以下の文章は、2000年3月17日に和歌山県部落解放・人権研究所主催で行われた、シンポジウムの記録です。
掲載を許可下さいました研究所に感謝いたします。
このシンポジウムや和歌山県部落解放・人権研究所に対するご意見御要望等を、 jinken@fine.ocn.ne.jpまでお寄せ頂ければさいわいです。

※長文でありますので一度ダウンロードされてから読まれますことをお薦めいたします。
また改行や改段は、坊さんの小箱で適宜いたしましたことと、OCR入力のため誤字等お許し下さい。

「偏見、風習、ケガレと差別について考える」

司会 上平  桂士 (和歌山県部落解放・人権研究所事務局長)
シンポジスト 小笠原正仁 (財)同和教育振興会評議員)
木津  譲 (大阪人権博物館資料展示委員)
小谷千栄子 (和歌山市婦人同和運動実践連絡協議会事務局長)
藤範  信彦 (同和問題にとりくむ和歌山県宗教教団連絡協議会幹事)
村田  恭雄 (桃山学院大学名誉教授)
◇(司会)上平
  理事長の中谷英雄よりご挨拶を申L上げます。
◇中谷
  今日は寒い日なのですが、よくお集まりいただきましてありがとうございます。今日は「偏見、風習、ケガレと差別について考える」のテーマで、五名の先生方から短時間お話をいただいて、その後でみなさん方を交えて質疑応答その他、いろいろ話し合っていきたいと思います。この問題は大変重要な問題で、われわれは簡単にできるように考えていますが、なかなか長い風習に根ざしていますので、そう簡単にまいりません。しかし、これを機会に徐々に、そういうものを自分たちの身辺から取り去っていけば、いつかわれわれの社会における偏見とか風習、けがれなど一切をなくすることができるだろうと思います。最近私がやっていますのは、「清め塩」をもう二年ばかり前から全然使わなくなったことです。帰ってきたらゴミ箱に捨てるだけで、早くああいうものをつけないようになってほしいと思います。前にどこかへ行きましたら、入口のところにずうっと塩をたくさん積み上げていました。その上を踏んで渡るというのがその家の風習だったようですが、無駄なことでもありますし、それがまた一つ精神的な面において社会に及ぼす影響は大きいと思いますので、今日はみなさん方、一度ではなかなか終わることではありませんが、十分お聞きいただいて、また質問もしていただいて、ある程度の納得を得られてお帰りいただけたらと思います。そうしてそれを実行していただきたいことを切にお願いして、簡単ですがご挨拶といたLます。
◇上平
  ここで祝電のご紹介をしたいと思います。「お祝いシンポジウム開催の盛会を祝し、ご関係各位のご尽力に敬意を表し、真の平等社会実現のため共に頑張りましょう。衆議院議員中西啓介」様、以上でございます。
  それでは五人のシンポジストの方々を簡単にご紹介いたします。
  木津譲さんは、宗教界における部落差別について、差別墓石・差別戒名などや、また、女性差別について、全国各地の現地に行かれて隈無く調査をされておられます。その分野では第一人者といわれる研究をされています。また、今から二十五年前になりますが、一九七五年(昭和五〇)に差別図書である『部落地名総鑑』が発覚しました。最終的に、法務局は九種類・二百二十の事業所で発覚したとして終止符を打ちましたが、そのスタートの時から、『部落地名総鑑』を出版した本人にインタビューなどをしながらこの差別図書の実態を明らかにし、企業の取り組みに結びつけたという大きな功績を持っておられます。
  次に藤範信彦さんです。和歌山県行政の職員として長くお仕事をされ、その間に和歌山県の同和委員会の要職に就かれて同和問題にも真正面から取り組まれました。打田町でご住職として、また、打田町の地域活働を非常に大切にされ、地区懇談会(学習会)にも積極的に参加され指導されています。また昨年、打田町で実施した「同和問題・人権問題の町民意識調査」の審議員としても活躍されました。今日はその視点からもお話いただけると思います。また、三年前に発足しまLた、二十教団の宗派を乗り越えた「同和問題にとりくむ和歌山県宗教教団連絡協議会」の幹事をされています。
  次に小谷千栄子さんてす。和歌山市の婦人同和運動実践連絡協議会の事務局長として、本問題の解決に先頭に立って、幅広くご活躍されています。とくに小谷さんは日々の「六曜」「清め塩」など、身近なところで問題を捉えて取り組まれ、また、和歌山市政に対する提言者のお一人としても活動されています。
次に、小笠原正仁さんです。 京都市の財団法人の同和教育振興会の評議員をされていて、西本願寺において同朋運動に取り組んでおられます。専門は法制史の研究で、部落問題につきましては部落の歴史研究を中心にしながら、一方でさまざまなテーマについても取り組んでおられます。
最後になりましたが、村田恭雄さんです。桃山学院大学の学長として長く勤務され、現在は同大学の名誉教授で、当研究所の副理事長をされています。非常に多岐にわたった専門分野をお持ちで、環境問題、人権問題、部落問題、最近はとくに部落解放運動に対する提言と申しましょうか、現代までの部落解放運動を振り返りながら、今後の部落解放運動を展望するようなご意見を私たちは時々お聞きすることがあります。今日のシンポジストの方々の書籍等も多く発刊されておりますが、ここでは書籍等の紹介は割愛させていただきます。それでは始めたいと思います。司会をしていただきます村田さん、よろしくお願いします。
◇村田
  本月のテーマは差別問題と非常に関係の深い内容を含んでいます。例えば、お配りした「シンポジウム資料集」の二十三頁に、朝日新聞(東京・一九九九年十月二十六日付)の記事で、「部落差別『ケガレ観』の起源は/民衆意識か政治権力か」とあります。実は今部落解放運動の中でもこのことが論議されているわけだし、実際問題として非常に難しい問題なんです。いろいろな意見がありまして、民衆の意識からケガレ観が生み出されてきたのじゃないかとする意見を一方の端にしますと、いや政治権力が生み出したものであるとする意見が明らかにあります。恐らくはこの両者の間のどこかに妥当な意見があるだろうとは思うのです。部落において一定の生活環境の改善がなされてもなお差別はなくならないという点から差別観念の問題、とくにその中でもケガレ観、ケガレ意識というものが運動体の中でも非常に大きな問題になっています。現在、ケガレ観念についてのいろんな諸意見、学説というものが、非常にたくさんあります。
  その一つの立場を小笠原さんがお話になります。もちろんこれは研究所の意見でなく小笠原さん自身の意見でありますが、一つの主な意見であろうかと思います。今日はケガレ意識論を論議する場ではありません。われわれの差別意識の中にあるケガレ観、それは部落差別、女性差別、障害者差別など、代表的な差別の根拠になる意識ですが、われわれの現状は大きくケガレの観念に影響を受けていることを確認しつつ、今日は諸学説ではなく、ケガレ観がわれわれの意識の中に潜んでいて、無意識の差別も含めて、われわれの差別的行動の原因に結びついているということを確認したいと思います。なお「六曜迷信」「清め塩」等等の具体的な問題を提起して、この中に含まれる問題、そしてこれを解決するにはどうすればいいか、具体的な問題を中心にして、意見を交換したいというのが本日のねらいです。このシンポジウムはとても本日一日で一定の結論に至るかどうか分かりません。そういう結論を期待されている方は若干失望されるかどうか分かりませんが、なお二回目、三回目と続けていきたいと思っています。まず小笠原さんから、「ケガレと差別」または「ケガレ意識と差別」でお話していただきます。
◇小笠原
  現在、ケガレについての議論が様ざまなところで行われています。とくに部落差別との関係を強調する説が議論を活溌にしています。ケガレと差別とのつながりが今の議論の中心ではないかと思われます。今回は、ケガレについて私の観点から差別とのつながり、もしくはとくに宗教との関係についての見通しをお話させてもらいたいと思います。
  まずケガレについての意識の違いについて歴史的に概略を説明しますと、ケガレ自体が時代によって大きく変遷している−質的な違いも含めてある−と考えられます。とくにケガレは初め清めることが可能でありました。ケガレと清めの関係であります。そして、ケガレを清める職能を中世では「清目」といっています。
  さらに時代が下ってきますと、その「清目」が差別を受けていくことになるという説がありますでそこから中世の職能起源とする、つまり部落差別の起源とする説もあるわけです。ただこれは単なる職業起源説ではなく、私たち自身が持っている宗教的な意識、宗教と職業とが複雑に絡み合った形で差別が形成されていくという説でもあるのです。
  ただ、ケガレが清められるという関係を呪術的、まじないの関係と見て、「清目」という一種の「呪術師」が社会から排除されて被賎視を受ける、もしくは被賎視を受けながら排除されていくという関係でこの差別を見ているわけです。ところがそれだけでケガレと差別の問題を考えていきますと、例えば、私は浄土真宗本願寺派に所属していますが、そこでは「門徒物忌み知らず」と申しまして、物忌みをしないといわれている門徒においても、ケガレ観や差別意識というものは、現在まで数団の中には残っているわけです。そうしますと、呪術師はケガレているという考え方が呪術的として乗り越えられたわけではないことがそこで明らかになってきます。違ったいい方をしますと、呪術を許容する異なった宗教意識に取り込まれていく状態という風に考えなければならないのではないかと思うのです。
「1、古代の稼れ−秩序違反への畏れ」
