶もいる。「悪しき業」を批判していくのは当然だが、業という言葉を使う限りにおいて必ず誤解を招くというものである。もう「業」ではなくて、「いのちの尊さ」というような表現で真宗の教えを伝える方がいいというものである。この考え方には一理ある。業という言葉は決して過去の言葉でなく、今も私たちの身に血肉化しているだけでなく、現在の新々宗教ブームの中で再び広まっているということがある。業といっただけで、「前世の  」という言葉が条件反射で思い浮かぶ程だといっても言い過ぎではない。
  しかし「業」に変わる言葉を紡ぎ出し、新たなその言葉で現在の閉塞状況が切り開かれるかと言えばそこまではとても至っているめとはいいがたい。今私たちは二十一世紀を前にして、宗教の存在そのりものが問われているといっても言いすぎではないと思う。そしてやはりそのキーワードとなるのが「業」という言葉であると思う。私の考える所は、「業」という言葉を再びみがき苔や汚れを落として、人間の存在全体を言い当てた言葉としてそして自己を解放していく言葉として現代に再生させることが出来るかどうかにかかっていると思う。あるいはそれは新たな言葉を作り出すことより困難なことかもしれない。しかし、「業の再生」は釈尊や宗祖が歩まれた道であるからには、「すべに道あり」ということである。
 

第一章  今まで、「業」が、差別に苦しむ人々から問われてきた

  教団は今、基幹運動を展開する上で、「真俗二諦」「業・宿業」「信心の社会性」という三つの課題を掲げている(※1)。その中の一つに「業・宿業」が掲げられている。それは「業・宿業」を説くことで、「信心」と「社会」とを分離してしまい、社会の具体的問題に目を向けず、念仏者として社会の現実や人々の苦悩を担おうとしてこなかった「信心」の味わい方・受け止め方の根本的見直しをしようというものだ。「業」を「単なる一人の問題」として受け止めてきたことへの反省から生まれた課題である。
  そしてもう一つ大切なことは、この三つの課題は、教団内に起こり続ける差別事件にたいして、被差別部落の人たちの問いかけの中から生まれてきたという事実である。今私たち僧侶は、「なぜ念仏者を名告る僧侶が、同朋教団を標榜にする教団が、現実には全くその教えに背く姿をさらけ出すのか」と厳しく問いかけられている。そしてそれは差別事件のみを問われているのではなく、事件を生み出した教団と僧侶の差別意識や差別体質が問われているということだ。その意識を生み出す教団の制度や慣習ももちろん問われているということである。問われた問いにまず答えていく、それが問われた僧侶の社会的責任であり、教団と僧侶の「業・宿業」を担うことでもある。

第一節  「悪しき業論」が問われて来た

  解放運動をリードする小森龍邦氏が、『「差別する業」を批判してゆくことはその出発点でもあったと、親鸞思想によつて出発した水平社の立場を語られたことがある(※2)。水平社以前においても、被差別部落民にとって「悪しき業論」は問題であつたに違いないのだが、それを跳ね返すものをまだ彼らは持っていなかった。しかし西光万吉は1922年3月3日の水平社宣言に、「人間が神にかわろうとする時代にあうたのだ」と、やっとその鎖を断ち切ることの出来る時代がきたことを宣言している。さらに西光は、大谷尊由の「親鸞聖人の正しい見方」を批判し、次のように述べている。
 
  「親鸞聖人の正しい見方」をされる尊由氏にいわせれば、「聖人の同朋主義の価値は、これを法悦生活の上に体験せねばならない。社会改造の基調などにひきつけるにはあまりにたっとすぎる」そうだから、結局「大乗仏教の見方」で眺めても、「大乗仏教の哲理思索」をしても、社会改造のごときはあまりに卑しすぎる「理想」である。そこで、「自然に成り立つ差別は差別として、その上に人類平等の理想を実現しよう」とされるのである。なるほど、これでは諦めるよりほかはないるここでは、自然がいかにものどかさの霞を棚引かせているからである」(※3)


    確かに、西光の文章の中に直接「悪しき業」への批判はないが、水平社への批判として書かれた大谷尊由の「親鸞聖人の正しい見方」への批判の書、「業報に喘ぐ者」を著すことによって、差別を温存助長する「悪平等論」等の理解を徹底的に批判している。

  しかし1935年に第2回の全国水平社の本願寺問責第2回の会見にいたって、井元鱗之氏が「業」「旃陀羅」の問題を提起することとなった。井元氏は『部落差別と仏教の業思想』の中で次のように述べている。
 

    私ども部落解放運動にかかわってきた者にとりまして最も焦点となるのは、宿業説と申しましょうか、因果応報、自業自得の語句で代表される因果論を中心とする「業」の解釈の問題と、それに関連した旃陀羅問題であります。皆さんはすでにご承知のことと思いますが、全国の各地で説教師が旃陀羅を口にし、その旃陀羅は日本における特殊部落民であり、それは前世で犯した罪の報いとして現世で特殊部落に生まれてきたものである。と高座の上から公然と説教し、差別問題を惹起し紛争を招いた事実は枚挙にいとまがないほどであります。(※4)


  さらに、「業」については1945年5月の亀川事件で、生長の家の布教使が、「不幸な運命に生まれるものは、不幸な種をまいている。幸福な運命に生まれるものは、幸福な種をまいている。部落やハンセン病に生まれるものは、そのような種をまいている(※5)。」の発言を謝罪した際に、「あれは、仏教で言う因果応報の話しをしたのです」と述べるにあたり、特に本願寺教団に対し仏教の業論と部落差別についての解明を要請したのである。
  こうして私たち本願寺教団が「悪しき業」についてどう決着するのか突き付けられることになったのである。1995年暮れから、部落解放同盟によって現在行われている点検糾弾会もその問いの延長にある。「なぜ教団内の僧侶が次々と差別事件を起こすのか?」という問いは、差別を生み出すような背景を問い返してきたかということが問われている。それは、差別を作り出してきた「悪しき業」の考えが克服されているかということが問われているのである。
 
 

第二節  具体的課題が僧侶の「業」ではないかと問われた。


  「業・宿業」によつて示される事柄が、「前世」などという特異な問題ではなく、私たちの抱える日常的問題の内容なのだということを突きつけられたのが安芸・備後過去帳差別記載糾弾学習会であった。
  まず糾弾学習会に至る経過を簡単に述べると、1979年、世界宗教者平和会議でのいわゆる町田差別発言がきっかけとなり、宗教界の差別体質が問題となった。1983年、西本願寺教団でも、全国の寺院を対象に差別法名調査が行われた。その結果全国で、9教区21カ寺の過去帳に差別添え書きや、被差別部落だけを別冊にした過去帳などの差別記載があることが判明した。差別記載の存在が報告された備後教区4カ寺、安芸教区7カ寺の内の、備後教区の一住職(真澄瑛智氏)が、1983年4月、部落解放同盟広島県連合会の地元支部へ差別記載の事実を提起された。この提起をうけて、部落解放同盟より、備後・安芸両教区は、過去帳差別記載への対応と総括を求められたが、本山の指示をまっているだけで、1年半以上具体的対応も総括もできないまま、両教区の僧侶全員が糾弾学習会に臨むということになった。1985年10月から、福山の解放会館・広島の中央公民館を会場に、両教区の僧侶約二百名〜三百名、部落解放同盟から約二百人が参加して、3年にわたり7回の糾弾学習会が行われた。さらに論議をつめるために人数を絞って、部落解放同盟広島県連合会、備後教区、安芸教区の三者により同朋三者懇話会(95年9月現在23回)という形で現在も論議が続けられている。(※6)

◇(なぜ糾弾学習会になったのか。「自らの  業・宿業が担えない」僧侶の姿が問われ。)

 「差別事件においてもっとも大切なのは、差別をしてしまった後、どうとりくむかである」と言われる。いかに反差別の闘いをしている者でも、ときには意図せずして差別発言をしてしまうことはありうることだ。大切なのはその後どうするか、「みずからの過ちを認め」「その背景の意識を明らかにする」という中で、その人の差別への取り組みの姿勢が問い糺されることになる。
  そこがはっきりと自覚されていないと、差別事件お起こした者を、回りの者は「失敗したもの」として排除されるということがおこってくる。いつのまにか自分は差別などするはずのないという立場にたってしまい、差別をしてしまった者と差別をした者を非難する者に分かれてしまう。
  この時こそ親鸞聖人の「さるべき業縁のもよほさば、いかなるふるまひもすべし」という自覚にお互いが立ち返ることが大切な時であることはいうまでもない。同じ人間の業を持つ自覚が出来るかどうか、そこに教えに生きているかどうかが具体的に問われた場であった。
  残念ながら備後・安芸両教区において、問われた問いを自らの手で明らかにし、僧侶の中に共通の「業・宿業」として課題とする場を作りえなかったというのが糾弾学習会になった最大の原因である。なぜ本山の指示まちになったのか。「過去帳に差別記載があることをどうするのか」という私たち僧侶にたいしての問いかけを、僧侶一人一人がどれほど重い問いとして受け止めていただろうかということである。
  差別を受けてきた無念の思いの中から語られた怒りの声も、なぜ正面から受け止めきれなかったのか、それは私たち僧侶の意識の中にそのように突きつけられた問題こそが「自らの業・宿業」なのだという受け止めをする考えを持っていなかったことによる。何か「業・宿業」とはそうした差別などの問題ではなく、生死にのみ係わる特別な領域の問題でもあるかのように考えていたということを、後の糾弾学習会・同朋三者懇話会の中で知らされることになった。

◇(糾弾学習会で問われた、僧侶の「業・宿業」

(1)添え書きの寺院の自己告発,免責条項)(※7)

  糾弾学習会の中で、「過去帳に差別記載のあったことをなぜ公表出来ないのですか」と問われた。そこには、本山がおこなった差別法名調査の折、本山が「調査結果は公表しない」という「免責条項」をつけなければ調査ができないと判断した教団の差別性と、そのことを見ぬけなかった僧侶の問題意識の低さがある。

