2002年8月21日
浄土真宗本願寺派
総長   武野以徳様
反靖国連帯会議(代表信楽峻麿)
真宗遣族会(代表大分勇哲)

抗   議   文


   冠省、8月20日号の本願寺新報(以下同紙という)に「『新しい国立追悼施設をつくる会』が7月30日に発会、総局の方針にもとづき武野総長が入会した」という記事が一面のほとんどの紙面を使って掲載されました。宗門内の議論をまったく無視し、宗門を私物化するかの如き総局の暴挙に対して強く抗議いたします。また「新しい国立施設をつくる会」(以下「つづくる会」という)という宗門外の民間任意組織の(申し入れ書)を同紙に全文掲載するなど、総局の恣意的な思惑が露骨にあらわれています。

   国立追悼施設の建設について、同紙の冒頭に「その後も真宗教団連合を通して繰り返し同趣旨の要請を続けています」と、あたかも真宗教団連合と同一歩調をとり、真宗教団連合の総意であるがごとく記述されていますが、事実はまったく逆で、今回の国立追悼施設に真宗教団連合として関わることに対して真宗大谷派の見解は、「(追悼施設を国が設置することによって)それが内外の批判を回避するための施策に転落してしまうことを懸念する」とし「これがさらに第二の『靖国』をつくり出してしまうことにならないかということを危倶する。」と、きわめて批判的に問題提起がなされています。今回の問題に関しては総局のまったくの独断専行というのが実態であります。

   私たちは総局に対して再三に亙り、国立追悼施設の問題性を指摘し、「つくる会」に参画すべきではないことを強く訴えてまいりました。以下、私たちが提出した抗議文といささか重複するかとも思いますが、改めてここに疑義を申し述べておきたいと思います。

   先ず最初に明確にしておかなければなならないことは、そもそもこの「国立追悼施設」という構想は国内外の批判によって靖国神社への国家的関与がますます困難になるという状況の中で政治課題として浮上してきたものであるということです。だからこれは決して靖国の代替施設などではなく、国内外の批判を回避するための施策にほかならず、靖国へのあくなき志向の上に構想されたものなのです。戦没者国立施設建設問題は1953年以来、国会の議論の中でもしばしぱ登場しており、それらはつねに靖国問題と表裏の関係で、浮上しては消えていった歴史があります。国立の構想はそのような政治プログラムの中にしっかりと位置づけられていることを認識しておかなければなりません。

   「つくる会」の主旨において・国家はなぜ戦没者を追悼するのか、国家の追悼はなぜ感謝と敬意なのか、国家はなぜそのような施設を必要とするのか、といった根底曲な議諭はほとんど欠落しております。靖国の問題は靖国神社国家護持にしても、公式参拝にしてもとどのつまり人間の人権のもっとも根底にある「生き方」「死に方」を国家が掌握し、管理するということにあります。私たちが靖国を問うということは、国家が私たち一人ひとりの精神領域に踏み込み、生き死にを操作することを許さないという問題としてあるということです。同紙において総局は、政府の国立構想が「第二の靖国」としての機能をもった危険性を孕んでおり、「歯止めをかける」ために「新たな国立追悼施設」の設置を申し入れたと主張しておりますが、どのような形態をとろうとも、国家儀礼の装置として本質的に靖国となんら変わるものでないことは明らかです。「国家による追悼」はすべて靖国に収歛されていくものといわねばなりません。

   「国のために死んだ戦没者を国が祀るのは当然」という国民の心情が今なお根強くあります。一人の人間の尊厳よりも国家への帰属を優先させるこの国の抜き難い精神構造があります。「滅私奉公」の思想によって死を余儀なくされた戦没者に対するとき、私たちはもはや国家にとり込まれることのない新たな「個」を打ち立てることの責任を思わずにはおれません。国家の国民の内面への介入を拒絶する精神を一人ひとりが自らに確立しようとする不断の営みこそが靖国の土壌を切り崩す確かな一歩であることと思います。

   「つくる会」の主旨の中に、「すべての戦没者を追悼対象とする」「非戦平和を誓う象徴的な場とする」「特定の宗教性をもたないで、憲法の原則を守る」「それぞれの思想・信仰に基づき追悼する」といった形式論的な言辞が、そのもっともらしさにもかかわらず、本質的に靖国の問題を問いとしえないがゆえに、いかに無自覚で欺瞞に満ちたものであるかを感じさせます。「つくる会」の動向は、今なお国家とそこに組み込まれ操られていく人間のありようを問い続けるのとはまったく逆に、その国家の体制を積極的に補完する役割を担うことになることは必然といえます。巧妙な支配構造は権力の意志をあたかも自らの自発的な意志であるがごとくに国民を操作し、支配体制に取り込んでいくことだといわれます。宗門の「国立追悼施設」の設置への関わりは、ふたたぴ国家の思惑に取り込まれ国家に追従する過ちを犯してしまうのではないかと深く危慎します。今回の総局の「つくる会」にかかる責任を私たちは今後も問い続けていきたいと思います。「つくる会」から即刻脱退すべきことをここに強く要請いたします。
 
 

以上

 


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