ハンセン病差別から見えるもの

  2001年5月24日総長見解
「ハンセン病に対する法的措置は、患者の方がたに苦しみを与えるだけでなぐ、患者や家族、また周囲の人びとに偏見と差別という苦悩を与えてきました。私たちもこの苦悩を共有するどころかそれを助長する過ちを犯してきました。」

【問題とされたことされなかったこと】
◎1987年にS布教使ハンセン病差別法話問題
◎1954年(S29)年の亀川村差別事件
『不幸な運命に生まれるものは不幸な種をまいている。幸福な運命に生まれたものは不幸な種をまいている。エッタボシやドレイ(※ドレ)に生まれるものは、前世でそのような種をまいている。』(1986年・御同朋の社会をめざして第3集差別事件に学ぶ)
※ドレ  ハンセン病に対する賤称語

【身分の時代】
らい(癩・癘)、明治期以前は広く皮膚病が含まれる。
前24世紀頃エジプト、前6世紀のペルシアやインドの医学書、新旧の聖書、中国では論語などに記載、人類が最初に認識した感染症といわれる。
日本では、日本書紀・令義解など8.9世紀の頃から記載あり。
  旧約聖書のレビ記13や、新約聖書のルカによる福音書16に記載。
  レビ記=白癬・汚れものとされ社会の外に出る、
  ルカによる福音書のラザロの記載、ラザレットの起源
  ※1348年の黒死病(ペスト)の大流行によりヨーロッパでは激減
◎日本
「延喜式」→国津罪
「覆載万安方」等の医学書→風病(五大種の風大のバランスが崩れること)
「医談抄」(鎌倉時代の医学書)→天刑病「天の病ましむる病也」
「令集解」(律令の解説書)では毒虫説(感染症)
仏教が広まるとことにより「業病」説が定説化
・日本霊異記下巻20、法華経を書写していた女の人をそしった罰として「白癩(白ナマズと読む場合ある)」になる。
「法華経・普賢菩薩勧発品」「若し復是の経典を受持せん者を見て、其の過悪を出さん。若しは実にもあれ、若しは不実にもあれ、此の人は現世に白癩の病を得ん」
(後に、法華経に帰依すると治癒するという伝説ができる。)

「法事讃(註釈版七祖篇P544)」
「人中に生じて、聾盲レル(ろうもうおんあ)・疥癩癰疽(けらいようそ)・貧窮下賤(びんぐげせん)にして、一切の諸衰、もつて厳飾となす。」

◎救癩
光明皇后(奈良前期の聖武天皇の皇后)
※ 浴室を建てて貴賤を問わず入浴させ、千人のあかを落とそうと決意したが、千人目に癩におかされた男があらわれたので、ちゅうちょしたものの、勇を鼓してその体を洗い膿を吸ったところ、男は大光明を放って自分は阿ナニ仏であると告げたという(《宝物集》《元亨釈書》)

叡尊(1201-1277)忍性(1217-1303)の救癩事業
    西山光明院・北山十八間戸
収容者の極楽往生をかなえるために、念仏を称えさせたり臨終行儀のための行為

日蓮(1222-1282)「聖愚問答抄」1265年(偽書説もあり)「次に道を作り橋を渡す事、還て人の歎き也。飯島の津にて六浦の関米を取ります。諸神の歎き是多し。諸国七道の木戸、是も旅人のわづらい只此の事に在り。眼前の事なり。汝見ざるや否や。」

◎宗祖とらい者
1.善光寺聖としての親鸞聖人
善光寺の賤民・「町離」(エタ身分)、「横大門の者」(ヒニン身分)「道近坊(らい者)」「道近坊」は「町離」支配を受けながら、僧体で善光寺境内や町中で勧進(物乞い)や、病人の介抱や死体の処理、田畑の見回りをしていた。中世の時宗僧や聖と同じ生業。