  第3回糾弾学習会では次のように解放同盟から問われている。

    「私がこだわっているのは、例えば基幹運動本部で発表する段階ではないと通達がかりにあったとしても、現実に自分の寺院に差別記載の過去帳が発見されたのは隠せない事実でありますから、その中で本当に個々の寺院が、「うちの場合はこういった間違いをしているんだから、堂々と仏法的制裁も受けて当然である」というようになってはじめて究極の反省が出てくるのと違うのですか。そうしないで寺院の名前も、今まだ発表する段階ではないというような対応の仕方で、本当に宗教界−備後・安芸教区のことですが−あげて深刻な反省ができるのですか」
  1991年第18回の同朋三者懇話会では、次の点について同朋三者懇話会と本山との間で次のように確認をしている。
    「過去帳差別記載の調査にかかわる『免責規定』を設けたこと、また『免責規定』を設けなければ調査が行えなかったという宗門の体質を反省し、自ら問うていくため『三者懇のまとめ』等をテキストにして研修の徹底をはかる」(※8)
それ以後の研修の中で、安芸教区の二カ寺のお寺から、自分のお寺の過去帳に差別記載があることが名告り出られるという結果がえられたが、外の備後3カ寺・安芸5カ寺は現在も課題となっている。さらに全国的に言えば、他の7教区10カ寺については名乗りをあげられる状況がつくられていないことは大きな問題である。
  「差別添え書き」のあるお寺が全部名告り出られたら「免責規定」は実質いらないものとなることはいうまでもない。そのことが、地方の僧侶一人一人の責任の取り方にちがいない。そこにおいてはじめて過去帳の差別記載や免責条項を作り出した私たち僧侶の「業・宿業」を克服していく一歩になったと言える。それが「ことばだけ反省」ではなく、社会的責任をともなった反省であり、「業を担った」姿である。
  そのためには、差別記載のある過去帳をもっている寺院だけの問題に矮小化しないために、差別過去帳を作り出した背景が、歴史的にも教団・地域の僧侶全体の「業」として明らかにしえるかどうかがポイントとなることは言うまでもない。
 

◇糾弾学習会で問われた  僧侶の「業・宿業」

(2)過去帳閲覧禁止(※9)

  第3回糾弾学習会の中で部落解放同盟から、「私の先祖の法名が過去帳にどのように記載されているか見せてほしい」という次のような発言がなされた。
 

  (解放同盟)
    私のうちの住職がねえ、『差別過去帳というのはどこのお寺にもみんなあるんや』と。『今回名乗り出たお寺のことで全部のお寺が迷惑しとるんや。だから、できるだけ解放同盟はあまりいじくらんほうがええ』といった。
  身分制度のあの時期に、過去帳の中に差別記載がないほうがおかしいと思うよ。全部あってあたりまえなんよ。うちの住職がいみじくもいうたように、差別過去帳はみなもっとるんや。
  (基幹運動本部
    過去帳を一般に閲覧するということにつきましては、やはり宗教上の記録でございますので、かたくお断り申し上げておりますし、教団としてもそれはすべきではないと、このように判断いたしております。
  (解放同盟)
    だから、自分の先祖の過去帳が見たい。差別過去帳に残された先祖、要求したら見せるべきですよ。(中略)
    部落に生まれた人間がね、部落の先祖の過去帳にエタ・非人と付いているだろうなあということは容易に想像できることですよ。想像できることをあなたたちが一生懸命隠しておられるから、それはとにかくやめてほしいんです。要するに、私はおたくらと話しがしたいんですよ。差別過去帳をめぐって話しがしたいんですよ」
  過去帳の差別記載、また差別法名の存在が明らかになってくると、過去帳に記載された自分の先祖の部分にも、差別記載があるのではないかという疑いが起こってくるのも当然である。しかし、私たちの教団では差別法名調査にあわせて実施した「身元調査に対する寺院の対応について」の調査結果を受けて、1986年に、「過去帳の閲覧」を宗門の法規で禁止した。過去帳による身元調査がおこなわれていることを放置することは人権侵害の事実を容認することになり、この点から過去帳閲覧禁止はやもをえない措置でる。しかしこの措置で、いつまでも先祖の過去帳を見ることができないことになり、「私の先祖に差別法名や差別記載があるのではないか」という不信感がつのること事実である。
  1991年の第18回の同朋三者懇話会において、「私の先祖の過去帳を見たいという願いにこたえてゆけるよう(過去帳のあるべき姿も含めて)検討していきたい(※10)」と同朋三者懇話会と本山の間で確認した。過去帳に記載された先祖の法名を前にして住職と門徒が向き合うために、各寺院がどのような態勢をとるのか、私たち僧侶に問われている社会的責任である。  これまでは、過去帳というのはお寺の聖域で、門徒がそれについて見せてほしいなどと文句をいうことは出来なかった。しかしいまその要求が、過去帳閲覧禁止という僧侶の「業・宿業」を問うという姿になっている。
 

第三節  解放の主体となる業理解の仕方は?

  現在行われている点検糾弾会の備後教区の第一回(12月20日)の中で次ぎのようなやりとりがあった。(※11)
  三つの差別事件の分析のなかで、特に「『本願寺派関係学園理事長協議会』差別発言事件」の分析の中で、「祝金を渡すという行為は、教団の非民主化の反映だ」と書かれた文章を巡ってである。
  質問の要点をかい摘まんで言えば、「今回の三つの連続差別事件を起こした者が、はたして「民主化(主義)」というような迫り方で、自分の差別を認めるだろうかというものだった。もっと自分自身に食い込むような迫り方をしなければダメではないかというのである。
  この指摘の意図するところはよくわかるし、そのとおりなのだが、何故こうした文章が出てきたかと言えば、私たちの教団は特に戦後の民主化の洗礼を受けて、教団の機構などを問い直してきたのが歴史的事実だからである。また教団の差別事件においても、人権侵害という形で問い正されてきたのが実状であり、あえて言えば親鸞聖人の教えに背くという形で差別事件が問題にされてきたのではない。
  いわば、人権の視点から問われることで、やっと差別の実際の場に引き戻され、非親鸞的な自己の姿を知らされてきたというのが本当の所である。
  しかし、点検糾弾会の中でこの指摘をして下さった方たちはそのことも百も承知に違いない。そこには深い期待が込められているように思う。かつて宗祖がそうであったように、また近くにおいては西光万吉がそうであったように、「業」を掲げて自己を了解するがゆえに、より強く反差別の運動を展開していくような真の宗教者が待たれているのである。同朋三者懇話会の部落解放同盟広島県連の第一回目の発表に次のような言葉がある。(※12)
    我々は、我々の闘いの中に西光万吉以来の人間の魂に共感する宗教家を求めているのである。超然と封建教学の鎧に身を固める真宗教団のすがたを、出来るならば部落大衆と共に生きる真宗に復活させたいだけである。

第二章  被差別部落の人たちに本願寺教団が答えてきた業の解釈

第一節  悪しき業論の否定


   1922(T11)年3月3日、水平社が決議され 本願寺にたいして、「部落民の絶対多数を門信徒とする東西本願寺が、此の際我々の運動にたいして、包蔵する意見を聴取し、その回答により機宜の行動を取ること」を突きつけて被差別部落と本願寺の新たな幕が開けた。それは、「悪しき業」によって差別をあきらめさせられてきた被差別者が悪しき業を跳ね返して行く出発でもあった。
  しかし本願寺教団の応答はけっしてそれに答えるものではなかった。というよりも当初は、水平社の親鸞聖人の教えの理解を、「悪平等論」として批判し、逆に観念的な平等を語ったのである。
  1957(S22)年、本願寺教団は亀川事件をうけて、「日本の民主化と仏教の業思想」(同朋会編) を発表する。

  1,「社会民主化と業問題」 大友抱撲
  2,「業と因果」           福原亮厳
  3,「真宗教義と業思想」   大原性実
  4,「真宗史と部落」       里内徹之

しかしこの四編の論文の内1,2,3,の三編の論文に共通する問題点として林力氏が、「部落解放 ふくおか」で次のように述べている。(※13)

a,部落差別への観念的理解
・差別思想がおこったのは、われわれ人間の  すべてが、自分の宿業としてせおっている  自己中心の優越欲による
・歪められた社会現象であり、未解放部落に  生まれでる個人が、先天的責任として責め  られる理由はまったくない。
b,差別的業報思想の主観的把握
・差別的業報思想に対する課題は、誤解・歪曲  されてある差別的業報思想が、仏教の業報  思想ではないことを強調し、仏教の正統的 業報思想を提示することと考える。


  もちろんこうした解釈論的姿勢は現実の部落差別を何ら解決することにはなりえない。岩本孝樹氏はこうした解釈論的姿勢の問題を「業報思想に対する真宗者の態度」で指摘している。要旨をまとめてみる。(※14)

