やっと、念願の駒沢勝先生の「医と私と親鸞」のテキスト化が出来ました。
駒沢先生に掲載の許可もいただけましたので、はれてアップ出来ます。
私が、駒沢先生の「医と私と親鸞」に出合ったのは中仏の研究科(平成2年)の時ほぼ同様の内容のテープを聞いた時でした。
それ以来、御念仏というか宗教に対する捉え方が変わった気がします。
この文章は、全ての人に読んでもらいたいものです。
※OCRで入力した関係で誤字脱字はご容赦下さい。

「医と私と親鸞」   駒沢勝


はじめに
私の両親はかなり熱心な浄土真宗の信者であり、何かにつけて私達に念仏をすすめていた。しかし、理解し難い上に、非合理的に思える「念仏」とか「宗教」とかいうものにはどうしても親しみを持つことができず、反発し続けていた。
母と私の間には、よくこんなことがあった。
「勝よ、ひとつお願いがある」、「なんだ、言ってみろ」、「これ、これ。これをしてくれよ」と両手を合せて、「念仏せよ」と言うのである。
「あーあ、念仏のことか。ああ、解った解った」と言って、いかにも面倒くさそうに、「ナンマイダブ、ナンマイダブ、ナンマイダブ…」と数回吐きすてるように言って、「これでいいだろう」と言うと、母は満足そうに、「うん、それで良い、それで良い、ありがとう」と言っていた。
こんな風に、両親、特に母親は「お願いだから」と言うて、念仏を迫ってくるが、心の中では「こんなアホらしい物」と言う感じで、反発は大きくなるばかりだった。
それよりも、今の「文明的考え方」、「科学的考え方」の方がはるかに分かりよく、納得がいき、確実性があり、よほど頼り甲斐を感じていた。
事実、私は科学的考え方の生活をしており、医学と言う学問の上に立つ医療に誇りをもっていた。一方、何時頃からか、医学や科学に疑問を抱く場面に遭遇することもあった。それでも、「それは自分の努力が足らないためだ」とか、「今後の進歩によって解決するだろう」とか自分に言い聞かせて、どこまでも科学にすがろうとしていた。
しかしある時、受け持ちの白血病患者がついに亡くなってしまった時、医学、科学の限界を強く感じ、「科学では人はとうてい幸せになれないのではないか」と思うようになった。
こうして、これまで生活の基本、生き方の拠り所としていた科学的、合理的考え方が、何か頼りなく思えてきた時、これまで反発し続けてきた「宗教」とか「念仏」とかいうものが、急に大きく、確固たるものに見えてきた。それは富士山のようにどっしりとしていて、科学や医学が、まるでその囲りに浮いている雲のように感じられてきた。この気持ちは、一気に私を宗教に引きつけた。私は親鸞聖人の著書などを何冊か読み始めた。しかし解説書を頼りに読んでも、実に難解で、砂を噛むようで、とても私の心の支えになるような代物ではなかった。
しかし、1年ほど前に、ハッと分かった。非常によく分かるようになった、読んでいてウキウキするようになった。心の支えがつかめた。そんなところを少し書いてみようと思う。
一、破滅への道
私は小児科医で、子供を相手に生活している。生来の子供好きのためか、皆あどけなく、可愛く思える。こんな可愛い子供が死んで逝くのも多く見たし、また脳性麻痺や奇形など、不治の病を一生背負って生きていかねばならぬ子供達も多く見たが、その度に何どなく不偶に思えて辛かった。また、そんな子の親が、途方に暮れ、ただ某然としているのを見ると、やり切れない気持ちで、「自分はもっと頑張らねば」と思うことも多かった。自分はやるべきことをしているが、「ベストを尽くしているか」と自問する時、全くその逆の自分がハッキリと認識できて、そのことをまた辛く思った。
こんな時、私は診療のあるひとこまをよく思い出した。7歳のその白血病の女児は、2年前から私が治療していた。再燃の後、敗血症になり、死ぬ直前には相当苦しかったのだろう、私達の無力ぶりを怒り、「この野郎」、「バカ野郎」、「藪医者め」などと、苦しまぎれに罵声を浴びせていた。
家庭がとても貧しいらしく、父親は夜の仕事をしていて、我が子が死にそうなその日にも、なかなか連絡がつかなかった。やっと連絡が取れ、夜半に駆け付けた父親に、本当に最後の別れを借しむかのように、その子は20分ばかり、荒い息をしながら、甘えきっているようだった。間もなく息がとだえるようになった時、その子は、「お父さん、ありがとう」をあえぎあえぎ言った。そして、「お母さん、ありがとう」も力を振り絞って言った。そして、いよいよ最後の言葉は、「先生、ありがとう」であった。どれほどの意味を含めて言ったかは判らないが、ただ聞く側には、とても辛く、胸をえぐり取られる感じがした。
その後、診療の様々の場面で、このひとこまを思い出しては、自分のひどい怠け姿に気づき、「もっと頑張らねば」と思っていた。あるいは、他の医師や医学そのものに、「もっと頑張ってくれなければ」と、不平不満を抱くのだった。そんな時、「私は一体何をしようとしているのか」と言う疑問に襲われだした。今の自分は健康でありながら、「病院の待遇が悪い」とか、「同僚が気に入らぬ」とか、「病院の設備が悪い」とか、「先輩が良くない」とか、「不平不満で一杯」ではないか。「一時たりとも心が安らかでない」ではないか。「健康が人の幸せを作るものでない、幸せを保証するものでないことは、今自分が証明している」ではないか。それなのに何故私は、他人の健康のために頑張ろうとするのかと。
テレビのニュース番組で、「ある人が詩をつくり、別の人がその詩に感動して曲を付け、そしてまた、別の歌手がその曲に感動してリサイタルを開いた」と言うことが報道された。そして、その作詩した人が感動的である。氏はテレビで見る限り40歳を過ぎておられるように見えたが、6歳の時、脳膜炎にかかり、以後、手足の自由が利かないのだそうだ。それどころか、言葉が喋れないのだそうだ。画面からうかがうに、氏はたぶん、食事も排泄も自分ではできないらしい。
この人が詩を作る方法は、こうである。傍らのお母さんが「あ、か、さ、た…」と50音を横に言っていかれる。そして「た」のところまでくると、その人のできる唯一の意志表示のまばたきをされる。まばたきと言っても顔全体をしかめるような大変な苦労のまばたきである。すると、お母さんは今度は「た、ち、つ・・・」と縦に言っていかれる。そして「つ」のところで、またあのまばたきをして、「つ」の一文字ができる。こうして字を連ねて作った詩が、何と200にも達するのだそうだ。そして、その中のひとつが紹介されたが、それはこんな内容だった。
生きててよかった
こんな重い病気になってよかった
お蔭で私は神様にお会いできた
そして生きる喜びを知った
こんな重い病気になっててよかった
