【5月4日付け、中外に日報より転載】※投稿原稿を送って頂きましたので、記事とは多少違うかも知れません。

「還浄」論議に寄せて

浄土真宗本願寺派淨福寺住職  松井順嗣

一、「還浄」論議の発端

現在、本誌上にて話し合われている「還浄」論議の発端は既に衆知の通り、葬儀式における「忌中」札の廃止への働き掛けから起こっている。
宗教はそれぞれに特色・特徴を備えていて、他の宗教との相違点を明瞭にすることに依って自己の教えを一層明瞭にすることが可能で有る。
浄土真宗もその教えの上に、他の仏教諸宗派とは異なる特徴を多く有している。
今、ここで論じられている「忌中」札の廃止への働きかけも、本宗の特色の一つとして、教えそのものに「ものを忌む」と言うことをしない事が明瞭にされている点が起こりで有る。
また、「日をえらぶ」「方角をえらぶ」等の事も一切行わない事等々、一般社会で大切にされている習俗・習慣から言えば相当大きく異なった特色を持った宗教と言える。
それ故、一般に葬儀社主導に依って執り行われている葬儀式を点検してみると真宗教義上、不合理な点が多々見られる。
それは、単に葬儀作法に止まらず生活全般に根付いた習俗・習慣の上にも真宗教義に沿って考えて見ると、真宗の教えとは相違する多くの営みが為されている事は本論議をお読みの諸兄姉には既に良くご存じの事と思う。
しかし今はいたずらに論点を広げ過ぎることは論議の焦点が定まりにくくなるので、この「還浄」論議に限って論を進めたい。
「還浄」の問題が浮上して来た発端は、先に述べる如く葬儀の際に玄関等に貼られる「忌中」札が、真宗の教えの上から妥当では無いとの考えから起こった、極く純粋な発想から派生した取り組みと考えられる。
即ち、この還浄の問題は本来は真宗教義に沿った「習俗の改め」と言う点が発端では有ったのだが、残念ながらその解決のための取り組み方法として用いた「還浄」札の普及と言う方法は、真宗教義の立場から考えると些か間違いが有ったこともまた否めない事実で有る。
ひところ「仏滅・友引等、日に囚われ、日をえらぶ行為は浄土真宗のみ教えにそぐわない。」との主張から、「毎日が大安」と言う「大安カレンダー」と言うものを作られた方が有ると言うことを聞いた事が有る。
「日をえらぶ(日に囚われる)行為」は紛れも無く浄土真宗の教えに沿わない事はその通りなのだが、だからと言って「毎日が大安」と言えば、却って根本義で有る「日をえらばない」と言う教えそのものに拘り過ぎて却って「日に囚われる」行為に陥ってしまっていることを見失っていると言えるだろう。
だから、その動機は正しくとも、その対応が誤っていれば、結果として誤った方向に向かってしまうと言える。
そこで、「還浄」問題への取り組みは本来「習俗」の問題点を改めようとして派生した活動では有ったのだが、残念ながらその方法に真宗教義から考えると問題が有ったために今回の一連の論議が派生するもといとなったと言えるだろう。
然し乍ら、最も大きな問題点は、その「還浄」の文言を宗門が公式の文書に用いた事に依って、一気に「習俗」の問題から「教義」の問題へとその基盤が移った事が大きな展開として窺える。
本誌をお読みの諸兄姉にはインターネットの世界に造詣の深い方も大勢おられると考えるが、実はこの問題を当初から深く受け止めて、ご自身のホームページに『還浄資料』として詳細に発表されている方がおられるのでご本人の了解を頂いてここに紹介させて頂く事にする。
ホームページ名『坊さんの小箱』(http://www3.justnet.ne.jp/~tanahara/)の中に有る『還浄資料』をぜひご一読頂きたい。