  1. 差別的業報思想の差別性を明らかにしていくことにはならないばかりか、差別的業報思想は厳然として存在し続ける
  2. 差別的業報思想は常に形をかえて教団を代表する真宗者によって説きつづけられる
  3. 差別の現実を問うことを閉じて行く
  4. 業の解釈を改めれば差別意識は無くなるという空疎で無責任な楽観主義を生み出す。
  5. 誤解・歪曲は悪用した者の責任で、真宗者も  教団も被害者であるということにさえなる。
  6. まず護教的立場を元に業報思想を解釈していく
  その後も1972(S47)年、上田義文氏の『仏教における業の思想』が出されているが、差別の問題を感情の問題と捕らえ、差別することさえ自己の宿業として認めていくという論理で展開されている。  しかし、そうした解釈的護教的業解釈がなされるだけではなく、そうした業解釈が観念的であるだけでなく、悪しき業理解を温存助長する無責任なものでしかありえないことを、仲尾俊博氏が『真宗と業論』(※15)によって具体的に明らかにし、さらにそれを岩本氏が先の「業報思想に対する真宗者の態度」で明確に分析し論じるという成果も生み出されている。岩本氏はその論の終わりで差別的業報思想の克服の過程ををこう結んでいる。
1,真宗者や教団は差別的業報思想にかかわる歴史的事実をすなおに容認していく。
2,自らの批判を通して、差別的業報思想との決別と差別体質を克服する基盤を確立する
3,その決別の過程をへて、反差別・部落解放という観点に立脚した業報思想の再構築へ通じる唯一の道がある。
  1976(S51)年六月号の「部落解放ふくおか」(※16)に、「業報思想そのものを差別思想とする」真継伸彦氏の次の論文がのった。
    井元さんは先程真宗学者の一部に、被差別部落民の成立は、仏教の宿業観とは無関係であるという解釈があることを紹介されました。私は初耳でしたが、私はこれは、仏教が伝統的に有する業の思想をすくわんがための、間違った見解であると思います。仏教の原理にしたがえば、現代の被差別部落民衆も、前世におかした悪業の報いによって差別されなければならない、差別されて当然であると説明しなければならないのです。そして親鸞もむろん、この業の思想を無批判に踏襲しているのです。
    この論文は、今まで教団が「差別問題と業」(※17)について問いかけられても答えてこなかった姿勢を変えさせる起点の一つになった。その後、教団は1984年に「差別問題と業論」を出している。しかしそれがいかに不十分なものであるか、煥発をいれず、小森龍邦氏が『業・宿業観の再生』の中で「宗教的味わいをごまかし、皮相的水準において、社会運動に迎合しようとするもの」と厳しく指摘している(※18)。その指摘をいくつかまとめてみる。
  1. 「過去の誤った業論が是正されるとともに、それが“同朋教団”実現のための教学理解の一歩となることを念願している」とするならねまず、これまで教団や、教団内の幹部が書いたものや、言ってきたことの記録などから、改めるという取り組みが始まらなければならない。(※19)
  2. 現実には、われわれの努力ではどうしようもない親の代から背負っている部落差の苦しみをどのように説明するのであろうか。戦争による苦しみ、戦争による惨禍は、悪因苦果としようにも、八十歳の老人も、昨日今日生まれた嬰児も、故郷を追われ、逃げ回り食料難の苦しみを受けなければならない。人間の努力と現実との間に存在する、このようなギャップをどう考えたらよいのであろうか。(※20)
  3. 仏教が問題とする領域は、これ(社会科学的認識)よりも深い人間というものの「存在の条件」から問い直して、部落差別の存在を宗教的に問いつめてみなければならない。(※21)
  4. 浄土真宗本願寺派に私の望むところは、「因縁果」の理法を否定しないで、しかも、これまでの「宿業」なるものを正しく解釈して、社会的不正義に味方することなく、人生の明日を照らすというものであってほしい。(※22)
  また本願寺からは、1989年に業問題専門委員会から『業の問題』という小冊子を出版しているが、これは従来からの「問いかけ」に答えたというものではなく、「仏教の業,真宗の業についてのコンパクトな辞書」という意味と「積み残した問題」を列挙したにすぎない。
 

第三章  「業」の再生のための視点

第一節  実体的輪廻観ではなく、象徴的輪廻観の受け止めを

  元来、業の思想は、仏教以前のインド思想に古くから成立していたものであり、バラモン社会におけるカーストという、身分制度を固定化する役割を果たしてきた。そして業による輪廻が過去世・現在世・未来世にわたる実体的に展開される時、現世は過去世の結果であり、宿命としてとらえられ、現世においてはただ未来を期待するという現実逃避の思想に人間を落ち込ませることになる。
  しかしその業の思想を、仏教は受容した。しかしながら真継氏のいうように無批判に受容したのではなく、否定するために受容したのである。仏教はあくまで悟り・解脱を目的とするのであって、業・輪廻の束縛から解放されるのが目的である。業の思想は世間的立場(迷い)の思想として、世間と共通地盤に立つために受けいれながら、出世間的立場(悟り)に到ることを目的として説かれたものである(※23)。つまり、業・輪廻を受け入れたのは出世に向けての否定的媒介としてある限り、同じ業・輪廻という言葉でもその内実は人間の罪の自覚の表現となっている。つまり、人間の束縛の状況を示した業・輪廻の思想は、それぞれの時代の社会通念を反映しており、その意味では現代的に再解釈されても何らさしつかえないだけではなく、そうすることが本来の姿だと考える。そう考える時、実体的三世にわたるという輪廻観ではなく、「自分の力でいかんともできない苦しみを解放していく」ために、自らの肩に係る重荷を説き明かして行く、いわば象徴的輪廻観ともいう受け止め方こそが大切になってくる。
  本願寺が出した「差別問題と業論」では、「たとい1パーセントでも、O・OO1パーセントでも、前世の業が現実の人間社会のゆがみに関与していると考えるかぎり、それはゆがみを正当化し、これを温存助長することに力を貸す論理でしかあり得ない。この世におけるすべての事象は、1OOパーセントこの世に原因がある。(※24)」とまで表現し、いわば実体的三世を否定している。またその後から出された『業の問題』には、「三世思想と業」という一項がもうけられ、「三世は客観的・概念的に理解すれば、過去・現在・未来という直線的に区別されたものとして、固定化されてしまいます。そのような三世の見方をもって業因果を三世にかけて語るなら、業思想は宿命論とかわらなくなってしまいます(※25)」と、ここでも実体的三世思想を否定している。ただし、せっかくのこうした一歩それまで踏み出した解釈も、『業・宿業観の再生』で小森氏がこうした文章をとりあげて何故「宗教的深みを捨てる」と言うのかといえば、それに代わる再解釈を提起していないからである。
 
 

第二節  実体的輪廻観のもたらしたもの


  1992年2月号の月間『現代』(※26)に「部落解放同盟VSオウム真理教」「前世と差別=仏教の本質に迫る」というタイトルで、小森龍邦氏と麻原彰晃氏の対論が載った。「前世を認めれば差別につながる」という小森氏の主張と、「瞑想によって六道輪廻を経験しているから前世を肯定せざるを得ない」という麻原氏の主張は最後まで平行線のままであった。
  そして1995年3月の地下鉄サリン事件が切っ掛けとなり、オウムの一連の犯罪が発覚するわけだが、私はこの事件はマスコミがいうような「天才的宗教詐欺師とそれに騙された信者」が起こした犯罪だとは考えない。自らが信ずる宗教的確信にもとずいて行われた犯罪であるがゆえに、罪が重いとかんがえる。
  オウムの教えには次のような「殺人」を肯定する教え−金剛乗(バジラヤーナ)が説かれている。

    「例えば、ここに悪業をなしている人がいたとしよう。そうするとこの人は生き続けることによって、どうだ善業をなすと思うか。そして、この人がもし悪業をなし続けるとしたら、この人の転生はいい転生をすると思うか悪い転生をすると思うか。だとしたらここで、彼の生命をトランスフォームさせてあげること、それによって彼はいったん苦しみの世界に生まれ変わるかもしれないけれど、その苦しみの世界が彼にとってはプスになるかマイナスになるか。プラスになるよね、当然。これがタントラの教えなんだよ。ただ、これは深遠で難しい。どうしても心の弱さが出ると。そこまで断定  的に判断することはできないと。ただ君たちがだよ、今生で最終解脱を考えているんだったら、最も強い心の働きを持ちなさいと。だまして、教化できる範囲っていうのは決まってるんだね。相手が真理と、それから真理じゃない中間状態にある場合は、だまして真理へ連れてくることができると。  しかし完璧に悪業をなしていて、もう全く真理との縁がないと。この人はトランスフォームしたほうがいいんだ、本当は」(『ヴァジラヤーナコース。・教学システム教本』)
  なぜ、元々はいわゆる凶悪犯罪者でもない、むしろ「医学では肉体は癒せても、人の心は癒せないことに問題をおぼえて(※27)」というような良心的動機をもってオウムに入信した信者が、地下鉄にサリンを撒くことをしたのか、その理由がここにある。オウムのコスモロジー(宇宙観・世界観・人間観)の中で、救済のためには、あえて悪をおかすことも必要であり、そのためになされる悪は聖なる悪であるという教えが金剛乗である。
  さてのオウムの教義の中心となるのが「輪廻転生」と「カルマ(業)」の思想である。本来仏教のコスモロジーとしてとり入れられた業・輪廻とは、実体的な輪廻ではなく、無我を基本とした縁起世界(「迷いの深さ」)としての輪廻として表現された。しかし、オウムの場合は実体的輪廻の世界観が教えの根底にある。実体的に地獄・餓鬼・畜生・修羅・人間・天上の世界をへめぐることを何万回も何億回も繰り返さないためには、このサイクルの外に解脱するしかないとい考えである。  そしてそのためには、「良いカルマ」を積まねばならないとする。よいカルマを積めばば来世、解脱により近い所に輪廻転生できるとするわけである。これは何も目新しい思想でも何でもなく、実体的な「因果応報」の思想に外ならない。「前世の因縁で、現世はこうなった。来世によりいい世界に生まれようとするならこ、現世の善業を積みなさい」という、差別を作り出してきた業論に外ならない。そしてその「善いカルマ」と「悪いカルマ」の判断基準が、江戸幕府の時代は江戸の幕藩権力であったように、オウムの場合は「オウム教団」にとって都合がいいか悪いかで判断される訳である。オウムにお布施をすることはよいカルマをつむことであり、オウムを批判することは悪のカルマを積み重ね地獄へ落ちるとする。オウムでは地獄へ落ちる恐怖が徹底的に叩きこまれるといわれますが、輪廻の思想とカルマ(業)の思想を実体的に受け止め、それをとことん実践した結果がオウム教団の姿だと言える。
  「1990年7月2日午後9時現在、豪雨による死者・行方不明者が合わせて28名にものぼっている。そのうち熊本・大分が22名を占め、特に被害の多かった熊本県の阿蘇村、一の宮町、そして大分県竹田市に災害救助法が適用されたが、これこそまさに、神によつて悪業を清算させられたとしかいいようがないだろう」というオウムがビラをまいた。これは「カルマ返し」といって、オウムに不利益を与えた者に、パチがあたるとしたものだが(※28)、これには「カルマ返し」ということで、因果応報の思想にさえないものまで作りだしている。
  また1996年1月号の「現代」に宮坂宥勝氏が「オウム真理教と差別問題」を取り上げ信者の次のような言葉を載せている。(※29)
    95年3月、教団への強制捜査を撹乱するため、教団東京総本部に火炎ビンを投げたとして逮捕された元オウム真理教信者のI被告は十月十三日に開かれた初公判の意見陳述において、入信動機と関連ずけながら自らの差別体験を語っている。
「一度は結婚したものの、一方的に離婚させ  られ、何かにすがりたい一心だった時、お  うむの本に出会い、矛盾や疑問がとけたと  思いました。私のような悩みに苦しむ人を  救いたいと思い、オウムに入信しました」オウムの教義は、不条理な差別に苦しんでいた  被告にとっては、ある時期「矛盾や疑問」に回答を与える「福音」と受け止められた。しかし、彼の切実な期待や希望は、オウムに入って裏切られる。教団に都合よく利用され、ついには犯罪に手を染めることとなってしまった法廷でのI被告の言葉である。
  「オウムが救済の名のもとに、数々の犯罪を犯したことは本当に腹立たしい。麻原教祖は被害を受けた方に謝罪し、犯罪の事実を認め、責任を取るべきです」
  今オウム事件は、その犯罪の異常さのみ目が行きがちであるが、それを支えたのは実質的輪廻思想や霊魂観に裏付けられたその教義にあることを見落としてはならない。そした、それは本願寺教団をはじめとして日本の佛教教団が「あきらめの業」として説いてきた「悪しき業」が私たちの中に断ちきられることなく受け継がれていることを図らずも証明したといえよう。
 