  ある学説によりますと、ケガレという概念は、現象的には秩序違反、もしくはそれまでの秩序が乱された状態を指しています。これは様ざまな研究から、まず「ケガレは文化である」と考えるのが常識です。というと、ケガレを肯定するのかと言われるかも知れませんが、ケガレはある程度進んだ文化における集団の秩序維持のための手続きとして置かれています。そういう意味では、われわれが未開に対して持っている偏見をまず捨て去るべきではないかと思います。特にケガレによる秩序維持の文化は世界中に普遍的に存在するものですし、文化人類学では古くから研究されています。とくに禁忌、タブーといわれるものと、その違反をケガレと見る考え方が有名です。
  われわれは現在、秩序維持をするために法律という制度、もしくは様ざまな刑事罰を与える制度を持っていますが、そういうものが発展していなかった時代においては、ケガレやタブーといった意職が共同体を維持していくためのルールとして使われていたのです。それは当時の人にとっては非常に分かりやすい秩序維持の方法であつたわけです。
  「古事記」や「日本書紀」などの日本神話に出てくる考え方も、共同体を律するためのルールが書かれていると読むならば、興味深い解読ができます。例えば、ケガレで代表的に使われるイザナギとイザナミとの死後の関係です。イザナギが黄泉の国に行き、イザナミの死に触れるということで死穢として、その後、禊ぎをいたします。このことは、単に触穢ということではなく、黄泉の国という所へ境界を越えたこと、これが秩序にかかわる一つのタブーを犯したということになります。それと岩戸を閉じて、死者の国と生者の国とをはっきりさせたことです。
そして、そこで新たにイザナミが千人を殺すと言って、それに対してイザナギは千五百人の子を作ろうと契約します。その後そのことで日本はどんどん国が大きくなっていくのだという神話を暗示させます。それから、・アマテラス、ツクヨミ、スサノオという三人の神がイザナギの禊ぎと同時に生み出されるとなっていきます。ここでは、次の世界が豊かに発展し、その世界の主人公まで現れます。つまり代がわりをケガレとみて、それを克服する形で次の時代を生み出していくというのがこのお話です。
  ですから、この段階の様ざまなケガレは秩序違反と考えた方が非常に分かりやすいわけです。この段階のケガレ観念は差別と直接は結びつくものではなく、権力作用もふくめて、様ざまな社会の変化をすべてケガレという形で理解し、社会の構造なり、ルールを説明するものであったということです。
  この後、日本文化は単独に発展するのではなくて、大陸文化の強い影響下に入って、仏教や律令制度という大陸の統治技術が入ってきます。さらにそれが日本古来の伝統的なケガレ観と結びついて、日本的な進化を遂げていきます。それを受けて中世へと時代が動いていくわけです。
「2、中世の穢れ−穢れの変容と打破」
  延喜式に書かれている触穢にかかわるケガレ観が有名ですが、これはケガレの三転ということでよく問題にされ、ケガレが移っていくことが書かれています。ケガレを忌むということを服忌(ブッキ)と申しますが、延喜式の中に書かれていることも、ケガレが誰に移り、どの範囲まで行くのかとか、ケガレを持った人がどのようにケガレに服するのかということです。律令上服忌は、親族の範囲を決めるということで考えられています。
  しかし、身分とケガレが結びつくと申しましても、当時の隷属民として寺奴や神賤が存在しますが、こういう人びとでさえ固定的な身分ではないわけで、労働力とLて当時の権力がこういった人ぴとの解放令を出すといったことも当時の資料でうかがわれます。
  この後、荘園制の中で独特の仏教による殺生禁断思想とケガレが結びついていくことも指摘されています。ただ、強調しておきたいのは、身分差別とケガレとが必ずしも直接的に繋がっていくものではないということです。たしかに、殺生禁断思想と触穢によって、当時の荘園制内の秩存を維持しようとする荘園領主が現れてまいります。殺生禁断思想というのはある対立的な関係を生み出します。生き物を殺すものと殺さないものとはっきりと分けてしまいます。誰でも誰かが殺したものを食べなければ生きていけないわけですから、殺す作業に従事するかしないかということで、そういった殺生によるフィクションの関係を創り上げるのに好都合だったのです。法然・親鸞・日蓮といった鎌倉時代の宗教家たちは、仏教の本義にもどりながら、そのフィクションを打ち砕く改革運動を行っていったということです。
  ですから、中世では古代的なケガレに支配されるような生き方だけでなく、一方でケガレ意識や殺生禁断思想と闘っていく人びとの運動があったと考えるべきだろうと思います。
  たしかに現在でも、法然、親鸞、日蓮を始祖とする仏教が残っているわけですが、中世末から近世初頭の全国統一という幕藩体制が出来上がっていく過程は、そういった宗教が弾圧されていく過程とも考えられます。ご存知のように信長の比叡山の焼き討ちや、秀吉による浄土真宗−一向宗に対する弾圧、根来や高野山に対する弾圧がその後続いていきます。
  最後に江戸時代に完成していくのはキリスト教徒に対する弾圧と、そういった民衆の新たな生活を作っていく支えとなるような宗教意識、または宗教の運動を権力の側が弾圧していく過程で、近世の幕藩体制が作られていくといっても過言ではないかと思います。ところが先程も言いましたが、その後もそれらの宗教は残るのです。その段階では宗教そのものの性質が同じであるか疑わざるをえません。つまり、ほんとうに鎌倉時代の解放的な方向の運動をもった宗教が江戸時代に残っていくのかどうかが疑問になるのです。
「3、近世の穢れ−宗教弾圧と身分制」
  その段階では、当時の仏教教団が行っている宗門人別改は民衆統制の手段となっていました。また、仏教では、釈尊が否定した「業による輪廻」が布教現場で復活していきます。前世の業が現世の秩序を説明するものです。その場合、現世の秩序としてケガレがそのまま受けとめられている状況があります。
  これは、いま編纂が進められています「紀州藩牢番頭家文書」の中にある「勧化迅雷妙」という説教本の類に、「仏教的な救済の中にはケガレというのは一切関係ない。しかしながち、現世においてはケガレは当然の秩序である」として、ケガレと「業による輪廻」を肯定しているという説教が行われています。
そこではケガレと「業による輪廻」が結びついていくことで、身分差別の正当化が当時行われていたことになってきます。
  そのことは、インドにおいて力ースト制度を否定した仏教が、再びカースト秩序を生み出すような宗教意識を作り出す装置になっていきます。
  「4、現代の穢れ観」

   については後の羽江先生のところで詳しくお話させていただきますが、そういう形で、ケガレ観というものを単に特別な私たちの意識の片隅にあるものではなくて、少なくとも私たち自身の日本文化の構造の中で支えられて、生み出されてきているものだということです。この問題と例えば、私たちの宗教意識と照らし合わせてみないと、非常に深刻な問題が抜け落ちるのではないかということです。

◇村田
  ここで私から若干のコメントをさせていただきます。秩序違反とか秩序が乱れた状懲をケガレというのは、実は文化人類学の概念で、メアリー・ダグラスという人のケガレ論の古典「汚穢と禁忌」からですね。
ぼくは「1」の中で大事だと思うはやはりEですね。「この段階のケガレ観念では、差別と直接は結びついていない」。しかし、直接結びついていないと思いますが、ケガレは、ダグラスの場合は秩序違反で、やはりこれを排除しようとする心理状態が働くわけです。だから、ケガレというのはどうしても排除ということと相関関係があって、排除しようとする衝動は差別的意識の準備約段階だと思います。
「2」で「ケガレが差別的身分制度とつながっていくには、古代的なケガレの概念に大きな変革がなければいけない」はその通りと思いますが、中世では、ケガレに、清めによってぬぐい去られるケガレと、ぬぐい去り得ないケガレという観念が出てくるのですね。その場合、ぬぐい去り得ないケガレという観念が、一定の人びとに結びついていく「そこでケガレと賎民との結びつきというものが出てくる。それが古代的なケガレの大きな変革ではないかと思います。Dに「仏教的な殺生禁断の思想」とあります。仏教思想に穢土と浄土という二項対立的な考え方がありますね。絶対的な聖地である浄土に対して、この現世はすべてケガレているという思想だと思うんです。この浄土、穢土の区別は宗教的概念で、一定の世俗化をともなわないと、現世におけるケガレの思想としては定着しえないと思います。世俗化して、いろんな伝達者によって全国各地に伝えられていったと思う。仏教的な意味でのケガレの意識が発生して、被差別の人びとにむすびつくという定着の仕方をするのではないか、というのが私の考えです。
「3」ではDの「業による輪廻」という非常に重要な思想が展開されていますね。ケガレが業による輪廻の観念と結びつくというのは非常に重要な指摘だと思います。
「4」のBで、ただ誤解を招くといけないので一言述べたいのですが、仏教のヒンズー化というのは誤りでありまして、仏教はヒンズー教の中から生まれたものです。ヒンズー教の中から宗教者である仏陀がヒンズー教を革新する。ヒンズー教はカースト制度によく現れているように、極端な浄穢思想の概念をもっていて、仏教はその浄穢思想の世俗性を抜き去って、宗教的に仕上げるのだと思います。小笠原さんの考えも一つの考え方でありまして、私の考えも少し述べさせてもらいました。
次に、小谷さん、お願いします。
◇小谷
