今、なぜ国家の追悼か?  

  

備後靖国問題を考える念仏舎の会事務局長 小武正教


  ◇はじめに

   「日本には昔から敵側の死者を祀る伝統がある」という主張を持って、「国が敵・味方を超えた追悼・平和施設を作ることは意味あることだ」として、国立の平和・追悼施設への賛意を示す意見を述べる人がある。敵であったものを神様にして祀る伝統が日本の伝統であり、味方の戦死者のみを祀る伝統はなかったと、返す刀で靖国の批判の論拠ともなっている。
  はたしてそうだろうか?。よく引き合いに出されるのは、権力闘争に敗れ、九州太宰府で非業の死を遂げた菅原道真を祀った太宰府天満宮である。なぜ菅原道真を神様にしたかはよく知られている。菅原道真の怨霊が、追い落とした藤原一族に“祟る”ということを恐れて、神さまに仕立てあげ祟り封じをしたわけである。さらにたいていここに仏教でいう“怨親平等(敵と味方の怨みを超える)”を持ち出して一丁あがりとするのである。殺された側の言い分は何処にも言って行く場がないままである。いや、その言い分を封じてしまうために、神様・仏様に仕立てあげたと言っても間違いない。靖国に祀った戦死者を“英霊”と讃美するのは、やはり国の命令で死なねば成らなかった死者の怨みに対する御霊信仰の亜流である。「国のために死んだ者を、国が祀るのは当然ではないか」というものこそが靖国信仰の中身であり、遺族の深い怨みを封じるためにこそ靖国神社は作られたのである。
  歴史は繰り返す。今、21世紀に入って日本の国が戦死者をどう追悼していくかが、国の追悼施設の問題として表面にでてきた。表現の仕方は変わっても、口封じのための“追悼”を繰り返そうとしていないだろうか?
 

  ◇2003年 アメリカの9・11の追悼集会

   2003年9月11日、アメリカの同時多発テロ事件から一周年のこの日、世界貿易センタービル跡地・グランドゼロ地点では、ブッシュ大統領出席の下で盛大な追悼集会がおこなわれた。それは決してこの地で亡くなった3000人あまりの人とその家族の悲しみに思いを致すというようなものではない。むしろテロとの闘いを正当化し、新たな標的「イラク」攻撃への支持を拡大していく政治的なショーであったといっても過言はない。「掲げられるテロ被害者の写真」、「肉親を失って涙する人々の顔」「うち振られる星条旗」「流れてくる国歌」そして「挿入される9・11で亡くなった消防士の犠牲的精神を讃える言葉」、そこに被さるのが大統領の言葉である。「わたしたちを導くのは悲しみではない、怒りである」と。
  そして、そうした仕掛けによる高揚するナショナリズムの中で、9・11の犠牲者は、、「報復のための戦争を望んでいる」という「物語」が創られ、さらなる「戦争」へ国民を動員していくための「殉教者」とされたのである。「死者のことを思えば、戦争をするしかない」というムードが出来上がった今、そこに政府・国家主導のマスメディア・イベントとしての追悼儀礼の果たした大きな役割があったことがわかる。
  「国家主導による死者の追悼とは何か?」を改めて考えさせられる場面であった。
 

  ◇諸外国の追悼施設

  およそ国家という形態をとっている国において、戦死者を追悼する施設を持たない国はない。そしてそこには、日本のみならず、「自国の戦死者を祀る碑を建てる」ということではすまない事態がおきている。それは必ず侵略の加害・被害の問題が生じざるをえない問題をはらんでいるということである。 一九八五年にアメリカのレーガン大統領がドイツを訪問した時、訪れた墓地にナチの親衛隊が祀られていて問題となったことが新聞で報じられた。またベトナム戦争や湾岸戦争を想定してみても、こうした状況は常に起きることは予想されるのである。 また、国の追悼施設による「追悼・慰霊」は国家のナショナリズムと無縁なところはあり得ないという問題もある。私はいままでアジアの幾つかの国を訪ね、その国家追悼施設を訪ねてきた。中国の中山稜(孫文の墓)・革命戦死の墓、台湾の兵士の慰霊塔、そして韓国等いずれも例外ではないと感じた。
 現在日本に、無名戦士の遺骨を安置した千鳥ヵ淵墓苑以外に国が創った戦死者の追悼施設はない。保守勢力は、「自国の国民を自国の軍隊で護るのが『普通の国』」といって、憲法第九条の明文改憲を目論み、その方向に日本の国を進めてきたが、戦死者においても「国家における自国民の戦死者の追悼を」という意味で「普通の国へ」(加納典洋)という用語が使われ始めている。但し、九条の論議とは異なっているのは、保守派だけではなく、比較的リベラルと思われていた人たちも含めて、「誰もが参拝出来る施設」という意味を含めて「普通の国」へと言っていることである。
  ただし、今のままの「靖国神社」を国家護持するのか、それともA級戦犯を外すのか、2002年12月に政府の諮問機関によって提言された「新しい国家の追悼施設」を作る形にするのか、それとも靖国神社との併用にするのか、その「普通の国」の中味はまだバラバラである。
 

