「還浄」の論議における解釈技法の問題

Some  Remarks  on  the  Art  of  Interpretation  concerning

the  Expression”Genjo”

種智院大学  沖和史

0.宗教研究の態度:岸本英夫の分類
主観的立場
  • (信仰)神学的研究………宗学、宗乗
  • (理性)宗教哲学的研究…個人の仏教哲学

  • 客観的立場

  • (歴史的)宗教史的研究…仏教史、仏教思想史
  • (体系的)宗教学的研究…仏教学
  • 01.文献学(基礎研究)の立場
    本文の確定
    :マニュスクリプトと版本


    客観的読解

    :a)文法、文脈、語義
    :b)仏教思想史上の位置づけ(歴史的用例と同時代の用例)
    :c)文化史上の位置づけ
    02.Dharmottaraの読解例
    1.pratyakXa(現量)はsavikalpaka(有分別)かnirvikalpaka(無分別)か?
    a)b)kalpanApoDha,pratyakXaは単独でpramANaという言明。
    c)savikalpakapratyakXa(有分別現量)とは何か。
    2.anumAnasyapravRtteHの解釈
    a)b)行為者と行為の関係に関する二通りの解釈:@anumAnaを行為者として、pravRttiを使役で解釈する例AarthakriyArthin(人)を行為者として解釈する例。
    c)インド哲学全般における用法

    1.文献学的立場から見た「還浄」

    11.「浄土へかえる」の用例
    111.凡夫願生者の故郷……親鸞の引用
    112.「かへる」と「かへらしむ」「きたらしむ」……文法の問題
    113.「かへる」を示す漢字……字義の問題
    114.「かへる」が表す意味……同義の文例
    12.「還」の用例
    121.行為者が「化身」の例
    122.行為者が「凡夫」の例

    2.神学的解釈の問題

    21.故郷観と「機の深信」「二種深信」
    22.他力と「かへる」「かへらしむ」
    23.字釈:「来」「帰」「還」と「還帰」「還来」、「帰去来」「去来」
    24.宗教的象徴的表現と信心(「如来とひとし」)
           親鸞の引用態度:
              1.異訳をできる限り参照することにより、信仰の態度を導き出す
               2.浄土教の伝統に基づきつつ、新しい解釈を提示する。

    用例

    略号

    七祖原典:浄土真宗聖典七祖篇(本願寺出版社,1992)
    七祖篇:浄土真宗聖典七祖篇(註釈版)(本願寺出版社,1996)
    真聖全:真宗聖教全書(興教書院,1949)
    真蹟集成:親鸞聖人真蹟集成(法蔵館,1978−9)
    註釈版:浄土真宗聖典(註釈版)(本願寺出版部,1988)


    11.(1)唯信鈔文意(真蹟集成八270−4,真聖全二641−2,cf.624,註釈版702)
    「来迎」といふは、

    (A)「来」浄土へきたらしむといふ、これすなはち(A1)若不生者のちかいをあらはす御のりなり。(A2)穢土をすてて真実報土にきたらしめむとなり、すなはち(A3)他力をあらはす御ことなり。

    (B)また「」はかへるといふ、かへるといふは、(B1)願海にいりぬるによりてかならず大涅槃にいたる(B2)法性のみやこへかへるとまふすなり。法性のみやこといふは、(B3)法身とまふす如来のさとりを自然にひらくときを、みやこへかへるといふなり。これを(B4)真如実相を証すともまふす、(B5)無為法身ともいふ、(B6)滅度に至るともいふ、(B7)法性の常楽を証すともまふすなり。このさとりをうれば、(C)すなはち大慈大悲きはまりて生死海にかへり入りて(よろずの有情をたすくるを)普賢の徳に帰せしむとまふす。(B8)この利益におもむくを「」といふ、これを法性のみやこへかへるとまふすなり。