  みなさんは今まで様ざまな同和問題研修会へご参加されたことと思いますが、よく学習されていた方が、自分の身内に同和問題が直接に生じた時、反対に差別者になる方があります。私はこのような会に参加される時は、差別を許さないという確たる信念をもって参加してほしいと思います。同和問題の「物知り」になるだけでは何の意味もありません。学習の目的、姿勢を絶えず確かめることが重要だと思います。私たちは人の命を守るために、鋭く言い替えれば、「人の命に関わる学習をしているのだ」という思いをいつも持ってほしいと思います。今は亡くなられた女優のユニセフ親善大使をしていたオードリー・ヘップパーンが十代のころ、ドイツナチスに対するレジスタンス運動をしていたのと同じくらい、崇高な学習を私たちはしているのです。頭の中だけの知識として持つだけでなく、心の中でも差別は許さないという気持ちが大切です。私は和歌山市婦人同和運動実践連絡協議会の役員をしていますが、名称が長いので「婦同連」といいます。婦同連の役員会はほんとうに明るいし、役員さん方は役員会に行くのが楽しいと言ってくれます。
会議中ときどき脱線しますが、軌道修正して明るくなごやかに開いています。みんな遠慮なく思ったことを発言してくれます。
これが当たり前の会議だと思います。以前は役員さんの中にも、逆差別発言をする人もありましたが、言っている本入もそれが逆差別発言と気づかずに言っている方もありました。最近は減ってきています。
  婦同連大会の分散会の中でよく出る発言内容ですが、結婚問題、とくに結婚差別についてです。県民の大半の人が仏滅の日に結婚式を挙げることにこだわっていますが、なぜでしょう。
結婚差別を支えている風習の主なものに、仏滅や丙午などを信じる迷信、それから相手の家柄や財産などが重要視される釣書、相手の身元調査をする聞き合わせ、周りを気にする世間体などです。結婚相手の身元調査を目的とした聞き合わせはナンセンスです。ばかげたことです。ところが、そんな聞き合わせで相手が同和地区の人だと知ると、急に反対する人がいます。おかしいと思いませんか。どこが違うというのでしょう。同じ人間です。若者にとって結婚は期待と感動に満ちた将来への出発点です。同和問題の解決が進む中でも、現実には同和地区出身であるがゆえに、結婚できないという事例もあります。二十一世紀を担う若者が正しい認識をもち、差別を乗り越えて幸福な結婚ができるよう、一人でも多く学習してください。結婚は、憲法第二十四条で完全に保障されているのです。大切なことは二人の合意です。
  次に日常生活の中での六曜、清め塩の問題点です。婦同連の中の母子寡婦の会長さんが全国大会に行かれた時に、「母子寡婦の手帳から六曜を取り除きましょう」と発言したところ、関東の方から、「それがなかったら生活が成り立たない」とか、「斎場は友引の日が休みなので、仕出屋さんは六曜を見て材料を仕入れるから」と言われたそうです。この会長さんは和歌山に帰ってきて、「和歌山だけでも六曜を取り除いて手帳を使いましょう」と言われたそうです。「お見舞いは大安に行かないようにしている」という人もあり、「お見舞いの日に友引なんてと言わないで、お友だちの病気を早く治して、引っぱり出しましょう」という人もあります。ご近所の方から聞いたお話ですが、お葬式の日が友引だったので、葬儀場の職員の方が「人形を抱かしましょうか」と親族の人に言ったとき、庵主さんが大きな凛とした声で、「これは中国から入ってきたもので、今では中国では使われていなくて、こんなのは迷信で、必要ないことです」と熱心に説明されていたそうです。私はその話を聞き、なんて素晴らしい人でしょうと思いました。この三日前に私はその庵主さんとお話をする機会がありまして、現在の状況をお聞きしました。友引の時は人形を入れなくてもよいと話をすると、納得してくれる人はいいのですが、分からない人は「親戚の人がうるさく言うので」とか言います。その時は中間をとったりもしますと話されていました。でもこのようにお葬式の場所で熱心に話してくださる方が一人でもいらっしやるということを、同じ女性としてとても心強く思います。その方はまた次のような話もされました。出雲大社を信心している女性から、「法事をつとめてくれ」と言われ、その時「あんた、生理あるの。あったら詣っていらんわ」と言われ、ものすごいショックで、もったいないことよく言うわと思った。「昔の人は血が出たら恐かったんでしょうね」と話してくれました。
  それから私は日赤奉仕団に入っているのですが、その中で六曜の問題を会員で出していき、昨年からは奉仕団の手帳には六曜の記載のない手帳になっています。ちなみに今日ご出席のみなさんで、六曜の記載のある手帳をお持ちの方は、すみませんが手を挙げていただきたいと思います。さすがこの会に参加された皆さんは進んだ方が多いのだなあと思います。今日のディスカッションを聞いて、みんなで行動してこういう迷信を取り除いていきたいと思います。
次のような事例を紹介します。和歌山市がゴミ袋を市指定に決める前から、私たち市婦連(和歌山市婦人連絡協議会)では業者の方々に黒いゴミ袋を販売しないでくださいとお願いし、新聞屋さんや銀行、郵便局でくれる粗品が黒いゴミ袋の時は辞退して、白い透明の袋に切り替えていただきました。ゴミ収集現場で働く人びとが年間百名以上も怪我をされているのですと訴えました。その結果、今では黒いゴミ袋の粗品はまったく無くなりました。そして現場で働く職員の怪我も年間二十名ほどに減りました。このように声に出していくことが改善につながるのです。私たち女性はパワーがあります。静かですが、いけないものはいけない、だめなものはだめ。六曜もしかり、部落差別もしかり、声に出していくことが大切です。
  次に女性知事についてですが、戦後女性が参政権を得てから、やっと女性知事が誕生しました。三年前に岡山で日本女性会議があり、その時知事代理で当時副知事だった太田さんが出席されていて、しっかりした方だなあと参加された方はみな感じたそうです。大阪の前知事のセクハラ問題、自民党が半分に割むる中で誕生した知事です。これからの四年間、大阪の女性たちはどのように変わるのか関心があります。
  男女共同参画社会基本法が昨年の六月十五日に成立し、公布施行されました。また、男女雇用機会均等法も施行されています。二月十五、十六日のNHK教育テレビで、女人禁制について手話放送がありました。中身は太田知事が大阪の大相撲春場所で直接知事杯を渡したいということ。十年前、森山官房長官が総理大臣杯を渡したいと言った時も、「伝統なのでご理解を求めたい」とやんわり断られました。土俵は豊作を祈る神聖な場所とする因習が一部に根強く残っていますが、相撲もスポーツとして女牲も取り組んでいます。試合に男性の土俵、女性の土俵も分けていません。伝統も時代にそって改革していかないと、単なる因習になります。確たるわけを聞きたいものだと放送されていました。私も同感と、思わずテレビを見ながら拍手をしてしまいました。今回は太田知事が引き下がりましたが、次回はどうなるでしょう。私も大相撲は大好きです。相撲ファンは女性にも多くいます。女人禁制を通すことは、伝統文化を守ることなのでしょうか。考えがいささか古い気がします。このような頑なな閉ざされた相撲界の慣習が、八百長相撲の取りざたにもつながっていないでしょうか。男女雇用機会均等法の導入を機に、働く男女間格差は縮まってきています。飛行機や新幹線にも女性のパイロットや運転手が登場しています。単純に比較はできないにしても、余りにも対照的ではないでしょうか。大切なことは差別だと認識し、古くからの伝統だ、風習だということを聞き流したりせず、諦めたりしないで、たとえ相手がどんなに大きな団体であったとしても、自分の意志をはっきりと主張し、話し合うことが大切かと思います。
◇村田
  引き続いて藤範さん、お願いします。
◇藤範
  はじめに、町民の意識調査について触れてみたいと思います。
私は打田町の出身です。長い間県庁に勤めていましたが、今は浄土真宗本願寺派の住職です。和歌山県では町長から委嘱された同和委員が、同和運動の中心的な役割を果たしていますが、私も町の同和委員をしています。一昨年でしたが、打田町では「同和問題に関する意識調査」を行いました。五年前にもやりましたので、それと同じような内容のもので比較対照をしようではないか、ということで行いました。それを「同和問題に関する意識調査結果報告書」にまとめています。町民に、現在の町民の同和問題に関する意識はこんなのですよ、と報告する義務がありますので、各戸に「同和特集号」として配布しました。もう一つは、打田町では地区懇(地区別懇談会)を毎年実施、今年で二十九回目をむかえました。五十いくつかの大字があるのですが、そこへ同和委員が出かけて行って、地域のみなさん方と懇談するということをずっとやってまいりました。来年は三十年になり、何かいっぺん変わったことをやらないかんな、とそんな話も出ています。昨年の十一月の同和運動推進月間に、その意識調査の説明を兼ねた地区別懇談会をしました。コンパクトにした「同和問題に関する意識調査の概要」を作成して、参加者のみなさんにお配りして話し合いました。説明を加えて後からみなさんからいろいろご意見を聞くという形をとりました。詳しいお話をする時間せありませんが、「自分の身の回りの差別について」という中にいくつかあげています。部落差別、家柄による差別、障害者に対する差別、女性に対する差別、職業に対する差別等等たくさんありますが、私たちの周囲にある差別は、やはり部落差別が一番多く、その次に家柄による差別がきていることが、この結果から出てきています。またもう一つは、「部落差別の今日の状況はどうなんでしょうか」という中で、「まったく無くなってきている」「次第に無くなってきている」「表面上は無くなりつつあるように思われるけれども、あまり変わらない」とか「以前より強くなってきている」とか、いくつか項目がありますが、「表面上は無くなりつつあるように思われるけれども、あまり変わらない」あるいは「次第に無くなってきている」をあわせると八十パーセント以上もあり、部落差別は厳然としてまだまだ私たちの周囲に残っていることがわかります。いまこの問題についてのいろいろ意見がありまして、差別落書きがあっても「それは消したらそれで終わりや」というような方も中にはあると聞きますが、まだまだ私たちの周囲には問題がたくさん残されていることが、この意識調査の中で分かってきました。