二、信楽氏の寄稿

この「還浄」論議が今日宗派内外において大きく議論される様になった契機は、元龍谷大学々長であり、また元浄土真宗本願寺派監正局長を勤められた信楽峻麿氏が本誌の今年一月十八日付け紙面に寄稿された「『還浄』について」の記事が、この論議の大きな展開の発端となった事は事実だろう。
所で、この信楽氏が寄せられた記事は確かに宗派内外に大きな波紋を起こした点では注目に値するが、同時に氏の記事そのものに多くの問題を内包していた事も事実で有る。
以下の私の記事は一月十八日付け本誌に信楽氏の記事が掲載された事を受けて、一月二十四付けにて信楽氏並びに宗門各方面(総局・宗会・勧学寮・基幹運動本部・教学研究所等)に「疑問点」として送付した内容を基として、今回新に書き改めたもので有る。
なお、信楽氏並びに宗門各方面からは、一部の宗務機関から「受理した。」旨のご返事は有ったものの、今日に至るまで全く何のご回答も頂けなかった事を申し添えておく。
以下、私が信楽氏並びに宗門各方面に送った疑問点の意見書の内容を中心に信楽氏の記事の疑問点を通して、私なりに「還浄」論議の問題点を考えて見たい。
氏が還浄の問題を本誌上に展開された論議は、先に述べた「還浄」の意味付けを、「習俗」の問題から発展して「教義」上の立場からの議論のテーマとして俎上に上げられた点で大きな意味が有ると言える。
所で、私は常々「教義」に関する論議は飽くまでも「宗門」内にて語られるべきとの考えを持っている。
それらの事を踏まえて、以下私が感じた信楽氏の所説への疑問点を述べたい。
なお、文章は信楽氏並びに宗門各方面に送ったものを出来るだけ生かしたいので、前後の繋がり上、やむを得ない場合以外、そのままにした。

三、信楽氏発言の疑問点

(以下は信楽氏並びに宗門各方面に送った疑問点を記した書面からの要旨のため、表記法が少し異なる点をご了解頂きたい。)

(一)所謂「還浄」問題そのものに就いて。

氏がお寄せになられた「還浄寄稿」は、一面では、一末寺住職としての「私の言いたいこと。」を代弁して下さっている点は事実なのですが、同時に、
(1)「明瞭にして頂きたい点」
(2)「解釈として同意できない点」、が有りますことを申し述べさせて頂きます。

(1)「明瞭にして頂きたい点」

「還浄寄稿」に氏は、「最近この問題をめぐって、ある住職が教団当局に質問し、当局から回答が返ってきたのを見せてもらって、教団当局が、こんな誤った真宗理解をしている以上、これでは私も一言いわねばならないと考え、多くの関係のある全国の僧侶、門徒の皆さんにも訴えて、教団の誤謬をただしたいと思ったことであります。」、とお述べになられます記事に関して、実はここで述べられます「質問」と「回答」が、本還浄寄稿の発端に当たる重要な部分で有り乍ら、以下に述べます様な肝心の点が明かされないままでは、それ以後の本文の正確さに支障が有るのでは無かろうかと思います。
それゆえ上記に述べられます「質問」と「回答」に関して、
  1. 質問をされた時期
  2. 質問された方
  3. 質問の内容(出来れば、質問の全文)
  4. 質問先の部署(教団当局との事ですが
  5. 教団内のどの部署にご質問されましたか)
  6. 回答者(回答は教団内のどの部署から有りましたか)
  7. 回答の内容(出来れば回答の全文を公開頂きたく存じます。)
の諸点を明確にされます事に依って「還浄寄稿」のご趣旨が一層明らかになるものと考えますので、是非とも、上記〜の項目の公開を、お願い致したく存じます。

