研 修 部 発 第 2 4 1 号
2000(平成12)年7月31日

靖国問題を考える念仏者の会
代表  川上三郎様 


浄土真宗本願寺派
研修部長  北浦思朗
返答のこと

謹啓  慈光のもと日々ご清祥の段慶賀に存じます。
  平素より宗門の基幹運動推進にご尽力頂いておりますこと深謝いたします。
  過般、7月8日付貴会より提出されました「公開質問状」につきましては、
全総局員の閲覧に供し、確かにその趣旨を承りました。
  就きましては、この度の貴会のご指摘を十分に踏まえて、今後の宗務を推進
していく所存でありますので、ご了承下さいますようお願い申し上げます。
  酷暑の砌、ご法体ご自愛専一の程念じ上げます。

合掌


  7月8日付、「備後靖国問題」を考える念仏者の会より提出した「公開質問状」に対する返答は上記の通りである。質問に対する返答は一切なされておらず、とても「返答」と呼べる代物ではないが、「確かにその趣旨を承り・・・・。・・・・ご指摘を十分にふまえて・・・・」とあるので、その「返答」の責任において今後このような事態が発生することはないだろう。もし再び本願寺がこのような失敗を犯せば、さらに痛烈な非難を受けなければならないこともわかっているはずだ。

  ところで今回の「公開質問状」提出は、本願寺当局(基幹運動本部を含む)が、組織とその権威を守るためなら差別隠しもじさない集団であり、問題点を指摘してみたところで本質的にはなにも変わらないことを承知の上での愚行である。しかし私が気になるのは、「アミダの森」の協力者の中には、大東亜共栄圏の思想とはほど遠いリベラルなタイプの人が多数関わっていることである。今回の愚行は、そのような人に対する警告であり、また「アミダの森」に関わることがリベラルに見えてしまうことの警告である。

  今回の質問状提出のきっかけは「遠山発言」であるが、そもそもこの問題の発端は約二年半前にさかのぼる。

  私が「アミダの森」の存在を知ったのは、1997(平成9)年12月、本願寺で行われた「研修会講師養成中央実習第11期第4回中央実習」においてである。「環境・平和」の講師が「アミダの森」事務局のK師だったのである。もともと不真面目で講義の内容に何の期待も持っていなかった私は、講義の中身をほとんど聞いていなかった。ところが講義が終わるとK師が要求したわけでもないのに研修生の側で自発的に「アミダの森」に対する協力金を徴収し寄付しようという話ができあがっていた(私自身もその場の状況に押されて協力金千円也を支払ってしまったひとりである)。この種の自発性が何らかのプロパガンダに犯された人間に特徴的に現れる症状であることを知っていた私は「何かおかしい」と思い、たまたま録音してあったK師の講義を聞き返してみた(詳しくは研修部発行の「研修会講師養成中央実習関係記録」平成9年度・平成10年度版を参照されたい。6月9日付で研修講師に送付されている)。

  彼はその中身についてはまったく触れていないが、一応国と教団の加害責任を認めている。さらに「南京大虐殺幻論」や虐殺数の数の論理による矮小化論を非難し、過去の事実を認め日本人としての反省を求めている。このあたりは「あったかどうかはわからんが、あったとしても過去のこと・・・・」という遠山氏の発言とは相いれないものである。しかしその後彼は次のように主張する。

「『日本は悪い国だ』というその固い固い心を溶かしていくのは『慚愧』です。」

  つまり彼の「慚愧」は、「自分は過去の悪行を反省したよい人間」と遺族に見せるための慚愧であり、「免罪」のための慚愧なのである。

  K師の問題点はさらに詳しく見ていきたいが、お盆で多忙のおり(いいわけは聞き苦しい)日を改めて掲載したい。

2000.8.14.  毛利慶典



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