  ◇靖国神社における「慰霊・追悼」の特殊性と一般性

 *追悼施設が“(国家)神道”という宗教法人であるという特殊性

   靖国神社は明治政府が「国家の命じた戦争で戦死した兵士を祀る神社」として一八六二年(明治二)に創られた神社である。明治から一九四五年の敗戦まで、国家神道体制を担ってきており、「死んで靖国の英霊となる」「死んで靖国で会おう」という言葉が語られたように一貫して日本の侵略政策を遂行する上に大変重要な役割を果たした。国家神道体制とは、「国家神道は宗教以上の国民道徳」として位置づけたものであり、仏教徒であろうが、キリスト教徒であろうが、無宗教者であろうが、「戦死者」は国家の所有物であるとし、個人の追悼の自由というものは認められないものであった。靖国神社へ戦死者が合祀をされるどうかの自由が、本人にも遺族にも存在しないことが、もっともよく「戦死者は国のもの」ということを象徴している。
  靖国神社と対比されてよく引き合いに出されるアメリカのアーリントン墓地があるが、それはそれぞれの宗教による墓地となっており、「信教の自由」が保障されており、決して一つの宗教によって括ってしまうものでない。

 *戦死者が日本の侵略戦争の中で生まれている特殊性

  明治以降の日本国家の政策は、日清・日露、そして十五年戦争、それが太平洋戦争へと続く、侵略戦争の連続とその引き起こしたものであった。自国が他国から侵略され、その防衛や解放のための戦死者が靖国神社に合祀されているわけではない。靖国に祀られている「英霊」は、「侵略戦争で戦死した日本人兵士」ということで一貫している特殊性がある。ヨーロッパの各国の場合は、自国の解放のために闘って戦死した兵士もいれば他国を侵略したり、植民地の独立を阻止するために闘って戦死した兵士もあるという状況では、「国の命令による戦争における戦死」ではあっても、その中味はそれぞれ一様ではない。
   以上の二点の特殊性を持つが故に、国家による「戦死者の追悼は日本ではどうあるべきか?」が、総理大臣の靖国神社の参拝で繰り返されるのである。そして、日本国内のみならず、中国・韓国などで批判が起こる。野中元官房長官の言うようにA級戦犯の合祀を取り下げれば、中国・韓国などからの批判はこなくなり問題は解決するわけではないし、また日本の明治以降の歴史からして無宗教の施設をつくって、単純に「普通の国並」の追悼を目指すことにはならないのである。
 

   ◇沖縄・平和の礎(いしじ)」の試み

   沖縄本島の最南端にある摩文仁の丘は、沖縄戦最後の地であり、そこには、「平和の礎(いしじ)」が1995年につくられている。そしてその平和の礎には、沖縄戦で戦死した日本の軍人、そして民間人。さらにはアメリカ軍の兵士の名前も記してある。また遺族の了解の得られた、台湾・大韓民国・朝鮮民主主義人民共和国の出身者の名前も記載されているが、数はけつして多くない。なぜか?、加害者日本人の戦死者と、被害者の名前が同じように記載されるのか、遺族の了解がえられないからである。その書き込まれない空白のスペースが戦後の日本政府がとってきた、戦争責任と戦後補償への姿勢を告発している。
  「無宗教の国の追悼施設」という時、一つのモデルとして語られるのがこの、「平和の礎」である。その建設に中心的役割を担った石原昌家さんが『平和の礎』の建設について語られた言葉の幾つかを紹介する。