(2)「解釈として同意できない点」

この度の「還浄寄稿」は、一末寺住職たる私としては、本当に詳細にお述べ下さった「ご指導」と、有り難く読ませて頂きました。然し乍ら、僭越とは存じますが「解釈として同意できない点」が些か感じられます。
僭越を承知の上で、敢えて所感を述べさせて頂きます。
氏は「還浄寄稿」に、「「帰浄」と書くべきでは。」、と氏としての見解を述べておられます。
また、氏は「還浄寄稿」に「還」「帰」両語に亙っての詳細な解説をお述べ下さっています。
その所説は浅学の身として学ぶ点が多々有り「流石に信楽先生。」と敬服致している次第です。
然し乍ら、氏ご自身が、「あえて言うならば「帰浄」と書くべきで有ると申して来ました。」、とお述べになられる様に、言って見れば、「帰浄」との表現は、飽くまでも「あえて」、「止むを得ず」表現する場合の、換言すれば「特殊な場合の表現」と限定されるべきでは無いでしょうか。
宗祖御自身のお言葉に就いては、氏が詳細にお述べの如く「還」「帰」の文字を含む多くの熟語(詳しくは一月十八日付け本誌をご覽下さい。)を、お残し下さっています。
然るに、宗祖ご自身の直接のお言葉としては、「還浄」「帰浄」との表記はその用例を見出し得ない事は、氏ご自身がお述べの通りと存じます。
また一方、氏もお述べの如く、宗祖のご著書には「往生」のお言葉は、枚挙にいとまが無いと言えるでしょう。
それゆえ、いま問題となっています「表記」についてどう書けば良いのかとの事に就いては、氏ご自身も明瞭にお述べの如く、「一般には「往生」又は「往生の素壊」との言葉が相応しいのでは無かろうか。」、との御趣旨が妥当と考えます。
氏は、「一つの表現として「帰浄」との表し方が望ましい。」、とのお考えと存じますが、私としては、結論として「往生」又は「往生の素壊」との表現に徹し、「還浄」又は「帰浄」の言葉は用いるべきで無いと考えます。
「還浄」の表記は真宗教学上、正しい表現とは言えない事により、その表現を用いない様に、宗門からあらゆる機会に徹底されますことを強く要望致します。
また「帰浄」の表記も、飽くまでも「特殊な場合の表現」として受け止めるとき「一般には用いない事」が望ましいのは言うまでもない事と存じます。

(二)「宗門の戦争責任」に就いて

氏は「宗門の戦争責任」に就いて「還浄寄稿」に、「私はかつて数年前に、戦後五十年を迎えるにあたって、教団の戦争責任について進言しましたが、その記念法要は厳修されたにもかかわらず、私の提案は、何ひとつとして取り上げては下さいませんでした。」と、述べておられます。
「還浄寄稿」における、この「宗門の戦争責任」に就いての注目点は、氏がお述べになられたと言う「私の提案」で有ると言えると存じます。
然るに、残念ながら肝心の「私の提案」については具体的には全く述べておられません。 できれば、是非とも「私の提案」を具体的に公開頂ければ有り難く存じます。
実は、私も宗門人として本当に、宗門は今次大戦の戦争責任に就いて、十分にその処置を終えていると言えるのだろうか?」との疑問は、ずーっと持っていました。
然し乍ら、私の如き一末寺住職の立場ではその真相究明等と言うことは遠く及ばない事と言わざるを得ません。
然るに「宗門立大学」の長を努められたお立ち場で有れば、学校内に「宗門の戦争責任に関する調査機関」(研究会等)を設立され、何らかの手を尽くされる事も可能なお立ち場だったのでは無かったのかと思います。
また、ご経歴の「監正局長」時代にこそ、そのお立ち場を有効に利用される事に依って、「宗門の戦争責任の解明のための調査」等を実施される事を通して、解決に何等かのお働きをなさる事が出来たのでは無かろうか、と思います。
この度の「還浄寄稿」のお言葉の如き、内容も明かされない「私の提案」等との表現に止まる事なく、「具体的」にその「提案内容」も披瀝されて、宗門の戦争責任の解明と解消への指針を示されるべきではなかったのかと思われて残念でなりません。
私の様な一末寺住職の立場から考えても、氏は何故、宗門内の要職に有られたときにこそ、「宗門の戦争責任の究明」をするべき努力をされなかったのだろうかと、不思議に思えてなりません。
然るに現在、かつての要職を離れられた後になって、「教団への提案が聞き届けられなかった。」等と「教団の戦争責任」等と言うテーマを掲げて「教団当局にただす。」「教団は直ちに誤りを正せ」等との表明をされています。
このご発言は、明らかにかつてのご自身のお立ち場を忘却されたお言葉、と言わざるを得ないと存じます。
「宗門の戦争責任」の究明、並び、解決への模索と努力は、宗門、並びに宗門人各自が「自己自身の問題」との受け止めから取り組まねばならない問題と考えます。
後に述べます(四)「教団当局」の問題に重複する部分も有りますが、敢えて項目を分けて書かせ頂きました。