  先程の小谷さんのお話にもありましたが、大安・仏滅の「六曜」の問題についても「非常に気にする」「やや気にする」が六十パーセントを越えています。「気にしない」「全く気にしない」と答えた人は三十四パーセント。それから男女間の特徴として、風習を気にするのは男性が五十六パーセント、女性が六十六パーセントと、女性の方が十パーセント高いという結果がでています。これをもって地域別懇談会でも六曜の問題を話し合いましたが、「六曜というのは根拠のないものであると分かっているけれども、相手のあることなので、相手の気持ちを考えるとなかなか簡単にこの問題は解消しにくい」という意見が出てきました。また、こういうことは国全体で取り組まなければならない問題だ。とくに行政が率先して実践してもらわなくてはならない。行政では竣工式とか起工式は必ずといっていいほど大安の日に行っているではないか。まず行政がこの問題解快に取り組んでもらわないと、われわれが啓発運動をしても無意味ではないのか、とこういう問題が出ていまLた。もう三十年も前の話ですが、県庁では県会手帳というのがありまして、同和委員会から県議会へ「六曜をとるように」と申し入れ、それ以後なくなっていますが、全体的にムードを盛り上げていくのが大事ではないかと思います。
  私は浄土真宗本願寺派ですが、鷺森別院の本堂がみなさんのおかげでできあがったのですが、その時の慶讃法要をやるのに日曜日がいいというのでその日を決めたところ、たまたま大安に当たっていて、「われわれ六曜の問題を真剣に取り組んできている本願寺派が、大安に法要を行うことになってはよくない」ということで、わざわざその日を外して慶讃法要をしたことがありました。こんな実践方法もあることも一つご紹介しておきたいと思います。「六曜」については科学的に根拠のない迷信とはいうものの、何をもって迷信というのか、迷信であるという根拠はどこにあるのか、とそんな質問もされるわけです。だから「迷信である」と言う以上は、私たちはもっと六曜について深く学習をしておく必要があるのではないかと思います。あるいは「六曜と部落差別の問題を結びつけるのはおかしいではないか」という意見も出ていました。これについてはいろいろご意見があると思いますが、和歌山県が実施した意識調査の中で、「自分の子どもが結婚する場合に、相手の人が部落の人と分かった時に、あなたはどうしますか」と聞いた時に、「子どものいう通りにします」と、この問題に積極的に関わった人ほど「六曜」をも気にしないと答えた人がクロスの結果として出ています。
  二番目の「宗教者としての取り組み」についてですが、「ケガレの問題」というのはお葬式に関わることが非常に多いわけですね。火葬場に行きますと、帰りは大概のタクシーの運転手さんが「帰りは同じ道を帰らない方がいいですね」と言われます。私は同じ道を帰ってくださいというのですが、なぜっと聞くと「死んだ人がついてくる」と言ったりします。それからお茶碗を割る風習は、田舎の方ではもう無くなりました。しかし「清め塩」はなかなか徹底なしないようなので、これから私は檀家のみなさんにも話をしていかなくてはならないと思っています。いま私たちの教団の方では、「清め塩」とかを無くすための葬儀にまつわるパンフレットを作成して、葬儀社や檀家のみなさんへもお配りしょうと取り組んでいる最中です。
  最後に「同宗連」のことを少し説明しておきたいと思います。
同和問題に取り組む和歌山県宗教教団連絡会というものを一昨年に発足して、十九教団二千二百三十五の団体が加盟をしています。高野山真言宗の佐々木部長が中心になって結成して下さいましたが、他府県ではできているのに和歌山県ではできていないという、そういう面ではなかなか難産でした。教団のそれぞれの立場を越えて部落差別を無くしていく、一つの大きな運動の基盤になるようにと思っています。
◇村田
小笠原さん、お願いします。
◇小笠原
  「現代の穢れについて」は羽江忠彦先生の「『六曜』迷信と部落差別を考える」という資料を使いながら進めていきたいと考えます。先程、「4、現代の穢れ観」のところを残しましたので、それを含めてお話させていただきます。藤範先生も浄土真宗本願寺派ということを言われま七たが、私も浄土真宗本願寺派です。
檀家のことは真宗では門徒といいます。門徒はよく「物知らず」と言われますが、それは「門徒物忌み知らず」であると僧侶のお説教で聞かれていると思います。「門徒物忌み知らず」が現世的な意味でどういうことがいわれてきたのか、様ざまな議論がありますがそれも含めてお話します。
  「1、門徒物忌み知らず」のところにいくつか単語が並んでいますが、中に「神祇不拝」とあります。これは基本的に六字の名号、すなわち阿弥陀如来への絶対的な帰依によってその他の神仏に対しては礼拝をしないということです。これは世俗の、例えば国王に対しても礼拝をしないという極めて原理主義的な態度ということになります。
  先程、村田先生からご意見をいただきました。穢土と浄土、ケガレたこの世と清らかなあの世という関係の一つの世俗化が、こういう差別意識、ケガレ観の根底にあるのではないかということだと思います。しかし、私自身は少なくとも、絶対的な浄土があるとすれば、絶対的にこの世は穢土であるということが、様ざまな人間の作り出した制度を相対化していく考え方につながっていくのだろうと思います。つまり差別的な現実、もしくは秩序の中の閉じられたシステムの中にいながらにして、システムそのものを批判する力を本来もたせるのが、浄土真宗に限らずイスラム教とかキリスト教とか、すべての普遍的な救済宗教の考え方であると思っています。そういう姿勢が様ざまな占いやケガレと向かい合っていく力となっていきます。しかし、歴史の過程の中で、信仰自身が世俗の秩序に対しての批判力を失っていくことになっていきます。
  その中で、呪術を克服しえなくなっていくのですが、「清め塩」とか「六曜」に見られるところです。呪術といってもこれらは、「語呂合わせ」が多いと思います。例えば「友引」という言葉にしても本来は「友を引く」という字は当てられていなかったのですが、「友」「引」とあてられたために、「友引の日に、私は友だちの葬式に行きたくない」という意識が生み出されていきました。
  語侶合わせにおもしろい例があります。日本で「鬼」の姿といいますと、たいてい角が生えていて、頭髪は力ールしていて、虎の毛皮のパンツをはいていますね。これは中国あるいはヒンズー教の神様から取ったんだろうといわれますが、実はもう一つの説があって、方角に鬼門というのがありますね。丑寅の方角です。つまり牛と虎ですから角と虎の毛皮ですね。そんな語呂合わせが日本人の鬼のイメージを作り上げていると言われます。
  実際に古代の絵など見ていますと、今の鬼の形になっていくのはかなり後になってからといわれていますので、その辺りも非常に興味深い問題だと思います。
呪術というのは、そのような語呂合わせに対して、私たちがそのことについて批判し得ない、根拠を持ち得ていないことが特徴です。このことが様ざまな偏見をそのまま温存、発展させていくことになっていくと思います。
  例えば偏見が支える、もしくは偏見が広めていく「うわさ」の構造があります。これは羽江先生も言われているように、偏見を温存している意識の中に、うわさが広まっていく一つの回路があるのです。被差別部落に対して「あそこは恐いところや」という言葉が流された場合に、その言葉に対して何の確認もなく「恐いところや」とうわさが流れていく。これは私たちが今日のシンポジウムで問題にしている「六曜」とか「清め塩」と極めて同じ根を持っているのです。
  それでは、「2、物忌みをしないとは、どういう生き方か?」のところにいきたいと思いますが、「物忌みをしない生き方」とは、私たちの生き方の課題だろうと思います。それについて羽江先生は「いつも、自分は偏見に囚われていないかな、間違ったイメージを持ってないかなっていうことを、問う姿勢、自分自身に問う姿勢こそ大切なんだ」と、つまり自分の考えそのものを見つめ直していくことを述べておられます。結果的に「偏見を持っていようと持っていまいと、私たちは差別をなくすことができる」となってきます。つまり、部落差別や様ざまなケガレは、私たちの前に何か得体の知れない壁が立ちはだかっているような印象を与え、それは「仕方ない」という一つの諦めになっていくで取北主蔑的な考え方に支配されていきますが、そういう敗北主義に陥る私たちこそを批判していく。それがこういった偏見とたたかう私たちの在り方です。
  また「正しい理屈を難しいといい、人びとが安直な六曜を信じるというくとは奇妙ですわ」と書かれています。これは非常に難Lい問題を提起されています。コンピューターでも占いのソフトがインストールされて出されている時代です。科学的な先端技術が、何千年もわれわれを閉じこめてきた偏見を生み出してきたもとを、科学技術によって復活させることを難なくやってのいるわけですね。それは科学だけでこういった呪術や偏見に勝利するということではなくて、科学を用いてわれわれは何をするのか、料学とつきあってどういう生き方をしていくのかということが問われるんだということです。