生きててよかった
私はこれを見て、とても嬉しかった。手足の自由がきかず、食事や排泄にも人の手を借り、その上、言葉も喋れないなど、それこそ不幸を絵に書いたように思えるこの人が、我々健康な者よりも、はるかに確かな生きる喜びを噛みしめておられるではないか。
健康であるにもかかわらず、不平不満で一杯の自分と、ことごとく健康が冒されながら、確実に生きる悦びを噛みしめておられるこの人を見れば、「もう健康と人の幸福は無関係であることは証明できた」と思った。それにもかかわらず、医学は健康を求めて頑張っている。この私も同じように頑張ろうとしている。ずいぶん矛盾しているではないか。一体、何をしようとしているのだろう。
この矛盾に起因するためか、医師の私や医学は、ずいぶん無理をしているように見えてくる。
一昨年9月頃だったか、「米国でダウン症児を産んだ母親が、産科医を訴えて勝訴した」と言うことが新聞に載っていた。ダウン症は、母親の年齢が高くなるにつれて、その発生頻度が高くなるために、米国の州によっては、高齢妊婦には、羊水穿刺(ようすいせんし)による胎児のダウン症の診断が、法的に許されているのだそうだ。そして、「もしダウン症であることが判明すれば、人工流産することも許されている」と言う。しかも、産科医には、このことを高齢妊婦に告げる義務があるのだそうだ。それで、ダウン症児を産んだ母親は、「高齢であったにもかかわらず、産科医がその旨を告げなかった」と主張し、「もし告げられていたら、自分はきっと羊水診断を受けただろう。そして、もしダウン症児を身ごもっていることが分かっていたら、きっと堕胎していただろう。この子が生まれたのはその産科医が悪いためだ。私の心の痛手に対する慰謝料と、その子の養育料を支払え」と訴えたのである。そして勝ち取った金額が、なんと約2億円と言うのである。
ちょうど同じころ、ひとつの論文が掲載された。
40歳の婦人が双児を妊娠した。前述の理由で羊水診断を行ったところ、一方は正常で、他方はダウン症であることが判明した。そこで、その妊婦は、「ダウン症胎児を子宮内で死亡させて、正常児の方だけを産ませて欲しい」と願った。これに応えて医師達は、最新の知識と技術を駆使して、双胎の一方を死なせ、他方と母体に悪影響が出現しないようにする。
その方法が論文の主題であった。先ず裁判所の許可を得て、起こりうる多くの可能性に対して実に冷静に、確実に、科学的に対処しながら、ダウン症児をうまく殺す方法が生々しく書いてあった。超音波で胎児の位置と部位を確認し、ダウン症胎児の心臓をめがけて、体外から大きな針を刺していく。1回目は失敗で、うまく針が心臓に突き刺さらなかった。2回目はうまく行って、心臓に穿刺(せんし)できた。そこで心臓から徐々に血液を抜いていく。この間両方の胎児の心音を始め、様々のモニターを行っている。20ccほど脱血したところで、ダウン症胎児の心音はうまく止まった。以後、母体や他方の胎児の状態を綿密に調べ、種々の手当てを行って、めでたく満期の出産をみたと言う論文であった。
この論文を読んでいて、とても気分がすぐれなかった。とても嫌な気持ちになった。私が不快に感じる理由は、双胎児の一方を死に至らしめる動機や方法が否定しきれないところにある。つまり、どこが悪いかをはっきり指摘できないのである。「ダウン症の子を産みたくない」と言う、母親の切実な願いを思う時、この処置を「悪だ」と否定しきれない。つまり、この医療行為は「我々が行っている医療と決して異質ではない」と言うことである。我々が通常、「肺炎を治療したり、小児がんを何とか治したいと頑張るのと同質である」と言うのが、不快に思う理由である。私も、やっぱり無理をしているのだろうが。その後、同誌群の通信欄に、この処置性に対する反論がいくつか載せられたが、単胎のダウン症の診断と堕胎が許される論理の前には、反論も説得力を欠いていた。
さらに別の論文は、一方が家族性黒内障性白痴、他方が正常の双胎妊娠について、同じように心臓から脱血による胎児の選択死を試みたが、「20ccでは成功せず、機を改めて25cc脱血したが、それでも胎児は死ななかった。自分達は、胎児の心臓に空気を注入して、空気栓塞(せんそく)を作ることによって目的をなしとげた」と言う論文であった。実に日進月歩の世界である。
進歩とはこういうものである。進歩とは破滅への道である。人類は確実に破滅の道を歩んでいると思える。科学は着実に人類を破滅させている。以前私は、人類が破滅するとしたら、それは、「次のような具合に来るもの」と考えていた。
つまリ、例えば、ある惑星が地球に衝突して、地球は真二つに割れて、人類はそこに住めなくなり、破滅する。あるいは、「機長何をするのですか」と言った時には、時すでに遅く、「飛行機は墜落してしまった」と言うのと同じように、「大統領何をするのですか」と言った時には、時すでに遅く、「ある国の大統領は核戦争のボタンを押してしまっており、地球は核戦争の場となり、人類が滅亡してしまう」と言う具合である。しかし、今、このような医学や科学の進歩を見ていると、人類の破滅はもっと確実に、もっと着々と来るらしい。しかも冷静な、理性の働きの中で破滅は来るらしい。「人類」と言う言葉は、動物学でいう「ヒト科の動物」と言うのとは異なる。「人類」と言う言葉の意味するものは、例えば、「助け合う」とか、「思いやりがある」とか、「だんだん心が豊かになる」とか、何か「繁栄的な意味」を含んでいる。
だから、この破滅の道を確実に進んでいるものは、「人類」と言う定義に合わないのかもしれない。「ノストラダムスの大予言」と言うのを聞いて、「あんなバカな」と思っていたが、人類が人類の定義から外れるのは案外2000年頃かしれない。いや、人類は、すでに人類の定義から外れて、すでに滅亡しているのかもしれない。
そう言えば、仏教では我々のことを「地獄に行くに決まっている」と言う意味で「地獄必定の身」だとか、「非常に悪性が強い」と言う意味で「凡愚底下(ぼんぐていげ)」と言っている。また、「もう望みがない」と言う意味で、この世を「末世」と言っているのも、人類の破滅を言っているのかもしれない。「医学や科学や私が無理をしている」と言うのは、「人類を破滅に導いている」と言うことである。
二、否定からの出発
否定からの出発では、医学の無理の本質はどこにあるのだろうか。医は否定を基本としている。例えば、「目が見えないのはダメだ」、「耳が聞こえたいのはダメだ」、「四肢が不自由なのはいけない」等々である。この否定を全ての出発点にしている。先ほどのダウン症児の話も、結局は「ダウン症はダメだ」と言うところに出発点を持つ。「ダウン症でも一向に構わない」と言う肯定ではない。