    (2)唯信鈔文意(真蹟集成八286−96,真聖全二644−6,cf.626−8,註釈版705−7)
    「総迎来」といふは、「総」はふさねてといふ、すべてみなといふこころなり。「迎」はむかふるといふ、まつといふ、他力をあらはすこころなり。
    」は(B)かへるといふ、(A)きたらしむといふ、(A’)法性のみやこへむかへ井てきたらしめ、法性のみやこへかへらしむといふ。(C)法性のみやこより衆生利益のために(この)娑婆界にきたるゆゑに、「」といふ。これをきたるといふなり。((B2,B3)法性のさとりをひらくゆゑに、「来」をかへるといふなり。)
    (中略)すべてよきひと、あしきひと、たふときひと、いやしきひとを、無碍光仏の御ちかひにはきらはずえらばれずこれをみちびきたまふをさきとしむねとするなり。(B9)真実信心をうれば実報土に生るとをしへたまへるを、浄土真宗の正意とすとしるべしとなり。「総迎来」は、(A’)すべてみな浄土へむかへて、かへらしむ(←111.(1))といへるなり。
    (3)参考
    彼仏菩薩(中略)出従彼法性之都中、忝雑穢悪充満之此土」(かの仏菩薩は、かの法性の都の中より出で、忝くも穢悪充満の此の土に雑る)『愚迷発心集』(日本思想大系15『鎌倉旧仏教』311a,5,岩波書店1971)


    111.浄土(法性のみやこ・涅槃のみやこ)も穢土も「故郷」「家」に譬えられる。

    (1)行巻引文(真蹟集成一91,真聖全二25,註釈版173−174)

    普く道場の同行のひとを勧む。ゆめゆめ回心して帰去来(いざいなむ)。とふ、家郷はいづれの処にかある。極楽池の中七宝の台なり。かの仏の因中に弘誓を立てたまへり。名を聞きてわれを念ぜばすべて迎へ来へらしめむ。(→11.(A’))
    (2)証巻引文(真蹟集成一348,真聖全二106,註釈版312)
       真仏土巻引文(真蹟集成二462−3,真聖全二139,註釈版369)七祖篇405−406.
    西方寂静無為の楽(みやこ)(に)は、畢竟逍遥して有無を離れたり。大悲、心に薫じて法界に遊ぶ。分身して物を利すること、等しくして殊なることなし。(中略)

    帰去来(いざいなむ)、魔郷には停まるべからず。曠劫よりこのかた六道に流転して、盡ごとく皆経たり。到る処に余の楽なし。ただ愁歎の声を聞く。此の生平を畢へて後、かの涅槃の城に入らん、と。

    参照:「速やかに寂静無為の楽(みやこ)に入ることは」(真蹟集成一152)
    なほ正道のごとし、もろもろの群生をして智城(左訓:みやこ)に入らしむるがゆゑに」(真蹟集成一140)→11.(B2)法性のみやこかへる(「入る」と同じ意味で使用)
    (3)化身土巻引文(真蹟集成二547,真聖全二165,註釈版411)
    帰去来(いざいなむ)、他郷には停まるべからず。仏に従ひて本家に帰せよ。本国に還りぬれば一切の行願、自然に成ず。


    (4)歎異抄九(真聖全二778,註釈版837)

    また浄土へいそぎまゐりたきこころのなくて、いささか所労のこともあれば、死なんずるやらんとこころぼそくおぼゆることも、煩悩の所為なり。久遠劫よりいままで流転せる苦悩の旧里はすてがたく、いまだ生れざる安養の浄土はこひしからず候ふこと、まことによくよく煩悩の興盛に候ふにこそ。なごりをしくおもへども、娑婆の縁尽きて、ちからなくしてをはるときに、かの土へはまゐるべきなり。
    (5)正信偈(真蹟集成一152,真聖全二46,註釈版207)
    生死輪転の家に還来(かへ)ることは決するに疑情を以て所止と為す。


    114.(1)