2.御絵伝「落陽遷化」に登場する「犬神人」

明治三十二年刊「親鸞聖人四幅御絵傳指南」・「是なるは犬神人なり。また夙のものともいふ。(略)祇園會には甲冑を帯して鉾を突出るなり。今本寺方の葬儀の時にも是の如く。赤き装束に白き頬冠りをして。棒を突きて出る。」

石山本願寺日記
天文5年1月7日
弦懸越中、弦十張あげ候。いつも弐百文取之由、取次周防
天文5年2月6日
つるかけのほうらい、つる20張上、毎年五百文遺よし上野申、其分候
天文6年1月6日
弦懸越中拾張、如佳例倒来候。取次周防
天文6年1月17日
住吉長居の宿、興五郎弓弦五張出候。毎年大坂にて鏡取候由候間、一枚遺候
天文6年1月29日
つるかけほうらい廿張持参来候
天文7年1月7日
弦懸越中如嘉例  十張捧之候、即廿疋やり候。取次周防
天文8年1月6日
弦懸十張上之
天文8年1月9日
住吉長井之宿弦十張出之。即鏡取也
天文9年1月6日
弦懸越中十張上之
天文11年8月1日
弦懸ほうらい弦廿張出之。

実如上人闍維中陰録
一御葬送御供之次第。一番に棒の衆十人、次に調声鈴の役人、次に御一門衆、次に坊主衆、次に提灯、次に御輿、次に若子・蓑衣の衆悉御供なり。

◎「物吉(ものよし)」「オトラシャ」「青癩」勧進の門づけ集団

1871(明治四)年、解放令(石川県)
穢多非人等の称廃せられ候条、一般の民籍へ編入し申すべき義等御布告に付、右非人等とこれ有る義は、藤内も同様に御座候哉と伺い奉り候所、右伺の通り相心得べき旨仰せ渡せられ、就ては地租其外除・(ケン)の仕来りこれ有り候はば、引直し方見込取調べ御達申すべき旨仰せ渡せられ候、仍て左の者の義も同様取しらべ申すべく存じ奉り候
一  皮多
一  物吉
一  舞々
  但、此外にも従前非人の扱の者これあり候えば書上げ申すべく候右の者迄も地租取しらべ、左の通書上ぐるべく存じ奉り候(上杉聰  天皇制と部落差別  三一新書)
 

【隔離の時代】

「ヘンド(辺土)」
四国巡礼は通常「遍路」、ハンセン病発病者の場合は侮蔑的に「ヘンド」といわれた。「差別者のボクに捧げる・三宅一志」によると、「四国のへんどの墓石は、自然石のままの粗末なものである。『釈明岳信女  文化四年十二月二十七日』」とある

らい部落  熊本県本妙寺・山梨県久遠寺・群馬県草津温泉湯ノ沢地区  他

キリスト教の救癩活動
テストウィード.静岡復生病院、ハンナ・リデル.熊本回春病院、ケリー・ヤングマン.東京慰廃園.ジャン・マリー・コール.熊本侍労院

◎民族浄化
1909(明治42)年「癩予防二関スル件」
「本案ニ於マシテハ主トシテ浮浪徘徊シテ居ル者デ病毒ヲ散蔓シ、風俗上ニモ甚ダ宣シカラヌト云ウモノヲ救護イタシテ此目的ヲ達スルト云フコトヲ第一ニ致シテ居マス」
1931(昭和6)年「癩予防法」

光田健輔(1876―1964) 隔離と家族主義(民族浄化)

小笠原登(1888ー1970)京都大学皮膚科助教授、大谷派僧侶(愛知県円周寺衆徒)
三浦参玄洞(1884ー1945)『中外日報』記者.本願寺派僧侶

1922(大正11)年3月25日
大分県別府町的ヶ浜のサンカ部落を警官十数名により焼き討ち事件
1940(昭和15)年に熊本県本妙寺のライ部落解体

【皇恩と本願寺】

 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 

◎多磨全生園
1928年  昭和3年
5/19  大谷光照法主、西本願寺派子裏方来訪

◎長島愛生園
昭和6年4月5日、真宗同朋会発会、5月18日、
西本願寺から安井定晃師が来園布教

昭和10年11月20日、西本願寺大谷子裏方「恵の鐘」の除幕と撞初式に来園
(間違い代理だけ。)