前に中川米造氏と加藤弁三郎氏との対談を読んだことがある。その中で加藤氏は、「同治」と「対治」について説明されていた。
これらは仏教の言葉で、「例えば発熱に対して、氷で冷やして熱を下げるのが対治で、温かくして汗を充分にかかして、熱を下げるのが同治だ」と説明されていた。あるいは、悲しんでいる人に「悲しんでもしかたがない。元気を出せと言って、悲しみから立ち直らすのが対治で、一緒に涙を流すことによって、心の重荷を降ろさせてやるのが同治だ」と説明されていた。そして、「同治の方が種々の場面で良い効果をもたらす」と言われていた。この記事を読んでしばらく、私は「同治」について誤解していた。その人の身になって親切に対応するのが「同治」だと思っていた。
しかし、そうではない。ひとつ例を示そう。ある時、神経性食欲不振症の子供が入院した。親は「これまでありとあらゆる手を尽くしたけれども、食べてくれない」と言う。「本当に子供のことを心配し、自分が病気であるよりも、もっと心を痛め、何とか食べるようになるようにと色々努力したが、改善の徴候がみられない」と言う。
入院すると、主治医も、「一生懸命頑張った親子関係の問題であろうか」、「学校に問題があるだろうか」、「生いたちの問題であろうか」と色々原因を探すなど、本当に親身になって、子供が食べるようになるための努力をおしまなかった。このように、皆が患者のことを思い、その人のことを親身に心配するところを出発点とするのを「同治」と言うのだと思っていたが、実はこれは「対治」である。つまり、これらの周囲の人達の努力は、結局、「食べないことは許さない」と言う一点において、この子と対立している。だから、この子にとっては、人々の親切も結局は重荷として感じられたにちがいない。親切と言えども「対治」、つまり否定から出発している。
「親心」といえども否定から出発している。いつか予備校生が、両親を全属バットで殴り殺した。私はこの事件を知って、親の否定的態度に耐えかねた子供の心がよく解った。親は、子供が良い大学に入るために、心の底から応援し、励ましていたが、これは、「良い大学に入らなければダメだ」と言う否定からの応援である。この点において、親は子供と対立し続けていたのである。どんなに親切から始まったものでも、医学は全て「対治」であって、つまり、「否定」であって、「同治」は現在の医学では成り立っていない。完全な「同治」ではないが、親の子に対する態度の中に、時々「同治的なもの」を見ることがある。
つまり、「0Kだ」と言う受け入れ、肯定である。例えば、我が子が死ぬ時など、「何とか生きてくれ、死んだらダメだ」と、子によりかかって泣き崩れる親が殆どだが、たまに「よしよし、よう頑張った、もうよい、もうよい、しんどかったなあ、もうよい、もうよい」などと言う親を見ることがある。これは死を受け入れた、肯定した態度で、「同治」である。死ぬしか道の無い者に「生きろ」と言うのは、生きるしか道の無い者に「死ね」と言うのと同じである。死ぬ者に「死んでも良い」と言う者こそ、本当の味方ではなかろうか。
ある米国の白血病患者の母親の手記を読んだことがある。子供の白血病に効く薬が尽きた時、母親は、その子を連れて我が家に帰る。家で楽しい一時を過ごそうと努力する。食事や風呂も、病院より家庭の方が自由だった。家なら、夜、機嫌が悪くなれば、外に連れ出し、一緒に星を見ることもできた。昼間、気分が良ければ、父親が自慢のトラクターに乗せて喜ばしてやることもできた。しかし、その子にもついに最後の日が来て、呼吸は、あえぐようになった。しかし母親には、そのあえぎあえぎの呼吸が、まるでこの子がこの世に生まれて来る時の陣痛のように思えた。そして母親は、「頑張って死ね」と応援するのである。
そして、その子が最後の息を引き取った時、この子の誕生の時のように、「バンザイ、やった。我が子は死の勝利を勝ち得た」と思った。我が子の死をこれほどまでに寛大に受け入れる、この母親に頭が下がる思いがする。この受け入れ、これこそ愛である。
ある白血病児の母親は、常々「もし、この子が死ぬようなことになったら、その直前に自分の血液を少し輸血して欲しい」と言っていた。多分、「自分の体の一部も、その子と一諸に死のう」と言う気持ちからである。
そして、ついにその日が来て、夜半に意識が無くなり、次第に状態が悪くなっていた時、その母親は、腕をそっと出して、「先生、輪血を」と言った。20ccほど採血して、輪血する間、私は涙がこらえられなかった。
ウェルドニッヒ・ホフマン病で入院を繰り返していた子の母親は、よくこんなことを言っていた。
「世間では、この子と同じような子を持つ親達は、ずいぶん悲観的な見方をする人が多いようで、親子心中などの新聞記事がよく目につく。自分は、少し薄情なのだろうか。この子が2歳の時、肺炎で死にそうになって命拾いしてからは、何か儲け物をしたようで、どうしても心中などする気になれない。やっぱり薄情なのでしょうか」と。
そして、その子は、何回か肺炎を繰り返した後、ついに亡くなったが、その後で母親は「自分には元気な子が一人いるが、もう一人産もうかと思う」と言う。
「この病気が遺伝病であることも、生まれる子供4人に1人の割合で出現することも、何回も聞いて良く知っている。私には確率の話はピンと来ないが、生まれる子全部がこの病気になるのでないことは確かだ。もし元気な子が生まれてくれたら、こんな嬉しいことはない」と言い、そして、もっと感動的なのは「それで、もしまた、前と同じ病気の子供が生まれたら、まあ、それはそれで良いですよ」
「こんな子ではいけない」、「あんな子ではいけない」と言うより、はるかに心が広々としているではないか。受け入れこそ、愛であり、慈悲である。
でも、こんな素晴らしい母親達といえども、まだ「死ぬ」とか、「病気」とかにこだわりがあり、「何もかも文句なしに受け入れる」と言うわけではない。やはり人間には不可能らしい。神様や仏様のことを考えてみよう。神様や仏様には、一切の否定がない。すべて、ありのままで受け入れて下さる。
「おまえは目が見えないか、一向に構わない」、「耳が聞こえないか、聞こえる人も、聞こえない人も、私の心の中では全く同じだ。全く気にしていない」、「頭が悪いか、それで良い、それで良い」、「もう死ぬか、生きる、死ぬは問題にしていないよ」と絶対的な受け入れで、何ひとつこだわりがない。
愛とは、慈悲とは、この絶対的な受け入れ、絶対的承諾、絶対的肯定である。これこそが「同治」で、仏教において「同治が対治にすぐれている」と説明する所以である。