(三)氏ご自身の「信心」の問題に就いて。

氏は「還浄寄稿」に、「このような真宗信心の根幹にかかわる問題を  このまま黙認するとするならば、やがて本願寺教団は、いよいよ信心が欠落した死者儀礼集団に転落し、教団存立の意義までも喪失して、ついには真宗がいっそう世俗化し、民俗信仰化してゆくことになるのは必定であります。わたしは教団の将来を思うがゆえに、きわめて憂慮に耐えないものです。」、と述べられています。  では、氏ご自身の未だ解決されていない「信心の問題」に就いては、どのようにお考えなのでしょうか。
かつて、氏は「浄土真宗本願寺派宗制・第一章・教義」に記されている「信心正因  称名報恩」を否定されたことについて、現龍谷大学真宗学会々長・岡亮二氏と共に宗門の問題となり、昭和五十六年に勧学寮より「疑義あり。」との見解が出された事はご記憶に無いのでしょうか。
ところが氏はその後、勧学寮の呼び出しは一切無視されている様です。
また、この問題に関する稲城選恵氏のご著書  『最近における真宗安心の問題−龍谷大学信楽教授に問う』 (昭和五十四年三月・百華園刊)
紅楳英顕氏の論文  『宗祖における信心と念仏』  (「龍谷教学」十三・昭和五十三年六月刊)  『宗祖における信心と念仏・二』  (「龍谷教学」十五・昭和五十五年六月刊)等に述べられる、氏に対しての「批判論」に対して、全く何の反論もされていない、と聞いています。
氏は、これらについてどのようにご弁明されるのでしょうか。
氏のご所存を承りたく存じます。

