2002年7月3日
浄土真宗本願寺派総長      武野以徳   様   
備後靖国問題を考える念仏者の会
            代   表      真   野   生   男
   全戦没者とその遺族を愚弄する靖国代替施設案などの国策に同調しようとする
      本願寺教団役職者に強く抗議し靖国問題への教団の真撃な取り組みを要望致します

   昨今、靖国神社公式参拝に対する内外の混乱を無くすという理由で、無宗教の代替施設設立案が称えられ、本願寺教団役職者も同調しっつあると聞きました。
   私たち備後靖国問題を考える念仏者の会は、中曽根康弘元首相の靖国神杜公式参拝以来十数年に渡り、靖国神杜の国家護持及び首相・閣僚の公式参拝に反対してきました。それは親鷺聖人に学ぴ、思想及び良心の自由・信教の自由を守ると同時に、戦争を二度と繰り返さないためでした。私たちはこのような思いから教団役職者による靖国代替施設案同調の動きに対し強い危機感を持ち、以下のように抗議並びに要望を致します。
 

   1.靖国神杜代替施設案など国家による追悼は、私たち一人ひとりの精神に国家の介入を許し、思想及ぴ良心の自由を損なう行為であり、厳重に抗議致します。

      今日、靖国神社公式参拝の問題は、国際社会からの批判と信教の自由を巡る問題のみに焦点が多く当てられています。しかし、靖国問題の本質は、信教の自由を守るのみならず、「山口県自衛官合祀訴訟」(殉職した自衛官を遺族の了解なく靖国神杜へ祀られたことに対する遺族からの抗議)に象徴されるように、国家社会の思想統制に対し、思想及び良心の自由をも守る問題なのであります。
   靖国神社公式参拝は、信教の自由に照らしても大きな問題ですが、国立の代替施設案は信教の自由の問題のみに目を奪われ、思想及び良心の自由が侵犯されることには頓着しないという、極めて無責任で宗教者にだけ都合のいい考え方です。
   靖国神杜で行われると否とに関わらず、公設戦没者追悼施設は「追悼」という美名によって、「国家のため」のいのちを賛美・追悼することに代わりはなく、代替施設案に関するマスコミ報道でも海外の無名戦士の墓を例に出すなど、公的追悼の理由が「国家のために死んだ人」の追悼にあることが強調されています。

   生きることや死ぬこと、いのちを愛し追慕・斯椀することは、思想及ぴ良心の自由の根幹であり、いかなる公的権力も手を入れてはならない一人ひとりの人権です。
   私たちは、このような思想及び良心の自由を大切に思い、それに公的に介入する国家の靖国代替施設案に厳重に抗議するとともに、そのような動きに同調しようという本願寺教団役職者に対し強く再考を求めます。

   2.公的追悼は国民の歴史認識を画一化し国家への帰属意識を煽るものであり、強く抗議します。また教団が同調することは大衆洗脳になりかねず、強く再考を求めます。

      「追悼」という行為は一般に、追悼する者と追悼されるものとの間で、罪を洗い流し関係を強めるはたらきを有します。
   このような意味で公的追悼は過去の歴史を美化・画一化し国家への帰属意識を煽る力を持ちます。有事法制が進められている現在、一方で国民の税金を用い戦没者公的追悼施設を作ることは、精神的にも有事体制を作っていくことに他なりません。
   私たちの本願寺教団は現在有事法制に反対もしていません。その一方で公的追悼施設に同調していくのであるならば、その営みは国策に迎合して教団を拡張しようとする大衆洗脳となりかねず、強く抗議し再考を求めます。

   3.戦後の問題をも含み、教団が率先して国家の戦争に関する事実を明らかにするよう   求めること、また教団の歴史的事実を明らかにしていくことを要望します。

      靖国問題は代替施設をつくることで解決するような単純な問題ではありません。私たちは反靖国運動を進める中で、多くの遺族の方の声を聞き、その中から多くのことを学んできました。ある遺族は次のように訴えられました。「私の父は、『おまえ(靖国があるから)何も心配なしに行って来い』という国からの言葉を小学校の校庭で村長と御院家さんから聞いて、又九段で会おうとみんなが歌を歌って旅立って、そして帰ってきませんでした。それを後になって宗教的だとか何とか言ってほおり出すなんて、そんなバカな話がありますか!。(中略)戦争中はあれほど兵隊さんのおかげと言っていた人たちが、戦争が終わった途端戦争に行ったもんが悪いと言い出して、こりゃいったいどういうことですか。私は、父が戦争で死んだばっかりに、親のない子、戦争に行った家の子と言われていじめられました。母は誰にも手伝ってもらえずに、一人で田んぽの仕事をして、親戚のものからも冷たくされて、その辛さがわかりますか!。(中略)あらゆる宗教の管長が靖国神社に反対してますが、ローマ法王が吹雪の中を土下座して、広島、長崎の戦没者の冥福を祈ってました。戦争というものほど罪悪なものはないというアピールもしました。私はあのローマ法王の爪の垢でも各宗派の管長・法主と呼ばれる偉い方々に飲ませてやりたい位です。」   現在の私たち本願寺教団には、この遺族の方々に対して応える言葉があるのでしょうか。多くの僧侶が遺族の怒りを恐れ、靖国問題と無関係であることを装うのは、遺族の吐血の思いを聞かないという拒絶の姿勢であります。多くの国民を国策に従うよう指導した教団には、この問題を掘り下げ明らかにする責務があります。   遺族の内、靖国神社国家護持を求める人々とって、靖国神杜とは国の要人が戦死者に対して頭を下げる唯一の場所です。そこにある遺族の思いは、国家杜会が戦死者に対し戦地に送ったものとして誠意を見せろということです。遺族の中には一度でよいから靖国神社で昭和天皇に頭を下げてほしかったという方もおられました。

      靖国神社であれ、その代替施設であれ、遺族の心情を利用し、国家の要人が頭を下げることで遺族を癒しつつ、再ぴ国民の意識を国家に結ぴつけ、「国のために命を投げ出す」(中曽根康弘元首相)国民づくりをしようとするものです。それはむしろ平和を廣う遺族の思いをも踏みにじり続けることです。   遺族の内で靖国神社国家護持を求める人々は、このような国の意図について考えようとされません。しかし、そこには肉親の死に対し、平和を看板にして軍関係者のみ批判弾劾するかのような戦後の国家杜会の無責任さへの怒り、理不尽な死への怒りがあることも見抜くべきです。
      戦争が善であった時代から平和が善という時代へ転換し、降ってわいた「平和」にしがみつき「悪いのは私たちではない」「しかたがなかった」と「追悼」する無責任さは私たちの国家社会の体質であり、それは戦前も戦後も変わっていません。
      国家・また教団は一人ひとりの遺族の思いにも責任をもって向き合い、歴史的事実を一っひとつ明らかにしていかなければなりません。そのような取り組みこそ、この問題に本質的に向き合うあり方であります。
      私たちはこのような考えから、教団が靖国代替施設案を廃棄し、むしろ教団が率先して国家に対し戦争に関するあらゆる事実を明らかにしていくよう働きかけること、また教団における歴史的事実を明らかにしていくことを強く要望致します。
以   上


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