この絶対的受け入れに対して、医はむしろ絶対的否定の立場、拒絶の立場をとる。否定、拒絶は愛ではない。憎しみのカテゴリーに入る。医学は「憎しみを出発点としている」と言える。
さらに恐ろしいことに、医学や科学の進歩は、人々から受け入れの心を奪う。憎しみの心を植えつける。
ほんの少し前まで、夏に暑いのは当然のことで、ここには議論、思考、こだわりなどなしに、人々は夏の暑さを受け入れていた。ところが最近は、非常に性能が良く、低価格の冷房装置が開発され、ほんの10万円も出せば、真夏でも、部屋を涼しく快適にすることが可能になった。科学は、自然をひとつ征服して、我々の自由はそれだけ広くなったようにも見える。
しかし、このような状況になると、人々は10万円を出費して部屋を涼しくしないことには我慢できなくなる。一見、自然を開拓して、それだけ自由が広がるように思えるが、心の方は「そうせずにはおれなくなる」と言う点で、一層不自由になっている。以前は文句なしに受け入れていたものが、技術と知識の進歩によって、受け入れられなくなる。
言語発達遅延の子が入院した。病棟で付添いの母親の様子を観察していると、母親の子供への対応が何か不自然で、何となく子供を避けるように見えた。母親との話の中で、その子の生まれるいきさつなどを聞いてみると、その子は産む予定でないのにできでしまったのだそうだ。「バースコントロール(産児制限)をしていたが、間違ってできてしまった」と言うのである。
ほんの40年〜50年前まで、子供は、できるかできないかの問題で、人々の手の届かない範疇の事柄であった。だから人は、「神の恵みだ」とか、「コウノトリが運んでくれた」とか、とにかく、その事実を素直に受け入れた。だからこそ母親には自然に、お腹の子供への人間的愛情が芽ばえて、生まれた子が可愛く思えるようになっていた。
ところが今は、バースコントロールの知識と技術の進歩で、子供は「作る」とか、「作らない」かの問題となった。すると予定外に、間違って妊娠すると、「しまった」とか、「失敗した」と言う感覚で受け止めてしまう。だから、あの自然の親の愛情は育たなくなり、恵まれてきた我が子も、心の底からは好きになれないのではなかろうか。
この言語発達遅延の子の場合も、親はその子が本当に好きでないのだから、以後事務的、業務的な世話しかできず、親子関係はとても不自然になってしまったのだろう。言葉が発達しなかったとしても、少しも不思議ではない。
医学や科学の出発点も、進歩のもたらすものも、実に恐ろしいとは思われませんか。
三、仏の支え
幻の「価値観医学」や「科学」は、基本的には「否定」、「拒絶」から出発し、そして、その進歩がもたらすものも「否定」、「拒絶」と言うことになるが、一体どうして人々は、この否定的態度しか取れないのだろうか。その理由は、人間の価値観にある。人間の価値観を私は「欲望体糸」だと言っている。人は、欲望の大きさに順序、ランキングをつける。例えば、「生きたい」と言う欲望は何よりも上位にランキングし、以下、上から順々に「痛みから逃れたい」、「格好良く見せたい(名誉欲)」、「お酒を飲みたい」等々と無限の欲望が続く。そして、その上位の欲望を満足させるものを「価値が高い」とし、低位にある欲望を満足させるものは「価値が低い」とする。
だから、自分の命を守るとか、他人の命を救うとかは「最も価値が高く」、逆に、酒を飲ませてくれるとか、美味しい酒を作るとかは、それに比して「価値が低い」と見る。
正邪の判断も、この欲望体系に基づく。欲望体系の上位のものを満たすために、下位のものを犠牲にするのは正当とみなすものの、下位の欲望を満たすために上位のものを犠牲にするのは邪とみなす。例えば、命を救うために痛い手術を行うのは正しいことであるが、手術の痛みを逃れたいばかりに命を落とすのは、邪と言うか、バカらしいと見る。酒を飲みたいばかりに格好良さ(名誉)を捨てるのを人々は良いことだとはしない。
道徳も、この欲望体系による価値観を基本としている。自分の上位の欲望を犠牲にして、他人の欲望を満たそうとするのを「美徳」とし、他人の高位の欲望を犠牲にして、自分の低位の欲望を満たそうとするのを「悪徳」と言うのである。貧乏のどん底にありながら、尚、他人にお金や物を差し出すのは「美徳」であり、金欲しさのために他人の命を奪うのは「悪徳」と言う具合である。
人の意志も、この欲望体系上の問題である。つまり、意志とは、ある欲望を満たすことを、他の欲望に優先さすことを、自分の内に明確にすることである。
「何々すべき」と言うのは、「その欲望を上位にランクすべき」と言っているのであり、「そうすべきでない」と言うのは、「その欲望は低位に位置している」と主張しているのと同じである。したがって、物事の正邪、道徳性、適否の、普遍性、真実性は、この欲望体系の普通性、真実性にかかっている。
ところが、この欲望体系に普遍性、真実性があれば話は簡単であるが、個人個人により全く異なり、同じ人でも場合によってことごとく異なる。つまりこの体系は幻である。
「命は地球よりも重い」と言い、世界の誰も命を優位に位置づけているのは、真理のように見えるが、実際はそうではない。格好良さがないため、例えば「身体が不格好だ」とか、「息子の悪事のために世間に顔向けできなくなった」とかの理由で、自殺する人は決して少なくない。こういう人では、「格好良く見せたい」と言う名誉欲が、命より上位に位置づけられている。お金がないために命を断つのも同じである。痛みに耐えかねて自殺する入もいる。酒が飲みたいばかりに全財産を費やし、命を縮める人もいる。
このように、人により、場合により、この欲望体系は決して一定しない。しかも欲望体糸は、理性だけによって決まるほどの単純なものではなく、この生身の身体全体で決まるものである。「わかっちゃいるけど、止められぬ」、「やらねばならぬと思っていたが、ついつい横着してしまった」などと言うのがそれである。
理性以前に何かで決まっている。最も権威ある科学ひとつ、Science誌(サイエンス)で、「人工食品色素が人の行動に影響する」と言う二つの論文を読んだ。ひとつは、「幼児に人工色素入りのジュースを欲ますと、天然ジュースを飲ませた時よりも、蹴る、叩く、咬む等の嫌悪的行動が多くなる」と言う論文で、他方は、「平均10歳の子供に人工色素を摂取させると、学習能力が低下する」と言う論文で、いずれも、「人工色素の許容量を決めるには、人の行動学的観点からも検肘すべきだ」と主張していた。
つまり、人の行動は人工色素によっても変わりうるものである。アメリカの小児科医でアレルギー科医である故フェインゴールド医師(Ben F. Feingold)は、「多動症などの子供の50%は、食餌から人工色素などを除去すると治る」と主張している。