  ○「なによりも大切なのは『平和の礎』を作るまでのプロセスです。かってに名前を刻むのではなく、 一人ひとりの了解を得ることが、礎を作る以上に大切なことです」
 1977年(昭和52)に沖縄県は「戦災実態調査」を集落・家族単位ではじめており、それが「平和の礎」の建設へのスタートとなっている。

  ○「『平和の礎』はけっして『平和の礎』だけ単独であるのではなく、となりの『平和資料館』と一対  のものとして作っています。沖縄戦をどのように位置づけるか、それを展示したのが『平和資  料館』です」

  ○「『平和の礎』はけっして墓苑ではありません。その意味で、お供えをする場所も儀式を行う場  所も作っていません。ですから参拝の場所ではなく、参観の場所です。しかし、その場所は、  『生存遺族にとっては、慰霊・鎮魂』『関係者にとっては、追悼・追想』『戦争体験者がいなくな  った後は、事実の記録碑』という多様な意味を持っているのも事実です」

  ○「『平和の礎』は被害者と加害者が対話を生む大きなきっかけになります。」
  これらの言葉から、『平和の礎』は、追悼儀礼のための施設ではないことがわかる。そして、個人の思想・信条を非常に大切にしながらも、加害と被害という問題をどう受けとめ、記憶に残していくかという問題に対して、一つの試みの中に現在もあるということがわかる。
 

  ◇「追悼・平和祈念のための記念碑等施設のあり方を考える懇談会」(平和祈念懇)

   2001年8月13日、「何が何でも8月15日に靖国神社に参拝する」と言いつづけた小泉首相が、「熟慮」とやらを重ねて、2日前倒しして靖国神社に参拝した。堂々とテレビカメラに写りながらの参拝であった。しかしあれだけ自分の信念で参拝するといっていた小泉首相が、その後全国5箇所で訴えられた「小泉首相靖国神社公式参拝違憲訴訟」に対しては、「あれは私的参拝であった」と法廷で主張していることはマスコミもほとんど伝えることがない。
  ともかく、あれほどマスコミを通じて「参拝するぞ=参拝するぞ=」と宣伝して靖国神社に参拝した首相は小泉の外にはいない。当然、中国や韓国などアジアの国々からの囂々たる批判がおこり、2001年の春から夏はまさに、日本全体が「靖国の夏」であった。
  その批判を受けることを繰り返したくないという思いからか、前々からあった構想ではあるが、具体的に官房長官の私的諮問機関として、「追悼・平和祈念のための記念碑等施設のあり方を考える懇談会」(平和祈念懇)が2001年12月19日に設置され、ほぼ一ヶ月に一回のわりで、検討委員会を開いている。その議事の内容がホームページに公開されている。
  それを読むと「とても今すぐにまとまるような話しでない?」という曖昧なもので、今年6月初め予定していた中間報告を取りやめてしまった。しかし2002年12月に突然、「新しい追悼施設を作ることが望ましい」という報告が出された。しかし、その実行は「政府判断に任せる」というもので、靖国護持派に配慮したもの。大方の新聞などの見方は、「報告」が棚ざらしにされるだろうというものである。

  靖国神社へは昨年2002年には4月21日の靖国神社の春の例大祭に、そして今年2003 年には普通の日・1月14日に突然に参拝をしている。小泉首相は年に一度は靖国神社に参拝することを公表しており、その発言からして、「新しい追悼施設」が靖国参拝を止めるということを念頭においたものでないことは、初めからハッキリしていたといえよう。
  新しい国の追悼施設を作るにあたっては「誰を祀るか」ということが決定的である。ホームページの途中の議事録を見ると、平和祈念懇では、第二次大戦の前後に分け、「それ以前は、日本人の戦没者は、靖国神社に祀られていない原爆や空襲の犠牲者も祀る。諸外国の人においては、例えは『南京大逆殺』の犠牲者も含まれることにするとどうか?。」「戦後においては、自衛隊のPKO活動などでは相手のあることだから日本の死没者だけにする」というような、日本の侵略行為で死んでいった相手の立場を全く考えない無茶苦茶な論議である。委員の中では、「窓論」というのがあったようで、記念碑は外を眺める「窓」で、そこから何をながめるかは、めいめいの自由にしようということらしいが、そこまで祀る対象を抽象化してしまうと、「何を祀る施設なのかわからなくなる」と委員みずから語っている。当然国家が戦争で亡くなった人たちを祀る施設ということからもほど遠くなるというジレンマが出てくる。(2002年第6回議事要旨)