 

第四章  業を象徴的輪廻の表現として受け止める。

第一節  「業」は歴史的・社会的集積を表す

  備後・安芸過去帳差別記載糾弾学習会において、「なぜ、過去帳の差別記載を課題に出来なかったのか?」という問題は、真宗教義における「業」理解を問い直すものとなりました。
  そして糾弾学習会・同朋三者懇話会をすすめていく中で、小森龍邦氏より、「業」を「共業」として、歴史性・社会性の上で見ていくという指摘がなされた。この業理解は、三世の現代的理解であるだけでなく、「生まれによる差別という自分の力でいかんともし難い糸」を解きほぐす手掛かりをあたえる。
    「『業・宿業」観において、「前世」という概念を否定してはならないということについてはすでに述べたつもりである。なぜなら、遠い過去の歴史を背負っている人間という認識のためには、今生きている状態の自分だけに歴史を限定してはならないからである。極端にいえば久遠劫のかなたより、積み重ねてきた人類の営みが、この時点において、このわたしが、その歴史の一部を背負っているという理解がなければ、「因縁果」の理法にかなうことにはならない。そうなればこの世に生まれ出る以前からの「因縁」は、われわれの先祖とか、前時代の人々によって作られて来たものであり、  まさにこのわたしにとっては「前世」以外の何ものでもない。問題はこの歴史の集積は避けようとして避けられるものではないということになり、ここに宿業という概念がうまれてくる」(第四回同朋三者懇話会)(※30)
  共業・不共業の一般的理解は、「多人共同に受用すべき山河・大地等の器世界即ち依報を感ずる共通の業を共業といい、之に反して唯一人のみ受用する五根等の正報を感ずる業を不共業と称す」(『仏教大辞彙』)といわれ、共業は人間全体の業、不共業は個々別々の業であるとするのである。しかし、こうした業理解も、「なぜ私が被差別部落に生まれて苦しまなければならないのか?」という問いかけの前には沈黙せざるをえない。
  小森氏は、共業・不共業の説明の言葉を、解放への主体という一点で読み変えている。つまり共業というのは、自分が部落差別を受けるようになった歴史を意味し、不共業とはその歴史が個人一人一人の肩にズシリとかかってくることだと解釈する。
  小森氏は『慈悲心と人権と闘いと』の中で次のような比喩をもって不共業の解釈を展開している。
    「ここに千人の聴衆がいると、仮定する。非  常に話しの上手な講師が人生論を語っているとする。聴衆の一人は千分の一の構成比で参加している。しかし、この一人の聴衆は、千分の一しか講師の話をききとれない、というものではなかろう。千人に対する話の内容は、そのまま質量ともに聴衆一人のものでもある。ここにもすばらしく展開される親鸞の主体の論理がにじみ出ているように思う」  「この『共業」からくる「責苦」は、己が一人のためにあるのかと思われる程のきびしさをもつて、具体的な、『不共業』を生きる個体に「共業」そのままの質量をもってのしかかる。」(※31)

第二節   小森龍邦氏の「業・宿業論」

小森龍邦氏は、厳しい差別の中で「業が深い」と溜め息混じりにつぶやきながら、懸命に生きぬいたお母さんの姿に、業論を展開する原点があることをかたっています。
  また部落解放運動をすすめてきた被差別者の立場から、業を追及することによつて部落差別と闘い、部落解放をめざす主体を確立することを課題として、業論を展開している。

□ 「業を論ずる目的」
◎ 業を追及することによって部落解放を闘う  主体を確立すめことができるかどうか。
◎ 分裂的な発送せ落ち込まされた部落の中を  団結の方にもってゆくことができるか。

□ 「業を論ずる視点」
※ 「教義そのものが差別を肯定しているというのなせら、われわれとしてはこれと絶縁しこれを糾弾する以外にないであろう。だが、「一切の衆生、悉く仏性を有す」と仏教は  説いている。仏教の教義に従っているとする者の、差別的言動・差別的慣習が実は仏教の教義の根本的精神に違背しているので、あって、仏教と決別する必要はない。われわれの当面する問題は、仏教各宗派における差別文献や差別戒名を具体的に問題にしつつ、仏教における真の思想とは何かを問うことであり、大事にしなければならないのは、真の仏教を庶民大衆のものに取り戻すことであろう。仏教思想における人間観は、ブッダ・ゴ-タマの着想された人間観はどうあったかということと、その原初的な思想をもとに、人間観をわれわれの経験する社会運動をとおしていかに正しく発展させるかということである。わたしはかねてから、業・宿業については、これまでの差別的見解を改めることは緊要なことであるが、憚ることなく、業・宿業の積極的解釈を試みることが必要であると述べて来た。(※32)

業・宿業観と人間解放

1.主体の追及

「主体的力量とは、差別者・敵と闘う「主体」であると同時に、己自身を問い詰め、内なる障害・内なる敵性を見つけだし、そのことに深い悲しみを感じる主体的力量でなくてはならない。しかも、その主体的力量に徹すれば徹する程、「卯毛・羊毛のさきにいる」小さな差別の現象も、歴史的・社会的集積としてしっかりとした根拠をもっていることに気ずくようになる」(※33)
2.業の理解の中に歴史性・社会性を取り入 れる
「「業・宿業」観において、「前世」という概念を否定してはならないということについてはすでに述べたつもりである。なぜなら、遠い過去の歴史を背負っている人間、という認識のためには、今生きている状態の自分だけに歴史を限定してはならないからである。  中略  極端にいえば、久遠劫のかなたより、無始よりこのかた、積み重ねてきた人類の営みが、この時点において、この私が、その歴史の一部を担っているという理解がなければ、「因縁果」の理法にかなうことにはならない。そうなればこの世に生まれ出る以前からの「因縁」は、われわれの先祖とか、前時代の人々によって作られてきたてものであり、まさにこの私にとっては「前世」以外の何ものでもない。問題はこの歴史の集積は避けようとして避けられるものではないということだ。ここに宿業という概念がでてくる。」  (1989,9,12 中外日報)
3.人間の歴史的・社会的な業の総体を「共業」と位置ずける
業を歴史性と社会的広がりの中でとらえ、共通の課題を背負うという意味をもたせる。
4. 歴史的・社会的集積を担うのはあくまで「一人」でありそれを「不共業」と位置ずける。
不共業を個人のなしたる業果を個人が受容させられるととるのは、「悪しき業論」の一種である。共業を不共業として、個々人は背負わされているとしなければ、共業そのものの人間総体が形成した社会業としてとらえることができなくなる」(※34)(1991,5,5 宗教と部落差別の研究会)
5. 業の受容-主体の確立
本願に願われていた筈の「本来なさねばならぬこと」 を確立しえず、逆らい続けて(逃げ回って)いたことは何か。吾々で言えば、「業・宿業」とは、人生において主体を確立させ得なかった「抑圧」(部落差別からくる疎外)のことである。念仏が抑圧を解きほぐすことで自覚されてきた「部落に生きる」という現実に気づかしてもらわねばならない。念仏者の実践とは、迷うことなく社会現実に立ち向かい、ごまかすことなく各々生まれついた自己の生=宿業をまっとうすることである」(※35)(同朋三者懇話会 まとめ)

第三節  「西光万吉の業論」と「小森龍邦氏の業論」

  一九二二年の「全国水平者創立宣言」の起草者である西光万吉は、その宣言文の中に業報思想を盛り込むとともに、同年九月に出された水平者運動を否定する本願寺大谷尊由菅長の「親鸞聖人の正しい見方」を厳しく批判する「業報に喘ぐ」を発表し、被差別者の立場からの業論を展開した。そして第二節で述べた小森龍邦氏の業論は、その水平者の伝統を受け継ぐ部落解放運動の中から生まれてきた。それは、被差別者の側からのアプローチということとともに、みずからの先祖の歴史(業)を担うことで、親鸞の教えを部落解放運動に位置づけようとされる点で、西光万吉の業思想に源を発し、それを全国水平社創立七十年を超える今に受け継いでいるといえる。その西光万吉と小森龍邦氏の業理解は、つぎのように整理できる。