  「現代の穢れ観」のところに私は、似非科学的思考といいますか、「清め塩」というのは「塩の殺菌力がある」などとまことしゃかに伝えられたりしますが、これは一見科学的説明のように見えますが、呪術に取り込まれているのと同じです。つまり、練金術のレベルがいまだに私たちを閉じこめているのと同じなのです。それについて重要なのは、呪術と闘う合理的精神に支えられた科学教育である、と書いています。その合理的精神を支えていくには相当な努力がいると思います。科学が進んでも、進んだ科学技術によって人を殺戮する道具を一方で作り出してしまうわけですから、命の尊厳や人権を大切にするということから、私たち自身がしなければいけない努力の広がりは大変厳しいものがあるかと思われます。
  私たち僧侶の生き方の中で、どういった生き方をするのかという提言が本来の布教伝道であると考えております。その実践の一つとして、葬儀で遺族の悲しみと共にいるように努めます。
そこで羽江先生の資料では、「忌中」のかわりに、「悲中」と書くとおっしやっておられますね。シンポジゥム資料集の二十二頁に紹介しましたが、私たち僧侶の仲間で「還浄」という紙を貼っている例があります。これは「浄土に還る」という、死は穢れではないことを打ち出しているわけです。
  「忌中」という一種の死穢に対するまじないが「還浄」という紙で置き替わったのだと思われるかも知れませんが、そうではなくて、これは教義的にも議論があって、故人は浄土に還るのだという意味ですが、深刻な議論が進行中であります。単なるまじないの問題ではなくて、信仰によって救われるということ、信仰によって私たちの生活がどう支えられているのかということを、この問題から学んでいくという作業を、広島を中心にして拡がりつつあります。
  つい見逃してしまいそうなこのようなことにも、様ざまな拡がりがあるということを紹介させていただきました。
◇村田
  次、木津先生、お願いします。
◇木津
  先程から「清め塩」とか、「六曜」の「友引」の話がでてきましたが、「友引」というのは「友を引く」のではなくて、「引き分け」という意味なのです。「勝負なし」「ともに分ける」という意味で、それを語呂合わせ的に「友を引く」と言われています。「六曜」についてはみなさんよく勉強されているので、「六曜はどこから始まって、どこで終わるの」と聞かれたらすっと答えられると思いますが、案外多くの人は、六曜の順番を正しく知っている人は少ないのです。私は大阪市役所の労働組合の幹部百十七名にアンケートをとらせてもらったことがあります。労働組合の幹部だからそれぐらいは知ってるだろと思っていたのですが、見てびっくりしました。誰一人として六曜の順番を知らなかったのです。
  しかし、彼らはちゃんと「大安」「友引」「仏滅」という言葉は知っていた。私は当時の委員長と親しかったので、「大安てどんな日や」と聞くと「いい日だ」と言いました。「どんなようにいい日なのか」と聞くと、「いや、私は知らないけれど、みんなが言ってる」と言った。人が言うからそれを真に受けて、いい日だと信じ込んでいる。「友引は」と聞くと「葬式をしない日だ」と言う。「なんでや」と聞くと「友を引っ張っていく」と。これは語呂合わせですね。ここで友引にお葬式して、友が引っ張っていくのを見たことがある人は、後でいいですから、こっそりと教えてください(笑)。
  「仏滅」というと今は「仏が滅する」と書きますが、明治三十五年から三十六年以前のカレンダーを見ますと「物滅」と物が滅すると書きました。もともとが「物が滅する」という意味なのです。それが当時の暦屋が書き替えてこのようになって、それでカレンダーがよく売れるようになったと言われている。
  「清め塩」についても、どうですか、みなさん。お葬式に参列しただけで、ほんとうにケガレると思われますか。そこでもらった清め塩をどうされますか。使う、使わないは自由ですが、そこに一・五グラムの塩が入っていると言われています。一・五グラムの塩で清められるケガレとは、どんなものだと思われますか。死とは確かに悲しいことです。例えば、私のおばあさんが死んで、何がケガレているのか、と私は言いたいですよ。
昨日まで一緒に生活していて、朝起きたら亡くなって、途端に、何がケガレるのでしょうか。二度とおばあさんと話すことも、姿を見ることもできないけれど、それは悲しいことであり淋しいことです。それは何もケガレではないと思います。
  一昨年の五月二十八日、三重県四日市市の仏教会が「友引の日に葬儀をしないことと、清め塩を使うことを取りやめる」ことを決めました。伝統的な九つの仏教教団が足並みを揃えて、これを廃止したことは、画期的なことです。その中でとくに、「死はケガレではない」と公表し、朝日新聞を中心に大きく取り上げられました。「死はケガレではない」ということになると、これまで宗教学者はじめ民俗学者など多くの学者、研究者は「死はケガレ」ということでとらえてきたから、それを根底からひっくり返すような大きな問題です。仏教教団や神社所もひっくるめて、宗教教団では大変な問題をかかえたと思います。
「死はケガレではない」というこの取り粗みに対して、私たちは高く評価しています。
  レジュメに「穢れと清めについて」という、シンポジウムが終わってからも活用していただくために長めの資料を作成しましたが、「歴史的事実として」として掲げました。
  長野県のある対で、お葬式が終わるとその帰りに被差別部落にやってきて、部落の家でお茶をよばれるとケガレが落ちるという、「ケガレ祓い」がついこの前まで行われているというのです。そのお茶をよばれに行く人は一定の目的をもって行きますが、来られる方は「あの人、何しに来たのやろう」と、わけが分かりません。「葬式の帰りにお茶をよばれるとケガレが落ちるから」ということを言いませんから、長い間このことが分からなかった。私たちが差別戒名の調査に入って、初めて分かったのであります。被差別部落の人は死んだ後も差別的な戒名をつけられているという実態調査に入って、その過程で分かってきたのであって、調査に入らなかったら今も続けられていたかも知れません。
  その中で、そんなことを信じている人がたくさんいることが分かった。そしてお坊さんも神主さんもその差別的なことを知っていたことに、とくに怒りを覚えました。日頃はお釈迦さんの教えを説き、万民の平等を説くと言うのなら、そんな差別的な実態、迷信を信じさせることに反対するのが本来の役目だ、と私は思いましたね。
  江戸時代の貞享二年(一六八五)、奈多村の若宮神社の縁の下で、女の人がお産をした。これを見つけた神官は寺社奉行に注進した。寺社奉行はお産によって社殿がケガレたとして、社殿の取り壊しと、その敷地の土を深さ七尺、ニメートル以上も掘り出して海岸に捨てさせて、新しい土を入れ替え、その上に社殿を建て直した、と古文書に記録されています。その仕事を誰にさせたかというと、当時の被差別部落の人にさせたのです。
七尺もの土を取り除くという異常さは、当時の武士階級や庶民に驚異と衝撃を与えた。ケガレたとされた社殿の取り壊しと、土の掘り出しを当時「穢多」といわれた被差別民衆に課した。
ケガレに対する恐怖心を煽ると同時に、その始末を被差別民衆にさせることで、「穢多」への嫌悪感や差別感情を増幅させた。
権力にとって二重、三重の役割を果たしたといえます。「みせしめ」としてやったということです。古文書では「狂女」と書かれていますが、これは健常者であっても気が狂っているから、そこが聖域であることがわからないで入ってきたと狂女扱いをして、すり替えをやるわけです。
  「ケガレ」の問題ですが、仏教における浄穢の意識とか、神道における禁忌の意識を裏付けるようにある結界石が今も各地に残っている。岐阜県飛騨一宮水無神社の「不許汚穢不浄之輩入境内(おえふじょうのともがらけいだいにいるをゆるさず)」、鳥取県三仏寺の「忌穢不浄輩禁登山(けがれをいみてふじょうのともがらとざんをきんず)」、和歌山県では「禁殺生穢悪(きんせっしょうえお)」の結界石が、今のところ十三本見つかっています。この「禁殺生」は分かりますが、なぜ「穢悪」と石柱に刻まれたのかということです。明暦二(一六五六)年、紀州藩の文書には「那智大社を中心に三十三本の結界石が立つ」という記録がありますが、これはどういう役割を果たしてきたのか、ケガレ意識をどうして広めてきたのかといち貴重な証となると思います。二、三のところではこの結界石を取り除いて隠してしまっと聞いています。私はそこに立て札を建てて、結界石の意味を明記して、みんなで一緒に考えてみたいと思っています。また、明治時代の文部省編纂の『古事類苑』の中にある「五体不具穢」というのは、「身体障害者のこと」だということを少し言っておきます。
  次に「女人禁制」についてですが、大相撲の問題も含めて、いま奈良の大峰山を中心にかなりクローズアップされています。
大峰山は「女人禁制」を解くか解かないかで、非常にゆれています。この機会に解こうというのと、解かないという修験者などの反対にあって現在白紙になっています。私は四年間にわたって、全国の女人禁制の神社、寺院、山などについて調査しました。いろんなことが分かりましたが、ここでは二つのことだけ報告しておきます。一つは、「女人禁制」というのは神や仏が決めて作ったものではない、人間が自分たちで決めて作ったということです。もう一つは、多くの宗教者から「女人禁制に差別意識はない」「ケガレ意識はない」と聞いたときは、正直言って、唖然としましたね。私は、ほんとうに「女人禁制」に差別意識はないのか、ケガレ意識はないのか、と問いたいなと思っています。
  最後に、みなさんにお聞きしたいのですが、障害をもっているお坊さんに出会ったことがありますか。障害をもっている神主さんに出会ったことがありますか、どうですか。今の時代やとおられるかも知れませんが、非常に少ないのと違いますか。