同じように、「鉄欠乏症の学童では、学校の成積が悪い」とする論文や、「血中マグネシウムの量によっても、新生児の神経行動学的所見が異なる」と言う論文も読んだ。
このように外部因子によって、人の行動や判断が異なるとしたら、「自分は何かによってあやつられている」と言うことになり、ひどく驚いたのだが、良く考えてみると、人の行動や判断などに影響を与えない外部因子など、あり得ないことがわかる。例えば、静かな音楽が流れているか、騒がしい雑音の中にいるか、美味しい物を充分に食べた後か、ひどく空腹か、暑いか、寒いか、大いに誉められたか、ひどく叱られたか、自分が美人か、不美人か、どんな人を親に持つか、どんな社会的地位にあるか等々、全てその人の行動、判断に影響を及ぽすものである。逆に言うと、自分で理性的に判断するとか、行動するとか言うが、自分と言う確固たるものはなく、色素とか、音楽とか、満腹とか、遺伝とか、あらゆる外部困子の合計が自分の判断、行動である。
今の自分とは、「そこに作用する無限大の空間の、無限の過去からの全因子の総和」と言うことになる。そういう自分を「生身の自分」と言っているのである。この無限の諸因子のことを、仏教では「業」と言っていると想うが、自分とはこの業によって決まってしまい、また刻々と変わりつつある。
よきこころのおこるも、宿善のもよほすゆへなり。
悪事のおもはれせらるるも、悪業のはからふゆへなり。
故聖人のおほせには「卯毛、羊毛のさきにいるちりばかりもつくるつみの、
宿業にあらずといふことなしとしるべし」とさふらひき。(歎異抄)
欲望体系も、業によって刻々と変わり、人によって千差万別で、普遍的な一定した体系は成り立たない、最近、「価値親が多様化した」と言われているが、最近でなく、人間元来、価値観は一定し得ないものである。
このことから分かるように、我々が考えている価値は、その対象に実在するのではなく、生身の自分の欲望に従って、銘々が勝手に対象に幻想しているものである。もし、この説に納得できなければ、何かひとつ証明を試みるとよい。例えば、「小児がんの死亡率を下げることには価値が実在する」と言う命題の真実性の証明を試みるとよい。絶対に証明できないはずである。
対象に価値を幻想せず、ただありのままに物事を観るのが神であり、仏である。
仏は、死ぬも生きるも平等に観られる。死ぬのは悪く、生きるのは良いとはされない。「目が見えるも、見えないも、自分の心の中では全く同じだ」と言われる。「知能指数の高い人も、低い人も、自分の前では全く平等だ」と言われる。どうして可能なのだろうか。
そのわけは、こうである。物事を認識する時にふたつの型がある。例えば、ここに鉛筆がある。この鉛筆を明かそうとして、長さ、形、重さ、色を示す。しかし、それだけでは鉛筆は語り尽くせない。そこで、観点を変えて、用途、機能、使用方法等に言及する。それでも鉛筆は言い尽くされていない。今度は、化学的立場から、構成成分、分子構造、化学的性状についても明らかにしてみる。それでも鉛筆は語り尽くせない。このように、観点、立場を変えて、これを分析し続けていって、鉛筆を認識しようとするのを「分別智」といい、科学的やり方、科学的な智恵がそうである。
しかし、これでは、どこまでいっても鉛筆ば一向に解明されていない。むしろ、細かく分析すればするほど、本質はボケてくる。どんなに正確に見ても、ある観点がらの見方、つまり特定方向からの見方に過ぎないから偏見である。科学は偏見で、真実を観ることができない。
もうひとつの型は、この細かく分析して行くのと反対の方向に行くものである。「この鉛筆」と全体を一度に認識する。「この鉛筆」と言う時には、「ペンではなくて鉛筆だ」と言う具合に、まだ分析的観点が残っているので、さらに「これ」として認識する。「これ」と言う時も、「あれ」でなくて「これ」と言う分析的立場に立っているので、「これ」、「あれ」と言う立場も離れて「…」と認識する。このように、一切の分析的立場を離れて、全体を一遍に「…」と認識するのを「分別智」に対して「無分別智」と言う。神、仏は一切を無分別智で観る。どうも説明のしようがないのたが、本当は、無分別智そのものが神であり、仏である。
この無分別智には、一切の分析的立場、言い換えると特定の観点がなく、仏教では「空」とも言う。「ああだ」、「こうだ」と言う認識を離れた認識であるから、「無知だ」と言う。しかし、ありのままに、全ての物事を認識できるから「全知だ」とも言う。あるいは、まるで大きな鏡がありのままの姿を映すのと同じように、真実を認識するから、「大円鏡智」と言う。一切の立場を離れているから、全てを平等に優劣なく見る。それで「平等性智」とも言う。一切の立場、つまりこだわりを離れているから「寂滅」とも言い、「涅槃」と言う。「仏」、「空」、「無分別智」あるいは、単に「智慧」、「大円鏡智」、「平等性智」、「寂減」、「涅槃」は、みな同義語である。
神や仏が一切を平等に観ることが可能なのは、一切をありのままに観るこの「無分別智」、つまり、「真の智慧」によるからである。「無分別智」で観れば物事に優劣や価値はない。これが事実、真実である。価値とは、我々人間が対象に幻想している幻にすぎない。
しかも人間は、この幻の価値のとりこになってしまう。この幻の価値を行動の出発点とし、これを行動や物事の評価の基準にしてしまう。
マザー・テレサがインドで救ライ活動(ハンセン病の予防と患者の救済)など熱心に活躍しておられる。女史は今日も自分の苦労や貧しさなどはものともせず、例えば路傍で死んでいく汚れた老人に、何の差別もなく、何ら躊躇する心もなく、手を差し出されていることだろう。「あなただって、この世に生まれてこられたからには、ちゃんとして死んだっていいではないですか」と、小さな小屋に連れて来て、身体を清潔に清め、こざっぱりした着物を着せて、女史の腕の中に抱いて、そっと最後の一瞬まで見守られるのだそうだ。人間としては最高の行為なのだろう。私など、その真似事さえできない。
でもこのマザー・テレサが、大御殿で、黄金のベッドで、医師団と家族や親族に見守られて死んで逝く人に、「あなたもどうぞ」と手を差し出し、自分の小屋に連れて来て、華麗な着物を継ぎはぎだらけのこざっばりした着物に着替えさせて、女史の腕の中で死なせると言う話は聞いたことがない。
