2003年兵庫教区報より

長島愛生園の駐車場から見る風景は、ごく普通の海辺の町である。
  かつて教団はハンセン病療養所で何をし、何をしなかったのかということを調べているのだが、戦後はごく普通の布教伝道活動である。
例えば、仏婦が一九五三(昭和28)年に香川県青松園に厨子を寄贈する趣意書には、 ※ 「(略)真宗信徒は(略)いまだに死体安置場の隣室を借り、壁に御尊影をお掛けして、朝夕の礼拝にお慈悲を喜び合っておるような次第です。
  私たち同朋一同は、これでもよいのですが、仏さまに相すみませんので、(略)」
とある。そこには慰問も慰めの言葉も見あたらない。
しかし一九五三年という年は「(新)らい予防法」施行の年であり全国の療養所では自らの人権を護るために「予防法闘争」が繰り広げられていた。ごく普通の布教伝道活動がこのような人権闘争の傍観者であったとするならば、やはり隔離政策を追随したのだと言えるのでは無いだろうか。
今改めて、私たちは人間回復の歴史に学ばなければないらい。



※「香川県青松園に厨子を寄贈する趣意書」全文

  香川県木田郡庵治村、国立癩療養所青松園には、病患と闘い続けている在園患者が七百 人もおり、それぞれの信仰団体があって、キリスト教・天理教・金光教等は会堂を持っ て、お勤めもしておりますが、真宗信徒は二百八十余人もおりながら、いまだに死体安置 場の隣室を借り、壁に御尊影をお掛けして、朝夕の礼拝にお慈悲を喜び合っておるような 次第です。   私たち同朋一同は、これでもよいのですが、仏さまに相すみませんので、是非とも仏さ まのお厨子だけでも安置したいものと、在園信徒一同よりわが仏教婦人会に対し、之が寄 贈を懇請してこられました。

  わが仏教婦人会は、さきに会員の皆様の力によって、長島愛生園の「恵の鐘」を改鋳るして贈りましたが、ここに又、青松園在園同朋の方々に「お厨子」を贈って、之を通じて、心の光と生き抜く力を護って頂きたいと念願せずにはおられません。全仏教婦人会員の皆様、どうか挙ってこの趣意に御賛同下さいまして、左記要項にもとづき、御協力を賜りますようお願い申し上げます。


        
経費予算額            金一四〇.〇〇〇円
内訳  お厨子成作費    一〇〇.〇〇〇円  同送料  七.〇〇〇円
      通信印刷その他  三三.〇〇〇円
○金額随意(但し婦人会で取りまとめて下さい)



上の文章は兵庫教区の教区報5月号のコラムに書いたものです。400字ほどの短いものですが、慰問とは何かということについて思ったことを書いて見ました。慰問というと戦前の暁烏敏師が昭和9年3月28日に愛生園で話した「入所者の行くべき道」が取り上げられることが多いですが、暁烏師の講話のような直接的表現だけではなく、上記のような療養所との関わり自体も検証する時期に来ていると思います。


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