(四)所謂「教団当局」 と言う事に就いて。

氏の、この度の「還浄寄稿」を寄せられたお立ち場に就いて。
氏が本誌に「還浄寄稿」を、お寄せになられた事は素晴らしい事と存じます。
然し乍ら、「中外日報」誌の位置付けは「宗門外の宗教情報誌」で有り、氏は言うところの「宗門人」(宗門内の人)で有る、とのお立ち場を思う時、氏がお述べの「教団当局にただす」「教団当局は直ちに誤りを正せ」等との表明は、果たして「正当な御意見なのか?」との疑問を禁じ得ません。
このご意見が「宗門内」の発行物(例えば本願寺新報・宗報等)にご発表された場合は、貴重なご意見として拝見出来ると存じます。  然し乍ら「中外日報」誌は「宗門外の発行物」で有る事を考えますと「糾弾する氏ご自身が「宗門内の人」として「外部の人」からは宗門の問題点を指摘、または糾弾される立ち場で有る。」との点を、お考え頂きたく存じます。
私自身も、地元の仏教会等にて他宗派の方から宗門の問題点の指摘を受けて「お西さんも色々と大変ですね。」等とのお言葉を頂く事が有ります。
その様な場合にも、その方の指摘に同調して宗門を糾弾すると言うような事は、断じて出来ません。
何故なら「私自身、宗門に属する宗門人」なのですから。
当然、 同じ宗門人どうしで有れば、宗門の有り方に就いて侃々諤々の論議を致します。  昨年夏の同窓会では「宴」を終えた後、延々と夜中の三時近く迄「宗門の在り方」に就いて話し合った事が、有意義な思ひ出として心に強く残っています。
今、氏のお立ち場を考えますと「宗門の後継者を養成する宗門立大学」の学長を歴任され、またその地位を退職後は「宗門の是非を糺すべき立場たる監正局長」の職を歴任されたご経歴を窺う時、断じて「糾弾する立場」は許されない事と存じます。
むしろその問題点を是正する立場、または自己自信の問題として痛むべき立場を貫かれなければならないと存じます。
厳密に言えば龍谷大学と言う組織は「宗門外」と位置付ける事も可能でしょう。
然し乍ら監正局長のお立ち場は、まぎれも無く「宗門内」の地位で有り、然も宗門内の問題点を、糺そうと思えば糺す事の出来る立ち場に有られたと考えるとき、今回お述べの如き「教団当局にただす」「教団当局は直ちに誤りを正せ」とのお言葉は、率直に申し上げて、ご自身のかつてのお立ち場を忘却されたお言葉、と受け取めざるを得ないと存じますが、如何でしょうか。
これらの問題をこそ、是非ともかつての要職に有られた時期に解決されるべく努力されるべきでは無かったのか、と残念に思われてなりません。
また(三)に述べます様な「氏ご自身の未解決の問題」をこそ、先ず率先して解決されるべきでは無いのでしょうか。
最後に、宗門内組織とは包括・被包括の関係に有ります、包括組織たる「浄土真宗本願寺派」の表記について、氏は「教団」と述べておられますが、これはやはり「宗門」と表記されるのが正しいのでは無かろうかと存じます。
氏がかつて奉職されました龍谷大学も「宗門立大学」とは称されますが「教団立大学」とは称されていないと存じます。
言わずもがなの事、とは存じますが一言申し添えさせて頂きます。

  以上、長々と信楽氏の「還浄寄稿」への疑問点について信楽氏ご自身並びに宗門各方面に送った意見書の要旨を転記した。

  然し乍ら、氏ご自身からも宗門各方面からも全く何のご返事も頂けない間に、本誌紙上ではこの問題に関してどんどんと新しい寄稿がなされ論議が進展していることにより、先の信楽氏並びに宗門へ送付した問題点の提起を読者諸兄姉にご一読頂くとともに、私なりの考えを述べたい。