    (B1)無上涅槃いたる(唯信鈔文意:註釈版713.)
    (B1,B3)無上涅槃のさとりひらく(唯信鈔文意:註釈版709,712.)
    (B8,B3)仏果いたる(唯信鈔文意:註釈版712.)
    (2)
    「涅槃」の同義異語(唯信鈔文意:真聖全二647−8,cf.630,註釈版709)
    (B2,B7)法性(B3)法身(B3)如来(B4)真如(B4)実相(B5)無為(B6)滅度(B7)常楽
    その他)安楽、一如、仏性。「この信心すなはち仏性なり」
    (3)
    「真実の証」(証文類、真蹟集成一339−40,真聖全二103,註釈版307)
    (B1)無上涅槃(B1)無上涅槃の極果(B2,B7)法性(B4)真如実相(B5)無為法身(B6)かならず滅度に至る(B7)常楽
    (その他)利他円満の妙位,畢竟寂滅,一如
    引文
    (真蹟集成一348,真聖全二106)ただねんごろに法に奉へて、畢命を期として、此の穢身を捨てて、即ち(B7)彼の法性の常楽を証すべし。→参照:「安楽土に到れば、必ず自然に、即ち法性の常楽を証せしむとのたまへり」『入出二門偈』(真聖全二484,註釈版550)→正信偈(真聖全二45,註釈版206)
    (4)
    末燈鈔21(真聖全二693,註釈版779)
    (B9)安楽浄土にいりはつれば、すなはち(B1)大涅槃をさとるとも、また(B3)無上覚をさとるとも、(B6)滅度にいたるともまふすは、御名こそかはりたるやうなれども、これみな(B3)法身とまふす仏のさとりをひらくべき正因に、弥陀仏の御ちかひを、法蔵菩薩われらに回向したまへるを、往相の回向とまふすなり。この回向せさせたまへる願を、念仏往生の願とはまふすなり。
    (5)
    末燈鈔14(蓮位添状)(真聖全二680,註釈版761)
    をはりのとき、南無阿弥陀仏、南無無碍光如来、南無不可思議光如来ととなへられて、手をくみてしづかにをはられて候ひしなり。またおくれさきだつためしは、あはれになげかしくおぼしめされ候ふとも、(B6)さきだちて滅度にいたり候ひぬれば、かならず最初引接のちかひをおこして、結縁・眷属・朋友をみちびくことにて候ふなれば、しかるべくおなじ法文の門に入りて候へば、蓮位もたのもしくおぼえ候ふ。→凡夫願生者が「滅度にいたる」
    (6)
    教行信証後序(真蹟集成二673,真聖全二202,註釈版472)
    勅免を蒙りて入洛して以後、空(源空)洛陽の東山の西の麓、鳥部野の北の辺、大谷に居たまひき。同じき二年壬申寅月の下旬第五日午のときに(B1,B6)入滅したまふ。→121.(3)(4)


    121.行為者が「化身」の用例:高僧和讃

    (1)源信和尚ののたまはくわれこれ故仏とあらはれて
       化縁すでにつきぬれば本土にかへるとしめしけり(真蹟集成三239)
    (2)命終その期ちかづきて本師源空のたまはく
       往生みたびになりぬるにこのたびことにとげやすし(真蹟集成三263)
    (3)阿弥陀如来化してこそ本師源空としめしけれ
       化縁すでにつきぬれば浄土にかへりたまひにき(真蹟集成三266)
    (4)本師源空命終時建暦第二壬申歳
       初春下旬第五日浄土に還帰せしめけり(真蹟集成三269)
    122.行為者が「凡夫」の用例:愚禿鈔下(真聖全二477a,註釈版539)
    (1)言対去対往也、又欲令還来報土也(「来」の言は、去に対し往に対するなり。また報土に還来せしめんと欲してなり)→11.(A)(A’)「きたらし(め)む」、「かへらしむ」
    (2)→111.(3)本国に還りぬれば、一切の行願自然に成ず」

    参考:善導の用例

    (1)帰去来、極楽は身を安んずるに実にこれ精なり。(定善義:七祖原典510,七祖篇450)
    (2)慶得希聞自家国諸仏証判還帰法事讃下:七祖原典646,七祖篇570)
    慶ばしきかな、希に自家国を聞くことを得たり。諸仏還帰することを得と証判したまふ。
    (3)寄言有縁同行者努力翻還本家往生礼讃:七祖原典791,七祖篇700)
    言を有縁の同行者に寄す。つとめて迷ひを翻して本家に還れ
    (4)慶得人身聞要法願往生頓捨他郷帰本国無量楽(般舟讃:七祖原典832,七祖篇738)
    慶ばしきかな人身を得て要法を聞きたちまちに他郷を捨てて本国に帰ること
    (5)十方如来舒舌証願往生定判九品得還帰無量楽(般舟讃:七祖原典840,七祖篇746)
    十方の如来舌を舒べて証して九品還帰することを得と定判したまふ
    (6)去来他郷不可停従仏帰家還本国一切行願自然成(法事讃下:七祖原典663,七祖篇585)
    去来、他郷には停まるべからず。仏の帰家に従ひて本国に還りぬれば、一切の行願自然に成ず。→111.(3):去来他郷不可停従仏帰還本一切行願自然成
    (7)行者見仏光明喜願往生即坐七宝蓮華上無量楽従仏須臾還宝国願往生到即直入宝池中無量楽(般舟讃:七祖原典879−80,七祖篇785)
    行者仏の光明を見て喜び即ち七宝蓮華上に坐し仏に従ひて須臾に宝国に還り到りて即ち直ちに宝池の中に入る
     