先程にもありました「五体不具穢」ですが、一八七二(明治五)年に廃止令がでます。それまではお坊さんが怪我をして障害者になると、僧籍を剥奪されて、お寺を追放された。神主さんも一緒です。すなわち「障害者はケガレている」ということで神社や寺院にいれなかったという事実があるということです。
「女性はケガレている」として、いれなかった。これは女性差別だと思われませんか。そして被差別部落の人は当時「穢多」といっていれられなかった。こういう歴史的事実があるということを、みなさんに知っていただきたい。そして、日常生活の中で何気なく使われている言葉、ケガレ意識もひっくるめて、身近なところから考えていただきたいと思います。
◇村田
  休憩後の交流会とありますが、質疑応答、討論をふくめて始めたいと思います。二、三質問が出ています。初めに「六曜」についての質問で、「三十代、四十代で信じると答えた人が多いとありますが、それをどのように分析されていますか」という、かなり難題と思いますが。
◇小笠原
  ものすごく難題(笑)だと思います。ちょうど私の世代になるわけですが、これは何も三十代、四十代に限らないと思うんですね。確かに高齢になればなるほど、年を取られている方は、古い教育なり文化の中で育っているわけだから、古い風習に惑わされる方が多いんじゃないか。ところがアンケート調査の結果では、それすら偏見であるということが分かると思います。
一つは六曜そのものが科学的にまったく否定されきっていない、もしくはそのような教育が行われていない現状が、この答えを出しているのでなないかと思います。こういう学習を通して、迷信というものの実態がようやく形をもって分かりかけてきたことが、われわれの現状だと思うんですね。若い人の中にも占いとかがブームになっている背景として出てくるのであって、たまたまこのアンケートでは「六曜」に対して反応された方が多かったということで、さらに細かく調査をすれば、もっと広範囲の人に散らばっていると思います。
◇藤範
  私の打田町の調査結果にもそのように出ていますが、三十代、四十代の方々は生活の中心になっている方々であって、関わりが多いなかで生活されている年齢層である。高年齢の方になれば、もう日常生活でそんなわずらわしさはないんですけれど、その世代は日常生活で「六曜」とかの関わりが深いから、そんな結果になったんだろうと思います。それだけ社会のなかの「六曜」などに対する考え方が、まだまだ厳しいなあと、そんな見方をしていましたけれど。
◇村田
  私からも一言だけ言わせていただきますと、全体として見ると、どの各世代もあまり差がないのです。全体の数値として圧倒的に多いんですよ。六十パーセントで、これにぼくはまずびっくりしますね。実は迷信とか共同幻想、偏見、社会意識とか、こんな状態の意識はいろんな言い方をされていますが、一つの意識が社会の過半数をとらえると、非常に大きな力となることを、われわれは認識しなければいけないと思います。しかも何十年、何百年にわたって、ずうっと受け継がれてきた迷信というのは、なかなか手強い相手だとまず考える必要があります。
だから、簡単にこれは迷信だから、似非科学だから、本質が分かったらすぐに消えて無くなるんだと、それはちょっと安易に見過ぎているという気がしますね。誤解と偏見は違うんですよ。
誤解は間違って理解しているから、これはこうだと説明してもらえれば、ああそうかと納得して次からなおるわけ。しかし、偏見はいくら論理を正確にしても、聞いて「なるほど」と分かっても「しかし」となって、また同じことを繰り返す。やはり部落問題、女性差別、障害者差別もそうですが、これらを習俗的差別という人もいるのですね。習俗の中に根付いている差別。
これは迷信と言おうと、共同幻想と言おうと、社会意識と言おうと、イデオロギーと説明する人もありますが、やはり実態は根強いもので、そう簡単にはいかない。だから非常にねばり強い努力、わずかでも少しずつでもいいから潰していく。例えば手帳に六躍を採用しない企業を一つでも二つでも増やしていく。
しかしこういうものは、ある一定の勢いがついたら、かなり速やかになくなる可能性はありますね。迷信のたぐいは、初めは徐々にであっても、地道に続ければ、ある時間がたてば消滅に向かう可能性はあると思います。私はこういうアンケート調査の結果をそんな見方をします。迷信だからすぐになくなると簡単に思うのでなくて、もっと強敵に思って、ねばり強く、根気よくやらなければならないと思います。
  小谷さんへ、「太田知事が土俵にあがる問題についての世論調査で、女性の反対者が多いのはなぜですか」という質問です。
◇小谷
  長い間の男性中心の社会に生きてきた結果、男性にとって都合のよい女性として教育されてきた結果だと思います。差別意識を砕いていくことは差別とたたかうことになると思うし、例えば、女人禁制の結界石のある大峰山へ登った十数名の女性たちに、道中で会ったある男性の信者は「ようお参り」と言ってくれたり、別の男性は「罰当たりめ」と言ったり、いろんな観点の人がいます。高齢者はしきたりを重んずる教育を受けてきた結果だと思うんですが、ご理解いただけたでしょうか。
◇村田
  「五体不具穢について、身体障害者はケガレているということで社寺から追放させられたという、裏付けになるような資料や文書があれば、教えてください」ということです。
◇木津
  言い伝えとして、何人かの人から聞いています。もちろん神社庁関係の人からも話を聞いています。私たちは調査する限りは、できるだけ古文書とか証拠になるものを中心にやっていきたいと思うのですが、権力は都合の悪い文章をいつの時代でも残さないのが常なのです。裏付けになる資料をかなり手を拡げて調べています。神社庁とか何人かの宗教研究家に聞くと、「そういうことは慣例として、言い伝えとしてある」と言われています。そういう古文書をこれから調べたいと思っています。
◇村田
  他に何かお聞きしたいことなどありませんか。それでは、私の方かち質問したいと思います(笑)。小笠原さんにお聞きしますが、「業による輪廻」についてもう少し詳しく説明してほしい。とくに、ケガレと業による輪廻が結びつくことについて、近世でこれは非常に大事なことだと思いますので。
◇小笠原
  単純に今の私たちの意識を問いますならば、私たちは日常的に「自業自得」という言葉を、仏教徒であろうとなかろうと使います。「私の業の結果を私が得る」、別の言い方をすれば「因果応報」ですね。ところが、江戸時代以来説かれてきた内容は「様ざまなわれわれの現実は、前世にわれわれが作った業(行為)による」という考え方です。先程の「五体不具穢」とかの差別の現実問題をすべてケガレとした場合に、そのケガレは前世に作った業によって今受けているのだということになります。
差別というのが社会的な制度、社会的な矛盾によって生じるのではなくて、その矛盾を作り出したものは個人の責任になります。私が前世の業によってこの差別を受けるのだ。それはいま業を果たすことによって、来世へまた行くのだという考え方ですね。
  マックス・ウェーバーという人はこのことについて、「人間はみんな預金通振を持っているのだ」という言い方をします。
生きている間にいいことをすれぜプラスされ、悪いことをするとマイナスされる。最期に収支決算してプラスの場合は、次はいい所へ行けて、マイナスの場合は悪い所へ行くというふうに説明しています。それがまさにわれわれの業による輪廻の考え方です。
  ヒンズー教の僧侶の方々がこのことを説明するのに、「死んで生まれる、生まれ変わることだ」ということを、「生まれ変わることは洋服を着替えることだ」というのです。つまり私たちの中身は変わらずに、前世、現世、来世とどんどん生まれ変わり死に変わりしていくのは、その時代の肉体という着物を着替えていくことだと説明されています。それがケガレと密接に結びついて、現世の身分制度を肯定して完成するのが、インドの力ースト制度の論理だと言われています。いまお話した考え方はバラモン教以来、ヒンズー教の中で完成されたカースト制を説明するものです。
  ところが、仏教はもともとヒンズー教の革新的な考え方だと言われましたが、まさにその通りでして、釈迦はその業の主体を否定することによって業による輪廻そのものを否定するという、論理的に非常に難しいことを説いていくわけです。これは現世の私と前世の私は違うんだと言うわけですね。そのことによって、業そのものが何か一つの主体に固着したものでなくて、新しい世界に入っていく時には何らかの形で変化があると釈迦は説いたのです。そのことにより業による輪廻を否定したと言われているこ亡です。
  ところが、実は否定したはずの業による輪廻の考え方が、私たち浄土真宗本願寺派などの同朋運動という取り組みのなかで、私たちの教学、教説を点検していきますと、釈迦ではなくてヒンズーに近い考え方に傾いていってるのです。前世の業によって現世の業はあるのだという論理を使うのです。誰も前世のことは分かりません。もちろん、前世が何であったかということに関心の中心があるのではなくて、それは現世を肯定するために使う論理なのです。結果的にはそれに誰も文句を言わない。
それはその社会を支配する側にとって極めて有効な民衆統治の論理になっていくわけです。
  だから、様ざまな矛盾は社会矛盾として主張されないわけです。例えば身体障害の問題で考えますと、車椅子で外へ出たら段差はあるは、階段はあるはでどこへも行けないじゃないかという現実があります。それを、業による輪廻を使えば、それは車椅子に乗っているあなたが悪いのだ、前世の業によって今車椅子に乗っているからあなた自身が悪いのだ、と言えるわけでして、これは支配の側にとっては非常に有効な論理となります。