つまり、女史ほどの、人間としては最高の人といえども、「路傍で死ぬのはあまり好ましくない、御殿で死ぬのは仲々良い」と言う差別があるのではなかろうか。「路傍で死ぬ人を何とかしてあけたい」と言うのは、「路傍で死ぬのはだめだ」と言う『否定』であり、『軽蔑』である。少なくとも神様の考えとは異なる。神様には、路傍で死ぬのも、大御殿で死ぬのも全く同等であるから、それをどうこうしようとする意志は働かない。神様には、路傍で死ぬのもOKだと、絶対的な受け入れがある。幻の価値をつけずに、ありのままの姿を見ることが可能だから、これが可能となる。
マザー・テレサの見方には優劣の価値がある。つまり路傍の野垂れ死には否定されている。否定はどんなに親切に見えても、愛ではない。否定は憎しみである。これが人間の限界である。
このように、どんな立派な人でも、この幻の価値体系を離れることができず、どこまでも執着する。その価値体系に、何か確実なものがあるかのように錯覚している。そしてこの錯覚は、自分の行為の心理的支えとなり、他人に対しては、「ああしてあげる」、「こうしてあげる」と言う親切心によって立つところとなっている。「入院させてあげよう」、「この薬を使ってあげよう」と言う親切心だが、実は、自分の幻の価値体系に過ぎないものの押し売りである。何と放漫なことか。でも相手の望んでいる行為ならどうか。二人で同じ幻を追っているだけである。何と悲しいことか。
いつか、ある患児に気管切開をすべきかどうかでコンファレンス【conference】(会議、相談、協議)を開いた。面論が激しく論議されたが、「早く気管切開をしてやるべきだ」、「いやもう少し待ってやるべきだ」と、いずれも、「何々してやる」と言う気持ちである。全く反対の意見で、少なくとも一方は間違っているはずなのに、両方とも「何々してやる」と言う意識がある。「自分の価値体系の押し売り」と言うことである。
自己をはこびて、万法を修証するを迷いとす。
万法すすみて、自己を修証するは悟りなり
道元(正法眼蔵)
論議とか論争とかは、迷いの競い合いだろうか。
最近、過去一度もなかったほどに、医の倫理が叫ばれている。だが、倫理が医学を立ち直せるだろうか。答えはノーである。「あれは倫理的に正しい」とか、「これは非倫理的だ」と言うのは、幻の価値体系に照らして言っているのであって、元来一切のものが平等である真実の世界には、論理的も非倫理的もない。倫理自体が、幻の価値体系の押し売りであろう。言うならば、倫理自体が非倫理であるからである。
世間虚仮 唯仏是真
聖徳太子(天寿国繍帳)
といわれているが、「倫理」と言えども「虚仮」である。
我々は、よく反省会などを開いて、何が良く、何が悪かったかを反省し、今後どうすれば人のために役立つだろうなどと考える。あるいは、毎年開かれる何百もの学会も、少なくとも建前では、これまでのことを反省し、改良することにより、患者、国民に出来る限りの利益をもたらすことを目的としている。
しかし、これも我々の幻の価値体系を基本に考えているわけで、真実に基づいていないから、所詮「患者さんのために少しでも良いことを」と言うのは不可能なのである。謙虚に反省し、よく考え、努力すれば、「何か良いことができそうだ」と言うところに、基本的な反省が欠けている。うぬぼれている。我々はどんなにもがいても、「幻の価値体系の押し売りしかできない」と言うのが、基本的反省として欠けている。
この基本的反省を、仏教では「慚愧(ざんき)」と言っているが、
慚は人に羞づ、愧は天に羞づ。
これを慚愧と名づく。
無慚愧は名づけて人とせず、名づけて畜生とす。
親鸞(教行信証 信巻)
この基本的反省を忘れて、「ああしてあげよう」とか、「こうすべきだ」と言うのは「畜生だ」と言う。
我々の幻の世界でなく、本当の真実の世界には、一切の優劣がないのだから、「あれよりこれが良い」とか、「こうするのが良い」とかは、全然ないことになる。だから、「こうすべき」、「ああすべき」、「こうすべきでない」、「ああすべきでない」と言うのは、すべて偽である。
聖人の仰せには、善悪のふたつ、
総じてもつて存知せざるなり。
歎異抄
あるいは、こざかしく、「あれがよい」、「こうするのが悪い」と言うのは、「根拠のないことだ」と言う意味で、
よしあしの文字をもしらぬひとはみな
まことのこころなりけるを
善悪の字知りがほは
おほそらごとのかたちなり
親鸞(自然法爾章)
と言うのも、胸にぐさりとささる思いがする。医師の無責任のために「我が子の目が見えなくなった」と信じ込んでおられる親達の、この怒りは、決して無理でなく、痛いほどよく理解でき、子を思う親の気持ちが、私の心を強く打った。見ていて辛かった。
夜、ホテルに帰って、この人達のこの怒りの源はどこにあるかを考えてみた。すると、それは、どうしでも、「自分の子は、目が見えないから、だめだ」と言う否定の心から発しているとしか考えられなかった。「目の見えない素晴らしい子だ」と言う肯定、誇りの心からは出ようがない。「目が見えない」と言う点を含めた、その子全体を肯定するところからは、この怒り、抗議、責任追及のエネルギーは出ないはずである。「こんな親心と言えども否定の心か」と悲しくなった。神は、仏は、「目が見えないか、一向に構わないよ」と絶対的に受け入れておられる。だから、愛なのである。「親心はやはり否定の心で、憎しみなのか」と悲しかった。
そんな悠長なことを言ってはおれない。他人ごとではない。これは、この私の問題である。
もし今、私に「息子が交通事故に遭い、頭をひどく怪我している」と言う急報がきたとする。すると私は、きっと背筋が寒くなる。何故か。私には「頭がやられた子はだめだ」と言う否定があるからである。「脳がやられて、手足が不自由になった子はいけない、知能が悪くなった子はためだ」と言う心があるから、背筋が寒くなる。
「手足が不自由だろうと、知能が下がろうと、自分の子だ、自分が面倒をみるよ」と言う受け入れの心があれば、背筋は決して寒くならなくて済むはずである。「頭がやられようが、やられまいが、OKだ、そんなことは問題ではない」と言うところには、一切の不安は無いはずである。
しかし現実の私は、やはり背筋が寒くなる。頭のやられた子は素直には受け入れられない。いや受け入れられないのは、頭がやられた場合だけではない。目が不自由でも、耳が不自由でも、学校の成績が悪くても、つき合う友達が好ましくなくても、皆私には受け入れできない。私は我が子に関して、何ひとつ「OK」と言っていない。仏様はすっかり「OKだ」と言ってくださる。我が子に、私は「OK」と言えない。いつも否定的立場でしか対応できない。否定は愛ではない。憎しみである。
ああ、私は我が子さえも愛せないのか。ああ、私は我が子にさえも慈悲を差し出せないのか。何と言うひどい身だ。何と言う悲しい身だ。なるほど地獄必定の身だ。底下の凡愚だ。