  「平和祈念懇」の検討に対して最も危機感を抱いているのはいうまでもなく靖国神社であり、靖国神社への総理大臣の公式参拝、そして国家護持を求めてきた右派勢力である。靖国神社にとってかわる施設が創られることで、靖国神社の価値は決定的に低下することを極力警戒して、平和祈念懇へ反対のキャンペーンをはっている。
  「平和祈念懇」で議論された中身をみていくと最初から幾つかクリアーしなければならないハードルが設定されていたと思われる。

  ○A級戦犯合祀問題がクリアーされないと、中国・韓国等からの批判をあびる。しかし表 だって外すというわけにはいかない。(何とかボカせないだろうか。)

  ○国立の追悼施設に「戦没者」を祀るということで、靖国に祀られている遺族の人にも、靖国を軽 視するものでないと了解をえられないか。(しかしそのためには誰を祀るかということがハッキ リとしなければならない。)

  ○戦後の祀る対象として、自衛隊等の活動で死亡した人も祀るということを位置づける
  必要がある。(そこでは新たな戦死者が想定されているが、そうとは言えない)
  平和祈念懇の審議は、右派からの警戒と、中国・韓国など批判の板挟みの中で、落とし 所がみつからない中、両方を立ててボカス報告をしたわけである。

  ○中国・韓国の反対と小泉首相の意向を配慮して、「国立の追悼・平和祈念施設を必要と する」と。

  ○靖国派へ配慮して、「実際の建設は政府の判断に」。

  しかし、事態はいつ急変しないとも限らない。有事法制、そしてイラクへの戦争等の絡みで、仮に日本の戦死者が新たに出る状況になった場合は一夜にして世論は変わることは残念ながら十分に予想される。そして、仮に新たな戦死者が出ない場合でも、靖国の直接の遺族がもう10年もたてば激減するその後という状況を想定が入っていないはずはない。 2002年12月に「祈念懇」が出した『報告』文章には、こうしるされている。
 「この施設は、日本に近代国家が成立した明治維新以降に日本に係わった戦争における死没者、及び戦後は、日本の平和と独立を守り国の安全を保つための活動や日本の係わる国際平和のための活動における死没者を追悼し、戦争の惨禍に思いを致して…」

  この文章からわかるのは、現在の自衛隊がPKO活動(PKFを含む)、テロ特措法活動の中で死亡しても祀られる対象となるということであり、もし有事法制が成立し、その後に戦死者がでても、すべては「日本の平和と独立を守り国の安全を保つための活動」に収まっていくということである。また、途中議論されていた日本の侵略戦争によって死亡したアジアの人々も、その加害・被害を明確にし謝罪をするという過程を無視して、「戦争の惨禍に思いを致すという点では、理由のいかんを問わず、過去に日本の起こした戦争のために命を失った外国の将兵や民間人も日本人と区別するいわれはない」と書き記すということをしている。アジアの人々から言えば単純化するとそのことはこうなる。侵略によって勝手に殺し、今度は何の相談もなく、勝手に『平和の追悼施設だから』といって祀る、身勝手にも程がある。

  朝日新聞をはじめ、右寄りの新聞以外は、おおむね『報告書』に対して好意的である。ましてや、今年1月14日の小泉総理大臣の靖国神社公式参拝に対して、韓国の駐日大使が「新しい追悼・平和施設の報告が出たのに、なぜ靖国神社を参拝するのか」という主旨の発言などが報道される状況をみると、「『報告書』は棚ざらしで廃棄」と単純にはいかない。無宗教での国立追悼施設の問題は今後ますます大きな問題となつていくはずである。
 

  ◇なぜ国家の追悼か?

