還浄あるいは忌中についての資料。
他にここにあげていない資料等がありましたらお知らせ下さい。
同時に原稿も募集します。
忌中札 還浄殿 広島別院還浄碑
中陰の間に張る、忌中札  西本願寺が親鸞聖人御往生の地と定めている地に建つ「角坊別院」の扁額(安政3年1856年)
一番古い「還浄」という言葉と思われる。
建立1930(昭和5)年 別院仏教婦人会の前身「淑徳婦人会」の納骨堂として作られ、現在も御骨が納められている。
なぜ「還浄」と彫られたのかは不明。 
資料提供・小武正教


一住職の質問状(尺一氏の質問状) 還浄及び僧侶の質問機関について、本願寺への質問状
せいてん44(深川師) 「季刊せいてん『浄土へかえる』についての文」
せいてん47その一(沖師分) 上記の深川師への反論
せいてん47(沖師分)元原稿 元々この文章が紙面の都合上上記の文に成ったようです。(初公開)
せいてん47その二(深川師分) 再度、浄土へかえる(還浄)について
中外日報・沖師論文 中外日報に掲載された、沖師論文。
公開にあたって沖師コメント 当ページに公開あたり、沖師からコメントを頂きました。
文化時報記事 尺一氏の質問状についての文化時報の記事
沖師より尺一氏への手紙 私信ですが、一読下さい。
尺一氏より沖師への返信 尺一氏の意見です。ちなみに尺一氏や私の回りには、忌中も還浄も 札は張りません。
本願寺より尺一氏質問状への回答 教学研究所所長・石田慶和師が尺一氏の質問状に総局の要請により答えられました。
尺一氏の一応の総括です 尺一氏自身の一応の総括です、これ以後はなぜ僧侶や門徒の質問機関が宗門内に無いのかを政治的に追求していくと言っておられます。
信楽師の還浄記事 中外日報に掲載された信楽師の記事です。※智寧さんのページに公開されてますのを無理を言って直接リンクを張らしていただきました。
沖師より信楽師へのコメント 沖師より信楽師の記事に対するコメントをいただきました。
尺一氏の石田先生への質問状 石田先生の回答に対する、再度の質問状です。石田先生の「つれてかえっる」の典拠を問われています。
大乗に書かれた小山一行氏の文 大乗の掲載された小山一行先生の文に還浄に対することがありましたので抜粋して載せさせてもらいました。
中外・読者のひろば 中外日報2000年2月3日「読者のひろば」に掲載された記事。 残念ながら、投稿者に連絡をとっておりませんので、公開は差し控えさせてもらいます。 必要な方は連絡していただければメールで送ります。
同朋運動としての「還浄」問題 小武正教氏から、「還浄」問題の論争が、教義論のみが先行し、不毛の論議にならないためにと本願寺同和教育センターの2月の月例研究会で発表したものを送って頂きました。文中に出てきます深川師とのやり取りもいただけるようです。
(2000−3月3日訂正稿UP)必読
還浄」をめぐる
小武・深川両師の往復書簡
小武正教氏から、季刊せいてん「還浄」をめぐる深川師との往復書簡を提供して頂きました。公開質問状として質問されたので上記の小論の中に登場する書簡です。
(2000−3月4日UP)
「還浄」考  親鸞聖人の象徴的表現 中外に出された、沖師の「還浄」考と信楽師の論への反論です。
(2000−3月15日UP)
日本文化の因習を考える
(1) (2) (3) (4) (5) (6)
『部落解放ひろしま』掲載された、小武正教氏の「日本文化の因習考える」と 題された、六曜・ケガレ等の文化論です。(同朋運動にも同じもの載せています。)
(2000−5月18日追加UP)
清め塩を廃止しよう 1997年7月『部落解放』掲載された、武田達城氏の 「清め塩を廃止しよう」の実践への取り組みです。
(2000−3月24日UP)
「還浄」で何を問うているのか 中外に掲載された、小武正教氏の「還浄」問題論です。元原稿ですので実際の 記事とは幾分変わっているかもしれません。
(2000−4月4日UP)
五月四日中外転載(尺一氏の投稿) 「還浄」ないしは「還浄運動」肯定論について (2000−5月13日UP)
「還浄」論議に寄せて 五月四日中外掲載・松井順嗣・「還浄」論議に寄せて
2000−5月14日UP
ひらがな真宗・森田真円著 (ひらがな真宗・お浄土にかえる? ー還相回向ーP113)ほぼ深川師と同じ論理で「カエル」を否定しておられます、著者に連絡をとっておりませんのでアップ出来ませんが、テキスト化してありますのでメール下さればお送りいたします。
再び本願寺教団当局にただす 中外日報に掲載された信楽師の記事です。※智寧さんのページに公開されてますのを無理を言って直接リンクを張らしていただきました。
(2000−8月30日UP)
「還浄」の論議における解釈技法の問題 沖師の昨年10月1日−日本仏教学会口頭発表学会発表のレジメ
(2001−1月10日UP)
「浄土にかえる」という表現は
「宗義になきおもしろき名目」か?
教学研究所紀要第9号に掲載された「『浄土にかえる』という表現をめぐって」という論文の草稿文です、紀要と合わせてお読み頂ければ幸いです。
(2001−9月3日UP)
教学研究紀要9号
「還浄」に関する教学的整理・安藤光慈著
2001年度の紀要に「還浄」に関しての論文が載っています。ちょっと掲載の許可が出そうに無いので、その内に要約してアップしますのでしばらく工事中です。
「還浄」の論議における解釈技法の問題 日本佛教学会年報に発表された、原稿を頂きました。
(2001−10月28日UP)
還浄運動をどう評価するか? 『同和教育論究』第23号に発表された、論文を沖師より頂きました。
(2002−9月12日UP)