しかしである。仏は、神は、こんなひどい私を「OKだ」と受け入れてくださる。いや既に受け入れてくださっている。有り難いではないか。嬉しいではないか。仏は、「お前が自分の子を愛するか、愛さないかは問題にしていない」と言う立場で、我が子さえ愛さない私も、すっかり「OKだ」と言ってくださる。それが聞こえる。それが分かる。
このことが私に分かるようになったのに、ふたつのきっかけがあった。論理的ではないが、それを少し話してみよう。
以前私は、小児科医として、母親に育児についてよく話していた。育児における注意点や、一般常識、病気対策など、「小児科的知識を与えて、小児科医として、母親を教育するのだ」と言う自負があった。
ある時、私は2歳の、近所の子供を、1時間ばかり子守する羽目になった。小児科医だし、子供好きだから、気軽に引き受けた。ところが、他人の子供の子守は実に大変である。子供は冒険心が強く、危険な物に触れたり、いたずらしたり、その上、実によくチョコチョコ動きまわる。後についてまわるだけで、汗だくであった。1時間ほどの間に相当量の運動をさせられた。
そうこうしている内に、その子の母親が現れて、私はやっと解放された。そしてその後の、その子の様子を見ていると、それまでと全く違う。その子は母親のそばを離れようとしない。離れてもすぐに戻る。だから、母親はほとんど動かずに、その場にいて、他人と話し続けていればよいのである。
これを見て、親子とは、こういうものかと知らされた。この母親はこれで充分ではないか。「少なくとも、小児科医よりはるかに完璧ではないか」と思うようになった。「小児科医として、こんな母親に何を教えることがあろうか」と思うようになった。これまでの自負は赤面に変わった。
理想の母親像を言えば、百も二百も条件をつけるだろうが、「母親は母親であるだけで、そんな条件とは無関係に完壁だ」と思うようになった。
もうひとつのきっかけは父親である。永井隆氏の『この子を残して』と言う随筆集を立ち読みした。氏は放射線障害で慢性白血病になり、それも次第に進行し、その上、頼りにしていた奥さんを原爆で亡くし、2人の子供を連れた身で、寝たきりになってしまった。
「ある日の午後、二帖一間の家で、ウトウト昼寝をしていたら、芽乃と言う女の子が、ソーッと布団の中に忍び込み、しばらくして、『お父さんのにおい』と言って、またソーッと出ていく。自分は、この子達のために、何ひとつしてやれないが、ま、生きておれば、においくらい嗅がしてやれる。でも私は間もなく死ぬだろう。死んだ後、この子達はどうするたろうか」と、先を案じて書いたのが、この随筆集である。
この本の最初の数ページを読んでいて、とても胸が熱くなった。感動的で、感傷的であった。
その時こう考えた。この痛ましいほどの父親だが、茅乃にとって、誰がこの父親に替わってやることができようかと。だから、この父親は、「芽乃にとっては最高の父親だ」と思うようになった。理想の父親像の条件はいくらでもあろうが、「理想の条件のいずれも満足することのできない父親が、すなわち完壁」と思うようになった。
「せめて子供と遊ぶことができれば、せめて子供の食事でもつくることができれば、せめて一定の収入でもあれば、完壁になる」と言うものではない。「遊ぶことも、食事を作ることも、収入を得ることも全くできない、その状態がそのままで完壁」と思うようになった。「間もなく死ぬかも知れないその父親が、その子にとって完壁な父親だ」と思えてきた。このように、「親は親であるだけで、完壁である」と思うようになった。
同じように、子は子であるだけで完壁である。一切の条件なしで、私の子供も完壁である。にもかかわらず、この私は、「ああではいけない」、「こうではだめだ」と、我が子にケチを付け、否定している。
こう考えていった時、「こんな我が子さえ愛することのできない私も、これで完壁だ」と思うようになった。そして、この完壁とは、「仏にそっくり許されている、受け入れられている、愛されていることだ」と分かってきた。
お経の中では、阿闍世(あじゃせ)が父親を殺害してあとで後悔して悩むが、その父親殺しの犯人が救われる。
父を殺したかどうかは問題でないとして、仏に許される。
あらゆる罪人が仏の前では許される。例えば、原爆を作った人も、投下した人も、被害を受けて原爆やそれに携わった人を憎む人も、皆、仏の前では平等に救われる。それは仏が欲望体系的立場でなく、一切に優劣や幻の価値を付けない立場、つまり空であるから、許し得るのである。何ら理由なしで許す。もしそこに理由があれば、一方を良しとすれば、他方は良しとはできないはずである。それが両方とも可能なのは、理由なしの空であるからである。
空である仏は、「悪いことをした奴だが、我慢して許す」と言うのではない。仏は、「そんなことは罪と思っていない」として許す。絶対的な許しである。救いである。私達が「罪を作った」と思うのは、自分の欲望体系に照らして見るに、「優位の欲望を踏みにじった」と考えているのであって、元来、優位も劣位もない仏の側には、最初から罪は存在しない。
罪業もとよりかたちなし
妄想顛倒のなせるなり
親鸞(愚禿悲歎述懐)
と仏の側では、絶対的な許し、受け入れ、つまり救いが完成している。
この絶対的な許しこそ、私がこの肌に、慈悲として感じうるものである。途方もなく偉大な慈悲として、ひしひしと感じる。この慈悲の本態は空であって、色も形もないのたが、慈悲として感じるものには、そこに人格を感じる。たから「仏様」、「神様」と言う呼び名がビッタリとするし、「仏様」として表されているものも理解できる。空中の電気のスバークに、「カミナリ様」と人格を感じるのと同じである。それでもあくまで仏様の本態は、影も形もない、広大な、静かな空であり、涅槃である。
空である仏様は、こちらが救いを求める以前に、すでに何もかも許し、受け入れ、承諾し、慈悲で包んでいてくださっているのたが、この救いは、こちらが苦しみ、悩むところにのみ、はじめて実感できる。
苦しみ、悲しみ、悩みは、仏がすでに「OKだ」と受け入れ済みのものを、自分が受け入れないところに成立している。つまり悩み、苦しみは、仏への反発である。仏教では、この反発のことを「破法」、「謗法」とか、「五逆罪」だと言っている。道徳的罪のことではない。物事に優劣を幻想するところからくる一切の誤りのことである。道徳的罪を超えた、人が人として生きる時、必然的に犯す絶対的悪のことである。
この罪があるゆえに地獄必定の身であり、凡愚である。この五逆の罪を深々と感じるところに、「五逆の罪を犯した私がそっくり許されている」と感じるのである。そこが喜びであり、救いである。