四、「還浄」論議の取り組みについて

(1)「習俗」の立場からの取り組み


  今、本誌を中心として話し合われている「還浄」論議は、先に述べる如く「習俗」としての改めへの取り組みと、「教学」としての解釈の問題との二つの内容を含んでいることを理解しなければならない。
先ず「習俗」としての問題点は、真宗教義に相いれない「忌む」事の排除への取り組みとして、今後とも広範囲に展開して行かなければならない問題で有る。
然し乍ら[習俗の改め」は、矢張り真宗教義に相即した「正しい教え」を根底とした立場からなされねばならない事は言うまでもないことで有る。
そこで「忌中」札の起こりで有るが、先ず、「還浄」の言葉そのものの最も古い出所について、上述のホームページ「坊さんの小箱」の「還浄資料」には、管理人が調べられた範囲で一番古い「還浄」の言葉が出てくるのは宗祖の往生の地に建つ「角坊別院」の扁額に書かれている安政三年(千八百五十六年)のものが、最も古いものとの事で有る。
しかし、一部の方は別として、大部分の僧侶・門徒はこの度の一連の「還浄」問題の起こりまで殆ど「還浄」については問題にされていなかったのが実状だろう。
所で、「忌中」札の廃止への働きかけとして「還浄」の言葉を配した札を以て「忌中」札の代わりとする、との発想は、「教義問題を傍らに置く」、とするならば素晴らしい発想と言えると思う。
かく言うわたし自身は、率直に言って「忌中」札の対応に関して何一つ活動も出来ていないので、その点からはこの問題に関して発言資格が無いと言えると思うのだが、お許し頂いて敢えて発言させて頂く事にしたい。
この問題が具体的にあちらこちらで話し合われるようになって、私自身も周辺の数人の方に意見を求めた所、地方によっは葬儀に当たって「忌中」札そのものを貼る習慣(習俗)の無い地方も有ると言う意見も伺えた。
そこで、具体的に「忌中」札の廃止への取り組みとして、何が最も適切なのかとの検討は、ある程度、「宗門が中心となってその対策を立てられねばならない」、と考える。
今、一二、私なりに考えられる対策を述べたい。
   先ず、「忌中」札を廃止しようとするのなら、「忌中」札の代わりに何か別の札を貼るのでは無く「忌中」札そのものの廃止に向けて取り組むと言う方法も考えられる。
現に、先に述べる如く地方によっては本来「忌中」札を用いていない所も有るのだから。しかし、どうしても何らかの札を張らなければ周囲の人達に納得して頂けないと言うのなら、一例として、『寂』札等を新規に用いると言うことも可能では有る。
あくまで「習俗」としての対応で有るならば、ある程度宗門主導で、真宗教義に即応する言葉の中から相応しいと考えられるものを、雛形として提示して、その中から同意の多いものを「宗門からの要望」と言う形で示される方法も可能なのでは無かろうかと考える。以前に、「忌中がいけないと言うのなら、年忌はどうなるのか?」との質問が出て、応対に当たった方が返答に困った、との事を聞いた事が有る。
実は、私の地方では「年忌」と言う言葉は殆ど使われていなくて、単に「法事」又は「法要」と言われている。
また門徒に「法要の年次」をお知らせする一覧表も「年回表」と書かれていて「年忌」の言葉は使われていない。
その様に、お互いにもう少し情報を遣り取りすれば、案外思いがけない智恵が集まってくると思う。
情報化社会と言われる今日、一万ケ寺を擁する宗門の課題は、これらの全国的は情報の収集と整理、そしてそれを末寺に伝達することだろう。
かつて、「「開山」は親鸞に取られ、「大師」は弘法に取られる。」と称せられるほど浄土真宗が広く社会に浸透していた事を思い合わせる時、宗門が、いま何を為すべきか問われているとも言えるだろう。