「清め塩」廃止のお願い。 「清め塩」廃止のお願い。
同和問題にとりくむ兵庫県宗教教団連絡会議。
(2000−6月12日UP)
神社と神道 『還浄』札あるいは、忌中札を考えるにあたって、神道のキヨメ観も是非読んで下さい。
「『清め塩』問題を考える」に有ります。


私にとってこの還浄あるいは浄穢についての問題を見つめるきっかけとなった、尺一氏のその後の宗門に対する書簡をまとめました、上記の「還浄」とは幾分方向性が変わりつつありますので、別項にします。
尺一氏の総局公室長への質問状・2000−1−20
尺一氏が関係者に送った今後の方針・2000−2−7
総局への要望書・2000−2−8
総局への要望書追記・2000−2−21
5月9日監正局に請求書を提出されました。



 
私は、還浄札の問題を考えるにあたって、教義論よりも前に、それまで使っていた「忌中札」の問題性の方が大きいと考えます。
いくつかの「浄穢」に対する問題点を見つめる資料をあげます。
(本願寺で売っているものは省いています。)
書名
内容
「六曜」迷信と部落差別
ブックレット菜の花・福岡部落史研究会 
なぜ、友引にこだわるのが問題なのか?
丙午の年に出生率が低下する現実がある以上、六曜はいのちを脅かします。
ケガレ意識と部落差別を考える
辻本正教著・解放出版
一種の部落史概論になっていますが、ケ・ケガレ・ハレについて大変分かり易く 解説してあります。入手もしやすくお薦めです。
人権テキストNo15『部落問題と穢れ意識』
広島県部落解放研究所
真宗と葬儀の著者でもある、小武正教氏がコーディネーターをつとめられたパネルディスカッションが 納められています。
小森龍邦氏が、忌中札について少しふれられています。 最近は「忌中」から「還浄」に変わっている、これは本質的な差別に肉薄していく プロセスであるとされています。
蓮如論
小森龍邦著・明石書店
蓮如さんに対する提言書ですが、109ページに少しだけ「忌中」と「還浄」についてふれられています。

上記の文に続いて『「浄土に還る=還浄」ですね。これもあんまり抵抗がない事はないけれども』
とも述べておられます。この一文は、小森氏が還浄という言葉に対して抵抗あると思っていたのですが、 僧侶の中に「還浄」という言葉に抵抗を持っている者があるという意味のようです。
(小武氏から御指摘を頂きました。)


このページを創るにあたって、尺一・深川・沖の各師、また文化時報・中外日報の両社に連絡を とりました。いずれも快く掲載を承諾して頂きました。(石田師には連絡をとっていません、先生個人の文ならとるのですが、総局の要請で書かれた一文でありますので、掲載許可が出るまで時間が係ると思いましたので無断で載せています。)
この問題に対しては読まれる方色々な思いや意見が有ることでしょう。しかし、その前にインターネットの個人のホームページへ掲載を承諾された、という事についての意義を考えてもらいたいです。
本来このようなものは、一地方寺院の僧侶がアップするものでは無く、なにかしらのグループ等が がポームページを創って掲載する問題であろうと思います。
(個人でこの問題のデータベースを創るの手に余ります。)
以前私は、某教区発行の小冊子を掲載しょうと思い。電話で連絡をとったところ、書簡で提出してくれと言われ、その教区の基幹運動では会議まで持ったようですが、私が電話するまではなんの連絡も有りませんでしたし、結果は一部引文も不可というものでした。 未成熟なメディアであるインターネットに文章を公開する危険性というのは解らなくもないですが、現在の情報の公開制に対する流れやまた過去帳に対する取り組みから考えると納得出来ないものがあります。そのような本願寺の体質から考えて上記の一連の文章がインターネット上に公開される意義というものは大きいと思われます。

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