   靖国神社の問題は、「靖国神社」という特定の宗教への国家の関与という「政教分離」「信教の自由」の問題と同時に、個人の生死を国家が意味づけをするという「思想・良心の自由」に深くかかわる問題である。
  国家が「国が感謝と敬意を捧げて追悼・慰霊するのだから生命をささげよ、個人の人権を制限・侵害するのは我慢せよ」という儀礼装置として戦前靖国神社は存在したし、今その役割りを復活させようと右派勢力はすすめてきた。まさに、有事法制によって、「思想・信教の自由が制限されるのはやもをえない」とすることとワンセットである。国家の側より、無宗教の追悼施設をというのは、その正体ここに現れたりというところで、同じ機能を果たすものなら、靖国神社でも無宗教の国立墓苑でも、いや平和祈念館と銘うったものでも何らかまわない、後はその施設を国民にどう受け入れさせるかどうかだけが問題というわけである。要は国からすれば、「国立」かどうか?、「国の意図」を反映できるものかどうか?が一番重要な点となる。
  よく諸外国の例としてアメリカのアーリントン国立墓地が引き合いにだされるが、戦死者を賛美する国立墓苑という意味ではアメリカ版「靖国」という言い方もできるだろう。 平和を祈念する施設の一つの例として、沖縄の「平和の礎(いしじ)」と広島の「原爆慰霊碑」があげられることがある。『平和の礎』については、先にのべたが、 広島の原爆慰霊碑においても、「平和資料館」に原爆の被害の説明・展示はあっても、加害の展示かないといって、中国や韓国から指摘された問題、そこには「国の政策の間違いが明確に追求できない」という、やはり国が絡むと戦争責任の問題はノータッチにならざるを得ないということがある。
  今必要な論議は、「靖国か無宗教の施設か」ではなくて、「はたして国家の追悼施設は必要なのか?」という視点を中心に据えた論議であるべきだ。

  ◇「新しい国立追悼施設を作る会」の顛末

   昨年7月31日、朝日新聞の第4面に「新国立追悼施設を」というタイトルで小さな記事が掲載された。
  「ジャーナリストや弁護士らでつくる『新しい国立追悼施設をつくる会』は30日、首 相官邸を訪れ、小泉首相あてに靖国神社への公式参拝中止と国立追悼施設の建立を求め る申入書を提出した。申し入れでは『すべての戦没者を追悼し、非戦平和を誓う象徴的 な場をつくるべきだ』と求めた」
  「新しい国立追悼施設をつくる会」は、政府の官房長官の私的諮問機関の平和祈念懇とは全く別の組織である。その「つくる会」の中心メンバーとして浄土真宗本願寺派総長・武野以徳の名前が登場する。総長とは教団行政の最高責任者で、国で言えば総理大臣に該当するポジションである。本願寺派に所属し、靖国神社国家護持法案や中曽根公式参拝靖国違憲訴訟いらい長く靖国問題にかかわつてきた私たちにおいても、秘密裏に会合が進められているらしいとの情報が入ったのは約1ヵ月半ほど前。「つくる会」は約1年半準備を重ねてきたと発会の時プレス発表しているが、実は第一回の準備会は昨年6月5日、そして第二回7月3日、第三回7月15日とまさにバタバタのやっつけ仕事で立ち上げた感がある。 呼びかけ人の欄には次の12人が名前をつらねている。
  久保井一匡(弁護士・前日本弁護士連合会会長)・三枝成彰(作曲家)・笹森清(全日本労働組合総連合会会長)、眞田芳憲(中央大学法学部教授)・下村満子(ジャーナリスト)・武野以徳(浄土真宗本願寺派総長)・寺崎修(慶応義塾大学法学部教授)・ひろさちや(宗教評論家)・j松原通雄(立正校正会外務部長)・武者小路公秀(中部高等学術研究所所長・元国連大学副学長)・湯川れい子(音楽評論家)・鷲尾悦也(全国労働者共済生活者協同組合連合会理事長)
 ちなみに、当初呼びかけ人の候補に名前があがりながら、梅原猛やカトリック枢機卿、曹洞宗宗務総長、円応教教主は参加を見合わせ、立正校正会も理事長から外務部長と2ランク程度もレベルダウンしたものとなっため、「つくる会」では西本願寺総長が宗教教団では一人突出して旗を振るというかっこうになっていた。
  「つくる会」の主張は5点あった。

  (1)追悼の対象は、すべての戦没者を対象とした、非戦平和を誓う象徴的な場とする。

  (2)追悼対象の戦没者としては、過去(近代以降)にわが国が関わった戦争のすべての戦没者とする(新しい戦死者の受け皿とはしない)