(2)「教義」の立場からの取り組み

この度の信楽氏の寄稿を拝見して一番最初に考えた事は、この問題は宗門のどの部署が対応すべきなのかと言うことで有る。
「習俗」としての問題の対応も、宗門全体として取り組まねばならないことは言うまでも無いことだが、特に「教義」の立場からこの問題を考えるとき、実は本誌紙上で論議されているよりも、もっと大きな問題が内包されていることを看過しそうになって驚いた事で有る。
「習俗」の問題として「還浄」の言葉が起こって来たのは、いわゆる「忌中」札の廃止に向けての取り組みとして、「還浄」札を普及させる事が発端で有ったと言える。
この発想と行為は頗る情熱的な純な取り組みと言えるとは思うが、一方「教義」の立場においての「還浄」問題は、「真宗念仏者の死の受け止め」、即ち「念佛の行者が赴く浄土は、初めて行く(往く)土なのか、又は、以前に居たことの有る土に帰る(還る)土なのか。」、との問題は、宗祖のお説き下さった浄土真宗の教義そのものをも書き換えかねない大問題を内包した事態への対応を迫られる事で有る、との事実に目を開く時「これは大問題だ。」との驚きの念を禁じ得ない。
それこそ「還」も「帰」も「かえる」意味で有る以上、もし宗門が「還浄」又は「帰浄」の言葉をもって、「真宗念仏者の赴く土」として「教義的に合理」、として許すならば、「この土の人は、浄土から来たれる者。」と受け止めざるを得ず、浄土真宗の教義そのものが根底から覆される事にもなりかねない大問題を内包している課題と言えるで有ろう。  有り体に言えば「三業惑乱」以上の宗義問題として発展しかねない内容を含んでいる事態で有るとも考えられるとき、今、明瞭にこの解決を果たしておかなければ、将来に大きな禍根を残すと言えるのでは無かろうか。
そこで、この問題の解決に対処する宗門内の部署について考える時、宗門立大学に学び、縁有って宗学院に学ばせて頂いた者が一番最初に思いつくのは「勧学寮」で有る。
「宗門法規」を開いて見ると、「勧学寮」は「宗門法規」の第一編基本法規に包括される、「浄土真宗本願寺派宗法」に記載される機関で有る。
この「宗法」の「第七章・宗務」には、「第一節総局・第二節宗会・第三節勧学寮・第四節監正局」等と明記される如く、法制上、「勧学寮は、総局・宗会とは対等の立場」、との位置付けが明確に記載された部署で有る、と言う事が出来る。
また、「浄土真宗本願寺派宗法」には、「第三節・勧学寮   (設置の目的)  第五十二条   宗意安心に関する門主の諮問に答申し、及び教義に関する重要事項を審議するため、勧学寮を置く。」と、その設置の目的が明記されている。
重ねて述べるが、そこには「門主の諮問に答申し、」のみならず「教義に関する重要事項を審議するため、勧学寮を置く。」と勧学寮設置の目的を明瞭に書かれて有る立場を考える時、教義に関する重要事項を審議するべき中心に位置付けられるのは勧学寮で無ければならないと考える。
この問題の取り組みは言うまでも無く宗門全体の問題で有り、宗門には「教学研究所」や「基幹運動本部」等の機関も設置されてはいるが、これらは宗法上、「総局の傘下」として設置された組織で有る事を考え、またこの「還浄」問題が「教義」問題として内包している事態の大きさを考えるとき「勧学寮」は挙げて「還浄」問題の「教義」的解決に邁進されるべきで有ると考える。
尚、信楽氏ご自身も、その「還浄寄稿」に「信心の重要さ」を述べられるに当たって、「勧学寮の皆さんは、このことこそ異安心として厳しく取り上げるべきではありませんか。」、と述べられてこの問題の重大さについて書かれて、勧学寮を怠慢だと厳しく批判されている。
ところで、信楽氏ご自身が「異安心」の問題には厳しく取り組むべきで有るとのお考えならば、上述の、昭和五十六年に「信楽氏・岡氏の安心問題」について、勧学寮より信楽氏については「異義断定保留」、岡氏については「疑義断定保留」とはしたものの、「今後の両氏の教学活動を見守る。」との見解が出されている事について、氏御自身は現在どのようにお考えなのであろうか。
是非とも、氏の見解を承りたい。
また、これについては勧学寮にも回答を要望したが勧学寮よりは何の回答も無い。
教義上・安心上の問題は断じて曖昧のままに放置すべきでは無いと思う。
仄聞するところ、宗門はこの度の「還浄」問題を契機として「教学連絡会議」なるものを発足されるお考えらしいが、「階上、階を置く」とも言えるような繁雑な組織を新規に設置されるより、従来から有る教義そのものの審議機関としての「勧学寮」にその任をゆだねるべきと思う。



著者略歴
氏名・松井順嗣(まついじゅんじ)
生年月日・昭和十七年六月八日生まれ・五十七歳
浄土真宗本願寺派大阪教区西成組・淨福寺住職
平成10年より本願寺津村別院にて有志の方たちと寺属の学習会『浄土真宗を学ぶ会』を結成。
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