昭和17年10月19日、西本願寺大谷子裏方来園

昭和30年10月23日、西本願寺大谷光照御門主来園、御堂敷地に記念植樹された。

昭和30年、栗下信策氏の要望により「法務部員」許可、兵庫教区

昭和32年5月2日・京都.滋賀.兵庫.四州の教務所長が集り、御堂建設に関する協議会がもたれた。この時期本山では長島愛生園・邑久光明園・大島青松園・東北新生園の各四園のらい療養所に、佛教会館建設を宗祖七〇〇回大遠忌の記念事業の一環としてとりあげ、一宗あげて運動することに決定された。

昭和39年4月の本山団体参拝

昭和53年5月24日、御門主による帰敬式に併せ、会館建立二十周年記念法要を厳修し、八月二十四日、読売テレビが法要の実況を放映した。

昭和55年3月4日、大谷嬉子前お裏方一行を迎えて親鸞聖人銅像除幕式を行った。
 

◎法務部員
      速進を求めるの書
  一、得度式希望者募集の件
  右は本年(二十九年)五月、真宗同朋会幹事会に於いて導師を養成し、希望者を求め資格を受くる事を決議いたしたるも早や六ケ月余りを経過す。いまだ何んらの具体的兆候を見ざるは誠に遺憾の極みであります。
  このような事は平常の準備と機会を得た手続きをいたしおかねば俄かに出来るものに非ず、尤も後生の一大事に於いては得度をいたさぬとも信心一つに極まることは申す迄もありません。
  しかし我れらも社会組識の中に生存するものにて愛生園もその中に在って園外にあるものに非ず、されば時代に即応したる方法に則って進むことを最も肝要のことと存じます。(略)これを宗典に求むれば、教行信証に義なきを以って義とすと仰せられ御文の八ケ条にくわしく示しあり、また、私共が集会毎に領解文として述べる中に「定めおかせらるる御おきて一期をかぎりまもりもうすべくそうろう」と、社会一般の定めに準ずべき事を明きらかにしておるのであります。
  そこで愛生園内の各宗状態を見れば昔と異なり、一般社会と同様の方法を以って進み、これがためか宗勢は盛んになり充実発展しつつあるのが実状であります。(略)
  また、らいを病む身と難ども国法に従い療養所に安住する我らが、この社会同様の資格を受くる事あえて差しつかえなき事と存じます。且又、衆人が三宝僧に随喜す実感情よりするもこの僧侶の資格を受くる事が、今の発展充実相続のために重要且つ緊急の事と存ずる次第であります。仏法は無常をとき実践実行を生命といたします。(略)

    許    可    証
                  内  野  幸  一
  右は愛生園に於いて真宗本願寺派の法務を執行することを認めます
        昭和三十年十月八日
          兵庫教区教務所長  村上貫之  印
 
 

【新たな差別を見据えて】
ハンセン病を取り巻く差別構造が新たな差別構造に移行しないために。
HIV感染者の通名
B肝炎やO−157等の感染症への風評や偏見
僧侶の持ち得る個人情報・守秘義務の再度の点検
ハンセン病に伴う後遺症による障害
差別・偏見・哀れみ等の蔑視感でみることは、一般障害者差別へも通ずる。
親近者を療養所へ送り出さねばならない状態に追い込まれた方々の苦悩と、障害児を持つ親の怯えや不安に通じる。
「こんな躰に生んだ母を許してね」という言葉を今後いかなる人間にも語らせてはならない。



 某研修会でお話した、「ハンセン病差別と真宗」のレジメです。
レジメですから、このままでは不完全なものですが、新報の問題もあり今回アップすることにしました。

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