この五逆の意識こそ慚愧である。だから慚愧は人であるための条件である。「人とは、救われ、得るもの」と言う意味である。
反対に、「自分が何か良いことを行っている」と言う意識のところには、「許され、受け入れられている」と言う実感は表れない。罪の意識から許しを請うところに、許しが嬉しいのである。「何々して上げた」、「何々してやる」と自惚れているところには、許しは感じられない。だから、「無慚愧は畜生」だと言われるのである。畜生とは、「救いの喜びを味わうことのできない生物」と言う意味である。
ここが、親鸞聖人の言われる「悪人正機説の根拠だ」と思う。
善人なおもて往生をとぐ、いはんや悪人をや。
歎異抄
したがって、罪を深く感じる者には、それだけ許しの喜び、救いは大きく、罪意識の少ない者には、喜びはその程度しかない。罪意識の大きさ、つまり苦しみの大きさによって、救いの大きさも決まる。
罪障功徳の体となる
こほりとみづのごとくにて
こほりおほきにみづおほし
さはりおほきに徳おほし
親鸞(高僧和讃)
この身が地獄必定の身であるが故に、救いは最上限である。底下の凡愚である故に無限の喜びがある。最初に述べたように、人類を破滅に導くような医にたずさわっている故に、この上なく有難く感じるのである。
ああ、何と言う阿弥陀仏の周到な心くばりだ。地獄必定、底下の凡愚、人類の破滅が全て、この私を救うための必要条件であったとは。私の悪性は、私が救われるための必要条件であったとは。仏は全ての条件を整えて、私一人をめがけて、救いの手を差しのべてくださっていた。
弥陀の五劫思惟の願をよくよく案ずれば、
ひとへに親鸞一人がためなりけり。
されば、そくばくの業をもちける身にてありけるを、
たすけんとおぼしめしたちける本願のかたじけなさよ
歎異抄
嬉しいではないか、このひどい身が、すっかり許されでいる。それどころか、許され、弥陀に抱かれていながら、私はまだ反発し続けている。私には、仏に反発する自由が与えられている。悩む自由、悲しむ自由が与えられている。この自由がまた嬉しいのである。
この喜びを感じるところが浄士である。浄士は今、ここにある。他のどこにあるものでもない。私は浄士にいる。
浄土真宗に帰すれども
真実の心はありがたし
虚仮不実の我が身にて
清浄の心もさらになし
親鸞(愚禿悲歎述懐 九四)
無慚無愧のこの身にて
まことのこころはなけれども
弥陀の回向の御名なれば
功徳は十方にみちたもふ
親鸞(愚禿悲歎述懐 九七)
この浄土では、仏に反発し、救われていることを忘れていても、仏の側では、しっかりと私を抱いていてくださる。何と安心なことか。何と有難いことか。
我また彼の摂取の中にあって
煩悩、眼を障わひして
見ること能はずといへども
大悲ものうきことなくして
常に我が身を照したもふ
親鸞(尊号真像銘文)
※われまたかの摂取のなかにあれども、
煩悩、眼を障へて、
見たてまつることあたはずといへども、
大悲倦むことなくして、
つねにわが身を照らしたまふ。
(註釈版七祖・P0956〜0957)
であろうと思われる、UP者
星野元豊氏の著書「浄士の哲学」には次のように書いてある。
「かくして廻心の事態にあって、私は全く仏において在り、仏に支えられて在ることに感謝を捧げながらも、私の現実はなお仏に反逆した現実なのである。これが現生正定聚(げんしょうしょうじょうじゅ)といわれているものの事態である。それ故に、廻心による正定聚と言うのは、ちょうど括弧の前のプラスがマイナスに転じたようなものである。括弧の中の現実は、転換前と何ら変わることなき現実である。にも拘わらず括弧の前においては、プラスがマイナスに逆転したのである。それ故にやがてその括孤がはずされれば、括孤の中の現実はたちまちにしてことごとく逆転するだろう。今の苦悩の現実は、安楽の現実に逆転するのである。われわれは他力の信心において、この括弧の前のプラスがマイナスに逆転したことをハッキリと信知せしめられるのである。単に知ると言うのではない。いわゆる信忍、悟忍、喜忍するのである。それ故にわれわれは括孤の中の苦悩にあえぎながらも、安心するこどができるのである」
このように、「この身がすっかり救われている」と実感する時、この救いそのもの、「救う」と言う能動態の行為そのものが阿弥陀仏である。そして、「救われている」と言う受動態の行為が南無阿弥陀仏である。だから、阿弥陀仏も南無阿弥陀仏も同じものである。南無とは「帰命」と言う意味だそうだ。この南無阿弥陀仏こそ、一切の煩悩を超越した「解脱」、「真解脱」だと親鸞は教えてくださっているのである。それがよく分かる。
私は医師として患者さんに何ひとつ良いことの出来ない、否定し、憎む立場の身である。そうとしか在りようのない生身の身である。それがそっくり許されている。患者さんだけではない。我が子にさえも、慈悲の心を持つことができず、いつも憎む身である。それでも私は許されている。
我が身の罪は、医師を止めれば片付くものでもなく、親でなければ罪が無いのでもない。どちらにいっても罪作りの、八方塞がりのこの身でありながら、私は救われている。
だから私は、患者さんに、息子達に、皆に、「どうぞ皆、仏の慈悲をいただいてください。どうぞ救われてください。いや、どうぞ皆、すでに仏に救われ、愛されていることに気づいてください」としか言いようがないのである。そう言いながら、又、私は罪を作り統ける。
小慈小悲もなき身にて
有情利益はおもふまじ
如来の願船いまさずは
苦海をいかでかわたるべき
親鸞(愚禿悲嘆述懐)
地獄必定のこの身が浄土にいる、人類を滅ぼす医学が浄土にいる。滅亡の道を一直線に走っている人類が、そっくり甦っている。「人類とは、人類の定義を外れるものだ」と新しく、大きく定義されているかのようにすっかり甦っている。八方塞がりの身が全面解放されている。これが、私が、人として、医師としてありうるたったひとつのあり方である。「どうあっても良い」と言う無限に自由な、たったひとつのあり方である。
読者の中には、こんな話に強く反発される方も、一笑に付される方も多かろう。実際、私の述べたことは全くのそらごと、たわごとかも知れない。それでも私は一向にかまわない。反発されるされない、間違っているいないは、全然問題にされることなく、私は仏にしっかりと支えられているからである。「されど地球は回る」の心境である。
長々と述べてきたが、お分かりいただけただろうか。あなたも、「すっかり仏に支えられている」と言うことが。
(国立岡山病院小児医療センター)駒沢勝
「日本医事新報」第3066号至同第3068号(昭和58年)

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