中外信楽説の不毛性

中外の信楽説を読みました。信楽先生も深川先生も「法性のみやこへかへる」という
文が、凡夫が大涅槃を証することを示す文であるという点を無視していますので、結
論的にも方法論的にも間違った方向へ進んでしまっています。


宗祖は「かへる」という語を、「はじめて」か「ふたたび」かという形で論じてい
らっしゃいません。他力により往還二回向が完成することを明示するため、すなわ
ち、「臨終来迎」を否定するために、論じておられるのです。
ですから、「帰」であれば「はじめて」、「還」であれば「ふたたび」という問題意
識は宗祖にはなかったと考えるほうが理にあいます。宗祖がお書きになり、又引用な
さった用例すべてにわたって、他力に乗じて「ふるさとである浄土にかえる」すなわ
ち「大涅槃を証する」と理解すればよいのです。


また、信楽先生が、善導大師や慈みん三蔵の引文をまったく無視するのは、私の理解
を超えています。
字典はあくまで道具。そして宗祖のお言葉ではありませんので、信楽先生は自己の方
法論との整合性をどのようにお考えなのか、素人にはまったく分かりません。
また、用例については、唯一の凡夫往生の用例である「還来」を「例外」とされたの
では、何のための用例検討なのでしょうか。ほんとうに不思議です。
「仏教一般」(?)の伝統が浄土教の伝統(善導大師)より重視されているのには驚 きました。


不毛な議論が起きないよう、簡単なメモをお示ししました。
以上。


沖先生より、信楽先生の中外の記事に対するコメントをいただきました。

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