    2.真宗学者の神学的解釈:文献学的手法の不足

    21.故郷観(111)と「機の深信」→浄土を故郷とする用例の軽視←→「二種深信」、「如来とひとし」=24.(2)

    22.他力と「(凡夫が)かへる」「(凡夫をして)かへらしむ」
    221.「いたる」「いたらしむ」(親鸞の訓点)
    (1)滅度に至らずば、正覚を取らじ(真蹟集成一340,真聖全二103)
    (2)無上菩提を究竟し、涅槃の処に到らしめむ(真蹟集成一342,真聖全二103)
    222.「かへる」(B2)と「生る」(B9)は同じ事態を表す表現→11.(2),114.(4):往生即成仏cf.24(1)

    23.字釈:「来」「帰」「還」と「還帰」「還来」、「帰去来」「去来」=「故郷」「家」と対応する比喩的表現であることを無視し、解釈を誤る。「不可停」の評価の欠如。
    「帰」の字釈…「きす(帰依)」と「かへる(証大涅槃)」の同異、善導の用例(「帰去来」と故郷の解釈)、「平生業成の宗義」、帰る決意の確定の時間(信一念)とかえる歩み・帰着の時間の関わり、など
    「還」の字釈…「還」「還帰」「還来」、「還相」。善導の用例(浄土教の伝統と引用)

    24.宗教的象徴的表現と信心(「如来とひとし」)
    親鸞の引用態度:1.異訳をできる限り参照することにより、信仰の態度を導き出す
    2.浄土教の伝統に基づきつつ、新しい解釈を提示する。

    (1)『一念多念文意』の「いたる」と『帰去来の辞』の「帰去来」・船旅・帰着
    これはすなはち(B1)無上大涅槃にいたるを申すなり。信心のひとは正定聚にいたりて、(B6)かならず滅度に至ると誓ひたまへるなり。これを「致」とすといふ。むねとすと申すは(B1,B3)涅槃のさとりをひらくをむねとすとなり。「凡夫」といふは、無明煩悩われらが身にみちみちて、欲もおほく、いかり、はらだち、そねみ、ねたむこころおほくひまなくして、臨終の一念にいたるまでとどまらず、きえず、たえずと、水火二河のたとへにあらはれたり。かかるあさましきわれら、願力の白道を一分二分やうやうづつあゆみゆけば、無碍光仏のひかりの御こころにをさめとりたまふがゆゑに、(B9)かならず安楽浄土へいたれば、弥陀如来とおなじく、かの正覚の華に化生して(B1,B3)大般涅槃のさとりをひらかしむるをむねとせしむべしとなり。これを「致使凡夫念即生」と申すなり。二河のたとへに、「一分二分ゆく」といふは、一年二年すぎゆくにたとへたるなり。(真聖全二618,註釈版693)

    (2)浄土観の問題…初めて行く、元居たところへ帰る、生まれ育ったところへ帰るなどの表現からあらわになる実体的浄土観。「無生の生」
    浄土の真実信心の人は、この身こそあさましき不浄造悪の身なれども、心はすでに如来とひとしければ、如来とひとしと申すこともあるべしとしらせたまへ。(中略)光明寺の和尚(善導)の『般舟讃』には、「信心のひとは、その心すでにつねに浄土に居す」と釈したまへり。「居す」といふは、浄土に、信心のひとのこころつねにゐたり、といふこころなり。これは弥勒とおなじといふことを申すなり。これは等正覚を弥勒とおなじと申すによりて、信心のひとは如来とひとしと申すこころなり。(末燈鈔3真聖全二661−2,註釈版758−9)
     