そのために何らかの予算を割く必要はないということになってくるからです。一人ひとりの主体的な活動や尊厳をまったく認めていかない、社会の構造をそのまま安定的に保っていくことだと私は考えています。
◇村田
  木津さんに質問したいのですが、結界石とか結界門とかは女人禁制が多いように思われるのですが、昔はこの禁制を破った場合、どんな制裁が行われたのかといった点はどうでしょうか。
◇木津
  私もその点を注意して古文書なんかを見ていますが、結界を破った場合というよりも、破られないという前提の方が強いですね。たとえば女人禁制の山に登っても、登ったことを認めない、記録に残さない。例えば昨年八月一日に奈良県の女性の先生たち十三人が女人禁制の大峰山に登った。それを知った地元洞川の区長をはじめ二十名ぐらいが下山してくるのを待ち構えていて抗議をした。かなりやりとりをした。その時に「あなた方は道を間違えて、道に迷って、ここへ下りてきたのだ。だから、あなた方が女人禁制の大峰山へ登ったことは認めません」といわれた。先生たちは「私たちはあなた方に認めてもらうために登ったのではない。私たちは女性差別を知るために、事実を知るために大峰山に登ったのだ。女人禁制というのは女性差別だ」と言って、話は平行線だったようです。ですから、結界を破ってどんな制裁を受けたということについては記録はないのです。私も歴史的事実としてそれを知りたいと思って、いろいろと調べましたけれど、残ってないことを改めて知りましたね。登っていても登ったことを認めない、また、気がふれているからそこが女人禁制だということがわからないとかいって隠すというか、すり替えをやる。今まで私たちも大峰山の山の上で何人かの女性と会ってますよ。登っているのに、登ったということを認めたくないから、記録に残さないと思います。
◇村田
  地域的にみて、結界石とか結界門とかは一番どこが多いですか。
◇木津
  北は北海道の色丹半島の神威岬に女人禁制の結界門があります。青森も調査しましたし、有名なのは山形県の出羽三山の、羽黒山・葉山・金峯山ですね。今は女人禁制は解かれていますがなぜか大きな「女人禁制」の結界石が建っています。いろいろと全国的にあります。田辺市の闘鶏神社や新宮市の速玉大社などに「禁殺生穢悪」の結界石があります。また、この近くにも食五辛穢としての「不許葷酒入山門」の結界石がありますね。
お寺の入口の所にあるのを、みなさんは見たことないですか。
この辺でいうと通称紀三井寺とか、この近くでは和歌山駅前の法輪寺にありますわ。「不許葷酒入山門」とはどういう意味かと言いますと、酒を飲んでいる者、ねぎ、生姜、ニンニク、らっきょ、ニラなんかを食べてる者は入ったらいかん、ということです。この中で酒の好きな人がいるかも知れませんが、酒を飲んでいる者は三日間お寺に入ってはいかんということで、三日目に1度酒を飲んでいたら一生お寺に入られない(笑)というものです。いま守られているかと言うと、私は守っている人は少ないと思います。いわば不要の結界石が全国的にあるということです。とくに禅宗三派を中心にありますね。
◇村田
  たとえは、女性が男性の格好をしたりして「男性や」といったら(笑)、それはいけるのですか。
◇木津
  昔から「言い替え」とか「すり替え」とかあって、例えば寺の和尚が酒を飲んだらいけないのに酒を飲んで、「いや酒は飲んでません。般若湯を飲んでます」と言うのです。天台宗では菊水とか天水とか言って、すり替えをするのです。結界石がどんな役割を果たしてきたのか、私たちは僧侶の側にもこのことについて改めていくということですね。大阪の豊中では、東光寺の和尚が「結界石は自ら撤去すべきだ」と言って、撤去運動しました。ただ撤去してしまうだけでなくて、そこに立て札でも建てて、これはこうした意味でどんな役割を果たしてきたのか明示してもらいたい。一つの啓発に役立ててほしいと思います。
◇小笠原
  木津先生のお話を聞いていて、浄土真宗は少なくとも「肉食妻帯」といって肉を喰ってもよければ結婚してもいいと、親鸞聖人以来今も続いているわけですから、江戸時代、浄土真宗は仏教ではなかったんじゃないかと今ちょっと危倶したんですが。
  そこで私たちは重要に考えなければと思うのは、ケガレたものは救われるのかどうか、の問題があると思うんですね。浄土真宗の江戸時代の話で、妙好人伝というのがありまして、ケガレに対して宗教がどう取り組んだのかという事例であります。
たまたま神社で相撲の興業があって、妙好人という浄土真宗の篤信の信者が通りかかってそれを見ていたのです。途中で力士が大怪我をした。興業していた人が「これは神社にケガレが混じり込んだからだ」と言い出した。見物している人たちを見回すと、一人のみすぼらしい身なりをした男がいた。それが、この妙好人なのです。身なりからこいつは「穢多」だとして、男を皆で袋たたきにしてしまう。「穢多」とされた男は実は「穢多」ではなかった。その男は家へ帰って、「私は今日、穢多に間違えられた。これはうれしいことだ」と妻に言うわけです。
なぜなら、浄土真宗は「悪人正機」だから、社会的に最も底辺の人間に間違われたことは、私の往生は決まったと言って妻に喜びを語った、と妙好人伝という編集された本に残っているわけです。今聞かれたら、救いがないことをお分かりいただけると思います。
  現実に私たちの救いは「悪人正機」だということです。これは、少なくとも来世の救いによって今の苦しみを忘れるようなものではありません。ケガレが入って来たから力士が怪我をしたことにつながっていくものでは困るわけです。それと闘っていくのが本来の仏教ではないのかと思います。
  私たちはまだ徹底的に因習や偏見などを批判しつくしていないのではないか、と私は申し上げたかったのです。それが未だに因習や偏見に縛られている原因ではないか、と私は思っています。
◇木津
  今の話とよく似た話があります。私が古文書で見たのは、熊本県矢部町の城平で、江戸時代に巡業相撲が来て素人と相撲をとったプロの力士が負けた。そこで負けた理由を、「この中にケガレている者がいるから負けたのだ」と言って見回すと「穢多」がおった。そしてみなでこの「穢多」を袋たたきにしたという。そんな話はたくさんありますね。
  みなさんにお聞きしたいのですが、一人ひとりどんなケガレ観を持っていますか。中には汚いことをケガレだと思っているかも知れないし、畏怖観というか恐怖、たたりをケガレだと思うかも知れないし、ある人はそんなものないと言うかも知れませんが、一人ひとりが持っているケガレ観はどういうことを言いますか。この中でケガレの実態を見たことがある人はいますか?ありましたら、後でこっそり教えてください(笑)。民俗学とかいろいろなところで議論をされてますけむど、今のところなこれがケガレだといった定説がありません。解明しようにも実態がないから解明のしようがないのですよ。虚像的な考え方に振り回されて、嘘でも百ぺん言ったら真実のように聞こえるように、そんな意識が日常生活の中にも入ってきたんじゃないかと思っています。一人ひとりが持っているケガレ観はどういうものがあるのか。そこからケガレの問題を考えていくとっかかりにしてほしい。この辺はどうですか、人が死ぬと神棚に白い紙を貼る風習はありますか。あれは何のために貼りますか。
どんな意味があるのかちゃんと知っていて貼っていますか。この辺は誰が貼りますか。葬儀屋が貼りますか。前は茶碗なんかも身内が割ったけれど、そんないやなことはみな葬儀屋に押しつけていくわけです。私が調べたところでは、もともとは組当番というのか葬式当番というのか、そこの最年長が貼るのです。
だいたい全国的に四十九日に剥がすのですが、この辺はその時は誰が剥がしますか。古文書などでは貼った人が剥がすようです。ほとんどの人は何のために貼っているのか知らないですね。
ケガレとのかかわりで、その時自分がどういうケガレ観を持ったのかということを、じっくり考えてほしいということです。
◇村田
  ケガレといっても、清め、拭い去ることのできるケガレと同時に、被差別民の中に拭い去れないケガレを持つとされている人びとがあるという問題が、非常に大事だと思います。それがどういうケガレかというと、実際はなかなか定義できないわけです。斎戒沐浴、すなわち清めたらケガレがとれる場合は、まだそれなりの救いがあるわけです。拭い去ることのできないケガレがあるとされている人びとの場合はどういうことになるのか、という問題があると思います。ケガレで一番素朴な感覚は、動物の死体でも人間の死体でも腐ったら同じですけど、これを見たら汚いと感じることでしようね。それがケガレだとしたら、ケガレは実態のあるものになるのですが。それと、ケガレが甲から乙、乙から丙へと移っていくという場合、そのケガレは実態的なものではないか、という説があるんですね。一般的には人と人との関係、人の集団と集団の関係、つまり社会的な関係なわけですから、ケガレというのは見えないわけです。一方インドなんかでは、聖なるガンジス川はあらゆるものを清めるというのです。だから彼らは一生のうちに一度は、ガンジス川へ行って川の水を浴びて浄めたいと願っているのです。インド人はケガレに対して浄穢観念が強いのですが、ガンジス川に動物の死体が流れていてもケガレているとは思わない、平気なわけですよ。