  (3)特定の宗教性を持たせない

  (4)個人・団体がそれぞれの思想・信条・信仰に基づき追悼できる。

  (5)靖国神社へのいわゆる公式参拝はおこなわない
 

   この5つの理念だけ読めば、「すべての戦没者を無宗教で誰でも自由に追悼出来るならいいのではないか」という世論をつくり出さないとも限らない。官房長官の私的諮問機関「平和祈念懇」と比較すれば「たいぶまし」と一見そう思う仕組みになっている。
  準備会に名を連ねた本願寺総長に抗議するため公室長に私が面談した時のことである。公室長曰く、「こうした具体的対案が、靖国公式参拝の歯止めにもなるし、政府の平和祈念懇への楔にもなる」と。

  はたしてそうだろうか。もっともやってはならない「国立の追悼施設が必要」という政府と同じ土俵に乗るったとたん、「国立追悼施設の必要性」の宣伝に利用されるだけ利用され、「新しい戦死者は入れない」とか「非戦平和の施設」というものはなし崩しになることが予想される。「その時は手を引けばよい」と公報室長は言ったが、その時もはや「国立、国立」と国の露払いをした責任はとりようがない。案の定、「平和祈念懇」の報告書には、先に述べたとおり、「新しい戦死者も想定した国立追悼施設」を「必要とする時期にが来た」という内容が盛り込まれた。

 「最初から国立追悼施設は必要」というこの会は、政府の意図に風を送りこそすれ、世界の「国立追悼施設」の持っている問題に何の一石も投じることなく終わったといえよう。

  ◇西本願寺総局の暴走

   西本願寺は靖国神社国家護持法案が国会に上程されて以来、他の浄土真宗教団と一緒に真宗教団連合として靖国神社国家護持反対、公式参拝反対を表明してきた。したがって、公式参拝反対への教団内へのコンセンサスはあっても、靖国神社に替わる国立追悼施設を国に求めるという教団内コンセンサスは持ったことはない。確かに30年程前に、靖国神社の国家護持への批判として「国立の施設」を真宗教団連合で言ったことはあるが、一九八五年以降にその要請はなく、有事法制が論議され憲法改悪が政治日程に登っている現在では状況が大きくことなっていることは言うまでもない。現に浄土真宗大谷派は、「つくる会」の提案に、「現段階では賛成いたしかねます」と宗教新聞のアンケートに答えている。 私たち、備後靖国問題を考える念仏者の会は、国や教団が果たすべき責務は、追悼施設や追悼対象を考えることではなく、真相の究明と、事実の開示をふまえた、被害者・遺族に対する謝罪(補償の裏付けをもった)のみだと考える。

  今、国は一方で有事法制を成立させようとするかたわらで、「靖国神社」と「国立追悼施設」を天秤にかけている状況をとことん厳しく見なければならない。
  一昨年小田実が講演会でこういったことを思い起こす。「戦争への道を開くのは、決していかつい右翼ではない。一見野党のホーズをとりながら、修正・妥協を重ねる民主党である」と。
  私たち備後靖国問題を考える念仏者の会も、たとえ頑固な原理主義者と言われても、妥協することなく以下の2点を主張しつづけていこうと思う。

1.靖国神社代替施設案など国家による追悼は、私たち一人ひとりの精神に国家の介入  を許し、思想及び良心の自由を損なう行為であり、厳重に抗議する。

2.公的追悼は国民の歴史認識を画一化し国家への帰属意識を煽るものであり、強く抗  議する。また教団が同調することは大衆洗脳になりかねず、強く再考を求める。

  靖国神社であれ、その代替施設であれ、遺族の心情を利用し、国家の要人が頭を下げることで遺族を癒しつつ、再び国民の意識を国家に結びつけ、「国のために命を投げ出す」(中曽根康弘元首相)国民づくりをしようとするものです。それはむしろ平和を願う遺族の思いをも踏みにじり続けることに違いない。
 

    (おわりに)

   追悼という心情は、人間の原初的感情であり、人間が国家というものを作る以前の感情といえよう。人類の起源の一つ、ネアンデルタール人が死者を埋葬し花を捧げていたということを読んだこともある。宗教による追悼というものが、そんな原初的心情に根を持つている。しかし、国家が成立し、国という組織における追悼という時、「死者」は個人の手元にはなく、国の価値観によって搦め捕られ、装飾されたものとなってきたのが人類の歴史である。「死者」を奪い取った国の政策、そして国の国民を誘導していく意識操作の網から、一人ひとりを取り戻していくのが、真実の宗教の働きである。国が「靖国」のみならず、新たに「国立・追悼施設」をももって国民に網をかけていることをサポートする宗教に決してなりさがってはならない。
 


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