     

    参考文献

    沖和史 1999「親鸞聖人のおことばにしたがって浄土にかえろう」『季刊せいてんno.47』浄土真宗教学研究所、1999.6.
    1999a「『還浄』運動と教学論争」上中下、中外日報、1999.7.1,7.3,7.6.
    2000「『還浄』考親鸞聖人の象徴的表現」中外日報、2000.3.7.
    小武正教 1998『真宗と葬儀…同朋運動の視点から…』本願寺出版社、1998.3.
    2000「『還浄』で何を問うのか第二ラウンド『還浄』論争」上下、中外日報、2000.3.30,4.1.
    小山一行 2000「高僧和讃に聞く〈35〉」『大乗』通巻597号、2000.2.
    基幹運動本部
    事務局
    1997『法名・過去帳』(ブックレット基幹運動No.4)
    齋藤隆信 1994「善導の還帰往生」印度学仏教学研究42−2、1994.3.
    信楽峻麿 2000「『還浄』について教団当局にただす」中外日報、2000.1.18.
    2000a「『還浄』問題再び教団当局にただす」中外日報、2000.8.22.
    白川晴顕 1997「『浄土和讃』に聞く〈最終回〉」『大乗』通巻562号、1997.3.
    『中外日報』

     

    2000.2.3.「読者の広場」(櫻部建、入井義樹、城山大賢)
    2000.3.25.「本願寺派第258定宗通告質問の詳報A」
    2000.4.1.「読者の広場」(矢野正慈「臨終の往生は還浄」)
    2000.5.4.松井順嗣、尺一顕正両氏の所説
    深川宣暢 1998「『お浄土にかえる』とは、どういうことですか?」『季刊せいてんno.44』浄土真宗教学研究所、1998.9.
    1999「ふたたび、『浄土にかえる(還浄)』についてご意見ご質問への答え」『季刊せいてんno.47』浄土真宗教学研究所、1999.6.
    普賢晃寿 2000「聖典読本唯信鈔文意(10)」『宗報』2000.2.
    霊山勝海 2000「正信偈を味わう(24)」『大乗』通巻598号、2000.3.
    森田真円 2000「お浄土にかえる?還相回向」『ひらがな真宗』本願寺出版社、2000.1


     

    1.文献学的立場から見た「還浄」

    「法性のみやこ」と同じ内容を示す表現 「法性のみやこ」に対する表現
    [1]慣用表現
    11.(3)彼法性之都 穢悪充満之此土
    [2]浄土に類する表現とその対(往生即成仏の思想)
    (A)(A’)浄土(へきたらしむ)
    (A2)真実報土(にきたらしめむ) 穢土(をすてて)
    (B9)実報土(に生る)
    114(4)安楽浄土(に入りはつれば)
    24.(1)安楽浄土(へいたれば)
    111(1)極楽池の中七宝の台
    114(3)彼の法性の常楽(を証す) 此の穢身(を捨てて)
    (B1)大涅槃(にいたる) (C)生死海(にかへり入りて)
    (B3)法身、如来のさとり(をひらく) (C)(この)娑婆界(にきたる)
    (B4)真如実相(を証す)
    (B5)無為法身
    (B6)滅度(に至る)
    (B7)法性の常楽(を証す)
    [3]「みやこ」とその対
    111(2)西方寂静無為の楽(みやこ) 魔郷
    かの涅槃の城(みやこ) 六道、此の生平
    [4]帰るべき「故郷」「家」としての浄土とその対 →善導の用例(1)(2)(3)(4)(6))
    111(1)帰去来;家郷
    111(2)帰去来 魔郷不可停
    111(3)帰去来;本家(に帰せよ);本国(に還り) 他郷不可停
    [5]留まるべきでない穢土 →不可停;捨てるべき境界)に対する「故郷」「家」感情
    111(4)浄土(へいそぎまゐりたきこころのなく)
    いまだ生れざる安養の浄土(はこひしからず) いままで流転せる苦悩の旧里(はすてがたく)
    かの土(へはまゐるべきなり) 娑婆(の縁尽きて)(なごりをしくおもへど)
    111(5)寂静無為の楽(みやこ)(に入る)(111(2)) 生死輪転の家(に還来(かへ)る)



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