  1.「前世」を歴史という概念で提起し、それを業としてうけとめる。

  西光万吉の「因果の必然」とは、「因果の迷信」を断ち切って、父母・祖父母その先祖からの差別の苦しみが、ここに生きる自身におそいかかっている現実をしっかり受けとめることから、「解放の必然」を見通している。それが今、小森氏において、「業とは人類の始源にさかのぼる歴史の集積」として提起され、解放の主体の確立として「前世」の受容が展開される。
  西光万吉は、「業報に喘ぐ者」の中で、水平社運動の当初、「エタと嘲笑された為に九才の児童を殴打して検事局へ送られた四十男」について次のように書いている。
    エタとはやしたてられ、はじめは黙殺していた四十男も、前になり後になりしながら何十回となく「エタ」とあざける九才の児童を殴打するという出来ごをお起こすのである。西光は、「世間は嘲笑するであろうが、吾等には何と深刻な悲劇であろう。しかも吾等はこの事実を凝視せねばならぬ。しかも吾等は、この現実を凝視する」と言いきって業報に関する次の論理を展開する。
    僅か九才の子供の言に対して、「俺一人死ぬ気になれば、と喚いた彼の、如何とも為し難い業報の深刻な力を見るがよい」と、この「四十男」が「九才の子供を殴打」し、「検事局に送られ」世間の人々に嘲笑された姿をはっきりと「業報」だとしている。
  そして西光がここでいう業報とは、「水平社運動を非難する人に私はこの事実をハッキリと見て欲しい。そして覚えて居てほしい。因果だというか。そうだ因果だ。父親や祖父が虐められた因果によってこの男が虐かしめられねばならぬ因果だ」というのである。父母や祖父が差別されてきた「因果」によって、いま自分自身が差別されるとする西光の業理解が明確に示された部分である。(※36)(※37)

  2.解放へのエネルギーとして宗教を位置づける。

  小森氏は、自己の知り得ない世界の原因によって起こる苦悩を、逃げることなく受容して、解放のエネルギーとしていく上で、宗教を位置づけている。また西光は自分を水平運動に参加せしめた「因果の必然」として「如来の願力」を受け止めている。
  両人とも自己の知り得ない世界における原因によって起こる苦悩から逃げることなく、受容し、「自由の王国」へ「解放のエネルギ−」としてゆく上で、宗教を位置ずけている。
  「反省と考慮とともに念仏を忘れまい。私は念仏によって法悦境に導かれる。法悦生活 に於ける観照の恍惚は実行の中に尚当面の事件の背景が明らかに観られねばならぬ。即ち卑下なる凡夫の実行のうちになおその背景として崇高なる如来の願力不思議が観られねばならぬ。吾等は生まれて日も浅く非難多き水平運動の中になお歴史的必然のよって連絡される吾等らのよき日の影がさす。』(※38)(「業報に喘ぐ」)

「自己の身体的知覚能力で、それを見たり聞いたりすることの出来ない、遠い過去の先人たちが積み重ねてきた結果をいま自分が背負っている。それが『業・宿業』の了解としてその「業・宿業の受容」は、すべてを救いとって、見捨てない仏を信ずる人間に因っ  て可能になる。それが限定された世界、限  定された人生に、新しいエネルギ-と光明を生み出すものと領解している。そのために宿縁の中に生きる己の自己洞察を強調する。」(※39)(1991,5,5宗教と部落差別研究会)

  3.西光においても小森氏においても、自らの業理解が、被差別部落の中に業思想が受容される中での「解放へのエネルギ−」を受け継ぐものと位置づける。

  水平社宣言によって、被差別部落の先祖は「自由・平等の渇仰者」として位置を与えられた。しかし、その具体的実証はズット後までまたねばならなかった。近年、被差別部落の職業に、誇りうる素晴らしい文化が生きていたことが明らかにされつつある。同様に、被差別部落に受容された信仰は、「あきらめ」を説く教団の意図を越えて受容されていったことを明らかにしものである。西光万吉が水平社宣言に示した視点の具体的展開として見ることができる。

    「兄弟よ、吾々の祖先は自由、平等の渇仰者  であった。陋劣なる階級制作の犠牲者であ  り、男らしき産業的殉教者であったのだ。ケモノの皮剥ぐ報酬として、生々しき人間の皮を剥ぎとられ、ケモノの心臓を裂く代價として、暖かい人間の心臓を引き裂かれ、そこへ下らない嘲笑の唾まで吐きかけられた呪われの夜の悪夢のうちにも、なほ誇り得る人間の血は、涸れずにあった。そうだ、そして吾々は、この血を享けて人間が神にかわろうとする時代にあうたのだ。犠牲者がその烙印を投げ返す時がきたのだ。殉教者が、その荊冠を祝福される時がきたのだ。吾々がエタである事を誇り得る時がきたのだ。吾々は、かならす卑屈なる言葉と怯懦なる行為によって、祖先を辱しめ、人間を冒涜してはならぬ。」(※40)(水平社宣言)
    「母のことを思い出す。「業が深い」と嘆息まじりに「あきらめ」に似た言葉を吐きながら、深夜に至る「夜なべ」に草履つくりの手をゆるめなかった行き方は何であったのか。彼女は自己の生命の継承者であるわが子の成長をひたすらに願った。(中略)少年時代の私に本を差し出してくれていた母の気持ちは、単に母性愛の「やさしさ」などというものではなく、苦しければ苦しいほど、その歴史のひとこまを、確かな人生の走者にバトンタッチするまで頑張り抜こうとの、崩れることのない自在に到達しえた人間の行き方のようなものを、感じざるをえなかった。」(※41)(部落差別と宗教の研究会1991,5,5)

(西光万吉と小森龍邦氏からの業論の提起)
  西光万吉によって頷かれた業理解は、水平社宣言を生み出し、被差別部落自身による解放運動を起こした。しかし、水平社運動の展開の中で、その宗教的情熱は消失し、階級闘争の面が強調されていった。
  今、小森氏の業論は、視点を西光万吉と同一に持ちつつも、その具体的展開をしめそうとしている。西光が「因果的必然」と「願力自然」として、運動的にも、業思想としても十分に表現しえなかったものが、今、解放運動と浄土真宗の二つの本質を問うテーマとして私たちの前に提起されている。
 

第四節  被差別部落における業の受けとめ


  糾弾学習会・同朋三者懇話会の中において、「『わしゃあ業が深いもんじゃけえ』と呟きながら、部落差別の中を生き抜いた親がいたんだ」、という被差別部落の人の言葉を私たち僧侶はどのように受け止めることができるか大きな課題である。
  勿論この人こそ御本願に深く生きた人であると妙好人として持ち上げることは、この一言に込められた深い悲しみを作り出しておきながら、さらに僧侶の保身に利用するもので決して許されることではありません。しかし、ではこの被差別部落の人たちは布教使の説教に騙されていたと簡単に切り捨ててしまうことも勿論できない。
  このことを考えるのに、同朋三者懇話会の中で、部落解放同盟の「部落の信」という発表に大きな指針を与えられた。

    この世ではどんな貧乏してもかまわん、悪いことをせんでも芋や麦をつくっておればかつ得リャ−せん。唯一つこの真実のお慈  悲を聞かせていただき信仰さして頂くことがなによりも大切じゃ。これだけが父の希望じゃ。金持ちにならんでも出世をせんでもよい。(『父の遺言』第四三者懇)
との遺言を提示し、次ぎのように読み込んでいる。
  近代を生きた被差別部落の親達が維持した  真宗観において見事である。従ってこれを見た教団人は、例のごとく“信心さえあれば差別の中で立派に生きていける。教団は大きな役割をはたしたではないか”等のことをいうであろう。しかしこの全体の中に「貧乏」をあきらめ、「出世」をあきらめた部落差別が見えねばなるまい。
  「信心」が世間のすべての「あきらめ」を集約した結果で、来世で“必ず待つ”というかたくなまで偏狭な「浄土願望」に結実し、前世(と現世の)因縁を子供に詫びるかと見える親の姿がそこにある。権力に教  団の維持をゆだねた教学が見事に役割をはたした「アキラメ」の信心である」(※42)
と、まずいいきられました。しかしその同じ遺言を第十回目の発表の時には、次ぎのように受け止められています。
    差別の中を信心一つで生き抜いた』部落の親たちに寺が果たした役割とは何か。おおかたの部落民が「アキラメ」を「投げやり」にまで埋没させ(られ)て行く中でそれでも「法」を聞き続けた部落の親がいた。それはまさに、「あきらめ」て「あきらめ」抜いた部落の現実に対する深い「悲しみ(諦観)」がその内容であったとおもえるような聞法の努力であろう。水平社をしらず(知っていたとしても)、部落の「闘い」をこのまなかった人々が、「悪しき業」をふみこえて、いまひとつの「来世往生」に生きる思想の活路を求めたということを、わたしは見事な部落の智慧であったとおもう。社会生活の場で「差別者ども」を“優越する”方途がそれであったであろうし、「悪しき業」を乗りこえんとする意志においては、説教使の意図をはるかに上回って「業」を積極的に受け止めたといえる。それはまさに、差別社会のあらゆる制約に対して抗った「自由平等の渇仰者」としての生き方ではなかったか」と。(※43)
  ここには、被差別部落に生まれ、「悪しき業」の教えまで説かれながら、なおその中で、「自由と平等」を求めて歩み続けた部落の先祖の思いを聞き届け、その願いにつながって生きようとする熱い思いが込められている。 それはまさに、西光が水平運動に参加することを「因果的必然」の世界であるといい、その背後に、願力不思議の世界を感ずるといった運動を生み出す地下水のようなものであるに違いない。
  そしてだからせこそこの遺言は、封建社会の身分制度の業、体制権力に搦めとられた仏教の業を一身に受け、なおその中から普遍的真実への跳躍を求め続けた部落門信徒の、教団・僧侶への告発でもある。