  そもそもケガレとは何なのか。ケガレについての一般的な定義は、メアリー・ダグラスのケガレ論がいいと思います。かなりのことが説明できるのです。たとえば、死のケガレとは何だ。死は生という秩序に対して最大の撹乱要素です。しかも、死というものは人間の力ではコントロールできないものです。つまり、秩序に不安を与えるもの、秩序を撹乱するもの、それと同時にそのものの力を人間がコントロールできないもの。これがメァリー・ダグラスのいうケガレ論の大きな要素なんです。小谷汪之が最近出した『穢れと規範』はとても参考になります。彼は「マヌ法典」によって、インドのケガレを六つか七つに分類して、いろいろと説明しているのですが、そのうちでケガレを、拭えるケガレと拭えないケガレを抽出して、それが一定の事情で社会の下積みの仕事をさせるものにケガレが付着すると見られた場合に、アンタッチャブル(インドの不可触民)になる、という説明をしています。私はこれはかなり説得力があると思います。
つまり、単なる賎、身分が賎しいというだけでは被差別民にはならない。身分の賎しい賎と穢、穢れというのを重合した場合、しかも拭い去ることのできない穢れが身分の賎しい人と二重にかかわった場合、いわゆる被差別賎民が発生するといいます。
なぜ今ケガレが問題になっているかと言いますと、現在の反差別運動、差別と闘う、差別から解放される運動に非常に関係があるわけです。冒頭に紹介した民衆の意識からケガレ論が出てきたのか、権力がケガレ意識を押しつけたのか、それが代表的な意見です。これがなぜ問題があるかと言うと、権力が押しつけたものなら権力の押しつけを取ってしまえば基本的にケガレは解消することになります。現在は権力によるケガレの押しつけはなくなっていると思うのです。ケガレていると決定する法律はないわけです。そうすると政治権力説から言えば当然ケガレは無くなっていてもいいわけですが、現実には、ケガレ意識にもとづく偏見は存在しています。マルクスという人の説にありますが、「一定の意識が社会の過半数の人をとらえた場合、その意識は物質的な力を持つ」というのです。この物質的な力は目には見えませんけれども、社会の大半の人をとらえて社会的意識となる場合は、非常に大きな力をもつと言っているのですね。ケガレ問題は難しいので、あちこちでもっと議論されたらいいですね。私は「女人禁制」は全部女性差別だと思いますけれども、現在の社会における人びとの意識の状態を示す問題として、しかも差別と極めて密接な関係のある意識として、ケガレ差別はあるのではないかと思います。ただ、ケガレと差別とがどういう風に関わるかを歴史的に検証した場合、非常に難しいですね。古代なんかは直接に結びつくかどうかは極めて疑問です。しかし、中世後期から近世にかけてそれが浄、不浄と結びついてきた場合、非常に大きな差別になる可能性があるのです。
◇藤範
  女性差別とケガレの問題というのは非常に関係が深いわけです。ある住職の話なのですが、「うちの坊守(住職の妻)が檀家へお参りに行ったら、出してくれていたお布施がすっと下げられて、また出されてある」ということは、女性だから住職でないのでお布施を替えたということなんでしようね。それほど檀家の人たちも女性の僧侶にたいする偏見というのか軽視されているというようなことが、ままあるわけです。うちの宗派ではかなり昔から女性も住職になれるのですが、未だに教団によっては女性は住職になれないとも聞いています。檀家の方々も女性を軽視する見方をしている。例えば葬式に女性ばかりの僧侶だと、「なんや、女の坊さんばっかりやな」と口にする。そういうことを口にするのはむしろ女性に多いんですね。先程来の小谷さんの話からすると、「女性の敵は女性や」というようなことは言えるのではないかと、考えたりもするのです。
  実は、私の教団では、十月に鷺森別院で「同朋運動五十周年記念法要」を行う計画でいま実行委員会を作って進めています。
五十年前に亀川差別事件があり、人権擁護委員が講演の中で「ハンセン病に生まれたのも、部落に生まれたのも、前世の因縁が悪かった。前世の業だ」と、「宿業論」を解いた話がありました。和歌山教区同朋会では、この問題を「仏教の因果論を曲解し、それを悪用して部落差別の根拠としている」と位置づけ、運動を展開しましたかそれが教団の中での同朋運動を進めてきた一つの契機になっています。今年がちょうど五十年になりますので同朋運動五十年の記念の法要をお勤めするのですが、内陣出勤といいまして本堂の上でお勤めするご住職を、全部女性の方にしてもらおうではないか。司会、進行も全部女性にしてもらう試みを取り組んでいます。かなり画期的なことではないかと思いますので、ご披露させていただきました。
◇木津
  それに関連してですが、結婚差別事件の調査に入ると、初めはいろいろ理屈を言いますが、最終的には何がネックになっているかと言いますと、「部落の人と結婚すると、血がケガレる」という発言がよくある。そこには家柄、家意識とかいろいろな問題があると思われるけれども、「部落の人と結婚すると、血がケガレる」と言われる根拠は何かという分析が必要になってきたのです。そうすると、偏見や予断、迷信とケガレの問題があります。
  差別の根源の一つである「穢れ」の問題について、部落解放同盟中央本部は一昨年の全国大会で、「ケガレ意識と家意識の問題をセットで取り組む」という一つの運動方針を掲げたわけです。学者とか研究者が研究するのは有り難いのですが、ぜひみなさん方にも知ってもらいたいのは、「ケガレと部落差別とがどうかかわってきたのか」という、ここを大事に研究して、発表してほしいと思うのです。多くの先生方は、ケガレ意識と部落差別がどうかかわってきたのか、ということに触れられていない。ここを私たちも是非みなさんと一緒にクリアーしたいと思っています。女人禁制についても、大相撲の土俵の上とか大峰山だけでなく、私たちの日常生活の中で女性排除や女性蔑視はないか、と言いたい。例えば、横綱千代の富士が引退の断髪式のとき、三人の子どものうち男の子だけが土俵の上にのぼって父親のマゲにハサミを入れたけれど、女の子は下でそれを見ていた。その時にマスコミがどれだけこのことを取り上げたのか。その時に取り上げないでなぜ今女性の知事だからといって騒ぐのか。日常生活の中で女性排除、女性を差別的に扱ってないかどうか、身近な問題を知ってもらいたい。今お寺でも神社でも一般的には女性の方でもだれでも入れると思いますが、しかし、宗教の根本的なところではまだ女人禁制の所があるのではないかということも、併せて考えてもらいたい。ただ派手やかな土俵の上とか、大峰山の山伏と対峙するような宗教を向こうに回して議論することも大事ですが、私たちの日常生活の中にも女性排除、「女人禁制」はないかということも併せて考えてもらいたいと、私が一番今日言いたかったことなのです。
◇竹内(会場から、教員)
  今の木津先生のお言葉に力を得て、ちょっと意見を言ってみようかなという気持ちになりました。大峰山に登ったという奈良の先生たちに、二月に私たちも伺じ仲間として話を聞いてきました。実は奈良は和歌山よりもずっと、日常生活の中に男と女を分けることから差別を生んできたのではないかという取り組みが進んでいまして、男女共生教育とかジェンダーフリーとか呼ばれていますが、教室の中で男女を分けたり、リーダー的役割に知らずと男の子が出てきている現状を、教育の中から改めていく取り組みをしてくる中で、「大峰山に女性が登れないのは差別じゃないか」となされたことを付け加えたいと思います。じゃあ今年はどうするのということになって、十人なんかと言わずに百人でも行こうか(笑)という話になっていますので、楽しみにしていただければと思います。それからもう一つ、先程「女性の敵は女性ではないか」という話に少し反論したいのですが、それは小谷さんが明確に答えていただいたので敢えて反論はしませんが、大峰山へ登った仲間の話では「ようお参り」という声も多かったのですが、罵声というか、「今度から女のトイレに入ってやるぞ」という感じで言われたときに、やはり恐かったと言うのです。中に女の子どもさんを連れている人がいて、その女の子が何日間は一人で眠られなかったほど恐い体験をしたのです。先程もケガレについて、権力なのか民衆なのかというお話があったのですが、権力というのは単なる政治権力だけでなくて、集団の中に権力としてありますよね。私たち女性はどうしても恐い、脅されたらどうなるかという暴力の形で、それはやはり男性から受けることが多いのですが、それを身近には権力というものとして私の中では混ざってあるので、その辺との絡みでも考えていただけたらと思います。
◇村田
  ありがとうございました。まだご意見がありますか。そうでなければそろそろ終わりたいと思います。私に総括せよとなっていますがそれもやめまして(笑)、簡単にそれはできませんからね。こういうシンポジウムは、一つはケガレ論的な意味でも歴史的にも現実的にも深めなければならないという問題と、もう一つはそういうことをいくら議論しても現実は少しも解決しないという問題がありまして、この「六曜」とか「清め塩」なんかを手掛かりに、できるだけ取り組みやすいところから私たちは少しでも問題の解決に行かなければならないと思います。
先程会場からの女性が言われた百人ぐらいで禁制の登山をやったら、非常におもしろい。煽動するわけではありませんが(笑)、百人も行ったら大勢力ですからね。そういう実践的な見地からも、みなさんの経験を汲み上げて、共有財産にしていく集会も必要だろうと思います。研究所としましても、研究所は基本的に研究するところてすが、運働のきっかけをつくってもいいと思うこともあります。研究所としてもできることは実際にやっていきたい止思います。今日のシンポジウムは、必ずしもまとまった話にはなりませんでしたが、いろいろと実践できる方はしていただきたい。秋と来年の春と、少なくともあと二回ぐらいはケガレについてのシンポジウムを持ちたいと思います。本日はどうもありがとうございました。

 
部落解放・人権和歌山第3号
編集・発行
和歌山県部落解放・人権研究所二〇〇〇年九月