第五章  人間の存在の根源的矛盾としての宿業

第一節  人間の存在の根源的矛盾

  業・宿業とは、「歴史的社会的集積」(共業)としてあるが、それは、個々一人一人の不共業として担わざるを得ないという、小森四の業理解は、私たちの自己解放を果たす上で、まず受け止めねばならない業理解であることは今まで述べてきた通りである。
  しかし、親鸞の語る「業・宿業」は、もちろんそうした歴史的社会的業存在を課題にする中で、人間の存在そのものの罪とでもいうべき事柄についても業によってかたっているように思う。敢えて重ねていうが、歴史的社会的業の受け止めと、今ここで言わんとする「人間存在の根源的矛盾」とでも言うべき業が並列にあったり、同じレベルにあるわけではない。いわば、「人間の根源的矛盾」(※44)としての業存在としての自己というのは、歴史的社会的業を自ら担い、「救い」(今の言葉で言えば「解放」)を求めて歩み続けた者にして、初めて言い得た言葉であることを明記したい。
  それは例えば、バラモンの差別社会において、サンガを開き平等なる社会の実現を目指した釈尊にして初めて見えてきた、私たち人間存在の矛盾の姿であったに違いない。
  釈尊は「迷いの凡夫の識」として十二縁起(「無明・行・識・名色・六処・触・受・愛・取・有・生・老死」)を示す。そこでは、私が「ものをいかに感じ、また見、考え、受け取ってゆくか」という自身の身の事実が明かされる。釈尊は悟りの内容を三法印として、まず「一切皆苦」と述べまるが、「生・老死」というの「苦」からそのり生起を遡ったのが十二縁起である。この十二縁起によって知られるように、釈尊が「苦」という言葉で教え示されている内容は「苦痛」ということではない。自己の存在は根源的矛盾をはらんでいるもの、迷いの中にあると見定めるのが釈尊のいう「苦」ということである。したがって「苦」=「存在の根源的矛盾」を知ることが悟りであり、その存在の根源的矛盾を担っていくことを、人間存在の「宿業の自覚」という。
  さらに人間は、歴史的社会的存在としての身を持ちながら生活している。それを仏法では五戒(不殺生戒=殺す・不偸盗戒=盗む・不妄語戒=騙す・不邪淫戒=犯す・不飲酒=誤魔かす)を犯す身であること見定めている。我が身がここにいるという事実は、他の生命の犠牲の上に生きているということ、それは他のいのちを盗み、騙し、犯してしか生きられないことを教えている。しかも、そのいのちの事実を直視することなく、正当化し誤魔化して生きようとするのが人間の姿でもある。しかし、その事実を自覚することにおいてこそ、人間であることの悲しみを感じ、罪を背負って歩むことが出来るとされる。
  たとえば「卯毛・羊毛の先にいるちりばかりもつくる罪の、宿業にあらずということなしとしるべし」(※45)(『歎異抄』十三章)との言葉は、どんな小さな罪もその罪の根源である宿業の結果であるということで、自己の存在全体を上げて、宿業の身であるという頷きを言うものであります。
  また「自身は現にこれ罪悪生死の凡夫、廣劫よりこのかた常に没し、常に流転して、出離の縁あることなし」(※46)等にみられる表現は、人間存在の矛盾の深さを示す言葉であろう。
  仏教の言葉は、人間存在の事実を証す上において非常に象徴的な表現を頻繁に使用する。つまり「宿業」の「宿」もその中で受け止められるべき言葉である。とすれば「宿」という語は、「はるかな過去から」という言い方で、実は存在の矛盾の根源性を指し示していると考えらる。さらに「卯毛・羊毛のさきにいるちりばかり」として、わが身における存在の矛盾の全体性を表していると思われる。
  一言で言えば、「宿業」とは「存在の矛盾の深さ・全体性」の自覚の言葉である。
 

第二節  「業を担う」上での落とし穴−「驕慢」と「懈怠」−

  私たちが「業・宿業」によって示される我が身の事実を担って生きるということは、別の言葉で言えば、私たちが徹頭徹尾「凡夫」だということである。
  善導大師が『観経疏』において九品(九種類)の人々を「大乗の善に遇った凡夫(上品三種)・小乗の善に遇った凡夫を中品の上中二種・世間の善に遇った中品下一種・悪縁に遇った下品三種」として示したのは、人間の存在はすべて凡夫としあるという見定めである。
  つまり凡夫とは「さるべき業縁のもよほさば、いかなるふるまいもすべし」(※47)(『歎異抄』十三章)という存在に外ならない。
  一見、善人・悪人・聖者・愚者という区別をつけたとしても、それは、その縁によって区別があるだけで、凡夫であることに変わりはない。
    「善きこころのおこるも宿業のもよおすゆえなり、悪事の思わせらるるも悪業のはからうゆえなり」(※48)(『歎異抄十三章)
という身から一歩たりとも離れているわけではない。人間の存在が五戒を犯して生きねばならない存在であることは存在の根源的矛盾として指摘したが、それが直接手を下すか下さないかという違いは、まさに「縁」の違いにほかならない。
  しかし、この凡夫である、言い換えれば「随縁の機」であるわが身に居直って、「だから凡夫はどうしようもない」と、それが裏返って「なにをやってもよい」という姿勢を『歎異抄』では「造悪無碍」としていましめている。
  また逆に「随縁の機」であることを忘却して、
  「何々のことしたるもの道場にいるべからず」(※49)(『歎異抄』十三章)
というように、再び倫理・道徳に束縛されることを「賢善精進」の異義と批判している。(※50)
  これは、歴史的社会的業を自ら担うといいながらも、その担う姿勢が十分であるかどうかを確かめるということにも通じるものである。つまり、業を自ら担って歩むということが本来であるのに、自らの業から逃げてもよいとする懈怠の行為は造悪無碍と考える。逆に担っている業の重さ必要以上に強調し、すべての者に「ねばならない」を強調する姿勢を業の重さに心を寄せない賢善精進という驕慢の姿と考える。
  具体例を上げると、備後・安芸教区の過去帳差別記載糾弾学習会で解放同盟から次のような質問がなされた。(※51)
  「寝た子を起こすな」ということが、部落差別を語るときに言われることがあるが、業論に照らしてみるとどうなるのか。
  差別・被差別の現実の社会に生きる私たちが、自己の社会的立場を自覚するということは、自らの業を担う第一歩であることはいうまでもない。しかし厳しい差別の現実は、差別の中に私たちが生きていることから目を背けることを薦める考えも生み出してきた。その一つが「寝た子を起こすな」というものである。しかし今も次々と起こる差別事件は、現実の社会の中ではけっして、寝た子をそのまま寝かせておかないことを教えている。「寝た子を起こすな」という意見によって、自分の歴史的社会的業を背負う主体を育てられず、ある日突然に自分の被差別の立場を知って起きた悲劇は今も後を断たない。
  しかし、被差別の立場に置かれている苦しみに思いをよせることなく、「寝た子は起きなくてはならない」と語ることも、また傲慢な考えであることを糾弾学習会の中で教えられた。あまりの差別の重さに一時逃げるということが悪いわけではない。差別の重さを受け止める力を養うためにはそれなりの過程が必要である。要は自分自身の肩にかかった重さを担って歩けるようになることで、重さに潰されては元も子もないのである。

第三節「変えられること」と「変えられないこと」

  私たち僧侶の中には「どうせこの世は虚仮の世、相対差別の世界である、いくら努力しても、虚仮の世が平等の世界になるはずもない」「人間は凡夫だから結局差別はなくならない」という思いを持っている人もいる。しかし、この思いこそ、差別の中に搦め取られた無惨な姿であることに今気付く。確かにこの世は、限りなく穢土であり、差別界に違いない。しかし、真に「業・宿業」を担って歩むことになれば、けっしてそのような言葉は出てこない。最初の言葉には、宿業の身の解釈や解説ではあっても、その身を担ってゆく意志も無ければ、また宿業の身であることへの嘆きもない。
  いま「業・宿業」の自覚とは、まず自己が背負っている歴史的社会的集積(共業)としての自己に目を開き、それを自分が担おうとすることから始まる。そしてその歩みの中で親鸞は、「変えることのできること」と「変えることの出来ないこと」を明らかにされていった。そしてこうして自らの業を担い、「変えることの出来ること」と「変えることの出来ないこと」を見分けるものこそ、「信心の智慧」と語られたのである。
  では「変えることの出来ること」とは、それは「歴史的社会的集積」の存在である「宿業の身」であ。そして「変えることの出来ないこと」とは、その歩みの中に見えて来た人間存在の根源的矛盾である。それはどこまでも懴悔して引き受けていくほかになく、親鸞においては「無慚無愧のこの身の」であるとの自覚に深まっている。
  また、「変えられること」「変えられないこと」を、業を担って歩む自らの主体性において言うなら、業を担うことへの「懈怠」の姿勢や、「驕慢」の姿は当然「変えられること」であるのはいうまでもない。
  親鸞は、「今の時の道俗、おのれが分を思量せよ(※52)」と「宿業の身」の事実を忘却し、懈慢と驕慢のとりこになっている人々を批判するが、その言葉ばはそのまま現代の教団・僧侶、つまり私自身にむけられた言葉である。
 

第六章  差別と「煩悩」と「業」

第一節  「煩悩具足の凡夫」の自覚とは

  1996年12月20日備後教区の第一回点検糾弾会の席上で次のような問いを投げかけられた。部落解放同盟中央本部から点検糾弾にあたって次のような文章が来ているが「反差別の教学」はこれでいいと考えるのかどうかということであった。
    「人間とは、煩悩があるが故に差別心は決してなくならないという考えが教学の根底にある。それを現実の差別事件を放置する言い訳とする傾向となっている。また、差別心は決してなくならない煩悩そのものであると捉えることにより、煩悩具足の私こそ本願の救いの目当てであるとして、布教活動していく状況もある。
  しかし、宗祖の教えは、如来の目当ては煩悩を是認する私にあるのではなく、煩悩を生きている限り否定していく私にこそあるのであって、差別心を常に否定し、差別行為を徹底的に廃していくことにある。(※53)
  この中に書かれているように、「人間は煩悩具足だから差別心はなくならない」、そして「差別心はなくならないからだから差別もなくならない」、だから「差別はなくならないのに解放運動や同朋運動は本当に大切な運動ではなく、二の次三の次の運動である」、従って「同朋運動を基幹運動として推進することは間違いである」という式の理解をする僧侶が確かに圧倒的に多い。そして江戸時代からの伝統教学、『安心論題』に代表される教学が、この解釈を生み出したことは言うまでもない。「浄土に生まれる」ということと、「この世を生きる」ことを分離した「真俗二諦」という論題がその象徴である。問題はこの考え方をどう否定していくかである。この考えを否定せんがために、逆に中央本部からの提起のように「『煩悩を生きていく限り否定していく』ことが宗祖の教え」であるとして、「人間の抱える差別心を克服できるのか」という問いが点検糾弾会の場で突きつけられたのである。
    「私は差別する心がなくなったから解放運&動に参加しますとか、解放運動に参加して差別する心がなくなりましたという人の言葉は信用できない。いつ差別する心がおきるか解らない私だから、解放運動の中に身を置いて自分を問い、活動するという人こそ信用に足る(※54)
  という言葉が点検糾弾会の折に解放同盟員から語られたが、そのとうりであると頷いた。
  では、宗祖において「煩悩具足の凡夫」とはいったいいかなる内実であったのか、特に差別の問題と関わりながら明らかにすることがまさに今の僧侶としての問われている課題だといえよう。
  「煩悩具足の凡夫」という言葉はいうまでもなく、宗祖の自らの「自覚」の言葉として語られた言葉であることはいうまでもない。それは如来の本願によって自己の本質を言い当てられ、知らされた宗祖の自己確認の言葉である。しかし、この「煩悩具足の凡夫」という言葉を、そう表現せざるを得ない「自覚」を抜きにして、例えば、「人間は煩悩具足の凡夫だから、(私が)悪いことをしてもしかたがない」とか、「人間は煩悩具足の凡夫だから、この世の中はよくならない」というふうに「言い訳」や「あきらめ」の言葉として語ってきた歴史があるし、今も僧侶のほとんどがそうだといえる。このような形で、「煩悩具足の凡夫」という言葉が、現状を肯定する考え方の言い訳となり、差別を温存助長する働きをしてきた。
  そして、なぜこのような誤った受け止めをしたのかということが、安芸・備後の過去帳差別記載糾弾学習会・同朋三者懇話会の課題でもあった。
  ではなぜこのような誤った受け止めをしたのかと言えば、「煩悩具足の凡夫」という自覚を確かめる「歩み」が抜け落ちたまま、言葉としてのみ「煩悩具足の凡夫」と語ってきたことに原因があるといえよう。
  「煩悩具足の凡夫」というという言葉は、宗祖が自らの求道の歩みの中で、民衆から告発され突きつけられた課題を担いつづける中で自覚された人間の実相であり、第四章で述べてきた、自己自身の歴史的社会的業を担っていく中で頷かざるをえない自分自身の姿として自覚された上での言葉なのである。
  そしてもう一つ言えば、私たちはいつもいつも「煩悩具足の凡夫」として実感して生きているわけではない。確かに人間存在としては「煩悩具足の凡夫」であっても、私たちの意識としては「煩悩不具足」とでもいう認識である。例えばオウムなどの凶悪犯罪などをみても、ただちに実感として「私も煩悩具足だから同じ縁が起これば同じ行いをしたかもしれない」とは実感しにくいものだといえる。
  しかし宗祖は、その歩みの中で、自己の存在を、「さるべき業縁のもよほさばいかなるふるまいもすべし」(『歎異抄』)という「随縁の機(存在)」=「凡夫」として確かめていかれた。そして自己がそこから一歩も離れていない存在であることの自覚が「煩悩具足の凡夫」の自覚なのである。    すでに五章第二節において述べたように、『歎異抄』で、この「凡夫」、言い換えれば「随縁の機」であるわが身に居直る姿勢を、「造悪無碍」と戒めている。それは、如来から言い当てられた自己の姿を確かめることを怠った念仏者の懈怠の姿と言えよう。また逆に、「随縁の機」であることを忘却して、再び倫理道徳に束縛されることを「賢善精進」の異議として批判している。この異議は「煩悩具足の凡夫」というわが身の実相を忘却して、倫理・道徳の立場に立ち、人を切り捨てていく驕慢な姿である。肝心なことは、「煩悩具足の凡夫」と自覚するということは、同時に「煩悩のおもむくままに行為できない」、「煩悩に立たず本願に立つ」という願いと裏表の関係にあるとことである。したがって、「凡夫だから何をしてもしかたがない」「人間は煩悩具足の凡夫だからこの世の中には差別はなくならない」というのは、自覚が欠落した言葉に外ならないのである。
 

第二節  「業・宿業」という水平の自己認識と、「煩悩具足」という垂直の自己認識


  今まで述べてきたように、私たち僧侶の中には、いまだに「どうせこの世は虚仮の世、相対差別の世界である。いくら努力しても虚仮の世が平等な世界になるはずがない」という思いを持つ僧侶もいる。しかし、この思いこそ、差別の中に搦めとられた姿であることはいうまでもない。確かにこの世は限りなく穢土であり、差別の世界に違いないが、真に自らの「業・宿業」を担って歩むことになればこのような言葉が出てくるはずもない。第四章において、「『業・宿業』の自覚とは、自己が背負っている歴史的社会的集積(=共業)の自己に目を開き、それを自らが担おうとする(=不共業)ことから始まる」と述べてきたとうりである。
  宗祖は、その中で、「変えることの出来ること」と「変えることの出来ないこと」を明らかにされ、それを見分けるものこそ「信心の智慧」と語られた。第四章第二節においては、それを「宿業」という視点で論じたが、今回はそれを「業・宿業」と「煩悩具足」という観点から述べてみる。        まず「変えることの出来ること」とは、今まで積み重ねてきた「歴史的社会的集積」としての「宿業の身」に外ならない。そして「変えることの出来ないこと」とは、「煩悩具足の凡夫=随縁の機」という人間存在の実相であるといえよう。しかし、その「煩悩具足」という実相も、自分自身のまた「宿業の身」として担っていかざるを得ない。
  そしてこの両者の関係は、「歴史的社会的業」を担うからこそ、ますます「煩悩具足の凡夫」という自覚が深まると同時に、その「煩悩具足の凡夫」の確かめの中で、歴史的社会的業を自ら担うという姿勢が確かめられてくることになる。
  今までの「安心論題」に代表される伝統宗学の教学理解では、如来より言いあてられた垂直次元の自己と、歴史的社会的な自己、言い替えれば水平の次元の自己を分断してしまい、さらには歴史的社会的な自己を問題にしてこなかった点があります。それは、西光万吉が『業報に喘ぐ』に述べるように、「因果の必然」の中に「願力の自然」を受け止めるということが欠落していたとも言える。私たちがどのような関係性の中に生きているのか、その関係を積み重ねて現在という今があるのかという私の「身」そのもののが明らかとなり受け止められるものでなければならないことは言うまでもない。その具体的「身」の上における課題を通して初めて「煩悩具足」という言葉も生きたものとなるといえよう。そうでないなら、「煩悩具足の凡夫」という言葉は、苦悩する「身」から離れた単なる言葉にならざるを得ない。
  例えば点検糾弾会の中で、「『差別』というのは被差別者と差別者との格差をいうがなぜそれが『差別』と思えないのか」という質問があった。私自身はこう答えた。

  人間には誰しも、「上みてくらすな下みてくらせ」という式の上に立ちたいという煩悩が働いている。しかしその煩悩が働くから常に差別の行為をするわけではない。しかし、宗教という名の下に格差があることを当然としたり、自然なものとする考え方や、そんな問題よりもっと大切なこと(いわゆるお浄土参り)があるとして「格差」から目を背らせる考え方などを、教団・寺院の生活の中で知らず知らずに身につけているということがある。格差を差別と感じる感性が欠落している原因には、その両方を問い返す主体が誕生することが大切だ(※55)
  1996年3月27日、西本願寺同朋センターのお祝いのレセプションの席で、大谷光真門主はいみじくもこう述べた。
    「差別は煩悩である」、煩悩がなくならない限り差別はなくならないという論理を立てる方がいらっしゃいますが、それは差別を抽象的に考えて現実の問題を見ていないからこういう議論になるのではなかろうかと思います。差別問題というのは一つ一つ個別の歴史的背景があって、それぞれが積み重なってなりたっているのであって、煩悩も重要な要素ではありますけれども、煩悩即差別ではない。差別を成り立たせる要素を一つ一つ解明し、取り除いていくことによって一つの問題が解決にむかっていくと、このように考えはじめています。
  この門主の言葉は、今私たち僧侶の問われている課題に対して、的を得た指摘であったと思う。
  この世が穢土であり、差別の世界である限り、その現実を、差別の問題を抜きにした信心などあるはずがないことは言うまでもない。「差別の問題を課題にしない信心などありえない」ということが宗祖の信心理解であったことを「煩悩」と「業・宿業」の上で明らかにすることを今このように整理してみた。
 

第三節  「差別の現実」から問い返された真宗の「すくい」とは

  こうした「歴史的社会的業を担う」ということと「煩悩具足の凡夫の自覚」という、相互の問い返しの中で、宗祖においては「すくい」ということが語らている。それを今の概念で表現すれば、「自立」と「連帯」の場が開かれるということだともいえるだろう。
  「自立」とは、宗祖が「弥陀の五劫思惟の願をよくよく案ずればひとえに親鸞一人がためなりけり(※56)」(『歎異抄』)と示されるように、歴史的社会的業を「親鸞一人」が担うことが出来るようになることである。そして「さればそくばくの業をもちける身にてありけるをたすけんとおぼしめしたちける本願のかたじけなさよ(※57)」(『歎異抄』)と言われるように、その束縛の業から解放される歩みを続けることである。
  そして、その自立の歩みは同時に宗祖が、「いし・かわら・つぶての如くなるわれら」と言われるように、「われらなり」と業を共にする「連帯」の地平を開いていかれた姿がある。そこには「われら」として「歴史的社会的業」を共に担う中で、変革・解放へ向かって、歩みを共にする仲間が出来るということである。
  そして今、そのことを点検糾弾学習会という場でふり返ってみるとき、私たち僧侶の担うべき事、そして共に課題とすべきことが「僧侶の差別体質」として課題になってきたといえよう。
  もちろん、過去帳差別記載の問題から問われた、「寺院名の公表」や「過去帳閲覧禁止」などの直接問われた課題をいまだ果たしえていないということについては深く懴悔し、今後の努力を誓うしか今語る言葉はない。しかしそうした現状だからこそ、今まで積み重ねてきた教団・僧侶の歴史的社会的業を担わなくてはならないという思いを強く抱く。しっかりと業を肩に背負うことが、私たち僧侶の自立と連帯への歩みであると改めて思う。その歩みを除いて「すくい」はありえない。ただそれは正直言って気の遠くなるような道のりではあと思う。しかし、だからこそ、具体的現実からの問い、「自らの業を担え」「共なる業をあきらかにしていけ」という働きがあると今頂いている。「問い」の前に立つ限り、「決してみずからの業から逃げさせない」とい促しにより常に自立と連帯という「すくい」への道を歩むことができると思うのである。私たちの宗祖の歩みはまさにそうであったのだと思う。
  確かに、現実的な変革や解放という状況はすぐには実現できないものが多いのが実際である。しかし、だから「すくい」はないのでは決してない。「そくばくの業」の解放に向かって歩むそのプロセスの中にこそ、「すくい」はあると受けとめている。言葉を変えるなら「浄土」はその歩みの中にあるのであって、遠い将来にあるのではない。今、目の前の課題を、共に担っていこうという決意の中に、「願い」として「すくい」が成就している、言葉を変えれば「将(まさ)に浄土が来っている」といえる。つまり、瞬間瞬間の係わりの中に「すくい」が開かれているといえよう。現実の状況としては、解放への道を願い、解放の実現への実践をしながらも、今の歴史的状況の中では、抑圧・差別の力をはねのけられるか、また圧しつぶされてしまうかといえば悲観的な思いを持たざるをえないが、しかしだからといって「しかたがない」「何もしないでいい」ということではけっしてない。このような現実状況に置かれている中で、問われている問題に立ち向かいながら、それを問わしめた根源的働きにみずからを委ねていくことが、「念仏に生きる」ということだと思う。
 

おわりに

−差別から解放へ向かう「業」の受け止め−

  今、問いかけられている「業」についての課題を私たち一人一人が受け止めてゆくため、五つの視点として提起し、まとめとする。

・具体的事実から出発する。

  差別の具体的事実から出発する、それが差別問題に取り組むポイントであった。それからすると同じように具体的問題こそ自らの「業・宿業」として受け止めることこそ「差別から解放へ向かう『業』の受け止めの出発点である。そして問題の中からどのような訴えや問いかけが私たち僧侶に向けられているのか、そのことに正面から応えていくこと以外に自らの血肉化した業を解きほぐし白日の下にさらして行く道はない。問いに応えることなく、業の教学的反省や解釈の誤りとして述べることは、唯の言い訳にしかならないことを心すべきである。
・私の体質にまでなっている、教団・寺院の  歴史と現実を問う。
  今まで私たち僧侶の取り組みが、とかく「過去のことは過ちであってもそれには触れずにおきたい」「過去を云々するよりも、別のところで活路を見い出してゆきたい」という形になりがちだった。  しかし具体的問題の一点から逆上って、明らかになってくる差別を温存・助長してきた背景(歴史)を明らかにすることなしには、差別を作り出した土壌をみんなの問題としてゆくことはできない。そうした自分自身にまでなった歴史的集積としての業を、解き明かしていくことにより、問いかけられた問題はまさに歴史的社会的な共業であることが頷かれ、みんなの課題であることが明確になってくる。

・問いを投げかけた人と共に、問題を共有する場を持つ。
  差別の中から訴えられた問題は、差別を受ける人に返してゆかなければならないことはいうまでもない。それは今まで差別する者と被差別される者としてバラバラであった両者が、具体的差別の事実を前に出遇う場を持ち、そこで自らの差別の歴史と現実が明らかになって、僧侶の責任をはたしていくことのできる場がひらけてくるからだ。これはあらゆる問題について言えることである。
  水平社以来、業の問題において提起を受けながらも、「差別からの解放へ向かう『業』の受け止め」について課題を共有する場が出来ているとはいいがたい、これからはじめなくてはならない。

・教団・僧侶が、それぞれ自らの責任を問う。
  差別の具体的問題を問うことの中から明らかになってくる、差別事件を起こした本人の問題、そしてまわりの僧侶一人一人、一ケ寺一ケ寺の問題、そして教団全体の問題とそれぞれの段階で担うべき責任を明らかにする必要があることは言うまでもない。なぜならそれが実際に「自らの業を担う」ということであるからだ。例えば差別事件を起こした一人に責任のすべてをおわせることも間違いだし、すべて教団の回答まちということも間違いである。それぞれが立っている場において取り組むべき課題を明確にし、問題の責任を具体的に担うということが業を担っていくという具体的な姿である。

・  あるべき姿にむかって具体的展望を。
  「学んだ証しはただ一つ、なにかが変わることである」(林竹二著『学ぶこと』)と言われる。一人一人が現状を切り開き、担うべき業を明らかにし、克服していく一歩を踏みだすことが出来ないならば、学んだということも、反省したということも、ただ言葉だけにすぎない。


(1)『御同朋の社会をめざして』(一九九二年四月発行)基幹運動本部事務局発行
(2)「部落差別と仏教の業思想」一八貢。
(3)『西光万吉著作集  第一巻』  「業報に喘ぐもめ」三一頁。
(4)『部落解放史  ふくおか』第八号(一九七七年七月号)
(5)『差別、被差別からの解放』−西本願寺教団と部落差別−1、六〇頁。
(6)『業を担って』  (備後教区教務所)一九九二年七月発刊参照。
(7)『業を担って』前掲、一七頁。
(8)『業を担って』前掲、二〇頁。
(9)『業を担って』前掲、二一頁。
(10)『業を担って』前掲、二四頁。
(11)一九九六年一二月二〇日「備後教区点検糾弾会テープ起こし」より。
(12)一九八九年、第三回同朋三老懇話会発表レジメ。現在、同朋三者懇話会の資料等が製作中である。
(13)『部落解放史  ふくおか』第八号、一九七七年七月、一一二頁。
(14)『ひかりといのち』(同和教育振興会)一九八六年。  「業思想に対する真宗者の態度」岩本孝樹。
(15)『真宗と業論』(本願寺出版杜)一九九〇年。
(16)『部落解放』ふくおか、一九七七年六月号。
(17)『宗報』十一月号(一九八四年一二月)同朋運動本部事務室発行。
(18)『業・宿業観の再成』一九八六年三月、解放出版杜。
(19)前掲、三九頁。
(20)前掲、五三頁。
(21)前掲、五九頁。
(22)前掲、一七六頁。
(23)「言ったことはやれ」円日成道(『ひかりといのち』八七頁参考)
(24)前掲「差別問題と業論」一九頁。
(25)『業の問題』一二頁(本願寺出版社)
(26)月刊『現代』一九九二年二月号、一三八頁。
(27)『週刊・文春』一九九五年七月二七日号、立花隆「オウム『金剛乗』とは何か」一五八頁。
(28)『救世主の野望』(江川紹子、教育史料出版会)一五一−一五二頁。
(29)月刊『現代』一九九六年一月「差別と呪い」の密教タブー史(宮坂宥勝)二〇八頁。
(30)前掲『業を担って』五三頁。
(31)『慈悲心と人権と闘いと}(小森龍邦著、小森龍邦事務所)八-九頁。
(32)『業・宿業観と人間解放』(小森龍邦、解放出版杜)三頁。
(33)『業・宿業観と人間解放』前掲、八頁。
(34)二九九一年五月五-六日、宗教と部落差別の研究会」小森龍邦「宿業論」と自己洞察、レジメ一五頁。
(35)「同朋三者懇話会のまとめ」(同朋三者懇話会発行)−部落解放同盟−、二五頁。
(36)『西光万吉著作集』第一巻「業報に喘ぐもの」四一頁。
(37)宗教と部落差別研究会、一九九一年五月五一六日、「宿業論」と信心の社会性、谷口修太郎、参照。
(38)前掲「西光万吉著作集」第一巻「業報に喘ぐもの」四〇頁。
(39)宗教と部落差別研究会、一九九一年五月五一六日、  「宿業論」と信心の社会性、谷口修太郎、七頁。
(40)水平社宣言『西光万吉著作集』一巻、六-七頁。
(41)宗教と部落差別研究会、一九九一年五月五-六日、  「宿業論」と自己洞察、小森龍邦、一六頁。
(42)「同和教育論究」第一二号「過去帳の教学(序)」小武正教、一四四頁。
(43)「同和教育論究」一二号「過去帳の教学(序)」小武正教、一四四-一四五頁。
(44)「同和教育論考」五号「だからこそやる」円日成道稿、参考。
(45)「浄土真宗聖典」八四二頁、  「歎異抄二二条」
(46)「浄土真宗聖典」八九一九〇頁、  「教行信証」
(47)「浄土真宗聖典」八四三頁、  「歎異抄」第一三条。
(48)「浄土真宗聖典」八四三頁、  「歎異抄」第一三条。
(49)「浄土真宗聖典」八四四頁、  「歎異抄」第一三条。
(50)「善悪の宿業」(円日成道稿『同和教育論究』八、参考)
(51)前掲「業を担って」四九頁。
(52)「浄土真宗聖典」四一七頁、「教行信証」
(53)「浄土真宗本願寺派連続差別事件糾弾闘争にかかわる指示と要請」(部落解放同盟中央本部)
(54)一九九五年一二月二〇日、備後教区第一回点検糾弾会。
(55)一九九六年三月三〇日、備後教区第二回点検糾弾会。
(56)「浄土真宗聖典」九一二頁、  「歎異抄」後序。
(57)「浄土真宗聖典」九二一頁、  「歎異抄」後序。
※上記の論文は、小武正教氏が教学研究紀要第5号に書かれた論文です、私(棚原)に元原稿を送って頂き、それをHTMLファイルに私が変更しました、極力掲載された原稿に近いように校正したつもりですが幾分違うところがあるかもしれません。

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